2021年
5月
31日
月
今日で、皐月も終わりだと、何気なく手帳を見ると、連休時にと書き込んでいた予定が片付いていない。
引き続き、連休後の予定欄も、驚くほど、空白が続いている。
記載されているのは、診察日と、10年を過ぎた自宅の使用箇所にも色々と故障が生じ、修理の予約が目についた。
どういった巡り合わせか、そういえば、美術の仕事をしている時も、リニューアルを5月にしていた。
亡くなった母親が、5月になると、日差しが強くなるから、部屋の汚れも目立つから、梅雨前に、綺麗にして置きなさいと、さらに、五月晴れの日には、窓を思い切り開けて、衣替えの準備もするようにと言われていた。いつしか、母親の忠告が、インプットされていたのかなと思っている。
しかし、やはり、一説では、5月は意外に荒れた天気が多く、「メイストーム」ともいわれているが、今年の東京は、スカッとした日が少なく、確かに強風と雨の日に、負けてついつい、予定の勢いを削がれたことも何度かあった。
振り返ってみると、新型コロナワクチンの予防接種の予約や、何となく
精神的には、せわしない日に加え、充実感がないままに終わった。
さて、明日からは、もう一度スイッチをオフからオンに切り替えよう。
2021年
5月
30日
日
昼時に友人が、バックからそっと、2粒の目の覚めるような、オレンジ色に彩られた、杏の実を取り出した。
「懐かしいでしょ、今年は、鳥に燕られずに、こんなに立派に育って、今日、持ち主の方から、近所の人に一粒ずつ、頂いたから、あなたには」。
世代が変わった現在その「杏」の歴史を知らないでいたが、私の友人は、見事に実った「杏」の経緯を知っていた。
友人は、「もう一つ、杏を分けてほしい」と申し出た処、快く分けて頂いた一粒を持って、私の自宅に届けてくれたのである。
実は、凡そ、30数年前に、自宅で鉢植えで育てていた杏が、大きくなり、その時にちょうど、新築中のお庭に引っ越しをお願いしたところ、喜んで
受け取って頂いたのである。
鉢植えの杏の木は大きく見えたが、いざ、広い庭では小さく、私は杏の花の季節になると、杏の木の成長が気になっていた。
案じていたより、立派に育ち、今年は特に桜の花と見間違うほどの、多くのピンク色の花をつけた。
現在、スーパーには梅の実が大小、並んでいるのを見ながら、急に「杏」の実も、そろそろ、熟している頃ではと、想いを馳せていた。
正に、グッドタイミングで、懐かしい「杏」の実が届いた次第である。
昨年は、鳥の被害に収穫がなかったそうだが、今年は見事に鳥の影響を受けなかったそうだと友人から聞いた。
私にとっては、久しぶりに帰ってきた「我が子」のように思えた。
そういえば、ふるさとの庭には、白い花をつけた「山桜桃」も、確か
この季節だったと、思いだした。
処で、「桃栗3年・柿8年」というが「杏」は何年だろうか。
2021年
5月
29日
土
テレビとのお付き合いを止めて数年を経た私は、NHKの「ラジオ深夜便」をBGM代わりに、音量を落として、微かに聞こえる程度の日々が続く。
昨日28日の政府の「孤独と孤立」問題が、頭に残存したままで、就寝。
拘るわけではないが、感染防止のため「三蜜」が、必須条件にある緊急事態宣言により、飲食業界は100日以上の時短要請されているという。
最近は、おかけ様で、早朝に目が覚めるという長い習慣から、ゆっくりと
起きる生活にも慣れてきた。
処が、今朝早朝4時からのラジオ深夜便の「私の人生手帖」に目が覚めた。
テレビドラマでも、松重豊主によるの異色の「孤独のグルメ」は、いつも楽しみにしていた番組であった。
「孤独のグルメ」では、ある意味で見知らぬ土地で、見知らぬ飲食店に入って、これまた、興味を持ったメニューを注文後、主人公なりに静かに、味わった感想を、さり気なく語るという次第である。
ついつい、当時の「孤独のグルメ」を懐かしく思いだしながら、今の私は
「グルメ」ではなく、まさに「孤食と黙食」の毎日が続いているではないかと、気が付いた。
先日、ポイント消化のために、自炊を怠ったために、体にシグナルが出たために、「自炊」を死守すなければいけないと、反省したところである。
