2023年

4月

30日

せいめい望遠鏡の活躍

卯月、4月も今日でお終いと想いながら、新聞を広げた。

 

日本経済新聞の記事が続くが、日曜日には毎回、ほぼ一ページが「サイエンス」であり、、カラフルな紙面作りもあって、楽しみにしている。

 

何時か、我が故郷の「天文のまち あさくち」が取り上げられることを、期待し、心待ちにしている。

 

何と、その期待が今日の紙面で、叶いました。

 

大見出しのタイトルに次に小見出しで「国立天文台や京大」とある。

 

「京大」、もしかして、日本経済新聞で嘗て、同紙面で紹介した「せいめい望遠鏡」ではと、字面を追いかけた。

 

見付けました。

2018年11月、帰郷時に案内されて、まだ、調整中の「せいめい望遠鏡」に

ガラスに鼻をくっつけ、ワクワクしながら近くで見た。

 

時を経て、米航空宇宙局や国立天文台、そして、我が故郷のお山のてっぺんの「せいめい望遠鏡」が仲間としての活躍の嬉しいニュースである。

 

朝から興奮気味の私には、宇宙については素人であるが、どのような活躍

だったかは、掲載記事の力を借りるしかない。

 

『恒星恒星表面での爆発に伴って起きる過去最大規模の噴出現象を観測した。太陽表面でも起きる「フレア」という爆発によって、プラズマ(電離ガス)の塊である「プロミネンス」が噴き出すところをとらえた。太陽で観測された最大の例の100倍以上の規模だという」(原文のまま)

 

宇宙オンチでも「フレア」と「プラズマ」は耳にしているが、「プロミネンス」は初めて聞くと共に、果てしなくまだ多くの未知の宇宙に関心を持つ根拠が理解できる。

 

どうも、この四月もすっきりしない日々を過ごしてきただけに、最後に故郷からプレゼントもらった。

 

気を取り直そう、リセット、仕切り直そう。

2023年

4月

29日

将来就きたい職業

地域の警察から、防犯アドバイスの電話がある。

 

自転車の盗難が増えていますので、鍵は必ずかけて下さいとか、マンションに不審者が侵入している連絡がありますので、注意してくださいとか。

 

地域安全の為に、有り難いと、心しなければと改めて気づく。

 

今月5日の日本経済新聞に、クラレの人工皮革クラリーノで作ったランドセルを購入した男女各2千人の、今春入学する新1年生に、将来就きたい職業を聞いた結果が掲載されていた。

 

アンケートによれば、男子は警察官が3年連続1位で、過去最高の17・8%

女子も5・7%が、過去最高の4位になった。

 

更に、男子では20年前の警察官に広がり、消防・レスキュー隊は3位で

10・8%、比率は20年前の2倍になっているとある。

 

クラレの分析によれば、格好の良い制服に加え、街を守り、事故や災害時に活躍する姿が、憧れを集めたと。

 

確かに制服には、着用することで、自分をリセットできる効果がある。

 

記事を読んでいて、特に男子における警察官や消防・レスキュー隊の人気が、20年前からだという。

 

20年前という時代に、記憶を呼び戻しているが、決定的な問題を思い出さないでいる。

 

いずれにせよ、私は、ピカピカの小学校1年生が人命を守るという崇高な職業に憧れているという想いが、さび付かないで欲しいと願っている。

2023年

4月

28日

心に滋養

私は、人に恵まれているとつくづく実感している。

 

根拠は、コロナ禍に始まる私の思考がメンタル面に影響しているという。

 

逆境に出合っても、常に前向きに切り抜けてきた来たのに、どうしたの?と、いった内容である。

 

正に、鋭く、どんぴしゃりである。

 

そうか、どうも、心にストックが無くなってきたという事だ。

そうだ、心に栄養を与えないといけない時期になってきている。

 

ではどうするかといえば、図書館が隣接という恵まれた環境にある私は、

これまでも投資、栄養を必要とするときは、図書館に足蹴く運んだ。

 

勿論新聞から得る状況も多く、図書館の蔵書や、新刊本をリクエストして

メンタルケアと言われる補充をしてきた。

 

図書館の司書から、「新刊本の情報が早いですが、何処で入手するのですか?」と問いかけられた。

 

更に「リクエストする図書が、魅力的で自分たちも興味を持つ図書に、予算が取れれば、積極的に」と、好意的な対応をくれた経緯もあり、恐らく

同じ様な問題を抱えている人に役立てばと、自惚れている。

 

図書館の利用期間は、2週間が基準である。

 

読み切れない時は、図書館に次回のリクエスト希望者がいなければ、同地区内の図書館では、猶予できる。

 

何度か、私はそのシステムを利用している。

 

先日24日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に、読書には3種類ある。

朗読、黙読、積置(つんどく)で、江戸時代には、この分類法があった。

 

明治になって、「置」を「読」の「積読」に置き換えられたそうだ。

 

未読の本を抱える積ん読の歴史は古く東京都立中央博物館の公式サイトにアップされているそうだ。

 

専ら、私は図書館を利用するという理由は、どうも未読の本を積読という事は、本来のセッカチさと片づけ魔の私は、期限付きの積読に徹し、心に滋養を施していきたい。

 

しかし、そのあたりも知らず知らずのプレッシャーかな。

2023年

4月

27日

心なごむ記事

犬と人との関わりは、キリスト教の旧約時代に遡るといった話を聞いたことがある。

 

連日、私の生活は「笑顔」から遠ざかったカサカサの乾燥状態の続く日々を過ごしている。

 

