2022年

2月

28日

置かれた場所

自分としては、昨日の終の住み処について、信頼している不動産会社からの返事は全く、まるで打ち合わせをしたかのような回答に納得していた。

 

今朝は、既に「春が来た」ような、陽気に、気持ちも晴れ晴れとして、散歩も足取りが軽く、毎日、こんな日が続くといいなあと空を見上げた。

 

空を見ると、ふるさとの空「あさくちブルー」と、ついつい我が住まいと決めたはずの東京の空と比較している自分に気が付く。

 

友人からは「断捨離のマリ子」と言われているが、実は、ふるさとの鴨方ではないが、観光地で知られる倉敷市内にある2か所の住宅型有料法人の

資料が、机の奥に収めたままである。

 

どちらも医療施設が母体のために、安心ではあり、近年は東京からの移住者が多いとの担当者からの、案内に、心は揺れ動いたものだが、既に私は

社会的に何ら、ふるさとの地に役立つよりはお荷物になる存在である。

 

分かっちゃいるけど、なかなか、ウロチョロしている自分が情けない。

 

午前中張りきって、動き過ぎたせいか、頭の回転が回らなくなったので、

早めに読者タイムに切り替えた。

 

山陽本線で4年間通学していた、ミッションスクールの素晴らしい指導者でいらした渡辺和子著の「置かれた場所で咲きなさい」を、先日、図書館のリサイクルコーナーで、見つけた私は、何か巡り合わせと想った。

 

まだ、私が在学中は、渡辺先生は岡山に赴任なさる前で、東京でお目にかかる機会が多く、状況の際も、私にボランティアの必要性、重要性を指導して下さったのである。

 

現在、私がライフワークともいえる「ボランティア」を続けることが出来たのは、如何に渡辺先生の存在が大きかっただろうか。

 

何処からか、聞こえて来ます。

「淺野さん、あなたの置かれた場所はどこか、分かっていますよね。あなたが咲く場所はどこかということを」

 

しっかりと何処に私は根を下ろしていくべきか、改めて学び直した。

 

明日は三月「別れと始まり」の月を迎えるが、大変意義ある言葉であり、

私も年齢的に「別れと始まり」を間もなく迎えるのである。

2022年

2月

27日

終の住み処

2月25日の日本経済新聞第二部に、「人生100年の羅針盤」を、今日、ゆっくりと目を通す時間が出来た。

 

というのは第二部に高齢者の住まい選びのポイントとして、高齢者ホームを取り上げている。

 

最近、特に、有料老人ホームの広告が盛んに掲載されている。

実は、私も、終の住み処について、考えることが多くなった。

 

というのは、全くの身内のいない私は、何かが起きた時の不安を覚えるようになってきた。

 

昨年末から、終の住み処について真剣に考え、情報を入手する作業に取り掛かった。

 

弁護士、税理士を始め、信用している不動産会社にも相談するが、東京の金額には太刀打ちできないことと、僅か、17年であったが、何故か私には、60年近い東京の生活より、ふるさとの方が忘れないのである。コロナ禍も容赦なくふるさとも免れることなく、2020年3月をもって、心の中でそっとふるさとに永遠の別れを告げたのである。。

 

紹介されている「京都、ゆうゆうの里」には、病院ボランティアで、「お話し相手」という関わり方をて来た、私に依頼に、入居者に対して、一日も話をしないでいる利用者のために、「話し相手」としての必要を紹介する仕事であった。

 

汗がじっとして滲みでる夏のある日、訪ねた「京都、ゆうゆうの里」は、近年まで倉本聰氏によるテレビドラマ「安らぎの郷」と言えば、理解しやすい素晴らしい、個人の人生を大切にした施設で在った。

各人の白い独立した住まいに、私は魅力を感じた。

 

丁寧な支配人からの有料老人ホームの姿勢を伺い、後に宇治駅前の喫茶店で喉を潤した宇治茶の味は今も、残っている。

 

情報溢れる東京の生活には、未練はなく、ふるさとのシニア介護住宅を希望したが、果たして、60年近くの東京での生活の実績を棒にして、唯、

ふるさとというだけは、賭けに近い。

 

まして、高齢になってからの住まいを変えるということは、認知症にもなりかねないといわれている。

 

いずれにしても、身内のいない独り者は、やはり60年住み慣れた「東京砂漠」で生きていくしかないかと、考えている。

 

「砂漠にオアシスを求める」といった日々を続けていくしかないと。

2022年

2月

26日

カラカラ天気

今日、2・26事件の事件として、無くなった父親は東京本社と、当時神戸支店長だった父親からは克明に、情報交換があったと聞く。

 

2・26は、前日の雪の降雪がひどい中を、父親は本店に書類を届けたという責任感からで、本店に書類を届けたという苦労話を聞かされた。

 

上京後の非力な私をと寄ってきたのは、あの父親にとっては、自分を含め

母親のがんへの不安もあっての、考えての考えての行動だったと思う。

 

何不自由なく育って私を頼るということは、父親にとっては、どんなにか自分の嘗てのプライドや捨ててまでも、私と同居する気持ちが痛いほど分かる。

 

友人の一人が、今日が誕生日で、お祝いのメールからかえってきた。

「真っ青な空に、今日一日頑張ります」と返信を受け取った。

 

1936年の積雪した大雪の日とは異なり、天気予報士によれば、今冬最高の、15%と言われるカラカラの乾燥日だそうだ。

 

然し、友人のメールのように、ふるさとの「あさくちブルー」に引けを取らない「真っ青な空」である。

 

空は綺麗に比べ、人間社会は何となく「きな臭い世界」になりつつあるようで、コロナ禍も収束しない中で、心がカサカサになりつつある人間社会に私は、水分補給では済まされない不安を感じてしまう。

 

人は平穏な世界に対して、逆に何かを起こさないと、生きている業とか性のようなものを持ち合わせているのだろうか。

 

全く、他人様にお世話になる立場の私は、友人から、一人で結論を見出せるのは羨ましいといったが、私にとっては、出来るだけ、他人様にお世話にならずに、自分の人生を締めくくりたいと願っていると、眠れずに、胃が痛くのである。

2022年

2月

25日

捨てられないもの

今のところ、就寝前の読書タイムが続いている。

 

今月、23日に芸術院新会員になられた、五木寛之著「捨てない生き方」がリクエストしていた図書館から今日25日に連絡があった。

 

「断捨離」好きで、「捨て魔」とまで言われている私は、編集者時代に、

五木先生とは数度、お目にかかる機会があり、先生の「捨てない」生き方に関心があった。

 

