2022年

4月

03日

雨のお江戸日本橋

1944年(明治44年)日本橋が木の橋から石の端に、変えかけられたと、エレベータに「今日は何の日」で知った。

 

嘗て、母親が建材の頃、神田駅から歩きながら、日本橋の老舗のお店を話しながら歩いた思い出を思いだし、朝から、桜散らしで、季節外れの寒さを感じながらも思い切って出かけた。

 

というのは、今年に入って、夢でふるさとの今は亡き住まいや両親のとの当時の生活を思い出す機会が多く、何故だろうと思うのである。

 

今回は亡き父親が、ポケットに小銭しかなくても、銀座八丁を往復、16丁を歩くと、心が豊かになるよと、私に銀座の町の良さを話tくれた記憶もあり、今回は、時には激しく降る雨の中をあるき続けた。

 

気が付くと、日本橋まで歩いていた。

高速道路に挟まれた日本橋だが、さすが歴史を物語る風格はあり、まったく、無意識に、架けられた高速道路に、私も、なんてお粗末な判断をしたのだろうと想いながら、冷たい雨の中に暫く佇んでいた。

 

都市計画というものは、今になって、色々見直しがされているが、「お江戸日本橋」もその代表的な一つである。

 

経済効率ばかりでなく、本来の日本人の感性を取り戻してほしいと願うばかりである。

 

京橋地区から、大型ビルに姿は変わって居るが、環境面における配慮は、銀座地区より、整然と街並みに行き届いているように思った。

 

一方で、老舗と言われる店舗も大型ビルに転居しているのは、一寸残念だと想う反面、安全性を優先するうえでは致し方ないのかと思った。

 

今年最後の桜の花散らしの中を、傘に桜の花びらが数枚、振り払う気にはならず、そっと、チーフに愛おしむように収めた。

2022年

1月

31日

今年もお世話になります。

いよいよ、今日で、区内の総合健康診査が終了の日である。

数日前から、気が重くて、出来れば今回はスルーしたいところだが、気持ちの上で、この状態は危険である。

 

午前中の予約で、6時過ぎには、まだ宵の明星がキラキラと瞬き、9時過ぎの空は雲一つない青空に、銀色の飛行機が見える。

 

これは幸先が良いと、思い込むも、いざ、検診会場が近づくにつれて、食生活の怠慢を嘆いても、既に遅しである。

 

凡そ、1時間ほどで終わったが、その疲労感は我ながら驚くほどの重圧を

感じた。

 

自宅に帰るや、食欲もなく、ベッドに滑り込んだ。

 

気が付くと、夕刻の6時近くまで、昼食をとることもなく、唯々、寝入ってしまうほど、心身を消耗したようだ。

 

ポストに夕刊に紛れて、東京都後期高齢者医療広域連合の封書を受け取り

開封すると、「医療費等通知書」に、2020年9月の脳神経外科の手術から2021年8月までの保険医療の明細が、記録されていた。

 

改めて、2020年からの私の健康の歴史を見ているようである。

書類に目を通してみると、随分保険診療にお世話になっていると、今日を限りに、自分の怠慢での体調不良には、大いに反省をした次第である。

 

明日は如月、旧正月である。

旧正月を機に、食生活を見直し、「もうこれっきり、これっきり」にして

医療費を軽減できる生活をしようと、決めた。

2022年

1月

30日

睦月の予定は果たせず

2022年の手帳に年間のスケジュールを書き込んだ。

 

残念だが、書き込んだ予定は三つあるうちの二つが、残すところ、明日一日で予定通りにはいかないと、焦りと反省が同居している。

 

予定というより、自分との約束に意志の弱さで負けてしまったといえる。

 

昨年後半の体調不良を繰り返さないためにと、食生活を改善しなければいけないとの気づきから、しっかりと、自炊に徹するつもりでいた。

 

ところが、朝の散歩の際に、ついつい、スーパーに立ち寄り、食材でなく

散歩で冷えた体のせいか、自炊する気力がなくなり、出来合いのものを求めてしまう生活が、半月ほど続いている。

 

明日は、区の健康診断もあり、恐らく検査の結果が正直に表れるだろうと

気が重い日曜日を過ごしている。

 

僅か、半年で、脆くも決意が崩れるとは、我ながら情けなく思っている。

 

がっくりしているところに、友人から、今年は寒くて寒くて、体が冷えて仕方がないけど、これが歳をとったということかしらと、固定電話の声からも、私同様の訴えを聞いて、友人の気持ちがよく分かる。

 

先の友人は、必ず固定電話を利用してくる。

声で私の体調が分かるからだと、有り難い友だと想っている。

 

因みに今日は、1970年(昭和45年)、電話の通話料金が、3分間10円に設定された日だそうだ。

 

処で、今はいくらに設定されているのだろうか。

 

散歩をしていても、電話ボックスを見かけることも、利用している人も少ないように思うのは私だけだろうか。

 

念のために私は、今でもテレフォンカードは持っているが、使用する機会が、無くなってきた。

 

嘗ては、出先で公衆電話での長話の際は、硬貨を入れながら話が弾んだ時代を懐かしく思いだしていた。

2022年

1月

29日

東京から脱出

2018年の61年ぶりの母校への帰郷から、私の心に慣れ親しんだ岡山の温暖な気候に心を惹かれていた。

 

特に、昨年の2021年の11月20日の早朝における「直下型地震を思わせる上下のドスンと来た衝撃」に私は、恐怖を覚えた。

 

如何にしっかりとした建築とは言え、精神的に、初めて一人住まいの自分の立場に、援助者がいる住まいを求めた。

 

嗚呼、とうとう、来るべきものが来たかと思ったと、同時に、わが自宅の

躯体はしっかりしているが、最近の自宅の修理状況に疲れを覚えていた。

 

更に、私の長年の体験から、日々の情報に対しても敏感になっていたが、

残念乍ら、連日の新聞紙上の記事からも、疲労感を感じ始めていた。

 

奇しくも、昨日の28日の日本経済新聞の夕刊に続き、今朝の「東京23区の初の超過」が報道されている。

 

コロナ禍の影響が大だともあるが、私が求める東京脱出は「穏やかに過ごしたい」という思いだった。

 

ある友人が、私のブログには「友人が随分多くの友人を持っていることで時には煩わしく感じない」と訪ねたことがある友人すら、私にはその人であるに他ならない。

 

確かに友人の指摘の通りで、「おこもり生活」の中においては、気分転換を見出すのは、各人によって異なるが、悩ましい。

 

例えば、私が母校のあるふるさとに帰郷して、移住・永住を望んでも、後期高齢者の年齢の私は、住民に負担をかけるだけで、「お呼びではない」のだ。

 

