2022年

10月

31日

プロジェクトの最終打ち合わせ

いよいよ、プロジェクトの最終章に至った。

 

社会福協議会の応援を得て、私には「青天の霹靂」と言っても良い、全くの個人的呟きから始まったことが、責任あるプロジェクトとしての実現は考えていなかった。

 

しかし、「まな板の鯉」になった私にとって、「ふるさと帰りたい病」の

ストッパーであればとのずるい私の心の叫びに近い想いがあった。

もう、逃げだすという無責任さは許されない土壇場に追い込まれた。

 

社会福祉協議会の熱い想いに私は、裏切ることはできないと、自宅まで、

自分の気持ちを整理するために歩き続けた。

 

マンションの管理組合の理事長は、今の私には負担が大きい。

連日の管理員の対応に自分の時間が無くなって、私の生活のリズムは狂いぱなっしである。

 

こうして、ブログをアップしていても、容赦なく管理員から連絡が入り、その対応に思考が切断されるのである。

 

僅か、一時間でも、社会福祉協議会で、孤独な人に対して、どのような

心遣いや、工夫が必要かと提案している私は、本来の私を取り戻しているのが分かる。

 

今、本当に必要とされている私の立ち位置をしっかり考えたいと想う。

2022年

10月

29日

山茶花が咲いた

毎朝、自宅のあるマンションの一角を散歩することにしている。

大体、6時過ぎ、冷たい早朝の空気が凛として、今日は、予定をこなそうと

スイッチが入る貴重な時間である。

 

ふと、見上げた植え込みに、一輪、白い山茶花の花が咲いている。

その風情が、何となく遠慮がちにみえて、思わず、笑みが出た。

 

どうも、白い花に、何故か、心が安らぐのである。

暫く見上げていると、既に数輪が次の開化を待っている。

 

やはり、自然は正直で、邪念もなく、素晴らしいといつも敬服する。

 

話題は変わるが、一昨日の夕刊に、箱根町仙石原の「星の王子さまミュージアム」が、2023年3月31日をもって閉館すると知った。

 

兼ねてより、訪れたいと思っていただけに、これも新型コロナウイルス禍と、建物の老朽化とのことに、とても寂しいし気持ちになった。

 

落ち込んだ気持ちを、来週の日曜日には、懐かしい故郷が癒してくれる。

2022年

10月

28日

師走並みの寒さ

今月24日から関東地方は、師走並みの寒さが続いているという天気予報に

気温差に対応するのが、苦手は、特に昨日の寒さは今季一番という。

 

何としても、風邪をひかずに故郷に帰ることしか、頭にない私は、電気毛布を取り出した。

 

しかし幸いなことに狭い我が家は、案じることなく、寒さを感じることなく起床が出来た。

 

しかし、気を緩めることなく、私は、来月の帰郷に対して、体調については、ナーバスになるほど気を付けた。

 

極力、気力をフル立たせて、自炊に徹した。

ウェルカムの故郷が待っていると、頑張ったが、時々体力の限界を感じ、ベッドと仲良しになる。

 

考えようによっては、今、十分、身体を休めることが何より、帰郷に対しての必要とされていると想って、「疲れたら休め」である。

2022年

10月

27日

いつものお土産

ホテルの予約先に、かなり、久しぶりにお目に掛かる先が多く、いつもの通りのお土産を、宿泊先のホテルに送付した。

 

かつて美術品商を営んできた時に、得意先である訪問先に、必ず、同じ品物を届けて来た経験から、私の方針は変わらず、相手先には迷惑かとは、

察しながら、迷うことなく、これまでの帰郷と同じ手土産を依頼した。

 

もう、私には、来月6日から、10日までの帰郷日程も決まった。

 

本当に、今回の帰郷に際しては、既にセカンドステージでお忙しくしている母校の校長先生が、私に変わって全てアポイント等々をコンタクトして下さったのである。

 

母校の校長室に掲げてある嘗ての校長先生の写真からは、想像もつかない温かく行き届いた校長先生の好意に、迷うことなく順じたのである。

 

ピーンと張りつめた私の精神状態は、何時、プツンと切れたもいいほどに

状態であったが、来月の帰郷を生きがいに、頑張るしかない。

 

送付先のお馴染みのお土産を持参して、一時でもふるさとに触れたいと

願うばかりである。

2022年

10月

26日

ショック

今日は2か月に一度の循環器科の診察日である。

 