恐らく、一気に読んでしまうだろうなと予想通り、読み終えてしまった。

 

読み終えて、私にも「捨てられないの」がある。

 

一昨年前の脳外科の手術時に、現在も継続しているが、入院患者以外は、

家族でも病棟にも入れず、お見舞いも許可されない状態が続いている。

 

それ以前に、私は緊急入院で、しかも身内がいないために、何一つ持たずに、当時仕事をしている友人に、事情を話して、最低の入院生活に必要なものを、就寝時間近くに持ってきてくれた。

 

その友人は、気持ちが落ち込んでいると私を案じて、少しでも明るくなる様にと察して、酉年だからと言って、可愛い雛が並んでいるタオルを見せながら、「実はこれ、一寸使っているけれども、糊が落ちて、柔らかく使いやすいから」と、気遣いながら私に差し出した。

 

彼これ30年近く前であるが、未だに私は友人からの「一枚のタオル」だけは「捨てられない」のである。

 

五木先生は、その時その時の人生には必ず、大切に「捨てない」でいるのは、「歴史」があるからだと著しているように受け取った。

 

読み終わった朝、「捨てられない一枚のタオル」を取り出し、既に、セピア色に変わって居るが、「タオル」としての感触は残っていた。

2022年

2月

24日

アゲインスト

「アゲインスト」と言えば、ゴルフでは、逆風に向かって、どこまで飛距離を伸ばすか、フォローとでは、非常な風向きである。

 

今の私はゴルフ三昧の日曜日から、縁が無くなった生活を送っている。

 

偶々、午前中に約束があり、豪雪地帯の影響を受けた東京は、澄み切った青空に足元を抄われそうな北風に向かって、急ぎ足になった。

 

ゴルフ場では、アゲインストの際に、負けて手はならじと、逆に力は入り

結果的に、逆に飛距離は伸びないという経験をしている。

 

今日の約束は、ゴルフではないが、ともすればアゲインストの強風に、後ずさりするといった状況である。

 

日差しを選んで歩くも、アゲインストの強風に、大人しくアゲインストの風を選んで、静まるまで待つしかになかった。

 

此処で、強風のために約束をキャンセルすることは簡単である。

然し、この強風は私だけでないものである。

 

自分勝手な理由で、相手もあるわけで、アゲインストにも負けない自信をつけるために、心身共に対する「問いかけ」と想った。

 

約束を果たした私は、フォローになると想っていた予想は見事に裏切られ、アゲインストだった。

 

既に春の訪れを感じる日差しだというのに、自然は人の英知では計り知れない脅威に対して、何時収束するともわからないコロナ禍をはじめとして

人はもっと、自然に対して、謙虚に向き合う姿勢を問われているのかなと想ったのである。

2022年

2月

23日

富士のお山も寒いでしょ

今朝は定時の時刻に起きられない。

今日は「祝日だからいいんじゃない」という囁きに、素直に従ったものの15分だけ延長して、起きることにした。

 

お陰様で、抗生物質も今朝で飲み終わることを思いだし、折角規則正しい服用を続けた効果が、覿面であった。

 

エレベーターで、「今日は富士山の日」で、この時期、よく望めることから、語呂合わせも併せて名付けられたそうだ。

 

思わず、「頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして」と口ずさんだところで、北陸東北地方の経験のないような豪雪が続いている住民の苦労に対して、一寸、自分の無神経さを恥じた。

 

最高峰から見る豪雪地帯はどのように見えているのだろうかと思いを馳せたものの、恐らく下界はホワイトアウトの状態ではないだろうか。

 

更に2番目に「からだに雪のきものきて」と続き、巌谷小波の作詞は素晴らしい表現だが、今年はちょっとその作詞の良さが通じないほどの、ひどい降雪状態である。

 

1985年、美術の仕事で訪れた、新潟の豪雪地帯で知られる津南地方が、今朝から4メートルを超える積雪の報道が、何度も流れている。

 

縁のある土地だけに、「ふじの山」を歌える気持ちにはならなくなった。

 

週末には、低温状態も改善方向にむかうとの予報に期待するより、天を仰ぐより仕方がない日々が続いている。

 

瀬戸内の温暖なわがふるさとも、10日連続の真冬の寒さが続いているとの

報道に、どうやら全国的に強い強い冬将軍が居座っているのである。

 

新潟県糸魚川出身の相馬御風による「春よ来い 早く来い」に込められた雪解けが、如何に待ち遠しかが分かる。

2022年

2月

22日

難しい言語表現

リクエストした図書の返却が迫り、昨晩から今日は時間が許す限り、必死に読んだ。

 

というのは、既に次の利用者が待機しているために、もし、次回の利用者がいなければ、2週間のワンクールの延長ができるのだが、出来なかった。

 

時間のゆとりができたので、枯渇してきた知識補給のために、無性に本が読みたくなったきた。

 

読書に励んでも、注意しているのは、読み終えた図書というか、著者の表現が頭に残って点に注意をしている。

 

何故ならば、気が付くと、読み終えた著書の表現がつい浮かんでくるから

出来るだけ、苦しみながらも、自分の言葉を見出して、表現したいと想っている。

 

本題の返却しなければならない図書とは、2021年12月17日、岩波書店から刊行された新書の今野真二著「うつりゆく日本語をよむーことばが壊れる前に」である。

 

現在、私は下手の横好きで、ブログを毎日続けている。

今回、今野真二氏は著書の中で、「話しことば」「書きことば」「打ちことば」の3点を著わしている。

 

「書く」作業というのは、前者の2点に加えて、パソコンを始め、スマホ等々による表現が一つ加わったことに、今まで、時代の流れとして、至極当然のように思い込んでいたが、「打ちことば」が存在する。

 

更に、私がこれから脳活のために、目標にしようと決心したことに対して

的確な指摘をしている。

 

許可なく紹介掲載するのは、違反かと案じながらも、文章表現において、

大変貴重な参考するに値するので、お許しいただきたい。。

 

言語表現に関していえば「書き手」が「読み手」を想定し、意識することは必要であるので、それはいい。しかし過剰に「読み手」側に寄り添い、

「読み手」側に先まわりすることによって、「書き手」と「読み手」との境界線が曖昧になることもある。(原文)

 

私はこの部分に、身が引き締まる想いで、目覚めたのである。

今後の私にとって、「バイブル」的存在を意味している。

 

唯、新聞に対する事例が、出来れば一紙だけでなく、他紙との表現の比較差を記述してほしかった。

 

