2024年

4月

09日

再スタート

知識の枯渇と、時代に乗り遅れないためにと、勢いよく真っ白なノートを

リスキリングノートなんて気取って、肉筆で書き始めた。

 

処がところである、余りにも漢字がうまく書けなくなった。

 

筆順通りに滑らないで、つっかえてしまい、大嫌いな修正液のお世話になることに抵抗があり、パソコンに入力すると決めた。

 

ボールペンによるペンだこに苦しむこともなく、スイスイと滑り出した。

 

相変らず、Excelが苦手で、Wordで打ち込んでいる。

 

新しい情報をキャッチすると、「知の泉」が潤ってくるワクワク感に、暫く悩んでいたストレス状態が消えていくのが分かる。

 

時は新年度がスタートしてまだ9日、軌道修正ができた。

2024年

4月

08日

銀座で花まつり

今日は午前中に「骨密度」の検査を受けて、午後から銀座に出かけた。

 

空模様を案じながらであったが、何とか帰宅迄、パラパラ程度で収まってほしいと空を見あげながら。

 

毎年土地の公示価格でトップで有名な、銀座4丁目の鳩居堂の店舗の前に、

今日8日はお釈迦様の誕生日を祝う「花まつり」で、花いっぱいの花御堂の「誕生仏」に気が付いた。

 

銀座で花まつり、お釈迦様に甘茶をかけて、「お誕生日、おめでとう」と

お祝いをしてきました。

 

故郷で、父親に連れられて出かけてい以来、恐らく70年近い空白がある。

 

仏教徒の父親は、「灌仏会」の花まつりに、幼い私に作法を教えてくれる几帳面で律義な父親を懐かしく思い出した。

 

ふと、傍らに父親が寄り添っているような錯覚を覚えた。

2024年

4月

06日

花冷えと防虫剤

体調のせいか、桜の季節に見られる花冷えか、花曇りのせいか、異常なまでに寒さを感じる。

 

一昨日の4日は24節気のひとつ「清明の候」だった。

本来であれば、字のごとく清らかで明るく、生き生きとしてくる季節を表しているが、花曇りで一向に「春が来た」という明るく喜ばしいとは言えない日が続いている。

 

この三が日、猛烈な寒さに厚手のカシミヤのセーターを取りだした。

 

東京は既に4日にソメイヨシノの開花宣言があった。

見あげる灰色の空に咲き誇った桜の花が映えなくて、写真を撮るのも考えてしまう。

 

ラジオ体操に出かけようと玄関を出ると、小さな小さな霧雨がパーカーをみるみる濡らし、迷ったが、まだ体調も完治していないので踵を返す。

 

春の彼岸ごろから、防虫剤の広告を見かけるようになるが、今日もスーパーの案内に衣服用の防虫剤の案内があった。。

 

先日、暖かい日が続いた時にチェストの中は点検済みであったが、クローゼットはまだで、今朝ほどチラシを見てチェックした。

 

どうやら霧雨も止んだようで、朝の散歩を兼ねてスーパーに出かける。

 

まだ、嗅覚の回復は見られないが、エコバックから取り出した防虫剤の強烈な臭いはキャッチできた。

 

夕刻の散歩から帰宅しドアを開けると、フリージアの香りがそこはかとなく漂っているのが分かった。

2024年

4月

03日

フリージアの香り

昨日、ご近所で毎年フリージアのお花を頂く方から、「フリージア、咲きましたけど持っていきますか」と声をかけて下さった。

 

帰宅後、瞬く間に部屋中がフリージアの香りが広がった。

春を告げる三香木の一つ沈丁花が咲き終わり、寂しさを埋めるかのように

フリージアの花が咲いた。

 

昨夜、深夜まで弾みがついて、片づけているうちに、くしゃみと鼻水が止まらず、急いでベッドに潜り込んだが、ゾクゾクと悪寒に、更に追い打ちをかけるように咳き込み始めた。

 

熟睡できないまま、それでも気を取り直してラジオ体操にでかけた。

 

フリージアの花の水揚げに成功し、幾つもの花が開いている。

本来であれば、大好きな香りを感じるはずだが、何も香ってこない。

 

身体もかったるく、額が熱く、熱を計ると平温時より高く、血圧も高い。

 

どうやら、風邪か花粉症かと、病院に行くしかないと身支度を始める。

 

状況から、念のために発熱外来扱いとなり、コロナとインフルエンザの検査を受けた。

 

人との交流が多くなった私は、念のために検査をすることは有難い。

 

感染、肺炎、血液検査も心配する結果には至らず、胸を撫で下ろす。

 

風邪と花粉症のどちらとも診断ができないが、とりあえずどちらにも効果のある薬を頂き、帰宅。

 

「春に三日の晴れ間なし」というが、小さな白い雨が降ってきた。

 

部屋に入り、満開のフリージアに顔をつけても、香りがしない。

 

何時になったら、大好きなフリージアの花の香りが戻るだろうか。

2024年

4月

01日

卯月の始まり

いよいよ新年度、新しい月卯月の始まり、出来れば清々しい朝からのスターにとの願いは叶わず、激しい雨が降ってしまった。

 

既に、新しい年度になったからと言って、改めて代わり映えもしない年齢になっているといえばそれまでのことであるが。

 

しかし、内向きになる理由はなく、寧ろ新たに自分に何かを課して歩みを止めることを極力控えたいと想っている。

 

気負うことはないが、淡々と、粛々と自分に見合うものに向き合えば良いと、それを見付ける作業も楽しみである。

 

79歳の人世の中で、多くは「聞く(聴く)・話す・書く」といった生活スタイルだと、今もその延長が続いている。

 

ならば、これからもそれに精進・邁進していくしかない。

さてさて、どうなりますか、まあ、楽しく努力しましょう。

2024年

3月

31日

弥生3月ともお別れ

昨夜から室内の温度が上昇気味で、電気毛布の「弱」のスイッチを切る。

 

7月上旬の28℃になるとの予報通り、暑い。

さぞかし桜も戸惑っているのではないだろうかと、桜を案じたくもなるような暑さだ。

 

今日は、キリスト教のご復活・イースターという祝日だ。

 

利用しているスーパーでもお彼岸と、復活を意味する「卵」に関係したグッズが仲良く並んでいた。

 

お彼岸が過ぎた現在は、イースターのグッズと母の日のプレゼントのご案内に変わっている。

 

開店以来利用しているスーパーだが、恐らくイースターを商品化したのは

今年が初めてである。

 

中学、高校をミッションスクールで教育を受けた私は、この復活祭は、春休み中だったり、或いは新学期に入ってからと、暦の移動がある。

 

復活祭は、心身ともに整えて、新しい年を迎えましょうという日である。

 

明日から始まる卯月4月の日々を、どのような過ごしていこうか、新しく何かにチャレンジしようかなどと、思い過ごすのも愉しい時間である。

2024年

3月

27日

桜の日

久し振りにエレベーターの「今日は何の日」によると「桜の日」とある。

 

カメラに収めたので、引用すると七十二候の「桜始開(さくらはじめてひらく)」と、3かける9は27の語呂合わせと時期的に重なるという。

 