毎朝、血圧計で計測をしているも、どうも、思わしくない表示に、きっと

主治医からの診断が気にかかりながら、病院に出かける足が重い。

 

やはり、やはりである。

之までより降圧剤の量を増やしてみましょうという。

 

20年来のお付き合いのドクターなので、私の生活環境も心得、周知している間柄である。

 

ある程度、苦手というか、負担になるストレスを排除しなければならないことは私も、十分わかっており、何とか、ストレスの要因を排除しようと、今日からはと、起床と同時に、私は決意をしているのだが、如何せん、常に相手から、火の粉を被るという受け身の災難である。

 

故に、今の生活環境を何とかして逃げ出すためにも、故郷の有料老人ホームを考えるまでに至っているわけである。

 

しかし、生活環境は落ち着くにしても、私のように、脆弱な体質と、これまでの病歴を考えると、思いきれないのである。

 

これも、ストレスの原因に繋がっているのだろうと、悩ましい。

 

しかし、来月の故郷への帰郷の準備をしている時が、心なごむのである。

2022年

10月

25日

故郷の温もり

今回の帰郷について、現在は母校の定年退職後、セカンドステーとして、活躍している嘗ての母校の校長先生に、私は精神的安定を求めていた。

 

かならず、これまでもじゃじゃ馬の渡しを、常に「笑顔」でコントロールして下さった、嘗ての校長先生、コロナ前に、母校に帰ると、必ず、私を見付けて「お帰えりなさい」と迎えて下さった教頭先生が、現在は隣接している小学校の校長先生に就任していらっしゃる。

 

「幻冬舎の読むカフェ」にアップ紹介済みである。

そのような母校の土壌に私は、改めて「ふるさとの持つ力」を実感していたのである。

 

母校を卒業して、迷いや苦悩が生じた時は、母校の小学校が受け止めてくれる存在であることを知った、私は新しく就任した母校の校長先生に御目に掛かることを何よりも楽しみにしていた。

 

幸いに、「稲刈り」の体験学習を機に、新しく校長先生に御目に掛かることを楽しみにしていた。

 

さらに、毎年、故郷の「桃」を贈って下さる母校のコミュニティー委員の現在、体験学習として「桃の袋掛け」の指導をしている方に御目に掛かることが、何よりの治療薬と思っていた。

 

どうやら、私には多くの「故郷の温もり」を、帰郷によって吸収したいとの想いがあった。

 

そのくらい、私に取っては「東京」が苦しめる土地になっていた。

2022年

10月

24日

現実化する帰郷

先ずは、午前中にインフルエンザの予防接種を済ませた。

今朝は12月上旬の寒さとの天気予報通り、身体がびっくりしているが、今の私には、本来の強気が戻ってきた。

 

これまで利用してきた母校に近い旅館から、倉敷のホテルを予約した。

新型コロナウイルスの緩和により、観光地である倉敷のホテルは、満室に近く、如何に、これまで、多くの人が旅行を待ち焦がれていたのだ。

 

今回の帰郷には、懐かしい母校を始め、ふるさとのご縁のあった方に御目に掛かる以外に、実は、もう一つ、目的があり、倉敷を選んだ。

 

恐らく、数か月のブログを読んでくださっている方は気が付いているのではないでしょうか。

 

親しい友人は、私の精神的疲労を案じ、メールや、電話を頂くほど、私は

「東京」という都会での生活に疲れてしまったのである。

 

全てを投げ出して、故郷の美味しい空気と、澄み切った青空を共にした環境を望んでいるからである。

 

私が、叶う事ならと願っている有料老人ホームを、取り敢えず、外観からでも見ておきたかったからである。

 

恐らく、私の願望の「夢」とは、承知しているが、どうしても、心の安定の為に、自分の目で確かめたいとの想いが、救いになればと考えていた。

2022年

10月

23日

我が地元に誇るべき

遡ること、9月24日の「NIKKEIプラス1」に掲載されていた「須賀川市民交流センター」についての特集記事である。

 

常に散歩コースとしている私に「畝森康行設計事務所」の存在を知らづに過ごしていた。

遡ること、日本経済新聞の「「NIKKEI プラスI」で、我が下町に、将来を期待する設計事務所の存在を知らなかった。

 

新聞の紹介記事によれば、「須賀川市民交流センター」石本設計事務所とのJVによって「2位」という評価を受けている。

 

かつて、散歩の途中で、サラリげなく立ち寄っている関係から、スタッフによれば、現在岡山県の奈義町の小学校のために、建築のために、常駐監督を派遣しているという。

 

