2022年

8月

31日

貨物列車の思い出

今朝、新聞広告で、JR貨物グルーに、あるふるさとの思い出がパッと頭に広がった。

 

山陽本線の我がふるさとの鴨方駅を利用しなければ、乗車する際も自宅に帰るには、踏切を渡らなければならない位置にあった。

 

長い長い貨物列車が通過する際に、一つ、二つと通り過ぎる列車の数を数えるのが結構、愉しみで、定かではないが、最後の車両には、車窓さんが

乗っていたようで、安全確認のためか、踏切担当者に合図を送る際に、私も手を振ると、応えてくれるのである。

 

一寸、話をバックすると、当時、踏切には、小さな宿泊所があり、担当者は、外に出て、確認していたのであるが、踏切の両側にはなく、愉しみに

出会わない側で待っている時は、一寸がっかりする。

 

2018年に帰郷した際も、山陽本線に乗り換えて間もなく、貨物列車のコンテナ車両がみえる。

 

かつて、これも、記憶が定かではないが、黒く、木製の頑丈な車両であったようだが、今、車窓から見える車両は、あずき色のカラフルに変わって居た。

 

ふと、東京駅では見かけたことがなく、国鉄の分割によって、異なっているのではないだろうかと、時代の変化と、加齢により、私の記憶の曖昧さに自分でも情けなく、想いつつも、寧ろ、大切な思い出としておきたい。

2022年

8月

30日

笑顔を取り戻せなかった

連日の酷暑にする責任転嫁はするつもりは無い。

 

しかし、私生活で、本当の笑顔になった日は振り返って皆無に近い。

 

唯、ふるさとの嘗ての母校の先生の励ましのプレゼントと、桃農家のふるさとの自然を感じる以外、私は、怪我の回復に尽力してが、それ以上、こんな侘しい夏、葉月を過ごした記憶がない。

 

想像を絶する投資マンションの現実に、私はふるさとの穏やかな自然が堪らなく恋しく、真剣に現在の自宅をお別れ売るつもりでいたが。

 

一つ、私は、逃げ出すという行為には抵抗を感じ、永年60年近くのご縁を考え、ストッパワーを考えたのが考えたのが、後にご紹介するところの「ぼっちの会」を立ち上げることで、自分の気持ちを収めたのである。

 

しかし、我が母校のブログを見ると、自然に溶け込み、笑顔に溢れた我が後輩の姿に、私は、羨ましく涙を禁じえないでいる。

 

心身ともに、苦しんだ葉月も遺すところ、一日、後輩の各場面の笑顔に励まされて、六小っ子として頑張るからね。

2022年

8月

29日

私もつらいよ

今月の27日は映画「男はつらいよ」シリーズの第一作品が、1969年(昭和44年)に公開されたと、エレベータ情報により、メモしていた。

 

寅さんの辛さは、出会った女性に温かく包み込みから、恋心が目覚めるも

失恋に終わるも、又、気をとりなして、旅に出るという感想を持っているが、私の場合は実に、現実な問題が立ちはだかっている。

 

敢えて非難を恐れず、私は、今、連立している賃貸マンションの管理体制に理事長や管理人は実質に苦労しているのではないだろうか。

 

新設する集合住宅は、全てが賃貸重視であり、責任あるべきはずの区分所有者が、投資として賃貸といわれる占有所有者に、仲介不動産を経由しているというのが実情である。

 

しかも、残念なことは、新築の投資マンションにおいては時代に沿った規約が作製されているが、時代を経た投資用マンションにおいては、時代に見合った規約の改正すら見当たらないという、現実に、私は、愕然としているというか、管理会社にも何と怠慢化と呆れている次第である。

 

出来れば、憧れて入居した満足度は、消え失せ、出来れば、私の力では

及ばない事態が生じている。

 

我が区内では、雨後の竹の子のように、キョキニョキと空高く聳えていく

集合住宅、しかも、投資マンションにおける街の混乱に、行政は考えているのだろうかと、私は、疲れ果てて出来れば、責任を持てる自信がない。

 

「投資マンションの理事長はつらい」のであるのが実情である。

 

しかし、これまで経験したことのない飲んだイについて、私は、逃げる気持ちはなく、寧ろ、この年齢になっても「学べよ」という前向きな気持ちで、隣接する図書館、役所の地域課の無料相談の辯護士、更に警察、消防署に自ら足を運んで、知識の積み上げをしている。

 

「つらいよ」なんて言えない貴重な体験を、私は学んでいると、新しい知識の積み上げが必要とされているのではないだろうか。

 

決して、俯いてはいけないのであることを、気丈な母親から学んでいる。

それを、如何に、納得、説得できるかが試されていると想えば、私は生きがいというか、楽しさを覚えるのである。

2022年

8月

28日

ムンクの「病める子」

日本経済新聞の日曜版に別紙としての美術面が掲載されている。

先週から、エドヴァルト・ムンクの特集の第2回に紹介されている「病める子」が紹介されている。

 

それは疎開先で、保温器もなく、7か月で、社会に飛び出した私は兎に角、

病気との連続であり、77歳までの寿命を頂くとは、恐らくなく亡くなった

両親も想定外だったと想っている。

 

ムンクの「病める子」に見る母親の姿とは異なり、打ちひしがれることなく、気丈であったという子ども心に、母親の姿を高熱や苦しむ中で、実はしっかりと記憶している。

 

今、「かかりつけ医制度」を推進しているが、幸いにも「往診医」という

ドクターに私は、命を救われたのである。

 

兎に角母親は気丈な性格と、信念を持っていた人で、私が猩紅熱にかかった際も、往診医から、今夜が「山」ですと言い渡されても、「わかりました。この子の与えられた人生に任せます」と答えたそうだ。

