2022年

6月

30日

水無月を食べる

今日で、予想外の気象に、唯々、驚くばかりの水無月が終わる。

 

色々、検索していて、偶然、「水無月」という和菓子の存在を知った。

 

記憶を辿ると、確か、銀座で美術の仕事に携わっている時に、ちょうど、

一階に老舗の和菓子のお店で、知り、買い求めた。

 

ご店主から、厳しい京都の夏を乗り切るために、又、一年の折り返しである6月30日に、残りの半年間の無病息災を祈願するそうだ。

 

「夏越祓(なごしのはらえ)」と言われる神事だそうだ。

 

改めて、確認のため、検索すると、確かに、三角の形状の上に小豆がのっている。

 

食感として、名古屋の外郎に似ているのを思いだした。

 

確かにこの季節、心太とか、麩饅頭、寒天とか、冷たくのど越しの良いものに、涼を求める気持ちがとてもよくわかる。

 

私にとっては、無病息災には心が動かされるが、「水無月」を求めて和菓子店に出かける気力は、残念ながら今年の猛暑には勝てないので、スルー

します。

2022年

6月

29日

医療機関の梯子

今日は午前と午後の二か所に病院の受診の予定がある。

 

9時過ぎには、既に、日傘からもぎらぎらと太陽の強い日差しに、グラグラしてくる。

 

既に、病院には4台の救急車が停まっているのが目に入った。

 

熱中症警戒アラートが発令しているのが、現実だとわかった。

 

最近の急激な暑さに、散歩のノルマを一万歩から、6千歩に落としたのだが

「鶏眼胼胝」と言われるタコが、歩くのも辛いほど痛くなってしまった。

 

何故か、左足のみで、知らず知らず私は左足に重心をかけた日常生活を過ごしているようだ。

 

数日前から、歩くのも辛く、時々、片足を上げて痛みから逃れるしかなく

今日が待ち遠しかったことか。

 

お陰様で、午後の病院は自宅から15分ほどなので、歩行も楽になった。

 

昼食後、今度は日傘をお供に、日陰を選んで病院に向かった。

 

5月中旬から、想定外の事情が発生したために、月に二回の診察と点滴で

エネルギーチャージをしているが、体力が長続きしない状況である。

 

病院に着くや、全身から、滝のような汗と、体中が熱く、血圧も体温も高くなってしまった。

 

看護師さんも、私の吹き出す汗を拭きとりながら、熱中症のような症状を案じるかのように、点滴の時間中、しっかり休んでねと。

 

何も考えずに、唯、ベッドに横たわり、後は看護師さんんが見守っているという安心感が、今の置かれている状況には皆無と言っても過言ではなく

今、私は至福の時を過ごしていると想った。

2022年

6月

28日

プレボノとコラボ企画

現在、私はあるプロジェクトの立ち上げに、地元の社会福祉協議会と地域包括支援センターに指導の下で、実現するために、努めている。

 

これまでの体験に加え、更に、現実を見極めるために、学び直しが必要と

思っていた矢先に、社協より、素晴らしい企画の案内を頂く。

 

地元のドコモショップで、社会福祉協議会、地域包括支援センターの三者のコラボによるものである。

 

コロナ禍が、取り敢えず、感染者数は増加傾向にあるが、認知症で不明者が凡そ、1.7万人と知る。

 

そんな状況で、今、認知症に関する、医療機関を始め、様々な取り組みが

盛んにおこなわれている。

 

その一つに、今回私も参加し、社会福祉協議会の利用、地域包括支援センターは、看護師による認知症に備えての知識、ドコモショップの担当者に

依る利用者への操作などの相談を受け付けるといった内容である。

 

最近プロボノという言葉を聞かなくなったが、私はこれぞ、プロボノであり、三者によるコラボであると、有り難く、心が安らいだ。

 

今後もぜひ、更にバージョンアップした案内を私は待っている。

2022年

6月

27日

猛暑・酷暑・炎暑

このところ、毎日のように、東京は猛暑・酷暑・炎暑と、いずれにしても

厳しい暑さが続いている。

 

愛用の辞書には、酷暑は厳しい暑さ、猛暑、極暑とある。

炎暑はひどい暑さとある。

 

いずれにしても、厳しい暑さであり、今では「命にかかわる暑さ」と言われ、「熱中症」にこの暑さは代表されている。

 

処で、猛暑とか酷暑には、基準があってのことと、検索すると、最高気温によるもので、2007年4月から35度以上の日を猛暑日、酷暑というそうでいずれにしても、35度以上については、暑さは同格とのことだった。

 

私は、季語に使われる炎暑が、太陽がぎらぎらと照りつける最もきびしい

燃え盛るような暑さを意味すると説明されているが、今年の異常な暑さには、炎暑がピッタリだが、どうやら、調べていくうちに7月に使うとある。

 

