2023年

2月

06日

5時41分のスノームーン

一年を通して一番小さいと言われる如月の満月スノームーンを、午前5時41分に見ることができた。

 

気象予報によれば午前3時過ぎが見頃との情報はキャッチしていたのだが、その時刻は睡魔に勝てなかった。

 

しかし、今日は、私にとっては、凡そ8か月の時を経てのプロジェクトの

最終段階でもあり、この機会を逃すと、私は諦めなければならないかという限界の日であった。

 

故に、私はぜ是非とも、今日の満月は見逃せなかったのである。

 

年間を通して一番小さいと言われているが、私にはとても大きく見えた。

さあ、これで、私の気持ちは前向きにチャレンジする想いに至った。

 

兼ねて、永年の友人に相談していた成果は、私に背中を押してくれる成果に至ったのである。

 

私もこの年齢になると、様々な事情によって友人にも様々な立場で異なってくるという事は自覚していた。

 

今回の私のプロジェクトに賛同して、手を差し伸べてくれた存在に、私は責任の重さを感じると共に、年甲斐もなく突き進めてくれた友人に感謝をしている。

 

如月のスノームーンに願いを込めた、早朝の私の想いは先ずは成し遂げられたと想っている。

2023年

1月

31日

何をしただろう

2023年一月、私は、希望を託してスタートした。

 

確かに、手帳には新しい年には毎日、何らかの予定が記載されているにしてはしっかりとした実りの感触がないのである。

 

「一年の計は元旦にあり」といった古臭い例えを持ち出すが、私の手帳には予定がびっしりと書き込まれている。

 

改めて、手帳で確認すると、確かに、落ちこぼれな毎日く実行している。

唯、一つだけ、先送りせざるを得なかったことに、悔しさを覚える。

 

私にとっては、何より優先したはずが、先送りになっていることが残念であり、悔しいのである。

 

最近棟下式という言葉を知った。

何でも長年住んだ住まいを手放す時に、感謝の気持ちを込めて執り行う儀式と知った。

 

私が目論んでいる居るプロジェクトと重なる部分があるやに想えた。

 

コロナ禍がなければ、日常生活に戸惑いをしないで穏やかに過ごせたはずが、コロナ禍によって、生活のリズムに変化を来したという想いを感じている方は少なくはないであろうと、打破したいと考えて来た。

 

ラジオ深夜便を聞きながら、眠れぬ夜を過ごしながら、私は考え続けた。

私の考えだけでは堂々巡りであり、新しい協力者を必要とする。

 

お陰様で睦月の最終日、頼もしい友人に支えらて、新しい世界の広がりを感じている。

睦月のことは、「もうこれっ切り これっ切り」として、前向きに進んでいくつもりいる。

2023年

1月

30日

気持ちをリセット

恐らく今週末か、来週早々に先日の健康診断の結果が送付されてくる。

 

長年の健康診断で、今回は最悪のデータが出ることが明白である私は、兎に角、食事療法を心がける以外に、方法はないと自覚している。

 

お陰様で、牛歩の如くではあるが、じんわりと効果がみられる。

 

今日は、先週からの問題解決に努めようと、気持ちを整えて、前進のみと

朝から、フルに頭を回転して、予定をクリアしようと思っていた矢先に、

もう一つ、予期しないマンションの問題解決が優先する結果に成った。

 

とうとう、昼過ぎまで解決対応に追われた私は、「嗚呼、疲れた」と投げ出したいところであるが、今日は、予定していたプロジェクトを一歩でも前進したいという想いが強かった。

 

何となく、忙しい、急かされている私にとって、常に乾麺の「蕎麦」が欠かせないでいる。

 

毎日、続けても飽きない蕎麦好きの私は、便利である。

これまで、忙しいとコンビニ弁当で済ませて居た結果が、間もなく恐ろしいデータとして表出するのを、防がなければならない。

 

今日の昼食も、熱々の「月見そば」にして課せられた問題の解決に、私は一縷の望みをかけて、自宅を出た。

 

その途中で、友人から、嬉しい連絡がスマホに届いた。

これまでも何度も窮すれば通ずで、友人が助けてくれるという恵まれた運を持っているようで、今回もヘルプの意思表示をしていた私を助けてくれたのである。

 

「人に恵まれている」という好意に対して、裏切らないように、常に心掛けねばと、云い聞かせている。

2023年

1月

29日

午後3時の月

今朝、起きたものの何となく体の重さを感じた。

午前中の約束を思い出し、慌てて飛び出すことになった。

 

相手を待たすことなく、無事に用を済ませ自宅に戻り、昼食を済ませるや

倦怠感を覚え、一寸のつもりで横になった。

 

凡そ時間にして、10分ほどであるが、頭がすっきり、午後は寂しく成った

冷蔵庫に食材を補給しようと決めていた。

 

二時過ぎに、高く澄み切った冬空を見あげながら、スーパーに向かった。

 

足首の炎症から、一万歩の散歩のノルマを回復するまでお休みと決め込んでいるが、予想以上にスーパーで食材を求めて歩く歩数を見ると、かなりの歩数になっている。

 

食材は決まっているが、その売り場を求めて歩く歩数が馬鹿にならない。

 

自炊を決めた私のエコバックは、かなりの重さに、足首にかかる負担を案じながら、公園で、「よいしょ」と、荷物を持ち換えた先に、白く淡い月が、見えた。

 

その先の時計も視野に入り、ジャスト午後の3時を示していた。

 

背筋を伸ばして、暫く空を見あげていた。

2023年

1月

28日

昨夜から今朝のラジオ深夜便

昨夜、いつものように「ラジオ深夜便」をBJMにして、珍しく睡魔に襲われた私に、「食と文化の街岡山」からとアナウンスの声がぼんやりと聞こえたが。

 

恐らく、23日から私の手帳は、毎日のように予定が入り、出歩くことが多く、27日のドジでかなり疲れていたようだ。

 

今朝の2時台に、ハッと目が醒めた。

 

「ファジアーノ岡山」の北川社長によれば、珍しく法人格を持つ株式会社で、「ファジアーノ」はイタリア語で「キジ」で、かの「桃太郎」とコラボしている。

 

さらに、地元の学校で、サッカーに関心を持ってもらうために、選手が学校訪問を続けているとか、サッカー以外にも、確かファジアーノフーズをセットにして、サッカーと岡山の魅力と話題は尽きなかった。

 

この段階ではまだ眠気が強く、正確さを欠いていると斟酌してほしい。

 

