2022年

12月

31日

手帳の引継ぎ

今日、今年の手帳から明日から始まる新しい年の手帳に、引き継いだ。

 

手帳を引き継ぐとは結果的に、今年一年を振り返る作業になる。

改めて、今年という77歳は、実に、精神的に不安定な日々を過ごしている状況に、自分でも驚いている。

 

大体2か月単位で、試行錯誤している。

その原因の一つには、長びく新型コロナによって、すっかり、人との繋がりが遮断された状況の中、独り住まいの私は、何とか、自分流の生活スタイルを保持したいとの願望が強くくみ取れる。

 

3回目の新型コロナウイルスワクチンを2月に接種を済ませたあたりから、

先の見えない新型コロナとの闘いに、精神的な疲労を覚えた私は、不安から何とか、前向きでありたいと、あれやこれやとチャレンジしている。

 

しかし、満足を得るには至らないとわかり、その反動は体調にシグナルを

発してしまうのである。

 

一方で春には思いがけない楽しいハプニングもあり、秋には凡そ3年ぶりに故郷の母校の小学校で、体験学習に参加したり、懐かしい方々との楽しい関わりを持った数日は、冷え切った私の心が和んでくるのが分かる。

 

口惜しいが、今年は散歩に関係する足の故障が多く、何年ぶりかで整形外科の御世話に成るという体験をしている。

残念だけど、これだけは来年に積み残しの課題となりそうである。

 

思いがけないという表現は私の自惚れで、77歳という現実を認めるという

一つの私への警鐘だともいえる。

 

今年年初から「下手の横好き」である文字化するという目標を、とうとう

実行できなかったことが、私の中で重く残ったままである。

 

毎年、新年に前年度の資料や書類を今年は年内に済ませたせいか、お陰様で来る明日からの新年の目標が一つづつ、実現できる状況になっている。

 

私が体調を崩してまでも、頑張っているのを見ている友人は、生み出すまでの辛さが大きければ大きいほど、良き結果に繋がるのだからと、私の苦労は当然と突き放す。

 

友人に云われるまでもなく、同じ想いでいる私は前向きに、目標を目指して歩みを止めることなく、新しい年を迎えたいと想っている。

2022年

12月

30日

間に合った

先日、通販からのカタログに、ケーブル編みのセーターを見付け、年内は無理と諦めていたところ、思いがけなく届いた。

 

早速商品の確認を済ませ、鏡の前で、納得して、はっと気が付いた。

今日で、年内の郵便局の窓口業務がクローズする。

 

今年の1月17日から、ゆうちょのATM利用に際して、硬貨使用時には料金がかかるという改定のお知らせには、私は些か憤慨している。

 

そのために、硬貨を伴う支払には、オーソドックスであるが、通帳と印鑑を持って、伝票に書き込むといった懐かしい方法に戻したのである。

 

年越しの借金はしたくないと、又、昨日のドクターの忠告が頭をかすめたものの、私は郵便局にまっしぐら。

 

嗚呼、間に合ったという満足感と共に、この性分が、今回の禍の原因であるにも関わらず、懲りないで、「やっちゃたあ」。

 

もう、これっきり、これっきりと今夜の上弦の月と、木星に向かって誓うつもりでいる。

2022年

12月

29日

頑張らないで、頑張る

昨夜、足首の炎症の痛みが強く、不安になった私は、かかりつけの病院に駆け込んで、予約外であったが、お願いをした。

 

玄関先で、私の情けない姿に、顔見知りのナースが「どうしたの?」と、

驚いた表情で、迎えた。

 

お陰様で、これまでの経緯を説明し、取り敢えず、10枚近くのレントゲン写真の結果、やはり、足首の炎症で、アキレス腱は問題ないとのことで、

ほっとするも、ドクターから「取り敢えず、大人しくしてね。そうすれば

回復するから。どうか、頑張らないで、頑張ってね」と。

 

とうとう、初めての整形外科の先生からも、まるで、どこかで私の性格を

知ってか、見抜かれたのかはわからないが、何と、「頑張らないで、頑張って」というワードが飛び出すとは、びっくりである。

 