偶然にも、興味本位で立ち寄った設計事務所が、我が岡山県の出身者である畝本康行設計事務所とは、知らず、引き込まれるように立ち寄っただけである。

 

私は残念ながら、盛りを過ぎた人間であることに、悔しさを覚えている。

機会があれば、帰郷時に足を伸ばし、ゴミ問題でも先日、当ブログで紹介したように、素晴らしい町である。

 

何時か、現在、完成に向けて常駐管理しているスタッフの話を聞きたいと想っている。

2022年

10月

22日

帰郷の準備を始める

さあ、何時までも、グタグタしているわけにはいかないのである。

 

今日は大安吉日、いよいよ、帰郷の準備を始めると決意した。

「善は急げ」である。

 

これまで、母校のある下車駅で駅員さんからプレゼントされたコンパクトな時刻表は、コロナ禍の影響で、すっかり、時刻表は役立たずである。

 

思い出の時刻表に別れを告げ、パソコンで調べるも、やはり、私はアナログ人間で、本来の時刻表で、帰郷の準備に取り掛かった。

 

ホテルは、私が、時々疲労回復のために、自宅から10分の位置にある東京でメンバーでもある馴染のあるなじみのホテルを予定している。

 

コロナ禍によって、すっかり、時刻表は変わって居た。

活字をみることに抵抗のない、私は人としての原点のような気持で、予定の時刻に集中していた。

 

なんでも、私が利用している時刻表は、1894年(明治27年)、日本初の

時刻表が「汽車汽船旅行案内」が出版されたそうだが、私は、時刻表を

なぞって、目的地に着くというアナログ的感覚が否定できない。

 

想いに忠実に動こうとした私に、コロナ禍前には稼働していた「みどりの窓口」は、跡形もなく、若い駅員さんの説明に時代の流れを知った。

 

「みどりの窓口」は1965年(昭和40年)、現JRの全国150の駅によって、コンピーターによる指定席券が設置されているが、当初の目的から、徐々にクローズされているのが現実である。

 

又、アナログ人間の私は、恋焦がれた故郷に対して、特に後期高齢者に対して、私は悔しさと、ここまで人間性を接触防止という目的での、行為に対して、私は自分の人世に見切りをつけたいとさえ想った。

2022年

10月

21日

体調の回復に焦り

珍しく、起床を渋っている自分がいる。

 

先日、新聞記事で、「木曜日は本曜日に」という見出しが記憶にあり、昨日も横になっている方が楽であるといった状態が続いている。

 

以前から、私は、木曜日という日が、一週間で、一番疲労感を覚える日を過ぎて、今日は金曜日。

 

本来であれば、不思議とスイッチが入り、乗り越えられる筈である。

処が、どうも、気力がなく、昨日の「本曜日」を思いだし、図書室で借りていた期日が、今日であることに気づき、早速、読み始めたものの、睡魔に襲われて、とうとう、楽しみにしていたリクエスト図書を返却した。

 

加齢のせいと言い訳するも、やはり、免疫力が低下しているようだ。

兎に角、頭から離れないのは、来月の帰郷しかない私は、来週月曜日には

インフルエンザの予防接種の予約日である。

 

何としても、体調を回復しなければと、些かの焦りを感じている。

2022年

10月

20日

マンションの「理事会なし」

以前、大手のマンション管理会社が、理事会まで運営する方向にあるとの記事について、私は、その際に、反対の意思をブログにアップした記憶がある。

 

しかし、今、私の気持ちは少しずつというか、出来れば、管理会社が「理事会」まで、引き受けてほしいという考え方に変わってきた。

 

当マンションの場合は、理事不足であり、多様な入居者に対応するためには、言葉の問題、文化、生活習慣の違い等々に悩むことが多く、管理員の立場をも考えると些か、疲労の一因にも繋がっているのは顕著である。

 

不思議と、管理員が終了後、何某かの問題が発生するケースが多い。

近隣でも、恐らくこのようなケースが増加しているのではないだろうか。

 

いずれにしても、私個人の考えとしては、第三者管理導入を望んでいる。

 

遅かれ早かれ、早晩、その可能性が強くなるであろうと想っているが、唯

それぞれのマンションの多様性や現実に沿った、きめの細やかな管理運営を願っている。

 

