2021年

10月

31日

黒板五郎の遺言

昨夜の心地よい疲れが今朝まで尾をひいているようだ。

重苦しい雲が広がったり、青空を覗かせたり、気紛れな空模様である。

 

先日、図書館より借りていた倉本聰・碓井広義による「『北の国から』黒板五郎の言葉」を読み始めるや、ほとんど、毎回欠かさずといってもよいほど黒板五郎の生き方に驚きの連続だった。

 

読んでいるうちに、私はすっかり、嘗てのドラマの世界に入っていた。

一気に読み通したが、今、改めて、最後の黒板五郎の遺言の言葉だった。

 

その言葉を紹介すると、「金なんか望むな。倖せだけをみろ。ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」と。

 

今、この自然が痛んでいるだけに、私は言葉の重さを感じ取った。

 

倉本聰氏が、「北の国から」の発想に至った経緯が最初に著している。

短い言葉ではあるが、その一言一言には、怒りすら覚えるほどの厳しさが溢れている。

 

「神無月」といわれる10月は、私にはできれば早く通り過ぎてほしいと、

願うほど、様々なハプニングに見舞われ、単純に神様はみんな出雲大社に

集まっていて、神様はお留守なんだと考えるほど、心身ともに、疲れた。

 

その疲れに「活」を入れてくれたのが、黒板五郎の言葉だった。

「図書の力」は素晴らしいと改めて実感した。

2021年

10月

30日

おしゃべり合戦

長年の友人と、コロナ後、久々に食事を共にした。

 

久し振りのため、解放感もあり、お互いが近況報告のおしゃべり合戦といった状況である。

 

常にコロナが、頭から離れることのないのが、日常生活化している中での

久々に夕食を共に楽しさは、わずか、2時間程度でも、とても気持ちが明るくなってくる。

 

食欲も弾むが、やはり、マスクを常に意識し、口に運ぶにもコツがいる。

でもでも、気心の知れた、友との夕べは一瞬にして、様々な過ぎ去った思い出が蘇り、話題には事欠かないのである。

 

ソーシャルディスタンスも保ちながら、窓を開けながらも、マスク越しでも、目や声から、相手の感情を読み取れる。

 

今日の食事会は、ちょうど、緊急事態宣言の解除と、感染者数が減少傾向になり、偶然にもメールで、そろそろ、食事をしないと。

 

恐らく、一週間のコロナの状況を伺いながら、同じ発想を多くの人がしたのではないだろうか。

 

人間らしさを取り戻した楽しい夕べを久しぶりに過ごした。

 

 

 

2021年

10月

29日

犬の瞳

私は犬の円らな瞳に見つめられると、何もかも愛おしさが募るのである。

 

コロナ禍後、散歩中も若いカップルや、若い人が子犬に属する飼い主が増加した。

 

人間が犬との関わりは、母親から、犬と人との歴史は古いと聞いていたが

改めて、検索してみると、人間が犬と共に埋葬された最古の遺跡は、1万2000年前、イスラエルで発掘され、最新のDNA研究でも、人間の最も古い親友と実証されているそうだ。

 

日本経済新聞に、立正大学教授で、日本の生物科学者の溝口元氏の連載で

「犬と日本人」が十選が、今日で、最終日である。

 

犬派の私にとって、朝刊を待ち遠しく待ちわびたものだ。

 

最終日の今日、私は、26日の「ヘレンケラーとハチ公像」、翌日27日の

「南極物語」、29日の最終回「盲導犬クイールの一生」を切り取っている

記事から、様々な私の思い出が蘇ってくる。

 

特に、1958年の日本南極越冬隊は、自然の猛威で15匹の樺太犬とともに

帰国することは叶わず、その時の情報に私は、憤慨した記憶がある。

 

翌年、観測隊が「タロ」と「シロ」の2匹の生存を、私の記憶かであれば、

2匹の樺太犬の映像が、今でも鮮やかに残っている。

 

愛おしくて、愛おしくて涙が止まらなかった。

 

2001年、ある方から「盲導犬クイールの一生」という写真集を頂いた。

盲導犬になるまでのクイールを通して、私は、これほどまでに、人と犬が

深い信頼関係に繋がっている物語に、胸が締め付けられるほど、感動を覚え、何度読み返しても、涙、涙です。

 