しかし、人は、食事を通して人生を豊かに過ごせるのにと、このコロナ禍は、我々に何かの警鐘を鳴らしているのだろうかと、想うことがある。
先日の検査の結果、何としても、感染予防のために、また、健康保持という「自助」生活を継続するために、私は、自分自身に対して、「お百度参り」や「お茶断ち」とか、昔の人の努力を思い出して、私のある願い事が叶うまで、頑張ろうと決めたのである。
さて、いつまで、続くか、自分との闘いである。
2021年
5月
28日
金
日本経済新聞の夕刊に、政府は「新型コロナウイルス」感染の収束の見通しが、なかなか着かない状態で、「孤独と孤立対策」の常設官民協議会を設置するとの記事に、この「孤独と孤立」の違いについて、医療ボランティアの実習講義で、私も学生と共に学び、共有した体験を思い出した。
今回は、新型コロナウイルスという対策で、遅きに失したと想った。
些か、今回の設置意図とは、若干異なる事例であるが、孤独と孤立の両者に、精神的な面と、自らの関係をシャットダウンするケースが、複雑に
混合しているように思うのである。
高齢者に向き合う時は、特にこの問題は重要な問題点である。
病棟の師長から、どうしても、リハビリを拒む高齢の男性が、何としても自分は、自宅に帰りたくないというのだそうだ。
もうすぐ、お正月も近く、病院側としては、家族で迎えさせたいとの思いで、いるが、本人は自宅に帰りたくないという。
理由を聞いても、口を閉ざしてしまうので、何とか、聞き出さないだろうかとの依頼であった。
見るからにお育ちの良い風貌で、「どうぞ」と私に椅子を勧めながら、既に、なぜ、私が病室訪問したかを見抜いていた。
「君の家庭は、家族そろって、お正月を迎えるんだろう」と問いかけた。
「はい」
「それが、お正月というものだが、恥ずかしながら、私の育て方が悪かったのか、息子夫婦も、娘夫婦も、私に、高級な有名店のおせちを手配しているから、前から、スキー場を予定していたので、心配だけれども、お手伝いさんがいてくれるからと、さらりと言ったね、ムカッと来たね」
「せっかく、頑張ってお正月を家族で迎えると思っていたのに、がっかり
してね。孫にも会えないし。年寄りをこんなに惨めな思いにさせて」
これまでの辛い気持ちを、率直に私に心を開いてくれたのである。
この場合一人ぼっちという孤独に耐えて、「孤食」のお正月を迎える。
一方で、ある年配の女性の患者様からは、「娘たちが、退院祝いをしてくれるというのだけれども、恐らく、自分たちが日ごろ、行ってみたいと思っているフランス料理のお店を予約しているから」と、娘さんは弾んだ声で、母親の退院を楽しみにしているのが分かった。
しかし、患者様からは、「私の退院で、自分たちが楽しむのよね」と。
「主役の私には、通り一遍のお祝い後、自分たちだけで楽しんで、私は、ポツンと娘たちから離れて、一人で、寂しく頂くのよね、会話にも入れなくて、結局、一人、取り残されるのよね」と大きなため息をついた。
ある意味で、「孤独」は精神的な要素が強く、「孤立」はどちらかといえば、多くのものや人の中において、取り残されている状況を意味していると、毎回、学生たちに説明、理解してもらうのを苦労した。
今回の政府による設置は、主に新型コロナ禍的を絞っているようだ。
「孤独と孤立」の両者が、微妙にクロスしているように、想われる。
経済的な問題も、大きく影響しているコロナ禍の「孤独・孤立」さらに
「孤食」「個食」「黙食」の問題も含まれているのではないでしょうか。
6月以降に、定期的に会合を開くとのことだが、2種類の新しい変異型コロナの勢いに、さらなるストレスや不安も増し、一刻も早く、温かい政策の
設置を期待している。
2021年
5月
27日
木
終日、雨の日となったことで、巣ごもり生活に納得する。
仕方なく、檻に閉じ込められた動物のように、ぐるぐると歩きながら、頭は出来るだけ、休むことなく、極力、色々考えながら、狭い我が家を動き回りながら、ふと、思いだした。
嘗て、美術の仕事をしている時に、雨の日は、得意先に手紙を肉筆で書いていたのであるが、ここに、ちょっと、私流の気遣いがある。
当時の手紙の主流は万年筆だが、それは便箋だけで、封筒は、濡れても