よって、母校の近くで、シニア型の老人ホームを探してと、一時は心が動いたが、凡そ、50年近い東京での私の築いた実績を失うこともである。

 

特に、地方では、移動には自動車が不可欠であり、収支決算してみると、寧ろ、現状を維持していることの方が経済的に安価であると分かった。

 

一時の感情で、若いうちは早計も許されるが、間もなく、77歳を迎えるに私には、秀でた才能や技術がない限り、「お呼びでない」のである。

 

こうして、歳をとるということは、現実を逃げないで現実を見るということだと思った。

2022年

1月

28日

金曜日は忙しい

金曜日が私にとっては、大変忙しい日になった。

 

というのは、翌日の資源ごみ回収に、新聞からの情報を見過ごして居ないかと、確認作業をする。

 

更に、新たに、2022年1月17日からのゆうちょ銀行利用に対するサービスの内容の変更である。

 

近くのATMを利用すると、うっかりなんてしていられないのである。

時間枠が縮小されている。

 

「セコイ」と言われればそれまでだが、別に敵愾心を持つのではなく、民間事業ととしては止むに止まねぬ決断と、極力、怒りを抑えている。

 

私がゆうちょ銀行を利用しているのは、他行の民間銀行より日本中どこに

行っても、存在があるといった安心感にあった。

 

然し、民間企業になれば、収益の問題が発生してくるのである。

私も小さなアメーバー企業の経営者として、分からないわけではないが。

 

ゆえに、金曜日までに郵便局での確認を済ませておくようになった。

いずれ、通帳の発行にも手数料を求める日は早晩真近いと思っている。

 

更に、紙資源は不足しがちで、特にコロナ禍における感染予防に必要であるペーパータオル、トイレットペーパー不足に、私としては、極力牛乳パックを、真面目に資源回収日に協力している。

 

わが地区では、資源回収が土曜日なので、私一人でも「塵が積もれば」と

言い聞かせている。

 

更に、土曜日の郵便配達の規制により、金曜日は夕刊より遅く、5時過ぎに重要な書類がポストに投函されて居る。

 

確認したくても、翌週の月曜日という案内に、これまでとは違った時間の長さを感じるのは私だけだろうか。

2022年

1月

27日

ピンク色の雲

今朝、カーテンを開けた先に、ピンク色に染まった雲のグラデーションに思わず見とれてしまった。

 

昔から、「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」と言われる諺が頭をかすめた。

でも、こんな綺麗なピンク色の雲が、後に雨を呼ぶなんて信じられない程の美しさである。

 

然し、「朝焼けは」という既成概念が頭から離れないので、検索するしかないと思った。

 

何と、朝焼けの場合でも、晴れる日の朝焼けは「ピンク色からオレンジ色から黄色へと順に明るい色に変わっていく」と。

 

検索している間に、晴れのセオリー通りであれば、今はオレンジ色に変わって居るのではと期待して、カーテンを思い切り開けた先に、オレンジ色というより茶色系の雲に変わっていた。

 

期待していたオレンジ色はタイミングを見逃したのかもしれないと、諦めようと思った時である。

 

正面のビルのガラス窓に太陽が反射して、黄色というには無理があるが、ちょうどオレンジ色と黄色がミックスしたパワフルな色が眩しかった。

 

時間にして、僅か20分ほどであったが、ピンク色の雲に始まった朝焼けの

固定観念から、新しい発見をしたという満足感が広がった。

2022年

1月

26日

「冬ごもり」と決めこむ

昨晩の小雨の余韻が残り、重苦しい雪雲のような雲が空一面を覆っていて

カーテンを開ける気持ちにならない。

 

昼食後の今、そっと、カーテン越しに空に目を転じると、太陽が元気を取り戻し、空もブルーに変わっている。

 

先日の大見得を切った約束に、セピア色の資料を並べてみるも、どうやら

気が進まないといった困った状態に陥っている。

 

散歩に出かけようかと思ったが、午前中の空模様で、気持ちが萎えた。

 

丁度、保健所から第3回目の新型コロナワクチン接種の案内が、昨夕届いたので、接種日の予約を医療機関に依頼した。

 

「冬ごもり」というか「おこもり」を決め込んで、偶にはこんな日を作らなきゃと、自分に言い聞かせた。

 

久しぶりに「頑張らないで、頑張る」「無理をしないように」「急ぐ時ほど、ゆっくり行動する」などなど、思い出すことが多々ある。

 

2011年、「医療安全推進週間」の標語に応募した時のメモが見つかる。

「急がず、焦らず、慌てず、落ち着いて」と。

 

つい、最近、「感情労働」という言葉を知った。

つまりは「無理にすることが、ストレスになる」ということだそうで、今日は「ケセラセラ」で過ごそうと決め込んでいるのは理に適っている。

 

とはいっても、ふっと、ハイパワーになって一気呵成になる可能性もあるので、自分を追い込まないで、良いアイデアが出るまで待つとしよう。

 

夕食は「月見そば」で、体を温め、気分転換に断捨離をしようかな。

2022年

1月

25日

純白とオレンジ色のコラボ

今日25日は、全国で一番寒いとされていると、天気予報士が報じていた。

また、1979年、上越新幹線の大清水トンネルが貫通した日だそうだ。

 

その後、1985年の11月、美術の仕事をしていた私に、同業者の一人として12月にオープンする「ニューグリーンピア津南」の宿泊施設を始め、スキー場などの施設に、絵画や立体等々の美術品を納品、設置をするために、

上越新幹線に集合した。

 

同業者の一人が、大清水トンネルはなんでも、世界最長らしいよと、話しているのが聞こえた。

 

というのは、数日前から、体調を崩し、悪寒もあり、できれば出張を控え

休養したいところだが、責任もある立場上、唯、車窓の風景をぼんやりと

眺めていた。

 

その時、視界が真っ暗になった。

先ほどの大清水トンネルに入ったからで、本当に長いこと、長いこと

車窓の窓ガラスにが、鏡の役割を果たし、車内が映りだされた。

 

今年も昨年同様に、豪雪地帯は降雪量が半端でなく、いくら慣れているとは言え、毎日、大変なエネルギーが必要だと想いを馳せる。

 

津南では、毎年、11月13日から雪が舞い始めると聞いた。

確かに仕事が終わった13日の朝、バスを待つ停留所に、パラパラと粉雪が

降り始めた。

 

その後、2018年だと記憶しているのだが、まだ、コロナ禍の上陸前には、

新聞紙上や、折りこみによる旅行会社の広告が、多く掲載されていた。

 

その中に、「津南雪まつり」を見つけた。

一つのイベントとして、辺りが銀世界の中、優しい「ランタン」の灯りが沢山打ち上げられている光景に、目を見張ったのである。

 