どうやら、私は余程、遮二無二頑張っているように見えるらしい。

 

次回の予約は、ほぼ、一か月先であるという事は、それまで私は自ら招いた「歩き過ぎ」というか、酷使した足首の痛みと向き合うのである。

 

という事は、やはり「頑張りすぎた」結果と言える。

 

新しい年からは、同時進行などは、年齢的に無理と認識して、自分を労わらなければと、今、肝に銘じている。

2022年

12月

28日

年の瀬の風景が変わった

今年も今日で仕事納めと言われるが、自社のカレンダーを紙袋に持って、得意先のあいさつ回りをするという風景が、年を追って少なく成ったように思うのは私だけだろうか。

 

年内の疲れが取れるように、午後から、点滴に出かける途中、横断歩道の信号待ちをしている時に、人通りが少なく、閑散とした街の佇まいに、時代の変化を感じた。

 

かつては、小売業の店が立ち並んでいたが、あれよあれよという間にすっかり街並みが高層化し、表情豊かであったそれぞれの個性ある店が、特に

歳末は賑わっていた。

 

凡そ、60年近く住み慣れた東京の我が街並みの変化に、以前は何の店だったかしらと想いだそうも、記憶がプツンと途切れてしまう。

 

先日23日の日本経済新聞の「春秋」に、山本周五郎の「年の瀬の音」を

紹介していた。

「十二月になると一日一日に時を刻む音が聞こえるようである」

 

後ろ向きに考え、試行錯誤することは、もうお終いと決めている私は、今

足首の痛みがどうやら年を越しそうな「痛みの音」だけが聞こえてくる。

 

ベランダからの視界も、10年前に比べると、高層ビルが目の前まで迫ってきているため、今夜も痛む足を庇いながら、冬空にスカイツリーと上弦のお月様にご挨拶する年の瀬である。

2022年

12月

27日

冬晴れに赤い山茶花

相変わらず、私の足首は改善の兆しはなく、日を追って歩行時に痛みを伴い、膨張していく症状に、このまま、湿布薬で新年を迎えるには、不安を伴った。

 

幸いに整形外科の先生の診察日に当たり、病院に出かけた。

 

玄関先の植え込みの赤い山茶花も、3輪を残すのみに、やはり、季節は既に

新年に向かって移ろいでいるのだと想う一方で、未だ痛みに耐える余裕を

持っている。

 

数日、天気予報士が、「冬晴れの日」という表現をするが、その予報士から、冬晴れとは「風がなく、穏やかによく晴れた日のこと」をいうと、解説があった。

 

実は、大通りで信号待ちをしている時の吹く抜ける風の冷たさに、本当の冬晴れではないのではと思いながら、背中を丸くしている。

 

診断の結果、22日の3万歩の徒歩によって、足首の筋肉に負担をかけての

炎症との説明に、自ら招いた結果に、「時薬」しかないと覚悟した。

 

相変わらず、冷たい師走の風が吹き抜けている。

2022年

12月

25日

トナカイさん 有難う

記憶は遡ること、今年の4月に母校に繋がる方から、あるボールペンを探していましたが、案内した先では、求める品種が無くなっていることを覚えていました。

 

将来の子どもたちを育てる若き教育者が望んでいる、たった一本のボールペンを覚えていました。

 

偶然、私の愛用する父親からのパーカーのボールペンも時折、擦れたりと

云った不安定な状況に、買い求めた際に、記憶が蘇ってきたという次第。

 

出来ることならばと、クリスマスプレゼントに間に合えばとの効果を考え

本来であれば、23日中には届くという返事に、投函した。

 

処が、思わぬ冬将軍に、サンタさんのトナカイもシックハックしたようで何とか25日の夕刻届いたという連絡を受け、ほっとしたものの、私の連絡によれば23日中に届いていたという状況に、何となく気がかりで落ち着かない日々を過ごしてしまった。

 

