2021年

9月

30日

長月が終わった

夜が長くなることによる「長月」は、私には、単純な意味で「長~い」と言える。

 

振り返るのを好まない私だが、長月にある種の期待を自分に課していたが

結果的に、その想いは満足のいくものではなく、強く挫折感に繋がった。

 

目標のハードルをクリアできなかったのである。

一つには、未だに「毎日の日曜日」の生活スタイルが安定するに至らず、

常にトライするも、満足感、達成感を得られなかったのである。

 

我ながら、こんなに順応性がないとは、思いだすのは、母校の小学校による担任の先生の「協調性」に欠けるといった評価が、頭をよぎる。

 

決して、諦めることなく努力をしてきたつもりであるが、結果的には未達成に終わっている。

 

精神的な疲労もあり、行動が伴い状況も数多くあった。

 

挫折感や失望感を跳ね返すように、「なにくそ」精神は目まぐるしく頭の

中では働くも、行動に移す体力が時々息切れしてしまうのである。

 

これまで、動き回っていた生活から、巣ごもり生活で、珍しく体重が増えている。

体重の増加は、免疫力に繋がるのか、はたまた、注意点に該当するのか、私には、体重の増加はダイエットなんていう問題得なく、食生活の改善を意味している。

 

採血の検査結果では問題はなく、唯、一つ血圧が上昇気味にあるという。

主治医によると、私の血圧の上昇は、精神的な影響によるものだそうだ。

 

原因、根拠は精神的にあるとすれば、あまり、キョロキョロ、情報過多にならずに、「ゆっくり、ゆっくり」と、マイスタイルをするしかないのと長月の最後の日に我が身の総括をする。

 

「残された人生を大切に生きる」という視点から言えば、何度でも恥じずに、ギアチェンジ、リセットする時期かもしれない。

 

既に、私の脳裏には「無理をしないで、頑張らないで、ゆっくりと、頑張る」といった想いが芽生えている。

 

2021年

9月

29日

予感が的中

昨日のブログをアップして間もなく、きっと良いころが起こる予感を覚えていたが、意外に早く、飛び上るように嬉しいメールが届いた。

 

それは秘密。

 

精神的に溢れる栄養素を補給するため、今日も、学習室での作業をした。

かねてから、「デジタル終活」を、そろそろ纏めたいと考えている。

 

私の場合は、公正証書をもとに弁護士に任せる立場にあるゆえに、明解に

残しておくためには、手書きによる資料も残しておく必要を感じている。

 

小さなノートに、あらゆる私に関する情報を書き留めておかねばという、

ある種の自分の人生への責任と使命感ともいえる。

 

パソコンやスマホに残す以外に、紙資料で残しておく必要性を、私は40代に、ハンドバックを盗難にあった経験があるが、その際に、手元に残っていたのが、一冊の住所録と電話帳であった。

 

その一冊の住所録に、あらゆる個人情報に大切なメモを挟んでいた。

届け出た警察で、そのメモを示すと、先日のマイナンバーカードと同様に

身元確認ができた。

 

最近、物忘れの心配もあり、その作業を図書館の学習室でしている。

 

29日付の日本経済新聞の夕刊に「終活の基礎㊦デジタル遺品」についての記事を読むと、やはり、ID・パスワードは紙に残すとあった。

 

私のコツコツと進めている作業に、自信を持った次第である。

 

気のせいか、翌日の緊急宣言解除を前に、広告欄を明るさが見えて取れたように思えた。

2021年

9月

28日

アフターコロナへ

26日と27日の二日間、明け方の肌寒さに、久しぶりに喉の痛みに、薬を飲むと、急に睡魔に襲われて、ウトウトし始めた時、固定電話が鳴り、起こされた。

 

最近、リサイクルショップから、不動産会社から、連日電話がかかってくるが、決まったように、同じフレーズである。

 

相手も仕事なので、私は、ぐっと我慢して、ぱちんと切らないで、話を聞くようにしている。

 

何故かといえば、以前も取り上げた記憶があるが、巣ごもり生活をしていると、メールで、無言の言葉を発しているのだが、実際に声に出して話す機会がないために、健康の為に、セールスの電話にしても、できるだけ、丁寧に接することにしている。

 

丁寧に聞くことによって、怪しいかどうかを判断するゆとりも生まれる。

普段は、童謡を歌うように努力はしているが、今日は、それもかなわず。

 

かすれた声に相手が気づき、お大事になんていわれると、まんざらでも

ないなあと思う。

 

コロナとの共存が重視されると思っていたが、既に、アフターコロナへと進み始めているようである。

 

早くも、クリスマスケーキを始め、来年のおせちの予約、喪中の年賀状の案内、手帳等々のアフターコロナに向けて、動き始めている。

 

新聞紙面からも、アフターコロナに関する様々な業種が、取り組みを始めているのが鮮明に感じ取れる。

 

夕刻になって、喉の痛みも取れたので、私自身もアフターコロナについて

前向きに考えようかなと、見上げた夕空に、くっきりと飛行機がキラキラと翼を輝かせながら、機首を上げている。

 

時計を見ると、16時35分、きっと、良いことが起こりそうな予感がする。

2021年

9月

27日

私流現代語彙ノート

今日は、図書館が休館のために学習室での作業も、お休みにしたが、一体

手書きで何を書き留めているのだろうかと、思う人もいるのでは。

 

実は、特に新型コロナ発生の頃からか、もう少し以前から、新聞に表示されているカタカナ文字や、簡略した英語の意味が分からなく、スルーしてしまう日々が続いていた。

 

これでは、ますます、高齢化と共に、世間から取り残される、時代に乗り遅れるという不安な思いが募ってきた。

 

そこで、新聞にマーキングした言語をノートに書き残す作業を、学習室でしている。

 

まして、社名も同様で、知らない企業名が紙面を多く占めている。

恥ずかしいが、全く記憶にも残らず、会社の内容すらわからないといった状態である。

 

暫く、会社四季報もご無沙汰しているので、図書館で開いてみようと考えている処である。

 

今日27日の日本経済新聞の夕刊に、月曜日から金曜日まで連載される「人間発見」に、今週は「スーパーボランティア」といわれる尾畠春夫さんを取り上げた記事の中で、今でも新聞で意味が分からない字があると、辞書で調べたり、人に聞いたりして自作の「記録帳」に記しているそうだ。

「勉強は一生の宝です」と。

 

因みに、記事中にあった「マルトリーメント」を、私も書き込んだ。

 

ボランティアのスタイルは異なるが、私もボランティアの体験者として、尾畠さんがもう一つ、自作の「記録帳」という共通項を持っていることに近親感を覚えた。

 

ペン胼胝にめげず、続けていこう。

 

2021年

9月

26日

白い山茶花が咲いた

肌寒さを覚えながら、外に出ると、植え込みの白い花が一凛咲いている。

 

思わず、「おはよう、ようこそ」と声を掛けたくなるほどの清楚で、昨日までの日常生活の慌ただしさを忘れさせてくれるような佇まいである。

 