 

既に、4歳児に私は「死生学」を母親が学ばせたように想っている。

 

しかし、今日の日本経済新聞の別紙日曜版に、ムンクの「病める子」に、改めて、亡くなった母親は気丈にふるまっていたが、本来は、ムンクにみる母親の姿ではないだろうかと、察している。

 

寧ろ、「病める子」が母親の苦しみに対して、母親の苦しみに寄り添っているように思えるのである。

 

私も、微かな記憶の中で、気丈な母親が一瞬見せた苦痛を覚えている。

 

しかし、私は現在、後期高齢者で独り住まいであるが、その時の体験が

今の私には貴重な教示となっている。

2022年

8月

27日

故郷の力を知った

これまで私は男性社会の中で、過ごした。

 

処が、病院ボランティアでは看護師中心の女性の方が遥かに多くが関わっているのが現実であった。

 

その一つに看護師はナースでなくなくナーサーであるべきだが、依然として、女性優先のナースの世界であった。

 

当時、終末期の患者様に話し相手のボランティアをしていた私が、ぷつんと精神的に追い詰められ、心身的に体調を追い詰められてしまった。

 

その時、決して弱音を吐かない私が、50年近い友人は案じて、私を自分の

ふるさとである鶴岡に、見るに見かねてだろうと思うが、誘ってくれた。

 

私は、ある意味で、自分にも故郷があることを忘れていたのである。

 

処が、ちょうど、現在の私の苦痛を察して、さり気無く私を自分の故郷である鶴岡に連れ出してくれたのである。

 

何とも言えないさり気無い客人として扱うことなく、自然体で迎え入れたことに、初めての友人の故郷にありのままの自分で過ごせた。

 

海辺で育った私にとっては、「山の神」である出羽三山神社には、関心ががあった。

 

特に、私は、羽黒山の五重塔に、瀬戸内に海の神がある様に、「山の神」に会いたいと思っていた。

 

杉木立にそびえる羽黒山の五重塔を前にして、私は言葉を失った。

約29メートルに聳え立つ羽黒山の五重塔の前で、慣れない女性社会の中での苦痛にも悶えていた私の苦痛を全て、受け入れてくれたという「山の神」の声を聴いた。

 

これまで、私は我がふるさと岡山に対して、後ろ向きであったが、友人により、私にも素晴らしいふるさとがあったことを気づかせてくれたと想っている。

 

改めて、ふるさとの存在が如何に大切な存在を教えてくれたのである。

 

今は、何たって、我がふるさと浅口市に対する目覚めを促してくれたと

有難く思う友人の故郷である鶴岡市は、私にとって、ふるさとが如何に、

成長しても初心に戻れる貴重な羅針盤であると認識した。

2022年

8月

26日

チラシに社会が見える

新型コロナ禍後、ポストには運動不足に対して、ボディートレーニングやインドアゴルフスクール、更に新聞の折り込み広告は、まるで、ゴールドラッシュうのように、金の高額買い取り、更に家庭内の不用品の買い取りのリサイクルショップの勧誘のチラシが溢れている。

 

唯、最近の広告のチラシに使用する紙の材質がどんどん薄く、両面が透けて見える。

 

確かに、物価の値上がりのニュースには、慣れっこになり、自分が必要としていないものには関心がない。

 

しかし、日を追って列挙したチラシにも企業としての取り組みが分からないわけではないが、余りの多さに、厳しさを感じる。

 

一歩で、チラシを読んでみると、最初は無料体験とか、初回の料金を割り引くとか、魅力的で、甘いお誘いに乗ってしまう人もいるのではないだろうかと、お節介心が起きてしまう。

 

或いは、既に年金生活者の私にはとても叶わぬことと羨ましさもあるのかなあと思いつつ丹念に楽しく読んでいる私に気が付くのである。

 

一枚のチラシといえども、現在の社会を反映もしているとも受け取れる。

2022年

8月

25日

母校でリスキリングしたい

今日から母校の小学校の2学期が始まる。

 

母校のブログは、私にとって、もう一度、小学校の授業で学び直しをしたいと、悔しく想っている。

 

今朝の日本経済新聞には、「人への投資」で、リスキリングや副業支援を推進する企業の協議会「人的資本経営コンソーシアム」を立ち上げたという記事を読む。

 

詳細は分からないが、個人的意見を言わせていただくと、人として基本的な教育は、我が母校のブログから、努力が読み取れるのである。

 

処が、驚くほどに徹底的に社会ルールや企業見学など、社会体験学習として、各学年が学んでいるのに、何時しか、刷り込まれていた貴重な体験が

生かされていないと残念に思っている。

 

さらに、人材をコストでなく資本と考え、企業価値の向上につなげる「人的資本経営」を官民一体で推進していく政策と記事が続く。

 

なんでも、320社が参加するそうだが、主な参加企業を見ると、私は、

数社に対して、初歩的な「学び直し」が必要な企業がある。

 

特に新型コロナ禍で、右往左往するというか、すっかり、何かを見失ったというか、社会が一変したことに起因がある様に想う。

 

かつて、私は、両親から、道に迷ったら慌てず、元の道まで戻って、何処で迷ったかを考えなさいと言われた言葉を思い出す。

 

人材を資本と考えるという政策は、「子どもは宝物である」ということと

変わりがないのではないだろうか。

2022年

8月

24日

珍しい土産

思わず驚いたお土産の記事に「ふーん」と、語呂合わせではないが、何と

岡山市にある池田動物園では「ふんの標本」を販売しているそうだ。

 

かつて、私も一度だけ父親と一緒に出掛けた記憶はあるが、唯、ぼんやりとしか覚えていない。

 