其の後、睡魔から解放された私は、4時台を楽しみに聞き逃さないように

待っていた元ブルゾンちえみ、現在は本名で活躍している藤原しおりさんのインタビューに、歯切れのよいパンチの聞いた声と、サービス精神に富んだ内容に、目がぱっちりと開き、遂にベッドから離れてしまった。

 

故郷について、離れてみて、良さが分かったという。

やはり故郷は最高と聞いた時に、私も、全く同じ想いに成った。

 

前後するが、テーマが「肩書のない働き方を目指して」にも、新型コロナ感染にならない3年前に、私も、今後は名刺を持たない生活がスタートするのを、期待していただけに、何か、私と重なる部分が多いのである。

 

同県人というDNAによるものだろうか。

 

最後にこれも、今となっては懐かしい思い出に繋がるのだが、「天文のまち あさくち」のお山のてっぺんの還暦を迎える国立天文台のドームをステージで真庭市出身の岸田智史の「きみの朝」が、ラジオ深夜便の締めとして、昨夜から今朝まで、故郷おかやま尽くしでした。

2023年

1月

27日

認識不足

昨年の2月のコロナ禍の閉塞感に、私は何とかしてやりきれない想いから抜け出したいと藻掻いていた時に、間もなく一年を迎えるプロジェクトを思い付いたのである。

 

其の後、7月には協力先との打ち合わせが続き、今日に至っている。

処が、私の能天気というか、認識不足で、今日27日から改めて仕切り直しをしなければいけない状況になった。

 

打ち合わせ後の自宅へ帰るまでの足取りの重かったことか、更に、回復途上にある右足首に痛みを覚え、左足首も何となくふっくらしてきた。

 

昼食を済ませ、クリニックに出かけ、電気療法による消炎鎮痛処置を受けながらも、今後のプロジェクトの対応が頭から離れないでいる。

 

3月にオープンと予定していただけに急がれるが、私の認識不足によるもので、誰のせいでもない。

 

20分の治療中に考えてみると、寧ろ、この段階で修正できるのは、今後の物事の進め方にしろ、展開していくうえでラッキーである。

 

もともと、健康には自信がないだけに、余り神経を張り巡らして考えていると、体調にシグナルが点灯するので、これ以上は無理と打ち切るモードにはいってしまう。

 

不思議と、リセットできて、前向き思考になるというパターンで、既に

今回の問題解決に行動を始めた。

 

これも、不思議で、足首の痛みも治療のせいもあるが、すたすたと歩いているのである。

2023年

1月

26日

黒文字のつまようじ

昨日に続き、日本経済新聞の夕刊の文化面に「こころの玉手箱」という連載を楽しみにしている。

 

今週は、料理研究家の土井善晴氏の登場で、「味噌造りの名工からもらった箸置き」に、タイトルの名工と言われる故雲田實さんとの思い出を綴っている。

 

その名工にもらったという落葉樹の黒文字でできた箸置きの写真が紹介されている。

 

黒文字といえば、「爪楊枝」がまず、頭に浮かぶが、そういえば最近とんと見かけなくなった。

 

我が家の爪楊枝入れに、一本だけ、黒文字の爪楊枝が残っている。

 

すっかり銀座の和菓子屋さんに出かけることもなく成った私だが、今も黒文字を使っているのだろうかと、往時を懐かしく思い出した。

 

環境保全の影響もあるのだろうかなどと、次から次に頭を過った。。

 

ネットで検索すると、「黒文字の爪楊枝」は健在で、何と、驚くばかりにアップされていた。

 

妙に、拘っていたが、何となく自分の周囲で見かけないというだけで、私は訳もなくほっとした気持ちになった。

2023年

1月

25日

手の記憶

日本経済新聞の夕刊に毎日、「あすへの話題」という各界で活躍する人によるコラム欄がある。

 

毎日、私は日曜日を除いて、連載を楽しみに拝読している。

今日の夕刊に小説家の松浦久輝氏の「心を手渡す」というタイトルの心」という活字の登場に思わず、関心を持ってしまう。

 

氏によれば、見知らぬオーストリア人から、お手紙があり、それに対して後に航空便で、お礼の手紙が届いたという。

 

今のご時世、メールでのやりとりで済むところ、手紙という手間がかかる方法で繰られてきたことについて、松浦久輝氏は『「手紙」や「手間」が含まれる一字、つまり「手」の記憶が、電子コミュニケーションにはない。わたしたちを現実世界に繫ぎ留めている「手」の触覚性の豊かさを、「手渡される」心の温もりを大切にしたいとつくづく思う』と。

 

実は、既にセピア色になってしまい、唯、記憶に残っているのは、やはり

日本経済新聞のプロムナード欄に、「手がさびしい」といったタイトルだったと想うのだが、ある年配の女性が、最近手間暇を使ってする作業が少なく成り、手が寂しいといった内容であった。

 

さらに、私が美術の仕事をしている時に、設計事務所のインテリア担当者から「手わざの作品が欲しい」との依頼を受けた記憶がある。

日本の草木を和紙に流し込んでいる作家を思い出し、お陰様で、某企業の

研修所に治まっている。

 

メールも、パソコンに打ち込む際には手というか、指を使うが、そのプロセスの段階で、「手」を使うことにより、活字に相手の「心」を感じるという事だろうかと、些か、難しくなってしまった。

 

メールで送信されてきたものは、メールで返信するが、多様性のある形で

肉筆による手紙を書きたいと想っている。

2023年

1月

24日

「ほぼ日手帳」の存在

昨日23日の日本経済新聞の「経営の視点」に、編集委員の石鍋仁美氏が、糸井重里社長の運営する「ほぼ日手帳」と言われる「手書き」手帳が売り上げを伸ばしているという記事である。

 

スマートフォンによる時間管理の時代に、敢えて紙の手帳なのか。

 

糸井重里社長によれば、「デジタル一辺倒ではなくデジタルとアナログが共存する時代になると以前から言ってきた」と。

 

さらに「デジタル機器は情報を共有するのにべ便利。しかし、人には共有できない、したくないものが沢山ある」

 

「ほぼ日手帳」とはどのような手帳だろうかと、気になる。

 

その点についても、「利用者は行動記録だけでなく自分の感情や思いつきも書き込める。映画の半券を貼る人もいる。字は汚くても自身が読めればいい。文字の乱れや予定を消した線も心の記録だ。一年終われば自分だけのコンテンツが完成する」

 

「感情移入の対象にもなる文具は、繊細で小さいものをめでる日本ならではの存在と言える」

 