たかが、サンタさんが冬将軍に負け、トナカイさんも、疲労していたという事に、私は、何とか、25日中に間に合って、送り主から、笑顔の連絡が

届いたことに、先ずは、サンタさんトナカイさんに有難うと伝えたい。

2022年

12月

24日

歩き過ぎた結果

今朝から、右足の足首が重苦しく、何となく腫れている。

思い当たるのは、22日の日に、色々と片づけならない用が出来て、地域を

東西南北、交通機関を利用しないで歩いて過ごした。

 

どうやら、3万歩を歩いていたらしく、平均一万歩を目標としていた私には

オーバーワークであった。

 

しかし、年内に対処しなければならない事情に、私は歩き過ぎた結果は、

足首を痛めてしまったようだ。

 

何てこと、クリスマスイブの日に、辛い想いをするなんてと、悔やんだが

待てよ、之には必ず、良い結果に至るために通り抜けねばならぬ問題だと

妙に悟った気持ちになった。

 

目的を目指すためには、何らかの艱難辛苦を乗り越えなければならないのよと、友人から言われた。

 

私は、敢えて、喜寿と言われる年齢を7×7の掛け算をすると、49という

数字は更に4×9にすると、シックハックという事に繋がると、納得した。

 

手元に残っていた医療機関からの湿布薬を張りながら、クリスマスイブを

過ごした。

2022年

12月

23日

紙を切る音

明日が、わが地域では年内最後の資源ごみの回収日である。

 

今の私の体調には、引き出しや封筒に入っている1年から大体3年近い書類に目を通して、必要と思って残していた資料も、案外必要としなかった紙資源としか思えないものになっている。

 

紙資源に変わった資料や書類を、鋏で、次々に適当に切る作業は、私には

ストレス解消というか、気持ちが落ち着くのである。

 

今日は朝から、故郷の「あさくちブルー」のような、すっきりとした青空だが、震えあがるほどの北風に、自宅に籠ることに決めた。

 

そうと決めるや、久しぶりに「自分の時間」を取り戻せた私は、紙資源の

整理を始めた次第である。

 

只管、チョキチョキと切っていると、紙を切る音が、サックサックといったリズミカルに聞こえてくる。

 

本当に久しぶりに、マイペースで好きな「断捨離」を味わえた。

 

長くこんな時間が見いだせなかった日々に、今日は、明日の資源ごみの為

にあるかのように思える。

 

紙を切るだけの時間が過ぎていく中で、今年を振り返るより、私には来る

新しい年に、色々と自分の想いが湧いてくる。

 

やっと、本来の私を取り戻しつつあると、気持ちが和らいでくる。

 

単純な紙を切るという作業で、自分の中で荒立った感情が収まり、次から

次と、前向きな意欲が頭を擡げてくる。

 

スマホに、図書館にリクエストしていた図書の連絡が入っていた。

すっかり忘れていたが、運よく年末年始の休暇期間があるので、貸し出し期限が普通より長く、ゆっくりと読み込めると、楽しみである。

 

朝からの北風は衰えず、相変わらず冷たく寒い一日だが、私にとっては、

久し振りに穏やかな自分を取り戻せた。

2022年

12月

22日

血圧がシグナル

昨日21日は、2か月に一度の循環器の診察日である。

先日19日のくるくる回転していた原因は、急激に血圧が上昇したからで、

現在は、電子カルテなので、主治医の先生は既に救急センターに駆け込んだ情報を周知していた。

 

永年、私を診断しているだけに、私生活の変化を察していた。

先月、故郷に帰郷した報告に、それは良かったけれど、今月になってから

徐々に血圧が高くなってきている事情を話した。

 

兎に角、正直に血圧に表出する体質をよく理解している先生だけに、取り敢えず、高くなり過ぎた血圧を下げる為に、これまでより、量を引き上げて様子を見ることにした。

 

これまでも高血圧症であるが、想像を超える高い血圧に対して、その原因が思い当たるだけに、今後は、「自分を大切にしていく生活スタイル」に

方向転換しようと、肝に銘じたのである。

 

