2021年

8月

31日

宿題

8月27日の日本経済新聞の一面のコラム欄「春秋」に、今日の31日を前にいち早く27日に、8月31日は「宿題の日」だと、何でも多くの学校で夏休みが終わることに由来しているそうだ。

 

これまで、私は夏休みというのは8月31日で、9月1日から2学期のスタートと思い込んでいたが、我が母校でも8月25日から2学期が始まっている。

 

ふるさとの母校を始め、縁のある学校のブログから、コロナ禍にも負けず

生き生きと過ごした夏休みが汲み取れ、改めて「子どもの底力」を感じ、

嬉しさと共に、我が身に置き換えると、そそくさと逃げ出したくなる。

 

「宿題の日」は「学べる喜びに気づく日」という別名があるそうだ。

何気なく、検索を続けていると、「勉強の雑学コーナー」で、「青ペン」を使う効果が紹介されている。

 

「青ペン」について、私は、かつては、パーカーのボールペンは「ブルーブラック」を愛用している期間が長く、唯、書類等は、「黒」という指定のために2本手元に持っていた。

 

個人的には「青」を使用する方が、頭がすっきりして、気持ちの問題かと思うが、書いた文字が綺麗に見える。

 

暗記したいものは「青字」で書くことで、納得普段より集中力を高める効果があるというが、確かに、青ペンを愛用していた私は納得。

 

更に、「青ペン」の使用には、暗記しやすくなる効果があり、やる気を出すためには、「音読」をお勧めだそうだそうだ。

脳の側坐核と呼ばれる部分が刺激され、15分ほどの音読を続けると、良いそうだ。

 

もしかしたら、ふるさとの空の「あさくち ブルー」がいつしか、インプットされているからかもしれないと想った。

 

コロナ禍の今年も、残す処、4か月、私も、人生の宿題を残している。

ブルーのボールペンで、脳を刺激して、頑張ろうかな。

 

2021年

8月

30日

ハッピーサンシャインデー

相変わらず、パソコン画面に表示されている気温は今日も34℃である。

 

予報によれば、明日から日中気温が下がるというが、これだけ、熱せられたコンクリートが、一夜にして下がるとは信じがたい。

 

日中は、大人しく、クーラーの効いた部屋で巣ごもりをするしかない。

今日は、夕刻、下弦の月だそうだが、確か、一昨日前に、ベランダ越しに

見えた月は、満月から、かなり速いスピードで、スリムになっていた。

ご挨拶できるといいなあ。

 

今朝から、ちょっとした操作ミスで、ブログの大見出しが急に雲隠れしてしまった。

 

然し、私はここで、自分の操作ミスが原因と分かっていても、イライラするところだが、偶然、今日は「ハッピーサンシャインデー」と言って、太陽のような明るい笑顔の人のための日と知った。

 

なんでも、この日に生まれた人は笑顔の素敵な人が多いそうだ。

更に、明るい笑顔で、過ごせばハッピーな気分になれる日ともある。

 

コロナ禍ではマスクからの表情は半分しか見えないが、「笑顔」を心がけると、自分自身の気持ちが和んでくる。

 

一両日、ブログが雲隠れしても、今の私には、気が滅入るほどの問題では

なく、ゆっくり、修正すればよいと気楽に考えている。

 

コーヒーを飲んで、トライしてみたら、不思議や不思議、一か所クリックしたところ、回復しました。

正に、「ハッピーサンシャインデー」に私も仲間入りをしました。

2021年

8月

29日

秋が近いのかな

我が地元では、8月の土曜日や日曜日は、地元の町会の人達によって、夏休みの最後として、西瓜割り、金魚すくい、タコ焼き、焼きトウモロコシ、盆踊りなどが開催される。

 

残念ながら、コロナ禍により、これらの催事はすべて中止である。

 

コロナ禍の前は、最後の夏を楽しむ大人も子どもも笑顔に溢れていた。

 

そんな想いの中で、何となく、コロナ禍に対する気持ちの整理がつかなく

自宅で悶々としているより、日傘を携え、夕刻、散歩に出かける。

 

すると、路地の植え込みにアゲハ蝶の一種で、キアゲ蝶と思う蝶が舞い、ちょっと、足を進めると、赤とんぼが飛んでいる。

 

近くの公園の植え込みには、既に赤い曼殊沙華が咲いていた。

 

自宅に帰ると、合唱に疲れた蝉が、ベランダで動かなくなっていた。

私は、「頑張ったね、ありがとう」と、そっと、チッシュに包み弔った。

 

これらの自然の佇まいに接し、私は秋の訪れが近いと察した。

 

東京のど真ん中に近い中でも、自然は私たちに素晴らしい季節の贈り物を用意してくれているのだ。

2021年

8月

28日

ヴァイオリンの日

毎週土曜日は資源ごみの回収日で、いつもの起床時間より、30分程、早く起きて、エレベーターで、ダストルーム迄運ぶ際に、エレベーターを利用する。

 

今日は、1880年に国産のヴァイオリンの第1号が完成した日と知る。

早速、検索すると、東京の三味線職人で、松永定次郎によるものだそうだが、どんな経緯でヴァイオリンの製作に取り組んだのだろうかと思った。

 

そういえば、まだ、小学校に入学する前だと記憶しているが、母親がピアノかヴァイオリンでも習わせたらどうかと父親と話していた。

 

ピアノは分かるが、当時私はヴァイオリンなる楽器を知らなかったので、

後にピアノ教室に通うことになった。

 

処が、私は左右が違うことを同時にするのが、非常に苦手だった。

お稽古の日になると必ずと言ってよいほど、熱を出すのである。

父親はカンカンに怒り、母親を責め、不穏な空気を子ども心に感じ取っていたのである。

半年も続かずに、辞めて、私自身はほっとした情けない思い出がある。

 

やがて、上京後、父親が貿易関係の仕事に長年関わっていた関係で、今度は津田塾のタイプライターの教室に通うことになった。

 

又、ピアノの時の悪夢が蘇り、成績も悪く、教師から、貴女はタイプライターは向かないみたいねといわれ、内心、ほっとして、怒られるのを承知で、両親に打ち明けた。

 

母親は「本当に不器用に生まれてきたのね。しょうがないわね」と、あきれ顔で、父親の承諾も取り付けてくれたのである。

 

そして、今も、パソコンに、その苦手さが残っている。

 

そんな不愉快な話はさて置き、私は、友人宅で、ウクライナ出身のヴァイオリニストで、ミッシャ・エルマンの奏でる音色に聞き入ってしまった。

 

何とも言えない柔らかで、温かく、私は、心が和んだものである。

 

今このようなコロナ禍の不安の時こそ、音楽の必要性を感じるのだが、悲しいかな演奏会にも、出かける機会もないのが現状である。

 

幸いなことに、私のマンションにUSEN放送が設置されている。

今日もそのUSENから流れる音楽を聴きながら、パソコンに向き合っているのである。

 