桜にしても、今日こそと何度も何度も予定日を裏切るような天候の気儘さにふりまわされ、未だに開花寸前でストップ状態である。

 

近くの公園の桜の木を幾度も見上げているが、未だ固く口をつぐんだままである。

 

その公園を通り、2か月に一度の循環器の診察に病院に出かける。

 

診断結果は、凡そ一年近く高血圧だったが、お陰様で降圧剤は服用しているが、ベストの数値が続いている。

 

というわけで、これまで服用していた薬の量が1種類になった。

 

私にとっては、今日は「桜の日」「桜咲く」と言える。

 

今後、逆戻りしないように食生活、日常生活を気を付けようと誓った。

 

夕刻、もう一つの公園の桜が二輪花を咲かせていた。

2024年

3月

25日

安全の灯りが消える

嘗て日本の交番は、海外でも話題になった記憶がある。

 

処がいつの間にか、交番から地域安全センターに移行した処もあり、交番を見付けても、「パトロール中」というボードに、不安を覚えるのは私だけだろうか。

 

わが地域も交番から地域安全センターになって久しくなる。

 

これまで、金融機関のビルの一角にあり、毎日、現金運搬の際は警備員と共に警護に当たっていた。

 

金融機関としては心強い存在であったと思うが、その金融機関の時の流れで統廃合になり、建物の老朽化もあり、取り壊すことになったそうだ。

 

巷のうわさで耳にしていたが、随分お世話になった経緯もあり、思い切って問いあわせた。

 

間違いなく、この地域の安全の灯りが間もなく消えることになった。

 

特にここ数年の変化のスピードが加速するのを、唯、指をくわえているしかないのだろうか。

2024年

3月

24日

春告げ魚

今日、友人の誕生日祝いのお誘いを頂き、ランチをご一緒する。

 

案内されたホテルの存在は知っていたが、私は利用したことがないと告げると、じゃあ決まりとなった。

 

満ち潮だろうか、たっぷりとした水量の隅田川を渡り、東京大空襲の面影は今はない横網公園の先に、両国第一ホテルがあった。

 

一階のレストランは、春の陽射しが差し込んでいた。

 

ランチメニューでまず目に入ったのが、「メバルの軽い煮込み・デュグレレ風」で、他のメニューは眼に入らない。

 

何故かといえば、メバルは「春告げ魚」と言われ、瀬戸内海で育った私は

願ってもない幸運である。

 

その美味しさは期待を裏切ることなく、懐かしい故郷の味に満足した。

 

又、テーブルのランチョンマットがこれまた、ホテルの立地である下町の古地図に、この地を大切にしている姿勢にも好意を覚えた。

 

この古地図のランチョンマットは、使用後は頂けるという事で、帰宅後、

古地図に当時の想いを馳せる楽しみができた。

 

ホスピタリティと言われる「おもてなし」を、忘れがちな私に友人の誕生日祝いで思い出すことができた。

2024年

3月

22日

ありがとう

昨日、20日に体調を崩した友人のために、私の判断で駅員さんから救急車を呼ぶ決断をした私は、救急車の所轄先を聞いていた。

 

これまでお世話になった救急車の所轄先を必ず聞いておくのには理由があり、後日に報告とお礼をするためである。

 

どうしても「ありがとう」の一言を伝えたくて。

 

ある時は、署長さんがわざわざお礼に訪ねてくれるとは、今から署員を集めるので、直接署員に伝えてほしいと言われたこともある。

 

そんな次第で、今回もメールでお礼の気持ちを送信していた処、丁寧な返信が届いた。

 

今日、故郷の小学校から、A4サイズの封筒がポストに入っていた。

エレベーターが待ち遠しく、早く開封したいという想いで心が逸る。

 

2023年、創立150周年を迎えた故郷の母校の小学校からの、記念アルバムとPTA新聞と校長先生のお手紙が同封されていた。

 

大きく成長した後輩というより子どもたちから、出会った時の面影が残っており、胸が熱くなる。

 

丁度、縁あって母校の小学校と、卒業生と6年の時を経たという事は私も卒業したことになる。

 

そして6年間で2人の校長先生ともお別れすることになり、母校を訪ねても今年の卒業生で顔見知りの子どもたちがいなくなる。

 

東京から母校に帰った6年間、笑顔輝く子どもたちとの出会いは私にとって大切な宝物です。

 

「ありがとう」

2024年

3月

19日

シニア世代の地域デビュー

今日の午後の予定が変更になり、社会福祉協議会のシンポジュームに出かける。

 

副題が、セカンドステージで輝く!男性たちの地域でデビュー!とある。

 

メディアでも、定年退職した男性の社会参加が、なかなか腰が重く、馴染めない時間を過ごしているという。

 

今日は3人の男性が、セカンドステージの地域参加についての経緯に始まり

現在の活動内容を聞けるという。

 

恐らくこれまでのキャリアを生かす、或いは全く関係のない新天地に踏み出す意気込み、仲間を集い広がりを求めてといった、個性あふれる内容である。

 

結論として、私はとても適わないパワーを持っているのに驚くと共に、パワーがあるなあと感心した次第である。

 

改めて、話を聴くことによってヒントを掴む効果がある。

予定が変更になって、大きな収穫の日となった。

2024年

3月

18日

忙しい・忙しい

2020年の9月に、脳髄膜種の切除を脳神経外科で手術して、早や3年半を過ぎた。

 

お陰様で、問題なく日常生活を過ごしているが、一年に一度MRI検査を受けている。

 

今日がその日で、一年ぶりである。

相変らず、耳栓をしていても、工事現場に似通った音は変わらない。

 

およそ、20分ほどであるが、検査日によって音が違って聞こえる。

 

脳外科の主治医の先生から、異常なしの診断にほっとする。

 

次はコロナ太りでポッコリおなかの改善のために銀座に急ぐ。

 

地下鉄から地上に出ると、もうもう銀座の通りはインバウンドで溢れ、何となく蟹のように体を横にしてすり抜ける状態は依然と変わらない。

 

およそ、一時間半近く全身が解されて、快適になる。

 

また来た道をたどりながら、次の目的地に向かう。

久し振りに出会う仲間に、お互いがお互いにエールを送る関係は、目的のために頑張った同級生だけに、ツウカーである。

 

外に出ると、夕闇が迫り、見上げた空にうっすらと月が見えた。

 

今月は現役時代と同じ様に、月末まで予定がびっしりである。

疲れもあるが、達成感、満足感にファイトが湧いてくる。

2024年

3月

15日

一円玉天気

パソコンと仲良ししていると、聞きなれない表現に思わず傍らのメモ帳に書き留めた。

 

気象庁用語で「一円玉天気」と言って、これ以上崩れようがない天気のことだそうだ。

 

思わずクスンと笑みを零れた。

そうだ、先日12日に「ぼっちの会」も一年間、無事に終了し、来月から

3年目に入る。

 

本年度の事業報告を今月中に、社会福祉協議会に提出義務があり、今日は

「一円玉天気」、思い切って目的地まで歩くことにした。

 

嘗ては区内はほとんど歩いていたが、つい自宅の前でバスを利用してしまうが、体調も良く思いきって歩くことにした。

 

道すがら、それぞれの家の前に並べられている鉢植えの花々を楽しみながら、目的地に向かった。

 