白い花が好きな私にとっては、素晴らしい自然からのプレゼントでもあり

既に、季節は「秋」に移ろいでいるのだ。

 

先日の金木犀に始まり、曼殊沙華、次は山茶花へと、季節の出番を待っているのである。

 

昨年からの一年間、コロナ禍の下で、私もそれなりに努力してきたつもりであるが、振り返ると、思うようには進まなかった。

 

人間のように言い訳をすることなく、自然体で、季節を弁えている枯れ葉で疎まれているマロニエの樹にしても、次なる花芽を存続するためには、役目を終えた葉は枯れ葉として散り落とし、生き延びているのだと。

 

1978年の今日29日は、世界初の日本語のワープロが発売されたそうだ。

いまだにワープロが、使いやすいと言って、葉書の宛名には利用している友人がいる。

 

その後のパソコンにより、私もその一人であるが、検索すれば、即座に

答えに辿り着く便利さは、有難くもあり、その便利さが今後、更に進化の

糸目をつけないでいる。

 

勢いあるのみのIT社会と自然との折り合いを、人はどのように付き合っていくのだろうかと、複雑な気持ちにもなった。

 

いつしか、爽やかな白い花が咲いた喜びが、いつしか霞んでいく自分に対して、寂しさをお覚えた。

2021年

9月

25日

二つのお願い

秋のお彼岸は長いと聞いているが、今日25日に曇り空の重苦しい空模様を案じながら、お墓参りに出掛ける。

 

どうしても、両親に秘めたる揺ぎ無い想いがあり、私は、これまで初めて両親の眠る墓参に助けを求めた。

 

既に決心しているのに、意志の弱さで延び延びになっている目標に対して

全く、予定通りに進んでいないのである。

 

両親の墓前を前に、総括してみると、俯くより仕方ない状況である。

 

昨年の術後の自分に対する責任に対しての行動力は消え失せ、全くの情けない日々を過ごしているである。

「緩み」なんて問題ではないのである。

 

昨年の退院後、私は、いつか来るべき病状の変化に、用意周到に準備をする日々に追わていた。

目的と張り合いがあったのだが、取り敢えず、ある程度、終了したことが却って、私を安心させると共に、目的や使命感、強いては責任感に「箍」が緩んだことを意味している。

 

毎週土曜日の日経新聞に、梯久美子氏による「この父ありて」という連載があり、以前、ブログでも取り上げた作家田辺聖子氏の最終回に、田辺氏自身が父親について、「どうにか、小説家になってたくさんの本を出して

もらえたのは、父に守られている日からだと思っている。きっとあの世で神サンに、いろいろつけ届けしてくれたはず」という件である。

 

墓参で、私も多くは望まないので、「二つの私の願いを神サンに付け届けしてね」と、お願いした。

 

きっと、叶えられると信じて、秋の気配が強くなった墓前を後にした。

2021年

9月

24日

絵本に学び直し

我が地域の街路樹のマロニエの、カサカサした落ち葉のように、私の心にも同じように、ガサガサした状態に気づいた。

 

現在、企業で制度学び直しといわれる「リスキリング」「45年定年制度」

「地域起こし協力隊」の在り方等々の、今後に対する見解が、メディアで

報じられている。

 

私は、既に現役に身を置く人間から久しくなるが、「リスキリング」には

年齢を超えて、自分自身にとっては目に見えない財産を積み重ねていると私は考えている。

 

例えば、私にとって、恵まれたふるさとに居ながら、理数系の知識は、恥ずかしながら今でも、かなり劣っている。

 

小学校時代の知識を、私は、母校のブログ、特に理科を担当する先生の

授業に、コロナ禍で無ければ、帰郷してでも学び直したい素晴らしい授業である。

 

現在の私は、図書館が隣接という恵まれた環境に、マロニエの枯れ葉の

ようにカサカサになった心を潤いしてくれるのは、母校の理科の授業風景と、図書の力は大きい。

 

特に、病弱の頃、母親から枕下で読み聞かせてくれた「絵本」が救いに

なっている。

 

今、心の潤いを取り戻すために、柳田邦男氏の「人生に一冊の絵本」を

「学び直し」として読んでいる。

 

ローカルニュースによれば、里芋の黄色い花が咲き始め、10月下旬の収穫に丹精を嘆声を込めているというニュースに、2019年前のコロナ禍まで、学校運営協議会の会議の為に、帰郷する車窓から、季節を懐かしく感じていたが、もはや、懐かしい思い出に終わる時が来た。

 

絵本を始め、いつでも開けば、心の潤いになる「絵本の力」は、子どもたちばかりであなく、寧ろ、大人が読むべきと改めて学び直している「読書の秋」を過ごしている。

2021年

9月

23日

精神的寒暖差

朝から元気なお日様に恵まれ、洗濯日和であると共に、真夏の暑さが逆戻りしたようである。

 

昨夜の最後の問題で、案じていたように、眠りの浅い日を迎えた。

それぞれ、人生に大切な「心の拠り所」を持っている部分に、「絶対」という介入は、ありえず、いろんな考えや大切にしているものがあっていいという多様性の時代である。

 

この精神的寒暖差に自分の時間を費やすより、「洗濯日和」は貴重であるゆえに、私は、過ごしてきた今年の夏を整理するために、あらゆる夏の名残に断捨離することで、昨夜の問題もあり流したいとの想いが優先した。

 

立ち止まるより、行動に移したことにより、精神的重荷の疲労は軽くなっているのを実感した。

 

「これで良い」と、整理がついた。

 

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるが、私の心境が重なっている。

 

2021年

9月

22日

マイナンバーカード

今年の四月からの私は、すべての現役を終え、「毎日が日曜日」「名刺」の必要としない生活に憧れていたというか、希望していた。

 

処が、これまで名刺である身分証明というか、身分を明らか証明していた手段を持ち合わせていない。

 

地域の事情で、18年間お手伝いをして来た区役所にある目的で、クレームではなく、状況を確認するという低姿勢で赴いた。

 

丁度、現役時代で名刺もなくなり、身分証明に対する証明書が無くなった私に信頼を寄せてくれるものは何かと考えた結果、マイナンバーカードを名刺が代わりに提示した。

 

残念ながら、友人の間でも、「マイナンバーカーカード」に対する不信感はまだ根深い存在のようだ。

 

全て、根こそぎ丸裸になるからいやだというが、私はこれしか、ございませんと詳らかにすることによって、「認定された」という証になるのではないだろうかと、いずれは分かると覚悟している。

 

既に隠すものは何もないと、啖呵を切った方が楽だなあと思っている。

 

話は全く異なりますが、私も縁のありました、「銀座百点」が800号を迎えたという記事に、私の編集者時代に「チンチン電車の最終日」「銀座百号記念」「銀座まつり」と、私は恵まれた銀座の歴史のお手伝いをさせていただくラッキーな編集者時代だった。

 

時代の流れというか、それだけ私は年輪の数を増やしたのだと、前向きに考えようと思った。

 

話は前後するが、午前中に区役所に赴いた要件に対して、午後、適切な説明と共に、対処してくれるという回答を得た。

 