池田動物園は元岡山藩主池田詮政の孫として生まれた池田隆政と、昭和天皇の第四皇女夫妻により、1960年(昭和35年)に現在の池田動物園となったと、ネットでの検索によるものを記載する。

 

24日の日本経済新聞の夕刊の記事によれば、子どもたちに動物の生態を楽しく知ってとの発想から、教材として飼育員が手作りしたそうだ。

 

さらに、動物園で飼育しているレッサーパンダとハイエナの本物のふんの2種類を、一週間ほど乾燥させて透明の樹脂でコーティングして、臭いなく衛生的と記事は続いている。

 

「珍しい」「欲しい」とヒットこそしていないが、秘かに話題を呼んでいるそうだが、何故、レッサーパンダとハイエナにしたのだろうか。

 

食事中の方はスルーしていただきたいが、私は「糞とうんち、うんこ」の基準が気になった。

 

検索すると「糞」は動物や虫で人間のものを「うんち、うんこ」というと

実に、明解な説明に、すっきり解決した。

 

現在、今、盛んに「腸内環境」があらゆる健康状態に重要視されていると言われている。

案外、時代に即したお土産ともいえる。

2022年

8月

23日

点字ブロック

日を追って、左足の薬指にテーピングや湿布薬の交換をする際に、痛みと腫れの度合いが軽くなってきた。

 

ドクターからも無理のない程度に、身体を動かすようにとのアドバイスを

頂いている。

 

私にとっては、性格的に自宅に籠っているのが苦手なために、喜ばしいのだが、実は、半端でない暑さもあり、本来であれば日課である散歩を躊躇している。

 

岡山県人としては誇りに思う三宅精一氏が発明した視覚障害者誘導用ブロックを左足で踏んじゃった時の飛び上がるほどの痛みが、怖いからだ。

 

背筋を伸ばして、空を前を向いて歩いている時、点字ブロックには気を付けるようにしているが、思わず、歩幅のせいか、歩く際のリズムからか、

避けられない時がある。

 

左足に負荷がかからないように踵だけで乗り越えるのであるが、気のせいか、やはり痛みが走る。

 

故に日課の散歩が気分転換にならず、俯いて歩くという情けない状態の日々が続いている。

 

しかし、今日こそと気を付けるも、一度は踏んでしまう。

 

帰宅して、左足を冷やしながら、まだまだ、回復とはいかないようだ。

2022年

8月

22日

初心に戻った写真

日本経済新聞の朝刊に「写真家がいた場所」の最終回に、植田正治「パパとママとコドモたち」に、臨床哲学者の鷲田清一教授の『「聴く」ことの力』が瞬時に結び付いた。

 

かつて、鷲田清一教授に、仕事で研究室をお訪ねして、凡そ、一時間ほど

「聴く」ことの大切さについて、お話をさせていただいたことと、重なり

感激と、興奮すら覚えた。

 

唯々、暫く、最近コロナ禍に置いて、話すことも聴くことも奪われてしまい、毎日、落ち込まない生活の努力に励んでいる。

 

丁度、話を「聞く」から、「聴く」ことにそれなりに学んでいる途上にあった私は、抵抗なく、私の心を潤してくれた「テキスト」の存在だった。

 

さらに、植田正治氏の写真がバランスよく挿入されているのが、更に私の

心に残っていた。

 

兎に角、植田正治作品に出合えた幸せに、当時のままの感情が鮮やかに蘇り、気持ちが晴れ晴れとしてくるのが分かった。

 

記事には太田菜穂子キュレーターの解説によれば、「世界を虜にしたシュルレアリスムの香りを放つ幻想的でシンプル、かつユニークな写真表現」

と解説している。

 

兎にも角にも、私にとっては、ある意味で、「聴く」という人生の進路を

決定されたといっても過言ではない。

2022年

8月

21日

瀬戸内パワーに有難う

昨夜も、昨日紹介し素晴らしい児童書「日本の衣」を読み進めていると、お隣の広島県府中市に、ギネス世界記録で「スーツ販売着数世界一」に、認定された「洋服の青山」の掲載に、とても、嬉しく、誇らしく思った。

 

実は、先日来の左足の怪我を気が付くと、庇っているせいか、何となく、

ついつい俯きになりがちだ。

 

「洋服の青山」は知っていたが、世界にはばたく日本力の一つとしての存在はしらなかった。

 

何となく、気持ちが前向きになってくるのが分かった。

 

其の後、玄関のインターフォンがピンポーン。

心当たりがないが、と思いながらも、誰から、何かしらと。

 

送り主を見て、びっくりしました。

 

どうも、怪我以来心が沈みがちだった私は、現在は定年になって、セカンドステージで頑張っていらっしゃる母校のいつも「笑顔の校長先生」の声が聞きたくて、お電話をしました。

 

さすが、校長先生、電話から伝わってくる声が、いつものパンチの聞いた声ではなくことを察し、心配をしてくださったのです。

 

そして、元気が出るようにと、わがふるさとの岡山地元の「花かまくら」の手作りの「わらびもち」を送ってくださったのです。

 

クール便で送られた「わらびもち」は冷たく、食欲がない私の喉を癒すかのように、するりと。

 

つめたさと、校長先生の優しい心づかいに、涙を流しながら、もう一つと

美味しくて、美味しくて、きな粉と抹茶と二つを口に運ぶ内に、心身共に

力が湧いてきました。

 

瀬戸内パワーの広島県と岡山で、すっかり、スイッチが入りました。

2022年

8月

20日

素晴らしい児童書

私は、ふるさとで、開花した花々に蝶々が、美味しい蜜を求めている姿に

自然の営みを幼いながらも感じていた。

 

11日に亡くなった森英恵氏に関する記事が、日経新聞の20日付のコラム欄

「春秋」に掲載されていた。

 