昨年、私は肉筆について、ブログにアップしたことを思い出した。

丁度、コロナが2年目に入った年の初めだと記憶している。

 

何故、肉筆に拘ったかといえば、パソコンを相棒にして以来、漢字を思い出さない、字が乱れる、下手になったように感じるようになったからで、

隣接する図書館の学習室に通い続けた。

 

何時しかふっくらとしたペンだこも出来始め、少しづつ気持ちが安らかさになっていくのを感じた。

 

ほぼ日の手帳担当者の星野槙子氏は、新型コロナウイルスと重なり、「外出や会食が制限され、皆自分と向き合う時間が増えた」と感じたそうだ。

 

コロナ太りだなんて情けない自分にも、手書きという作業を見出していた時があったのにと、改めて、今からでも遅くない、リセットしよう。

 

私にとっては新聞は切っても切れない多くの知を学ぶ貴重な存在である。

2023年

1月

23日

俎上の鯉

今日は、区の健康診断に出かける。

今年の私は、恐らく飛び上がるような最悪の数値が羅列された結果を受け取るであろうと、覚悟をしている。

 

正に屠所に引かれていく羊のような心境である。

 

昨日から、天気予報では10年に一度の寒波襲来との大雪に対する警告が報じられ、なるべく不要不急の用事は控えるようにとのことだが、私の場合は今月いっぱいが期限なので、もう逃げられないと自分に云い聞かせているのだが、気が足が重い。

 

3年続いた新型コロナの影響で、これまで、「マグロ」に例えられるように

動きまわていた生活を、引きこもらなければならなくなった為に、あらゆるこれまで通りにいかなくなった。

 

この順応性のない私の性格が、永年の生活を何とか続けたいと藻掻き続けた結果が、体調に変化をきたしたのである。

 

75歳で一区切り、次のステップにと準備していた目標が、ストップすることになったのである。

 

私だけではないと、思い直すも、兎に角、外出するにしても、人と会うにしても神経質になってしまう自分がいる。

 

凡そ、3年続いたコロナ禍で、楽しいひと時を過ごした日々を思い返すと、ほんの僅かしかない。

 

コロナ禍以前は、保健所からの健康診断の案内が来ると、今年の数値はと

楽しみにして、早々に予約をしたものだったが、この3年間は何となく気が重いのである。

 

「俎上の鯉」と決めた私の気持ちは、不思議と落ち着いてきた。

検査の結果をこれが私の現実と受け止め、逃げないで、真正面から向き合うという気持ちに変わってきた。

 

帰路、如何にこれから、健康的な数値に戻すことが、楽しみになってきたのである。

 

既にすっきり気持ちをリセットした自分がいた。

2023年

1月

22日

トンボとマグロ

日曜日の日本経済新聞新聞には、「NIKKEI The STYLE」という日曜版があり、日本の伝統文化、芸術を始め、広範囲に各分野を網羅している。

 

その中、企業で活躍している経済人を取り上げているページがある。

今週は、「シーチキン」で知られるはごろもフーズの6代目の社長の後藤佐恵子氏をファッションのページで紹介している。

 

仕事中の装いは、「一点物の紺のパンツスーツ」だそうだ。

その理由は「日本はまだまだ男性社会なので、いわゆる女らしい服装で目立ちたくないという気持ちがあります」と。

 

実は、私も美術の仕事をして、先にブログでも取り上げたが、企業のトップの方に御目に掛かるというトップセールスをしていた私も、なるべくは

目立たないスーツ姿に徹していた。

 

私の場合は商品である美術が引き立つように、当時は紳士服地で仕立てた

スーツを着用していた。

 

後藤佐恵子氏は、紺のパンツスーツにスカーフやブローチでアクセントをつけるという。

 

そのブローチの一つに、お母さまから贈られたブローチが「トンボ」で、

トンボは前にしか進まず、後退しない「勝ち虫」で、習性がマグロに似ていると記している。

 

読み終わった私は、父親から、昔「トンボ」のブローチを買ってもらったことを思い出した。

父親に、トンボが「勝ち虫」と知ってのことだったのだろうか。

 

もう一つ、私は、社会人になってから、よく「君はマグロだね」とか「マグロちゃん」と言われていた頃を懐かしく思い出しだ。

 

クローゼットには、当時のスーツが数着残っているが、コロナ太りの私はスカートを、現在スルーしている状況である。。

2023年

1月

21日

老活を選ぶ

新しい年を迎え、早や、20日を過ぎ、残すところ、10日ばかりになってしまった。

 

3年間の新型コロナに対すして、首相指示で今春、平常対応を検討するということになりそうだ。

 

私にとって、マスクが継続している間にかたずけねばならない問題を抱えている。

或いは、逆にマスクを着用しなくなって、振り返る方が良いだろうかと、

迷ってもいる。

 

しかし、年の初めに決意したことが、三日坊主というか、恥ずかしながら

もし、先延ばしすれば、何と情けないと自分を叱咤することになる。

 

そうであれば、「老活」という生き方を選んで、自分に納得する道に進み

結果的に達成感を味わう方が、今後に引きずらないで、肩の荷を下ろして

楽しく過ごせるというものだ。

 

コロナ太りも影響して、身体の切れが悪いが、いざ、取り組んでしまえば

私の場合、案じるよりスムースに行くという体験から、既に準備は整っているので、頑張らないで、頑張るとしようと自分に云い聞かせている。

2023年

1月

20日

リテージマネジャーの活動

今日は24節気の大寒だが、コロナ太りのせいか、今年は風邪をひかない、寒さが身に沁みないという生まれて初めてといった経験をしている。

果たして、喜ぶべきことかどうかは、来週23日の健康診断の検査数値により解明される。

 

今日の日本経済新聞の夕刊に、「ヘリテージマネージャー」という聞きなれない言葉に接した。

 

建築士や技術士といった資格を持った人が各地の建築士会などの養成を担う団体の講習を修了すれば取得できるとある。

 

講習では歴史的建造物の構造、文化財の保存方法や防災技術を学び、取得後は、地域の歴史的建造物の保存や修復、町づくりへの活用方法の助言や調査を行うという資格と知る。

 

記事に掲載されている1990年にクローズした神戸市の旧摩耶観光ホテは、後に、阪神大震災を機に、ヘリテージマネジャーのよって、2021年に登録有形文化財に指定されたという。

 

小学校時代に、嘗て、父親とともに摩耶路ロープウエイで、付近を散策した思い出があるが、旧麻耶観光ホテルは夕暮れ近くで、残念ながら、記憶がない。

 