盲導犬をはじめ、犬が飼い主を見つめる瞳の純粋さに、堪らなく胸が熱くなるのである。

 

できれば、純粋な気持ちを大切な世の中であってほしいと願っている。

2021年

10月

28日

こんな日もあるのかもしれない

新しい相棒ともそろそろ、しっかりと付き合っていかなければと決めた。

 

同じ機種だが、微妙に操作の違いを感じるも、もう少し、相棒が必要な為に、頑張らなくては。

 

十分にお引越しも済ませたはずだが、メールの署名の設定等々、すべてを

お任せという甘い思い込みから、現実に戻る。

 

とりあえず、焦らずに、気づいた段階で、珍しくゆっくりと向き合おうと自分に言い聞かせた。

 

そんなわけで、気が付くと、夕刻の散歩の時刻になっていた。

 

最近、平日の普通郵便が夕刻遅くなり、ちょうど、散歩を終えた6時過ぎにポストに入っている。

 

顔見知りの郵便配達員から、月曜日の郵便物が増えたそうだ。

ところで、私のポストに、日本年金機構からの葉書が入っていた。

 

エレベーターの中で、葉書を見ると、住所は間違いなく、我が家宛であるが、名前が違うのである。

 

既に、10年を過ぎた現在の私の住所宛に届くとは、背筋がゾックとした。

うっかり、開封しないでよかったと思うも、なんとなく薄気味悪さが拭えないでいた。

 

年金機構の締め切りの午後7時までに、5分残っていると知った私は、連絡を取ると、担当者から、「誤配」として転送との指示を受けて、今日の集荷は終わっているとわかっているも、ポストに投函した。

 

新しい相棒との緊張の時間を過ごした夕刻の後、新築を購入したわけではないので、当然、あり得ることとは承知しているものの、10年前、将又、

10年以上の時を経た人物宛の郵便物に、思わず、辺りを見廻し、警戒心が生じた。

2021年

10月

26日

夕闇に漂う金木犀の香り

昨日から、東京も緊急事態宣言、飲食店の時短要請も全面解除と日常生活が戻りつつある中で、私の日常生活はいつ戻るのだろうかと、辛くなる。

 

丁度、東日本大震災を機に引っ越して、十年になる。

よく言われるが、住まいも十年というのが、水回りを含めて、耐用年数の

限界といわれているが、まさにその通り。

 

昨年は、75歳に際し、脳外科の手術に始まり、今年は、住まいのドクターのお世話になる機会が多い。

 

これまで、長年一人住まいをしてきた私だが、今年の幾つかの障害問題に

やはり、寄る年波か、非常に疲労感を覚え、回復途上にあった血圧に異常が出始めている。

 

私の血圧は主治医の先生から「ストレス」からくるもので、診察室に入ると、20年近いお付き合いのために、すぐ「何かあったかしら」と見透かされてしまうのである。

 

来月の診察までには、改善したいと、只管、願っているばかりである。

 

日没が火を重ねて早くなっているが、散歩のコースとして、必ず、小学校でも、中学校でも、高等学校でも、保育園でも、そのいずれかを加える。

 

ある程度の築年数のある校舎には、特有の共通点が見られ、コロナ感染で

帰郷できなくなった故郷の母校の小学校に想いを馳せることができる。

 

そんな時、金木犀の甘い香りがそこはかとなく漂ってきた。

近くの高等学校の植え込みの金木犀が、今年三度目の花をつけていた。

 

マスク越しではあるが、大好きな香りに、何とか、気持ちが和んできた。

2021年

10月

24日

更に降りかかる災難

午前中に、パソコンのお引越しが終了した連絡に、胸を撫で下ろした。

 

今回も同じ機種にしたが、かなり、新しい相棒に慣れるには時間がかかりそうだと、恐る恐る、向き合っていた。

 

これまでの3週間に及ぶ疲れで、いつの間にか、眠り込んでいた時に、夢を見ていたと思っていたら、キッチンの蛇口から、ポトポトと水漏れをしていたのを、夢の中で外の「雨だれ」と思い込んでいた。