大好きな蝶々をあしらった洋服が消えていく寂しさを味わっていた。

 

処が、20日の掲載に、森英恵氏の偉業に対して、私は、児童書の「世界にはばたく日本の力 日本の衣」という存在を知った。

 

何は差し置き、図書館に翌日リクエストした。

私は、恥ずかしながら、「世界にはばたく日本の力」がシリーズになって

発刊されているではないですか。

 

ともすれば、「日本の力」が、未来の子どもたちのために、胸を張って、

教育すべきだと、私は強く感じた。

 

かつて、母校の学校運営協議会の委員を務めている際に、如何に、これまでの先人の伝統から、次世代を担う子どもたちと、共有する必要性のために、お手伝いができるか、誇りを持てるふるさとに尽力すべきと想った。

 

因みに、森英恵氏は、ふるさとの豊かな自然を過ごしたことが、影響しているそうだ。

 

今、私は60年近く住んでいる居る東京を離れて、如何にふるさと「浅口」の素晴らしさが、客観的に、俯瞰的に理解できるかが、遅まきながらも、

理解した「大好き 浅口市」といっても過言ではない。

 

残念乍ら、既に高年齢で、間もなく80歳を迎える私は、住民の皆様の貴重な税を無駄遣いするだけでの人になってしまった。

2022年

8月

19日

責任の在り方

昨日の日本経済新聞の朝刊の「マンション賃料3か月連続下落」については、さもありなんと理解できる部分がある。

 

しかし、翌日の同時の朝刊に「理事会なしのマンション増加」という記事に、私は、信じられなかった。

 

なんでも、住民負担からの解放という事らしいが、嘗てPTA不要論の記事を記憶している。

 

例えば、当マンションで一番ネックになっているのは、投機用マンションのために、出来れば、2年を目安に、占有区分者の退去が望ましいと言われているが、個人的立場によれば、2年ごとに、内装というかクリーニングを

して、どのくらい利益を得るかという事である。

 

さらに、何時から、ゆとりがないとか負担からの解消という理由で、不動産の第三者管理委員会を本格的展開をするという。

 

例えば、早朝の管理人が頑張っている一番の問題であるゴミ問題、しかもそれを自ら早朝管理人と共にする、第三者理事会の担当がいるだろうか。

 

現実を把握しないで、企業も利益利潤のために頭を働かせているのであるゆえに、実際にめにしたこと、体験したことから、発想するのが、自然では無いだろうか。

 

何故、自分の住まいの環境改善のために、人任せにするという発想は、私には、日本人の本来のお隣まで落ち葉があれば掃除をしたという、「心のゆとり」や「思いやり」「お互い様」といった精神は。何処に消え去ったのだろうか。

 

病院ボランティアの一人が、私は学校のPTAというボランティアをしていたという鼻高々さに、開いた口が塞がらない思い出、心に隙間風が吹いたようで、納得いかなかったィアとして活動する人に方は、今、消滅しつつあるのだろうか。

 

寂しいわg事のためにしか考えない個人主義は、今後は主流になるのだろうかと思うと、100年人生なんか、望みもしない。

2022年

8月

18日

責任感の限界

今朝の18日の朝刊に、兼ねて案じていたマンションの賃料が、3か月連続下落しているニュースが報じていた。

 

確かに、その動きは、我がマンションにも該当していた。

 

特に投機用マンションにとっては、切実の問題だと察すが、そのために、心地よく住み着いた住民に、兎に角何らかの収益増にきればという浅ましいオーナーの存在を、仲介不動産会社からいち早く、表出している。

 

連日のように私の住所や電話番号を何処で入手したのか、一日に数件の

売却案内が入る。

 

今を逃すと、もう、これ以上の価格は保証できないので、売却するといった方向に一方的に説明をする。

 

時によっては、朝から、声を発していない私にとっては、これ幸いと電話の相手と話を聴いてみる。

 

例え、価格設定を表示されても、では、次の住まいについては、決まって千葉、茨城などの郊外にならば、ありますといった、まったく、お粗末な回答に、相手からの返答である。

 

なるほどね~といって聞いているが、私にとっては、申し訳ないが、唯の

暇つぶしである。

 

セールス電話のお陰で、今日も健康のために声を発した利点はある。

2022年

8月

17日

桂離宮で「お花見」

心にゆとりがなくなる毎日に、私は、ふるさとの空をいつも思いだして、

気力を保持している自分自身を、どうして、気の強いのが取り柄の私が、

精神的に脆弱になったのだろうかと、嘆かわしい。

 

日本経済新聞の8月17日の夕刊に(旧暦の9月13日)」、ちょうど、この日は名月とうたわれた「十三夜」に当たるという。

 

一夜限定のと聞くも、新型コロナ感染を案じると、申し込みにも、尻込みをしてしまう。

 

本当に、私の将来の老後生活に、想像だにしなかった、生活と、精神的な楽しみを奪われたことが、とても、辛い。

 

75歳の後期高齢を機に、愉しみが一つづつ、消えていく。

 

長い目で見れば、かならず、それなりの根拠があってのこととは、自分に言い聞かせながら、侘しい世の中に成ったと、嘆いているが、それも何かの根拠に基づくと、自分に云い聞かせ、納得する日々が続く。

2022年

8月

16日

今日から日の出が5時

候から日の出が5時になるとの情報。

 

本来「早起きは三文の徳をする」というが、今の私にとっては、カーテン越しに差し込む日差しが気にかかり、「よいしょ」とカーテンを開ける。

 

しかし、私の体は目覚めて居なく、再度、設定している目覚ましの音まで横になっているが、そrに藩士て、頭は背でに目覚め、クリアーである。

 