故郷の尊敬する桃農家から、私は農作業に適しているといったメールを頂き、私の脳内の処理能力に限界を期していることは分かっている。

 

出来れば、私は自然の恵みの力を受け止め、謙虚な生活を送りたいと願い東日本大震災を機に、いまの住まいに転居してから、悩み悶えている。

 

折角、脳神経外科の手術で、何らの副作用もなく寛解した恵みに、感謝の気持ちを、今度は私は社会に恩返ししたいと想っている。

 

27日の日本経済新聞の夕刊に、犬派の私としては見過ごせない記事が飛び込んで来た。

 

秋田犬が、酒屋を切り盛り?というタイトルに、関心を持った。

秋田県小坂町の酒屋には、レジ打ちをするような2歳の梅子と一歳の白岳が店員と活躍しているという。

 

3種類の犬と共に過ごした私には、誤解を招くが日本犬種の方が、日本本来の桜を愛でるに通じるDNAを持ち合わせているように想う。

 

常に求めるのではなく、相手の気持ちを察するという意識がある様に想えて、私は、末永くこの新聞記事は私の「笑顔」の源の一つとして大切にしておきたいと想っている。

 

そのくらい私には生き難い時代に成ったと想っている。

 

嘗てある出版社から3年に亘り、生き難い時代、混沌とした時代についての体験談の依頼をうけ、拙い表現で書き続けましたが、又混沌とした時代に成りつつあるのではと案じている。

 

どんなに中傷誹謗を浴びようとも、私は実体験を通して真摯に逃げないで努めようと想う日々が続いている。

2023年

4月

26日

春バテ中

最近の気象の激しい変化に、協調性のない私にとっては、心身ともに苦痛の日々を過ごしている。

 

ある輩から、自分に拘りを持っているためだと、私を攻撃するも、全てが10本の指で解決しようとしているだけの相手と、対等に対峙できるとは思っていない。

 

己の発言のみに拘り、多様性の時代に合って、様々な考え方から自分の成長に繋がるというキャパシティーを持ち合わせていないのである。

 

日本の教育現場も試行錯誤の繰り返しに過ぎない。

 

幸いに私は病院ボランティアから、先ずは病気の方の話に耳を傾けるという、私が苦手としていた部分に、体験を通して、先ずは相手の立場に立つ難しさに頭をぶつけ、痛い想いを体験して、初めて、どんな話に対してもその話しているいる人にとっては、深刻な問題であると受け留めるまでのゆとりをっ持つまでに至った。

 

例え、どんな内容に対しても、頭ごなしの圧力は差し控えた。

 

それを批評家の如き、上から目線で、論じることではなく、取り敢えずは

受け入れるという余裕がない輩の多いことだろうと嘆いている。

 

その輩に巻き込まれないようにしているつもりであるが、結局は知らず知らずのうちに見えないバリケードを巡らしているのではないだろうか。

 

それは、かの輩を意識していることになるのではないだろうか。

嗚呼、春バテ中です。

2023年

4月

25日

傘の盗難にあう

近くの郵便局に、混雑を避けようと9時過ぎに、出かけた。

 

パラパラと小雨が降っていた。

本来であればバッグにはいつも折り畳み傘を持ち歩いているが、ふっと無意識に大ぶりの傘も持ったのが、被害につながった。

 

今年に入って傘立てに大ぶりの傘を立てていて、既に2度の盗難の被害にあい、今回で3度目である。

 

2度目の被害の際に、今後は傘立てを使用しないで、折り畳み傘で、常に肌身離さずに持ち込むと決めていたのにと、悔しい経験が生かされていないのだ。

 

急に、疲れを覚え、痛みが治まっていたアキレス腱炎の痛みから、気のせいか、恐れていた膝が痛い。

 

近くの整形外科のドクターから、レントゲンには症状は見られなく、しっかりとリハビリの指導を受けた。

 

念のために、鎮痛を緩和するための湿布薬と、塗り薬を処方された。

 

近くの薬局で、渡された薬薬袋が一寸違っていた。

よく見ると薬袋の四方の角が丸く、アール状態になっていた。

 

気が付かないでスルーしても不思議ではないが、何とも、気持ちが落ち着き、こんな小さな気遣い、心遣いに、病んでいなくても必要だと想った。

 

午前中の不愉快さを引きづっていただけに、ジーンと胸に沁みた。

2023年

4月

24日

音楽と「聞く・聴く」

先日までの暑さから解放され、ひんやりとした朝を迎え、一息着いた。

 

時々、心身ともに疲れた時、主治医から、ホテルにでも泊まって、のんびりするようにアドバイスを頂いている。

 

我が家から10分ほどの近くに、リーズナブルで、朝食付きで、私にとっては、セカンドハウス感覚で、利用している。

 

先日、支配人からロビーでミニコンサートの案内があり、気分転換には実に有難いお誘いである。

 

考えてみると、生の音楽に触れたのはいつだっただろうと、思い出しても思い出せない程の時が経っている。

 

素晴らしい日曜日の午後を済ませ、充実して、月曜日24日を迎えた。

 

午後はドコモショップの予約で、スマホの不具合をテェックしてもらった処、お陰様で、心配なく、未だまだ、働いてくれそうだ。

 

早速、スマホにリクエストしていた図書の連絡が入った。

 

多くのリクエスト者で、ほぼ諦めていたところだけに、待っていた甲斐があった。

 

東畑開人氏のちくま新書刊行の「聞く技術 聞いてもらう技術」だ。

 

私なりに「聞く・聴く・訊く」というタイトルで、ホームページにアップしているが、「ぼっちの会」がスタートした経緯から、不可欠と、改めて

学びたいと楽しみにしていた。

 