返却期限に迫られての慌てて読んだせいもあるので、今後も継続して読み込んでいかないと、私は多くの難解な箇所を残しているので、落ち着いて時間をかけて読み込んでいきたいと想っている。

2022年

2月

21日

変わりゆく街並み

確かな記憶ではないので、自信はないが、先週、新築マンションが歩留まり傾向にあると。

 

いわゆるマンションでは、区分所有者による理事会で、問題定義に対して

担当の理事が、いろいろな提案された事案に対して、検討する会議が、年に数回から多くは3か月に一回は開催するとか、ケースバイケースだ。

 

昨晩は我がマンションも、来月の総会開催に向けて、今年度最後の理事会を開催した。

 

現在東京は、コロナ禍後、転出傾向にあるとの報道に、人口減少になると単純に考えるには信じがたいのである。

 

東京オリンピック開催前は、ホテルチェーンが、あれよあれよという間に

林立して、嘗ての建物が何であったか、全くお思いだせなく、見上げるような高層建築を、唯々、見上げていた。

 

ところがオリンピックの開催が一年延期になって、林立していたホテルによっては「休館」の張り紙が張られ、営業中の客室にも、明かりが見えない静まった状況である。

 

と、いうのは、夏場の散歩は暑さが収まったころの8時過ぎの時間帯なので

宿泊利用者をある程度、確認できた。

 

他人事ながら、極端だが、一人でも宿泊者がいれば、稼働しなければならないだろうなあと、大変だなあと察していた。

 

やがて、東京オリンピックと同時に、今度はホテルからマンションの建築の勢いに、これもあれよあれよといったスピードで、進んでいる。

 

しかも、ホテル並みに高層建築が多く、散歩していると、わが地区は分譲より賃貸のスタイルが多いように思える。

 

寧ろ、新築分譲マンションは、わが地区より静寂な土地の傾向にある。

 

また、高齢化社会と、相続の問題等々、家庭の事情で、介護付きのシニア住宅の案内も多く見るようになった。

 

不動産と言われていたが、現在は「動産」に変わりつ時代になりつつあるように想った。

 

高齢化が進み、健康な高齢者や、私のように、一人住まいなど、住まいに対する多様性の時代になりつつあるのではないだろうか。

 

然し、50年近く住んでいる懐かしい街並みがどんどん、跡形もなく消えていく寂しさを感じている。

2022年

2月

20日

ふるさとに雪が降る

夜半の雨で、今朝の空は大変重苦しく厚い雲で、ご機嫌斜めな日曜日。

 

今日も、散歩は様子眺めだなと思い、いつものように、メールボックスを

開くと、昨日は24節気の一つ、「雨水」である。

 

やっと、春が来ると気持ちが明るくなる楽しみに繋がる日である。

 

然し、ふるさとからのメールには、朝から横殴りの雪が降っている風景に

「信じられない、温暖で、霜柱の経験は記憶にあるが、雪が降ったという

情景とは想像できない」と。

 

メールによれば、炬燵で丸くなっているかどうかは、想像の域であるが、

炬燵とは、懐かしく思った。

 

「都心でも降るぞ、降るぞ」と掛け声はあるものの、お陰様で午後には、太陽が遠慮がちにひっこりと顔を出し始めた。

 

この機会を逃してはと、散歩に出かけると、意外に風がなく体感的に寒さを感じずに、一回りしているうちに、また、ご機嫌が悪くなり、パラパラと傘をさすほどではないが、雨雲が空を覆っていた。

 

今年は何だか、気候がとても異常であり、先ず、私は、暫くご無沙汰していたふるさとの母校と、お山を挟んで、お隣の小学校のブログは、雪風景

がupされていた。

 

更に、東京では路地でも既に白梅は満開で甘い香りを漂わせているというのに、ふるさとの梅の蕾は数輪咲き始めているが、まだお口が固いように見える。

 

「梅」の開花の次には、ふるさとの美味しいピンクの「桃」の花が咲くと

聞いているが、今年の「桃の木」は、じっと寒さに耐えているのだろうかと想うと、異常気象の成せる現象なのだろうか。

 

読書を済ませ、就寝しようと、カーテンを開けたら、目の前に、17日の

満月から、かなりスリムになったお月様が、煌々と輝いていた。

2022年

2月

19日

21時からの読書タイム

毎日が日曜日で、コロナ禍で、嘗てのようには自由な行動を控えるようになった私は、「ラジオ深夜便」を聞くような、聞かないようなスタイルを続けていた。

 

今年になって、新聞の活字以外に物足りなさを感じ、隣の図書館で、出来るだけ、読みたい本をリクエストしている。

 

メールで、図書館からの連絡が入ると、隣接ではあるものの、即座に、受け取りに行くのが楽しみである。

 

幸いにも、マンションには「USEN」の設備があるため、今もUSENから流れて来る音楽を聴きながら、パソコンに向かって打ち込んでいる。

 

恵まれた環境を利用して、最近は、音楽をかけて、夜の9時から12時までを限度にして、読書をするように、生活のスタイル、リズムを変えた。

 

寄る年波で、眼鏡をかけて本を読まなければならないのが、一寸、辛いが

ついつい、引き込まれて、気にならなくなった。

 

傾向としては、小説を読むより、エッセイの方が好みでもあり、ヒントや

次に学ぶ材料を提供してくれるからでもある。

 

また、納得や快哉をを叫びたく本に出合う喜びは尽くしがたい。

 

昨夜、読んでいた松浦弥太郎氏の先月27日に、刊行したばかりのマガジンハウス新書「新100の基本 松浦弥太郎のベーシックノート」に、『机の上に何も置かない 白い紙から仕事を始める」との記述に、思わず、私は同感であり、うなずいていた。

 

現在、図書館より4冊の本が、ページを開くのを今夜も待っているようだ。

 

お陰様で、乾燥しきっていた私の頭脳が少しづつ潤ってきたようだ。

2022年

2月

18日

どんがら汁

コロナ禍、嘗ては東京都内の各地で、ふるさとの自慢の産物や伝統料理を地域の公園などを開放して、にぎやかな特産物の出店で賑わっていた。

 

然し、今は、逆に、これまでの人との繋がりを容赦なく断ち切るのを止む無くする時代が続いている。

 

彼これ、20年近く前に、江戸川区か、江東区か、記憶は飛んでいるが、今日のように、極寒の冬晴れの日である。

 

友人から、「どんがら汁」を食べに行かないと誘われ、私は想像もつかないまま、友人と出かけた。

 