いま、私は、名刺を持たない人生になったが、ある意味で、マイナンバーカードが身分証明書になる可能性を身を以って感じた。

 

既に、押印や名刺が証明できる時代が終わろうとしている。

やましいことや、不信感を無くすために、「マイナンバーカード」の果たす役目は重要だし、既に、行政も情報や伝達手段にスマホが主流になり始めている。

 

マイナンバーカードは自らを証明するものであり、今後、更に拡大するであろうと考えられる点からも、セーフティーネットに対する丁寧な説明を期待している。

 

行政の交渉も順調に終わった私は、今日中にもう一つ理解してほしい問題に夕刻、取り組んだ。

 

というのは、お陰様で、内科の主治医からも、私が重々努力しなければならない結果に、頷き、リセットしようと。

 

かねてから、私生活における問題を、今日の順調さに弾みが掛かり、話をしようと決心した。

 

然し、残念ながら、私の遠回しの説明不足が災いして、通じなかった。

最後に重苦しい雰囲気を残した、私は眠れない夜になった。

 

2021年

9月

21日

想いが巡る

今夜は満月といっても、中秋の名月と旧暦の8月15日、9月の満月のハーベストムーンが重なる、貴重な宇宙ショーの一でメディアでも、取り上げている希少な夜を迎えるようだ。

 

一年前の9月2日の満月の日、私は9時から凡そ、12時間の髄膜腫の手術を

執刀医に12時間身を任せている時間帯は、奇しくも満月の夜だった。

 

術前前のインフォームドコンセントの際に、執刀医に「先生、満月の日に

手術ですね」といった言葉を根拠なく発していた。

 

無事にHPCから、希望していた病室に戻った。

何ら、苦痛もなく、私としては、病室からの秋空を始め、夜空の表情や、

スカイツリーが真正面に見える病室から、病人にとっては重要な力になる

ことを、自ら感じ取った。

 

翌日からのお月様は、少しずつスリムになっている月を、日課のように、

スカイツリーの日没と夜明けを知らせる表情が支えになっていた。

 

そんな昨年の満月と、今年の満月に、私は、特別な想いを持って、2021年の満月と、中秋の名月が重なった宇宙ショーを待ち望んだ。

 

昨年の9月の満月は9月2日、中秋の名月は10月2日、今年の2021年の満月と中秋の名月は今夜21日という素晴らしい宇宙からのプレゼントである。

 

然し、私には、昨年の2020年10月2日の、母校のブログにアップされた

病後間もなくの私には「中秋の名月」に、何故か、心が熱くなる。

 

ブログには、我が母校の後輩が、「秋の七草」を持ってきたという後輩の感性に素晴らしい生きるを受けとめた。

 

「秋の七草」に母校からの中秋の名月に、一か月前の私は、病と闘っていたのである。

 

今も、2020年10月2日の「中秋の名月」に、私はパワーを頂いたことだろうと、想いを馳せながら、今年の満月を元気に愛でる幸せに様々な想いが

駆け巡るのである。

2021年

9月

20日

雲量ゼロの空

今朝の天気予報で、今日は「雲量ゼロ」の素晴らしい青空に恵まれていますとの解説に、カーテンを開けると、本当に雲一つなく、澄み切った空に見入ってしまった。

 

エレベーターには「今日は空の日」とある。 

1910年(明治43年)に、日本初の飛行船が東京上空を飛んだとある。

 

飛行船と言えば、かつて、緩和ケア病棟で、ボランティアをしている時に

企業名の入った飛行船がゆったりと、気持ちよさそうに飛んで、9階にある病棟の近くまで近づいて、入院中の方たちを楽しませてくれた。

 

上空の飛行船は、病院の建物と知ってのことか、何度も、真近かまで来る飛行船に向かって、思わず、手を振っていた思い出がある。

 

明治時代末期に、既に日本で、飛行船が飛んでいたことに、興味を持った私は、早速検索したところ、和歌山市生まれの航空先覚者の山田猪三郎氏によって、日本で、初めての円筒型の気球を発明したとある。

 

山田式一号飛行船として、初の往復飛行をしたと分った。

今日のようなスカッと晴れ渡った青空に飛行したのだろうか。

 

青空と言えば、ふるさとの「あさくちブルー」を思い出し、高く澄み切った空に、もし飛行船が飛んだらと、空想の世界に想いを馳せていた。

 

終日、今日は雲量ゼロで、夜空には、今日は99.6%の輝面率のお月様が、

昨夜に増して煌々と輝いている。

 

2021年

9月

19日

爽やか

台風一過、正に「爽やか」という言葉がぴったりの日だ。

 

人は、天候によって、心の持ち様が、こんなにも違うのかと思う。

澄み切った新鮮な秋の空気を思い切って、胸を張って、吸い込んだ。

 

何時もなら、学習室を利用するところだが、学生の為に、お休みをした。

 

午後、昨日の台風の影響で、街路樹のマロニエの枯れ葉や枝で、歩きにくい程、落ちている。

 

丁度、気分転換とばかり、向こう三軒両隣まで、勢い付いてカサカサと乾き切った丸まった葉を拾い、枝を拾っているうちに、段々と腰が痛くなり

背筋を伸ばしながら、小一時間かかって、終わった。

 

然し、一陣の風で、容赦なく、私の足元に散り始める。

それは、おかっけこをしているようで、どこかで、エンドマークを出さなければと思いつつも、視界に入ると、やはり拾い上げた。

 

マロニエと言えば、フランスのシャンゼリゼ通りでは、落ち葉をどのように扱っているのかと、ネットで検索した。

 

ベンチの上には、落ち葉はなく、ベンチの下には、マロニエの枯れ葉がびっしりと、隙間なく、落ち葉の絨毯を敷き詰めたかのように見える。

 

なるほど、長い歴史が、マロニエの落ち葉とも素敵で上手に、付き合いをしていると、なまじ、中途半端が目障りに感じるのだと思った

 

時計を見ると、夕食の準備をする時間になった。

お天気が良いと、かなり日暮れが早くなったが、時間を忘れがちになる。

 

一寸、休んで、夕食の支度を始めた時、ベランダのカーテン越しに、大きく、明るいお月様が、顔を出しているのが見えた。

 

時刻は、ジャスト、18時、ほぼ満月に近いまん丸いお月様だ。

 

事前に、21日が「中秋の名月」と知らなければ、今夜が「ハーベストムーン」といわれる、9月の満月といっても、素直に、受け入れられるほどに、

立派なお月様である。

 

後、2日で満月を迎えるが、今夜の月のまん丸度(正式には、月の光っている部分の面積を輝面率という)について、ネットで調べると、97.2%だと分った。

 

因みに、明日の輝面率は、99.6%と、もう、満月と見紛う程だ。

 

今夜も十分お月様を楽しんだが、明日はもっと楽しみである。

矢張り、秋の夜空にはお月様がお似合いだ。

2021年

9月

18日

ゆっくり、ゆっくり

何時もの土曜日は、資源回収日の為に、普段の朝より早めに起きるのだが

最近、友人からの「自律神経失調症」関連の書籍の整理のお手伝いを引き受けて久しくなる。

 