母方の父親つまり私の祖父は、早くから、西洋建築の棟梁として、当時20名近くの弟子と共に、活躍していたと聞くが、私が生まれた時は、既に亡くなっていた。

 

私が、建築の世界に興味、関心を持つのはどうやら、母方の血筋を引いているのか知れないと想っている。

 

いずれにせよ、歴史建築物に、再度、スポットライトを当てるという役割に、地域の人と共に、目覚め、新しい命を取り戻すという活動に対して、

応援したいという想いになる。

 

埋もれたままになっている日本各地の歴史建築が、生き返ることを願っている一人である。

2023年

1月

19日

ポジティブ・シンキング

今年初めての、当マンションの管理会社の担当者と、2月の理事会、3月の総会に向けての打ち合わせをする。

 

最近の土地利用は、集合住宅と言われるマンションが林立しているといった長年住んでいるご近所の方も、こんなにマンションが増えて、利用者がいるのかしらと、私もまったく同じ考えを持っている。

 

次に話題になるのは、ゴミ問題である。

共通して、ゴミの処理に対して、加速的に増加している現状に、集合住宅の管理組合の理事は、頭をかかえている。

私も、その一人で、もう限界で、深入りすると健康を害するので、そのあたりの向き合い方に苦労している。

 

先日の土曜日に、区役所の「マンションよろず相談」に出かけた。

いつも利用しているバスに、子どもたちの姿が多く見られた。

もしかしたら、来年度の入学予定者の説明会でもあるのかと思っていた。

 

バスが区役所に停車するや、子どもたちが、降車ドアに向かって勢いよく我先にと飛び出し、一階のエレベーターに競って走っている。

 

前置きが長く成ったが、同日にもう一つ「おやつで世界を旅しよう」という民間のインタースクールとコラボして、交流の場を広げているといった企画だと知った。

 

今回、私は偶然知り得たのであるが、広い区役所の廊下を国籍を問わず、元気に入っている子どもたちの表情に、可能であれば、せめて日本の良さを認めている海外の方に、是非、日本での最低限の教育を希望したい。

 

何かの巡り合わせと、私は主催者の方の主旨を伺うことができた。

それぞれの国の紹介とそれぞれの国の手作りのおやつを食べて、交流をしましょうという「おやつで世界を旅しよう」という。

 

元気に廊下を駆け巡っている国家を超えた子どもたちに、将来日本での

生活を望むならば、日本が大切にしているルールを守って頂きたいという

ゴミ問題で困惑している私は、出来ればそのあたりの日本に住まいう人のファンダメンタルな基礎知識を幼少時期からの教育を望んでいる。

 

当マンションにおいても、少数派の存在によって、エネルギーを費やす現実である。

一言でカルチャーの違いで処理する問題ではない。

 

今後、日本を永遠の棲家として考えている各国の人達に、私はお互いの住環境に対して、住みやすく衛生的な意味を含めて、私は、これからも、例え、言葉が通じなくても、風習習慣が違うという前に、もし、日本に対して、納得いくと想った方に対しては、管理会社と共に、恐れず、全力を尽くして努めていく覚悟がある。

ゴミを見ればその人が分かると言いますが、せめて、当マンションにそのような嘆かわしい人がいないことを願っていましたが、残念な結果を招き

敷いては、僅か少数の居住者による問題が、全てに及ぶという認識を弁えていきたいと、願うばかりである。

 

あるマンションの管理組合では、新規の入居者に対して、第三者協議会を設置しているところもあるという。

 

心から、日本に住みたいと希望している海外の方に、日本人の培われてきた生活習慣を認めて頂きたいのである。

 

出来れば、子どもたちの交流の場にも、是非、日本での生活の場でに必要に基礎的な教育を付け加えてほしいと願うばかりである。

 

改めて、「規約の義務化」が必要、が不可欠と考えている。

 

ドクターストップを受けながら、私は、取り敢えず我が住まいに対しては

今後もポジティブ・シンキングで対応したいと想っている。 

2023年

1月

18日

コロナ太り

今日は、今年初めての循環器科の診察日。

 

昨年からというか、新型コロナも2年目を過ぎたころから、じわじわと血圧の上昇が半端でなく、毎朝、血圧計を見るだけで、気持ちが落ち込んでしまう。

 

数値を見ると、段々、天井知らずの数値に、自分でも高くなる理由は分かっているだけに、情けなく思う日々が続いている。

 

先生に現在の情けない状況を報告すると、「20年近く、診察してきたが

体重が増えたという話は、初めてよね」

 

日頃の食事について問われた私は、自分でも決して胸を張って話せる状態ではないことは、よ~くわかっている。

 

主治医の先生に、現在の生活スタイルや食生活について、包み隠さず素直に話しているうちに、不思議に、これまでカチカチに強張っていた状態に苦しんでいた私の全身がゆっくりと和らいでいくのを感じた。

 

心理学で、「カタルシス」と言われる「浄化作用」が、私の疲れていた心身状態を、先生に話すことによって、解きほぐされたのである。

 

そうだ、スタートしたばかりのプロジェクトにこそ、この「カタルシス」が目的だったと、自分の身を以って、気が付いたのである。

 

因みに、健康促進の取り組みを支援している会社「リンクアンドコミュニケーション」の2800人を対象にした調査によれば、コロナ禍に置いて

コロナ太りと言われる体重が増えた人は57%、体脂肪率が増えた人が

60%という結果に、驚いた。

 

57%の「コロナ太り」に紛れもなく該当する私は、生活習慣病の予備軍としても案じられるといえる。

 

今日を限りに、改めて、食生活の改善から始めようと決心した。 

2023年

1月

17日

心地良い緊張感

新型コロナの日本で初めての感染者から、3年になるという。

丁度、2年目を過ぎたころから、私は、協調性に欠けると、小学校の通信簿に記載されていたが、今もって、「ウイズコロナ」や「新しい生活スタイル」についても、抵抗感がある。

 

つまり、変化にうまく乗れないという性格が、私を生き難くしていることは、若手居るのだが、どうも、すんなりと受け入れられない弱点がある。

 

丁度、75歳という社会的にも私は一区切りつけ、次なる目標を目指してと

考えるの時間を楽しみにしていた。

 

処が、新型コロナによって、人との繋がりをシャットダウンする状況に成った、私は、急に自分が一人取り残されているという孤独感に襲われ居ても立ってもいられない焦りを覚えた。

 

外出もままならず、会話をすることもない生活が始まって以来、凡そ、2年間は耐えてきたが、このままの状態が決して受け入れないと思い始めた。

 