勿論、帰路もちょっとコースを変えて歩いた。

花粉には勝てず、目元が痒くなったが、「晴れ」は元気になれる。

2024年

3月

09日

ビブリオバトル

隣接する図書館で、「ビブリオバトル」が今日9日に開催されるお知らせにバトルとして応募した。

 

今日の午後、いよいよその当日である。

何しろ初めての経験なので、ネットで「リブリオバトル」について、ネットで検索した。

 

2007年に京都大学から広まったそうで、チラシには「小説好き 集まれ」のキャッチフレーズに、学び直しても良いなとの想いが働く。

 

これまで、小説との関わりは大学生までで、悲しいかな小説を読んでいても集中できない性分だ。

 

社会に出て出版社で日本文学全集の校正の仕事に関わった。

そのせいか、興味を以って買い求めた本を知らず知らず、校正しているのである。

 

嘗て、誤字脱字を見付けて出版社に連絡すると、気持ちばかりの報酬があったと、大先輩の話を聴いたことがある。

 

別に私にはそのような下心はない、唯、物語に身を置けないというだけであって、今回の応募にはもしかして変わりたいという望みを持った。

 

プレゼンテーションの本は、重松清の「とんび」である。

とっぷりと作品に集中できたが、「リブリオバトル」から程遠い5分間を費やした。

 

チャンプになった青年は、セオリーに沿った素晴らしい出来栄えだった。ガーンと頭をぶつけたが、次に繋がるための貴重な収穫だと思っている。

2024年

3月

07日

冷凍食品の力

弥生3月になるや、忙しくなる予感を感じていたが、現実となっている。

 

これまでに経験したことのないクレカショップ、先月末からのマイボディの断捨離プロジェクトであるイノベーションと続いている。

 

今日の午後は「冷凍食品」の講座に参加する。

 

冷凍食品の利用からかなり久しく、時が流れている。

振り返ってみると、餃子と焼きおむすびをよく利用していたが、その後、縁遠くなっている。

 

冷凍食品は1964年の東京オリンピック、大阪万博により目覚ましい成長を遂げたという歴史があると知った。

 

衛生管理、品質管理においても、認定制度をクリアしたものが市場に提供されているという。

 

温度の設定も-18℃以下という基準の元に管理されており、夕刻スーパーで、ショーケースの温度を確認した。

 

コロナ禍に始まった新しい生活スタイルには、更に冷凍食品の力は、大いに歓迎される存在である。

 

今後、冷凍食品売り場に足を運ぶことが多くなりそうだ。

2024年

3月

06日

誕生日です

うるう年に当たり、6日が24節気の一つ「啓蟄」だが今年は一日早く季節が進んでいるような気持を覚えた。

 

いよいよ70代最後の歳、とうとう79歳という瀬戸際である。

 

改めて、線引きをして、胸を張れるような年にしたいという心の悪い癖が頭を持ち上げた。

 

危ない危ないとブレーキを掛けた。

 

新年に決意したことはもう、遥か彼方に消え失せている。

所詮、身の丈しらずであったと、いまさら悔やんでも仕方ない。

 

寧ろ、過ぎ去った2か月間を良き成長だったと考えて、楽しく生きて行こうと想っている。

 

既に、わがボディのリノベーションは、最も目覚ましい決意であり、臆せずにチャレンジ精神を忘れないように、失敗を恐れず、泳ぎ続けて行こうと考えると、私の中でウキウキ、ワクワクしてくるから不思議だ。

 

まあそんな次第で79歳の誕生日を迎えた。

2024年

3月

03日

トレカショップ

今日は桃の節句、ひな祭りである。

 

昨年、キラキラと輝かせた若き青年から、「今度独立してお店をオープンしますので来てください」と案内されて、凡そ半年近い月日が流れた。

 

日頃、知り得ないマンションの住民には、素晴らしいキャリアや職種を持っている方たちに巡り合う。

 

当時、組合の理事長をしていた時に縁ができた一人の若き経営者としてスタートラインに立った住民の一人であった。

 

必ず、伺うからねと約束するも、何度聞いても記憶がプツンと切れてしまうという状態にあった。

 

偶然にも、居合わせた方が、トレカに関心をお持ちで、午後にご一緒させていただくこととなった。

 

一歩足を踏み込んだ途端、別世界に自分がいるという何とも不可思議な世界に気が付いた。

 

犇めく若者の渦の中、私を取り戻すキャラクターを見付けた。

 

トレカショップに出かけるのは初めてであるが、私には一つだけ、仲間入りが出来るのが「ワンピースONE PIECE」のルフイーの笑顔の記憶しかなかった。

 

なんども手に取る私に御一緒した方からのプレゼントを遠慮なく頂いた。

 

暫くご無沙汰していた世界に舞い戻れたという幸せに満足、幸せな日曜日だった。

2024年

3月

02日

忙しくなる予感

今朝は北風が強く、ラジオ体操をしているうちに手が冷たくなった。

 

目の先に太陽が眩しいほどの元気さに、イソップ物語の「北風と太陽」の話を思い出しながら体操を続けた。

 

昨夜から今週土曜日のリブラㇽバトルのために、貫徹とはいかないまでもついつい引き込まれて読み続けた。

 

やはりチョイスした小説は、私にとっては正解であった。

 

故に眠いはずだが、朝からやる気満々、昨日買い求めた小松菜とほうれん草の胡麻和えを前に、その反動が来ないことを祈るばかりである。

 

空は強い風で、故郷の「あさくちブルー」に劣らない程の素晴らしい青空が広がっているが、風は冷たいままだ。

 

予定通りに運び、こんな快適な日もあるのだなあと、集中力も途切れることなく続いた。

 

サクサクと片付いていくが、夕刻になると、足の張りに気が付いた。

日課の散歩を忘れていたのだ。

 

日没前にと急ぎ足で公園を通り過ぎようとした時、足もとに何かが触っているのに気が付いた。

 

何と、先月公園デビューをした五か月になるレディのワンちゃんでした。

思わず、可愛いお嬢ちゃん、寒くないかなと話しかけると、瑞々しい鼻を摺り寄せて来た。

 

今日は可愛い小さなレディが私の心を安らげてくれた。

公園の白木蓮も蕾が日を追って膨らんできているので、楽しみだ。

 

本格的な春になるまで、三寒四温の日々が続くようだ。

2024年

3月

01日

春が来た 

今日から弥生三月、気象庁によれば季節は冬を脱して「春」が来たのだ。

 

今月はどのような月になるのだろうと、思いを馳せていた時である。

あれ、なんだ、ベッドと共に体が揺れている。

段々揺れが大きく成り、思わず枕もとの時計を見ると、5時43分だった。

 

確かこの時刻は、27年前の5時46分、阪神淡路大震災が発生した時刻と符合しており、更に2か月前の能登半島地震と日付が重なる。

 

何か嫌~な気持ちが蔓延した重苦しい朝を迎えてしまった。

 

昼夜、ラジオ深夜便をかけているのも、何時かはこんなこともあろうかと

想ってのことだが、即座に震源地は千葉県東方沖との報道に、なおさら恐怖心が走った。

 