途中で、山形の庄内地方では、極寒の続く季節、旬の脂ののった「寒鱈」

を丸ごと、ぶつ切りにして、内臓など余すところなく全てを鍋にいれて、晦日、酒かすで煮込んだところを、フウフウ言いながら、食べるという。

 

今日は、それを都内在住の出身や、都内の人に振舞ってくれるという催しである。

 

「どんがら汁」の店の前は、凡そ50人以上の人が、寒さに背中を丸めながらも辛抱強くまっている。

 

如何に美味しく人気のほどが分かる。

やがて、中身は白い切り身とやはり口に入れると、優しく溶けてしまいそうな白い肝が、何とも言えずに、熱いのに味がしっかりとしている。

 

瀬戸内で生まれの私には、想像もつかないダイナミックな方法で捌いた冬の味覚に、身も心も温まった、思い出を懐かしく思いだした。

 

昨日17日の日本経済新聞の朝刊のコラム欄「春秋」に「どんがら汁」の

掲載を見つけ、何時になったら、また、楽しく集い、明るい笑顔の日が

戻ってくるのだうかと、想った。

 

素晴らしい郷土の旬を生かした伝統料理さえ、このまま、コロナがしぶとく居座るようであれば、未来の子どもたちのために、機会を作れるようにしたいものだ。。

 

「鱈」は字が示す通り、冬であり、私のふるさとの岡山では、市場でも、先ず春の訪れを告げるのは、岡山の鰆かと言われているそうだ。

2022年

2月

17日

スノームーンを見逃す

定時に起きた途端、昨夜からの体調不良のシグナルが分かった。

 

水疱瘡の菌は死滅することなく、体を駆け巡っているそうだが、久しぶりに、顔を出したのである。

 

コロナ禍に於いて、免疫力の低下には留意しなければならない状況下のため、主治医の先生から、予備として抗生物質を手元に保有している。

 

朝から、服用して、回復を待つだけである。

幸い、熱もなく、予定通りに過ごせるとホッとする。

 

今年の「啓蟄」は5日であるが、私はその翌日の6日に77歳を迎える。

不思議に、誕生日が近づくにつれ、大体「啓蟄」生まれの私は身の回りを点検する習性というか、バイオリズムが、生じるのである。

 

昨年、私は、転居して間もなく、11年を迎える自宅のマンションの修理に

後半は費やされ、他にも思いがけない出来事が重なり、心身ともに、疲れ果て、ホテルでのリセットする日々が続いた。

 

新築ではないが、建築当時から気にいっていたマンションなので、3月11日の東日本大震災の際に、自宅のペンシルビルの修繕費の予想を上回る改装費を機に、偶然にも空室情報に私は、思い出のある自宅を手放した。

 

転居時に長年の荷物を整理していたので、一人住まいの私にはコンパクトな生活をしてきた。

 

ところが、転居後、10年を過ぎたころから、各所に故障が生じてきた。

 

30年を過ぎた住まいに、今、「修理」という問題について、私も、気が付かなかったのであるが、残念ながら、当時の部品はなく、「修理」ではなく、「リニューアル」[リフォーム」をしなければならないのである。

 

例えば、パッキングの交換ではなく、全ての器具を新しい仕様書のもとで総交換をしなけれならないのである。

 

コロナ禍もあってか、交換部品の入手にも時間がかかるといった事情もあり、私の体力が限界に達してしまった半年間を振り返ると、悔しく、残念至極である。

 

世間でいえば、77歳は「喜寿」と言われている。

そのために、私は77歳を機に、快適で安心な日々を過ごしたいとの想いが強くなり、スリムというか、身軽になりたいと、真剣に思い始めた。

 

弁護士や税理士に相談後、ある行動に移す決意をしている。

 

恐らく、その心労もあり、体調不良になったと察せられる。

 

第一歩として、午後、私の計画についての、説明を受けた私は、ある程度

納得のいく打ち合わせだった。

 

ほっとして、緊張から解放された私は、気が付くと、眠り込んでしまったのである。

 

そうだ、今夜は楽しみにしていた2月の満月「スノームーン」だと、外に出て、いろいろな場所から、夜空を見上げて探すも、機会を逃した。

 

来年は忘れないで、「スノームーン」を見たいと思っている。

2022年

2月

16日

午前と午後

2022年1月17日から、ゆうちょ銀行のサービスが一部料金の新設と改定のお知らせのパンフレットを、手放せなくなった。

確認しながら、今日も、近くの郵便局に出かけた。

 

ATMの前で、改めて確認している自分に、やはり歳は取りたくないなあと

思うが、これが現実である。

 

通帳の記載が済むと、散歩をかねて時には、2か所のスーパーを利用するとちょうど、昼食の時間帯になる。

 

先月末の区の健康診断の検査結果が届き、自炊の怠慢が明確に表れているので、初心に戻ることにした。

 

天気予報では、今日は天気が優れないという予報があったが、夕刻、約束があり、散歩をかねて出かけた。

 

凡そ、小一時間であったが、午前中より、気温が上昇、空には今にも降り出しそうな黒い雲が、私を追いかけてきた。

 

足早に自宅に帰る私は、急に足が地につかないというか、真っ直ぐに歩いているつもりだが、体も左右に揺れている。

 

瞬時に、嫌な予感が頭をかすめたが、取り敢えず、自宅にたどり着いた。

 

冷えた体を熱いお茶と、更にコーヒーを飲んでもなかなか、体に温もりを

取り戻せない。

 

今日は、天気予報通りに変化のある一日だったと、スマホを開くと、今日は「天気図記念日」だそうだ。

 

エレベーターで、いつものように、「今日は何の日」での知識である。

因みに、1883年、ドイツの気象学者の指導で、日本初の7色入りの天気図が作成されたと、ある。

 

PCで、天気図を確認するも、今の季節では7色の天気図には程遠い季節だと、ますます、体調の異常を感じた。

 

今夜の様子では、明日、病院に行かなければと思いながら、就寝した。

2022年

2月

15日

リスキリング

コロナ禍と、私の社会的定年が始まり、このままでは、ただの「おこもり老人」になるしかないと、何か、私の生きがいというか、得意というには烏滸がましいが、肉親のいない独居老人としては真剣な問題である。

 

さて、何をして脳活に努めるかと言えば、ブログで表現しているように、「下手の横好き」と言われても、続けていくことしかないと考えた。

 

メジャーでもなく文章表現にも未熟で、欠如している私には、時代の編集者によって、「リスキリング」と言われる「学び直し」しか残されていないのである。

 