何とも言えない温もりを感じる「雪まつり」であり、偶然にも、今日が懐かしい大清水トンネルの貫通日と知って、検索したが、コロナ感染のために、どうなるのか案じられる。

 

「純白とオレンジ色が織りなす世界」の素晴らしいコラボだと、再開を願っている。

2022年

1月

24日

ゴールドラッシュ

連日のように、新聞の折り込み広告を始め、電話では、「金の相場高騰」による買取のセールスが、頻繁にかかってくる。

 

遡ること、1848年、カリフォルニアの川底で、金粒を発見したそうで、その後多くのアメリカ人が押し寄せ、ゴールドラッシュになった日が、今日24日だった。

 

174年前の出来事だが、現在、金粒ではないが、ゴールドラッシュの再来かと思うほどの、「金色」の魔力に異常なまでのエネルギーを感じる。

 

川底ならぬ我がふるさとの白砂の砂浜で、竹のざるで、砂を掬って、米粒よりも小さく1ミリにも満たない、キラキラしたものを見つけるのが、楽しかった記憶を思いだした。

 

人は「キラキラ」した「金色」には、本能的に宝物のように思う素質があるのだろうか。

 

処で、先日22日のブログで取り上げた、メトロポリタン美術館展の26日からのチケット販売の案内が、今日の24日の日本経済新聞の掲載によれば、

「女占い師」が紹介されている。

 

恥ずかしながら、私は、名画のすべてを見るという配慮に欠けていた事実を知ったのである。

 

直感的に部分的で、解説によれば、「豪華な身なりの若者」が「運命を告げられたことに疑いを抱きつつも弱さにつけ込まれて、コインを取り上げられてしまう」ところまでは、大体私も読み取ったつもりである。

 

不信感を持つ「眼差し」や「目つき」に捉われていたが、何とよく見ると

若者は「周囲の女性に金品をかすめ取られている」のである。

 

「女占い師」のコインは、やはり「金色」なのだろうか。

残念ながら、紙面ではそこまで読み取れない。

 

東京会場の会期は5月30日まで、できれば「女占い師」に、世界中を不安に陥れているオミクロン株について、あるいはコロナの収束を占ってもらいたい気持ちにもなる。

 

その際は、「金色のコイン」を忘れないようにしなければ。

2022年

1月

23日

電子メールの縁

1月23日は、郵便局では「いい(1)ふみ(23)」として、この日には「文を出しましょう」と、宣伝していた時代を思い出した。

今も継続しているのだろうか。

 

今日は、1994年(平成6年)に、電子メッセージング協議会(現・Eジャパン協議会)で、「いいふみ」と語呂合わせで「電子メール」の日と制定したとエレベーターで、知った。

 

2018年1月23日、母校の小学校の校長先生から、突然、メールが届いた日で、振り合えって見ると、61年ぶりに、私が卒業生だったと認識した。

 

実際に母校に帰るのは、6月で、打ち合わせ等々を、全てメールで解決し、

6月中旬の帰郷時に、校長先生と、「初めまして」となった。

 

61年の歳月は、懐かしいふるさとの風景は、すっかり様変わりをしていたが、梅雨期にも関わらず高く晴れ渡った空の美しさ、新鮮な自然の香りを残した空気、時折頬を優しく吹く風は変わっていなかった。

 

その日を境に、私は改めてふるさとの良さに魅せられてしまった。

 

離れていただけに、地元の人にとっては、当たり前として受け止めている数々のことが、私には、新しい宝物を見つけたような「ふるさと愛」に、

目覚めてしまったのである。

 

校長先生からのメールがなければ、私は「ふるさと」を思い出すこともなく、東京がふるさとのように受け止めていただけに、4年前の今日1月23日のメールは、私にとって、ふるさととの「縁」を繋いだ大切な日である。

2022年

1月

22日

気になる眼差し

コロナ禍で、美術館にも足が遠のいて、久しくなる。

 

間もなく来月から開催される国立新美術館の「メトロポリタン美術館展」で、新聞紙上に掲載されている名画の一つが気になっている。

 

幸い、土曜日、気になる要素はクリアしないと、落ち着かない性分の私は検索した。

 

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」の作品と知った。

日本では初公開だそうだ。

 

画面の右側の老婆が「女占い師」で、その周囲には若い男性一人を、若い女性たちが取り囲んでいる。

 

画面上から、「女占い師」が占い料を受け取ったその瞬間の、取り巻く男女の「眼差し」が、気になったのである。

 

恐らく男性が支払った時の中央の男女の「眼差し」というより、強烈すぎるが、「目つき」といった感情が表出している。

 

一方の女占い師にも、正当な報酬に対して、その場の雰囲気から、説明が

必要と、やはり、見開いた目から、声が聞こえて来そうだ。

 

何となく、画面全体からは釈然としない雰囲気が流れている。

 

こんなに、じっくり名画に対して、自分の思うままに独断ともいわれそうだが、楽しんだのは、久しぶりである。

2022年

1月

21日

子どもの声が聞こえない

最近、気になっていることがある。

 

我が家の前の小学校を始め、隣接する公園に子どもたちの声が聞こえないのである。

 

それが、案じていたオミクロン株による影響だろうかと案じている。

あんなに、賑わっていた、公園と子ども達の声が日を追って、聞こえなくなっている。

 

我が母校で、先輩の長年PTA役員として、尽力された方から、「子どもたちの声は、何よりの大切なことだと」と、卒業生の私に語り掛けた。

 

それは、間もなく訪れる3.11の地に於いて、地域のために、特に小児科のためにわが身の寿命を削ってまでも尽力したドクターを思い出す。

 

出来ればと案じつつも、やはり、低年齢のオミクロン株の感染によっての

今まで、通学時間帯の子どもたちの元気な声に、私はどれほど、自分に対して、パワーアップされたことだろう。

 

登校時も下校時も、全く静かで、私は気になって、時間帯を見図っても、

いつものような子どもたちからの声は聞こえないし、通学道路で、元気に

追いかけっこしていた風景もなくなっている。

 

やはり、オミクロン株の感染が、じわじわと広がりが低年層にも広がっているのだと、現実を認めるしかない。

 

正しく、私に何気なく語った長寿の母校の言葉の重みを、改めて噛み締める今日この頃である。

 

どうやら、母校にも感染防止のための安全を期して、体験学習はストップという情報に、心を痛めている。

 

何よりも、可愛い子どもたちに感染しないように、先ずはわが身を正すしかないのかと、悩ましい日々を送っている。

2022年

1月

20日

まだお正月が続いてた

今日は、24節気の「大寒」で、寒く、風も強く、正に一番寒い日と言われている通りで、極力狭い路地を選んで、足早に背中を丸めて散歩する。

 