2021年

8月

27日

ほうぼうの刺身

いくら体調を考え、密を避けて買い物に出かける回数を減らし、我慢を重ねるにも、限界があるなと考えながら歩いて居た。

 

急に、今夜はお刺身が食べたいと想ったら、もう一途にスーパーに足取りも軽やかになる。

 

お刺身のコーナーで、一瞬、目を疑ったのである。

「愛媛県産 ほうぼうの刺身」とある。

もう、懐かしいふるさとで、食したコリコリと引き締まった白身の魚で、

丁度、若い売り場の男性の店員さんに、思わず、「これ、ほうぼうのお刺身じゃない、信じられない、ありがとう」と、声を興奮気味にかけた。

 

処が「お客さん、僕、ほうぼうという魚知らないんです」

「じゃ、ネットで調べてね。ちょっと、個性的な姿だけど」

 

もう、宝物でも見つけたように、私は嬉しかった。

矢張り、期待は裏切らないで、懐かしい瀬戸内ならではの、味が口中に広がり、これは恐らく、瀬戸内の海の神様からのプレゼントだと想った。

 

2021年

8月

26日

脳の活性化

最近、楽しみだった新聞に向き合う時間が、段々少なくなっている。

 

理由は、カタカナと、省略表記等々で、少し前まで、小まめに取り出して

データ化していたが、現在の私の置かれている環境下においては、あまり

必要としないのではと思い始めたからである。

 

情報が多すぎて、それに負けじと、頑張る時代は終わりにしても良いと。

時々、情報の断捨離も、私には必要になってきた。

 

友人は、それを後期高齢者になり、歳をとった証拠だという。

 

実際、今の巣ごもり生活、不要不急の外出は控えるように、ソーシャルディスタンス等々を、守らねばと、真面目に考えていると、では、何をして

過ごそうかと立ち止まってしまう。

 

恐らく、頷いていただける方も多いのではないかと。

 

幸い、隣が、図書館という恵まれた環境にあり、学習室を利用して、既に肉筆による整理が残されているのが、現状である。

 

然し、8月いっぱいは受験生のために、利用時間を1時間延長する配慮もあり、私も、デルタ株の感染能力の強さに、遠慮している。

 

今日、図書館に依頼していた図書が届いた知らせが入った。

今年、4月には発行された精神科医の樺沢紫苑著「極アウトプット」で、

まだ途中までだが、私には、納得する箇所が多いのである。

 

「書く」ことが、圧倒的に脳を活性化するそうだ。

つまり、記憶に残りやすいということで、最近私はもしかしたら、一過性の記憶喪失、認知症の前兆かと思う程、記憶力が衰えてきた。

 

折角、1年前に病巣を取り除いた大切な「お頭」であるゆえに、大切にしていかなければならないのである。

 

思い出そうとしないでいると、突然思いだしたりする。

さすれば、9月からは、図書館の学習室で、肉筆で整理書き留める作業を

始めようと思っている。

 

一時、ペン胼胝でこんもりしていたが、8月はドクター通いでお休みしていたせいか、柔らかく、もとに戻ってきた。

その代わり、毎日の1万歩の成果が足の裏に硬い胼胝が広がっている。

2021年

8月

25日

河川ライブカメラ

今日25日から、母校の小学校を始め、2学期が始まり、ブログを通して、

コロナ禍にも負けず、元気に登校した子どもたちの姿にほっとします。

 

通常であれば、「晴れの国 岡山」であるはずが、連日梅雨の再来のような雨模様の日々が続いている。

 

何となく、3年前の7月の小田川氾濫による水害を思い出し、時間があれば

岡山河川事務所のライブカメラの映像で、小田川と高梁川の倉敷市真備町に注がれる水位を見ていた。

 

丁度、3年前の6月に私は61年ぶりに母校に帰郷して、凡そ、3週間後に大水害が発生し、何となく、複雑な想いを持っていた。

 

先日、NHKの毎朝便りで、浅口市のお隣の矢掛町の話題が流れ、母校の先生も今年から、赴任なさった地でもあった。

 

25日には、雨模様も収まったようだが、それまでの長雨に私は、河川事務所のライブカメラで、水位を見ていた。

 

ライブカメラで刻々と時間を追ってみる映像に、コロナ禍で帰郷できない辛い想いが紛れるのである。

 

小田川ばかりでなく、母校の近くを流れている春は、満開の桜並木で桜色に染まる「里見川」の水位も表示され、ふるさとの臨場感も伝わってくるのである。

 

今日あたりから、既に河川敷には、夏草の雑草が生い茂り、河川ゴルフ場でプレーする人を見かけるほどに水位は下がっていた。

 

「晴れの国 岡山」そして「あさくち ブルー」のふるさとや、「お隣の 矢掛町」にも厳しい日差しの真夏が戻ってきたようだ。 

2021年

8月

24日

危惧が一掃

8月初旬から、ごみ処理の過重負担に因を発した私は、歩行に自信を無くした毎日を過ごしていた。

 

これまでに小児科を除いて、すべての診療科を受診したが、異状ないとの

結果に、最後にかつての美術時代の古傷が気がかりであった。

 

然し、ドクターの返事で、すべてが私の危惧で終わったのである。

急に、精神的に軽くなり、どこからともなく、足取りもしかっりと、不安なく歩いている自分に気が付く。

 

「病は気から」というが、全く私はナーバスになり過ぎた結果である。

自宅に帰って、鏡を見ると、正直なもので、顔つきが穏やかに見える。

 

まだまだ、これまでの長年の生活スタイルから「毎日が日曜日」の生活の

スタイルというか、リズムを見つけられないでいるのも、体調不良に繋がっているように思っているし、頭では理解しているつもりだが。

 

ドクターから安心マークを頂いたので、午後、昨年の9月の手術の際に、大変お世話に成った方に、是非、元気な姿を見て頂くことが一番と思い立ち

午後から、お礼の気持ちを伝えたくて出かける。

 

心配やお世話をかけた方は、本当に一人で来られるかと、私を案じていたが、あまりの回復力にうっすらと涙すら浮かべて、喜んで頂いた。

 

どうも、私は思いついた時に、即、行動に移す持って生まれた性格と長年の生活スタイルから、長く続いている巣ごもり生活も、私にとっては、かなり体調に影響する程に、「ストレス」といわれる精神的な過重負担になっているのは分かっているが、術が見つけられないでいるのが現状だ。

 

私は体力的と精神的の両者の過重負担の夏になったが、まだ、一週間残っている8月を、一番苦手な淡々とした日々が送れたらと想っている。

2021年

8月

23日

処暑と柘榴

今日は、近くの公園で、ちょっとお喋りをしましょうと、友人と先週末に

約束して、楽しみにしていた。

 

処が、8時過ぎから、突然、大気が不安定になり、ゲリラ雷雨になった。

 