滲まないように、ボールペンを使い、年配の方には、今流にいえば、フォントを些か大きくして、手紙を認め、投函した。
現在の私は、「毎日が日曜日」になり、さてさて、今日は何を始めようか
想う毎日が続いている。
「晴耕雨読」という言葉があるが、実はこれも私流の解釈だが、「晴耕」とは、目標の一万歩の散歩をしながら、マスク着用で、嗅覚は難しいが、視覚と聴覚は健在である。
散歩中も、落ち着きなく、キョロキョロとして、何か見つけたいと思っているが、やはり、空の色や雲の流れや、路地の小さな花や、木々の成長といった自然とのコラボになる。
「雨読」は手紙に変わり、示す通りの「読書」でもと、好きな絵本を読もうと思い付き、隣の図書館で、数冊を借りて読み始めた。
因みに大好きなのは、これまでにも紹介している「100万びきのねこ」
「ちいさいおうち」、「ペレのあたらしいふく」「ジェインのもうふ」
「大きなかぶ」の5冊を抱えて、帰宅した。
不思議に、本というか、絵本をとっても、必ずしも同じ想いや感じ方の受け止め方が、必ずや違うのである。
よく言えば、人生経験を積み重ねた結果の価値観によるものか、その日の精神的なものに起因するのか、毎回、その違いを楽しんだり、嗚呼、「そうなのか」といった具合である。
午後、世界的にも人気の高い「はらぺこあおむし」で知られる、アメリカの絵本作家のエリック・カール氏の訃報を知った。
2021年
5月
26日
水
五月の月は「フラワームーン」といわれるロマンティックな名称である。また、一年で、一番大きく見える「スーパームーン」といわれている。
3年ぶりの皆既月食に、昨夜26日にスーパームーンと重なり、24年ぶりの天体ショーが、夜空の8時9分ごろから、約20分間にわたるといわれ、朝からもっぱら、メディアでも大きく取り上げていた。
ふるさとの浅口市は、「天文のまち あさくち」といわれているだけに、
昨夜は、何度もベランダから夜空を見上げた。
然し、見上げ続ける夜空は、意地悪く、厚く重い雲が広がっている。
仕方なく、スマホのライブで我慢したが、その後、もしかしてスーパームーンは見えるのではと、未練がましく、窓越しに10過ぎ迄探した。
確かに、月は薄いカーテン越しから見ているように、ぼんやりと輪郭も
鮮明でない、情けないスーパームーンといわれるフラワームーンが。
「スーパーフラワーブラッドムーン」との、表現に私は、命名の経緯は
知らないが、私には、妙に納得した想いを持った。
実は、一日早いが25日に、大きく明るく輝いた「スーパームーン」といっても見劣りのしないまん丸い月を、心行くまで、ベランダから見続けた。
天気予報によれば、今夜は無理と察していたので、私は、昨夜の素晴らしい月の光に、願い事をしたのである。
2021年
5月
25日
火
澄み切ったふるさとに近い青空のもと、散歩をしていたら、急に、毎年、この季節に浅口市の隣の笠岡市名産の「鯛の浜焼き」を思い出しました。
因み、忘れえることのない笠岡市の「鯛の浜焼き」は「桜鯛」の内臓を取り除いた後、味付けには食塩水を鯛の体に特別な手法で、味が逃げないようにして、その後、稲藁で包んで、蒸しあげ後、編み笠に包むと、無き祖父から聞いた当時の記憶による作り方である。
上京後も、数年、友人から送ってくれました。
検索して頂ければ、現在は近代的処方になっているかと思います。
とにかく、「桜鯛」と塩気とのバランスが絶妙です。
スーパーに行っても手には入らないとわかっていたので、鯛のお刺身で
我慢しようと。
ありましたが、真鯛のお刺身に、「機能性表示食品」と表示され、産地は三重県の養殖による黒潮真鯛とある。
更に、DHA・EPAを含んでおり、中性脂肪を低下させると、わかりやすく
簡略に健康上の説明が記載されている。
おかげさまで、私は、中性脂肪の数値には問題がないが、様々な食品類に昨今、「機能性表示食品」の表示が記載されているのをよく見かけるが、まさか、真鯛にも、健康面での表示される時代になったのだと、驚きと
学んだ次第である。
2021年
5月
24日
月
梅雨の晴れ間という表現が相応しいだろうか。
昨日に続き、洗濯日和に、室内干しからお日様に日光消毒をした洗濯物には、気持ち良くてよくて晴れ晴れとした。