日本中どこにいても、安住の地はないと分ってはいるが、最近あちらこちらでグラグラと揺れている現象に、関東大震災並みの直下型地震か、南海トラフの大津波に飲み込まれるか、思い煩ってもどうにもならない。

 

生憎の雨で、毎朝のラジオ体操も自宅で独りのスタートになった。

終わって窓を開けると、霧雨が音もなく静かに降っていた。

 

パソコンを開くと、昨夜申し込んだビブリオバトルの返事があった。

これで、私の気持ちは前向きに変わっていくのが自分でも分かった。

 

「春が来た」のだ。

2024年

2月

29日

海老で鯛を釣る

お陰様で、もやもや感も解消、急に食欲が出て来た。

 

夕刻パソコン教室から帰る途中で、空腹感を覚えた。

果たしてリノベーション中の私にとっては、良いのか悪いのか悩ましい問題である。

 

今日は4年に一度のうるう年だし、今夜は食べたいものを食べようと、直ぐに固き決意が消え失せて、スーパー方向を歩いている。

 

公園を横切ろうとしたとき、かのレディが走ってくるのが見えた。

もう、可愛い可愛いの存在で、幸運の女神に見える。

 

瀬戸内で育った私は、白身の魚のお造りと海老、蛸、貝類の握りが好きで気が付くと籠に入っていることが多い。

 

鮮魚コーナーで、今日もワンパターンではあるが、真鯛のお刺身と海老の握り5貫をゲットした。

 

お吸い物も欲しくなり、故郷の香りのする「播磨の雫」という生牡蠣と季節がら美味しい青菜の小松菜を追加した。

 

「海老で鯛を釣る」といったメニューに、頭の奥底には新しいスタート地点に立っていることに対する期待の表れだろうか。

 

明日から弥生三月、「春」になる。

2024年

2月

28日

頑張ろうかな

先週末の情けない疲労感は何処柄やら、身の程知らずのじっとしていられない癖が戻ってきた。

 

改めてマグロちゃんというニックネームそのものである。

 

隣接する図書館の掲示板に、図書館活用講座で「ビブリオバトル」の案内が気になって仕方がない。

 

最近というか久しく小説を読んでいない私は悩んでいるからである。

 

手に取る書籍は哲学や心理系が多く、小説はと、パソコン内のエクセルで

参考文献リストの一覧を見ても、それらしきものは見当たらない。

 

そんな時、私は当てもなく散歩に出かけるのである。

 

久し振りにお馴染みのダックスフンドのレディが私を見付けて、尾っぽをちぎれんばかりに振りながら飛びついてきた。

 

思わず抱きかかえると、視界が広く成るせいか満足げな表情になる。

 

その時、抱きかかえているレディの温もりから、ある小説が閃いた。

 

その足で、図書館に立ち寄り閃いた図書を借りた。

 

既に図書館の開館時刻を過ぎていたが、申し込みフォームを送信した。

2024年

2月

26日

リノベーション

昨夜から、目が冴えて落ち着かない。

 

コロナ禍ですっかりコロナ太りになり、ラジオ体操に行ってもジャンプはどうしてもできなく歯痒い思いをしている。

 

お気に入りのスーツはクローゼットで取り出す機会も程遠く、コロナ禍からは専ら自由が利くゴム入りといったスタイルが続いて久しい。

 

外出といえば、スーパーと散歩にといった程度で、緊張する場が少なく成ったせいもある。

友人たちは全然変わりないと不思議がる。

 

数値的に体重と言い、先日の健診結果で如実に表出している。

 

思い切って20日前に、わがボディのリニューアルを試したところ、その快適さに本格的に70代最後を機に身体的断捨離を決めた。

 

週に一度のペースで、わが身の断捨離、リニューアルがスタートした。

それに追随して、食生活の改善もあり、生まれ変われるといった楽しさを覚えている。

2024年

2月

24日

lineラッシュ

昨日23日の寒さと言い、久しぶりの滝のような窓ガラスの結露に驚いた。

 

気温の変化の激しさについていけなくなった私は、とうとうダウン。

起きるのが辛く、そのままベッドと仲良しをしてしまう。

 

少し休息すればと安易に考えていたが、一向に起き上がる気力がない。

 

しかし、どういうわけか、スマホはlineラッシュで、出来ればもう逃げ出したい位で、休むどころか「既読」だけでは済まないものが多く、疲れた。

 

唯、今夜は小さな満月と言われ、スマホに撮るのを楽しみに、それまでに体調回復を願っていたが、とうとう、寒気を感じた。

 

熱を計ると、微熱程度であったが、起きて満月をスマホにという気力は失せて、只管横になって居たかった。

 

ベランダから空を見あげても、雲が一面が広がっており諦めた。

その後も、lineラッシュに疲れ果てた一日になった。

 

天気予報によれば、25、26日と風冷えが続くそうだ。

2024年

2月

22日

沈丁花の香り

雨天のため、今日のラジオ体操は自宅で済ませる。

 

今年に入り意を決して永年ご無沙汰していたパソコン教室で学び直しを始めて、早や二か月を迎えようとしている。

 

パソコン教室に向かう通りには、様々な花との出会いが楽しく、パチリパチリと道草を楽しんでいた。

 

雨上がりの午後、重苦しい空気を感じながらも、ツーンと鼻に届いたのが大好きな3大香木の一つである沈丁花の花の蕾から発する香りである。

 

やはり温暖化のせいだろうか、すっかり、花と共に香りも全て満足できる成長ぶりに思わず立ち止まり、自然のプレゼントに見とれてしまった。

 

日本経済新聞の夕刊によれば、1989年ら84年ぶりの終値の最高値を付けたとの報道に、実感が伴わないでいるのは私だけであろうか。

 

それよりも、いつもより早い開花に喜ぶより、寧ろ、自然界にも誤算が生じないことを願いながら、香り始めた沈丁花に人災の責任を想い苦しんでしまう複雑な心境である。

2024年

2月

20日

俎板の上のマグロ

相変わらずラジオ深夜便に耳を傾けながら、日付が今日20日に変わったと同時に、ベッドから抜け出しパソコンを開く。

 

昨日から落ち着かないでいた気弱な私?が、深夜にも関わらず、ひとりで

ガッツポーズをした。

 

今回のテーマを400字以内にまとめるのは悩ましく苦しんだのが正直な気持ちであった。

 

当初から決めていた秘かな約束を守りたいとの一心しかなかった。

 

先人の言葉が頭の中を駆け巡る。

 

宮澤賢治の「何か書いてしまったあと 胸につかえたものが残っているようなら それを消してからでないと あと書いてはいけないようです」

 

先日14日の日本経済新聞に掲載されていた19世紀の思想家ヘンリー・ディヴィット・ソローの「振り返らずに後ろを見るくらいに自分を見つめることは困難である」の如き、深みに嵌った。

 

恥を受け入れる、頭をかく、汗をかいても良しと纏めた次第である。

 

採用されたことで、私はこれからも休むことなく泳ぎ続ける力を頂いた。

 

間もなく弥生3月の声を聞くや、年輪が一つ増えて79歳に成るが、年齢に左右されることなくマイウエイであり続けたい、回遊し続けたいと。

2024年

2月

18日

「火焔太鼓」の思い出

嘗て、ホスピスともいわれる緩和ケア病棟で話し相手として、病院ボランティアをしていた。

 