約束の時間までには、まだ2時間近くあり、「晴れ女」といわれてきた私は

地面を叩きつける雨に臆することなく、絶対に晴れると慌てることなく、

雑用をしていた。

 

友人からも、何ら連絡もなく、様子を見ているのだろうなと思っていた。

ほぼ、1時間で、お日様がにっこりと顔を出したのである。

 

どんどん、すっきりとした青空が広がり始め、思わず、笑みがこぼれる。

 

先週末、9月になると、近くの小学校が、建て替え工事のために、引っ越してくる小学校の庭に、大きな柘榴の実を見つけた。

 

今日は24節気の「処暑」、暦の上では暑さが峠を越して、ひと段落する頃といわれているが、とてもとても、程遠い。

 

その証拠に、約束の公園にある切り株を利用した椅子の上のコンクリートは、既に卵焼きができるほど、熱く、座ろうものなら、お尻が火傷をする日差しの強さが戻っていた。

 

仕方なく、路地から路地を散歩することになった。

先ほどの雨で、植木鉢やプランターの花が生き生きとして、私たち2人を楽しませてくれる。

 

強力な感染力を持つラムダ株に、負けないためにも、ゲリラ雷雨の「打ち水」のお陰で、歩数計を見ながら、こんな散歩も良きかなである。

 

昼食後、「柘榴」の実が気になり、見上げるも、まだ硬い果皮に覆われ、

避ける気配は感じられない。

 

そういえば、ふるさとの自宅の庭にも、大きな柘榴の木があり、梯子を

欠けないと、裂け赤い実がはみ出しそうになっている実をとってもらう。

 

裂け始めた果皮を力いっぱい割って、赤い小さな実を口に運び、種は

友達と競って、勢いよく飛ばしっこをするのが、楽しかった。

 

「処暑」を迎え、懐かしいふるさとを思いだしていた。

2021年

8月

22日

8月の満月に誓う

朝から、空ばかりが気になって、満月までには、まだまだであるが、待ちわびているだけに、落ち着かず、ソワソワする。

 

更に、朝刊に24日のパラリンピックの開会式にも、ブルーインパルスが、

今日の午後2時ごろに予行演習で、都内を飛行すると知る。

 

昨年の新型コロナに従事している医療者に感謝を込めた飛行コースの地点まで、ちょうど、熱い真っ盛りの時間だが、散歩を兼ねて出かけた。

 

残念だが、今日は、昨年の5月のコースとは違っていた様で、「音はすれども姿は見えず」との結果に、自宅までの暑さが堪えた。

 

夕刻から、気のせいか、雲が重く垂れこめてきたように想いながら、8時過ぎに何時もの高等学校の校庭近くで、見上げていたが、見えない。

 

諦めて自宅に帰る途中で、近くのビルの後ろの空が明るくなっている。

 

もしかしてと、この方向であれば、我が家のベランダから見えるのではないかと、カーテンを開けると、丁度、右上に非常に煌々と輝いた待ちに待った8月の満月が、大きくくっきりと見えます。

 

時刻は、20時51分、その満月の上をきらきらと輝く木星がいつもより、

明るさを増し、正に「満月と木星のコラボ」です。

 

その大きな満月に、恐らく取材用のヘリコプターが赤と緑の夜間照明を

点滅させて、横切っていくヘリコプターが、別名「スタージャン」といわれる「チョウザメ」に見えるという素晴らしい偶然の天体ショウである。

 

その後、満月はどんどん上昇していくが、通り過ぎる雲からも、明るさが

衰えずに輝いている。

 

ベランダから身を乗り出して、満月を見続けたが、等々、視界から見えなくなった。

十分に堪能したという満足感と、幸せに満ち、心が洗い流されるような

想いになった。

 

これ迄も、私は毎月、満月を楽しみにしてきたが、今夜の満月から、何か

何時もと違うと、検索した結果、特に今年、8月の満月はブルームーンでもあり、大変珍しいと知る。

 

こんな素晴らしいチャンスの夜に、私は、ある想いを心に誓った。

 

2021年

8月

21日

雲ばかりの空

昨夜のお月様の素晴らしさに、期待を持って、夜空散歩をするも、昨夜と違い、重苦しい灰色に雲を隙間なく覆っている。

 

あまりの雲の表情から、息苦しさを覚え、間もなく、1年を迎える脳外科で

入院した時に、病室から見えるスカイツリーが見える場所まで足を延ばし

目の前に、真っ白なスカイツリーが見えた。

 

術後前のカテーテル検査の際も指定するほどのお気に入りの病室であり、

9月の手術後は当然指定したほどである。

 

見上げると、今日のスカイツリーは真っ白い装いのままである。

然し、白い色が大好きなに私は、とても心の休息になった。

 

だが、今日は、昨日と同時刻であるにも関わらず、頭から押し付けられるような重苦しい雲が立ち込めている。

 

いくら待っていても、疲れるだけと諦めて自宅に帰る。

空はふるさとと繋がっているとの想いが、今夜は残念だが、諦めるより

仕方がない。

 

明日が8月の満月というが、ご挨拶できるかなあ。

2021年

8月

20日

夜空に想いを馳せる

最近はもっぱら夕刻から夜空に変わる19時から20時に、1万歩の散歩を始めているが、首が疲れるほど、夜空を見上げている。

 

今日は交通信号設置の日と知る。

歴史は古く、1931年、90年前に銀座4丁目の交差点から34か所に3色灯の

自動信号機が設置されたそうだ。

 

散歩を始め、日頃お世話に成っている信号機を、1万歩だと幾つかを数えてみようと思い付き出かけたが、途中で、スマホ片手の通りすがりの人から道順を尋ねられた途端に、すっかり今までの数量を忘れた。

 

唯、3色灯の信号機と2色が点滅する信号機や、LEDで色彩的にはフラットなシンプルな信号機等々、2色と3色の信号機はどこで区別しているのかなと、結構楽しませる発見があった。

 

信号機の変わるのを待っている間、夜空を見上げたら、金曜日の夜だろうか、飛行機が上空を旋回している。

 

金曜日の夜は、私も経験があるが、着陸支持を待って、上空を旋回しているのではと思った。

 

もしかしたら、旋回から24日からのオリパラの関係者を乗せているのではいるのではないだろうかなどと、首には負担がかかるが、飛行機を追いかけていた。

 

嘗て、私も、関西に出張の際は、いつも伊丹空港の最終便を利用していたが、やはり、羽田空港の着陸待ちを経験しているが、今でも、その遅延が

気にならず、寧ろ達成感を味わっていた時代を懐かしく思う。

 

更に、夜空散歩の近くに保育園というかこども園があり、窓越しにランチメニューとおやつのメニューが道路越しに見える。

 

母校の小学校に隣接するこども園を懐かしく想う。

特に、運動会の子どもたちの元気な声と、笑顔が忘れない思い出である。

 