望んでいた「聞く 聴く」について、前書きのNHK放送文化研究所のホームページで取り上げていた。

 

「ただ単に『きく』場合は一般的に「聞く」を使い、注意深く(身を入れて)、あるいは進んで耳を傾ける場合には「聴く」を使いますとある。

 

氏によれば、つまり、「聞く」は声が耳に入ってくることで、「聴く」は声に耳を傾けるとある。

 

更に私は「孤独と孤立のちがい」を知りたく思っていたその答えも、「孤独には安心感が、孤立には不安感がある」とある。

 

シンプルで、私にも理解できる表現にリクエストして時間が掛かったが、待った甲斐があった。

2023年

4月

23日

赤い薔薇と本

久し振りに、エレベーターの「今日は何の日」で、スペインのカタロニア地方のキリスト教で守護の聖人のサンジョルディを祝う日とある。

 

女性は男性に本を、男性は女性に赤い薔薇を贈る風習があるそうだ。

 

先日、近所のお庭に真っ赤な薔薇の花が咲いているのを見た時に、23日はサンジョルディの日だと、思い出していた。

 

当日まですっかり忘れていたがエレベーターで、今日だったという情けない始末である。

 

しかも、男性から赤い薔薇をプレゼントされることだけは忘れていないというお粗末な自分を恥じた。

女性が男性に本を贈ることは記憶から抜け落ちていた。

 

4月23日は日本では2001年12月に、「子ども読書の日」として、大きなポスターが隣接する図書館の掲示板に張り出してあった。

 

偶然、母親に手を繋がれた幼児が、ポスターを見ている私の前を通り過ぎて図書館に入っていった。

 

どんな本を選ぶのだろうかと、想いを馳せた。

 

殺伐とした毎日に疲弊しているだけに、とても温かい気持ちになった。

2023年

4月

22日

スマホがご機嫌斜め

2019年10月に購入したスマホが、最近どうもご機嫌斜めで、未だ、4年も経過していないのにと、必死にご機嫌を取っている。

 

自宅から、僅か5分という近くにドコモショップがあったので、何か躓くと走っていった。

 

よって、お馴染みに成り、担当者が「淺野さん、どうしたの?」と気づいて声をかけるほど、有り難くお助けレディがいた。

 

時代が変わり、今年の3月で、クローズしてしまい、担当のレディともお別れという結果になった。

 

現在使用しているスマホは、私としては手に収まるサイズと、軽量が気にいっているので、極力長く使いたいためである。

 

因みに、私の手のサイズは、ゴルフで使用する手袋のサイズが17で、確か、一番小さいサイズと、ゴルフショップの店員さんから聞いた。

 

そのような訳で、一駅先にあるドコモショップに出かけ、予約をした。

取り敢えず24日の予約で、散歩がてら出かけることにした。

 

コロナ禍以降、パソコンからとか、スマホからの問題解決が多く成り、今回のように、ご機嫌斜めのスマホでの操作はビクビクものである。

 

ならばパソコンがあるではないかと言われるが、どうも、パソコン自体のお節介さに、私は加齢のせいか、疲れを覚える。

 

散歩だと思い、対面での方が心が落ち着くのである。

2023年

4月

21日

団扇の風

未だ四月というのに、季節外れの暑さに、リズムが乱れがちである。

 

既に熱中症の警戒を呼び掛けているが、空調を使うのには、抵抗があり、内輪で、目下の処、身体に溜った熱気を追い出している。

 

ラジオ深夜便が始まると、解放している窓を閉じて、もっぱら、団扇を使っている。

 

ベッドにも手の届く位置に、おいて置くことにしている。

 

大体、早朝の3時過ぎに、全身から噴き出す汗に目を覚ます。

その汗を拭うタイルも団扇のそばに置いてある。

 

不思議だが、殆ど、同じ時刻に汗で起こされ、暫く団扇で仰ぐという最近の深夜というか、早朝のルーティンが続いている。

 

勿論、水分補給も忘れずにしている。

 

団扇の柄の持ち方で、風の違いに気が付いた。

 

柄を短く持つと、涼しさより、風が強く成り、柄を極力団扇本体から離して持つと、心地よい風に変わるのである。

 

心地よい風で、何時しか、眠ってしまう日々が続いている、

2023年

4月

20日

MIR検査

2020年に脳神経外科で髄膜種の手術をした後の定期的検査の日だ。

 

その後、寛解したが、半年に一度、MRI検査を受けている。

ついでに、脳ドックも含めて、チェックをお願いし、今回も無事にクリアできた。

 

これまでに、MRI検査を何回も経験している。

 

初めて、MRI検査を受けたのは、1992年で、その後、2014年に自宅で夜

パジャマの裾を踏んづけて、思い切り、コンクリートの壁に頭をぶつけて

出血多量に、救急車を呼んで、高度救命救急センターで、13針を縫合してもらった。

 

兎に角、独り住まいの私としては、常に気力をしっかり持ち続けなければと、つい、処置をしているドクターに、今から思えば、不謹慎極まりない発言をした。

 

「先生、13針は縁起が悪いから、12針か、14針にして」と。

ドクターから、「そのくらいの元気があれば、自宅に帰っていいけど、その前に、頭に1センチ大のこぶが見つかったので、その方が心配だから、脳外科でMRI検査を受けてほしい」と。

 

ポカーンと信じられなかったが、一週間で、回復後脳外科の受診の際に、22年ぶりにMRIの検査を受けた。

 

嘗て1992年の受診の際に、ドクターから事前に、検査中、地下鉄工事のような音がするからと説明があった。

 