時代も変わり、編集者も世代交代であり、カラバゴス的な私の表現が、報われることは少ない。

 

然し、私は自己顕示欲とか、目立ちたいなんて言う想いはなく、現代における未熟な時代を指摘、指導してほしいという己を知った考えである。

 

当初、2022年の1月から投稿、指導を仰ぐつもりでいたが、体調が優れず目標より一か月遅れで、兼ねてよりの私の「魂」ともいわれる想いを投稿するに至った。

 

昨日、これまでの2回の投稿で採用された幻冬舎「読むカフェ」に採用され、今回は「白のカラーシャツ・ブラウス」としてアップされた。

 

何よりも嬉しい編集者からの連絡に、北陸地方では「春一番」の報に、夕刻8時過ぎに、見上げた東京の冬空に、満月とも見違える煌々とした月の輝きに、私の喜びを代表しているようだった。

2022年

2月

14日

食らいつく

連日、北京冬季オリンピックの日本選手の活躍に、胸をときめかせ、ハラハラドキドキする競技が続いている。

 

私は現在、テレビによる視覚から、ラジオによる聴覚により、個人差があるかと思っている。

 

競技に対して、私は、当初は我慢していたが、どうしても、耳障りにしか

聞こえない女子アナウンサーによる実況、更にニュースでも使用している

表現に、抵抗を感じるのである。

 

その言葉は、競技が肉薄した時に、表現する「食らいつく」という表現である。

 

現在は、男女参画基準法とか、男女の性差を超えるという時代に、変わりつつあることを承知で、私は、古い過去の時代と想われても、納得がいかない表現なのである。

 

検索しても、一切、私が求めている回答は見出すことは不可能であると、

知った。

 

ビジネスの上でも、男女が平等であるということは、人格的な問題であると自覚しているからだ。

 

例えば、結婚して、子どもが生まれた時に、私は二人の愛情に成り立った

宝物であるゆえに、子育てのために育休を取ることは、二人の共通資産に

責任を持つことが大切だと想っている。

 

嘗て、母校で、「子どもはブランド」といった提案をした私は、世間が

考えている商品的なブランドを意味するのではないと。

 

既に、結婚して、子どもが生まれた時に、どのような子どもに成長してほしいか、家族で、生れた子どもに名付けることが、既に世界に一つしかない「ブランド」だと、保護者を前に話をした経緯がある。

 

メールやプレゼンでも分かる様に、「言葉はある時は凶器にもなりかねない」のである。

 

どんなそれこそ、素晴らしいドレスアップしていても、言葉によっては、その品格が見抜かれる恐れがある。

 

「品格」という言葉も、今の時代には死語になりつつあるのかなあ。

2022年

2月

13日

ウマズラハギノの気持ち

昨日は忙しいというか、充実していたかは、私にも複雑な想いが走る。

 

というのは、友人が帰宅後、12日の日本経済新聞の夕刊に、先月ブログで

取り上げた「富山産のカワハギ(ウマズラカワハギ)」に関係する記事を読んだ。

 

記事によれば、富山湾を代表するブランド魚「ウマズラカワハギ」の生態研究のために、県の指導により、電子標識「アーカイルバルタグ」を使って、生産量の落ちた近年の状況を、県の水産研究所が調査をするといった

内容である。

 

その標識を装着した僅か20匹を、魚津市内に放流したそうだ。

 

その標識であるタグをつけた「お尋ね者」を捕まえてほしいとのコメントが記載されている。

 

この記事を読んで、私の自宅には、連日の如く、時間構わず、名も知らぬ

不動産業者の電話が、不思議にも固定電話にかかってくるのである。

 

ブログで、おこもり生活をしているので、気が付くと、終日、声を発しない生活で、私は自己責任で留守電に敢えて応じているのである。

 

まあ、まるで、ゾンビのように、過去の不動産に対しても、問い合わせが

来るといった状態である。

 

健康のためと、相手の立場を考えて、決して感情的に接することは控えて

いるが、私も富山湾の「カワハギ(ウマズラハギ)」と同じように、タグをつけられているのと、左程の違いがないように思う。

 

個人情報が守られるとか、云々言っているが、ざる抜け状態である。

 

処で、私はスーパーに行くと必ず鮮魚コーナーで、「お刺身コーナー」に立ち寄るのだが、「紋甲イカ」を扱っているのを、見かけなくなって、凡そ、10年近くなっているが、「紋甲イカ」の生態状況を案じている。

 

先ほども散歩の帰りに立ち寄ったが、私の思い出の「紋甲イカ」は何処や

タグを装着する時代に、自然は鋭く生き残るための英知を働かせているのではないだろうか。

2022年

2月

12日

スケジュールがいっぱい

2022年になって、今日の手帳は珍しく現役時代のように、スケジュールで埋まっている。

 

やはり、気持ちにスイッチが入り、年甲斐もなくハイパワーになっている自分本来の性分が残っていることに、安堵感も覚える。

 

前々日の10日に、リクエストしていた養老孟司著「ヒトの壁」の連絡があり、即座に引き取りに行って、一刻も早く読みたかった。

 

残念ながら、10日の「頑張り」が影響したためか、睡魔に勝てなかった。

 

養老先生には、2002年、仕事でお目にかかり、飄々とした部分が魅力的で

貴重な機会に恵まれた大切な思い出になっている。

 

11日の夜は、睡魔に襲われることなく、目はぱっちりと、どんどんページが進んで、最後まで読み切った。

 

あとがきに、18年ともに過ごした猫の「まる」との写真が掲載されているのだが、書斎で「まる」を見つめる温かい眼差しに、如何に心が通じ合っていた歴史が写真からもくみ取れた。

 

主客転倒とも受け取られるほどの存在感のある猫「まる」だと想った。

 

別に猫からの発想ではないが、自宅での生活スタイルに、白のカラーシャツ・ブラウス」に厚手のセーターを着用して、毛玉ができることを、私は初めて経験した。

 

量販店で早速「毛玉取り器」を買い求め、今夜はトライしようと楽しみにしていた。

 

その足で、友人が明日までグループ展で、「ねこと虎」がテーマで、つい

今朝まで読んでいた「まる」の存在を思いだしながら出かけた。

 

途中で見上げた青空に、ふっくらとした昼間の白い月が、とても綺麗だ。

 

今日は、1809年奴隷解放宣言をしたアメリカの大統領のリンカーンの誕生日と知った。

 