必ず最後の夜空散歩のコースは、住まいから5分ほどの距離にある都立の

高等学校には、歴史のある大木があり、ちょうど、道路から運動場が広がりその真上に、満月より一日早いが、殆ど満月と区別がつかない明るく、冴え冴えとしたお月様が、煌々と輝いている。

 

立ち止まって暫く、素晴らしい輝きのお月様を見ているうちに、ふるさとの母校での夜空で見上げている想いに馳せ、重なっている自分に気付く。

 

コロナの感染が日を追って勢いを増している今、私は「ふるさと離れ」を

しなければとの覚悟をしているものの、心は揺れている。

 

それだけに、高等学校の庭から見えるお月様に、ふるさとへの想いが募り胸が熱くなってくるのを御せないでいる。

2021年

8月

19日

灯りの力と月明かり

先月末に、不運にも部屋の2機の照明器具がダウンして、補助灯の心細い生活をし続け、夜間散歩で気持ちを紛らわせていたが、お天気もスッキリしないため、気持ちがどんどん沈みがちになっていった。

 

まして、ふらつきもあり、ますます、不安感が募り、精神的に何とか、此れしきのことと、自分に自分で「活」を入れようとするが、白旗状態だ。

 

旧暦のお盆休みも終わり、平常に戻った今日、待ち草臥れていた照明器具の取り付けに辿り着いた。

10年前のいわゆる蛍光灯から、遅ればせながらLEDに取り替えたが、現在は、嘗ての冷たく強い光線のイメージはなく、色々な使用方法が設定されている。

 

以前にも、確か、父親がまだ若いころ、一人住まいをしている時に、灯りの点いていない部屋に帰るのが特に冬は辛かったという話を思い出した。

だから、結婚して子どもにはその辛い想いをさせたくないといっていた。

 

冬でなくても、長引くコロナ禍の中での滅入ることの多い日々を過ごして

いると、僅かな変化にも心が和むのである。

ましてや、極端に言えば、暗闇の部屋が、照明器具のお陰で、とても気力が回復してくる。

 

昨夜も夜空散歩で、お月様に出会え、昼夜を通して幸せになる。

間もなく22日が満月とのことで、昨日は明るさも強く、ふっくらとした

お月様と、一万歩のデイトをして、帰宅すると、新しくなった部屋の灯りが迎えてくれた。

 

「灯り」と「明かり」の二つの「力」に支えられて、スイッチをオンにしなければと想ったのである。

2021年

8月

18日

夏空と夏雲のバトル

東京に一週間ぶりの真夏日が戻り、気持ちがハイテンションになり、部屋干しの洗濯物を、太陽がきらきらと眩しい青空の届くベランダに干した。

 

イソップ物語の「北風と太陽」での「太陽の力」を改めて思いだし、やはり、私たちには「太陽」が必要だと思っていた矢先である。

 

唯、待ちわびた夏空ではあるが、明と暗が部屋を通して感じる。

 

夏空に白い雲と、グレーの雲が追いかけっこをするかのように、雲行きが早いのが、もしかして、突然の雨に変わるのではとの予感がピンポーン。

 

アッと一瞬のうちに、大粒の雨が、激しく降り出した。

今までのブルーの夏空が様変わりし、真っ黒の雨雲に覆われ、地面を叩きつけるように降っている。

 

慌てて、洗濯物を部屋に取り込む始末となる。

外出も控えるほどの、ゲリラ豪雨である。

 

私は、「夏雲」は「夏空」に映えている、真っ白い雲だと好意的に思い込んでいたが、検索すると、「夏雲」とは、「入道雲」「雷雲」「雨雲」とあり、これからは更に「ゲリラ雲」というのもありかと思った。

 

恐らく、これらが大気の状況によって、様変わりするのだと、自己流に考えていると、又、きらきらと太陽が優勢になった。

 

「撃ちてし止まん」といった、「負けてたまるか」との勝気さで、もう、

降るなら降れとばかりに、再度、洗濯物をベランダに干して、出かけた。

 

「夏雲」の突然の大暴れに戸惑ったが、おかげ様で、洗濯物も乾いた。

 

凡そ1か月前の熱海の水害、九州地方を始め、中国、四国を始め、中部地方に及ぶ長く続く想像を超える大雨に苦しみ、耐えている被災地の方たちに対して、私は心苦しく恥ずかしいとの想いでいる。

2021年

8月

17日

月と飛行機

体のバランスが取れない不安定感のために、散歩を避けていた。

寧ろ、続けていた一万歩の散歩を中止して以来、常に頭からすべての神経が足元に集中していて、結果的にはすっかり臆病になっている。

 

歩いている時に、又、一時意識が飛んだり、足元に力が入らないでふらついたらとマイナス面がフラッシュバックのように、くるくる廻っている。

 

午前中は、この際、我が身のオーバーホールとして、眼科も受診する。

受診を待っているうちに、新聞か、書籍でよんだ記事を思い出した。

 

所謂、私のように、これまでの走り続けた生活から解放されて、「毎日が日曜日」を憧れていたが、現実は逆であったという体験談である。

 

つまり、さあ、これからのんびりしましょうなんて思う楽しみは、夢であり、現実は自己との闘いであったと気づく。

 

そうならないように、これまでの長年のリズムをできるだけ続けていく方が、良いそうだ。

例えば、出勤コースを歩くとかしながら、徐々に「新しい生活スタイル」を見つけていくといった内容だった。

 

間もなく、9月で、術後1年を迎えるが、退院後の私は、几帳面に「雨にも負けず」の強い決意で、散歩というか、歩き続けた。

 

今の私は、確かに、自分に甘く、我が儘になっている。

危なげなく、階段の利用も通常になった「緩み」に、先日のごみ問題での

過重労働が私には思い当たる原因である。

 

又、スタート地点に戻って、日曜日の15日から、傘をお供にして目指す処の一万歩の散歩にトライした。

 

不思議や、不思議、日を追って、案じていたふらつきと意識が飛ぶことは

無くなり、時々、足元の力が入らないで、立ち止まって、リセットする程度にまで、漕ぎ着けた。

 

今日も夕刻から出かけ、ふと、見上げた宵月に大きく淡い上弦の月?が、久しぶりに目に入ったと同時に、そのすぐそばを機首をまっすぐにした一機の飛行機の翼の灯りがちらちらと綺麗に見えた。

 

間もなく日没を迎える空を、我を忘れて見上げ続けていた。

凡そ、10日間ほど続いた、ふらつきはなくなり、首が痛くなるほど、時を忘れて、月と飛行機のショウを見続けた。

 

飛行機の行方を追いかけているうちに、空のトーンが変わってきた。

時計を見ると、18時28分であった。

恐らく、日没の時間に間もない時刻だけ出ている月だと、分かった。

因みに、昨日の16日が「上弦の月」だったと知った。

 

散歩の収穫というか、プレゼントだと心が和んだ。

2021年

8月

16日

3か月に一度の銀座

緊急事態宣言中に、銀座へ出かけるとは如何なものだろうと、何事ですか

「弁えなさい」といわれそうですが、不要不急の外出ではないのです。

 