心が揺れ動く中、恐らく、私と同じようない息苦しい日々を過ごしている人がいるのではと想った。

 

そして、何とか、この息苦しさを切り抜けなければとの想いに至った。

 

一年余りの時を経て、地域の民生委員、地域包括支援センター、そして、社会福祉事業団の協力を得て、これから始めるプロジェクトについての説明会をした。

 

スタートするプロジェクトが、集まっていただいた関係先に、私の想いが

伝わるかどうか、3年間、人様の前で話をする機会を無くしていただけに、

緊張感を覚えた。

 

マスク越しの表情を確かめながら、話を続けているうちに不思議と緊張感も解け、何時しか、心地良さへと変わった。

 

嘗ての忘れかけていた本来の自分を取り戻し、一つ前進できたという達成

感と共に、次のステップに進むべきパワーが満ちて来るのを感じた。

2023年

1月

16日

「1%フォー・アート」に期待

嘗て美術の仕事に携わってきた人間として、私は、14日の日本経済新聞の14日夕刊の「文化往来」の記事を読んで、嘗て、「メセナ」という「芸術文化支援」という芸術や文化への支援活動を思い出した。

 

昨年11月30日に日本交通文化協会が都内で、公共事業費や公共建築費の役い%をアートに充てる考え方「1%フォー・アート」というシンポジュウムを開催した時に遡る。

 

建築家の隈健吾氏や東京都美術館の高橋明也館長らによる海外のパブリックアートに対する取り組みやその効果についての議論をしたという記事に

ついて、「公共事業費の1%をアート」の討論を交わしたいう内容の記事である。

 

私は、嘗て美術品商として、設計事務所並びに施工業者に対して、完成時の記念品として美術品を提供する考え方を通して、企業努力をしてきた。

 

お陰様で、設計事務所を通しての施工業者への説得力は明晰で、予算的に

本来であれば、彫刻が、絵画が、レリーフがといった想いが、予算的に叶わない時に、設計事務所と施工業者により、美術品を寄贈するという提案を、企業努力をしてきた。

 

嘗て「メセナ」と言われるフランス語で「芸術文化支援」と言われる支援活動がスッポトライトを浴びた。

 

偶然にも私はその時代に、企業と言わる設計事務者やゼネコンに働き掛けて、美術品を寄贈してもらう経営姿勢に徹してきた。

 

今回の「公共工事費の1%をアートに」という提案に対して、私が働き掛けてきた違いは、「公共工事費」という点である。

 

当時、「お役所」からの発注に対して、民間企業からの寄贈はデリケートで、歓迎されない提案であったが、今「公共事業費の1%をアートに」と言われる「1%フォー・アート」というメッセージの発信に対して、私としては、諸手を上げて賛成する。

 

公共事業費に対する様々な思惑の柵に汚されない、クリーンな作家の作品が選択されることを願っている。

2023年

1月

15日

故郷に想いを馳せる

昨日、今年初めて図書館に足を運ぶ。

 

目的の図書の前に、新着の図書の紹介ラックに、地図の出版で有名な昭文社発行の、「まっぷる 岡山 倉敷 蒜山高原」が目に入った。

 

昨年凡そ、3年ぶりに故郷に帰郷した私は、懐かしく、早速貸し出しを希望し、昨晩から、心は故郷に想いを馳せていた。

 

残念ながら、我が「あさくち ブルー」は掲載されていなかったが、倉敷

さらに吉備路はたっぷりと紹介されている。

 

図書を通して、改めて帰郷した気分になるから、何とも故郷というのは、

特別の存在感があるようだ。

 

母校の小学校のブログでは、今年の干支の兎や、冬眠中のカメのいる池のししおどしの音など、更に、既に寒さに負けず、ヒマワリの花が開花しているなどなど、東京にいても、故郷や母校を忘れることはない。

 

まして、昨年は心身ともに本当に厳しい毎日と、楽しい日々が繰り返された目まぐるしい一年であった。

 

越年している問題が、何時しか、故郷に想いを馳せている時間に変わり、

私を何より心を和ませてくれる。

 

今日は「小正月」、久しぶりには公園は、元気な子どもたちの声に溢れ、

サッカーや、縄跳びなど、日常が戻ってきたようだ。

2023年

1月

14日

現実から逃げない

暫く、自分のプロジェクトに向き合ってきたが、久しぶりに午後から、我が住まいであるマンションに対して、行政が「集合住宅のよろず相談」に出かけた。

 

昨年から今年に亘り、いわゆる令和4年度の問題に弁護士と、一級建築士が年間を通して相談に応じてくれるという。

 

かれこれ、3年前になるが、マンションの管理組合の理事長が如何なる存在かと言う事も、気に留めないで、引き受けたが、色々、問題が出て来るわ

出て来るわ、もう、私は心身ともに疲弊する程の問題が山積しているとは知らなかった。

 

事情を知れば知るほど、泥沼状態である。

そこで、私は、専門家の力を頼ることにしたのである。

しかし、その知識が、必ずしも受け入れらるとは限らないのである。

 

昨年はドクターストップがかかるほど、苦しむ問題に、私は理事長の辞任の意志を示したのであるが、このまま、グレーゾーンに近い状態を棲家として放置していることはできないと、思い直した私は、理事長辞任を取り下げた。

 

このまま放置していると、将来が案じられると想ったからである。

 

確かに大理石で敷き詰められた壁の先の奥に対して、常に怠らずテェックすることの必要性がある。

 

何処も、グローバル化の中で、マンションの管理は非常に厳しい状況にあるという。

 

友人と、「住みづらい世の中になってきたわね」と合言葉のようになってきている現実から逃げないという覚悟だけは持ち続けて居たい。

2023年

1月

13日

ドクターショッピング

病院ボランティアを長年体験してきた私は、医療に対する知識も少なからず学んできた。

 

セカンドオピニオンとは異なり、「ドクターショッピング」という行為は出来うれば、避けたい行為であるが、我が足首は一向に改善の兆しはなく寧ろ、当初より症状は消して回復の兆しは見られず、酷くなっている。

 

これまで関わって下さったドクターに「ごめんなさい」と心の中で頭を下げ、嘗て同じ症状で完治したドクターに助けを求めた。

 

幸いにドクターは嘗ての症状を記憶していて、時間が掛かるがと、念を押しながら、リハビリを兼ねて、治療することにした。

 

今日まで東京の日の出は、6時51分と遅い日の出がお終いとの気候予報士の解説に、これからは日を追って、少しづつ、日の出が早まると知った。

 