本来、整理整頓という断捨離せいk津に、もしかして必要とされている新聞の切り抜きが積み重なっている。

 

ゴルフを恥じm手以来、何時しか夜行型から早朝型に変化したした私には

寧ろ、総緒からの整理に血圧に微妙に反応を示す。

 

しかし、左足に負担をかけないで、これまで、永年でチェストで作業してきた私には、ついつい、「ああ、しんどい」という弱音が飛び出す。

 

「負けないぞ」といういう想うしかないのである。

各マンションにより関わりのある方から、煩いと言われそうだが、終の棲家と決めていた住環境に始まるテェックがスルーされていることに、私は投資マンションによる、落ち度を問いかけてみたい。

 

私はそれらの前管理人の置き土産が片付けば、私の理事長としての任務は終わると心構えでいる。

 

「他人の芝生」は良く見えるというが、私が、建設当時の当マンションの落差に、この年齢を考量して、更なる優秀な管理組合の発展を考えるまでに追い詰められている。

 

この問題は、当マンションに限らず、頭を痛めている現実と考得ている悩ましい問題だと、考えている。

2022年

8月

15日

体験者しかわからないよね

昨日の恥ずかしながら、我ながら恥ずべきこと、ルール違反に対して、私にとっても許しがたいことと、承知している。

 

何とか、情報整理をしてと、頑張りました。

夕刻、私の体調を案いている友人と約束があり、夕刻、幾分涼しくなった

約束の約束の場所に出かけました。

 

彼女は、嘗て、小指を骨折した経験があり、敢えて、ふるさとの母親の元で、愛情あふれる地域特有の治療をしてきたと聞いた。

 

いま、私は、如何に、独り住まいの不安を考えました。

 

帰途、彼女は私のペースに気遣い、一言、「体験者しかわからによね」という言葉の重さを感じました。

 

出来れば、その体験を生かした辛い思いをしている人のために、我慢している人のために、私は怪我が無駄にならないようにと、如何に、自分の、体験が生かせるかと宿題を課せられた。

2022年

8月

14日

ケンケン跳び

まだ負傷して一週間に近いが、両足をついての動きは、未だに辛く、私は嘗ての幼少時期の「ケンケン跳び」をしながら、日中は頑張っていた。

 

しかし、ショックなのは加齢によるフレイルといわれる筋力の衰えだろうか、逆に、ケンケン跳びをするには、独り立ちできないのである。

 

いわゆる手すりというか、支えがあってこそ、可能だと知った。

 

ああ、高齢になると、僅かな私の場合は「ひび」で終わったものの、行動制限が、進めば認知症待機者になるという事だ。

 

トンでもない、身寄りのない私は、どんなことに追い込まれても、本来の気の強さで乗り切ろうと想っいる。

 

気がかりなのは、筋力は今回の事故で衰えているが、文字化したいという

想いは、逆に強く成るも、左足にシグナルが生じる。

 

横になって体型のバランスを整えるが、やはり、僅か、左足を庇うという

ことは、想像以上に疲労感が生じ、眠気の誘惑に負ける。

 

といった、日々が続き、ブログのアップを案じ、友人から連絡が入るも、

しっかりと、準備はしているので、ルール違反のブログではあるが、必ず

負けないで、継続しますので、ご容赦を。

2022年

8月

13日

レット・イット・ビー

今日は、土曜日、出来れば、少し、身体を休めたいところだが、資源回収の日である。

 

アルミ缶やペットボトルのをプッシュする音が、耳障りとの苦情に、私は

極力音を立てないようにと、管理員と気遣うも、難しい問題である。

 

新型コロナの影響もあって、全てに人が神経的に敏感になっているのでは

ないだろうか。

 

確かに、カルチャーが異なる入居者も多々いる時代である。

 

私の友人が、ある多国籍の入居者を入れて、ごみの処理について、私には到底できないが、3年かかって、やっと、日本のごみの取り扱いの習慣を理解してもらったと聞く。

 

「なる様になるさ」と、思っていたら、大変な街に代わっていく恐ろしさを感じた。

 

何時までも気持ちが晴れないのに加え、先日の足の痛みが全身に堪えるが

負けずに、何とかなる様にしなければと、知恵を絞っている日が続く。

 

いつも、仕事とは言え、ゴミの回収に尽力している清掃事務所のスタッフと、わがマンションの管理員に、何度も何度も頭を下げるしかない自分の立場を考えると、心が痛む。

2022年

8月

12日

宇宙に日常を忘れる

日頃路日常の生活が影響しているのか、私は自分としては私生活の日常を重要視して、管理組合の理事長として、体力の私は、何らかの根拠があってのことと、亡き母親の儀びしい言葉が頭をよぎる。

 

今夜は満月、中秋の名月である。

2年前、我が母校から、ふるさとの趣を入院中、ブログにアップして下さった今日に、今の私も、こころが沈むと、ブログを開く。

 

というより、私にとっての勇逸の心の安定を得るのは、我が母校のブログに依って精神的バランスを保ってい居るといっても、過言ではなく母校愛以上の卒業生に与える影響は大きいのである。

 

処で、ふるさとと繋がっているふるさとの空に、余りにも、私には悔しいが、「ついてない」日々が続いている。

 

せめて、今夜の満月出、中秋の名月に、願いを期待したが、残念ながら、更に、私に、何かを求めるかのように、想いは馳せながら、空を見上げても、雲隠れ。

 

救いは、昨日、満月を思わせるまん丸いお月様にお目にかかれだけで、私は満足している。

 

空は我がふるさとにも繋がっている。

そう、想うだけで、心に安らぎを得るのである。

2022年

8月

11日

亡き母の遺言

昨日は母の命日である。

 