コロナ禍の前、病気の方とお話相手として接する時、「笑顔」になると、「歯」が僅かでも見えるので、相手に不快感を与えないために、「歯」を清潔に手入れしておくのは、当然礼儀上、不可欠だと思っている。

 

そのために、3か月に一度の診療を兼ねたケアで、偶々長年のお付き合いの

デンタルクリニックが銀座にあるから、銀座に出向くのである。

 

今回は、かねてのハプニングの件以降、小児科を除いて徹底的にオーバーホールをするつもりでいた。

 

ドクターも今回は念の為に、レントゲン撮影他、丁寧にチェックした結果

一か所、早期の治療というか、予防に近い箇所が見つかった。

 

早速、来月早々、治療を始めるので、銀座に出掛ける。

 

治療後、一つのルーティンのようになっているのが、嘗て、銀座で美術の

仕事をしていた場所は10分もかからない位置で、今は既に当時のビルから

近代的な装いの建物に変わっているが、するりとその前を通り向けてから

帰宅するのである。

 

いわば、私の人生における「商いのふるさと」であり、往時を懐かしく想う治療後の楽しみといえる。

2021年

8月

15日

ジャガイモとオクラ

東京も、連日雨模様で、特に今日は警戒警報レベル3という表示が続いて、注意を喚起している。

 

今日は、76年目の終戦記念日でもあり、忘れてはいけない日でもある。

3月に疎開先で生まれた私は、8月15日は生後5か月を迎え、既に、当時の

歴史を知らない一人と言える。

 

この日を大切にしなければいけないという想いはあるが、さて、何をしたらよいか迷いがある。

体調管理のために、徹底な自炊生活に戻すという決意でいた私は、今朝から、野菜かごや冷蔵庫の点検をして、食材を片っ端から、味が落ちないうちにと、台所に立った。

 

偶然というか、ジャガイモは「長崎県産」、オクラは「広島県産」の産地表示に、私は、8月6日と9日、さらに「経験したことのない」「命に係わる水害」に被災されている地域の食材に、包丁を入れるのを躊躇した。

 

然し、直ちに思い直して、今、調理して「美味しい」と味わうことが何よりの励ましの気持ちに繋がればと、包丁を入れた。

 

こんな偶然もあり得るのだと、朝から私の心に蟠っていた何とも言えないもやもやしていた気持ちが、少し軽くなった。

2021年

8月

14日

錆止めが必要かな

最近、外装工事の勧誘が固定電話に多くなった。

 

確かに散歩の際に、外装工事をしている現場をよく見かける。

空模様と駆け引きしながら、近くのコンビニにまでとエレベーターを利用すると、今日は「専売特許の日」と知った。

 

以外に歴史は古く、1885年の今日、8月14日に日本で初めての専売特許が公布されたそうだ。

その第1号は、「錆止め塗料」と知る。

 

ここ一週間近い、足元に今一つ力が入らない、安定感に欠けている我が身も、目下、オーバーホールというか、「錆止め」が必要な年齢なのかもしれないと。

 

講談社MOOKの「おとなの週刊現代」の案内広告を楽しみにしているが、

2021 Vol.4に、「残り10年の正しい過ごし方」として、私は、思わず、

紙面にくぎ付けになった。

 

「投資もボランティアもパートも70歳すぎたらやってはいけない」とある中で、私が該当するのは「ボランティア」である。

 

今年の4月から、「毎日が日曜日」の私は、いずれ、「錆止め」を済ませ、体調が戻れば、ぼつぼつ、何かを始めようかなと思っていたので私には、些か、ショックを受けた。

 

ボランティアの実習講義の際に、「高齢者は、年齢だけでは判断できない個人差がある点を留意して、接するように」と、話していたのだが。

 

確かに、75歳から後期高齢者という社会的基準で、ずいぶん優遇されている事実もある故に、せめて、できるお手伝いはないかと思い続けている。

 

実際に貴紙を読んでないので、唯々、私の想いを書き綴っただけである。

2021年

8月

13日

夜空への願いは叶わず

ペルセウス座流星群が、今年は月明かりがないからと、絶好の機会との報道に関わらず、13日の明け方、楽しみにしていたので、目が覚めた。

 

ベランダから身を乗り出してみるも、重苦しい雲が一面に広がっている。

今年こそは、いっぱい願い事をしたいと思っていただけにがっかり。

 

空腹のせいか、急に先日のふわふわ感が蘇ったが、先ずは、エネルギーのチャージをしてからと、スーパーに「おこもり」用の食材を買いに行く。

 

最近、利用しているスーパーも、関西方面の品物も増えて、手に取ると、

「淡路島産の玉ねぎ」「坂出産さつま芋」、たつの市は醤油の産地でもある「たつの市のふりかけ」と、更に朝食には、神戸の会社の「ピーナッツバター」をフランスパンにのせて食べている。

 

更に更に牛乳、ヨーグルトまで欲張ってカートに入れたのは良かったものの、何と、重いことか。

 

店員さんが、「重いですよ、大丈夫ですか」と声を掛けられる始末。

 

仕方なく、振り分けにしたのだが、残り数分というところで、大粒の雨に

傘を広げたのは良いが、両方に振り分けた荷物と、ハンドバッグと、傘という、人様にはお見せ出来ないほどの買い出しスタイルになってしまう。

 

エレベーターのありがたさを痛感した。

玄関先までに荷物を降ろした時に、嗚呼「これだ」と気づいた。

 

先日のダストルームのハプニングの翌日から、ふわふわ病というか、一瞬であるが意識が飛んで、その後、歩く時にふらつきの恐怖が付きまとったのではないかと、あのごみの重さが私には過重労働であったのだと。

 

自己診断をしているが、取り敢えず、最後の眼科の診療を待つと、もうひと踏ん張り、頑張ろう。

 

それには、ふるさとに近く、縁のある食材で、元気をだすとしようかな。

2021年

8月

12日

36年前の小学校のクラス会

今日の夕刻、日航機の墜落という痛ましい日が、記憶に残っている。

確か墜落した日航機は123便で、私の関西のお得意先の方も搭乗していて

心を痛め、更に、週末もあり、キャンセル待ちで難を逃れた方も二人知っているといった、今でも私にとても忘れが難い悲惨さがある。

 

520名の尊い命に代えがたいが、私にとっても、その後の小さなアメーバー企業ではあるが、少なからず影を落としたのである。

 

この36年前の日航機墜落事件に、ふるさとの小学校は旧暦のお盆休みに、

6年生の先生を囲んで、クラス会の予定で、私も案内状が届いていた。

 

母校の小学校の6年生の先生には、今年定年退職した校長先生と合い通じる温かさがあり、クラスでもその人柄に魅かれてのクラス会を企画したと、

推察される。

 