自炊に努めていたはずが、いつの間にか、食生活も守れない日々を過ごしていたことは、心当たりがあるだけに、猛烈に反省しなければならない。

 

昨日、散歩の途中で、見上げた空に飛行機雲が見えた。

やはり飛行機雲は翌日が雨のシグナルと、天気予報で報じていた通り冷たく、朝から大粒の雨が降っている。

 

午前中に、プロジェクトの打ち合わせがあり、手がかじかむほどの冷たく

激しく降る雨の中を出かけたが、体調に不安を覚えることもなく、順調に済ませ、外に出ると、霧雨に変わっていた。

 

昨日の昼食から自炊を始めた私は、今日の昼食は、すっかり冷え切った体には、温かいお蕎麦が最高と想った。

 

今日は「冬至」、故郷から送られた「姫ゆず」を入れてと、ゆとりを覚えるに至った私は、体調の回復を感じ、寒さも気にならない自分に驚く。

2022年

12月

19日

救急待合室で見たサッカー決勝戦

18日の「ラジオ深夜便」で、ふるさと列島たよりが「岡山県笠岡市」からで、岡山名産の「白桃」が、今、この季節に「冬桃」として、出荷されているという話題に、初めて聞いただけに驚くと共に嬉しく思った。

 

聞き終え、「サッカー決勝戦」に切り替えようと、無意識に部屋の照明をつけた途端、丸い照明器具がぐるぐると左回りに、回転している。

 

一瞬何が起こったのか、わからず、照明を切った。

暫く目を閉じて、もう一度、点灯すると、更に回転度がスピードアップしている。

 

悪い予感が脳裏を駆け巡った。

初めての経験であり、そっとベッドに起き上がり、かかりつけの病院の救急センターに電話を掛けた。

 

数回かけて、繋がり、症状を訴え、兎に角、タクシーですぐ来てください

との応対に、タクシーを拾うとするも時刻が悪く、目の前を「迎車」の表示が、私の目の前を通過していく。

 

長く立ち続けていると、口元や四肢の強張りを感じ、部屋に戻り、友人に連絡を入れて、タクシーを待つことにした。

 

私はスマホにタクシーのアプリを入れてなかったことを後悔した。

「早く来て」と祈るような思いで待つしかなかった。

 

友人に付き添われ、救急センターには既に、数組が待っていた。

 

待合室の頭上にあるテレビからは「サッカー決勝戦」が映っている。

恐る恐る見上げた映像は、くっきりと、眩暈をすることなく見えている。

 

ナースに先ほどの症状を話しながら、血圧、体温、パルスオキシメーターをチェックしている間も、テレビを見続けていた。

 

救急医から、私のカルテの病歴による、脳神経外科と循環器科に関係ある

幾つかの質問というか、問いかけに対する私の反応から、現在服用している薬の副作用によるものとの診断結果であった。

 

ドクターの説明を聞いて、待合室に戻った時、丁度、アルゼンチンの勝利が映っていた。

 

手続きを済ませ、帰りもタクシーが今度は「回送」に変わり、見つからず

友人と私は「歩いてかえろうか」と、全く同時に同じ言葉が出た。

 

お陰様で、症状も見られず、ゆっくりと友人と自宅に戻る途中で、くっきりと明るいシャープな冬の月に、二人は寒さを忘れ見とれてしまった。

 

19日午前4時5分を時刻は示していた。

友人に熱い日本茶を勧め乍ら、改めて、独り住まい問題に、来年からスタートするプロジェクトに、私は身を以って大きな体験と宿題を頂いた。

 

今日19日の午前中は、年に4回の歯科のヘルスケアの日であり、既に嘘の

ように、症状はなく成り、好きな銀座で気分転換と、出かけた。

 

毎年、サイクルが12月に当たるので、クリスマス一色の銀座の街並みを

楽しみにしている。

 

歯科医からも、お陰様で問題はなく「8020を頑張りましょう」と。

 