 

かつて、20年近く前に水道管の破損に、緊急措置に深夜中かかり、その際

友人夫婦が私を案じて、ずっと修理が終わるまで付き合ってくれた時の、

心強く、有り難かったことか。

 

それ以来、うお座の私は、水回りに非常にナーバスになり、かつての災難がフラッシュバックしてしまうのである。

 

日曜日の夕刻にもかかわらず、いつも信頼している指定業者に、無駄とは

頭ではわかっているつもりでいたが、スマホで呼び出していた。

 

ポタポタという一定のリズムのような音を、何とか遮断したいと思い、金属の食器で水漏れの音が和らぐと思ったら、余計、響き、ペットボトルに

切り替えたところ、音が聞こえなくなった。

 

またしても、眠れない夜にしばらく聞くことのなかった「ラジオ深夜便」

をかけ、頭から布団をかけて、明日を待つしかないと。

2021年

10月

23日

艱難辛苦の20日間

神無月に入り、さあ、これからと勢い込んだ私に、まだ3年半の相棒である

パソコンが、ダウンするなんて、想像だにしない出来事に戸惑った。

 

夜明けが待ち遠しい夜を過ごした私は、幸いに量販店が歩いて15分ほどに

あり、一刻も早く解決を望む私は、小走りになっていた。

 

修理依頼の返事は、約2週間近くかかるとという。

仕方なく待つより仕方がないと、察した。

最悪の状況を考えた私は、既にパソコンコーナーで品定めをした。

 

2週間の返事待ちは、生来、「待つ」ことの苦手な私は、如何にこれまでの

「パソコンの存在」が日常生活の中で見過ごせない状況になっている。

スマホだけでは、カバーできない現実との歯痒いさに疲れてきた。

 

その矢先、7日の午後10時41分、地震を知らせるアラームとほどんど同時に、グラグラと震度5弱の地震に見舞われた。

必死ぶりの大きな揺れ方に、とうとう、気持ちが落ち着かず眠れない夜を過ごしてしまった。

 

パソコンだけでも疲労感を感じているのに、更に自然の驚異に私は何とか

気分転換をしなければ、壊れてしまいそうである。

 

図書館に依頼していた、養老孟司著の「AI支配でヒトは死ぬ。」を読んで

痛快でありながらも、貴重な指摘には共感部分が多くあり、むさぼるように引き込まれ読み切った後、爽快感と勇気をもらった。

 

あとは、散歩をするより、自分を支えるものがなく、今月の「上弦の月」は、残念ながら、雨天のために見ることができなかったが、その二日後の

日没前のまだ青空が残った空に、くっきりと幾分ふっくらとした白い月が

くっきり見えた。

 

できる限り、散歩を続ける中で、18日は「十三夜」と共にデイトをした。

 

一刻千秋で待ち続けた相棒のパソコンが、入院生活を終え、手元に戻ってきたが、修理不能という返事に、修理に依頼していた時から覚悟はしていたが、見るも痛々しい状況に、かねてから足を運んで試していた機種を

買い求めた。

 

その夜は「ハンターズムーン」といわれる10月の満月を楽しみにしていたが、残念ながらかなわなかったが、ひとまず、パソコンは解決した。

 

2021年

10月

01日

パソコンが負傷

凡そ3年半の相棒だったノートパソコンの「ヒンジ」という部分が、壊れてしまいました。

 

数日前から、時々どこからともなく、「キシ、ギシ」といったきしむような音がしていました。

 

その音は、左側のノートを開くときのドアでいえば「蝶番」に当たる箇所から発しています。

 

その部分のパーツも欠けていることに気が付きました。

 

やっと、私の体調も回復の兆しが見えた矢先の出来事だけに、只々、そっとしておくより仕方なく、私はがっくりしてしまいました。

 

今日は、取り敢えず、様子を見ようと心を落ち着けるも、取り返しのつかない状況になってはと思うも、目下、台風16号が通過中という状態の中で

明日を待つより仕方ないと。

 

とにかく、明日は、パソコンのドクターに受診し、後、恐らく入院をしなければならないと、覚悟を決めて、早く台風16号の通過が待ち遠しく、寝付けない夜になりそうです。。