一寸、話が反れるかもしれないが、かなり以前に、確か、千代田区長が、

ゴミ収集に自ら、体験し、回収姿に身を着けた写真が、私には記憶があり、出来れば、一つの例えだが、担当するマンションの体験をしてほしいと願っている。

2022年

10月

19日

ぐったりしてます

今回のヘルペスは、いつもと違って、痛みと腫れがひどく、朝刊を取りに

ポストに行くのがやっとで、寒気も伴うので、今日は、ベッドで、大人しくしようと決めた。

 

新聞も読むのも、最近は眼鏡が必要になり、両手で紙面を広げているのも限界があり、結局は、起きてしまった。

 

空腹で、薬を飲むと、胃に影響するので、結局は、起きて、朝食をとるが

又、直ぐベッドが恋しくなるといった誠に情けない一日を過ごす。

 

明日からはと自分に云い聞かせている。

2022年

10月

18日

体調にシグナル

昨夜から、何となく寒気と、頭がズキズキと痛むのである。

 

最近、ナーバスになる傾向に、即座にシグナルを発信してきたのである。

やはり、「来たか」と思った。

 

起き上がる際、右足に痛みを感じ、早速鏡で確かめると、間違いなく立派なヘルペスが赤く膨らんでいる。

 

早速、皮膚科で、事前に安全のために頂いている薬を飲んだ。

その薬は5日間、朝と夕と、しかも、普通より、大量の水で飲むという薬で、しかも一粒が大きく、喉にひっけないように、精神集中しなければならないのである。

 

私には、既に、来月初旬に、故郷の母校が体験学習で、「稲刈り」があり

凡そ、3年ぶりの帰郷のために、ベストの体調と、インフルエンザを翌週

接種する予定である。

 

どうしても、今回のヘルペスには負けられないのである。

しかし、「ストレス」とよく言われるが、私は、なにがしか、正直に発症するので、分かりやすいといえば、分かりやすい体質である。

2022年

10月

17日

憂鬱なゴミ回収日

折角昨日、友人とふるさとのを一緒する機会があり、暫し2時間程度であるが、心安らいだのもつかの間である。

 

今日は、わが地区の燃えるごみの回収日であると同時に、管理人の苦悩を受けとどめなければならない日でもある。

 

一昨日の日本経済新聞に「全国2割、ゴミ経費を減らす」という記事に、我が岡山県の奈義町が、昨年のより経費が証言していたという記事である。

74・3%辺の岡山県奈義町は津山市、鏡野町、勝央町、美咲町とのいっし4町で津山圏域資源循環施設組合(津山市)を組織し、広域処理で、人口減に対応した」と記してある。

 

出来ればできることなのであろうが、毎週月曜日、木曜日の燃えるごみの回収日、土曜日の資源ごみに対して、毎回、本当に管理員の仕事といえばそれだけだが、他者の廃棄物の処分は、危険を伴い、私も心を痛めているのが現状であり、特に、投資用マンションで、入居者の出入りが激しく、

該当者に注意することは危険でもある。

 

管理員が、私に、「植民地マンションになる一方で、何とか手の打ちようは無いのでしょうか」と、ほとほと、困り果てた表情で、私に相談されたものの、奇しくも、「植民地マンション」とは奇しくも名言だと感心する一方で、雨後の竹の子のように増加の一方の一歩を辿るマンション業界も

新聞紙面を多く占める環境問題に、真剣に取り組まなければならないのではないだろうか。

 

のろしばかり上げているより、我がふるさとを見ても、、子どもに始まり

真剣さがうかがわれて、私はできれば、一もにもなく、大都市東京を抜け出したいと日々、想うがつのるばかりである。

2022年

10月

16日

帰りたい病が止まらない

私の故郷「帰りたい病」を止める名医がいたら、教えてください。

というまでに、私はメンタル的に、安定を失してしまった。

 

今日は、家庭の事情というか、嘗て父親が所有していた土地に対して、放置できなく、私が、「読むカフェ 白いシャツカラー・ブラウス」に著したように、私は、まだ17歳という年齢で、上京したのである。

 

幸いにも、嘗ての神戸時代に父親の会社に関連していた社員が、私の引受人になって、私は、高等学校の2年生より、編入入学を止む無くした。

 

今日の私のために時に触れ、心づかいをしてくださった命日だと気付いたのである。

 

これ幸いに、嘗て、我がふるさとを案内した友人と、アンテナショップでランチタイムを過ごした時、彼女から、久しぶりに、楽しく、私の故郷の美味しさに触れ、久しぶりに楽しかったと。

 

その彼女の一言で、私は、やはり、「プチ帰郷」と言っているアンテナショップの存在の必要性を感じた。

 