不思議なもので、人はというか私は如何に小さなことに対して、精神的に敏感になるのだろうと嘆く一方で、如何にナーバスで感性に富んでいるのだろうと、前向きに自分と向き合っていこうと、想っている。

2023年

1月

12日

本音を伝える

越年してきたプロジェクトに対して、俗っぽい表現だが、手を変え、品を変えて、相手に伝えてきた積りであったが、やっと、協力先から、連絡が入り、私の本来のプロジェクトの意図の確認をしたいという。

 

嗚呼、やっと、私のもやもやを伝える場が来たと、足首の痛さより私には

この機会を逃してはと、出かけた。

 

心を開いて、私は30年近い病気の方を通しての体験しかないが、心の問題に対して、それなりに多くを学んできた。

 

私も、この3年間の新型コロナ禍により、これまで、走り続けることしかなかった生活に、感染予防のために急ブレーキをかけられたのである。

 

その反動は想像以上に、心身ともに堪えた結果、すっかり、想像を超える

異変を感じながらも、救いを求める先はなかった。

 

親友といえども、感染との危険には、どうする手当もなく、何時かは春が来ると云い聞かせてきたが、私には、余りの生活環境の変化に、平常心を失っていた。

 

恐らくこのような経験をした方はいるのではないだろうかと、自らの体験を通して、接していきたいとの想いが、自然発生的に生まれたのである。

 

凡そ、2時間にわたり、私は自分の心に抱えている想いを伝えた結果、私の

想いは通じた。

 

これで、一歩前進できるという喜びに足首の痛みを忘れるほどだった。

恐らく今回のプロジェクトは、私の人世の最後の締めくくりになるであろうと、自覚している。

2023年

1月

11日

腕時計とお別れ

私の体調と歩みをを共にするように、昨年末から、永年愛用してきた腕時計の秒針が、遅れがちで、速度を見ていると、瀕死の状態だとわかった。

 

前回の修理から、約2年の時を刻んでくれたので、そろそろ電池の交換時期と、修理を依頼した。

 

メーカーの修理担当者から、既に基盤がないという返事である。

部品の在庫期間が終了し、担当者から丁寧な説明があり、今回は取り敢えず電池の交換はしておきますが、今後の修理は不可能との連絡があった。

 

この腕時計は私の病院ボランティアとともに歩んできたといっても過言ではない、正に「時を刻んだ」と腕時計であった。

 

ただし、電池の交換はしておきますので、それまでは利用可能との返事に加え、無料という返事に、私は老舗というか、自社の製品に責任を持つといった企業姿勢に、私はまだ生きていいのかなあと想い心が熱く成った。

 

現在はスマホで時間を知ることはできるが、病気の方に接している時に、

さり気無く時間を見計らっている作業を、スマホを使用することは、相手にも気を遣わせることになるので、時間に対するトレーニングをどのようにクリアするかについても学んできた。

 

正に相棒と言われた腕時計は、乾電池の寿命と共にいつかは本格的な別れが訪れるであろうが、それまでは私と共にと気を刻んでほしいと想う。

2023年

1月

10日

6時35分の月

今年初めての連休明けの朝、6時35分に廊下で見上げた夜空に近く、体感的に寒空に、煌々とした月が輝いている。

 

7日のウルフムーンから少しづつスリム化しているが、まだまだ、まだまだ

丸みのあるお月様に、私はそっと、今日一日もお願いねといった想いを託し、背筋を伸ばし、気を取り直して、リッセトする。

 

足首の痛みが年を超えて、私に遠慮会釈なしに刺激をしてくれる。

もう一方で、考え抜いたプロジェクトが、軸ブレしている危機感に、私は

出来うる限りの努力をして、理解をしてほしいとの想いである精神的な痛みが、肉体的な痛みに勝っている。

 

如何したら私の心の想いを伝えることができるだろうかと、思案しているが、之っといった決定打が見つからないのが現状である。

 

これまでスルーしていた日本経済新聞の経済面に「やさしい経済学」と題したか連載シリーズに目が留まった。

 

タイトルが「幸せに生きるために」という京都大学准教授の柴田悠氏による第5回目に「生きがい」を持つ重要性について、経済学には疎い私でも、

すんなりと受け止められた。

 

氏に依れば、「生きがい」(時間的・社会的に広がりのある幸福感)には

他者と繋ぐことができる「社会」が必要なのですと。

 

私は、その社会というか、小さな地域における人との繋がりを考えてきたわけで、それが今後の「生きがい」になってほしいと想ってきた。

 

兎に角、非常に細かくデリケートな部分へ関わることで、時間をかけても

焦らずに、諦めず、じっくり、腰を据えて取り組もうと想っている。

 

お陰様で、新聞記事にヒントを得た私は、折れかかった心に、今朝の月のような希望という明りを灯してくれた。

2023年

1月

09日

一匹のてふてふ

7時7分、私は朝刊を取りに部屋を出て廊下に出た時、昨夜輝き続けた月が日の出を迎え、白く丸い月として、まだまだ存在感があるなと想いながら

今年最初の成人の日を迎えた。

 

思わず、私が起こす行動には厳しい見解が必要とされるが、私は乗り切らねばならないミッションを抱えている。

 

相手を傷つけないで、理解してほしいというに私自身が苦しむ立場に追い込まれてしまった。

 

しかし、このチャンスを逃すとプロジェクトは成り立たないと想っている私は、例え足首の痛みなど乗り越えて、目的を果たさなければならない。

 

恐らく、楽観的だが一連の問題に逃げないで向き合うことが、ドクターの

診察日である凡そ一か月に該当すると考え、私は明日から日常を取り戻す

関係機関に説明に徹し、理解をして頂くつもりでいる。

 

先日、購入した齋藤孝著の「自分を励ます一日一行」から安斎冬衛の代表作「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」に、明日からの始まるであろう厳しさに立ち向かう私は、恐れ多くも「一匹のてふてふ」に自分を重ねている。

2023年

1月

08日

ランチタイム

澄み切った冬空というか、清々しい青空の先に、キラキラと上昇している飛行機を見あげ、今日も素晴らしい日になると想いながら、まだ回復途上にある足首の痛みを感じながら、公園を通り抜けていた。

 

自宅を目の前にして、携帯電話に、友人夫婦からランチタイムのお誘いの連絡が入った。

 

思い起こすこと、新型コロナウイルス禍により、食事を一緒にしたのは、

3年近くの時を経ている。

 