ホールにある落語のCDを楽しみにしている患者様が、私にも同席して落語をと勧められた。

 

必ず古今亭志ん生の「火焔太鼓」を希望する方でした。

 

残念ながら、途中で席を外すことが多く、通しで聞くことがなかった。

今夜も、枕もとでは相変わらず、ラジオ深夜便がBJMで、オールナイトで流れている。

 

18日の1時台、名人芸を味わう・話芸100選で、初代古今亭志ん五の「火焔太鼓」との案内が聞こえた。

 

やっと落ち着いて聞けるというか「味わう」ことが叶った。

 

いつも苦虫をつぶしたような父親だが、頭を和らげるに落語が良いと言って、楽しみにしていた。

 

緩和ケア病棟の患者様を思い出すことが多く、落語を味わっていた方からも色々と活躍した時代の話を遠くを見ながら、懐かしそうに話していた。

 

初代古今亭志ん五による軽快な語り口に、最後の結末の展開が気になり、

すっかり眠気は無くなった。

 

確かに父親曰く、すっかり頭の固さが取れ、その後睡魔に襲われ、目覚まし時計に起こされ朝を迎えた。

2024年

2月

17日

倖せになる絵本

図書館からリクエストしていた絵本を開く。

 

確か先日11日の日曜日、ラジオ体操の始まる前に、NHKラジオで「落合恵子の『大人の絵本』」で、キャッチした絵本で、心待ちにしていた。

 

昨年、講談社から刊行されているが、私は1997年新潮社刊のおーなり由子著「幸福な質問」という絵本である。

 

昨日の健康診断の結果で、私は大いに反省しなければいけない数値が気になって、心が騒いで仕方ない時に、タイミング良く、連絡が入った。

 

何と大好きなワンちゃん、しかもダックスフンドのレディちゃんを彷彿とさせる著者自身によるイラストの穏やかで優しいまなざしを感じた。

 

こんなに愛情を感じる二人の会話に、ガサガサしている私は何時しか笑顔になっている。

 

一つ一つの会話が何とも言えず、地球全体が危なげな揺らぎを感じる時代にあらゆる人にお勧めしたいと思った。

 

 次は、タイトルにも魅力を感じる2018年講談社文庫の「きれいな色とことば」もリクエストの予定でいる。 

2024年

2月

16日

冷たい風

本格的な春までには三寒四温と言われているが、今年のようにころころと猫の目のように変わる気温に振り回されている。

 

特に外出先から帰宅する夕刻は特にジェットコースターのように気温が下がり、風邪をひきそうになった。

 

どうにも寒くて、例え目下減量中でも、風邪をひいたら、何にもならないと、全く身勝手なこじつけが頭を過る。

 

もう、頭の中は「うな重」しか考えられず、今日は逆にエレルギーチャージをするに限ると、足取りも軽く「こんばんは」である。

 

冷え切った体も温まり、ああ、美味しかったと思ったのは束の間である。

 

ああ、何て私は意志薄弱なんだろうと後悔が頭中に広がる。

明日からもう一度、リセット・リセットと反省然りである。

 

ポストに先日の健康診断結果の封筒が入っていた。

嫌な予感に襲われ、封を開くのが怖くもあるが現実と向き合わねばと鋏で封を切る。

2024年

2月

15日

春一番が吹く

今朝、エレベーターに今日は「春一番」名付けの日とある。

 

天気予報士も、関東地方に「春一番」との予報を聞いていたが、午後の外出の予定があり、確かに、時折、強い風に全身を身構えて歩いた。

 

ところどころで自転車が横倒しになっており、ズバリ「春一番」である。

 

何となく体が強張り、疲労感を覚えた。

 

丁度、昨日ラジオ体操で、男性ばかりでなく女性もバレンタインデーよとチョコレートを頂いたのを思い出し、バックからポンと口に運ぶ。

 

体中に広がり、元気が出た。

 

夕刻、レディに会えるかなと公園に出かけると、会えました。

何時しか、春一番の風も収まっていた。

2024年

2月

13日

良い日になった

今日は今年の3月から地域社会の高齢者を対象に月に一度、井戸端会議というか、お喋りの会を立ち上げて、やっと、軌道に乗って来た。

 

他愛ない会話の中から、思いがけない気づきがあり、話に花が咲き、集まった人が笑顔になっていく過程を見るのは、これまでの苦労を忘れる。

 

お互いに気心が知れるまで、昔遊びと言われる綾取り、しりとりゲーム

季節の童謡などを通して、参加者の全員が声を発することから始めた。

 

半年近く続けているうちにお互いが顔なじみになり、ワンチームになり始めたところで、次なる計画に移った。

 

日頃の話題や、自分の近況報告など、自発的に話をする場になってきた。

昼食後の午後の2時間、月に一度、集まった人から思いがけない発見をしたり、ああ、立ち上げて良かったと思った。

 

夕刻、近くの公園で、ダックスフンドのレディが私を見付けて、アイコンタクトを取りながら一目散に短い足で走り寄ってきた。

 

思わず、抱きかかえると、必死に駆けて来たので、心臓の鼓動が私の手に伝わってくる。

 

かれこれ、家族の一員であった犬との生活から凡そ、30年の時が流れ、すっかり犬との関わりが無くなっていたが、今、大体一週間に一度は彼のレディに会うのが楽しみになっている。

 

見あげた空に、スリムな月が輝いていた。

 

午後の交流に続き、レディとシャープな月に心が和んだ。

2024年

2月

12日

春菊に逆さ水

先日、魚肉ソーセージを購入した際に、春菊も買い求めた。

 

無機質で殺風景な部屋なので、春菊、ホウレンソウ、小松菜、パセリを買い求めると、ガラスの花瓶に活け乍ら少しづつ調理をしている。

 

うっかりして、そのまま放置していたところ、ぐったりしてしまった。

「青菜に塩」といった状態である。

 

慌てて、さながら生け花の如く、春菊の逆さ水を試みた。

 

その後、いつものように花瓶に活けたが、青色吐息といった状態になってしまった。

未だ風味も歯触りの感触もあるので、明日中には春菊のゴマ汚しと、三杯酢に、茎は刻んで御御御付けにしようと考えている。

 

生野菜にはもっと気配りが必要だと反省している。

2024年

2月

11日

もう一匹の忠犬ハチ公

2024年の札幌雪まつりも今日で終了する。

 

それで、思い出したのは、東京に5日から6日にかけて雪が降った際に、渋谷の忠犬ハチ公の銅像の前に、雪像の忠犬ハチ公が出現したという話を、

ラジオ深夜便で知った。

 

何でも、もう一匹更に小さいハチ公があったそうだが、残念ながら、3匹目はすぐに溶けてしまったという。

 

慌ててベッドから起きてネットで検索するとアップされていました。

銅像にそっくりで、特徴も良くとらえており、素晴らしい出来栄えに、スマホに取り込んだ。

 

確か、昨年、忠犬ハチ公の生誕100周年だと記憶している。

製作者はそのあたりも心に留めていたのだろうか。

毎日、必ずと言ってよいほど、スマホにアップした写真を見ては、心豊かになる日が続いている。

2024年

2月

10日

旧正月からレッツゴー

今日は2024年、旧正月。

そして新月、今夜はお月様は姿をみせず、明日から少しずつ満月に向かってふっくらを続ける。

 