しかし、私は母校の「学校だより」に来月、7日にコミュニティスクールの

5年生の体験学習が実施されることを知った。

 

私は、まだ、5年生には母校には、まだ、私のことを覚えている子どもたちもいるので、私は迷いなく、インフルエンザ、新型コロナにも負けず、私は何たって、帰郷するぞと、決意をした日だった。

2022年

10月

15日

銀木犀の開化

三大香木と言われる沈丁花、金木犀、梔子と言われているが、私に地元で見つけた唯一の「銀木犀」に対するお鯉は強い。

 

かつて、北里研究所病院でボランティアをしている時に、我が拙著に記載した記憶があるが、現在は跡形もなくなくなった「なんじゃもんじゃ」の

開化を、楽しみにしていた患者様がいた。

 

毎日、術後のリハビリを兼ねて、「なんじゃもんじゃ」の開花情報を伝えることを楽しみと共に、日課にしていた。

 

私も、その患者の報告を確かめるために、確認することを怠らなかった。

ひと段落して見直す「なんじゃもんじ]は裏切ることなく、白い花を見に行くのが私も日課にしていた。

 

どうも、私は「白い花」が好きで、この季節の「銀木犀」の開化を待ちわびているのである。

 

我が散歩地域ににおいて、「銀木犀」は唯一一か所しか見当たらないのっである。

 

其の後、毎日、私は散歩を兼ねて、「銀木犀」の開化を楽しみにする日が

続いている。 

2022年

10月

14日

AI手術は拒否

今、私の精神状態は実に揺れ動いている。

そんな私に、日本経済新聞の今朝の朝に、「AI技術縫合まで自動化」という見出しに、私は、非常にショックを受けた。

 

「AI]という人工知能に熟練医師がどれほどいるのであろうか。

もし、私が信頼している医師から、提案をされた時に、私は恐らく「AI技技術でな人としての執刀医と信じて、お願いしたのです」と即答する。

 

残念ながら、二年目の経過恵果検査においても、異常はないが、もし、とり残した腫瘍が成長すれば、手術は不可能であり、「ガンマ―ナイフ」と言われる対応に移管されるのである。

 

しかし、私は、ある意味で、毎日の新聞に対して、感心を持たないというかスルーする紙面が増加している居ることに、情けにと思う反面、まだ、

本当に歴史を重ねて実績が上がっているかといえば、私には疑問を持つ。

 

若き意欲ある提案者、技術者に対しての、実績は言葉を走ればコロナ後、

雨後のタケノコのように発信しているだけではないだろうか。

 

余計なお節介と思うが、終始結果はクリアーで来ているのだろうかと、嘗てのオーソドックスな経営者には疑問と共に案じるのである。

 

 

いずれにしてもしても、私は、今後の経過観察で、もし、成長する経緯が

認められた場合も、手術はできない次の手段として、「ガンマ―ナイフ」と言われた居る。

 

私は延命をきぼうしていない、当か、歳を重ねて行き難い世情を考えると自然に忠実に追った生き方を考えている。

 

十分に、私は何時、引っ越してもうウェルカムといった準備はできていているし、私は命については、「ケセラエラセラ」である。

 

個人的にそれそれ相応しい時に、関わりのある人に負担を掛けにないように心がけて居ればよいというのが、私の考え方である。

2022年

10月

13日

「帰りたい病が」続く

コロナ禍の水際感染の緩和により、私の「ふるさとに帰りたい病」は日を追って顕著に表出して来た。

 

恐らく、この機会を逃しては永遠に、故郷に帰る機会は閉ざされるという気持ちが強く、私は、もう一度、あの「あさくちブルー」の母校の子どもたちの声を聴きたかった。

 

それ以上に、私は思い煩うことはなかった。

 

私の凡そ3年間に及ぶ投資用マンションの組合の理事長としては、すっかり、疲弊してしまっていた。

 

何とか、私は、この東京の社会の多様性に、追いつけない自分を情けなく思うととともに、果たして、体調を崩してまでも管理組合の理事長としての使使命を続けるかという自分との、闘い続けていた。

 

全ての投げ出して、私はふるさとに帰る決意を決めた。 

2022年

10月

12日

どっちがどっち

兎に角寒いのが苦手な私である。

 

出来れば、寒くないことを願っている私であるが、日本経済新聞に早や合点してして読むと、思わず、「どっちがどっち」と言いたい。

 