夕刻は、久しぶりに感染対策、換気等々に気を付けて、友人との食事の約束と続き、実に、スケージュールいっぱいの一日を過ごした。

2022年

2月

11日

スーパーマーケットのチラシ

最近、不動産関係を始め、郵便受けに広告のチラシが増えているように思いませんか。

 

最近、既に、景気回復の途上を見越してか、毎日、チラシに目を通すのも楽しみとなりつつある。

 

いつも行きつけのスーパーで出会う友人が、「今日は、今年初めての初午の日だから、あなたも『いなりずし』を買ったら」と勧められた。

 

友人曰く、「毎日、オミクロン株に神経質になって、せめて、福を呼び寄せなければ、チラシを見るまで、初午の日とは気が付かなかったわよ」と

言われて、私だけでなく、案外スパーマーケットのチラシを見ている人は

多いのではないかと思った。

 

確かに、暇なようでいて、忙しくもあるといった私は日常生活を過ごして

いるが、チラシで世の中の動きを感じることもできるなあと。

 

嘗て、編集者時代に、新聞に目を通す時、見落としそうな小さな記事には

結構、ヒントになる内容が記事になっていると、指導された。

 

そういわれて、私の手元に、乱暴に切り抜いた記事がある。

1月25日の日本経済新聞の朝刊に、文部科学省が2022年度から5カ年計画で、公立の小中学校の全てで、図書館に複数の新聞を置くようにと、全国の教育委員会に通知したという記事の内容である。

 

新型コロナウイルス発症時の緊急事態宣言時だったか、解除後だったかは

記憶が飛んでいるが、図書館の新聞が全て閲覧台から、取り除かれていたのである。

 

今は、復活しているが、入室する前に、検温と消毒の利用で気楽になったが、利用可能な時間は、僅か、15分という規制は解除されていない。

 

処で、私は「いなりずし」を購入しないまま、帰宅したので「福」から、

見放されたかとも知れないなと思ったが、改めて購入する意欲もなく、冷蔵庫の食材で済ませた地味な建国記念日の祝日を済ませた。

2022年

2月

10日

今日しかない

天気予報の通り、朝から大人しく巣ごもりで、今日はやり過ごすしかないと決めた。

 

が、気になっているというか、気が咎めている約束を、昨年末から未だに

ずるずると、引き伸ばしている。

 

新しい年を迎え、第一目標に掲げ、奮起するも、今一つ、弾みがつかなく

一月も過ぎ、既に2月も三分の一が過ぎた。

 

何時から私は、なんて情けなくなったのだろうと嘆いても始まらない。

 

ところが、今日の私は、天候のせいもあり、8時過ぎから、今日は絶対に

頑張り抜こうという意欲が、体から伝わってくるのを覚えた。

 

では、やりましょうかと、相棒のパソコンにも、活を入れて、始めるや、

お陰様で、事前に頭の中にインプットされていた材料が、順調にするすると、滞りなく進んでいく。

 

この心地よい緊張が途切れないことを願いながら、作業を続けた。

 

以前から、私は、チェストの上で、立ったままの状態で、パソコンに向かって、早や、10年になる。

 

丁度、身長と、チェストの高さがマッチしているので、前傾姿勢にならず

背筋を伸ばしてパソコンに文字を打ち込めるのである。

 

作業の纏めが近づいた頃、足の脹脛の張りに気が付いた。

 

これまでになく、異常なまでの足の重さを感じたと、同時に、最近の私は

寒さを理由に、散歩を目標の半分しか実行していないと、分かった。

 

リハビリを一日休むと、取り戻すのに、プラスワンで、結局、2日分をクリアしなければいけないと、聞いたが、全くその通り、如実に、表れてしまった。

 

外は、雪とも霙ともつかない状態が続いているので、今日は、目標の一つを片付けたという達成感、満足感で、お終いにしようと。

 

明日という日があるではないかと、「頑張らないで頑張れば良し」と、しかも「やり遂げたのだから」と、言い聞かせ、早々に、電気毛布をスイッチオンにして、ベッドに潜り込んだ。

 

温まってきたせいか、いつの間にか、パンパンの足の張りもなくなった。

 

今日の頑張りが報われればと想いながら、既に次の目標を考えていた。

2022年

2月

09日

素敵な女性

この季節、夜でも甘い独特の香りに、自宅の前の公園に白梅が見事に花をつけ、白い花が好きな私にとっては、昼夜を問わず、横断歩道を渡れば、

手の届く位置にある。

 

ある晩、夕闇から既に日が暮れた夜、私は当時はタブレットで、写真を撮っていた時である、年齢から言えば、30代前の女性が、問いかけた。

 

「上手く映ります?  どうして夜に取るのですか」

私は「夜の梅に風情を感じるから」と応じた。

 

その彼女は「そうですか、じゃあ私も映しておきます」と、スマホのシャッターをきった。

 

その後、私はブログか、アメブロに「夜の白梅」についてアップした。

スマホ移した行きがかりの女性に、私は「夜の白梅」についての歴史というか説明を怠ったことを後悔していた。

 

時を過ぎること、先日から連載を始めている日本経済新聞の「映える浮世絵」に鈴木晴信による「夜の白梅」が本日紹介されていた。

 

なぜ、私が撮影している「夜の白梅」に対しての、美術を商いとしていた経歴を持つ私は、説明できなかったかと、自分の知識の未熟さを今でも

「白梅」の季節になると心が痛む。

 

処で、友人という一括りにはできないとても素敵なある女性とのご縁からお目にかかる機会があり、「夜の梅」をアップしたブログを覚えていてくださって、お喋りをした後、別れ際にさり気無く、私に「虎屋」のトレードマークでお馴染みの袋に、私は、ハシタナク「夜の梅」と察し、白梅の季節になると、今もw擦れられないほど思い出となっている。

 

こんな素敵な女性の存在に、改めて私が、どんなにか幸せを改めて噛み締めている。

2022年

2月

08日

きんぴら肉蕎麦

今日は「にっぱち蕎麦」と言われ、メディアでも取り上げている。

 

1989年ぶりの母校との縁から、私は、広島着の新幹線を利用して、岡山駅校内にある、「吉備路」という麺類のお店があることをネット知った。

 

ネットによると、利用者に対して「いってらっしゃい」とか「お気をつけて」という一言に、何とも言えない温もりを感じるという。

 

2019年、私は母校のコミュニティスクールと言われる、教育の場、地域、家庭が三者一体となって、子ども園から中学校までの一貫教育に、地域の

素晴らしさを見つけ、将来の子どもたちに繋げようというプロジェクトである。

 