又、晩夏に該当するそうで、確かに、嘗て、私はふるさとで、夏休みの終わる頃の暑さは、執拗でまといつくような記憶がある。

 

現在は気温による基準で、35度以上が、猛暑、酷暑となっているが、今後

更なる気温上昇が、既に起こっている。

 

新型コロナウイルスも又、増加傾向にあり、私は、来月、4度目のワクチン接種を既に予約している。

2022年

6月

26日

行水

2日続きの猛暑日との報道に、体が驚いて、私は昨夜から、体調を崩してしまった。

 

朝刊を取りに行くのも、身体が重く感じるが、いつものルーティンで、どっこいしょと掛け声をかけて、弾みをつけて起きた。

 

エレベーターに乗り、いつものように、エレベーターの「今日は何の日」を見ると、「露天風呂の日」とある。

 

なんでも、「ろ(6)てん(・)ぶ(2)ろ(6)」の語呂合わせから、

岡山県湯原町が1987(昭和62)年に制定したという。

 

湯原温泉のことだと、直ぐに分かったが、露天風呂については、知らなかったが、ふるさと岡山県が紹介されているというだけで、何となく、体調が回復の兆しを感じた。

 

そういえば、幼少期の夏場、庭先で、日中盥に水を入れて、ちょうど、ぬるま湯になると、母親が、背中からゆっくりと全身に、太陽の恵みで、適度に温まったぬるま湯を何度もかけてくれた。

 

とても気持ちが良かった「行水」を思いだした。

 

こじつけっぽいが、これぞ、お子様の露天風呂ではと想った。

2022年

6月

25日

継続を学んだ

今朝の日経新聞の証券面を見て、嗚呼、時代の流れで仕方がないのかと思ったが、私はかなりのショックを受けた。

 

それは私の友人が務めていた関係もある「昭和電工(SHUWA DENKO)の「人生は化学式」という、名刺サイズより一回り大きいサイズである。

 

目立たないようであるが、連載化学小説として、長く掲載され、最後に私が読んだのは、第2章~第5話~で、統合は、CMPスリラーだらけという

現場にも統合新会社のパーパスやバリューが浸透してきたと、さらりと話題として触れていた。

 

6月25日の証券面の、サイズは同じであるが、目を疑った。

「連載化学小説『人生は化学式』は第89話より、続きはホームページにとの案内が紹介されていた。

 

これまで私は、ブログ等々で、もうやめ~たと弱音を吐くところ、この小さな担当者による化学小説に、「継続は力」と自分を励ましてきた。

 

最後のメッセージは「先輩からの差し入れは、コーヒーではなく、アルミックのコンッビーフだった。」と締めくくっている。

 

さて、次回から、ホームページを開くか、立ち止まっている。

2022年

6月

24日

溜まっちゃった

最近、マンションの理事長としてのお努めのため、自分の生活スタイルが取り戻せないでいる。

 

その証が明確に分かるのは、文章化する際に、役に立つと、新聞の切り抜きが、週末になると、溜っているのである。

 

明日が、資料のごみ回収日であるので、今日は山積気味の切り抜きを前に

改めて、取捨選択作業が続いて長くなる。

 

改めて、切り抜いた新聞記事の切り抜きを目の前にして、何故、切り抜いておいたのかといった目的が飛んでいることがある。

 

内心、助かったというか、もう、お呼びでない情報と決めて、資源ごみに回せるという行為は、私にとって、ストレス解消になる。

 

切り抜き資料の中で、6月8日の日経BPから発行されている工学博士の入倉隆による「手術をする外科医はなぜ白衣を着ないのか? 色の不思議を科学する」図書に、来月、脳外科の診察があるので、執刀医で、今も、温かく気遣っているドクターに尋ねてみようかなと思っている。

 

さて、ドクターの回答が今から楽しみにしている。

2022年

6月

23日

白い紫陽花

今年は大好きな白い紫陽花を見る機会がなく、今日は、余り思い詰めても

仕方ないことばかりが山積しており、目をつぶって、散歩に出かける。

 

毎年、必ずと白い紫陽花が咲いている場所まで歩くと、綺麗にアナベルと言われる白い紫陽花が咲いていました。

 

凡そ、一か月半、未知の世界を必死に努めてきたが、私にはかなりの重責であり、何とか、それに対しても、楽しんで取り組めないかと、取り組むようにしたいと願ってきた。

 

解決までには、専門職の力を借り、良き方向に、進めたいと考えてはいるが、なかなか、その糸口を掴むまでに時間を要する。

 

最近、日課としている散歩もできない状況が発生することもあり、今日は

どうしても、大好きな白い紫陽花を求め、散歩を決め込んだ。

 