夕刊に「冬将軍」到来はまだ先、同じく「ラニーニャ現象継続か」、「列島寒い冬の予想」との記事に、寒がり屋の私にとっては、極力寒くない冬を期待している。

 

「冬将軍」と言われる表現解説にしても、同紙には、「発達した低気圧が北日本から東海上に去り、大陸から高気圧が張り出して、等圧線が縦じま模様に並ぶ「冬型」に近い気圧配置が現れるようになって、シベリア気団と呼ばれ、冬の主役となる大陸育ちの喚起を指す」と、記事には記載されているが、理科系に弱い私には理解不能。

 

そうだ、故郷の母校の理科の先生に、教えて頂こうと、帰郷の目的が増えたことに私は、元気を取り戻す。

 

それほど、数か月に亘るマンションの度重なる問題に私は疲弊している。

それには、コロナ禍のストッパーが解除された時に、私は帰郷したい、

そうでないと、私は壊れそうだからである。

2022年

10月

11日

水際緩和

兼ねてより、私は「ふるさと帰りたい病」に陥っていた。

特に、アンテナショップの「おかやま備中マルシェ2022」、私は連日

友人を誘い、例え、アンテナショップでも、私はふるさとに身を置きたかったのである。

 

幸い、友人からも喜んだ感想を聞くと、私は、この水際緩和を逃すと永遠にふるさとの距離は遠のく。

 

何とかして、心身ともに、疲弊した私を助けてほしいと、想う日々が続いていた。

 

それなりに、私なりに帰郷の理由が欲しかった。

 

必死に、何とか、見つけたいと、目を皿のようにして、探している自分に

悲しくもあり、希望を見出す目的をあり、納得のいく帰郷にしたいと想い

毎日、出来る限りの情報収集をすることに生きがいを見つけていた。

2022年

10月

10日

萩の花が満開

近所のお庭の萩の花が満開だった。

今日はスポーツの日だそうだが、私には、ある小学校の不登校児を懐かしく思いだす。

 

小学校3年生まで、順調に登校していたのに、必ずや理由がある。

友人を通して、不登校児の自宅までに、道路にも溢れんばかりの萩の花が

零れんばかりに咲き誇っている。

 

かつて、仙台で仕事をしたときに、和食堂に日本画で萩の花を作家に依頼したことなどを思いだしながら、不登校児の自宅を訪ねる。

 

まるで、私の来るのを待っていたかのように、ドアが開く。

そして、2階の自室に私を案内して、私の表情を伺いながらも、人懐っこく

私に、色々と話しかけてくる。

 

そのうち、人見知りという2匹の猫ちゃんまで、気が付くと、私の膝に、又

寄りかかって目を細めている。

 

2時間近く、之といった特別のことなく、彼女の自宅を去るのである。

数回通う内に、季節は華やいだ、萩の花を葉を残すばかりになっていた。

 

師走を迎える寒さの季節、彼女は私に、初めて、自分の気持ちを話してくれたのである。

 

素晴らしいと世間でも評判高い学校であっても、彼女には不適格であったのだとわかり、案じる両親に彼女の気持ちを私から伝えました。

 

さすが、両親は、彼女の気持ちを尊重して、納得して、直ぐ、彼女に相応しい教育に手続きをして頂きました。

 

今、近所の咲きそろった萩の花をみながら、彼女の成長を祈っている。

2022年

10月

09日

プチ帰郷 2

昨日果たせなかった、浅口市に「牡蠣」と、「鱧」の試食会に友人を誘って出かけた。

 

何と、我が浅口市の試食会である「牡蠣」と「鱧」には、行列が一番という有様に、私はニンマリとしました。

 

関東県では、残念ながら、東京市場には「鱧」に対する味の認識がなく、私の友人も、「鱧」のおいしさに、「お代わり」を希望する程で、私に相談をしたくらいの美味しさがあったそうだ。

 

確かに、私も、関西に仕事で出張する際、何処に行っても、突き出しは、

「鱧の梅酢和え」であった。

 

今回、浅口市寄島港より捕れる「鱧」を浅葱とポン酢を添えていたことも

リピーターが出るほどの好評だったと思っている。。

 

今、コロナ禍で、私のように、故郷の地を踏めない人に対して、アンテナショップの存在は貴重でもあり、有意義と考えた。

 

私が、感心したことは、関西で食べる「鱧」の骨切りが、細やかに行き届いていることに、私は我が地元の努力に対して、感激をした。

 