その前年、母校のPTA70周年記念として、母校の卒業生としての機会から

母校のコミュニティスクールといわれる「運営協議会委員」に名を連ねることになった。

 

実は、2018年、61年も距離のあるふるさとを、一週間をかけて、記憶にある限りの思い出であるふるさとを訪れた。

 

月日の流れに、私は、委員会の予定日を日帰りに変更した。

 

その際に、新幹線が到着する時刻が、昼食と相まって、在来線の山陽本線までに、ゆっくりできる。

 

本来であれば、わがふるさとの誇る「寒素麺」のメニューはなく、牛蒡の好きな私は、「きんぴら肉蕎麦」を販売機で購入した。

 

さすが、それ以外に「ままかり寿し」を、別途で案内していた。

辺りを見合わすと、ほとんど人が「ままかり寿司」を注文している。

さすが、と思うが、私には「きんぴら肉蕎麦」で、十分だった。

 

そのエネルギーで、母校への想いを強くしていた何よりのエネルギーでもあり、今でも、「きんぴら肉蕎麦」の、食いしん坊私であ。

2022年

2月

07日

縄跳び

私は、「勝ち負け」の世界に対して、「敗者」の気持ちを考えると、今回の北京の冬のオリンピックに対しても、「敗者」の気持ちを察すると、何とも言えない気持ちに襲われる。

 

よって、勝負を決するものに対して、私は、精神的に避けるように心がけてきた積りである。

 

幸いに、数年前から映像を通してなく、ラジオという聴覚による想像の世界を続けている。

 

それ以上に、私にとっては我が母校の、後輩たちによる毎日学校生活の方が気になるのである。

 

夕刻、母校のブログに、あさくちブルーの下で、「長縄跳び」のブログが

アップされていた。

 

「縄跳び」と言えば、冬の寒い時期に、縄跳びによって全身に温もりを

感じて、「二重とび」だの、それぞれが得意とする「縄跳び」を楽しんでいた風景を懐かしく想い出した。

 

残念だが、名が飛び出、自分がつまずいた時の気まずさと、仲間に対して

申し訳ないという自責の念を味わった懐かしい母校の思い出である。

 

少子高齢高齢化で、兄弟との繋がりの薄くなった高学年が、、低年齢層に長縄跳びをしている有様に、私は、我が母校に誇りを覚えた。

 

「縄跳び」はこの厳しい冬を乗り越えるための、先人が考えた素晴らしい

知恵だと思っている。

 

因みに、病弱ながら「二重跳び」には自信を持った記憶がある。

2022年

2月

06日

今朝30分の青空

今日は、日曜日、近くのコンビニまで外出た際に、いつものように背筋を

伸ばし、見上げた空の「ブルー」の美しさに、寒さを忘れ見続けた。

 

まだ、人も車を少ないせいか、東京にもこんなにスカッとした空を見る機会に、気持ちが空のように晴れ晴れとした。

 

それで、思い出したのが、「佐野ぬいぶるー」を思いだした。

美術の商いをしているころから、明るい色が多くを占める中に、濃淡のある「ブルー」に魅力を感じていた。

 

確か、出身地は、弘前市と記憶しているが、短い季節に見せる空の色ゆえの素晴らしい色彩を放つのでははないかと、勝手に想像している。

 

北海道出身の画家から、雪が解けて春を迎え、短い夏の期間までの、空は

底抜けに明るく、ついつい、明るい色彩の絵の具の使用が多くなると聞いたことがある。

 

先月、1月23日の日本経済新聞の日曜版に、佐野ぬい氏の「明るい街」が

掲載されていた。

 

コロナ禍の中、「明るい街」になる日が見えない昨今、美術の持つ力に、

想いを馳せて、午後、再度、散歩で見上げた空は、うっすらと霞みがかかっているようであった。

2022年

2月

05日

肥後守と父

2022年2月からスタートした日本経済新聞の前文科庁長官の宮田享平氏による「私の履歴書」が楽しみである。

 

前文化庁長官は、1945年6月8日、鳥取の佐渡島での出身で知る。

おこがましいが、1945年に生を授かった私は、早生まれなので、学年とは

1年の後輩になる。

 

2022年2月から始まった日本経済新聞連載の「私の履歴書」が、わが時代を、これまでの5回の連載に、私は、懐かしい戦後間まもなくの時代に対して、佐渡島と瀬戸内との地域差こそあれ、懐かしさを彷彿とさせる。

 

その一つに、今日5日に「肥後守」という二つ折りの小刀の記載について、

母親任せの父親が、長年愛用している「肥後守」を、私に伝授した。

 

毎日、特に地元の特産物である、特産物の麦によるストーとか、麦稈真田

撚糸によるバンコック帽を、主にアメリカに輸出していた父親は、毎日、

几帳面に帳簿を記録していた。

 

当時はまだ、ボールペンなどなく、鉛筆を使用するか、インクツボにペンを浸し、記録していた。

その際に、記憶を辿れば、鉛筆には「肥後守」を使用していたのである。

 

ある日、私に、そろそろ、使用も安全かと思ったのか、父親から肥後守を渡され、注意事項を始め、珍しく私に使い方を教わった。

 

今、、宮田亮平前文化長官に「肥後守」の記載を見つけ、同世代としての

親しみと、懐かしさを覚えるとともに、今も、私も大切に愛用している。

 

未だに素晴らしい切れ味の「肥後守」を検索すると、5代伝承の唯一無二の

「肥後守」は続いているが、誰かが、日本人の誇るべき伝統を声を大きく伝える使命を必要としている。

 

今の日本人は、「手が寂しい」といった高齢者の言葉が忘れないでいる私は、例え「犬の遠吠え」と言われても、伝えていかなければならない年齢と、想っている。

 

日本人は、先達の残した歴史に対する畏敬の念が失われていると想うと、

確かに、3年を迎えるコロナ禍の中での、後世に思い付きでなく、しっかりと自信をもって残せる思慮深さを案じている。

 

日本人の長所であり短所でもある熱しやすく冷めやすい特性を考えさせられたということは、既に私が時代遅れと言われても動じないつもりだ。

2022年

2月

04日

西から春が来た

昔から「立春」を「春は名のみ」と言われ、本格的な春を期待するのは、時期尚早だと、言われている。

 

今日の東京は「真冬の立春」と思うほどの、冷え込みで、空は重苦しく黒に近い雲が、覆いつくしている。

 