今日は、台風14号の接近もあり、資源回収は今日限りではないので、来週になんて、発想が、私の中に芽生えていることに、気が付いた。

 

どうやら、友人のお手伝いが、私にとっても良い結果をもたらしている。

バックに入れて持ち運べるようにとの要望なので、小さなノートに手書きで、少しづつ、これはと思う知識や、ヒントを書き込んでいる。

 

そのノートは、パソコンではなく、手書きで書いているうちに、知らず知らず、私の頭にインプットされているのだと、改めて、「手書きの力」の

威力を理解できた。

 

タイトルの「ゆっくり、ゆっくり」も、ノートに認めている一つである。

外は、時折、激しいゲリラ豪雨のような雨が、地面を打ち付けている。

 

昨日来の疲労感もあり、休養日としようと、決め込んだ。

何をしなければという予定も入れず、とにかく、「ぼんやり」しようと。

 

きっと、睡魔に襲われると思っていたら、全然その気配はなく、不思議に思った。

 

「脳の疲労感」を取り除くとは、このような思考や行動形態を言うのだろうかと、思った。

色々と、書き留めた知識が、湧いてくるが、それが決して、負担にならないのである。

 

友人は、もしかしたら、自分の為にというが、私の為を想ってのことではないだろうかと、つくづく「持つべきものは友」だと思った。

 

友の心の広さと温かさに恵まれ、私は幸せだと、有難く心穏やかな一日を過ごした。

 

2021年

9月

17日

疲れは三日後

今日も、午前中は図書館の学習室で、最後の目標まで、後一歩という処まで漕ぎつけたので、張り切って出かけたものの、強烈な睡魔に襲われる。

 

何とか、切り抜けねばと思い、廊下で、軽い体操をしたりするも、一向に

睡魔から解放されない。

 

ふと、気が付くと、リサイクルショップの案内に、気分転換になればと、

書架に並んでいるハードブック、文庫本、雑誌等々を見ている中で、何と

思いがけなく、正に今必要としている雑誌を見つけた。

 

4冊ゲットして、学習室に戻ると、その雑誌の方に、関心が向いてしまい、

とうとう、予定をスルーして、読み始める。

 

現在取り組んでいる「自律神経」に関する内容が豊富で、ぐんぐん、引き込まれてしまった。

 

気が付くと、2時間の枠を過ぎていた。

 

昼食後も、優先順位を変更して、読んでいるうちに、又、睡魔に勝てず、

軽く久しぶりに昼寝でもと、横になった。

 

気が付いたら、夕食の時間になっていた。

 

同世代の友人達も、最近、一仕事するたびに、一休みしなければいけなくなってとか、忙しくしている当日は、疲れを感じないが、数日後というか、大体三日後あたりに、なんで、こんなに「しんどい」のかしらと。

 

心当たりは、凡そ三日前あたりの疲れが、出ているのよねと。

 

そうそうと、大きく頷く、納得である。

これが、歳をとる、歳をとったということじゃないかしら、悔しいけれど

現実ねと、友人の一人はさらりと言い放つ。

 

恐らく、私の場合は、前日16日の術後の検査結果が頭の片隅から離れずに知らず知らず、ナーバスになっていたからだと思っている。

 

リサイクルブックから、良いヒントが見つかりそうだと、思いがけない

収穫から、見つけ出す新しい知識の発見が待っている。

2021年

9月

16日

白いセーターと鯛のお刺身

偶然にも、昨年の退院日が、術後一年の診察日となり、台風の影響下で、

低温にもかかわらず、湿気が多く、空気が重く感じられる。

 

丁度、自宅前に9月の2学期より移転してきた児童の登校時刻が重なり、言葉を交わすこともなく、ひたすら歩いて居る様子が、気になった。

 

玄関先で、校長先生が、アルコール消毒薬を持って、児童たちに「おはよう」と、マスク越しだが、笑顔で元気よく声を掛けている。

 

消毒液を持っているのは、校長先生だけでなく、他に数名の先生も、声かけているが、何と、校長先生の前には、何と、行列ができている。

 

子ども達は、正直で校長先生の消毒液を待っていると察した。

 

校長先生に消毒液を掛けてもらった児童たちは、嬉しそうな表情に変わり挨拶も元気な声で「おはようございます」と。

 

その一人一人に向き合っている姿勢に、今年3月で定年を迎えた母校の校長先生の姿が重なり、思わず、胸が熱くなってしまった。

 

昨年執刀してくださった脳外科の部長先生は、瀬戸内出身で、時折、懐かしいふるさとのイントネーションに、朝夕の回診が待ち遠しく思った。

 

お陰様で、異状は見られないとの結果に、ほっと胸を撫で下ろすと共に、

「憎まれっ子世に憚る」手も良いから、これからも、「助けて頂いた命」を大切にしていかなければと想った。

 

今にも、一雨来そうな空模様であるが、気持ちは明るく、ちょっと、美味しいものでも買って帰ろうかなと、思っていた私の前に、白いセーターが

目に入った。

 

そうだ、この白いセーターを術後一周年のお祝いにしようと、買っちゃいました。

 

お祝い気分は抜けず、夕食に「鯛のお刺身」を買っちゃいました。

 

2021年

9月

15日

想いと思いが駆け巡る

今日は15日、午前中はいつも通り図書館の学習室で、「自律神経失調症」関連のまとめ作業に入ったが、何となく、気持ちが落ち着かず、ざわついているのが分かる。

 

というのは、丁度、一年前の今日、私は、手術、リハビリを終え、明日は退院前の病室での最後の日を迎えたのである。

 

凡そ、二週間の入院生活で、私は、この病室から見える外の景色に、どれ程多くの心の慰めを窓を通してもらったか。

 

ベッドの正面から、スカイツリーが夕刻になると、カラフルな装いになり

日の出になると、無機質な表情に変わるツリーが毎日、楽しみだった。

 

今年と違い、天候に恵まれていたので、真っ白い雲の流れや形状がある時は、犬や山羊に見えたり、飛行機が銀翼をきらきら輝かせながら、機首を上げているのが見えた。

 

金曜日には11機の飛行機に、私はふるさとへの誘いすら覚えた。

 

更に、夜空が深まると、星とお月様が、窓辺近くまで、「こんばんは」と挨拶に来てくれた。

 

その一年後、私は、夕刻の散歩に、一年前の私の支えになったスカイツリー、夜間の飛行機、お月様に会いたくて、見える所まで、足を延ばした。

 

夜空は黒く重苦しい雲に覆われているが、すべての想いが叶った私は、胸が熱くなって、ふっくら気味の月を見上げ続けた。

 

最近は、新しい生活スタイルの成果で、嘗てのように「ラジオ深夜便」を

BJMにしなくても、11時過ぎには、眠りにつくようになった。

 

然し、今夜はどうしても、「関西発ラジオ深夜便」の「日本列島くらしの

便り」に岡山県笠岡市が放映されと知り、0時台まで、目をぱっちり起きて

いなければならないのである。

 