と、同時に、関東地区に「鱧」の美味しさを伝えたいというふるさと愛に

火が付いた。

2022年

10月

08日

プチ帰郷

待ちわびていた友人のお嬢様より、女児誕生の知らせを頂き、頑張ったママにプレゼントをと、なんたって我がふるさとのサンシャインマスカットと、新橋駅からゼロ分の「とっとり・おかやま新橋館」のアンテナショップに出掛けるのが、私の気持ちが伝わると出かけました。

 

何と、当日10月8日から9日まで「おかやま備中マルシェ2022」を開催中との案内に、私は、数か月「故郷病」に苦しんでいました。

 

残念乍ら、わがふるさとの浅口市の開催時間には次の予定があり、私は、翌日友人との予定を考量して取り敢えず、帰宅しました。

 

つくづく、アンテナショップの役目は、私のように、故郷を懐かしく思う人にとっては、非常に、心休まる、ひと時でも、故郷に思いを馳せる貴重な存在である。

2022年

10月

07日

空が見える

いつもの通り、散歩に出かけると、何処かが違う。

 

昨日より、空の見える視界が広く、良く見える。

今年は、住民を悩ましている街路樹のマロニエの落ち葉が、昨年より少なく、更に、昨年より、伐採が早くスタートしたことによるものである。

 

昨年、私は区役所に出向き、街路樹に住まいのある人から、コロナ禍を配慮して2階以上の窓を換気のために開放しておくと、落ち葉、枯葉が部屋に

入ってくるという苦情に、私は区役所に交渉に出かけた記憶がある。

 

しかし、今年は昨年に比べ、枯葉、落ち葉の類が少ないのである。

 

処が、昨年の手帳の記録より遥かに、早く伐採を始めている。

いずれにせよ、厄介な街路樹で、今年は掃除をしている住民から、苦情がないという事は、有り難く思っている。

 

やはり、苦情が発生して取り組むよりは、住民も行政に対する受け止め方が異なってくるのではないかと、今年は私も、管理員の休日の掃除をしないだけでも済むので、区役所の対処に感謝している。

2022年

10月

06日

結露の季節

昨日と急変、ベランダの窓ガラスは結露でビショビショ。

 

洗濯を部屋干しにした成果もしれないが、酷い結露に、季節の変化を感じるととに、これから、結露に対処する季節が始まるのかと思う。

 

喉の弱い私にとっては、適度な湿気は有難いのだが、果たして、部屋干しの効果が、喉に効果があるか問うのは、兼ねがね疑問に思っている。

 

既に、ホテルには加湿器が準備されているが、私は、布製のマスクの方が

喉に効果がある様に思えるのだが。

 

というより、睡眠中は、布製のマスクを使用している。

 

いずれにせよ、鼻呼吸を意識しているが、睡眠タイムに入ると、すっかり忘れて、今夜も、「ラジオ深夜便」を意識しないで、眠ってしまった方が

私には満足感を味わうのである。

 

何となく、朝食中までは喉が乾燥気味であるが、気にしないでいると、やがて喉の異常感が消えている。

 

コロナ禍後、喉に対する異常についての医療機関をはじめとして質問があるだけに、神経質になっているのだとわかる。

 

暫くすると、喉の違和感も収まっていることに安堵する。

 

しかし、乾燥は喉ばかりでなく心の乾気つけねばならないと、常に湿度計と温度計を確認しながら、日常生活を送っている今日この頃である。

2022年

10月

05日

おにぎりとおむすび

かねてから、母校のブログを見ることが毎日の私の楽しみであり、リューティーンである。

 

体験学習に出かけたブログには、子どもたちの笑顔溢れるランチタイムが

アップされている。

 

みんなの「おにぎり」をほおばる表情が、遥か東京にまで伝わってくる。

私は、「おにぎり」と「おむすび」の違いについての違いに何処が違うのだろうと関心を持った。。

 

いずれにしても、日本のソールフードであるが、何故か気になった。

 

検索してみると、東日本は、「おむすび」、西日本では「おにぎり」という説が多いそうだ。

 

「おにぎり」の方が遥かに多いというが、母親から、きちんと、三角に握ることを学んだ記憶が私にも鮮やかにある。

 

「おにぎり」にはご飯を握る動作から来ているというが、正に、母親から

三角形のきちんとした形になるまで、熱い炊き立てのご飯を前に、熱い

熱いと塩水に手を覚ましながら、梅干しを入れた懐かしい。

 

関東では私の大好きな香ばしい「焼きおむすび」と表示されていた。

 