これまで怠けていた一万歩の散歩を午前と、午後の2回に分けてトライすると、何と木陰にはドクダミの群生を、多く見かける。
木陰の湿気の多い土地に、深緑の葉に白い花が綺麗に生えて見える。
今年ほど、多くの生き生きとしたドクダミを見たのは、初めてと思う程に
今、真っ盛りである。
この「ドクダミの花」について、かつて銀座で美術の仕事をしている時、
出会いの経緯は忘れたが、ある青年が、「ドクダミの花」の油絵の小ぶりの作品を持ってきた。
バックを深いダークブラウンで抑え、確か、一輪のドクダミの花を描いているが、なんとも言えない魅力を感じた私は、即、展示した。
その後、彼から、父親も画家で、父親の画集を作りたいと、作品を集め、
目下、最終段階に来たという。
然し、まだ、彼の作品は、残念ながら、市場では、経済的に苦しく、毎日、カップラーメンを食事として続けているうちに、体調を壊したと打ち明けた。
然し、父親の画集を完成したいとの熱意に、私は、彼の作品が楽しみになり、定期的に彼に作品を依頼してきた。
ある日、作品以外に、一冊の画集を持ってきたのである。
長年、食事まで切り詰めて頑張った亡き父親の画集が完成したのである。
今年のドクダミの勢いを見て、私は美術の世界から退却したが、恐らく、
制作に励んでいると願い、恐る恐る、検索したところ、立派な制作活動を知り、恐らく、亡くなった父親がどんなに喜んでいるだろうと想った。
2021年
5月
23日
日
今朝、23日の日本経済新聞の一面に、ビジネス書の出版が多い中央経済社の新刊案内の最後に、日本一短い手紙「笑顔」第28回一筆啓上賞の入賞作品」収録している新刊広告欄で見つけた。。
第28回のテーマは「笑顔」であり、確か、母校の学校だよりの「笑顔 輝け」の100号記念に、校長先生が、自由応募だが、子どもたちに勧めていたことを思い出した。
念のためにブログをさかのぼると、2020年7月7日にありました。
母校にとっても、また、学校だよりも100号、7月7日と縁起の良さに、私は応募総数5万2805通の中に、入賞者がいるようにと、期待と共に、
ドキドキしながら、探したが、見つからなかった。
残念と思う反面、母校にとっては「笑顔」はメインテーマであり、改めて
「笑顔」と向き合った経験が、大切だとすぐに前向きに想った。
恐らく、応募した子どもたちの方が、私以上に、わくわく、ハラハラ、といった様々の想いをしたのではないだろうか。
嘗て、私も、テーマにひかれて応募したことを思い出していた。
因みに、2021年は「こころ」だそうです。
2021年
5月
22日
土
記憶によれば、新型コロナ発生以来、東京から、企業や、テレワークでの新しいライフスタイルで、人口流出が目立ってきたという記事を読んだ。
かねてから、いずれこのようなケースが生じるであろうと素人なりに考えていたが、やはり、若干の拙い私の予想は予想だけでは終わらない現実を知ることが分かった。
確かに、今、どこにいてもデジタルで繋がっていて、不自由がないが、意外に地方によって、思わぬ格差が生じるのである。
日本列島は長く、その季節ならでの快適さがある。
これは、ある地域に移り住んだ経験談が掲載されていた。
以外に、良かれと思ったが、一軒家に住む管理と水道日、ガス代といわれる光熱費に、どこに行くのも交通手段が車を必要とする経費に驚いたという感想である。
実は、健康のためには、我が故郷の風土が合っているそうだが、いざ、私のような高齢者で年金生活者は、地方行政のご迷惑である。
無収入の高齢者を抱えることは、このコロナ時代にはますます、ご迷惑な存在である。
「帰りたい病」はあっても、マンションで、ある程度の住環境を経験した人には、却って、心身ともに負担が増えるのみである。
誤解をしないでいただきたいのは、私の周辺では、どんどん、居住者や
オフィスの完備の充実により、移転が激しい。
私の東北出身の友人によれば、真冬の毎日、雪かきの辛さなど、一番厳しい現実を見極めての移住経過卯を考えるべきだと、警告したことが鮮やかに想いだされてたのである。
特に、高齢者による環境の変化は、認知症を早めるという結果もあり、親孝行も難しいと想った。