あまりの寒さに、全身がフリーズしまいそうで、スーパーに逃げ込む。

スーパーに行くと、必ず、フィッシュコーナーに立ち寄るのが、スーパーのルーティンになっている。

 

特に、お刺身に関心があり、相変わらず、尾頭付きで白身の魚を見つけると、足が止まって、購入意欲との闘いが始まる。

 

今朝、二十日正月という、まだお正月が残っていると知った私は、売り場に「富山産のカワハギ(ウマズラ)」とある。

 

幼少期に私は「カワハギの煮つけ」が好きで、しかも、小骨がなく、ポロリと肉離れが良く、子どもでも安心して、食すというわけか、旬の時には

我が家の食卓によく並んだ懐かしい魚である。

 

煮魚のイメージが強い私は、きっと、刺身も美味しいのではと、手を伸ばしたが、一つ「ウマズラ」と追加で連なっているのが気になった。

 

そうだ、今日は二十日正月だから、最後のお正月のけじめとして、お刺身を頂こうと決めた。

 

コリコリとした触感で、期待を裏切らなかった。

しかし、この富山産の「カワハギ(ウマズラ)」が気になっていた。

 

というのも、ふるさとでは「こりゃあ、ウマズラじゃ」と、扱っていた。

胃に収めた後に、検索すると、富山産のカワハギは、フグ目カワハギ科の魚を総称してカワハギというそうだ。

 

もう一つ、都合よく、「まだお正月が残っていた」と二十日正月も検索すると、西日本では、正月最後の納めの日で、東日本では、仕事始めの日と

分かれている。

 

私は、生まれは西日本、現在は東日本と、両者を尊重して、今日が終わりで始まりの日として、いよいよ、目標に向かう環境になったようだ。

2022年

1月

19日

リラックスタイム

今日19日は、1946年(昭和21年)、長寿番組のNHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が始まった日と、エレベーターの「今日は何の日」で知る。

 

日曜日のお昼の生放送で、是非、「のど自慢大会」をわが町でとの希望先が多くあるそうだ。

現在は、テレビでも放映され、確かにその土地柄も興味深く人気になる要素だと思う。

 

臨床心理士で、毎日、心のケアに取り組んでいる友人から、私のリラックスタイムは、日曜日のお昼のNHKの「のど自慢」だという。

 

素人が得意とする歌を全身で歌っている姿に、人間そのものの素朴で純粋性を感じるからだと。

 

更に、友人は引き続いて民間放送で、桂分枝が司会をする「新婚さん いらっしゃい!」も、欠かせないという。

 

この二つの番組を、唯、何も考えないで、笑いを誘うところに、頭を休める時間帯だからだという。

 

毎日、精神的に持ち堪えているのは、一週間に一度の長寿番組のお蔭だと

楽しそうに私に、話してくれた。

 

現在は、コロナ禍で、メールでしかやり取りができない状態が続いているが、相変わらず、二つの番組で、心の休息を図っているのだと察してる。

 

先日、桂文枝が初回から続けていた司会を、この3月で卒業すると知った。

番組は継続するそうだが、近いうちに、友人の気持ちを訊いてみたいと思っている。

 

因みに「のど自慢」は1946年と言えば、私が生まれた翌年からスタート、

「新婚さん いらっしゃい!」は1971年から始まって51年、半世紀という

どちらも「超長寿番組」の存在感の重さを感じる。

2022年

1月

18日

白兎の目になっちゃった

朝、起きて、洗面台に立った私はびっくり。

 

左目が赤く充血して、例えるに相応しいか悩ましく思ったのだが、瞬時に私は、白兎の目のように、赤くなっちゃったと想った。

 

赤くなった原因に心当たりがあった。

 

昨夜、夜中に、左の瞼に痒みを覚え、私は、瞼のみを掻いたつもりだったが、どうやら、眼球を傷つけてしまったようである。

 

とは、言っても、最近、寒さのせいか、血圧の数値が高くなっているため早速、病院に出かけた。

 

お陰様で、眼底出血もなく、やはり、瞼の痒みで眼球の毛細血管を傷つけ

現在は出血も止まり、個人差はあるが自然吸収しかないとの診断だ。

 

処で、嘗て、兎と言えば白兎と思い込んでいた私は、最近は、寧ろ白兎を見る機会が少なく成ったように思う。

 

恐らく、私は幼少時の「因幡の白兎」の記憶があった故とわかった。

しかし、目が赤くなっただけで色々と、思い出すものだ。

 

今夜は、今年初めての満月「ウルフムーン」だと、夕刻7時過ぎに思い出し

急いで、外に出ると、キーンと冷え切った冬空に、鮮やかにくっきりと、

冴え冴えとした月が見えた。

 

一月の満月は、地球から一番遠い月だそうだが、月の明るさは素晴らしく

大きく綺麗だなあと寒さを忘れ、暫く佇んで見続けていた。

2022年

1月

17日

郵便局もイメチェン

昨年から、ゆうちょ料金の新設・改定のお知らせのリーレットは手元にあり、しっかり頭にインプットしていたつもりである。

 

悲しきかな、これが高齢化というのだろうか、記憶していた積りだが、不安があり、あらためて読み直し、いよいよ、今日17日から始まるのだと、確と頭にインプットし直した。

 

なぜ、今、500円硬貨をモデルチェンジしなければならないんだろうと疑問が起こった。

 

昨年より、躊躇していたクレジットカードに切り替えることを遅まきながら着手した。

 

そんな金融情勢の変化を鑑みて、私は躊躇していた原因は、凡そ、まだ、私が現役の頃、目を離すこと、数秒の間に盗難にあい、幸いにもクレジットは保険でクリアできたものの、他にも、保険証、キャッシュカードの類もあり、ハンドバッグごとの盗難に対するPTSDが残っていた。

 

しかし、コロナ感染も考慮すると、再度、現金を直に触れないクレジットカードに切り替える「新しい生活様式」を選択しなければならない時代に私から言えば再突入したのである。

 

全ての小銭を清算した私のハンドバッグが軽くなっているのに気づいた。

 

人それぞれの考え方はあるので、一概には何がベストとは結論はできないものの、クレジットを使用するようになってからの私は、紙幣がお財布の中でおとなしく出番を待っているが、お呼びでない。

 

念のために、以前から、ピン札の希望者には手数料を払っていたので、念のためにピン札は残してある。

 