まあ、何と、18日の深夜から19日にかけて、変化の多い日を過ごした。

2022年

12月

17日

一週間早く若いサンタさんが来た

何時からだったろうか、我がマンションに区分所有者が僅かで、留守電話に、敢えてしていない理由は、独り住まいの私は、一日中声を出さないという生活の場のために、自己責任で、留守電話にしていないのである。

 

コロナ禍に始まる前に、独り住まいの高齢者から固定電話に、「どうしたらいいかしら、直ぐ来て」という連絡が、夕刻8時から9時に掛かってくるといったことがほとんど連日のように、独居老人から連絡が続いていた。

 

私は救急車に連絡を取りながら、求めてきた高齢者の住まいに急ぐといったことが日常茶飯事であった。

 

そのうち、夜の9時過ぎに連絡が入った時に、慌てて固定電話を取り上げると同時に、パジャマの裾を踏みつけて、転倒、背筋から、流れ出る血液に

私は救急車を依頼、高度救命センターに運ばれたという経緯がある。

 

其の後、経禍観察をしてきたが、自分が納得いかず、地元の地域中核病院に、灯台元暮らしで、知らずにいた。

お陰様で案じていた副作用もなく、今、こうして、日常生活を送ることができるのは、執刀医の先生に恵まれたからである。

 

何時しか投機マンションの理事長に限界を感じていた時期に、集合住宅の売却に関する営業の電話を受け取った、。

 

日頃のお付き合いもあり私としては、当初は軽い気持ちで、受け答えしていたが、彼の熱心さに対して、向き合うことにしたのである。

 

というのは、業者独特の雰囲気を感じなかったからである。

勿論、必要以外は声を出す機会もない私にとっては、彼からのマメな連絡が忘れられない存在に変わっていった。

 

何と、今日の夕刻私に会いに来たいという連絡に、これまでの彼の電話口の応対に対してあってみようと、返事をした。

 

時刻通りに訪ねて来た彼は、きちんと、玄関先でコートを脱ぎ、しかも私に、一足早いのですが、クリスマスプレゼントを携えていました。

 

私は、これまで美術商として独立しても、生臭い営業に関する話題をすることなく、よく担当の秘書に「彼女は、昨日のゴルフのスコアしか話さないで帰ったけど、何か仕事の話が合ったのかね」と問いかけたそうです。

実は、私のこれまでの営業テクニックでした。

 

正に、昨日夕刻に訪ねて来た彼は、一言も、自分の置かれている職種、営業に触れることなく、22歳という若さの持つ「笑顔」で去っていった時に

嘗ての私の営業方法と似通っていることを思い出しました。

 

彼からはふるさとの話、将来の計画などなどを、素直に私が問うことなく

マスク越しに話してくれるその清々しかに、私は、今年一年の私の心を癒してくれました。

 

かつて、私も一経営者として、名刺を交換すれば職種が分かるので、それ以上に人柄を信じて、営業に繋がれれば良いと言ってきた。

 

何と、私を心を案じるように、1週間前の早き時期の「若きサンタさん」に、感謝をしたいと思い直したいと思った。

 

なんと素晴らしき若きサンタさんの出現に、ブラボー。

2022年

12月

16日

幸せだなあ

昨日15日は一月の寒さに、体力の低下している私は散歩を控えた。

 

私は恵まれている実感を味わった。

 

永年、病院ボランティアとして、病気の方の「話し相手」として、30年近く続けてきた実績を記憶して友人から、専門職の方が匙を投げている人に

兎に角、「話を聴いてほしい」という依頼が入った。

 

其の後、我が故郷の農家の方から、地元でとれた果物や野菜が届いた。

 

本来のこれまでの体験を生かせるという依頼に、私は逆に「しあわせだ」と、想い、「私の体験で役に立つのであれば」と、引き受けた。

 

初めて出会う方に対して、真っ白い地図を持って接した。

彼是、4時間に及ぶ時間の中で、賢明な相手はそれなりの自分に対しての

結論を得たようである。

 

ポストに宅急便の不在伝票に、連絡をして、わが愛する故郷の桃農家からの自宅で採れた素朴ではあるが、懐かしい物ばかりである。

 