今年を昭和にすると、昭和99年に当たるそうだ。

 

地方によっては旧盆でお迎えする習わしは今でも健在であるが、それに比べると旧正月は影が薄いように思える。

 

如月2月になって、私の身辺は意外にこれまでとは異なる状況が続いており

次なるリセットの始まりと感じている。

 

今後の努力次第で、自ずと答えは出てくるといった毎日の積み重ねが必要となる。

 

適度な緊張を必要としながら、過ごすのも考えようによっては楽しみに繋がる。

 

2024年も41日を経て、また新しい気持ちになれるという旧正月にとても

得をしたような想いになる。

 

一昨年7月から、整形外科との縁が切れない状態が続いているが、素人判断であるが、体重の増加は二足歩行で支えている足に負担がかかるのは至極当然である。

 

それなりの専門書を読み漁った結果、急激な体重増加は持ちこたえられないと思う。

 

ドクターから足首が細いねと言われたが、恐らく長年の体重から5年近くで増加した体重は足首に堪えているに違いない。

 

依って、減量作戦をプロの力と、自助努力のコラボで始めるのである。

納得できる日は何時頃だろうかと、その日を楽しみにレッツゴー。

2024年

2月

09日

魚肉ソーセージ

昨夕、お世話になっている病院の健康講座で、「高齢者の骨折予防」について帰宅、カルシュームの摂取を心掛けねばとスーパーに立ち寄る。

 

嘗て魚肉ソーセージにはカルシュームを豊富に含んでいると聞いた記憶がある。

 

スーパーは来週のバレンタインデーを前に、相変わらずチョコレートのオンパレードと、3月のひな祭りの雛あられが並んでいる。

 

その一角に「桃の花」も登場している。

 

年々の温暖化ではないが、季節の早撮り作戦もスピードを増している。

 

先日、私は京都の豆富のべっこう飴「鬼の足跡」を見付け、懐かしく買い求めたばかりである。

 

気を付けないと肝心の魚肉ソーセージを忘れそうになる。

 

今日は、昨日買い求めた魚肉ソーセージを頂いた。

実はソーセージは、これまでに買い求めた経験がなく、増してや魚肉ソーセージも然りである。

 

生臭さもなく、さっぱりとした味で、しっかりとした硬さに歯ごたえを感じながら美味しく、レギュラーに加えようと思った。

 

兎に角、歳を重ねるという事は、きょろきょろして骨折をしないように心掛けると共に、私にはもう一つメタボ解消という宿題が続く。

2024年

2月

08日

寓意画

愛読紙の日本経済新聞の朝刊を開いて、目に飛び込んで来たのは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」が掲載されていた。

 

文化面にあらゆる角度から絵画、写真、書等々を10回の連載で紹介しているものである。

 

彼の絵画は美術史家 三浦篤氏による「寓意画をよむ」の第5回に掲載されたのである。

 

私といえば、不謹慎にも彼の絵画にマスクを付けたらといった飛んでもない発想で昨年末「読むカフェ」に「マスク越しのまなざし」と題して投稿したのである。

 

三浦氏によれば風俗画に分類され、裕福な青年が騙されるという危険への戒めという教訓性を含み、よって寓意性を持つ風俗画とある。

 

三浦氏も、女性たちの目の動きの怪しさに触れている点で、良からぬ思いであるマスクをつけたくなるような目の表情だけは、私も同じ想いだったと知り、嬉しくなった。

2024年

2月

07日

自分に投資

一昨日からの雷を伴った雪は水分が多いせいか、自宅の周囲は大きな水たまりができていたが、最近の歩道は吸湿性の敷石を使用しているので、既に乾いており、ラジオ体操にも出かけられた。

 

今日は、主治医のドクターから、昨年末の健康診断の結果についての説明があり、やはり、身体が証明している通りの結果が重なった。

 

何度も、今日から「自炊、自炊」と唱えながら、ついつい、お付き合いが良すぎてわが身に降りかかってきているのである。

 

結果がすべてを示している。

 

もうこれきっり、これっ切りと、自分に厳しくしようと言い聞かせる。

 

自分に投資することもドクターにも報告というか約束をしたのである。

結果を楽しみながら心身ともに軽快な日々を取り戻そうと思っている。

 

暦の上では「春」だが、やはり私にも春の訪れを感じている。

2024年

2月

05日

初めての経験

数日前から、東京都心にも降雪予報が出ていた。

 

しかし、雪にもめげず私はある目的で頭がパンパンになっていた。

 

それは2020年、脳神経外科の術後、リハビリを兼ねた2週間で何と2㎏、体重が増えたまま、新型コロナとの生活状態も愛重なり、日を追ってこれまでに経験したことのない体重が増えて来た。

 

自分の体がこんなに重くなるとは信じられなく、わが身を持て余している日々が続いてきた。

 

人は私を上から下まで見て、「太ってるとはみえない」というが、本当に重くて重くて。

 

人様には見えなくても、「隠れメタボ」だと認識し苦しんでいる。

 

私の個人的判断であるが、皮下脂肪型肥満と言われる「洋ナシ型」だと思っている。

 

4年間の蓄積した下腹部、腰回り、御尻、太ももの脂肪をそぎ落としたいと、とうとう「プロの力」を借りることにしたスタートの日である。

 

初めての経験に緊張するも、約90分後、パンツを穿くとお尻にゆとりを覚えると共に、身体の軽さを覚えた。

 

外に出ると、大粒の雪が舞っており、ダウンにドットコム状に降り注ぎ、傘が重くなるのを感じながらも、心は軽かった。

2024年

2月

04日

つぶらな瞳

此処、数か月散歩コースの公園で、ダックスフンドのワンちゃんに出合っている。

 

犬派の私としては、ワンちゃんとの縁が無くなって久しく、話しかけることもなく無言の自宅との縁が長い。

 

夕刻、考え事をしながら公園を歩いている時に、視線を感じた。

 

何と、あのワンちゃんが私を見付けて一目散に走ってきたその瞳は只管に私とアイコンタクトを取りたくての一途さが伝わってくる。

 

飼い主はワンちゃんの落とし物を処理している最中で、リードが勢いよく伸びているのに慌てていたが、状況を分かり、笑顔になった。

 

全身から、私を迎え入れてくれる表情が、目に表れている。

思わず「わあい、会えた~」と私も全身で受け抱きかかえた。

 

そういえば最近、こんなに私を「ウエルカム」してもらえる相手にはお目に掛からないだけに、嬉しさで胸が熱くなった。

 

ワンちゃんの純粋さに、如何に私は邪心が多いことか。

2024年

2月

03日

カナダも温暖化

嘗て病院ボランティアを募集して間もなく、終末期の患者様に学びたいと

20代の青年が申し出てきた出会いに始まった。

後に結婚をした青年は二人の子どもたちに恵まれ、その子供たちの成長にはとカナダに移住の道を選んだ。

 

今年も今日3日が誕生日の為、欠かさずにメールを送信している。

 

早速、彼からの連絡によれば、カナダも温暖化という。

 