嘗ては、銀座の老舗では、支払いに皺だらけのお札を出しても、おつりは

ピン札で返ってきたが、最近は、懐かしい老舗に立ち寄る機会も少なくなり、良き時代を懐かしく思い忍んでいる。

2022年

1月

16日

スーパーで学ぶ

最近、乾電池の使用が激しく、散歩を兼ねてスーパーに兼電池を購入するために足を延ばした。

 

目的を果たし、「フィッシュコーナー」に立ち寄り、鯖とコハダと鰯について、各種の魚の表面の「斑」というか柄模様が違うことに、ついつい私は、本来の乾電池がすっ飛んで、何時しか、「お魚くん」には及ばないまでも興味を覚える。

 

年齢的にカルシュウムの摂取は、心がけ、ふるさと愛の私は瀬戸内の「カタクチイワシ」を食卓に欠かせないように心がけている。

 

しかし、いつも乾燥状態の鰯の生の姿を見たことはなく、凡そ、一か月前から、関東では銚子が店頭に並んでいる。

 

実は、瀬戸内で育った私だが、尾頭付きの魚で育った私だが、乾燥した鰯について、生の姿を見る経験はなかった。

 

魚にも、それぞれ、表面に異なった「斑」があるのに気が付いた。

体験学習ではないが、私は乾燥した鰯は毎日カルシュウム補強のために、

食しているが、「斑」の付いた鰯の生の姿を見たのは初めてである。

 

しかもスーパーのキャッチコピーに、関東では調子の鰯の漁獲量で有名な「銚子鰯の握りずし」に手が伸びた。

 

確かに、鯖、コハダと「斑」の大きさと言い、色合いも微妙に異なる。

浅ましきかな、目的の乾電池の購入を忘れそうになりそうになった。。

 

時々、スーパーのフィッシュコーナーを見るのを、コロナの問題もあるが

私にとっては地域によって、食文化も異なり、申し訳ないが、魚と言えば

どんなに小さくても「尾頭付き」という思い込みから逃げられないという私である。

 

今後も、コロナ感染委に注意を払い、瀬戸内の味を探す楽しみを続けたと思っている。

2022年

1月

15日

手綱を緩める

三日坊主に終わらないように、学習室に図書館開館以来、11日の火曜日から14日までの午前中は、通い詰めた。

 

お陰で、数年前は正月の3が日に片付いたはずが、何と、一日伸びた。

しかし、二年近く、目をつぶってやり過ごした案件が終わり、ホット胸を撫で下ろした。

 

残すは、今年の目標をクリアするところまで漕ぎ着けた。

既に、セピア色になった資料もあるが、やっと、向き合えるところまでに

進んだ。

 

そのタイミングを知ってか、知らずか、友人から、「今日は小正月だから

最後の女正月をしない」との連絡に、一にもにもなく承諾した私だ。

 

些か、疲れを覚えていた私は、自ら、意志の弱さを見せるのは我慢していただけに、助かったと内心思った。

 

しかし、コロナ禍でもあり、お互いの距離、換気に配慮し、マスク越しで

食する何と味気なく、侘しく、友人の心づくしの手料理も半減する。

 

口を揃えた「こんな状態がいつまで続くのかしら」と。

いくら言っても、詮無きこととわかっていても、零したくなる。

 

しかし、こんな他愛ないことで、気持ちが晴れるとは、単純化もしれないが、兎に角、マスク越しであれ、肉声で、話すことがこんなに、和むのかと、思い知らされた小正月の人間らしいひと時を過ごした。

2022年

1月

14日

豪雪地帯のワンちゃん

今日は1958年、第二次南極観測隊が、接岸が難しく、止む無く相棒の15頭の樺太犬を置き去りにした人で、翌年1586年ジロとタロの二匹が生き延びていた日である。

 

当時感受性の強い中学生で、犬派で我が家でも犬に対する愛情は、今回の

置き去りにしたという視点で、同級生と、喧々諤々の意見を闘わせていたが、それぞれがもっともな意見であり、動物と言えども、特に南極越冬隊にとっては、欠かせない相棒であったはずだ。。

 

コロナ禍で、何倍もの人が、室内犬と思しき小型の犬を散歩している光景が目立って増加している。

 

今や、「犬は喜び、庭駆けかけめぐり、猫は炬燵で丸くなる」といった情景とは程遠く、守られた生活環境にある。

 

残念乍ら、私は猫とのお付き合いはないので、寒いこの季節についての状況は分からないが、終日、日本海側や、豪雪地帯と言われる地方のワンちゃんは、喜んで庭を駆け巡る快適な状況にはないと察せられる。

 

タロジロの樺太犬のタフさに対して、今、豪雪地帯の犬や猫を始め、毎日どのように、半端でない今年の豪雪を過ごしているのだろうか。

 

言葉を発しないだけに、飼い主は、これまでの経験から、向き合っているのだろうと、想いを馳せている。

2022年

1月

13日

「Peace」記念日

珍しく朝寝坊をして、朝刊を取りにエレベータに乗ると、今日は「ピース記念日」とある。

 

1946年(昭和21年)、高級たばことして、当時10本入りで7円という価格で売り出されたとある。

 

1945年生まれの私には、翌年と言えば、まだ、戦後の混乱期の最中に驚いたが、たばこで我がふるさとの懐かしい光景を思い出した。

 

嘗て専売公社と言われていた時代、我が家と、母校の小学校に登校する途中に、季節は記憶にないが、その専売公社に、大八車に大きな薄緑というか、薄茶色といった葉を幾重にも束ね、行列を作って並んでいる。

 

何処から運ばれてくるのかも知らないまま、唯々、それが「たばこ」になる原料の「葉」とは知らずに、登校しながら、興味深く眺めていた。

 

その後、時を経ること、2018年61年ぶりに母校に帰った際に、ふるさとのたばこ農家の存在を知ったのである。

 

大気が安定している地域柄、かの安倍晴明が、星空の観測をしていたと云われる「阿部山」では、たばこの葉を多くの農家が栽培していたそうで、

今でも、たばこの葉の乾燥庫が残っているそうだ。

 

案内されたが、かなりトレッキングな山道を大八車で、納品に来ていた歴史を知った次第である。

 

わがふるさとのたばこの葉がピースになったかどうかは分からないが。

 

コロナ禍で、友人が、ピースのシンボルマークである「オリーブの葉をくわえた鳩」に、旧約聖書に「ノアの方舟」の話から、きっと、そのうちに

必ず、「鳩がオリーブの葉をくわえて来る」までの辛抱ねと。

 

戦後、間もなくで、お堅いお役所の専売公社が「ピース」なんて、素敵な名前を付けるなんてと、ネットに詳細がupされていますので、関心のある方はどうぞ、検索しては如何でしょう。

 

しかし、世界中がコロナに対して、心から「ピース」と言える日を待っていることだろうか。

2022年

1月

12日

北風小僧に負けない

昨日に続き、今日の午前中は図書館の学習室で過ごす。

 