笠岡市は浅口市と隣接し、私にとっても思い出深い土地でもあり、久しぶりに秋のふるさとの便りを知りたかったのである。

 

総社市の備中国分寺付近の神事としての「赤米」と、間もなく迎える「敬老の日」のお祝いに相応しい「リンドウ」の花は、西日本最大の産地としての新見市の紹介にどちらも初めて聞く便りに、私は早速、検索をした。

コロナが収束したら、足を運びたいと思った。

 

今日という日は、私にとっては、「想いと思いのコラボ」の日でもあり、

わけも無く興奮止まずといった私の「忘れられない一日」となった。

2021年

9月

14日

東京にも秋が来た

大好きな金木犀の香りもしなくなり、小さなオレンジ色の花も盛りを過ぎたようで、何となく、寂しい想いでいた。

 

夕刻、東京にもすすきの穂が開いたと聞き、嗚呼、刻々と、秋の佇まいに変わりつつある東京の秋の夜長に、想いを馳せていた。

 

昨夜、友人から、「南の空に半月が輝いている」というメールに、散歩の時に見逃していたことに気づき、ベランダからは見えないので、外に出ると、丁度、雲間から、「こんばんは」と。

 

然し、期待していた上弦の月は、台風14号の影響か、黒く想い雲が足早に夜空を駆け巡っている。

 

昨夜、一日早い上弦の月を見ることができただけで、満足しなければと、

友に感謝しなければと思ったのである。

 

今日の午前中も学習室から、雲の動きが窓越しに和kる程、変わりやすい

気象状況で、隣接していても、傘を持っていくといった空模様である。

 

このところ、関西地方は、大型台風の発生の影響か、お天気がご機嫌斜めであるようだが、東京も、その余波を受けているといえそうな不安定さで

ある。

 

今夜も黒い雲と追いかけっこするように散歩から帰って来た。

 

このところのふるさとのお天気が気になり、3年前の倉敷市真備地区の大水害を思い出すことが多い日が続く。

 

岡山河川事務所のライブカメラで、小田川と高梁川の状況をネットで、今日も見ていたら、場所によっては、カメラに水滴がみられる一方では、道路沿いのすすきの穂が開いているのが見えた。

 

ライブカメラで、ふるさとの秋を共有できるという新しい発見は、嬉しく想う反面、もう二度と、安心できる季節を伝えるカメラの存在であり続けて欲しいと、願っている。

 

2021年

9月

13日

散歩は夕食後30分がベター

相変わらず日課として、散歩は欠かせずに実行しているが、午前中は隣接する図書館の学習室で、手書きのできる資料整理に2時間、「三日坊主」に

ならず、続けている。

 

自宅に帰ると、疲労感を感じるも達成感に「毎日が日曜日」から、次への

目標探しをしている時間には、それなりのヒントをつかんでいる。

 

然し、何故かは自分でもわからないのであるが、ブログに対する気力が、

相変わらずストップ状態である。

 

学習室で、整理しているのは、親しい友人から「ドクターから、どこも異状はないが、症状名を付ければ、自律神経失調症と診断されたけど、どうしたらいいのかしら」との連絡が入る。

 

友人ばかりでなく、私も東洋医学の診療を受けた際に、同じように「自律神経失調症」と指摘された。

 

友人の相談に、私も、ブログに気力が湧かないことを含め、思い当たる症状があるので、幸い隣接する図書館で、「自律神経失調症」に関する図書を、10冊ほど抱え、、必要個所を纏める作業に取り組んだ。

 

あるわ、あるわ、思い当たる症例が列挙している。

友人からの相談をすっかり忘れ、私自身が「なるほど」と、参考になる処の症例に、夢中になって手書きで書き留めていた。

 

2時間の集中力は、年齢的に応える。

そこで、夕刻、管理人さんが帰宅後の清掃を気分転換に始めた。

 

自宅の周囲の街路樹は、嘗て、フランスの学校との縁もあり、マロニエに変わり、その落ち葉の量に辟易する程である。

 

今年59回を迎えるシャンソンの「パリ祭」では、世界で界で最も美しいといわれたシャンゼリは「オーシャンゼリ」と歌われるほどの存在感があるが、健康と、生活環境の為にと、夕刻、「落ち葉掃除」を始めた。

 

然し、その落ち葉の多さに、シャンソンの世界のように「枯れ葉」、「オーシャンゼリゼ」のようなゆとりのある心境にはならない自分の心の狭量に情けなくもあり、これも、自然の成り行きかと、ゆったりと構えなければいけないというのが、「自律神経失調症」には必須条件だという。

 

夕刻、踏みつけてしまう目障りな落ち葉を片付ける達成感と、満足感に、今後も、毎日の生活のリズムに加わるであろうと思っている。

 

その後、簡単な夕食を済ませ、自律神経失調症に良いといわれている処の散歩に、夜空を見上げながら出かけるとしようかな。

2021年

9月

12日

小さな紳士とお喋り

日曜日の朝、散歩コースを近くの公園から始めると、小さな紳士と目があった途端、私に、近づくながら、話しかけてくる。

 

傍らで、我が子に寄り添っている母親の表情が明るくなってくるのを感じた私は、小さな紳士と、目線を合わせて、次の行動を待っていた。

 

たくさんのおもちゃが並んでいる。

小さな紳士は、私に「救急車」を持ってきてくれた。

「ありがとう。おばあちゃんのこと、心配してくれて」

 

何とも、恥じらいながら、嬉しそうな表情をする小さな紳士に、母親は、

「申し訳ございません、救急車をお渡しするなんて、どうぞ、気にしないでください」と、頭を下げる。

 

然し、私は、確かに我が家系的に白髪の傾向が強く、どうやら父親の血筋で、又、昨年9月の術後、白髪の勢いは強くなった。

 

小さな紳士は正直であるゆえに、私を案じて救急車を渡してくれたのでは

ないだろうか。

 

恐縮する母親に、私はむしろ、感謝すべき温かい心の持ち主だと伝えた。

 

間もなく今週中に3歳の誕生日をむかえると母親から聞いた。

一人っ子で、おばあちゃんの存在も知らずに育ってきた小さな紳士は、ともすれば、下向きになりがちな今日この頃、私に素晴らしいプレゼントを

プレゼントしてくれた。

 

「健康に気を付けてね」と言いたかったのではないだろうか。

優しい心の持ち主の小さな紳士の将来が楽しみである。

 

今日の散歩は、目標の歩数には届かないが、心の温もりを十分頂いた。

2021年

9月

11日

時代の流れに戸惑う

今日という9月11日には、筆舌に窮する映像が頭に鮮明に残っている。

 

不思議に11日という日に限定しても、東日本大震災が重なり、私自身にとっても、これまでの緩和ケア病棟のボランティア活動に区切りをつけた途端のこれまでに経験したことのない地震の恐怖を味わった。

 

その地震により、長年住み慣れた自宅を手放し、現在のマンションに移りざるを得ない状況になった等々、私の身近な身辺にも、大きな変化のある

11日という日付に、深夜まで、ブログを書く気力をなくしていた。

 