嘗ては東京オリンピックには、帰国したいとの想いもコロナウイルスにより想いは叶わずにいるが、取り敢えず、元気でいる事だけは確認できた。

 

いずれしても、縁ある人が健やかで日常を過ごしている最小限の倖せ度に

良しとしなければと、それは私自身に置き換えても言える。

2024年

2月

02日

一枚のチラシ

毎朝ポストのチラシにも関心、興味を持ってしまう。

 

兼ねてより、ラジオ体操でジャンプができない、これまでの長年お付き合いをしてきた体より、ずっしりと重さを感じ、必死に努力してきた積りだが、改善の兆しは見えない。

 

そんな悩みを解決してくれる悩みに投函されていた一枚のチラシに、私は賭けてみようと思ったのである。

 

素人判断でできる事できないことがあることは周知の事実である。

 

早速ネットで情報の確認後、納得できた。

 

こうした時のネットの便利さも有難かったと共に、慎重に見極める学びも必要であり、これぞ自己責任である。

 

もうそう思った時には案内先の電話にダイヤルをしていた。

 

興味と共に「プロの力」を借りる時に来ていると判断した私は、申し込んだ後の何とも言えない解放感に、「これで良かったのだ」と想った。

 

いずれ、結果報告をお待ちください

2024年

2月

01日

如月が始まる

今日から如月。

2024年を迎えて、早や31日が過ぎた。

 

新しく変わった如月を今日からどのように、作り成していこうかと考えている時間が楽しい。

 

暦の上では春を迎えるが、体感としてはまだ冬として向き合っていかなければとの想いが強い。

 

先月からの目標値である「減」について、今一歩掘り下げようと優先順位を決めようと、頭はクルクル目まぐるしく回転している。

 

ラジオ体操を始めて気が付いたのは、ジャンプができないという現実に、

毎朝、コロナ禍からの体重の増加は、78歳の人世において我ながら驚きをもっている。

 

つまり身軽さが失われてしまったことは悔しく、何としても数年前の体型に戻すことが最優先の目標、課題だと思っている。

 

と、同時スタートしたいのはスマートフォン内の整理を並行しようと。

 

「減の如月」の始まり、始まりである。

2024年

1月

31日

欲張った・頑張った

新しい年2024年を迎えて、早や1ヶ月も10時間を残して、如月を迎える。

 

昨年に比べて、今年は70代最後の年になることもあり、新年から「ファイト!」「頑張るぞ~」と気合が入った。

 

元日からも、いつもの通りの平常さで過ごし、月曜日からのスタートでもあり、フレッシュな気持ちで迎えることができた。

 

ところが、夕刻の2日間、災害と人災に見舞われ、気持ちが萎えてしまったが、現実をしっかり見つめ、心身ともに健常でいなければいけない。

 

毎年、昨年の諸々の残務整理をするのが常で、忙しく両手を動かしながら

私も東日本大震災で自宅を手放し、現在の住まいに転居した経緯と、「心のケア」の立場から、福島の仮設住宅に足を運んだことを思い出す。

 

とても他人事とは思えず、落ち着かない日々が続く中で、刻々と時が流れていくのに遅れないように、必死に頑張った。

 

今年こそはと目標設定を、コロナ禍前に戻す計画に、手帳が連日、予定が書きこまれるといった状況に、疲労を感じながらも心は弾んだ。

 

足かけ4年に亘る新型コロナウイルスとの闘いは、生活スタイルを始め、これまで馴れ親しんで来たものの多くを失った。

 

その疲弊は個人差があるが、心身ともに変化している自分に気づいた。

 

何とか、乗り越えねばと自助努力をするしかないと、80代を迎える前に、本来のニックネームの如く「マグロちゃん」に戻ろうと決めた。

 

今朝、明け行く空に、スリム化している月が光輝いていた。

「増」か「減」か、ウエイトはどちらかといえば、「減」を選ぶ。

 

さてさて、如月は何たってわが身の「減」を頑張ろうと決めている。

「頑張るぞ~」

2024年

1月

30日

お客様相談窓口

とうとう28日から29日にかけて、哲学書を一気読みし、危うく29日のラジオ体操に遅れるところだったが、滑り込みセーフ。

 

さて昨日は何をして過ごしたのだろうかと問いかけると、1月だが、暖房が不要なほどの部屋の温もりの中で、医療費控除の領収書の整理を始めとする山積みの紙資料を仕分けし、断捨離を続けていたことは、ゴミ箱が証明してくれた。

 

先週末から、食生活が不規則になり、更に自炊する時間がなくて近くのコンビニで食事を間に合わせるといった最悪の時を過ごしてきた。

 

ついつい脂肪分が多くなると、体質上消化不良を案じながらも。

 

案の定、明け方からトイレと仲良しになり、ラジオ体操を始めて以来、初めてお休みをした。

 

兎に角、身体も冷え切ってしまい、電気毛布に潜り込んで暖を取るも、又トイレといった状態が11時過ぎまで続いた。

 

午後、約束があり、何とか収まり、出かけるまでに回復した。

 

水分だけは気を付けて必死に補給しているだけだが、出先の打合せも恙無くこなして帰宅。

 

ポストに見慣れない封書が入っていた。

 

先日、26日の金曜日、期限に迫られている用事を抱えていたため、夕食は

コンビニで買い求めた。

 

新製品との表示に、つい手を伸ばしたが、残念なことに期待外れであり、

いつも駆け込み寺のコンビニの商品にしては如何と想った。

 

翌日、製造者のお客様相談窓口に電話をして、経緯を話した。

問題になっているクレーマーという認識はなく、これからも利用するであろうコンビニだけに美味しいものを揃えてほしいというだけである。

 

状況説明に対して男性の穏やかな口調で、唯、謝るだけではなくこちらの事情に落ち着いて対応してくれたのである。

 

もうこれ以上の問答は不要と、私は一見落着と想っていたところ、封書から、丁寧な手紙にクオカードが入っていた。

 

送付されてきたカードで、同社の商品を買い求めるつもりでいる。

これぞ「損して得を取れ」ではないだろうか。

2024年

1月

28日

一気読み

数日前にリクエストしていた図書を引き取ってきた。

 

タイトルからも興味津々で、夕刻の散歩もソコソコに帰宅するや、ページを開いた。

 

ワクワク、胸を躍らせた図書とは、シャルル・ぺパン著、草思社刊の「フランスの高校生が学んでいる10人の哲学者」である。

 

フランスの高校では、哲学が必修であり、バカロレアと言われる大学入試資格試験では哲学が筆記試験として不可欠だと知った。

 

図書という静的な資料ではあるが、著者の10人の哲学者に対して、哲学者の明確な紹介に続き、紹介した哲学者のアドバイス、さらにその哲学者の問題発言とのテーマで、著者は哲学者に向き合っている。

 

「エビデンス」について、医療関係の現場でよく聞いた言葉であるが、現在では、経済、芸術等々の場で広く使われており、語源はラテン語のvideoで「見るである」とあり、本書では「明証」と訳され、現実をしっかり見極めることと読み取った。

 

ドイツの哲学者カントによれば「道徳は感性ではなく理性の問題、実践理性の問題である」と。

 