その頃の私は、現役の真っ盛りで、飛行機の利用は何一つ臆することなく

新幹線より、飛行機の方が遥かに多く、今回のクラス会も日帰りで参加するつもりでいた。

 

処が、数日前から夏風邪で服用していた風邪薬の副作用で、瞼がパンパンに腫れあがった上に、珍しく母親が大反対したのである。

 

体調も考え、母親の憂慮する気持ちで、私は参加できなくなった残念な想いを手紙に託した。

 

やがて、36年から25年の時の流れを経て、母校の小学校に帰ったが、既に

残念ながら、同級生の記憶がなく、36年前に帰郷の機会を逃したことによって、あまりにもその後の61年は長かった。

 

いいえ、36年でも長かったと想う今、私は日航機墜落事故の12日は、とても辛い日でしかないのである。

 

更に、コロナ禍でますます、ふるさとは遠い存在になりつつある。

2021年

8月

11日

私も「ガンバル日」

今日は「ガンバル日」と知る。

 

「頑張らないで頑張って」と言われ続けている、私には気になる言葉だ。

 

検索すると、1936年のベルリンオリンピックの女子200メートル平泳ぎの決勝で、日本の前畑秀子が優勝した際の実況で、NHKの河西三省アナウンサーが連呼した38回にも及ぶ「前畑ガンバレ」の実況中継を、後世に残すために生まれた記念日という。

日本人女性として初めての金メダルを獲得した日でもあると知った。

 

200メートル中に38回連呼したとは、如何に熱い実況であったか。

寧ろ、この時代は、ラジオの実況放送で、感激を味わった時代である。

 

偶然であるが、日本経済新聞夕刊の精神科医のきたやまおさむ氏のコラム欄「あすへの話題」に、聖なる一回性のタイトルで、「大きな感動とは、

この「今」の一回しかない」という言葉に、私は、現在視覚ではなくて、

聴覚によるオリンピック観戦であったが、何度も繰り返される再生には、氏曰く「ありがたさも」もまた消えてしまったと締めくくっている。

 

全く視点は異なるのだが、先日の意識が飛んだ原因を確かめたいと、残るは聴覚障害と、視覚障害というか、要は、耳の検査と、目の検査をするという意味である。

 

沈み込んで、思い悩むより、掛かりつけの病院に出掛けた方が気が楽と、

私は、もし、先日のように意識が飛ぶのなら、それも私の運命と「ドンマイ」で、受診するも異状ないと。

 

然らば残るは、眼科のみと受診の依頼をしてきた。

不思議に、幾分は歩くときに力が入らないが、夕刻「ガンバレマリ子」で

何と、目標の一万歩を達成した。

 

途中、心細く、ナーバスになったが、とにかく「ガンバレの日」である。

 

夕刻の日本経済新聞の夕刊に、コロナ禍で、「テレワーク足」「おこもり足」に該当する訴えが多いと、ドクターの記事に、毎日が日曜日の私は、

長年、パソコンを立ったままで利用している生活が続いている。

 

記事から、思い当たる箇所がいくつかあるが、取り敢えず、年齢的にも、

凡そ、20年以上ご無沙汰しているし、「心の窓」でもある眼科の結果を待つとしよう。

2021年

8月

10日

風鈴に母を偲ぶ

昨夕の台風9号の夜空は、キャンバスに例えると、下地は薄青く澄んだ空を

白い雲と、グレーの雲が追いかけっこをしていた。

 

今朝は、風は強いものの、澄み切った台風一過の青空の東京だが、都心で

最高気温が35℃と、今年初の猛暑日と、熱中症アラートも発表された。

 

1997年の夏もとても、厳しい暑さと記憶している。

 

病弱だった私を案じ、心配の限りの一生だったと想っている母親は、私が6歳の時に子宮がんで、岡山大学病院で手術後、時を経て、東京での生活中

間もなく、乳がんを発症、手術をするも、僅か、2年後に、再発をした。

 

偶然、私が昨年9月の脳外科でお世話になった病院には、母親の東京での

縁があったドクターに執刀して頂き、薔薇の栽培をしていらした先生は、

母親の病屋に、朝摘みのバラの花を一凛持って、回診に来てくださった。

 

自宅で、静養中は、コロナ禍ではないが、窓という窓を開けても、母親は

「熱い、熱い」と訴えるのであるが、私は、母親の痛々しい胸に、氷水にタオルを持って、冷やし続けた。

 

「嗚呼、気持ちがいい。お願い、続けて」と、顔が穏やかになってくるのであるが、10分も持たないタオル交換に、氷水の冷たさに私の手は痺れてくるのを堪え、ひたすら、、繰り返した。

 

日中のむせ返るような暑さから、少し、風が出てきた。

窓には、2年前に亡くなった父親が、ふるさとから持ってきた鋳物で出来た茶色の古びた釣り鐘状の風鈴が、微かになり始めた。

 

「ああ、お父さんが呼んでるみたい」と、風鈴を見上げて間もなく、私に

「ありがとう、もう、十分よ」と、虚ろになり始めた目で、語りかけた。

 

やがて、私の語り掛けにも、反応を示さなくなった、私は、救急車を手配している間、窓辺の風鈴が気のせいか、一段と大きくなり始めた。

 

それと、同時に救急者が到着した。

 

既に夕刻7時過ぎだと記憶しているが、薔薇を持ってきてくださった先生に

看取られて、11時過ぎに、既に待っている父親の下に旅立った。

享年76歳、今年3月、私は亡き母の年齢の76歳を迎えた。

 

この季節の風鈴の涼やかな音色に、私は胸が痛くなるのである。

2021年

8月

09日

強風の最中の雑草

昨日のごみ事件で、目醒まし時計に起こされるも、体が起こせない。

 

カーテンから、差し込む陽射しに、台風9号が接近しているにも関わらず、

洗濯日和に、洗濯をしようと起き上がって、洗濯機の所までの僅かな距離

なのに、突然「ふっわっ」と体が軽くなり、一瞬、意識を無くし、転びそうになった。

 

昨年の脳外科の術後、何度も、ドクターを始め医療従事者から、確認された際には、一度も起こらなかった症状である。

 

恐らく、数秒かと思うが、とても、不安な気持ちに襲われた。

 

洗濯機にスイッチを入れ、ベッドに横になって、様子を見ることにしたものの、この雲に乗った様で、意識が飛ぶのが続くようであれば、救急車の手配もありかと脳裏をかすめた。

 

血圧を測っても、幾分平常値より高い程度で、思い当たる一つ一つを解決している時、首筋から肩、更に肩甲骨までが、ガチガチ状態である。

 

矢張り、昨日のごみ処理が堪えたとの結論に達した私は、所謂、この凝りをとらなければと、ふらつきの不安もあるが、体操と、手の届く範囲での

マッサージをした。

 

洗濯物も干し終えて、30分ほどしたら、一気に大粒の雨が降り始め、慌てて、洗濯物を取り込む羽目になった。

 