それは、些か、ネガティブに考えが傾いている状況で、日本経済新聞の朝刊で、自炊に疲れた時、利用していたコンビニが予てから無人化の傾向は他人事のようにスルーしていたが、、今後現実化していく傾向は免れないと察している。

 

一人住まいの私にとって、コンビニの店員さんに「おはよう」「こんばんは」といった、挨拶もなく、バーコードで決済を済ませるというシステムに、私は、声を発する機会が全くなくなる日もあり得るのである。

 

更に、夕刊紙の一面に、「消えゆく皆勤賞」と大見出しに、コロナの持つ

恐ろしさを、まざまざと実感したのである。

 

確かに、教育者にとっての、コロナ禍の「皆勤賞」は悩ましい問題だと理解できる現状がある。

 

今日は、二百二十日といわれ、季節的にまだ台風の影響を受けやすい農家では、ナーバスな日である通り、台風14号が北上している。

 

雑学上では、今日は「警察相談の日」で、1999年に制定され、全国の警視庁の相談番号は「#9110」と知ったが、相談するような問題が生じない平穏な日々を願っている。

 

あまりにも、11日という日は、「忘れてはいけない重い意味を持った日」と想っている一方で、コロナ禍において、長年培われた先人の遺産が時代の変化の加速化に、私は、年齢的に疲労感と、戸惑いを感じている。

2021年

9月

10日

秋の香り

2学期が始まって散歩コースを小学校、高等学校を加えることを必須にして

いる私は、信号が青に変わるのを待っていた。

 

その時、どこからともなく、甘い香りが、マスク越しに匂った。

直感で、直ぐに、金木犀のある公園と、高等学校の周囲を取り巻く金木犀の所に行ってみると、まだ、開花はしていないが、小さなつぼみを蓄えていた。

 

然し、香りは、既に、公園の周囲に立ち込めていた。

マスク越しに、大好きな金木犀の香りを堪能した。

 

高等学校の方の金木犀の根元には、いくつもの、彼岸花が硬い蕾を付けてはいるが、既に数本は開花の気配がみられる。

 

2学期が開校する前に、小さな細い葉だけ残していたのが、彼岸花だったのだと分った。

 

嘗て、病院ボランティアをしていた緩和ケア病棟のフロアには、お庭が続いており、2か所の植え込みの一方は、金木犀だった。

 

終末期の方に、季節を届けるという想いには、金木犀は、秋の香りであり

喜ばれた記憶が蘇ってきた。

 

今、コロナ禍で、社会はどちらかと言えば、人はうつむき状態にある中で

自然は、季節を弁え、正に「今を大切」に、生きているように思える。

 

私たちに香りであったり、花を咲かせ、生きる力を示してくれる。

本当に、その恵みの大きさに、私たちは如何に慰められているだろうか。

 

彼岸花というと、母校のもち米を植えた田んぼの雑草取りや害虫駆除の

体験学習が始まるころではないだろうか。

 

そして、その田んぼの周囲には、根に毒を持つ彼岸花を植えることで、モグラの侵入を防ぎ、稲の成長を守る季節が近いのではないかと、ふるさとの秋に想いを馳せていた。

2021年

9月

09日

栗ご飯でお祝い

今日は朝から激しい雨に、別名「菊の節句」といわれる「重陽の節句」で

大人の女性の雛祭りの日なのにと、恨めしくなりました。

 

雨が強いからと言って、部屋にこもるより、隣接する図書館の学習室で、

今日、頑張れば終わると予測していたので、雨にも負けず、走って、図書館に駆け込んだ。

 

激しい雨のためか、暫くは、広い学習室に私一人であった。

 

今日で、長年、パソコンで私は苦手とする操作を、ノートに殴り書きをしたままで、必要とする部分を、手書きで、ルーズリーフノートにやっと、

まとめ、書き上げた。

 

丁度、2時間で、済むことなのに、これまで、怠けていた証拠に、中指に

出来たペン胼胝が痛い。

 

何たって、一区切りついたという達成感と共に、五節句のうち最後の「重陽の節句」とくれば、寂しいけれど、一人でお祝いをしようと。

 

早速、雨にも拘わらずスーパーで、昼食に「栗ご飯」と「茄子の煮びし」で、菊の節句の「祝い善」とした。

 

今後は、パソコンとのお付き合いも、シンプル化してくることが何よりも

嬉しく、心身ともに楽しくなってくる。

 

最近の私は、脳活の為に、知識不足補充に、パソコンでの検索が多くなり辞書的な存在に変わってきたのである。

 

何気なく、「菊の節句」を検索していると、ふるさとのKSB瀬戸内放送で

倉敷市浅原の植物園の岡山県でよくみられるという「オオユウガギク」の

映像が流れているのを、偶然見つけ、ふるさとの「重陽の節句」を味わう幸運に恵まれた。

 

このように、無理なく、楽しい相棒にしたいと想っているのである。

 

2021年

9月

08日

初めての講師体験は「自分史」

今朝8日の朝刊で、「自分史」という位置を定着し、自分史ブームの先駆けになった歴史学者の色川大吉氏の訃報を知った。

 

かれこれ、20年以上前だったと記憶しているが、区内の生涯学習課では

ボランティア講師による、体験や得意な分野などを、区内の希望者に対して、講師としての講座を開く場がある。

 

確か、生涯学習課のお手伝いをしている際に、編集経験がある私に、「自分史の書き方」について話をしてほしいとの依頼に、私は、お喋りではあるが、人様の前で話をしたことはなかったので、躊躇したが。

 

丁度、自分史ブームというわけで、募集案内を出すと、定員以上の受講者があったと聞く。

 

それならばと、私自身にとっては、壇上より皆様に話をするのは、全くの初めてで、どうなるかと案じていた。

 

当時は、まだ、パワーポイントではなく、紙資料の「レジュメ」である。

 

不思議に、いざ、始まると、受講生の真剣なまなざしに、これは期待に

応えねばと、レジュメもあるが、私は、自分の失敗談を話した。

 

この講座の講師を引き受けるとき、私の恩師に相談したところ、人は自慢話より、先ずは、講師の失敗談に、興味と共に、効果があると。

 

それ以来、私は、体験を通して、多くの失敗談を話すことで、ほとんどの受講生は生き生きとして、頷き、場が和んでくるのである。

 

2時間の講義も恙無く終わり、席に戻ると、数人のある程度の年齢の男性や女性が、分厚い原稿用紙を抱えて、私に目を通して、指導してほしいと

いうのである。

 

ある人は、これまでの人生を子どもたちに残しておきたいとか、貴重な歴史体験を元気なうちに書き残しておきたいとか、様々な想いが伝わり、汲み取れるのである。

 

然し、個別行為は難しく、断るとガクンと肩を落とす方たちに、私は心が痛んだが、規則なので、仕方がなかった。

 

この日から、私が「講師」という立場のスタートになったのである。

これこそ、私の「自分史」の一節と言える。

2021年

9月

07日

はりはり漬け

極力、日常の買い物を、効率よく「おうち生活」を続けるためには、私は乾物類を買い求めている。

 