更に「哲学とは死に方を学ぶこと」ではなく「生き方を学ぶこと」で、今

ここにある人生の美しさを楽しみながら生きてみてはどうだろうかと。

 

「今、ここ」が重要で、ひとときの輝くを楽しむのも人生ではないだろうかと締めくくっている。

 

医療の現場で、病気の方に私は「今が大切」という想いを持ち続け、接してきたことは、著者の言葉を借りれば、「ひとときの輝きを楽しむこと」を伝えたかったのではないかと想った。

 

気が付くと、カーテン越しから微かな夜明けの光が差し込んでいる。

 

第2弾「フランスの高校生が学んでいる哲学の教科書」もリクエストしているが、購読希望者が多く時間が掛かるそうだが、「待つ時間」も楽しみではないだろうか。

2024年

1月

27日

裸木に鶯

ラジオ体操をしていると、裸木の枝に、小さな鶯ちゃんを見付けた。

 

錯覚かもしれないが、すずめの鳴き声ではなく、未熟だが確かに鶯ちゃんの鳴き声である。

 

断捨離好きで、「捨て魔」というニックネームも頂いている。

しかし、ファイルの中に、新聞の切り抜きがあると、足早に帰宅した。

 

引き出しから、ファイルしている新聞の切り抜きを取り出し、鶯について

確認したかったからである。

 

2020年11月14日の日本経済新聞の夕刊に、気象庁の主な生物季節観測の対象と観測方法の記事である。

 

廃止される生物に「鶯」が含まれており、つばめ、蛍も含まれている記事に、私は憤慨した覚えがある。

 

観測時期は2月下旬~4月下旬、観測方法は「春にホーホケキョとさえずるのを始めて聞いた日」とある。

 

今朝の鶯ちゃんは、未だホーホケキョとは聞こえなかったが、顔が綻んでくる朝を迎えたことに十分満足している。

 

2020年当時から、4年しか経過していないが、温暖化のスピードは、想像以上の速さで進んでいるようだ。

 

1月下旬、数日で2月を迎えるが、それにしても、今朝の鶯ちゃんは、既に

「春」の訪れをキャッチしたのだろうか。

 

寒くないか、ついばむ美味しいものは見つかるのだろうかと、鶯ちゃんの

無事な成長を案じている。

2024年

1月

26日

リセットのチャンス

ああ、いよいよ明日は健康診断の日で、今日はスーパーの広告に「冬の土用の丑の日」とある。

 

今夜の夕食は早めに切り上げようと、4時過ぎに彼の広告のスーパーに出かけると、肉厚の鰻が並んでいる。

 

どうせなら、近所の行きつけのお店に行けば、焼き立ての鰻重が待っているが、翌日の検査の数値が頭を過った。

 

安心して笑顔で食するまで、更に減量中の身であるわけで、此処は理性を働かせるべきである。

 

今週の22日に、「えごま油」を久しぶりに買い求めた。

 

「減塩醤油」「減塩みそ」と細かく心していたが、今年になって何故かサボってしまい、「リバウンド」という負のスパイラルに陥った。

 

明日の健診で表出する現実を知り得ることで、リセットのチャンスになると期待している。

 

前向きな振り返りをしたいと想っている。

2024年

1月

24日

スマホの減量化

持ち主と同様に、スマートフォンまでメタボが進んでいる。

 

来る三日後には、健康診断が待っている。

一日でも早く、減量を計らなければいけない状態のわが身とスマホのどちらを優先するか悩ましい。

 

優劣を決めかねている日々が長く続いている。

スマホも時代物であるが、大きさといい、軽量でもあるために手放す気はなく、まだまだ現役でいてほしい。

 

ならば、ストレージから見ると、写真が90%以上を占めており、取り敢えずは写真をパソコンに取りこもうと始める。

 

嘗て、「花とエスプリ」と題し、アメブロにアップしていたものである。

 

気分転換に、花の写真を見ると、その撮影時の日付から思い出に浸ることができる貴重な存在である。

 

一時期、lineをクローズしていたが、必要になり再開したこともあり、いよいよ追いこまれている。

 

考えようによっては、必要以外のお喋りを心するという効果もある。

 

慌てずに、熟慮しなければと、せっかちで断捨離好きな自分に目下のところブレーキをかけている。

2024年

1月

20日

嬉しい・嬉しい

下手の横好き、脳活のためと頭を掻きながら、思い付きを文字化し続けている。

 

表現力を豊かにしたいとの想いから私は、幻冬舎の作品投稿サイトの「読むカフェ」に何度か投稿している。

 

ブログでは、自己満足に終わり、成長に繋げていくにはプロの評価が必要であり、次なるステップアップになる。

 

昨年末の投稿には、かなり手間取った経緯があるだけに、今年からはスムースに言葉が湧き上がってくるようにしたいと考えていた。

 

その想いを叶えてくれるような「読むカフェ」のホームページがリニューアルした。

 

毎月「校正チャレンジ」、「わたしのコダワリ」、「ご意見募集中!」に

先ず校正にチャレンジしたが、まあ情けないほどの能力低下に、愕然としてしまった。

 

気を取り直して次なる「こだわり」を文字化した。

更にご意見募集中のお題が「いま大学生に戻れるのなら~」というテーマに、これまたトライした。

 

そして今日が結果発表の日である。

このドキドキ感に対して、方や心地よくもあるといった真逆さが堪らないのである。

 

特に今回はリニューアルの第1回目である。

 

恐る恐る開いたパソコンの画面に思わず、「やった」と叫んだ。

 

母校の校長先生に評価を頂き、新しいスタートを切ってから嬉しいことが続いている。

2024年

1月

18日

何歳になっても

先日、母校の校長先生から、創立150周年記念に子どもたちの頑張りに対して、東京より応援してほしいとの「お願い」に、これまでの母校のブログを読み返した。

 

ブログを通して、どんどん想いが広がっていく。

この150周年記念の子どもたちの頑張りには、胸が熱くなる。

 

心から感謝を述べるしか思いつかない想いを伝えたかった。

「千載一遇」の機会を私もお裾分けを頂いたことが何よりも嬉しかった。

 

校長先生の希望に叶えられるか案じながら、メッセージを送信した。

 

夕刻、校長先生から大変に喜んで頂くメールに、思わず安堵の気持ちと共に、既に67年の時を経ていても、校長先生に評価していただくことは、何歳になっても「嬉しい」の一言に尽きる。

 

151年に向かって歩む母校の小学校が楽しみである。

2024年

1月

17日

認知症サポーター

毎月第3週の水曜日は、わが地域の地域包括センターによるお勉強会の日である。

 

嘗て「認知症の家族とのかかわり方」というテーマで、認知症を抱える家族のとしてお手伝いをさせて頂いた。

 

忘れていたが、私は認知症サポーターの資格を頂いていた。

 

認知サポーターは嘗てはオレンジのリングで、当時の私は腕から落としてしまいました。

現在はカードになっているようです。

 

改めて、包括支援センターで「認知症の関わり方」について、学び直しをしましたがファンダメンタルな部分に変わりないことが分かりました。

 

人の持てる基本的な部分は、永遠に潜在意識の中で生き続けているのではないかと思いました。

 

幾つになっても、再確認を必要性を感じました。