「お久し振り」と私は、これから一人で昼食に向かうのは慣れているものの、やはり、虚しさを感じていただけに、私は喜んで返事に応じた。

 

本当に久し振りで、案内されたレストランも私は、こんな近くに楽しめる

食の場があるとは知らなかった。

 

いつも、そのご夫婦からのお誘いの時は、ご主人がご馳走してくださるのが常であったが、今回も好きなものをどうぞと変わらなかった。

 

その好意に私は、メニューの我が故郷の岡山の「邑久郡の牡蠣フライ」に迷うことなく、決めた際に、友人婦人から自宅でなかなか「牡蠣フライ」は作らないのでと、食後、美味しかったと喜んでもらった。

 

嘗ては、定期的に友人夫妻のお誘いを受け、私は喜んでいたコロナ禍前の

時代を懐かしく思いだしていた。

 

相変わらず、空は抜けるような青さに、友人が「故郷の空を思い出すでしょ」と、話しかけてきた。

 

お陰様で友人夫婦のお陰で、素晴らしいひと時を過ごすことができた。

2023年

1月

07日

ウルフムーンに誓う

昨年末から、私は今年からスタートするプロジェクトにある種の不安を抱えている。

 

当初の目指す目標がどんどん変化していく有り様に、私は一人で苦しんでいた。

 

どうして、こんな成り行きに変わっていったのか、私はとても辛く、どうすれば本来の目的に戻ることができるだろうかと、考えて来た。

 

夕刻、当初の私のプロジェクトに関わっていた方に、事情を話す機会が出来たのである。

 

これまでの経緯を説明した結果、私は、連休明けにも行動をすることに確信が持てたのである。

 

目的、そして約束を遵守するには、私がここでもう一度、プロジェクトについての再度の関係先への説明が必要である。

 

どうも、肝心要の目的から、逸脱しているとしか、想えない私は思い煩う日々が続いている。

 

既にベランダから見える空は、すっかり夕闇に包まれていた。

 

今、夕刻の6時過ぎ、冬空にくっきりと今年初めての満月「ウルフムーン」が、ブルーに装ったスカイツリーと共に、私に凛とした勇気を呼び起こしてくれた。

2023年

1月

06日

11711歩

日を追って、昨年来の足首の症状に変化が現れている。

というのは、痛みの場所が日によって症状が微妙に変わるのである。

実に、人間の体の仕組みの不思議さを感じている。

 

ところで、今日は、24節気の小寒だが、コロナ禍で生活スタイルが変わったせいか、大学時代つまり20代の体重に戻ってしまったせいか、永年

の体調に行動の変化が生じた。

 

何となく体が重いと感じると共に、先ず、ウエストにその変化が歴然と現れて来る。

 

これまでの冬でもスカートを愛用していたが、コロナ禍により、ルーズな伸縮自由なゴム入りのパンツやスカートを使用する結果というより、外出する機会が減り、緊張する機会も減少した結果だとわかっている。

 

恐らく、今月末の健康診断の数値が推測される。

 

何とかして、本来の私の数値に戻りたいと願っているが、どうも無理だと

諦める一方で、その診断結果によって、今後の健康管理を心がけようという想いもある。

 

最近、起きると、喉の痛みを覚え、コロナに感染したかなと案じるも、朝の日課をこなすうちに忘れている。

 

ところで、東京は連続16日間もカラカラの乾燥が続いているという。

 

昨年から目標にしている肉筆の重要性を、今年は実行したいと思い、新聞に掲載されていた齋藤孝著の「自分を励ます一日一行練習帳」を、有隣堂アキバ店まで足を伸ばして買い求めた。

 

既にメディアでは書店の経営環境が著しく苦戦している話題が報じられているが、どうも、書籍は自分で手に取って、納得して購入したいという想いがあり、図書館でのリクエストとは異なる。

 

今月九日で閉店するという有隣堂アキバ店に、足の問題を考えたが、やはり嘗ては私の拙著を扱ってくれた有隣堂に最後のお別れをするとともに、

先程の一冊を購入した。

 

私は、これを機会に恐らく書店に出向く機会はなくなったと、一抹の寂しさを覚えると共に、時代の変化を感じた。

 

その帰途、心の空白を埋めるかのように、今年の4月以来口にしていない

「うな重」が食べたくなり、立ち寄った。

 

お陰様で、エネルギーチャージをした私は、次なる目標に向かって歩もうと想っている。

 

因みに今日の私の歩数は11711歩と、ゆっくりだが回復の兆しだと、云い聞かせるも、疑心暗鬼と闘いながら、歩いた。

2023年

1月

05日

カバヤ児童文庫

昨日というか、昨夜、しぶんぎ座流星群は見えなかった。

 

夕刻5時には、行政からの夕刻5時を告げるシャイムに、公園で見上げた薄すみ色の空に、明るい大きなお月様が見あげた公園の冬樹の空に、鮮やかに光り輝いていた。

 

今夜が満月と見舞う違うほどのまん丸く、大きく明るいお月様に、改めてネットで検索すると、7日が満月「ウルフムーン」とある。

 

いつものように、ラジオ深夜便をBJMに、寝苦しい夜を過ごしていた。

時刻にして、5日の早朝4時台にの「あすの言葉」に、元新潮社の「新潮」の編集者の前田速夫氏の「老年に効く読書」についての話に、眠気が飛んで、耳を傾けた

 

氏は1946年の福井県出身と紹介され、「読書」というか、「書籍・本」に

興味を持ったのは、我が故郷の岡山の「カバヤ食品」のカバヤキャラメルの景品であった「おまけの名作」が、今日の藤田速夫氏のルーツだと知った、私は、編集者であり、近親感を覚え、聞き入った。

 

1945年生まれの私としては同世代としては、藤田氏の話の中で私の記憶も懐かしく蘇ってきた。

 

念のために、カバヤ食品をネットで検索すると、1954年までの二年の「シンデレラ姫」に始まるカバヤ文庫の同世代に、私は、病弱により母親から病床で、母親のいわゆる読み聞かせで育った。

 

岡山は「教育」を重んじ、地域でも教育に携わった方を丁重に預かう気風を感じていたが、我がふるさとの岡山から、そして戦後間もない1946年創業と言われる「カバヤ食品」に対して、私にとっても大きな存在であり、

私は多くの恵みを受けたことに、故郷への想いを深くすると共に、我が故郷に生まれたことに、誇りを持ちたい想う。

 

なお、このカバヤ児童文庫は、岡山県立図書館でデジタル化されている。

 