22年前の記憶はなく、不思議と地下鉄工事のような音という記憶だけが残っていたが、地下鉄工事の音を聞いたことがないので、単純にこの音が、そうなのかと思いながら、凡そ、20分近い暗闇の世界に身を横たえた。

 

2020年の術後の検査ではお陰様で、問題なく、安堵している。

3年目にして、半年のMRI検査から、1年に一度になった。

 

喜ばしく、昨日と異なり、帰路の足取りは軽かった。

2023年

4月

19日

規則に弱い

今日は、いつもの通り、病院の診察日で、診察室に入った途端に、スマホに電話がかかってきた。

 

うっかり、マナーモードに切り替えるのを忘れていたからだ。

 

主治医の先生が、「相変わらず、忙しくしているのね。大丈夫よ、電話に出たら」との好意的に気遣ってくれたのは、有り難かった。

 

処が、慌てているせいか、肝心のスマホが見つからず、見かねたナースが

バックを抱えて、探しやすい状態にしてくれた。

 

申し訳なく、マナー違反だと分っているが、もうこうなれば好意を素直に頂くとして、極力消え入りそうな声で、応対をした。

 

昨日の「ぼっちの会」で利用した会場の担当者からで、参加人数が登録人数と異なるという注意の電話であった。

 

今後、同じことがあれば、会場の利用を認めないという厳しいお達しで、

相手は、私が周囲に気遣って小声で話しているせいか、相手は段々語気が

強くなってきた。

 

もう、仕方なく相手に「只今病院で、診療中なので、後ほど、改めてお詫びに参ります」と話を終えるのが必死だ。

 

早速、その足で、担当者にお詫びをしてきた。

先程の電話口の規則づくめで、こちらに一刻の時間を与えないまるで、鬼の首を取ったように感じていた私は、こちらは首を洗っていかねばと思っていた。

 

不思議に対面すると、先程のような荒々しさはなく、「今後、気を付けて下さいよ」で、終わった。

 

やはり、フェースツウフェースに限る。

2023年

4月

18日

「ぼっちの会」

今日は、「よい歯の日」だそうだ。

4月18日の語呂合わせだが、今日は「80・20運動」の呼びかけようという日である。

 

80歳に成っても、20本の歯を保とうとの主旨である。

 

期せずして、その日に第2回目の「ぼっちの会」が開催される日である。

 

今日も、利用者に対して、どのような「おもてなし」ができるだろうかと

運営スタッフは、利用者の声を、ダンボのように耳を傾けている。

 

運営スタッフも、高齢者でフラットな立場にいる。

「そうそう」と相槌を打てることが多い。

 

しかもまだ産声を上げたばかりであることが、参加者から学ぶことが多いのである。

 

運営スタッフは、次回に向けての反省会を怠らないで、じっくり、今回の参加者の想いをくみ取る夫々の体験したスタッフの真剣な想いが、伝わってくるのである。

 

信頼している友人にヘルプと訴えた時に、「やれば」とぶっきらぼうともとれる一言に、背中を押された私は、難産の末、ここまでたどり着いた。

 

唯々、私は如何に人ととの繋がりの「力」を感じている。

2023年

4月

17日

月曜日の朝

現在の住まいに移って、間もなく10年を過ぎる。

当初は、東日本大震災の間接被害者で、47年住み慣れた自宅から、転居したのだが、予定以上に長居をしてしまった。

 

いわゆる等価交換方式で、分譲住宅の居住者も、高齢化により、どんどん

手放し、現在は投資用マンションとして様変わりをしてしまった。

 

故に、入居者の入れ替わりが激しく、まるで、共有部分の廊下は道路と見紛うほどの状態である。

 

何と、表現していいか戸惑いながら、パワフルマンションと称している。

 

そのパワフルマンションから排出される「ごみ」の量は、パワフルな入居者の食欲に代表される。

 

特に、コロナ拡大により、在宅ワーク者の増加、外出規制などで、食事の買い出しを控え、デリーなどの配達により、結果的に、容器の増加等々、

ごみは増える一方である。

 

月曜日と、木曜日が燃えるごみの回収日で、管理人さんは、日を追って、山積するごみと闘っている。

 

多様な入居者を前に、言葉の問題もあり、その苦労は傍で見ていて、唯、

通り一遍の「いつも、ありがとう」では済まされない程の限界である。

 

4月2日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に、京都市の条例が紹介されていた。

 

「ごみを撤去して終わり、ではない。当事者が抱える課題を解決し、地域で支えあうことを目的に掲げている」とある。

 

確かに自分だけが良ければという自己中心的な考えから、死語になりつつある「おたがいさま」というゆとりある感性を取り戻したいと、想う。

2023年

4月

16日

プチ帰郷

先日14日に、故郷のアンテナショップでランチタイムを味わったが、今日

久し振りに友人と、又、アンテナショップでランチを味わった。

 

関西では、穴子は関東の鰻と同様に、その味は忘れがたく、リピーターになる。

 

正しく私も、その一人で、友人も穴子の美味しさは認めており、直ぐに話はまとまった。

今、アンテナショップで穴子を食材にした焼き飯に穴子を加え、温玉をトッピングしたものだ。

 

しっかりとした味に、納得がいく。

 

ふと、外を見ると、天気予報で天候の急激な変化が報じられていたが、どんぴしゃり。

 

見る見るうちに、スコール、雷雨、夕立が先ほどまでの晴れ晴れの空が、一点に俄かに曇るや、激しい雨が道路に叩きつけている。

 

兎に角、通り雨と暫くランチタイムからティータイムとして、雨が上がるまで、待つことにした。

 