毎日が日曜日の身でありながら、手帳を見てしまう。

2022年の立春は、縁起を担ぐわけではないが、「仏滅」とある。

 

嗚呼、天候すら、仏滅に近く、個人的な想いとしては、せめて、「晴れ」を期待していただけに、気が滅入ってしまった。

 

なんでも、古来では、新年の始まりと言われ、「除災笑福」の意味があり、「立春大吉」と、「幸せ」が訪れるという人たち共通の、せめてまだ

実際には寒くとも、心は「春」といった想いを感じる。

 

一向に、晴れ晴れとしたお天気にならないので、今日は散歩をサボタージュしようかなと、心に囁く声を感じたが、最近、目標の1万歩に届かない状態が続いている。

 

先日、天気予報士が「光芒」とは、「天使の梯子」ともいわれると、知り

もしかしたら、厚い雲の隙間から、太陽の日差しが見えないかと、気を取り直して、散歩に出かけた。

 

どうやら、一向に「真冬の立冬」のままであり、期待した「天使の梯子」

も見えずに、がっかりしたままで帰宅した。

 

夕刻、友人からメールが届いた。

開くと、友人から、希望校の高等学校に合格したという知らせには、「立春大吉」とあり、その喜びが伝わってきた。

 

これで、友人のお蔭で私も幸せな春の訪れを感じた。

2022年

2月

03日

「北北西」もずれ?

既に今日「節分」の縁起物としては、恵方巻の予約と豆まきの豆や、鬼の仮面等々が、私の利用しているスーパーでも、店頭に並んでいる、

 

更に、早くも2月14日のバレンタインデーの商品も併設されている。

 

数年前から、恵方巻のロス防止のために、昨年末から予約受付をしているが、ますます、季節の先取りが進んでいる感が否めない。

 

外出先から、帰宅して、日本経済新聞の夕刊の記事に、国土地理院が方位磁針によれば、北(磁北)が5年前に比べて、県庁所在地で、平均西に0.3度ずれたという調査結果を報じていた。

 

別に恵方巻を買ったりすることはなく、方位に興味があり、父親が使っていた古いコンパスで、方位を探すも、なかなか見つけられない。

 

ところが、友人から、今はスマホで探せるそうよと聞いた。

 

ということは、僅かなずれに対しても正確に表示されるのだろうかと疑問を感じたが、そこまで調べる気力はなく、そのままにした。

 

確か、恵方巻は関西の「太巻き」が、縁起物として、今日に至ったのではないかと思うのである。

 

というのは、私のふるさとでは遠足の楽しみは、太巻きだった記憶があるが、私の母親は、卵焼き、穴子、シイタケ、干瓢、等々のたくさんの具の

入った海苔巻きが巻けずに、私は、関東のかっぱ巻き、キュウリ巻き、干瓢巻きと具が別々の「細巻き」を、持たされていた。

 

親しい友人から、太巻きを分けてもらった時の、何と美味しかったことかと、母親を困らせた懐かしい思い出がある。

 

今は、太巻きは2月3日の節分には欠かせない縁起物になっているが、選りによって、「北」のずれについては、コロナ禍の中、出来れば、批判する気持ちはないが、一寸、複雑な気持ちになったのは私だけだろうか。

2022年

2月

02日

3回目のコロナ予防接種

先月末の区の検診の際は、数日前から気が重くて仕方がなかったと、ブログに弱みを訴えていた。

 

健康に対する怠慢という自己責任に、既に自分自身が不安を抱えていたからだと認知している。

 

ところが、今日2日の新型コロナウイルスワクチンの予防接種は、私自身

待ち遠しくすら思えるのである。

 

恐らく、取り敢えず、感染しないためにも、予防と安心感が精神的に大きく作用しているからではないだろうか。

 

2回の接種より、慣れもあるのか、副反応が個人差はあるらしいが、3回目の接種の際に、副反応が強く出る可能性があるとの情報もあるが。

 

医療施設には、特に、私を含めて高齢者が多く、家族に付き添われて訪れている人が多いが、これまでと異なった風景が見受けられる。

 

接種後の表情から、緊張感が不思議になく、ほっとした安堵感が漂っている違いに、「安心感」を得るということで、これほど、家族を始め、足取りも軽く、医療施設を後にしていく後ろ姿に、私も、「大丈夫」というか

気持ちが軽くなる。

 

連日、報道される国内の感染者数に、何時になったらと収束するのだろうとの歯痒い焦りが、3回目の接種で、取り敢えず、、落ち着きを取り戻せればと思っている。

 

体験を通して、一刻も早く、3回目の接種がスピーディーに進むようにと、

願っている。

2022年

2月

01日

今日から心機一転

嘗て、「如月」には、いろいろな異名というか、表現のある「月」だと聞いた記憶があり、検索をした。

 

確かに、多くの異名に、私はどれを選ぼうかなと楽しませてもらった。

「如月」は、冬と春の季節が共存、あるいはせめぎあっているとも思えないだろうか。

 

異名の中で、私は「令月」と、「梅見月」が気に入った。

 

「令和」の由来にもなったという「令月」は、「何をするにもいい月」という素晴らしい意味があるそうだ。

 

何か良いことが待ち受けているようにも受け止められる表現である。

 

「梅見月」には、冬から春にと向かう季節の移ろいを感じるからである。

 

特に「梅見月」には、散歩で必ず立ち寄るコースに、既に先月の睦月から

少しずつ開花していた「白梅」が、如月の午後の日差しを浴びて、香り高く満開だった。

 

マスク越しでも、自然からの素晴らしい「香り」をプレゼントされた。

 

そして、今日から心機一転した私は、スーパーで、「春を告げる菜の花」の和え物をと思って、野菜売り場を探したが、見つからなかった。

 

まだ、早いのかなと、残念な想いを残しながら、何と、ビタミンカラーの

「食用菊」が目に入った。

 

当初の目的の「菜の花」から「食用菊」に満足しながら、更に三つ葉と、春菊を加え、小さな小さな尾頭付きの「しらす干し」で、一汁三菜の今夜の夕食は決まった。

 

ミカンは幼児体験がフラッシュバックするので、苦手だが、柚子の「酢の物」は香りに食欲が進み大好きだ。

 

一寸サッパリし過ぎかなと思うが、黄色と緑は、色彩的にも季節を先取りしたようで、気持ちが高揚しそうだ。

 

嘗て、八百屋さんから、「香りの高い野菜や根菜混載類は、体に良い」と聞いたことを思いだしながら、日が陰らないうちに帰宅を急いだ。