途中で、偶然、暫くご無沙汰している友人にばったり。

出会うなり、開口一番「あなたの好きなテレビの相棒に初期のコンビが復活するそうよ、楽しみでしょ」と。

 

私は、数年前に、一寸納得がいかなくて、視覚からの情報ではなく、ラジオという聴覚で、情報を得て久しくなる。

 

しかし、友人には「あら、楽しみだわ」とは答えたものの、現在では時折

休養するホテルで、テレビを見る生活をしている。

 

友人と別れ、自宅に向かっていると、近所の植え込みに、くちなしの花が

甘い香りで、私を迎えてくれた。

 

くちなしには、私にとっては忘れることができないほどの大切な花であり

今日は、思い切って散歩して良かったと、心安らいだ日となった。

2022年

6月

21日

夏至と冷蔵庫

どうやら、命日をきちんとそれなりに父を偲んだつもりであったが、またまた、亡き父親との思い出が残っていた。

 

今日は24節気の一つ、夏至である。

 

それで思い出したのだが、ふるさとで生活している時、神戸時代から使っていた頑丈な木製の冷蔵庫があった。

 

父親は、食べ物に敏感な人で、夏至が来ると、母親に冷蔵庫を使用するようにと指示していたのである。

 

今のような冷蔵庫とは想像できない、その頑丈な木製の冷蔵庫には、氷室と言われる部分があり、そこに、駅前にある氷を商いにしている業者さんに毎日、氷を運んでもらっていた。

 

非常に品質は衰えず、特にふるさとの産地の白桃や、葡萄が冷たく、私は

冷蔵庫を開けるのが楽しみであった。

 

父親は取引先から、明石のタコの届け物があると、近所の魚屋さんに頼み

晩酌のお供にして舌鼓を打っていた。

 

やはり、この季節のタコは明石に限ると言いながら。

 

夏至から冷蔵庫の思い出に繋がるとは予想だにしていなかったが、懐かしいふるさとの思い出が、最近次から次へと拡がっているのは、私の中には

僅か、17年間、ふるさとで過ごした時間が充実していたのかもしれない。

2022年

6月

20日

今年初めてクーラーを使う

5月末に、エアコンの洗浄を依頼して、何とか頑張っていたが、室内の温度計を見て、びっくり。

 

年齢的に、室内での熱中症に気を付けなければと言われているが、まさか

自分の部屋が、熱中症にかかる危険水域の温度である。

 

慌てて、クーラーにスイッチオンである。

 

すると、暑苦しく、体全体が重く感じていた不愉快さが、なくなった。

 

そういえば、もうかれこれ、30年近く、冷房にする日が、6月の19日前後だと、気が付いた。

 

どうも、私は無意識のうちに、生活スタイルのリズムが毎年、同じような

タイミングに意識しているわけではないが、セットされているようだ。

2022年

6月

19日

何故、ほっぺが膨らむのか

私は毎日、新聞を楽しみにしているが、スポーツ面に目を通すことは少なく、スルーしているといっても過言ではない。

 

毎度ですが、1846年の今日、公式の記録に残る史上初の野球の試合が、ニュージャージー州で行われたと知った。

 

かねがね、野球の投手が、ほっぺを膨らませている報道写真に、何故だろうと、その仕種が気になった。

 

メジャーで大活躍のエンジェルスの大谷翔平選手、パドレスのダルビッシュ選手、更に、千葉ロッテの佐々木朗希選手である。

 

私はゴルフだけは、週に一回から2回、時間が許せば、ホームコースに出かけていたが、出来るだけ、遠くに飛ばしたいと、特にドライバーを持つと

歯を食いしばってショットをしていた。

 

野球は全くの素人での私は、気になりだしたのである。

 

これは私の想像の域だが、恐らく、投球後ゆっくり、フウーと膨らんだほっぺの息を吐きだしているのではないだろうか。

 

急に、妙な疑問から、今はスポーツ面も楽しみになりつつある。

2022年

6月

18日

今日は父の命日

以前に、最近亡くなった父親の夢を頻繁にみると書いたが、どうやら、命日を忘れないでと、私に伝えたかったのではないだろうかと、想った。

 

目覚めるや、忘れていませんよと、答えておいたので、恐らく、満足して

くれたであろうと。

 

そういえば、前夜から母親と二人で、父親の症状が刻々と変わっていく姿を、母親は私に、死に行くステップを丁寧に説明してくれたのである。

 

私も初めての経験で、悲しいという気持ちより、母親の冷静に、受け止めている姿に、いずれは母親を私が、看取る立場になる。

 

そのために、私は、母親の話に緊張感と、使命感を感じた。

 

翌日というのは、今日18日の朝、6時過ぎに旅立ったのである。

 