考えてみると、子宮がんに始まり、乳がんを2度発症するも、2度目は手術不可能との結果に、「PCU」はまだ、少数派によると遠い存在であった。

 

しかし、主治医は時間を超えて、母の異常に対応してくれた。

苦しむ母に同行する私は、どのようにか母の不安を考えて有難いと思う。

 

後に、緩和ケア病棟といわれる「緩和病棟」が、わが地域病院にに誕生したのである。

 

日本の政治の拘りの如く「ホスピス」では、なく「緩和病棟」としての許可を経験者の看護部長に依って、成就したのである。

 

私は出版社からその情報を入手し、看護部長に面会を申し入れた。

 

それは、私に対する遺言というか、ミッションだと伝えたかったのだと、

想っている。

 

そして看護部長の、ボランティア担当の看護師の面接をクリアーされ、私は亡き母のわが身を賭して尽くした母の遺言と想っている。

 

其の後の私は、戸惑いながら母の私に対する教育を示したと思っている。

 

さらに2022年の幻冬舎の「読むカフェ」に投稿した「白いシャツカラー・

ブラウス」にも、将来の私の指針を示したと、改めて、亡き母の偉大さを感じる人、一日遅れの命日に想いを馳せた。

2022年

8月

10日

検査は続くよ

今日は、予約していた区民検診の胃カメラの検査日である。

 

「胃」は精神的に敏感に影響を及ぼすと聞いているので、出来れば、逃げ出したい心境であったが、そのようなケースにこそ必要とされている。

 

長年マウスによる検査に慣れているので、そちらを選んだ。

 

新型コロナウイルスにより、之までとは異なる安全を規した検査体制に私は、信頼感と共に安心感を持った。

 

処が、検査後、ナーバスな私は想像を絶する高血圧に達したそうだ。

正に、間もなく2年の脳外科の手術の際も、高血圧で、手術をストップしたと執刀医から聞いた経緯がある。

 

長年の循環医の主治医からも、まったく、如何に精神的による高血圧の起因があると言われている。

 

しかし、本人はその自覚はないのであるが、唯、私は極力、翌日の準備は

前日に済ませているが、血圧計を計る前に、今日の予定を思いだすという

宿命から逃げ出せないようである。

それも影響大と思っている。

 

さて、3週間後の胃カメラの検査結果については、ケセラセラである。

兎角、医療問題についての話題が取り立たされているが、、私は有難いシステムと考えている。

 

ところで、鳥取産の「イナダ」の刺身は美味であり、回復のエネルギーに

なったと思っている。

2022年

8月

09日

整形外科の診察結果

朝一番、9時に長年のお付き合いの整形外科の先生に事情を説明、即、彼是すべての症状のある部分をレントゲン撮影をする。

 

一番の問題点は、左足の薬指にビビが入っているそうだ。

本来ならば、ビブスをしたいところだが、夏場であり、ビブスに依り、私の楚々かっしから、転倒して、頭を打つといけないとのことで、テーピング治療で、頑張ることにした。

 

さすが、長年のドクターは私の性分も理解しての結論で、後の5か所ほどの痛みは、打撲とわかり、ほっとした。

 

テーピングの方法も丁寧に指導して頂いたので、スマホに撮影した。

 

診察結果も出たせいか、私は、まずは体力と、帰途、スーパーに足を伸ばし、こんな時こそ、ふるさとの産物を購入した。

 

日頃より煮干しは欠かさないが、岡山のお隣の鳥取産の「イナダ」のお刺身と、瀬戸内の小魚を購入してきた。

 

先ずは、口からか吸収出来ればとの想いである。

 

これまでも、まずは産地を重要視酢する傾向にあるある私だが、改めて

「ふるさと愛」に、今回の治療に期待する。

 

夕刻、友人から心配のメールは入り、なんでも、「薬指は一番弱い指」だそうで、有り難いと思った。

 

一週間に一度の検査を受ける状態が続くが、もし、私を必要としていれば

亡き母親の言葉をを、頑張らないで頑張るぞ。

2022年

8月

08日

痛い

昨夜、友人と食事をしている間、正座が痛くてできない。

思い当たるのは昨日の朝、ゴミ庫を開けると、ポリ袋の量の多さが限界を越していた。

 

持ち込んだ私のゴミを捨てる余地もなく、私はストッパーをかけて、手前からゴミ庫の奥に積み上げていた時である。

 

ストッパーが外れたのか、ドアーが通り道に当たるので、理由は、分からないが、私はドアーの勢いに左半身から、目の前の積み上げたごみの中に全身投げ出され、飛び込んでしまった。

 

瞬間的に、頭をかばったものの、白いブラウスの左半身から、血が流れただけだと、慌てて自宅で、消毒、出血は止まった。

 

やれやれと案じていた夜、左足の痛みに正座が出来なくなったという次第である。

 

仕方なく、足を投げ出して夕食を済ませ、シャワーを浴びて、初めて左半身の打撲に我ながら、驚いた。

 

手元にあった、湿布薬で、一夜を過ごした今朝の痛みは激しくなる一方で明日、火曜日まで頑張ればと、火曜日の整形外科の先生の予約を入れた。

 

昨日は立秋、今日は大安と、極力前向きに考えて、明日になればと解決すると言い聞かせながらも、不安な気持ちは隠せない。

 

じわじわとした痛みに、左半身に寝返りも打てず、夜明けを待っていた。

とうとう、案じていたゴミ問題が、わが身に降りかかってきた。

 

しかし、管理人さんでなくてよかったという心の余裕は残っていた自分に私はほっと安堵したのである。

 

終日、左足に重心をかけることが苦痛なので、鶴の如く片足で過ごした。

2022年

8月

07日

ポストに業界紙

口惜しいが、私は理事長職を辞退して、我がふるさとに帰りたいという、想いが頭から離れないでいた。

 