おにぎりの方が、しっかりと、握りしめた人た愛情を感じるのであるが、

皆様は如何、味わいの違いを感じるでしょうか。

2022年

10月

04日

地域の孤立と孤独

天気予報によれば、今日が今年最後の真夏日というその日に、期待しながら、私は嘗て、新型コロナ感染が始まり、その後のコロナ禍の影響は、それぞれ個人差はあるものの、私も、かなり精神的に参ってしまった。

 

何とか、自分自身のコロナ禍に振り回せられないためにも、先ずは自分のメンタルを立ち直らせねばならないと想う日々が続いた。

 

遡ること、如月2月に長年地域で高齢者のために、区政にも発信していた方に相談した。

 

即座に、私の考えに同意を示し、前向きに考えて進むべきだと力を頂いた経緯もあり、いよいよ、今日は、「地域の孤立と孤独」に対する民生委員を始め、地域包括センター、介護事業者、そして、社会福祉協議会による

正に、「地域の孤立と孤独」へのグランドレビューの日を迎えた。

 

はらはらして迎えたのであるが、それぞれの立場で皆様の体験談を伺うと共に、非常にニッチと言われる「隙間」ともいわれる部分に介入することである。

 

お陰様で、そのデリケートな部分に、参集して下さった方の理解を頂いたことは、本当に、唯、呟きというか、私自身が一番身近に困惑してしていた問題である。

 

しかし、理解して頂いたという事に対する私の責任は重いが、寧ろ、私の救いになることが多いと想っている。

2022年

10月

03日

知識不足

昨日のことだが、私がマンションの管理組合の理事長をして、ほぼ、3年になるが、「車路と私道」についての知識不足が突き付けられた。

 

当マンションは投資用マンションのために、引っ越しが年中あることは、承知済みであるが、突然の引っ越しには戸惑いを覚える。

 

私道といえども、車両の通り向けは当然の権利であり、そこに引っ越し業業者の車が駐車すると、車の通り向けに支障が起こるという次第。

 

幸いにも、我がマンションの前には、警察の地域安全センターがあり、私は、地域安全センターの担当官から、説明を受けた。

 

昨夜、散歩をしながら、まるで、日本画の世界のような、月が黒い雲に見え隠れしながら月を、見上げながら、明日からはいい日に成りますようにと、祈る気持ちで、月に祈っていた。

2022年

10月

02日

六甲トンネルを抜けて

今日は、日曜日。

自宅前の公園には、既に子どもたちの元気な声が聞こえてくる。

思わず、子どもたちの声に誘われて、自宅を飛び出す。

 

まだ、日中は夏が居座っているような暑さであるが、午前中は気にならず

見上げた空が、高く、綺麗だ。

 

空といえば、私には、わがふるさとの空「あさくちブルー」を思いだす。

 

今日は六甲トンネルと言われる難工事の中、山陽新幹線の新大阪駅~新神戸駅間が1970年に開通した日と知った。

 

ネットで検索すると、山陽新幹線の岡山までの開通時には鉄道トンネルとしては、日本一の長さと知った。

 

最近というか、数か月私は、「故郷に帰りたい病」に罹り、かなり重症であることは、自分で自覚していた。

 

六甲トンネルを抜けて私は、絶対に今年中に、故郷の「あさくちブルー」

の下で、美味しい空気と、空を見上げようと、心に決めた日である。

2022年

10月

01日

新聞の切り抜き

今日は資源回収日である。

 

昨夜、新聞の切り抜きの多さに、猛反省をする。

 

確かに、切り抜くのはその場は楽なので、即、切り取ってしまう。

切り抜いた段階で、一仕事が終了した錯覚に陥ってしまうところに問題点がある。

 

つまり、見出しを最優先に切り取っておいて、後でゆっくり読みましょうと想っているのだが、それをスルーしてしまうのである。

 

そこで、今月から、毎日、見出しに始まり、必要とあれば、メモを取る様にしたのである。

 

嘗てから、肉筆の必要性を感じていた自分がいつしか、楽な方法を選んでいたのである。

 

確かに、肉筆にすると、案じている記憶力も活性化するのは、今年の初めに実感していたはずであるが、途中で、自分の時間が取れない役目が降りかかってきたが、そろそろ、終わりにしたいと工夫をするようにした。

 

ボールペンを止め、編集時代のように4Bのシャープペンシルに切り替え、

三日坊主にならないように、自らを律して、続けることから始めようと、

神無月のスタートに当たり、頑張らないで、頑張ることにした。