その時の母親が私に伝え残した言葉の一つ一つが、今私は貴重な体験をしたことを感謝している。

2022年

6月

17日

精神的に砂漠状態

わが地区ででは、翌日が資源ごみの回収である。

 

翌日のことを案じ、夕刻9時には取り敢えず、より良き環境保全のために

ごみの状況を確認しておくのが、せめ手の使命と認識している。

 

処が翌日6時に、ゴミ庫を開けた途端に、私は、ショックを受ける。

 

兎角、ワンルーム建設に反対する地域住民の気持ちが痛いほど分かる。

 

清掃会社から受け取れないといったシールに、まったく少数の住民による

行為は負かっているのであるが、やたら、「個人情報」というしがらみで

どうすることもできないのである。

 

一番環境問題に努力している人へ配慮はないのかと、行政に問いかけたいのである。

 

一歩踏み込んだ発言であるが、新大臣が就任した時に、前任者の責任を問うというシステムに、兼ねてより疑問を持っている。

 

前任者の責任は前任者が負うべき問題ではないだろうか。

 

今、恥ずべきながら、当マンションにも同様の問題が発生している。

 

現担当者に全員者の管理不行き届きを矛先を転じることは、断じて許せない決断として、私は、優良物件に代わるまで、闘う決意はある。

 

主治医を味目、私の体力がどこまで続くかと案じるほどに、ワンルームの在り方に大きな英断を下すべきが来ているのではないだろうか。

2022年

6月

16日

嘉祥菓子の日

今朝エレベーターに乗り、目に入ったのが、今日は「嘉祥菓子の日」という懐かしい記念日と知り、過去の自分の営業努力を思いだした。

 

美術の商いをしている時、私はある和菓子の名店の季節の和菓子を届けていた。

 

その和菓子の店長から、必ず、事前にオーダーして季節感のある和菓子を

お得意先に届けていたのである。

 

店長から、当店の和菓子をオーダーすることに、問いかけがあった経緯がある。

 

その時の答えは、例え、お目にかかりたい方が不在でも、変わらず、私が訪問したという足跡を残すために、変わらず、同じ和菓子の痕跡を残しているといった私なりの必死な営業方法であった。

 

特に、営業上大切なお得意様には、この「嘉祥菓子」をお届けしていた嘗ての営業努力を思いだした。

 

実は甘いものがものが苦手の私だが、縁起物として、私の日頃の配慮に対する感謝の気持ち以外に、なにも物も下心はないのである。

 

得意先がほとんど、企業であった為に、秘書室に届けることが多い。

 

時には、経営者の自宅訪問で、奥様とティタイムをご一緒して、お力添えを頂いたこともある。

 

私にとっては、「和菓子の力」と言っても過言はない。

 

正に「嘉祥菓子の日は」有難い記念日である。

2022年

6月

15日

梅雨寒の日

朝起きた途端に大きなくしゃみをした。

 

病弱だった私は、クシャミによって、風邪にまでなってしまうか、クシャミにもいろいろあることを体験している。

 

「クシャミ三回」ではないが、繰り返すクシャミに寒気が伴うと、風邪になる可能性がある。

 

今日は有難いことに、寒気を伴わないクシャミなので、温かい飲みも物で暖を取る。

 

しかし、一向に、寒気は収まらず、体温計を測るも、平熱である。

 

とにかく、これといった症状が現れない限り、日常の生活を過ごす。

 

唯、私はこのブログでも何度もアップしているように、あらゆる日常において、協調性というものに欠けているのである。

 

依って、健常な人は「あら、今日は寒いわね」とやり過ごすところを、私の体のセンサーが敏感にキャッチするのである。

 

東北も梅雨入りとのこと、日本中が鬱陶しく、寒暖差の激しい季節に突入したと、自覚して、自己責任において自己管理をするしかないのである。

 

今日は、1950年(昭和25年)、暑中見舞い葉書が初めて、販売された日だそうだが、季節感お、自然の営みがしっくりコラボしない時代に、

郵政省のご苦労だと案じる。

2022年

6月

14日

ストロベリームーン

私は61年ぶりのふるさとへの帰郷から、「天文台のある町 あさくち」に目覚め、毎日の空の変化に関心を持つようになった。

 

今日は、6月の満月の日だが、中国、近畿、東海、北陸の4地方が梅雨入りとの報道に、楽しみにしていた満月は諦めざるを得ない。

 

すでに、いち早く関東地方はいち早く梅雨入り宣言をしている。

 

嘗ての先人は、梅雨入りに必ずぶつかる祭りが都内にあるが、もし、その期間に雨が降らなければ、「空梅雨」と言われている。

 

東京は、先人たちの残した言い伝えに、6月の満月に、日頃の思いのたけを

訴えたかったひとも少ないないが、その想いは叶えられなかった。

 