出来れば、我が後輩に生まれた岡山は素晴らしい「知の教育」に恵まれた地域であることを、我が母校の小学校に伝えるチャンスがあればと、願っている。

2023年

1月

04日

しぶんぎ座流星群

三大流星群の一つ、しぶんぎ座流星群が、東京では月が沈む午前4時ごろ、

見られるという情報に、私は、NHKのラジオ深夜便から、緊張をして待ち望んだ。

 

寒いので、ベランダから、じっと、空を見つめていたが、とうとう3大流星群のしぶんぎ座流星群をタイミングだろうか、見ることは叶わなかった。

 

後に、天気予報士の解説により、我が故郷のお隣の広島県では流星群を見たという報道に、恐らく隣接する大気の変動が少ない我が故郷でも、キャッチできたのではないだろうか。

 

かつて、母校で、コロナ禍発祥の前は、学校運営協議会の卒業生の一人として委員会でお手伝いをしてきた。

 

しかし、その後の新型コロナの感染防止の対策として、私はふるさとへの

帰郷も叶わず、お世話に成った校長先生の定年退職と共に、故郷に対して

感染の問題に対して、委員を辞任せざるを得なかった。

 

3年の時を得て、芯がコロナウイルスに対して、「ウィズ コロナ」という

方向転換をした。

 

残念乍ら、私のベランダからは、予報士の時刻に、じっと息を潜めて待っていたが、流れ星は、ひとかけらも見えなかった。

2023年

1月

03日

仕事始めの重み

昨日の仕事初めが、前もって準備というか、念のために慎重を期して、更に慎重に投稿する内容に対しての確認に時間が掛かった。

 

これまでの私はぶっつけ本番というか、マイペースで関わって気た、今回の「読むカフェ」のテーマについては、珍しく時間をかけて確認しながら

文字化する自分の想いに努めている私がいた。

 

それ以外に、間もなくオープンにする、昨年からのプロジェクトの細かい

事務的作業を並行して、2023年の仕事始めがスタートした。

 

今までとは様変わりした私の取り組みに、責任の重さを感じている。

 

昨年の残念な想いが払拭に繋がると、元気を取り戻してくるエネルギーを

感じ、新しい年のスタートとして、頑張る力に気づいていた。。

 

しかし、困難多かっただけに、故郷の温もりは一入しお有難く、今、思い返せば、やはり故郷の力が私を支えてくれたと想っている。

 

お陰様で、昨年の11月に心行くまで故郷の懐に抱かれた私は、恋焦がれていた故郷への想いは、消化できた。

 

17年間の故郷より、既に60年の時を経ている東京に第二の故郷心を求めて行く必要性を感じるに、昨年の帰郷を契機に、私の中で、一つの変化が生まれた。

 

今、私はやっと、自分の心に着地点を見出い出したと想っている。

2023年

1月

02日

仕事始め

世間では、1月2日はまだ、のんびりと新型コロナの規制緩和により、それぞれが久しぶりのお正月を楽しんでいると推察できる。

 

私は、いつもの3が日に済ませる昨年度末の資料や紙資源の整理、断捨離を済ませ、次なる果たせなかった目標に向き合うことができた。

 

実は、昨年来よりオーバーワークの徒歩による筋肉疲労が、永年続けていた生活スタイルを変えてしまった。

 

些日回復の兆しが見えてきた私は、昨年来の持ち越しになっている目標に

先ず、手を付けようと、世間の常識に逆らって、「今日が私の仕事初め」と決めた。

 

昨年来より達成してない「読むカフェ」への投稿である。

昨年の年初には、私の手帳の予定表には、毎月「読むカフェ」が記載されていた。

 

言い訳はしたくないが、投資マンションの理事長として、これまでの管理管理会社の不備、理事長としての責任を追求していくあまり、私は心身ともに、体調のシグナルを発するまで至り、ドクターストップがかかった。

 

私の置かれている環境から鑑みると、昨年の有利老人ホームの入居の問題にしても、それなりの理由があってのことと、私自身解決済みである。

 

それならば、今後如何に残された人生を生きていくかという問題である。

私が、出した結論は、これまでの生活環境を健康上、問題がない限りは、

これまで通りに生活していこうと想った。

 

昨年の帰郷も、今から考えると、故郷に別れを告げることができるほどの

素晴らしい帰郷であったと、新しい年を迎え、帰郷への想いは鎮まった。

 

そして、新しい年、2023年に迎えるにあたり、私は自分の想いを文字化することに集中したいと想った。

 

先ず、昨年の2月からストップしている「読むカフェ」の投稿を始めとする一連の繋がりを復活することを目標にしたいと資料の整理を始めている。

 

採用されるかどうかの、ハラハラ感が私には適度の緊張感がある種の生きがいになると改めて、気が付いた私は、やっと新しい年を迎えた。

 

つまり、今日が私の仕事始めと言える。

2023年

1月

01日

元日の空を見あげて

新しい年を迎えたが、いつものように6時30分に新聞を取りに、廊下から

見あげた空が、分厚く重苦しい黒に近い雲が、空一杯に広がっていた。

 

昨年より新聞の部数が少なくなっているのが、厚さや重さで分かった。

3年間の新型コロナウイルス禍の社会を流れを体験してきた経緯の結果が、

掲載されている記事からもくみ取れる。

 

3年間の時は、もはやお正月の華やいだ雰囲気はなく、未来を背負う次世代の記事が多く見られた。

 

記事から、現実と向き合うエネルギーを感じた私は、些か、時代に取り残されてしまうのだろうかと、先ほどの重苦しい雲が頭を過った。

 

カーテン越しに新年の強い日差しが差し込み、慌ててベランダに出て、空を見あげると、薄く白い真綿のような雲間を縫って、強い太陽の日差しを

感じ、思い切り、新年の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

鼻腔をツーンと冷たい空気が潜り抜けたが、清々しく凛とした気持ちになった私は、今年はどんな年になるだろうかと想いを巡らした。

 

時間を追って、明るさを増してくる部屋に、近所の公園までぐらいならと

靴を履こうとしたが、一寸、ふっくらとした右足に靴は無理だった。

 

仕方なく、サンダル履きで出かけた公園から見上げた空には、雲一つなく故郷の空に劣らない素晴らしい青空が広がっていた。

 

空をつく抜けるように数本の裸木が、空を突き抜けんばかりに真っ直ぐに

枝を広げた伸びやかさに、私は、暫く青空と裸木を見あげていた。

 

公園の佇まいの中に包まれていく自分を感じていた。