誰一人として、席を離れず人はいなく、ランチタイムを終えた人たちは、雨宿りをする場に変わった。

 

凡そ、40分近く、窓越しに外を見ているうちに、嘘のように空が晴れた。

 

そういえば、故郷でも意外に夕立に出合うことが多く、雷が轟く激しさに私は、恐怖を覚えたことを思い出した。

2023年

4月

15日

学校図書館に新聞はありますか

昨日の私の心の動揺を鎮めるかのように、終日雨の一日になった。

 

昨日からの黄砂飛来にも、今日の雨は有難いと受け留めた。

 

久し振りに、ゆっくり新聞に目を通すことにした。

 

私は為ったって、新聞が休刊日には、何か忘れ物をしたように落ち着かず

夕刊が待ち遠しいという、とっぷり新聞人間である。

 

先日、故郷の恩師から、中学校の図書館で、東京の我が地元の記事を読んでくださったというメールが、未だ記憶に新しい時だった。

私のことを忘れないでいてくれたという想いで、嬉しく想った。

 

新聞購読の予算があり、2022年から5年間で、2400億円の地方財政を学校指導要領の理念に沿って、公立学校に講じているそうだ。

 

自治体に委ねられているので、地域格差はあるという。

 

内訳が提示されており、それによると、190億円の資金があり、小学校は2紙、中学校は3紙、高校は5紙の購入が可能だという。

 

更に、驚くほどの学校図書の拡充に、大いに、教育の場で活用してほしいと想うのは私だけだろうか。

 

嘗て、私はネット検索について、知りたい情報のみで、紙媒体の新聞、辞書のように、紙面には、必要とする以外に目に入ってくるという知識の広がりがない。

 

その、目に入ってくる目的以外の活字から、思わぬ世界が広がるといった

ゆとり、楽しみをお勧めしたい。

 

紙資源には、思いがけない「知の広がり」を見出せるのである。

2023年

4月

14日

25年の時の経過

2月中旬、出版社より私宛の手紙が届いているとの連絡が入った。

 

受け取った後の対応は私に任せるとのことであった。

受け取った私は、25年前、私の片腕として良き協力者であった女性からであった。

 

凡そ10枚近くにわたり、私の職場を離れてからの経緯が、克明に書き綴られていた。

 

息をのむような、信じられない壮絶な私の知らない25年の人世を過ごした現実に、私は思わず「信じられない」という気持ちに襲われた。

 

25年前の彼女しか記憶にない私は、今日、その彼女と、食事をすることにした。

 

彼女の言葉を借りれば、「兄弟無し、子ども無し、家族は95歳の認知症の母、しかも本人はがん患者」と、さらりと言い放つ。

 

2月の手紙から、手術をしていた彼女と、メールでのやりとりはしていたが、実際に会うのは25年ぶりである。

 

何度も、苦難を切り抜けた彼女はもの驚きすることなく、堂々としている姿に、人はこんなにも強靭な力を秘めているのかと、驚いた。

 

これまで、私は自分の故郷について彼女に話したことがなかった。

 

送られてきた手紙を何度も読み返し、彼女の話に丁寧に耳を傾けようと言い聞かせるともに、故郷の美味しいランチをと考えた。

 

故郷のアンテナショップで、ランチに箸を運ぶ様子もしっかりして、最後に、美味しかったという彼女に、私はほっと、胸を撫で下ろした。

 

凡そ、4時間近い時間を過ごしたが、一切、弱気さは微塵もなく、寧ろ、自分の病気に対しても、最後まで前向きに向き合う姿勢に、私のできることは、そっと、静かに見守ることと想っている。

 

「時の流れ」の重さというか、秘められた恐るべき「時の力」を感じた。

2023年

4月

13日

ブラッシュアップ

一週間後の「ぼっちの会」に、オープンの時間が掛かったが、決してその

時間は無駄ではなかったと想っている。

 

次回の「ぼっちの会」に、如何に利用者に満足度を提供できるかというテーマに対して、真摯にまだ少数であるが、利用者の声に耳を傾けなければと想っている。

 

 抑々、「ぼっちの会」は、年齢を問わず、性別を問わず、「孤独感・孤立感」を対象にと思い立ったが、わが地域の現状を知った段階で、先ずは、

身近な足元から対応しようという結論に達した。

 

都内で高齢者世帯に常に逼迫する地域にしている人たちに対して、如何に残された人生を安心して過ごしていただきたいとの想いがあります。

 

東京とのデータから見ても、わが地区では、独居世帯が世帯数の半数以上を占めているいる現状から、如何に、住み慣れた土地で安心して生活をしていくためには、どのような知恵を生み出さねばならないかという。

 

裏付けるように、4月1日の日本経済新聞の朝刊の見出しには「孤独感がある」40%に増加、同紙の夕刊にはひきこもり推計146万人との内閣府調査が公表された。

 

「コロナ拡大」理由が2割との見解であるが、いずれにしても放置できない数値である。

 

現在のぼっちの会では、高齢者の孤立孤独の防止の場になればと思っているが、先の日本経済新聞の昨年度の調査によれば、20~30代で多く見られるという。

 

状況に即した対応が求められるデータに、今後の宿題の大きさ、重さに対して、ぼっちの会として、今後一つづつ真摯に向き合っていかなければとスタッフとともに共有し、考えていきたいと受け止めている。

2023年

4月

12日

種もみ蒔き

昨日の夕刊紙に、天皇陛下が苗代でうるち米ともち米の種もみを蒔かれたという記事が掲載されていた。

 