晴天率の高い「晴れの国 おかやま」、ふるさとの大気の安定率の高い地でも、ストロベリームーンは見えなかったのだろうと、想いを馳せるも、

自然の力には勝てないと、受け入れるしかないのである。

2022年

6月

13日

新しいスタート

思いついたのは、今年の2月だった。

 

思い立った理由は、主治医から、これまでの体験を生かした活動であれば

私がちんまりと、自宅にこもっていることが、血圧の上昇など、メンタル的にこれまで、ふるさとの活動を始め、動き回ってきた私にとって、このコロナ禍は、大変な苦痛であり、本来の生活リズムが崩壊した。

 

それに対して、私も戸惑うばかりで、何ら良き解決方法がないままに、今日まで、いらだつ心を抑えながら、私なりに頑張ってきた積りである。

 

昨夜、リセットのつもりで宿泊したホテルに、室内にある冊子に岡山県について、紹介記事が掲載されていた。

 

県民性は瀬戸内海に面し、降雨率の低さから「晴れの国」と言われ、気候の温暖さから明るく開放的な人が多いとある。

 

正に、その通りで、私には、どうしても、17年間過ごした住みよさと、明るさが、どうしても、ふるさとに対する想いが消えないのである。

 

しかし、60年の居住実績を持つ私には、ふるさとより、全てが現在の居住地に実績や繋がりがある。

 

私は、敢えて、故郷への思いを断ち切るために、これまでの体験を生かした企画を考えている。

 

社会福祉協議会、地域包括支援センター、民生委員、保護司の立場の方の理解と支援によって、第一回の、打ち合わせをスタートすることができたということは、私の「呟き」が現実化してきた、始まりの日となった。

 

理事長にしろ、今回のプロジェクトにしろ、私はまだやるべきミッションがあるのだと、想いを新たにした。

2022年

6月

12日

終の棲家に憂う

最近の我がマンションの住環境の乱れに、私は体調の変化が著しく成り、夕刻、お馴染みのホテルに駆け込んだ。

 

とうとう自力でリセットができない程、精神的に疲れ切っってしまった。

 

スタッフの温かいもてなしに、ほっとするも、一睡もできない体調にこれまでは心から、ゆったりとできたのに、どうしてと案じながらも、眠れない夜を過ごす。

 

精神的にはのんびりとしたはずだが、頭は眠らずに冴えている状況であり

変だなあと思いながら、思い当たらいのである。

 

しかし、チェックアウトして、自宅に帰り、昼食後、鏡を見た私は、全てが分かった。

とうとう、右のほっぺに久し振りに、単純ヘルペスが赤く発症していた。

 

食欲もなく、全身がかったるく、兎に角、ベッドインしたかった。

 

念のために、主治医から頂いている抗生物質を飲んで、兎に角、兎に角、

何をする気力もなく、体を休めたかった。

 

とうとう、私の体力の限界のシグナルが出たのである。

 

我慢が足りないと、友人からの指摘に頑張ってきたが、もう、限界を感じた私は、ギブアップというか、白旗を上げるより仕方なかった。

 

これまで、長年父親が残してくれたペンシルビルから、今度は自分のテリトリーさえ、守れば良いと思っていたが、寧ろ、今は理事長という立場で

守るべき世帯が増えたのである。

 

出来れば、一昨年の脳外科の手術後も、終の棲家について考えたが、今、私は今後の終の棲家について、心が揺らいでいる。

 

何とか、体力を保持しなければと、無理矢理にも口に運び、曇り空の中に上昇中の飛行機を久しぶりに、ベランダ越しに見えた。

 

やはり、私には都会のエネルギーには体力的にもたないのかなあと、改めて今後の「終の棲家」を考えなければならないのかなあと、飛行機を追いかけながら、将来の行く末を考えていた。

2022年

6月

11日

図書館の力

今月6から日本刑事新聞に時代を映す図書館建築というシリーズが始まっている。

 

大阪公立大学院教授 倉方俊輔によって十選の連載に6月6日から掲載を始めたものであるが、私にとって、何度か訪れた国立国会図書館図書子ど

も、市の一つである。

 

安藤忠雄氏によって、見事にリノベーションによって日本を代表する国際子ども図書館に蘇った。

 

私は、幼少時から「絵本の必要性」に幼児体験から身に必要性を身を以って体験してきた。

 

上野公園を通りすぎて、隣接する東京芸術斑大学を左手に見ながら、私は

子ども図書館に歩みを進めてしまう。

 

病弱の時代を過ごした私には、母がふるさとで何処からと来なく見付けて来る図書によって、ある意味では同年同年齢よりも、図書を通して頭でっかちになっていた。

 

しかしは、決して無駄になっていなかったと思って、両親の努力に感謝をしている。

 