まるで、がっくりと落ち込んでいた私を見抜いていたような、私に対する

偶然かもしれないが、「幸せだなあ」と、冷え切った心が温もった。

2022年

12月

14日

疲労困憊状態です

今回の有料老人ホーム入所事件は結果的に、僅か、3日間で、結末が付き、

振り返ることなく、前進するのみを考えていた。

 

処が、かなり私にとっては、心身ともに応えてしまった。

精神的に気力で乗り切るつもりでいたが、身体にはシグナルが表出してしまったのだ。

 

比較的、日常は高血圧症であるが、不安になり、ドクターの診察を受けると、案じていたように、血圧が異常に高くなっていた。

 

ドクターもこれまでの血圧より高い数値に、即、点滴を指示、ナースまでも心配の表情に、私は、頑張らないで、医療を選んだのは賢明だった。

 

処置室で、気持ちが和らいでいくのが分かる中で、今後のマイスタイルを

うとうとしながら、考えていた。

 

点滴液の落ちるリズムは、私の心臓のリズムと繋がっていると想いながら

確かに、心身ともに疲労困憊の状態ではあるが、時間の経過が、後になって、これで良かったという答えが出てくると、想っている。

 

私にとっては、大変貴重な「学び」だと、もうこれでお終い。

2022年

12月

13日

後始末に追われる一日

昨夕の希望していた有料老人ホームへの入居資格がないことが明白になり

ホーム側からの、15日以降での見学を兼ねたショートステイの準備に追われていたところ、審査に合格しなかったために「縁がなかった」との、僅か数秒の担当者からの返事を受けた私は、今回の件でお世話に成った多くの方々への、結果報告をしなければならなくなった。

 

今日は正月事始めと言われ、一年間のすす払いの日に当たる。

私は取り敢えず、健康診断書を朝一番に、予約を取っていた病院へのお詫びと、老人ホームへ提出の書類一式をかかえ、冷たい雨が激しく降りしきる中を、私は一刻も早く片づけたかったから。

 

其の後、弁護士の先生や、税理士、不動産会社、案じている多くの方々に

報告をしなければならなかった。

 

何のことはない、元の日常が戻ってきたというわけで、この数日間は、何だったんだろうとすら思えたのである。

 

結局のところ、全くの身寄りも親族のない私は、「成年後見制度」のうちの、「任意後見制度」を契約していれば、或いは入所できた可能性があると、辯護士の先生から、伺った。

 

先生曰く、「任意後見制度についても、淺野さんが納得できる段階で、しっかり見極め、考えませんか」という結論に至った。

 

今回、その任意後見制度を契約していても、私には、それだけではないものを感じ取っている。

 

有料老人ホームの「自立」という問題で、ホーム側の組織としてのルールと、私が望んでいる自立に対する誤差というか、見解の相違がある様に

想われるのである。

 

もうこれ以上、私は、有料老人ホームに入所することについて、考えることはやめようと決めた。

 

置かれた環境で、体力の続く限り、前向きな生活スタイルを見い出そうと

折しも、今日は今年の積もった埃を取り除く「すす払い」の日である。

 

今夜から明日にかけての三大流星群の一つである「ふたご座流星群」に、間もなく新しい年、2023年に期待を込め、流れ星に願いを託そう。

2022年

12月

12日

有料老人ホーム入居顛末

昨夕で、故郷からの依頼を受けていたプレゼンテーションの書類も整い、

投函する段階に成り、先日の理事会で、理事長退任の宣言をして、やっと

我が人生に、体力的にも、ゆとりのある生活空間を見付けた。

 

11日に面談と見学を兼ねて、憧れの有料老人ホームに出かけ、行き届いたもてなしを頂き、次なるステップは、実際に体験するショートステイという話にまで進み、スピーディーさに、振り回される日が面談後始まった。

 

処が、審査を担当する部門から、ストップがかかる連絡をこちらの都合もあり、夕刻7時に担当者から「今回はご縁がなかったこととしていただきます」と、これが、高齢者の施設に対する対応かと、永年、30年近く病院ボランティアとして、又、施設で認知症に関わってきた一人の人間として、