処で、私は、「帰りたい病」から卒業したのである。つまり、あらゆる生活、つまり、医療にしても、墓の問題にしても、東京にすべての拠点があるからだ。
「ふるさとはいつまでもふるさと」だが、ふるさとのあらゆる条件の距離感を考えさせられる問題と、私は受け止めている。
2021年
5月
21日
金
どうも、自然がお疲れ気味で、温暖化も進み、これまでの営みより、少しづつ変化を東京に在住の私は案じている。
何度も私は、小学校時代を病弱のために、特に自然の営みの理科系の学びが少ない状況にあった。
我が母校の、自然との営みに忠実に学ぶブログから、特に視覚を通して理科系のブログのアップに、新しい学びをしている。
そうだったのか、ということがたくさんあり、楽しみと共に東京砂漠では
味わえない素晴らしい知識の宝庫でいっぱいである。
75歳から、改めて私は理科系の学習を学んでいる。
特に、コミュニティスクールによる、害虫の問題など、私は知らないことが多すぎたが、ブログを読むことによって、新しい知識を得る喜びを知り、母校のブログを楽しみにしています。
特に、我がふるさとは、大気の安定した気象状況もあり、今後、未来の宇宙への後輩ができることも楽しみの一つでもある。
我が母校にいらした教頭先生が、校長先生として、源氏ボタルの生育が難しくなっている小学校の校長先生が承認され、私には、母校が増えたような親密感と、自然の素晴らしい営みのブログに感激した。
自然に逆らう行為は、地球が疲弊するだけと痛感した。
2021年
5月
20日
木
編集時代に、多くの作家の先生にお目に掛かる機会があった。
当時は、原稿用紙に、太めの万年筆で、書き込まれた文字は、個性的で、
必ずしも、作品と、文字とは一致しないところにも、興味があった。
未だにデジタル社会に対して、苦手感があるので、毎日が日曜日になった私は、極力肉筆でと努めているが、メールで失礼をしている。
ブログを作成するときは、パソコンの周囲を必要以外の資料を片付ける作業から始めるのである。
どうも、色々と、目に入るものが気になるというか、気が散るという性分だからである。
テーブルにあるのは、必要な新聞の切り抜きと、ホームコースのゴルフ場からの記念品の辞書でセピア色の初版が、母校を卒業時の1957年に刊行とあり、寧ろ、私には、古き良き時代の活字文化に触れる満足感がある。
使用しているのは、ゴルフ場の記念品の1977年の三省堂の特装版である。
パソコンの変換が、新しくなるほど、文字が少なくなってきているようで、結局、私が間違いかとネットで調べるも、さらに愛用の辞書をひき、
やっと、納得するという活字との出会いの日々の多いことか。
それゆえに、気が散らないように、また、書き手の表現を頭に残さないように、純文学等の書籍にはある程度の時間を経過してからと心がけているのである。
なかなか、「書く」行為は「心の整理」になるというが、その整理もややもすれば、重荷になるほど、ある時には、自分の性分を悩ましく想う時もあるが、今日も、整理後、パソコンに向かっている。
2021年
5月
19日
水
天候のせいにはしたくないが、五月晴れには程遠い日々に、日課の一万歩の散歩をさぼっている。
何となく体に水分が貯まっているようで、体を動かすのが、鈍くなってきている。
17日の月曜日は、3か月に一度のデンタルケアの日でひで、久しぶりに銀座へ出かけるので、朝から、気持ちがウキウキしていたが、何と、皮肉にもアゲインストの強風に、体を支えるのが精いっぱいで非常に疲れた。
翌日の19日は、昨日からの新型コロナウイルスの予防接種にトライしたが、アナログの電話に勝敗ありといった結果に終わった次第である。
あまりにもストレートに予約出来て、勢い込んでいた梯子を外された想いに逆に疲れを覚えた。
お疲れ気味なので、今日は新聞の切り抜きを整理すると決め込む。
5月9日の日本経済新聞のサイエンス面に、「現代人は『引き算』が苦手」という見出しに、思わず、引き込まれて読み始めた。
バージニア大学の研究チームによれば「人間は引き算の決断が苦手で、
足し算にこだわるから」と、英科学誌のネイチャーに発表したとある。