そのためにも、今度が私が惜しみなく、未来の子供たちに提供する立場と思っているが、東京と言い、地域の広さと言い、立ち往生してしまうのである。

2022年

6月

10日

ごみ問題は続く

予想外ごみの量の多さに、わが地区の清掃業者に申し訳ないという気持ちでいっぱいになる。

 

兎に角、個人情報が天下の宝塔になって、一切、いかなる時も、優先順位は「個人情報」である。

 

残念ながら、わが地区には清掃工場を持ち合わせないため、近隣の地区に

宜しくという肩身の狭いを想いをしているのが、直接担当している清掃事務所の苦労に頭が下がる想いである。

 

これまでにありとあらゆる知恵を絞って、管理員と努めてきたが、それをあざ笑うかのように、残念な数人の依って、徒労に終わる。

 

心を痛め、心身ともに疲れ果ている私は、日本経済新聞の夕刊面に、「あすへの話題」というコラム欄を、毎日楽しみにに拝読している。

 

6月6日、三井不動産の菰田正信社長が、「リサイクル都市日本橋」という

テーマで「リサイクル都市江戸」というテーマで記してある。

 

菰田氏によれば、既に300年前に以上に実践されていたのが、「リサイクル都市江戸」で、江戸の街はとにかく「街がきれい」で街にごみが落ちていなかった。

 

何故か? それは江戸時代の人達がものを大切にしたからだ。

 

「もったいない」の精神が、私も、我がマンションのごみを見るにつけ、

既に死語になっているという想いを感じる。

 

兎角、物質の口頭に対して、これだけのものを購入できる人たちに、私は

羨ましくも想う。

 

確かに、私も「もったいない」と思われる時代に生き抜いてきた年齢である。

各人の企業努力で今日になりたった産物ではあるが、いまさら、地球危機に関係しているとは自覚がないのではないどうか。

 

必ず、地球のも受け入れる限界があると想うのは、加齢からくる年苦労であるのか。

 

何度も申し上げているが、我がふるさとの母校を始め、近隣の小学校では

環境問題に対する様々な体験学習の場があるにも関わらず、人は何時から

無関心になるのであろうか。

 

とても、徒労に終わる学習の場に、私は怒りを禁じえない。

2022年

6月

09日

ゴミ出しに限界

友人から、常々、私は我慢が足らないと言われてきたが、かなり、私なりに努めているつもりである。

 

何時から、我がマンションのごみが増え続け、しかも、マナーの乱れに、

取り敢えず、理事長として、管理員の苦労が痛いほど、伝わってくる。

 

特に、この地区もどんどん集合住宅が増え、しかも、ほとんどが賃貸という名目になっている。

 

入居者の回転が速いだけに、賃貸期間内で、お終いと言っては、善良な

賃貸入居者には申し訳ないが、実際には少数者によるものと信じたい。

 

更に追い打ちをかけるように、コロナ禍により、在宅勤務により、プラスチックのごみを始め、きちんと、ごみ袋を結んでいないといった誠に情けなくは、恥ずかしく、何時しか怒りに代わっている自分を抑えるに、時間が必要である。

 

6月4日の日本経済新聞の夕刊紙の記事によれば、飲食のテークアウトが、

定着している中で、繰り返し洗って使うリュース容器や食べられる器への

関心が高まっているという。

 

それで、思いだしたのは、昭和の時代、お豆腐を買いに行くときは、必ず

お鍋とか、器を持っていた。

 

記事の文末にドイツでカップやトレーを含め、使い捨て容器の使用が禁じられるなど、海外では、取り組みが進んできているそうだ。

 

是非、衛生面もあり、喫緊の課題として、各人が目覚めてほしいと願っている。

 

理事長として、唯々、管理員に「有難う」しか言えない自分の限界に対し

遂に胃が痛む日々が続いている。

2022年

6月

08日

方書?

区内の施設を利用する必要性に、申込書の書類に「方書」という記入欄に

躓いた。

 

77歳にして、知る初めての経験である。

 

愛用の辞書で、調べるも残念ながら記載された居ない。

残るはネットで検索して、初めて分かった。

 

確かに、行政から送付される書類には、例えば区内、番地に加えて居住先の名称が記載されている。

 

ナイナンバーカードに始まり、健康保険証、区役所から送付されるアドレスには、集合住宅であれば、その名称が記載されている。

 

「方書」とは、その部屋番号に該当する集合住宅の明記が必要だと言うことを、恥ずかしながら初めて知った。

 

しかし、この年齢になっても知らない表現があると、又、一つ知識が増えたと前向きに考えている。

 

無事に書類の受理にホットした次第である。

2022年

6月

07日

牛乳月間に想う

今週は牛乳月間と知り、私は、牛乳によって、健康を維持した。

 