余りにも、お粗末な対応に関して、逆にこれで良かったと納得した。

 

身寄りのない自立した入居者希望者に対する説明不足、或いは弁護士が付いていながら「任意後見制度」に対する受け入れ側の説明不足は否めないと想っている。

 

私も、法律的に認められている縁者に対する入居説明は、入居審査の前に説明する必要性があると考えている。

 

考え方によっては、この年齢でも明晰であれば、入所資格がある存在であると、私の知識、確認不足である。

 

私は、今回の有料法人入所資格のない判断は、今後の大き高齢者へ指針になると考えている。

 

人世百年と言いながら、高齢者に対する待遇との格差が歴然と生じているのが、現実である。

 

今回の件に対して、肝心な箇所に触れていないという事は、些か、憤慨、卑怯と思っても良いのではないだろうか。

 

全て、入居としての事前段階のショートステイの準備をしている私に対しキャンセルになるという逆転劇は誰が予想できますか。

 

これは私に対する人生の「学び」として、寧ろ有難く受け止め、皆様の前でシンポジュームにシンボリストとしての活躍の場が用意されています。

 

私の失敗談を今後の啓蒙活動に、皆様に学びの提供をしたいと。

 

唯、残念ながら、我が故郷が創設の地である有料老人ホームでの事例だけに、残念に思っています。

 

もう、振り返ることなく、自分の人世に悔いなきように前向きに、生きて参ります。

 

逆に今回の入所失格によって、私はまだ楽な選択でなく、人のために力を貸すミッションが残っていることを再認識しました。

 

今回の入所失格による体験を、生かしていきたいと、想っている。

2022年

12月

09日

落とし物

今の私の時間は、全てボランティアに費やされている日々であり、今月の5日は、「国際ボランティア」の日だったと、来年からスタートする一人住まいで、ともすれば、コロナ禍により、外出の機会が減り、人との交流も途絶えがちな方たちのために「ぼっちの会」を立ち上げることにした。

 

もう、大丈夫と思っていると、次から次に、気付かない箇所が出てきて、社会福祉協議会に相談に出かけた。

 

その帰り道、横断歩道で、何かに足をのせて、転倒寸前で支えられた。

足元にピカピカの私も愛用している新型のパーカーのボールペンの上に、

足をのせてしまったとわかり、拾い上げると、ネーム入りで、恐らくは、

記念品かプレゼントの類だと察せられる。

 

交番に届けようと、きょろきょろしたが、かなり離れた距離にあり、目の前に警察署があり、私は、窓口で「落とし物ですが、どちらに伺えば宜しいですか」と尋ねると、丁寧に落とし物の窓口まで案内された。

 

窓口の対応も丁寧で、「奥さん、ネームが入っているから、落とし主にとっては大切な記念品でしょうから、見つかるといいですね」という。

 

何か、とても、爽やかな気持ちになった私は帰り道の商店街で、私の体型にあったセーターを見付け、購入した店主から、今、年末の福引をしているから、寄っていきなさいと。

 

大体、くじとか、ゲームにも弱い私は、殆ど期待もせずに、懐かしいカラカラ回すと、出てくる色に、きっと、外れくじだと、立ち去ろうとしたら、「お客さん、500円券が2枚でました」。

 

早速、購入した店に報告に行くと、「良かったね~、今日うちの店では

初めてだよ」と言われ、隣接するお店の人も出てきて、「笑顔、笑顔」。

 

これまでの辛かった日々がすっ飛んでしまい、先月帰郷した際に引き受けていたお手伝いも、うまくいくと、晴れ晴れとした気持ちで、ある兼ねてから考えていた老後の問題に進めていこうと決心した。

2022年

12月

08日

ゴールドムーンを見あげて

今年最後の満月ゴールドムーンが、脳外科で手術後の個室から見えたスカイツリーが、私にとっての毎日の変化するライトアップに、どれだけ心の

安らぎとなったであろうか。

 