何も、自分の身にも危険を感じていたが、ポストに、何処で、情報を入手したのか、「マンションタイムス」が投函されていた。

 

今の私は行政が無料相談に対応するシステムを、管理組合の理事長として

欠かさず、知識を学んでいる。

 

今回の」「マンションタイムス 第466号に女子大生 理事になる!」という「理事って何?」という、まったく初歩的な記事に目を引かれた。

 

正に、私が全く同じ状況で、うろうろしているという情けない理事長で、

私は、改めて知識の甘い私にとっては、正に「学び直し」に相応しいと、

今も切り抜いて、私の手元にある。

 

情報社会といわれるが、その情報を立場に置いて如何に有効に生かすかという事に尽きる。

 

満更、情報過多も悪くはないかと、想い改めたのである。

2022年

8月

06日

ある老舗の女将の言葉

最近私は、とても苦しんでいる。

確かに、私を良く知る友人からは、案じるメールが多く届いている。

 

「マンションは管理を買え」といわれる時代の記事が週刊朝日の8月12日号に掲載されている記事をネットで知る。

 

さて、「管理」については、区分所有者、占有所有者、理事会、管理会社と、広範囲にわたる。

 

住環境をベストにと私は、考え続けた毎日が続き、残念ながら本来の私の私生活は、後回しになっている。

 

私の友人が、老舗の旅館の女将を努め、孫娘にしっかりとして、サービス業としてのあるべき姿を、時ある機会に、語り続けたそうだ。

 

私が、組合の理事長を引き受けて、今まで気付かなかったのか、全管理員の置き土産か、私は、納得する範囲で、極力、「下げられる頭は下げてきた」が、かなり、頭をかしげる苦情も多くある。

 

特に、我が近隣地区でも投資用のマンションが、もこもこと雨後の筍の如く、林立している。

 

例え、仕事といえば済むが、清掃会社からの指摘を多く、回収不可能なゴミに私は、心が痛む。

 

出来る限り、私は如何にゴミ問題の解決に、管理会社に相談し、対応する

ことにした。

 

地域によって、回収日が異なり、わが地区は金曜日から日曜日の朝まで、

月曜日に回収されるのである。

 

90リットルのポリ袋が50袋から100袋までに及ぶのを、私はカルチャーの違いでは済まされないと考えている。

 

例え、最短2年間の賃貸である占有所有者にも、「思いやり」や「マナー」

或いは、わが身に置き換える居住者を期待するのは、無理だろうか。

2022年

8月

05日

マンション管理が続く

しっかりとした施工をしていても、あらゆる部品の在庫終了とかで、紅葉マークの理事長は、終日その対応に追われて、異常気象の影響もあり、かなり、しんどい毎日が続いている。

 

性格的というか、両親の教育のせいか、難局にぶつかっても逃げないという教育を叩きこまれてきた。

 

寧ろ、それは次なる自分の成長の糧として、日頃の糧としてきた。

処が、加齢もあり、責任の重さに、一寸、思考停止するというか、自分でも一寸おかしいなという自覚をしていた。

 

案の定、長年続けていたブログが、主治医のどくたーストップをあり、その症状は、正直に反応をしてきた。

改めて、ブログの修正に取り掛かり、何とか、その場は収まったが、私の

体力が訴えているのが分かった。

 

自分の限界を考えて、相棒のパソコンに対して、お休み宣言をした。

しかし、残念ながら、これ前の人世経験から、これまでの日々の日常生活から、難しいと認めながらも、健全な日常を取り返すために、努めようと

心に決めた。

 

気分転換として、目の前に不要と思う資料を「断捨離」することで、精神的に平常心を取り戻す努力を努めた。

 

確かに、不要なあらゆる資料に、精神t的維持のために続けた。

不思議と、案じている「高血圧症」が数値に歴然と結果が表示される。

 

如何に、精神的要素が、高血圧に影響するかという、いわゆるストレスに

依るや体調に影響を及ぼすという事である。

 

兎に角、体調と相談しながら、当マンションを住みよい環境、管理にするかという、私に、改めて、新しい成長の宿題と受け止めている。

2022年

8月

04日

マンション組合のお勉強

私は、マンション組合の理事長としては、年齢から若葉マ烏滸がましく、「紅葉マーク」の存在である。

 

わが住まいの行政のお助け的存在の部署があり、弁護士と、一級建築士の

2部門が、区民のために無料でヘルプ依頼ができるという、頼もしい存在の部門がある。

 

今日は、その日に当たり、かねてからの知識を教授していただくことに、

77歳にして、マンション管理組合の理事長としての「お勉強の日として、心待ちにしている日に当たる。

 

前回が初めての際には、きちんと、私の中でも整理されないでいたが、今回は弁護士の先生からも、「淺野さん、学びましたね」という言葉には、

如何に、問題点に私が気づいたことを意味するである。

 

年齢的にも、次世代の後継者を育てていくミッションがある。

しかし、その前に、過去のスルーした問題点というか、過去の負債を整理したいという母性本能(?)が、頭をかすめる。

 

このシステムは、区民としての気持ちをくみ上げてくれ、しかも無料という有難いシステムである。

 

今、私は、これまでの経験しなかったマンションの管理組合の理事長として、学びは、私の小さな頭の一部分に新しい知識をプールできる。

 

新型コロナ、猛暑日の続く中、私は「生きがい」を見付けた想いでいる。

2022年

8月

03日

切れ味良く

今日は語呂合わせで「鋏の日」だそうだ。

 

「鋏」にあやかり、切れ味よく、スパッとした思い切りの良い日々を過ごしたいと、思いつき、身の回りを見回した。

 