処が、最近環境問題で、「牛のゲップ」が問題になっている。

 

私のふるさとの母校の小学校で、初めて学校給食を体験した時に、食後、

牛乳瓶を洗い、綺麗になった瓶を分別ケースに返していた。

 

私も、母校の子どもたちの通り、同じように洗った。

 

其の後、翌年には、紙パックに替わっていたが、子どもたちは、ストローを外し、紙パックを広げて、水洗いをして、分別コースに返している。

 

都内では、ストローを削除して、紙パックから直に飲むといった教育をしている学校もあると知った。

 

今、私は折角、母校のように徹底した環境門問題教育をしているにも関わらず、その教育が生かされていないのかと、理事長を引き受けて残念で仕方がない。

 

まして、これまで健康のために牛乳の力を教育していたはずであるが、急に「牛のゲップ」が環境問題に影響を及ぼすことに、人間の驕りを感じるのは私だけであろうか。

 

又、「ごみ」に関する認識の違いだだろうか、せめて学んだ記憶を想いだしてほしいと願っている。

2022年

6月

06日

銀座の紫陽花

今、歯周病に対する関心が報道されている、

行政も「歯周病」発症に対する取り組みが見直されている。

 

銀座で商いをしていた関係から、3が月に一度、歯のチェックというかケアに、銀座の歯科医に、診察をお願いしている。

 

今まで、発症しなかった歯周病の発症に、体調が現れるとは、甘く見ていたのだが、最近、歯周病が如何に、日々の健康生活に影響を及ぼすとは、知りえなかった領域である。

 

毎日、目覚めた時から朝食後、昼食後、夕食後、就寝時と健康が歯の状況によって、防止できるというアドバイスに、私は固形物でなければと、都合よく逃げ道を考える。

 

先ずらしく晴れ女の私には、朝から勢いよく振りし来る雨に白旗である。

 

毎年、6月は「歯の予防週間」に忠実に、年に4回「歯の健康診断」に出かけるパターンを続けている。

 

今まで、ほぼ、虫歯のチェックと考えて居たが、最近は「歯周病」に対する注意感度が不可欠になっている。

 

前回より改善しているとの結果報告に、昭和通りに面した紫陽花の花が、

私の気持ちを代弁するかのように、鮮やかに咲き競っている。

 

自宅までにも、私の大好きな白い紫陽花を始め、色とりどりの紫陽花の花が、私を迎えてくれた。

 

水を含んだ紫陽花の美しさに、心が安らいだ。

2022年

6月

05日

自著を書店で買う

数週間前、次なる目的のために、改めて、20212年発行の自著「笑顔の力」を読み直す必要性に、確か、数冊はストックしていると、思って、

思い当たるところ、探してみたが、見つからない。

 

仕方なく、散歩を兼ねて、近くの書店に取り寄せを依頼した。

今日、書店より連絡があり、2012年版は在庫がなく、後に2018年の文庫版が書店に届いたとの連絡がある。

 

2018年の文庫本も既に、私の手元には見つからず、書店の連絡に応じて、散歩を兼ねて、買い求めにいった。

 

書店で、一般の購読者として、さり気無く買い求めるという、何とも不思議な想いになった。

 

自宅で、改めて手に取って、言葉では言い表せない不思議な距離感を感じたのである。

 

つまり、本当に自著なのという疑問を感じたのである。

 

しかし、改めて読み直すと、当時の私の想いがくみ取れるのである。

 

まさか、自著が現在の自分を学び直すに必要な答えがあるとは、何とも、

「人との関わりの中で、絶対に変わらない本質があるのでは」と、初心に

戻って学び直す機会なった。

 

まさか、想像だにしていなかった。

2022年

6月

04日

私の「虫の日」

6月4日と言えば、先ず、「歯の衛生週間」で、小学校時代は、歯科医で、校医の先生が、「ハイ、あーんして」と、「むし歯の予防」だった。

 

「歯」に関しては、ちょうど、子どもの歯から、永久歯に代わる年齢に当たり、突然、ポロリと歯が向けて、慌てる。

 

父親から、抜けた歯を、「多くな声で、ネズミの歯と取りかえておくれ」と言って、庭先に投げた記憶を思いだした。

 

疎開先は瀬戸内の海が目の前に広がり、亡くなった祖父が、魚市場で買い求めてきた小魚を、すり鉢を胡坐の中に抱え、更に細かく、今でいえば、ペースト状にしていた。

 

それが終わると、すり鉢から、私を胡坐の中に抱えながら「マリよ、早よ

元気で、大きゅうなれよ」と言って、口に運んでくれた部分だけが、三歳未満であるが、鮮明に覚えている。

 

お陰様で、祖父の愛情の下で、歯は今も、全て自分の歯が健在であり、父親からはネズミの歯と取りかえて貰ったおまじないが功を奏している。

 