昼食後、こんな時に限って、冷蔵庫がスカスカになり、買い物に出掛けなければと、友人に今朝からの状況を説明すると、ちょうど、夕刻に買い物に行くから、心配だから一緒に行くことになった。

 

現在、少子化時代に統合したために空室状態の小学校の校舎に、2学期から建て替えのために、子どもたちが引っ越してくる。

 

フェンス越しの校庭の一角に、まだ強風が収まらない中で、柴犬の尾を思わせる学名「エノコログサ(狗尾草)」が強風にも左右されることなく、まっすぐと、伸びやかに群生している。

 

我々二人は、強風に負けないように体を固くして踏ん張りながら、歩いて居るのに、「猫じゃらし」の俗称で、子ども時代に遊んだ懐かしい自然界の遊具である雑草はビクともしていないのである。

 

友人もふるさとを持つ身であり、二人は暫し、立ち止まって見入った。

 

思わず、私は、「夏草や兵どもが夢の跡」と、芭蕉の句が口から飛び出したのを、友人も、「そうね、この時期に何か、意味深ね」と。

 

何故かは私も分からないが、「持つべきものは友」であり、「雑草」の強さは明らかである。

2021年

8月

08日

ハプニングに疲労困憊

台風10号による雨も一段落、夕刊を取りに行くついでに、ダストルームにごみを持っていくと、ドアーの前に、ごみが山積みになっている。

 

なぜ、ダストルームにごみを入れてくれないのと、マナーの悪さに、一瞬カチンときた。

 

処が、ダストルームのカギが施錠されているのだ。

 

一昨年から、私は、マンションの管理組合の理事長になった故に、コロナ禍もあり、ごみ収集日は、月曜日である。

 

それまで、共有部分に放置できない。

先輩の理事さんから、開錠方法を教えて頂き、お陰様で、ダストルームは使用可能になった。

 

処が、それからが、ダストルームのドアーの前に積み上げられたごみを

片付ける作業に、新米の理事長の私は頑張って、凡そ、一時間近くかけて分別やら、仕分け作業をした。

 

気が付くと、一時間以上かかってしまった。

 

既に、管理人さんも帰った後のハプニングで、理事長としての責任が、ズシリと、肩に掛かった重さに、食欲もなく、がっくりと疲労感が残った。

 

やがて、東京オリンピックの閉会式が始まり、耳観戦のつもりが、すっかり、眠り込んで気が付くと、翌朝の午前一時を時計の針が指していた。

 

東日本大震災を機に、マンション生活を始めた私は、これまでは、集合住宅での生活経験がないだけに、管理体制は万全でも、諸々の事情もあると

考えてしまった。

 

因みに今日、8月8日は今年に限り「山の日」であり、語呂合わせから、

「笑いの日」としたそうであるが、私にとっては、とんだ「山の日」であり、笑い飛ばせない日となった。

 

2021年

8月

07日

金賞と銀賞が聞き取れない

いよいよ、話題に事欠かなかった17日間にわたる東京オリンピックも残すところ、1日となった。

 

嘗て、テレビを廃棄処分した経緯は、ブログにも書いた記憶がある。

いまは、ラジオで、オリンピックのアスリートたちの活躍を、耳観戦して

想像をしてきた。

 

実は、私には、この耳観戦中、「金賞」と「銀賞」の受賞が、はっきりと

聞き取れないのである。

 

昨年の9月の術前に、聴覚検査も問題なく、お陰様で、日常生活も快適に、

不自由なく過ごしてきたが、オリンピックの「金賞」と「銀賞」の受賞の

区別がつかない苛立ちを感じ続けてきた。

 

いよいよ、今度は耳鼻科のお世話に成るのかと、観念した。

 

そして、エレベーターで、今日は「鼻の日」と知る。

なんでも、8と7の語呂合わせから、8月7日を1961年、社団法人日本耳鼻咽喉科学会が制定したと、ネットにも表示されている。

 

「鼻」ばかりでなく、「耳」も該当するとわかり、今日7日の午前中は、土曜日でも、掛かりつけの病院がオープンしているので、受診しようと、思ったが、もう1日、再確認してからと、スルーした。

 

メディアの人に責任転嫁するわけではないが、興奮してのメッセージは、

聞き取れないとか思う節もあるのではと、暫く耳を澄ましてみるとする。

2021年

8月

06日

セカンドステージ

8月1日の日本経済新聞の朝刊のコラム欄「春秋」によると、教育関係者からの格言が掲載されている。

 

紹介すると、「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。すぐれた教師は自らやってみせる。そして、偉大な教師は心に火をつける」と。

 

この引用された米国のある文筆家が残した言葉に、私は、今年の3月末で、

母校の小学校を定年退職した、校長先生を思い出した。

 

母校のホームページには、いつも子どもたちに加わって楽しそうな表情の

校長先生は、温かいまなざしと「笑顔」が印象的だった。

 

今年の4月からは、セカンドステージで、中学校の学生たちに、いつもの

変わらない「笑顔」で、指導に活躍をして様子が、想像できます。

 

母校のPTAの70周年記念を機に、私を、61年ぶりの「ふるさと」に招き、

その後、学校運営協議会のお手伝いをすることになった。

 

実にアイデアマンでもあり、ユーモアにも長けていた校長先生に、私を、

見事に、「ふるさと愛」に目覚めさせたのである。

 

然し、私にとっては、既に、社会的にも後ろ向きの人生の坂を登り始めた

時期だけに、「生甲斐」を感じ、ふるさとに帰るのが、楽しく、これまで

あまり、「ふるさと」を身近に感じていなかった私は、初めて、ふるさとに帰る喜びを味わった。

 

セカンドステージで迎えた初めてのお誕生日、おめでとう!

2021年

8月

05日

手製のキッチンタオル

最近実滅種のハワイ語の記事に、私は日本語も該当すると思う今日この頃である。

 

既に、病院ボランティアの3年生を対象にした講義で、私は、当たり前に、日常会話で通じていた言葉は理解できないというか、生徒にとっては、初めて接する表現なのかもしれないのである。

 

振り返ると、ある病院に友人のお見舞いに行った際に、その友人から、

「ハンドバック一つで御入院下さい」と知り、彼女は素敵な入院着を使用しているのには、正直、私は、いつ入院しても準備万端と、チェストの多くには、パジャマやバスタオル、タオルを用意していた。

 

処が、昨年の九月の入院で、確かに、「バック一つで」で入院できた。

 

コロナ禍の時代、入院時に用意していた白いタオルが、多く残されているので、私は、キッチンタオルに残された白いタオルを、半分に折り、切り口を記憶を辿るとほつれないように「まつり縫い」をしていくのである。

 

然し、日常生活での経験が少なくなったせいか、進むうちにちょっとした気の緩みから、親指に針を刺してしまった。

 

思わぬ親指からの、僅か一針からの勢いよい血が止まらない。

母親からの声が聞こえたのである。

血の噴き出した部分を、「鋏か硬い金属で叩きない」と。

 