その記事に重なる様に、私は母校の小学校の体験学習が頭を過った。

卒業生の私は、連日、ある拘りから自分を解きほぐすことができずに藻掻いているのにと、複雑な気持ちになる。

 

コロナが始まる前の4年前から、故郷の宝や伝統を大切に守り、学んでいくといった、学校と地域と家庭の三者が、将来の子どもたちを育てていきましょうという目的で、始まったものである。

 

当初は、自由参加で、学年を問わず、保護者も参加してといった形だったが、ここ数年は、学年単位で、地域学習をすることになった。

 

その一つが、5年生による「種もみ蒔き」に始まり、田植え、草取り、害虫駆除、稲刈りと続く。

 

コロナも比較的安定状況にあるので、昨年11月に稲刈りの日に帰郷した。

元気に生き生きと鎌で刈り取っている5年生を見ながら、胸が熱くなってくる自分に気づいた。

 

刈り取ったばかりの稲束の香りが、辺り一面に漂っている。

これぞ、故郷の香りである。

 

ああ、自然は、何と純粋なのだろうかと、都会の生活に疲弊しきった私の心も体も、温かく包み込んでくれた。

2023年

4月

11日

メガバンクのお節介?

人世100年に当たり、企業もあらゆる知恵を絞って、高齢者への関わりを努力しているのが分かる。

 

ある意味で、企業も多様性の企業努力を否めない時代になってきたともいえるのではないだろうか。

 

今朝ほど、永年お付き合いをしているメガバンクの訪問を受ける。

 

正に、高齢者である私に対しての、将来への「安心」を紹介提供するのが目的である。

 

様々な取引先と繋がり、つまりは「三方良し」といった仕組みである。

 

私の場合は、常に人生を病との共有を重視している傾向があるために次々とメニューを提示されても、既に織り込み済みばかりである。

 

一所懸命、良かれと思って進めてくれる気持ちは理解できるが、対価が発生するもので、そんなに簡単に「宜しく」とは言えない問題である。

 

体力の衰えを自覚しながらも、出来うる限り、自分で納得して、自分で決め、残り少ない人生に責任を持ちたいと想っている。

 

愛用の辞書によれば、「他人に余計な世話をやくこと、やく人」とあるが

「気に掛けてありがとう」というと私は言葉を添えたい。

 

寧ろ、私がメガバンクにとって取り上げる方が「お節介」といえるかな。

2023年

4月

10日

「橋」の力

今日は瀬戸大橋開通35周年だと知る。

1988年夫岡山県の倉敷市と香川の坂出市を結んだ、当時として国家プロジェクトに、既に故郷の岡山を離れていた私には、唯々驚いた記憶がある。

 

嘗て、父親が香川の高松での商いがあり、私を連れて行ってくれた。

その当時は、宇高連絡船に乗って、目的地の高松に向かったものだ。

 

今、本州の岡山と四国の香川は、瀬戸大橋によって、経済効果に始まり、人との交流にも変化が生じたと想う。

 

今、世界はおよそ3年間にわたるコロナ禍で、生の人との交流が途絶えてしまったが、人はIT技術を駆使して、対応してきた。

 

改めて記念日に際し、「橋」の果たす力は大きいのではないだろうか。

 

ある意味で、技術の進歩には、利用者によって異なる。

 

つい最近、私は東京では自宅でリモートによる仕事をこなしているが、2が月に一度の割合で、香川で高齢施設に入居している母親のために、出かけている親思いの企業人を知っている。

 

彼が、瀬戸大橋が出来て、気楽に母親の面倒が見られますと言って、出かけていくを見ながら、「橋の力」に気づいた。

2023年

4月

09日

責任・義務・努力

中学校と高等学校をミッションスクールで過ごしてきた私は、キリスト教では、2023年の「復活祭」或いは「イースター」が今日9日である。

 

四旬節という40日間を耐え、今日から喜びの日に変わると、確か学んできた記憶がある。

 

今日を限りに、明るい未来の景色に変わる日である。

 

しかし乍ら、私には、3月末から霧の中にいるようで、心身ともに不安定感が漂い、拭えない状態が続き、どうも、長びきそうな予感がする。

 

心の中で、責任・義務・努力という課題が重くのしかかっている。

何とかして、解決できることは解決したいと願っているのだが。

 

そこで、解決しなければという責任があるという認識を私は持ち続けており、それには課せられた義務があり、努力をしようと考えている。

 

そこで、セピア色に変わった愛用の辞書で、責任・義務・努力についての

知識を取り込むことから始めた。

 

「責任」とは「引き受けてなすべき任務(義務)」、次に「義務」は「当然なすべきこと(法律道義)、権利、「努力」は「物事に精力を注ぐこと

努めること、ほねおり」とある。

 

どうやら、察するところ、三者が一体となって為すべき関係にあるのではないかと、頭の中でたどり着いた。

 

そういえば、先日7日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に、太宰治の随筆によれば「義務は、私に努力を命じる。休止の無い、もっとの努力を命ずる」とある。

 

さらに記事によれば、「私は、いま、義務の為に生きてゐる。義務が私のいのちを支へてくれてゐる」

 

確かに、3月現在で積み残したままの状態で、一瞬の間に、準備不行き届きの中で、他者に引き渡すことになった現状に、これまで月駆ってきた使命感のもとに努力してきたことが、消え去ってしまった。

 

私は、このことについて、どうしても、自分の中では整理がつかずいる。

 

責任・義務・努力はドイツ価値も持って進めていくものではないか。

2023年

4月

08日

一途な眼差し

嘗て美術の仕事に関わっていた際に、美術館で出会った一つの日本画の前で、私は釘付けになった。

 