必ず、ストックしているのは、切干大根、乾燥椎茸、若芽、胡麻、鰹節等

パックに入ったものばかりであるが、散歩に出かける前とか、夜寝る前に

戻しておくようにしている。

 

切干大根について、かれこれ、10年前に、ある青年が、私の目の前に、彼は、手製の「はりはり漬け」を私に持ってきてくれたのである。

 

とても、味付けといい、名前が「はりはり」とあるように、嚙んだ時の感触もなかなかのもので、久しぶりに私は懐かしく、食した。

 

その後、彼は、すっかり「はりはり漬け」作りに、ハマったようで、三杯酢の従来の味付けから、彼なりに工夫した味付けの「はりはり漬け」を、

持参してくるようになった。

 

やがて素敵な、結婚相手恵まれた彼は、やがて、結婚式の引き出物にも、二人の手作りの「はりはり漬け」が添えられていた。

 

その後、子どもにも恵まれ、将来をカナダでの生活をする決心をして、移住することになった。

 

二人の子供と共に、カナダでの永住権も得て、本来であれば、コロナ禍で

無ければ、2020の東京オリンピックに帰国する予定だといって、旅立ったが、いまだ、その思いは叶わないでいる。

 

年に一度、元気にカナダでの生活をエンジョイしているメールが届く。

 

カナダでも「はりはり漬け」を作っているのかなとか、もしかしたらカナダ風の味付けにしているのだろうかと、「切干大根」を手に取ると、私はかつての懐かしい思い出と共に、想いを馳せている。

 

因みに、今日は24節気の一つ、「白露」である。

季節が、夏から秋へのかわりめで、夜中は大気が低温に夏といわれているが、彼らが住んでいる町は、とても厳しい寒さの地と聞いている。

 

もしかしたら「はりはり漬け」もフリーズしちゃうのかも。

2021年

9月

06日

15分の時間差

コロナ禍の巣ごもり生活に始まり、「毎日が日曜日」になった現在でも、

なかなか、私なりの「新しい生活スタイル」というか、時間の配分について、試行錯誤を続けている。

 

どうも、まだ、スムースに私なりの生活のリズムが掴めないでいる。

 

これ迄は、朝型でいた私が、昨年の術後から、起床時間を遅くしたが、長年の習慣で目が覚めても、思い直して、眠ろうと努力するが無理だった。

 

何とか、先ずは起床時間からの改善を諦めるわけにはいかず、小刻みに、

徐々に起床時間を工夫する試みをし続けた。

 

結果、最近気が付いたのだが、6時30分の起床時間だと、朝のルーティン

が、片付かなく、精神的に気ぜわしくなる。

 

その気ぜわしくのが顕著になるのが、体調に関係するトイレットタイムや血圧の測定時間帯の狂いが大きく影響してきた。

 

そこで、起床時間を15分早めた処、影響力の大きかった体調に関わる問題が見事にクリアされたのである。

 

「タイム イズ マネー」というが、僅か、15分という時間が如何に私には、大きな意味を持つ時間だと想った。

 

急に、物事がスムースに運ぶようになった。

 

こうして、一つずつ、マイタイム、マイスタイルを見つけていくのだろうと、まだまだ「新しい生活スタイル」の工夫を続けながら、マイタイム、マイスタイルに辿り着くのが、今は楽しみに変わってきている。

 

2021年

9月

05日

すすき梅雨

恥ずかしながら、この歳になって、こんな素敵な季節を表現する日本語を

知らなかった。

 

日本経済新聞の8月18日のコラム欄「春秋」によれば、世界有数の多雨地域ゆえ、日本語は雨を表す表現が豊かだ。

その一つが「すすき梅雨」で、夏の終わりから秋にかけて、秋雨前線がもたらす長雨のことで、なんともいえぬ趣があると。

 

梅雨でも「菜種梅雨」「山茶花梅雨」は、私も手紙で季節の挨拶に、前述の菜種梅雨と山茶花梅雨は使用していたが、すすき梅雨は初めて知った。

 

すすきについては、私にはいくつかの思い出がある。

先ずは、嘗て、竜ケ崎カントリークラブのメンバーで、クラブバスを利用を逃した際、常磐線の佐貫駅と竜ケ崎を結ぶ、当時2両ほどの列車に乗るのだが、ゴルフ場からの帰路、竜ケ崎駅に、バケツにたくさんの「すすき」があり、「どうぞ、よろしかったら、お持ちください」とある。

 

時は、中秋の名月といわれる季節で、私は遠慮なく数本の束になったすすきを頂いて帰った。

 

次は、私が、緩和ケア病棟でボランティアをしている時、毎月、季節の行事があり、9月は「お月見」であり、花屋さんにすすきを依頼した。

 

何と、1束でなく、1本が400円との値段に驚いた思い出がある。

 

最後は今年、60周年を迎えるふるさとのお山のてっぺんにある「岡山天文博物館」の周囲には、立派なすすきの穂波がお山の風に任せて揺れている

風情に、私は、魅入ってしまった。

61年ぶりに帰郷した私を、ふるさとのお山で、すすきがお迎えをしてくれたのである。

 

最近、私は、美しい日本が失われつつある現状をとても残念で仕方なく想い、時には悲しくなってくる。

 

今日も愚図ついた空模様を見上げながら、これが「すすき梅雨」なのだと想うと、気持ちが落ち着いてくるのである。

 

2021年

9月

04日

デジタル終活も終盤

友人から、「今日も断捨離してるの?」といったメールを受け取る。

確かに、私にとっての自律神経整えるには、気になるものが目の前に、身近にあると、先ずは、それを整理、片付けてから、次の行動に移る。

 

どうも、長い人生で、一つの私の習慣化されているといっても過言ではないと、自分でも、時々、我ながら、呆れる時がある。

 

大体、土曜日の朝の資源回収までには、紙資源として、1週間の新聞とポストに投函されているチラシ等をまとめる。

 

金曜日の夜は、念のために再度、新聞の記事に見逃しはないかのチェックをする。

 

資料として残すものを、ついつい、切りぬいてしまう習慣を、今月から、

改めて、肉筆で残そうと思い付き始めている。

 

嘗て、パソコンがない時代は、手書きに抵抗がなく、スイスイといったが

今は、パソコンの誘惑と闘っている。

 

数年前から、パソコン上の整理をしなければ、メタボになりかねず、特に

今から1年前の脳外科の手術で、もしもの時を考えて、頭と体が動くうちに

整理をしておかなければと、今月の9月を「生前整理の月」と決めた。

 

先ずは、メタボのパソコンのダイエットから始め、いつ何時の天災、人災等々の諸々の事態を想定して、メモリースチックに収めた。

つまり、バックアップを取り、セーフティーネットをしたのである。

 

後は、手書きの整理を残す処まで、追い込んだ。

 

まあ、手書きは脳活に良いそうだから、今後はノートに向かう日々が続くと思っているところである。

 

2021年

9月

03日

自助努力と防災グッズ

1923年9月1日に発生した関東大震災を風化させないためにも、8月末から

「防災グッズ」や「避難訓練」の必要性を扱った記事を見かける。

 