今週末に始まる大学共通テストと思われる受験生の姿が見られる。

脇目もふらずに、その集中力に圧倒されつつも、私なりの目標に向かう、約2時間の集中力は、かなり、エネルギーを必要とする。

 

昨年は受験生に対しての3時間という枠が設けられていたが、今年特例はなく、2時間の枠の中で去っていく受験生であろうと思われる背中に、そっと

「頑張れ」とエールを送りたくなる。

 

処で、2時間後は、私にとってはちょうど、昼食の時間になる。

 

2時間の集中(?)で、そのままで昼食の支度をするには、頭の切り替えが

出来ないので、そのまま、資料を抱えて、散歩に出かける。

 

北風小僧が威張っているが、散歩の道すがら、春の息吹を感じる。

 

近所の日当たりの良い庭先には、白梅が満開とまではいかないが、咲き始め、隣には、艶やかな夏ミカンが枝をたわわに大きな実をつけている。

 

更に、夕刊には、那覇では平年より5日早く「ヒカンサクラ」の開花の記事が報じられていた。

 

何といっても、ともすれば重苦しい社会に、今日から、僅か、3日間であるが、上野動物園では双子パンダが、ラッキナーな当選者のみによる公開に

どれほど、私を含め、多くの人が笑顔になったことだろう。

 

吉永小百合の「寒い朝」に、「北風吹きぬく寒い朝も、心ひとつで暖かかくなる」とあるが、確かに心の持ち方だと思って寒い北風の日だった。

2022年

1月

11日

三匹目の泥鰌

今日の「鏡開き」で、なにやかと理由を見つけては、正月気分から抜け出せないでいたが、やっと、今日から、2022年の日常生活が始まる。

 

隣の図書館も今日から開館し、学習室も利用できる環境が整った。

お天気も寒く、雨天とくれば、今年から改めてトライしたい目標に準備するには、持って来いの日である。

 

学習室には私が一番乗りで、「今年もよろしくね」と、挨拶を交わし、机に持参した資料を広げた。

 

昨年手を付けていた肉筆の資料から、昨年は体調が影響していた痕跡が表れている。

 

残念だが、これからの目標に昨年の資料は役に立たず、結局は、今日から纏め直す作業から始めた。

 

学習室は一日、2時間という規則があるが、自宅より集中できる。

 

いわば、今日が私にとっても始業式みたいなもので、新鮮な気持ちで向き合う心地よさを感じていた。

 

順調にスタートを切れたところで、突然、泥鰌の話を切り出す時が来た。今は冬で泥鰌たちも、泥に潜っている時期だ。

 

冬ごもりしている泥鰌に、迷惑だろうが、春の来る前に、捕まえようとしているのだ。

 

「柳の下にいつも泥鰌はいない」との喩えがあるが、敢えて、私は眠っている泥鰌を起こして、「三匹目の泥鰌」にしようという、些か、無謀では

あるが、野心というか楽しみを持っている。

 

今月のブログで、「柳の下に三匹目の泥鰌はいた」と、アップできるよう頑張らなくちゃ。

2022年

1月

10日

窓ガラスを磨く

定時に目を覚ますと、カーテン越しとはいえ、部屋がとても暗い。

 

やはり、お天気が優れないせいかと思いながら、ラジオから、「今日は日の出が一番遅い日だそうで、必ずしも冬至とは限らない」と、流れた。

 

更に、一か月ぶりの6度という暖かい朝で、日中は逆に気温が上がらず、寒いとの予報に、年末から気にしていたベランダの窓ガラス磨きをしようと

思いついた。

 

窓ガラスの掃除は曇り空か、雨に変わる前が最適と聞いたことがある。

天気予報通り、寒さを感じないで、まだ、起きたばかりなので、踏み台に乗るのも気を付けながら、水拭き後、空拭きをした。

 

お陰様で、「見通しが良くなった」と、これで、やっと、昨年末の宿題が片付いた。

 

外は、今にも雨に変わっても不思議ではないほどの、重苦しい灰色の雲が空中を覆いかぶさっている。

 

窓ガラスとは、かけ離れているが、病院ボランティアをしている時に、眼鏡を使用している病気の方に、「宜しければ、眼鏡を磨きましょうか」と

話しかけると、「えっ、そう、磨いてくれるの」と、表情がほころぶ。

 

「見通しが良くなった」というフレーズは、磨き終わり綺麗になった眼鏡を渡した時に、「嗚呼、どうもありがとう。これで、見通しが良くなったよ」と、眼鏡をかけて、病室中を見廻していた。

 

それ以来、私は、「見通しが良くなった」という言葉が心に残り、私自身も何とか、今年は「見通しの良い」年にしたいと、願っている。

 

明日の「鏡開き」までに間に合った。

2022年

1月

09日

穏やかさの中に

昨夜、7時過ぎに近くのコンビニまで出かけた際に、見上げた冬空に、凛としたスリムな月が、くっくりと見えた。

 

コンビニを出ると、今度は飛行機が点滅しながら、どこを目指しているのだろうか、上昇している光景に、明日は、きっと佳き日になると、気持ちが前向きになった。

 

その予感の通り、明るい日差しに恵まれ、昼食を済ませ、いつものコースより、足を延ばして散歩にでかけた。

 

風もなく、穏やかな日曜日で、正に佳き日で、まだ、ところどころ、日陰では先日の雪が残り、凍って鏡面状態になっている箇所があるが、久しぶりに寒さを感じない散歩だった。

 

部屋も暖房のつけなくても、温かさがあり、それならばと、引き出しから

昨年末の未処分の書類や資料の整理を始めた。

 

明日は、区内の「燃やすごみ」の日に当たるので、この際、散歩の満足感の余韻にスイッチが入ったようだ。

 

意外や意外、当然整理済みと思っていた書類が、思わぬところから見つかり、やはり、整理整頓は、体調との関係があるようだ。

 

整理にしろ、整頓にしろ、どちらも「整える」という言葉が、心身ともに大きく反映、影響するのだと、改めて、学んだ次第である。

 

夕刻、まだ、微かに日中の青空から夕空に変わろうとしている先に、昨夜の月と違い、ぼんやりと霞んで見えた。

 

明日は、どうやら、また天気の変わり目が近づきを感じた。

2022年

1月

08日

2020年3月の時刻表

嘗て、ふるさとの下車駅で、時刻表を駅員からプレゼントされたブログを

アップした記憶がある。

 

今日は、わが地区では、今年初めての資源ごみの回収日である。

私にとって、土曜日の回収日は、非常に、脳内整理を始め、一週間の締めくくりになるので、私はこの土曜日の資源ごみ回収日を気に入っている。

 