今日、満月とスカイツリーのコラボに、冬空にくっきりと見える情景に対して、兼ねてから、私の中で考え続けていた想いを実現しようと決心を固めた夜である。

 

先月、故郷に帰郷するという事は、ある意味で私はこれまで支えて下さった母校を始め、ご縁のある皆様にお別れをする積りの帰郷でした。

 

しかし、故郷への想いは断ち切ることができない程の温かさに、私の心は揺れ動いてしまいました。

 

母校の子どもたちの元気な声、まだ私を忘れていない子どもたち、最後の

極め付きは、初めてお目に掛かった校長先生の子どもたちに対する姿勢に

触れた時、ここで、私は「もうこれっきり、これっきり」にしていいのだろうかと、帰京の新幹線の中で、眠気の中にも頭を離れませんでした。

 

新年を迎え、3月には78歳を迎えるにあたり、身寄りのない全くの独居老人に私は、紛れもな現実が待ち受けています。

 

偶々、私の健康管理をしている病院の建物の上に、有料老人ホームがあることに気づき、気持ちを切り替え、老人ホームに入居できればとの想いが強く成ったのである。

 

取り敢えずはネット等で慎重に検索を重ねた結果、私は叶うならばと楽な

今後の高齢生活を夢見るに至った。

2022年

12月

07日

第5回目の新型コロナ接種

7月中旬に4回目の新型コロナウイルスワクチンの予防接種から、5か月後

の今日、5回目の予防接種をする。

 

これからも予防接種がいつまで続くのだろうと、感染は避けたいけれども

何となく、緊張感もなく、慣れっこになってしまったというのが、本音で

ある。

 

3回目までは、友人によっては、張りを感じたり、痒みを覚えたとか、一寸

体のだるさがあるとか、接種後、話題になったが、4回目辺りから、話題にも無くなってきた。

 

今、インフルエンザ並みの2種扱いにするか、検討しているようだが、結局

5回目までは従来通りの扱いとなっている。

 

東京都では、年末から新年にかけて、人の移動により、感染の増加を予測案じているようであるが、経済についての制約はないとの見解である。

 

今日は、24節気の大雪だが、夕刻の飲食店は軒並み、賑わいを取り戻して

明りが点いている風情から、季節柄、温もりを感じる。

 

明日が、今年最後の満月だが、見上げた夜空には、既に満月と錯覚を覚えるほどの澄み切ったお月様が綺麗だった。

2022年

12月

02日

木枯らし

東京は2年連続で、冬の訪れを告げる「木枯らし1号」が吹かなかったとの気象庁の発表があった。

 

しかし、早朝は気温も低く、体感的に、かなり寒さを覚えます。

 

お馴染みのスーパーも、日常品の値上がりも、「あれよ、あれよ」と、目まぐるしく変わり、手に取った商品を間違ったかなと、改めて見直したり

してしまいます。

 

独り者ですら、気付く価格高騰に、私の懐に「木枯らし」が吹いていますが、お陰様で風邪をひかないだけ、良しと思わなければと、前向きに考えています。

 

経済は「魔物」と聞いたことがありますが、どのような仕組みになっているのか、経済音痴には、分かりませ~ん。

2022年

12月

01日

今日から極月

師走と共に今年一番の寒気到来、つまり冬将軍のお出ましである。

今朝ほどの日本経済新聞のコラム欄「春秋」に、師走を「極月」ともいう事を、恥ずかしながらこの歳になって知った。

 

つまり一年が極まる月のことで、師走も良いが何となく気忙しさが感じられる表現で、愛用の辞書によると、私は「きわめつき」と思い込んでいたら、「ごくげつ」でした。

 

「春秋」に、山口青邨の「極月の人々人々道にあり」と掲載されている。

確かに、「ごくげつ」となると、山口青邨による、歳末の雰囲気がさらによく伝わってくる。

 

さてさて、私の「極月」はどんな日々になるのだろうか。

出来れば、「笑顔」の日々が続いてほしいなあと願っているが。

 

まあ、ケセラセラ、先ずは、自分を大切に過ごしたいなあ。