確かに、2年後には発生後200年になり、何となく、静寂の中に不気味さをはらんでいる。

 

最近では、消防庁からや自治体からの警告を始め、折込チラシ、スーパー等でも、防災グッズのコーナーを設け、コロナ関係のグッズと共に、店頭に並んでいる。

 

嘗ての関東大震災と、耐震建築の普及により、状況は変わってきているが

一人住まいの場合、一人で身を守るためには、何が必要として求められて

いるのかと、立ち止まっている。

 

避難情報や避難勧告が出ても、どの程度の必需品を持ち出せばよいのだろうかとか、特に、集合住宅の場合はとか、、次から次へと、疑問が生じてくるのである。

 

確かに、私も出来得る限りの準備はしておきたいと想うが、他人様に迷惑をかけないために準備をしておくのであって、延命のためという発想とは

異なるのである。

 

ともすれば、誤解を招きそうだが、投げやりとか放棄するとは違い、自分なりに精いっぱいの努力をした結果、つまり、自助努力続けをしての結果であればという前置きがあってのことである。

 

生後7か月という未熟児で生まれながらも、これまで、十分、楽しく生き永らえ、生き切ったという想いが脳裏をかすめるのである。

 

与えられた命を生き切るといえる幸せと共に、ゆえに命の大切さを感謝し

重んじなければいけないのである。

 

 

自然の力、猛威にはなす術もなく、弱い存在でもあるとも考えている。 

寧ろ、縁者がいない私には、運命というか、寿命と考えている。

 

恐らく、未曾有というか、想像を絶するという一言で片づけられるものではないと想っている。

 

よって、自助努力に関しても個人差があり、私自身の身の安全を守るためには最低これだけは必要と思っているものについては、かねがね、努力をしているつもりであるが、各方面から多くの情報に迷いを生じている。

 

地理的条件と、建造物が木造とか、SRCといわれる鉄骨鉄筋コンクリートや、最近はRCの鉄筋コンクリートの増加傾向にある。

 

とにかく、自助努力の結論が出ないままで、ストレスにもなりかねない。

気を付けているのは、日頃の医師からの薬には、数日のゆとりを持つように心掛けているが。

 

自分に見合った防災の準備は必要であり、当然の自助努力と考えている。

命の大切さに、自分の命に責任を持って、生き抜きたいとの想いがある。

 

色々と、試行錯誤をすることで、自助度量にも防災についても、そこから学び取って、いくつになっても成長する自分を見つめて生きようと。

 

過去のデータに基づき、開発された防災グッズが、願わくば私の生存中は

必要としない日々を送りたいと願っている。

2021年

9月

02日

大好きな花との出会い

久し振りに、暫くご無沙汰していた散歩コースを歩いた。

 

いつの間にか、数日の雨の恩恵を受けた私の大好きな泰山木が大きく白い花をつけている。

 

午前中、三日坊主ならぬ今日も今日も学習室で2時間の「肉筆」を忘れず、

続け、午後、散歩コースで、長年のお付き合いの友人から、展覧会の連絡があり、傘をお供に出掛ける。

 

その散歩コースの両サイドには、私の大好きな泰山木の街路樹がある。

「白い花」が好きな私は、嬉しく、これは他ならぬ友人のプレゼントだと

思う程、期待以上の泰山木の花に出会えた。

 

もう、アメブロでの「花とエスプリ」にご無沙汰をしている。

というか、花とのお付き合いでは、私の中では既に記憶の彼方に過ぎ去った1ページと思っている。

 

その街路樹は、「リトルジェム」と名札がつけられている。

久し振りに、泰山木を写真に収めたいと、スマホに撮り込みながらであるが、マスク越しにも、甘い香りが届く。

 

確か、香水委の香りで、「マグノリア」の記憶がある。

検索すると、泰山木を始めとする「もくれん科」に属するところの辛夷と言い、私は、空に向かって、花を開く品種が好みとわかる。

 

未確認だが、花水木も、開花時には、空に向かって花を咲かせる。

いずれにしても、私は、特に白く、空に向かって、背筋を伸ばすかのように、花を咲かせる品種の樹木が好きだと気づく。

 

樹木に限らず、「白い花」が、何故か、好きである。

近いうちにそのルーツについても、何らかの形で、伝えたい。

 

幸せな泰山木の街路樹を楽しみながら、久しぶりの旧友の展覧会に立ち寄り、持病との闘いにもめげず、次から次へと創作意欲にエネルギーを注ぐ

エネルギーに、パワーをもらう。

 

これも、不要不急の外出というのだろうか。

いつしか、人として持ち合わせてきた「感性」をも奪い取るコロナというのは、人に何を訴える、警鐘するために発生したのだろうと想う。

 

矢張り、クリエイティブには、それぞれの分野で、生き甲斐に繋がる。

 

そろそろ、私も、幸いにも、術後1年を迎え、後遺症も残らず元気でいる

上でも、昨日のブログにも気持ちを認めたように、トライしたいというか

出来そうだという、妙な自信が体内で生じ始めている。

2021年

9月

01日

2学期を迎える

自宅の前の道路を渡ると、小学校、公園、高等学校があり、区内の学校はコロナ禍の中、2学期を迎えました。

 

1週間程前に、高等学校を取り巻く植え込みの雑草取りを、日中の熱い最中にも拘わらず、汗を拭いながら生い茂った夏草を刈り取っている。

 

間もなく、2学期が始まる前に、教職員だと思われる人たちが、ソーシャルディスタンスを意識してか、適当な距離感で、モクモクと、作業を続けている姿に、教育者の生徒を思いやる温かい心遣いに胸を熱くした。

 

一方では、公園を挟んだ小学校では、嘗て、20年前に少子化という時代に、隣接する小学校と合併した校舎で、2年程前も、区内の小学校の建て替えで、移転後、暫くはお休みしていました。

 

こちらも、先生方が、あちらこちら、清掃道具を持って掃除している。

都立の高等学校といい、引っ越してくる区立の小学校といい、それぞれが

子ども達の為に、気遣いが感じられ、いつしか母校に想いを馳せていた。

 

今日からは、合併した先の小学校が、建て替え工事のために、2学期から、2年近く、元気な子ども達の声を、聞けるのが楽しみです。

 

コロナ禍で、もう1年近く母校に帰れない状況の私にとって、朝夕、子どもたちの声が聞こえ、笑顔に出会えるかと想うと、スイッチが入る。

 

9月から、隣接する図書館の学習室も、受験生を案じなくても、午前中であれば、遠慮なく利用できる。

 

早速、アウトプット能力、脳活のために、先ずは、コロナ禍で「話す」のはご法度であり、「書く」作業であれば、可能である。

 

途中で、挫折した「肉筆」で、「書く」行動を久しぶりに始めた。

 

巣ごもり状態の自宅では、直ぐ、ダウンするところだが、ちょっと学習室に環境を変化しただけで、頭がすっきりと、クリアになって快適だ。

 

気を取り直して、9月になったらと考えていた予定が、思い通りに捗った。私にとっても今日から「2学期」が始まったのである。