思い切り、整理したと思うが、冷静にいつかは役に立つと未練を残していたものが、かなりの量がある。

 

毎年、時刻表は3月に新しい時刻表が改正されるが、私には珍しく捨てがたかったが、念のためにネットで、検索すると、コロナ次第で、予定通りのこれまでの時刻表は一変している。

 

されば、もう、2年前の時刻表は、唯の資源ごみにしかならない。

資源に役立つだけでも良しとしなければと、ダストルームに持ち込んだ。

 

今後、コロナ禍が収束するまでは、ある意味で、賞味期限切れとして、社会スタイルの変化を認めて処分しなければいけないものが出てくるであろうと想った。

 

2022年から、日本経済新聞の夕刊のコラム欄「あすへの話題」も、新しい執筆者に変わり、1月5日に、文化人類学者の上田紀行氏が、「つながること、断ち切ること」と題した寄稿している。

 

筆者の上田氏曰く、タイトルの「断ち切る・断ち切られること」に何を乱暴なことをいうのだと叱られるところ、この2年間、痛いほど思い知らされたと記している。

 

タイトルの「断ち切ること」に、私もあまりも思い切りのよい表現にドキリとしたが、心地よくも感じた。

 

今後、私は、恐らくこの「断ち切ること」を、上手に判断することによって、ストレス社会からの解放に「つながること」と想った。

2022年

1月

07日

七草がゆに託す

既に、スーパーでは4日の初売りの日から、今日の7日の「七草がゆ」用の「七草」が店頭に並んでいる。

 

今朝の朝刊の「国内の新型コロナウイルス感染者」が、何と、国内全てに

数字が並んでいる。

 

この数字が全てオミクロン株とは決めつけられないにしても、感染率が急速なデータに、改めて、変異型のコロナウイルスの猛威に身が引き締まる想いでいる。

 

今日が、「七草がゆ」の日である。

 

この日について、私はお節料理で疲れた胃を休めるためと聞いていた。

 

また、「七草がゆ」には、邪気を払い、、万病を取り除くための占いとして食べると知った。

 

まだ、部分的に、昨日の雪が凍り付いて滑りやすい箇所もある。

 

しかし、朝刊の感染数の数字を見た私は、取り敢えず「七草」を買い求めに出かけると、既に完売であった。

 

仕方なく、胃を休めるためにと、大根を求め、大根おろしにして食した。

 

大根は、「高ジアスターゼ」を多く含んだ食材と、母親から聞いていた

残念というか、実は幼少期を田舎で過ごした私には、「七草」に対しては自宅の庭のあちこちに、雑草としての認識しかなかった。

 

寧ろ、大根であれば、私は、安心して食す食材である。

 

よって、私は、変異型のウイルスの感染力に対して、大根にできることならばと、予測を案じていたが、オミクロン株による「第6波」が、拡散しないようにと、「七草」の一つ、大根に願いを託した。

2022年

1月

06日

六つの花が舞う

早朝、天気予報で、10年に一度の寒さだという通り、起きるまで、暫くは

暖房で部屋を暖めて起きる日が、ここ数日続いている。

 

ベランダから見える雲は、どんよりとしたグレーの分厚い雲が空を覆いかぶさっている。

 

今日のような天気は、予報士泣かせのようで、確かに「雪」は降るようだが、どの程度で、時間的にも予報するのが難しいそうだ。

 

10時過ぎに、約束があり、玄関を出るや、粉雪が舞っている。

予報より以外に早く、杖代わりにもなると、大きな傘を取りに引き返す。

 

パラパラと、大きな傘に粉雪の量が増えてくるのが分かる。

そのうち、水分の多い大きな雪に変わり、傘に雪の重さを感じる。

 

おやおや、今日は、本格的な「雪」になりそうだと、注意して歩かねばと

慎重にと、言い聞かせながら歩いた。

 

今日は選りによって、引き続きもう一か所約束があり、そのまま、雪を踏みしめて歩いた。

 

彼これ、20年近く前に、私は、昨年と同じような心身ともに、疲労困憊した時に、友人が、実家の鶴岡に帰郷する際に、気分転換に行かないと、誘ってくれたのである。

 

実は、鶴岡は母親の叔父が嘗て、仕事で住んでいたことを聞いていた私は

即座に返事をしたのである。

 

母親が、「雪の降る町を」よく口ずさんでいた記憶があり、私も慣れない雪道を歩きながら、何時しか「雪の降る町を」をハミングしていた。

 

話は前後するが、友人の好意に誘われるままに訪れた季節が、11月初旬で

既に道路を色とりどりの落ち葉の絨毯であった。

 

友人に、この辺りをモデルにして「雪の降る町を」が作られたと聞いた。

 

その時に、もしかしたら、母親は雪の季節に鶴岡の叔父を訪ねたのではないかと、友人の話を聞きながら、何故か、よく、母親は口ずさんでいた。

 

今回、気になって検索すると、作られたのが、1952年とある。

丁度、私が生まれて、7年後の事であるが、母親は、既に鶴岡がモデルだと

知っていたのではないだろうかと。

 

「雪」は「空からのラブレター」ともいわれるが、今日の4年ぶりの雪は

天国の母親からの「愛情の手紙」だったと想った。

2022年

1月

05日

もう、大丈夫

今日は、24節気の「小寒」、寒の入りが始まるが、その季節を証明するように、豪雪地帯からの雪下ろしの風だろうか、強い北風が半端でない。

 

今年、初めての診察日で、バス停で待つ時間が骨身に堪え、バスに乗り込む時、既に冷え切った体がフリーズして、もどかしいさを覚える。

 

まだ、年の初めなのに、病院の待合室は、混雑をしている。

病気の方には、お正月も夏休みもないのですと、学んだのが事実である。

 

20数年間の長いお付き合いの主治医の先生から、「2か月ぶりだけれども

無事に過ごせました? 珍しく、昨年はかなり、疲労感が強く、心配して

いたけれど」と、問いかけながら、私を素早く観察しているのが分かる。

 

「先生、昨年は近年にないくらい精神的につらい思いをしましたが、先生のおっしゃる通りに、ホテルでテレビを見て、ぼんやり過ごしたお陰で、

一度、頭を空っぽにして、自分を守るためには、早晩、決意しなければいけないと、先生も案じて下さっていたことで、思い切って決心する時期だと気づきました。先生、もう、大丈夫です」

 

主治医の先生から「良かった。淺野さんらしさが戻って、やっと解放されたようね」と、先生の表情が笑顔になった。

 

「そうなんです。私、解放されたのです」と、全く同じ返事を返した。

 