京都出身の北沢映月による「一途」という作品である。

改めて、検索すると京都出身の日本美術院評議員で、1990年4月7日に鬼籍の人になっていた。

 

既に33年の時を流れても、はっきりと記憶に残っている。

 

題名の「一途」そのものの、遠くを見つめている目から、ひたすら、ひたむきに目的に向かって歩んでいる姿が、心に沁みる。

 

 今日は「忠犬ハチ公」の記念日で、犬派の私としてもう少し知りたいとの想いに、検索してみると、余りの一途さに涙が止まらなくなった。

 

奇しくも、前日の7日は北沢映月の命日にあたるという縁を感じた。

 

上野英三郎博士と一緒に、渋谷駅の改札口まで送り迎えを日課にしていた期間は、僅か1年と数が月だという。

 

突然の上野博士の死を知らずに、渋谷駅に通いつめ、7年間待ち続けたそうだ。

 

その期間、想像を超える苦しさの中でも、必ずといったそれなりの信念というか、信頼という一途さを感じる。

 

3月8日、11歳の生涯を終えたハチ公は、渋谷駅東口で発見されたと記されている。

 

送り迎えをしている頃のハチ公は、必ずご主人の上野博士と「アイコンタク」をとっていたと察せられる。

 

信頼の眼差しで見つめるハチ公と、一途に目的に向かって歩んでいる北沢映月の女性の眼差しに、私は、これほどまでに、人生に「一途」に成っただろうかと、想い考えさせられた日となった。

 

2023年

4月

07日

安心と信頼

昨日6日の入学式では、あちらこちらでマスクを外し、伸び伸びとした笑顔がメディアで報道されていた。

 

今朝は新年度初の雨がお迎えると共に、一番温かい朝を迎えたと報じられていた。

 

凡そ、一か月前の日本経済新聞のコラム欄「春秋」に掲載されていた「安心」と「信頼」について、先日来からの私が、熱くなって訴えていることをまるで代弁しているかに想えた。

 

振り返ってみると、既にこのコラム欄の掲載日は3月9日である。

既に私の中では、ふつふつと信頼を消失していたのではないかと思える。

 

現在、住まいに対して、地元の新築マンションを見ていると、分譲は見かけないで、賃貸がほとんどである。

 

永遠の棲家という時代ではなく、故に、賃貸であれば、ある意味で、棲家に対する認識も異なるのではないだろうか。

 

一定期間利用して、自分の生活スタイルに合わせて、自由に転居していくといった時代かと思ったりする。

 

しかし、賃貸であろうが、分譲であろうが、「安心」して過ごしたいという気持ちは変わらないと想う。

 

そこには賃貸にしろ、購入するにしろ、納得して棲家とするはずであり、納得したという事は「信頼」をした結果、棲家にしたわけである。

 

「春秋」によれば、新型コロナとインフルエンザが流行期の為、かかりつけの診療所で、「陰性」といわれ、何も施されていないのに、胸のなかに

日だまりのような温かい場所が出来た。これが「安心」なのだという。

 

さらに人を安心させる力は何だろうと、「信頼」の2文字が浮かび、もし異変が起きても、すぐにそうだんできる。

 

その頼もしさが心を鎮める。反対に言葉を発する相手が信用できなくなったとき、不安は雲のごとく湧き上がると記している。

 

数年間、マンションの管理組合の理事長を務めた際に、管理組合と管理会社がともに住民のために「安心」と「信頼」の提供を、怠りなく継続していくことが如何に必要かと思い知った。

 

今後も、一住民として両者が機能してもらうことを願っている。

2023年

4月

06日

このままで良いのか

昨日に続き、自棄に拘っているなあと訝しげに思っている人がいても当然である。

 

しかし、私はこのまま見過ごす訳にはいかないという、どこかで、背中を押す声が届く。

 

納得がいくまで、良心に忠実に向き合おうと決意した私は、関係先にも、尻込みすることなく、正々堂々と意見を伝える方法を選んだ。

 

例えいかなる相手先からの返答が来ても、私の軸はぶれないという信念のもと、住民の安全安心のために、私はどのような逆風にあっても、私自身にとっても、安住の住まいでありたいと思っている一住民であるから。

 

全てのやり終えた時、恐らく回答は来ないであろうと察していた。

即座に返答が変えて来る人こそ、私が必要としている相手である。

 

これまで指導機関であった行政機関も、心ある受け止め方をしてくれた。

 

逆流を遡るような、大げさの表現を借りると、命を懸けるほどの大企業の冠を持っているだけに、私など、ひとつの欠片に過ぎないと分っている。

 

が、私は両親の教えが、私の背なかを軽く叩いて、何時かは正しい結果が

出るから、「頑張れ」という声が、今日も聞こえる。

 

正しいと想ったことをやり終えた私は、背筋を伸ばして、ベランダから夜空を見あげた先に、4月の満月ピンクムーンが、くっきりと明るく燦然と輝いていた。

 

時刻は19時13分であった。

2023年

4月

05日

屈しない

今日は24節気の一つ、清明の日だ。

 

毎年、24節気の清明にわたしは、凛とした気持ちになる。

 

今年は、数年前から、「規約の義務化」の成立を目指し、何とか形となって、成し遂げたと想ったのもつかの間で、脆くも僅か10日ほどで、崩れていく状況に、唇を噛みしめるしかない自分を許せない日々が続いていた。

 

私が想いこんでいる「清明」との確認をするために、検索すると、「清浄明潔」の略語であり、万物が清らかで、生き生きとした様子を表したとあるではないか。

 