一方で、今日は、1988年(昭和63年)に「かぶとむし自然王国」として、現在の田村市である福島県常葉町に「虫の日」として制定されたと、今朝のエレベーター内の「今日は何の日」で知った。

 

こちらの「虫」については、ふるさとで過ごした期間は、全てと言っていいほど、「虫」は苦手であった。

 

しかし、今、ふるさとの母校の小学校のブログには、自然豊かな土地柄もあり、カマキリやテントウムシなどが伸び伸びと成長している姿に、何故

怖がったのだろうかと不思議に思う。

 

唯、61年ぶりに帰郷した際に、宿泊先の旅館の軒先のムカデを退治しているのを見かけた時は、やはり、ゾックとして恐怖を覚えた。

 

更に「読み聞かせボランティア」を終了した私は、急に、「ファーブルの昆虫記」を思いだして、隣接する図書館で、改めて読み直した。

 

終日、私にとっては様々な「虫の日」となった。

2022年

6月

03日

信じられない

先月、マンションの管理員が交代して、新しい管理員と行動を共にすることが多く、今日も午後から、照明器具の点検がある。

 

確かに、人類にとって欠かせない「灯り」は、安全、安心のために不可欠とされる。

 

烏滸がましいが、取り敢えず、理事長という立場の私は、これまでは一人の居住者として見過ごしてことに、初めて、任務の重さを感じた。

 

という次第で、取り敢えず、私用は午前中に片づけようと慌ただしくしている時、ラジオから耳を疑うようなニュースに、信じられなかった。

 

横浜中華街で現存する最古の中華料理店「聘珍樓」が破産手続きをしたという。

 

家族で数回、足を伸ばして食しても、いつも満足感に満たされた。

特に、父親は疎開するまで、神戸で過ごしていたせいか、中華料理が好きだったようで、もう、老舗の味は、懐かしい思い出でしかなくなる。

 

何だか、人生100年と言われているが、時代の変化と言い、そのスピードに、さてさて、若くはならないだけに、寂しさの量が増えるばかりだと、

愚痴っぽくなる自分に、情けないぞ、頑張れという声が何処からともなく

聞こえてくるのだが。

2022年

6月

02日

がん検診

コロナ禍の影響で、がん検診の受診者が減少しているとの報道に、私も昨年は何となく、コロナの感染状況を見計らっていたので、期限日の最終日に駆け込んだ。

 

今回は2年に一度の、婦人科系の乳がんと子宮頸がんの検査である。

母親は子宮がんで子宮全摘、2度の乳がんの手術後、亡くなっているために

何となく、私も気がかりでいる。

 

今年も無事にクリアしますようにと、祈る気持ちで、検査を受ける。

 

病院ボランティアをしていると、乳がん検査も子宮がん検査も、どちらも

婦人科系なので、婦人科と思い込んでいる人が多い。

 

私も、恥ずかしながら、ボランティアをするまでは、乳がんは外科、子宮がんは婦人科とは知らないでいた。

 

先日も、検査着に着替えている途中で、私より高齢の方から、「どうして

婦人科だけで済まされないんでしょうか」と、話しかけられたが、正直のところ、私もその疑問は解決していない。。

 

乳がんは男性にも発症すると聞き、そのあたりかなあと、機会があったら

ドクターに尋ねてみようと思っている。

2022年

6月

01日

水無月に違和感

2016年から旧暦を使ったブログを始めて以来、何故、6月が水無月なのかと、考え続けてきた。

 

新暦でいえば、田植えに必要な水の力が欠かせないのであるが、陰暦によれば、一か月先に起因する。

 

つまり、稲作も、成長期になり、寧ろ、育ち始めた稲の成長に害ある次なる季節に該当する。

 

そんな私の長年の戸惑いに、6月1日の日本経済新聞のコラム欄「春秋」が、明快に答えている。

 

コラム欄によれば、この春に亡くなった俳優の柳生博さんが古い暦に関心があり、自著「和暦で暮らそう」に古来の月の呼び名を紹介している。

 

6月は水無月の身にあらず、田水之月(たみの月)、風待月、鳴雷月(なるかみつき)。

更に、蝉の羽月(せみのはつき)と続く。

 

どれを取り上げても、季節感を感じるようで、確かに、陰暦なので、7月に該当するのであるが、先月の真夏日と言い、自然のあるべき趣に想えるのは私だけだろうか。

 

やはり、「水無月」は、「7月」であれば、何となくしっくりとする。

 

とやかく言っても、今日から「水無月」は始まり、ふるさとでは田植えの

季節であり、「水無」では、米の生育に苦労する。

 

私はその苦労を想うと、「田水之月」がピッタリくるのだが。