僅か、まだ、松の内であるが、年末からの自分に向き合う姿勢が、少なからず、変化をしているのを感じていた。

 

恐らく何から「解放されたの」と、答えを聞きたいと思うことでしょうが

主治医の先生と、私の「約束」で、内緒です。

 

診察を終えて、まだ北風が吹く荒れているが、私はこれで良かったのだと

穏やかな気持ちで、病院を後にした。

2022年

1月

04日

今日からが始まり

冬晴れの3が日は、例年にない寒波の襲来で、東京もかなり北風が強くて、

とても、寒いお正月だった。

 

長年、病院ボランティアをしていた私は、3が日までがお正月で、4日には

既に平日モードになっている習慣が、活動をやめた今でも、体が覚えているようである。

 

何よりも、今朝から新聞が配達されることもあり、日常生活が始まるという感覚になるのかもしれない。

 

紙面からは、新しい年の始まりに関するそれぞれの立場で、抱負や希望が記事となって掲載されている。

 

やはり、年の初めに当たり、新しいスタートに当たり、今年こそはという

意気込みを感じ、なるほどと、学びやヒントに繋がる。

 

処で、今日は語呂合わせで、願いがかけられた「石」に触れると、願いが叶うそうだ。

 

因みに願いが叶う「石」は、地蔵、狛犬、墓石が該当すると知った。

 

語呂合わせでいえば私は「石」でなく、「意志」と「意思」をしっかりと

軸足にしたいと願っている。

 

幸いに、新しい年と共に、様々あった昨年の問題について、綺麗さっぱり忘れたというか、忘れるという「意志・意思」が働いたおかげで、今では一陣の風が通り過ぎただけである。

 

そして、新たな「意志・意思」による日常が、今日から始まる。

 

これからどのような毎日が待ち受けているか、楽しみである。

2022年

1月

03日

栃餅の雑煮

夕刻、友人から「これから栃餅と丸餅と筑前煮を届けるわね」との連絡に

私は、彼是、お正月料理を作ったことがないである。

 

「一人住まいだから、わざわざ、お節料理を作らなくても、あなた一人分ぐらい、準備するから」と言われて、久しくなる。

 

確かに、お煮しめ一つにしても、鍋料理と同じで、ある程度の量の具材を

煮込んで美味しくなるのと、同じように、一人前の正月料理では、満足な味付けが難しい。

 

店頭には、思わず手を伸ばしたくなる綺麗に盛りついたお節料理や、具材が並び、食欲をそそるものばかりだ。

 

しかし、長年、友人のお節料理に、馴れ親しんでいる私は、心待ちにするようになってしまった。

 

その楽しみの一つに、縄文時代から食されていたといわれる、強烈な刺激に、アクが強い「栃餅」が大好きである。

 

最も栃餅文化の残っているといわれる山形県鶴岡市朝日地区に伝承されている「アク抜き」をした、茶色で丸餅の「栃餅」の雑煮が楽しみである。

 

今年は、今夜、一年に一度の待ちに待った好物の「栃餅」の雑煮を食べられると思うと、一人住まいの雑煮に、侘しさを感じない。

 

友人は、栃餅に、三つ葉と紅白の蒲鉾と至れり尽くせりの具材も添えてあり、また昨年末の柚子がまだ、薫り高く、色鮮やかさを残している。

 

透明な澄まし汁を、朱色のお椀に注ぎ、一人ぼっちの「お雑煮」に、私は至福の時を味わった。

2022年

1月

02日

現実的「初夢」

今朝、珍しくセットしている目覚まし時計によって起こされる。

 

その一瞬、私の初夢なのだろうか、今年の第一目標にしている作業を、必死に頑張っているのである。

 

しっかり目が覚めても、まだ、私の中では続いているのである。

 

ベッドの周囲を見回しても、何も形はなく、「夢」だったのだと自覚するまでに数分掛かっている。

 

もしかして、これが私の「初夢」なのかしらと。

偶々、2日は「初夢」の日だからで、普段であれば、「寝ぼけている」で、

一笑されて、お終いである。

 

初夢で、一年の運を占う習わしがあるが、私の場合は、あまりにも身近で

現実すぎるのである。

 

これは「正夢」というべき「夢」に該当するのではないだろうかと、複雑な気持ちを抱えていた。

 

というのは、新しい手帳にも、一月の予定として、真っ先に書き留めているもので、恐らく、既に頭に刷り込まれているようだ。

 

ある程度の準備はできているので、弾みさえつけば、明日からでも、取り組むことはできるのである。

 

念のために、愛用の辞書で「正夢」を調べると、「事実とピッタリ合った(合う)夢」とある。

 

時間差はあるが、早晩、取り組みたいと予定しているわけだから、やはり

「正夢」なのだろうか。

 

「吉夢」にするには、自らの努力に負うところが大である。

 

何やら、新年2日目にして、ノルマとも受け取れるが、寧ろ、私は、目標が出来たと前向きに受け止めている。

2022年

1月

01日

2021年一月一日

新しい年を迎えたが、いつもの時間に起きて、カーテンを開けると、滴り落ちるほどの結露に、如何に、東京も超低温の朝と知る。

 

早速、新聞を取りに行く途中で、「年のはじめの ためしとて」と、口ずさんだところで、「ためしとて」という言葉が気になった。

 

新年初めての検索をすると、「恒例行事」を意味していると知り、思い出したのは、元旦には母校の小学校に登校し、講堂に集まり、校長先生からの新年の挨拶があり、式典が終わると、各自に紅白のお餅とミカン一つが配られ、緊張していた表情から、嬉しそうな笑顔になって、帰宅した。

 

確か、その際に「一月一日」の「年のはじめのためしとて」と、児童全員で歌った記憶も思い出した。

 

主婦の友社編の童謡・唱歌「日本百名歌」によれば、明治26年という歴史があり、戦前から、私が経験した母校と同じ行事で、新年を祝ったと記載されている伝統が、戦後の母校では継承されていたのである。

 

昼過ぎに、先ずは、新しい年の散歩にと、陽だまりを選んで歩くも、風が

冷たく、足早に引き上げるとするが、心なしか、春を感じる陽光だった。

 

青空が高く澄み切っているので、見上げた先に、マンションのベランダの

洗濯物が目に入った。

 

嘗て、母親からお正月、特に元旦には洗濯物を干さないことと教育されて

いた私は、核家族になり、多様化社会の中で、時代の変化を感じた。

 

子どもたちの洗濯物が多く干してあるのを見て、未来、次世代を担う子供たちだのためだと思うと、不思議に微笑んでいる。

 

まあ、全くの日常生活のままの新年を迎えたが、初日は穏やかに恙無く、過ごせたのは、目出度いと想った。