「清浄明潔」のこの日に、私は、自分の考えが正論であるかの確認作業を始めた。

 

それぞれの各専門家に、私の認識が正しいかどうかの相談をした。

 

その結果は、全く同じ見解に、心に「屈しない」と誓った。

 

しかし、敢えて、もう自分の時間を費やしても、向き合う相手ではないといった冷めた気持ちになっていた。

 

自分にとっても、恐らくは私のみならず、降りかかることであり、いずれ、結果が時を経て明らかになるであろう。

 

又、時を見据えて、筆の力に追うことが可能な時があると想っている。

 

処で、このような強靭な精神について、一体何処で培われたのかと振り返ると、どうやら両親の「正しい」ことから、目を背けるなといった教育にあるかと、両親にそっと問いかけている。

2023年

4月

04日

脱コロナが始動

新型コロナウイルスに対する緩和が始まり、入学式を迎える教育の場では

3月13日から、マスクの着用を個人の判断に任せるといった見解を提示した中で、それぞれの立場では、判断に苦慮したと想われる。

 

その中で、4年ぶりの隅田川の花火大会がいつも通り7月の最終土曜日29日の開催が決まったと知った。

 

後に取り上げるが、花火大会といえば、私はふるさとの岡山の浅口市に隣接する笠岡市で、亡き父親に連れられて、笠岡湾の船上から、降りしきる花火を見あげた。

 

船上ではほとんど、何の影響はなく穏やかそのものであるが、私は、見上げているうちに首が辛く成り、、父親に帰りたいといった時、父親の知り合いが私に、寝てみれば辛くないと、小さな座布団が渡されました。

 

父親は、胡坐を組んで、その中に渡された座布団を敷き、私を寝そべりながら、花火を見せてくれた1シーンを鮮明に覚えている。

 

それに続き、浅口市の寄島町の三ツ山スポーツ公園での「あさくち花火大会」は、敷き詰められた芝生に寝転んで、花火を鑑賞できるという。

 

嘗て、がん患者様の終末期病棟と言われる緩和ケア病棟で、ボランティアをしている時、病院の屋上の日本庭園に、ベッドを運び、ご家族の方と共に、花火を楽しんでいただきたいと、お手伝いした記憶を思いだす。

 

今年も、4年ぶりに復活する隅田川の花火大会では、それぞれ、どのような

ドラマが待っているのでしょうか。

2023年

4月

03日

AIの進出

新年度に伴う私生活の見直しも含まれており、冷静な判断の結果、必要なしと結論を出した私は、ある損保保険会社に解約の手続きをした。

 

先月の日本経済新聞に、米マイクロソフトは仕事で使う「エクセル」「ワード」「パワーポイント」といった仕事で使うソフトに対話型の人口機能(AI)を組み込むとの記事は、記憶に新しい。

 

先のある損保会社に解約の手続きををした処、「AIが承ります」という事で、仕方なく、AIの指示通りに手続きを済ませたが、返答は返ってこなかった。

 

残念ながら、損保という保険会社の対応に、不信感と、危険性を覚えた。

 

終日、待てど暮らせど、何の連絡もなく、これまで、サービス業という相手の立場に立って、対処するといった利用者に対する安心感の提供はなく成ったのだろうかと、不信感を抱くと共に、この国の行く末を案じた。

 

何時から、相手の立場を気遣うという日本人のDNAは、亡くなってしまったのだろうか。

 

背筋が寒くなる想いに駆られるのは、私だけだろうか。

2023年

4月

02日

120グラムのステーキ 2

昨日、今後の目標に向き合った私は、今朝から、空腹を覚えた。

 

「孤独のグルメ」ではないが、老舗のステーキの味が記憶にある。

 

思い切って、ランチは、先日のステーキを求めている食欲に私は屈した。

 

閑散とした商業ビルの中で、ひと際、活気がある。

 

さすが、老舗である店長さんは、私を覚えていてくれた。

 

やがて、運ばれた熱い鉄板上の皿は、ジュージューと120グラムのこんもりと熱いステーキに、私は、足を運んで良かったと想った。

 

レストランから見える景色は、新幹線が絶え間なく見えて、私を帰郷への

誘惑を掻き立てるものであった。

 

店長を始め、さり気無く気遣ってくれる心づかいが、とても私は嬉しく、

心が和むと共に、エネルギーチャージもできる。

 

店長から、「どうぞ、ゆっくりしていってください」と、温かい日本茶で

もてなしてくれた。

 

私は、これまで30年近く「ホスピタリー」という「おもてなし」の世界で

生き抜いてきただけに、ゼロか1という味気ない世界に疲れ果てていただけに、今日のランチタイムは再確認の場にもなった。

 

今日の老舗の心ある接客に、昨日認識した「丁寧さ」を感じた。

2023年

4月

01日

始まる

さあ、今日から卯月、気持ちを切り替えて、フレッシュなスタートを目指そうと、背筋を伸ばす。

 

何から始めようかと、心地よい緊張感と高揚感を覚えた。

 

新年度を意識して、かなり整理をしていた積りだが、手付かずの書類の多さに、取り敢えず、目の前の書類の仕訳を始めた。

 

仕訳するうえで、書類に目を通す作業で、新しい発見を見出し、記憶を辿っている自分に気が付く。

 

新しいスタートをするという事は、これまでの経緯を把握しておく必要があり、その経緯から、次にステップアップできるのではと想った。

 

この作業をカットすることは、次への脈絡を失する危険がある。

 

物事と向き合い、対処するには、慎重さと丁寧さを兼ね備える姿勢が大切との結論に達した。

 

新年度の目標を見出した。