コロナの感染もあり、私は、母の言葉通り、思い切り叩き続けて処、見事に出血は止まった。

 

改めて、世代交代で、過去のアナログ的な部分にも、長年の体験を通した知恵があると再認識したのである。

 

今は確認していないが、嘗て私は「手当」という言葉が、禁句になっていると、ある立場の人から注意されたのを思い出している。

 

パソコンの活字転換にも、ある意味で、絶滅危惧種というか、死語が増えているように思うのは私だけだろうか。

 

文字に関わる人の責任でもあり、日本人としての誇りを持って欲しいと思うのは、既に時代遅れの「犬の遠吠え」と、一蹴される時代の流れか。

2021年

8月

04日

父の道具箱

昨日の「鋏の日」を機会に、10年前の今のマンションに移転するも、父親の道具箱」というか、「大工道具」は断捨離をすり抜けて、今も私の住まいに保管されている。

 

臆病で、心配症の私は、木箱に入った父親の痕跡が残るこの大工道具を始め、色々なものが詰め込まれている。

 

恐らく、無き父親も先を見込んで、用心深い人であった。

どうやら、私は、紛れもなくその父親の遺伝子を継承していると想う。

 

昨日の「鋏のに」に始まり、奥の引き出しから、父親の道具箱を取り出してみると、既に、忘れていた道具と以下、様々な道具が入っていた。

 

嘗て私が小学生の時代は、鉛筆は「肥後守の小刀」で、又ホッチキスや書類をまとめるときは、こよりを作り、千枚通しを使い、その穴にこよりを

通し、現在のホッチキスなど及びもつかないオーソドックであった。

 

未だ、袋ドジは生き延びているのではないかと思っていつが、いずれにしても、「手」の持つ力をフルに活用していた時代だと想った。

 

更に、金槌も数種類も残されている。

 

自炊をしていて、父親からの和風包丁の切れが鈍くなってきているが、私にとっては、父親が研いでくれた包丁で、必ず、我が手を切ってしまうので、切りにくいぐらいが、安全かと使っている。

 

唯、恐らく引っ越しの際に、「砥石」を忘れてきたことに、切れの悪くなった包丁を研ごうと、砥石を探しても見つからないのが悔やまれる。

 

今、私に最も必要なのは、頭を研ぎ澄ます「砥石」ではないだろうか。

2021年

8月

03日

鋏に感謝

今日の八月三日、語呂合わせで「鋏の日」だと知った。

 

毎日の鋏の使用度を考えてみると、先ずは、新聞の切り抜きに始まり、不要になったメモ用紙やレシート、更に食料品の入った袋などなど、毎日、

かなりの頻度で、鋏のお世話になっている。

 

以前は、シュレッターも利用していたが、ダウンしてしまったので、現在は「手レッター」で、チョキチョキと、断裁をしている。

 

このチョキチョキ時間が私にとって、目の前の不用品が片付き、ストレス解消になっている。

 

段々、カットする量が少なくなると、後回しにしたり、もう少し考えてと

迷っていたものまで、急に思い切りが良くなって、チョキチョキ組に加えて、カットしている時、私は何とも言えないスッキリ感を味わう。

 

カットする材質によって、数種の鋏を活用して、整理をしている。

出来るだけ、廃棄するごみの量を減らそうという最初の発想から、今では

友人から、断捨離が趣味といわれるほど、ほとんど、毎日、チョキチョキと鋏を、手放せない存在である。

 

鋏は私にとっては、欠かせない「相棒」といえる。

2021年

8月

02日

肉筆の感覚に手応え

筆記用具もお気に入りを求め、今年は肉筆に励むとの意思は、脆くも宣言だけに終わること、7か月。

 

とうとう、肉筆にしかできない整理を残し、これまた、お気に入りのノートを求め、もう、実行する以外にないところまで追い込まれた。

 

7月末から始めた当初はぎこちなく、ともすれば、パソコンに慣れてしまった長年のリズムが、肉筆になると、何ともぎこちなかったが、負けてなるものかと、今日で、一週間を経て、忘却の彼方に置き去りにしていた肉筆の感覚の手応えを久しぶりに取り戻すことができた。

 

生来のせっかちさが災いしてか、ともすれば、書くスピードが速くなると

字画が多い漢字を、面倒になって誤魔化してしまうというも情けない行動に走ってしまう。

 

小学校時代に、日曜日の午後は、数人の友達と習字教室に、木製の硯箱を自転車に積んで通っていた。

 

自転車を降りると、先ずは、硯を取り出し、私は、硯に墨をする時の墨の匂いが好きで、いざ、練習文字が示されると、嗚呼、今日も、先生から

朱で訂正されるとき、決まって、「マリちゃん、落ち着いて、ゆっくりと

筆を運ばんと、早すぎるんじゃ」と。

 

現在は、ボールペンを使用しているが、確かに、落ち着いて、ゆっくり、

向き合うと、誤字も誤魔化しもなく、抵抗なく進むとわかった。

 

お陰様で、当初痛みを覚えていた「ペン胼胝」も抵抗力をつけてくれた。

 

熱中症アラートや、猛署やゲリラ豪雨を避けるには、肉筆整理に徹するのも、「新しい生活スタイル」として良きことと想っている。

 

2021年

8月

01日

暑い夏が続く

今日から、「葉月」が始まる。

「葉月」を検索すると、「はおちづき」」とある。

 

この季節、街路樹が暑さで乾燥しているのか、カサカサの枯れ葉が歩道を始め、あちらこちらで落ちている。

 

確かに、少しづつであるが、今朝の空の白い雲は、秋の風情を感じる。

季節は、静かに、移ろい始めているようである。

今月の7日は、既に「立秋」である。

 

休むことなく、時は進んでいるが、時々、私は「毎日が日曜日」の立場でなぜ、毎日、ブログを続けているのだろうかと、自分に問いかける。

 

そんな疑問を、日本経済新聞の夕刊のコラム欄「あすへの話題」に、先月7月7日からの水曜日を、精神科医のきたやま おさむ氏の連載が始まった。

 

その初回のタイトルが「自己分析のために書く」とある。

氏によれば、自分のために書くことが重要であり、自分の書いた文章には

必ず自分が出ていると自己分析をしている。

 

著名人でもなく、「名も知れぬヤシの実」のような存在の私が、話題探しに苦慮しながらも、やめられないのは、確かに「自己分析のために書いている」と思うと、納得する部分がある。

 

大概、私の「自己分析」は「体調の自己分析」が多く、恐らくは、今後も

変わりなく、続くであろうと思いつつ、まだまだヒートアイランドの東京での暑さと、ますます感染拡大傾向のある、デルタ株との闘いであろう。

 

緊急事態宣言も、今月末までに延長の中、落ち着いて「自己分析」のために、雑駁そのもののブログを続けて行くしかないか。