先ずは、キッチンでの利用回数の多いゾリンゲンのプチナイフと料理ばさみ、関の孫六の包丁が並んでいる。

 

裁縫箱には今も、母親譲りの、銘が入っているが、一寸、読み切れないチョキチョキ鋏が治まっている。

 

更に、切れ味が些か衰えているが、父親が使っていた時代を感じるペーパーナイフを今も私は愛用している。

 

引き出しには、今でも鉛筆は肥後守の折り畳みのナイフを使っている。

 

工具箱にはオルファのカッターナイフがある。

 

又、ハンドバックのポーチには、必ず、病院ボランティアを始めた際に、看護部長から頂いた、先の丸い小さな鋏が入っている。

 

加齢のせいもあるが、私は、袋詰めを両手が開封するのが苦手もあるが、

鋏で真っ直ぐに切るという拘りがあるためである。

 

こうして、改めて「鋏」からの枠を広げてみると、未だに、切れ味は衰えていない。

 

唯一つ、現在のマンションに転居した際に、うっかり、砥石を持ってこなかったことが、残念である。

 

亡くなった父親が、切れ味が悪くなると、砥石で、研いでいた姿を懐かしく思いだす。

 

研ぎたての包丁は、まず、父親が切れ味を確かめて、決して、研ぎたての包丁は、私にはある程度、使いこなしてからと、母親に注意していたのも

父親の愛情の一つと有り難く思っている。

 

随分、私の周囲には、必要とされる今日は「鋏の日」に因んで「切れる」道具を列挙した。

 

このように、歳を重ねても、適材適所、臨機応変に、何時までも必要とされる「切れ味」の良い人世を贈りたいと想った。

2022年

8月

02日

信頼を深める

先日、プチ・レビューというブログをアップしました、更に、社協からの要望で、久しぶりにニユーアルした社協に出かけました。

 

かつて、3/11の東北大震災にボランティア保険に申し込み依頼の御無沙汰でした。

すっかり周辺の佇まいが変わり、戸惑ってしまいました。

 

先月、ブログにアップしましたプロジェクトについて、社協側から、更に

掘り下げて、充実した内容についてということで、担当者と他愛無い話を

交えながら、楽しく充実した時間を過ごしました。

 

大変デリケートな部分なので、慎重に慎重を期することは、大変ありがたく、一方では責任の重さを、ずっしりと感じています。

 

スタートは新型コロナとの関わりで、予定より変更する可能性は重々に、折り込み済みと私は考えています。

 

考えようによっては、それまでに準備感があると考え、気が付かなかった問題定義ができる時間と捉えています。

 

新型コロナの感染の増大は、実を熟するために必要な時間と考えても良いのではないかと思っている。

 

葉月を迎えた際に、私は「啖呵を発しました」。

つまり、どんな苦境にも必ず、解決できる意図があると、スタートしたはずの、葉月です。

 

だから、友人が私を「岸壁の女」と表現した意図からも、体力が許す限り

「岸壁に立った」時、不思議にハイパワーが生まれるのである。

 

故に、難関難問に体力もないくせに、我を忘れて、飛び掛かっていくのかも知れない。

2022年

8月

01日

葉月に期待を込めて

昨日31日の夕刻、とうとう脱力感に襲われ、先日、ドクターから休養するのが、何より必要との診断通り、ダウンしてしまった。

 

頭を空っぽにしなければと、ホテルに駆け込んだ。

定宿というか、セカンドハウスというか、私には実家に近い存在である。

 

家庭的な朝食も、私には楽しみの一つで、凝り固まった全身がゆっくりと

解れていくのが分かる。

 

僅か一泊でも、今の私にとっては必要な休養の時間で、やはりホテルを利用して正解だった。

 

朝食後はいつも、ホットコーヒーを部屋で飲みながら、さあ、何から始めようかと、既に、スイッチオン、何時でもスタートできる状態になる。

 

特に、今日は、月曜日が葉月の1日に当たることもあり、私は先月までの何とも言いようのない重苦しさを払拭したかった。

 

お陰様で、ともすれば、俯きがちだった思考回路が、上向きに変わった。

 

久し振りに本来の私を取り戻した感触に、足取りも軽く自宅に帰った。

昨日までとは自宅まで、気持ちの切り替えで、新鮮に思えた。

 

私には長く苦しい3か月近いトンネルを、抜け出すことができた。

 

今月は、既に手帳には、予定が現役時代のように、書きこまれている。

 

どうも、外に向かって開放的な生活スタイルに、生きがいを感じる。

 

自分で、自分を管理する術を、改めて学んだようだ。

 

これから、何が待っているだろうか、楽しみである。

2018年

8月

29日

辛い日が続くよ

エレベーターに依れば、昨日は「寅さんの日」、1969年(昭和44年)に「男はつらいよ」シリースの国産の第一号が完成したと、知った。

 

5月末の管理人を引き継ぎ、現在の管理員と理事長の私は、寅さんならず「管理人と理事庁はつらいよ」よ言う日々が続いている。

 

定年をまじかに控え、体調の異常と考えているが、残された問題は数知れなく、私にとっては、体調を崩すほどの、努力を努めた。

 

その結果が、左足の結果に及び、理事長という責任から兎に角、前任者の責任を取るという立場で、点滴を打ちながら、前任者の責務は我にありと体調と相談しながら、私も、2年近くの理事長としての責任がある。

 

それがクリアーされるまでと、頑張り、敢えてすべての批判や問題点をクリヤーしたいと考えている。

 

今日は、1969年(昭和44年)、映画」「寅さんシリーズ」の第一公開の作品が公開されたそうだ。

 

現実はもっと厳しい「管理員、理事長はつらい」立場をご理解ください。