読んでいるうちに、確か、医療ボランティアの時に、品のいい高齢の女性の方から、「あなたは、まだわからないでしょうが、歳をとるということは、神様からいただいたものを一つ一つ、お返ししていることなのよね」と、物静かに私に話した記憶が頭をかすめた。
確かに、若い時のエネルギーは失せ、歳を重ねて回復力が衰えてきた。
考えようによっては、私も「引き算」の後期高齢者の仲間入りしていたという実感として、全く自分勝手な受け止め方をしていた。
大好きな「断捨離」もその「引き算」に該当するのではないだろうかと、
想ったのである。
2021年
5月
18日
火
昨日から、新型コロナウイルスワクチン接種の申し込みが始まった。
然し、なんとまあ、インターネットも、電話も二進も三進も行かないパンパンの状態が続いていた。
昨日のようであれば、血圧が上がってしまうと、気楽に宝くじと同じく
期待しないで、午前中にインターネットと、電話を2回トライしたが、昨日と同様である。
昼食を終え、既に電話番号は、記憶しているので、何気なく電話を掛けた処、何と、一発で担当者に繋がったのである。
こんなラッキーなこともあるのだと、ワクチンはたっぷりあるとはいえ、
生来のせっかちが、頭上に重しがあるようで、つい、集中力が散漫になりがちだった。
予約日が、これまた、人生に思い出の日であり、2回目も友人の母上の命日にあたる日と決まった。
これで、ひとまず、頭の重しがなくなり、軽くなった途端、睡魔に襲われるといった始末である。
新型コロナウイルスワクチンの接種競争の勝敗をつけるとすれば、私にはアナログの電話が軍配を挙げた。
2021年
5月
17日
月
今日から、多くの自治体で、新型ワクチン接種が予約日とスタートを始めるようだ。
念のために、インターネットと、電話の予約を試みたが、精神的に私には影響というか、抵抗力というか、反応が強いと知る。
然し、我が地域は該当する高齢者も多く、また、機種によっては対応できないとの説明がある。
昨夜、私の固定電話に、予約を取るのに凡そ、電話とインターネットで、200回ほどチャレンジしたが、熱を出したと嘆く。
ある意味で、私も体力も持久力もないので、ひたすら、相手の気持ちが理解できた
デジタル社会に苦手と思っていた我が地区が、これほどまでにインターネット予約に応募しているとは、驚くと共に、もう、そういった時代に移ってきている事実に、私は、複雑な想いで、毎日、トライしてみようと思っている、斜視的な見方をしている。
2021年
5月
16日
日
朝から、重苦しい空に、黒い雲が走っている。
毎日が日曜日になって、早や一か月半が過ぎようとしているが、まだ、リズムが掴めずに、何となく気持ちばかりが頭の中で駆け巡っている。
昨日、ふるさとからのプレゼントに、心が熱くなり、「帰りたい病」に襲われてしまった。
実は、昨年より、マンションの理事長にとの依頼があり、大ベテランに1年間のレクチャーを終えて、何とか、三月の総会も終わった。
かつて、話題になったコンクリートとの隙間から、立派な大根が成長したのを思い出した。
それほどの根性はないが、コンクリートの隙間から、雑草が顔を出しているのに気が付き、そうだ、住環境からも雑草とりを始めた。
マイナスドライバーで、根っこからとトライするも、しぶとく、根性があるではないか。
久し振りに、土の香りと、雑草の匂いに、急にふるさとの親友の声が聴きたくなって電話をした。
親友とは、75歳までは現役で頑張ろうと、帰郷時に約束したが、その後、ご無沙汰の限りをしていた。
何と、今、庭の草取りをしているとの返事であった。
ふるさとの親友と、全く同じ草取りをしているとは、実は私も今まで草取りをしていたのよと話すうちに、ふるさととの距離感が縮まった。
新聞のコラム欄で、「人は自然と土で生きている」といった記事を思い出し、実感した。
2021年
5月
15日
土
先日の12日の精密検査で、一つだけレッドマークが付いた。
つまりは、コツコツと毎日の食生活を改善することで、元通りに戻るという結論に達したのだが、わが故郷は、「魚島」とお魚の一番美味しい宝庫の季節だ。
かつて、「最後の晩餐」というテレビ番組を思い出す。
発酵学者で、小泉武夫氏の日経新聞の「食あれば、楽あり」という、毎回、よだれが滴るほど食欲をそそる記事を、私は紙面で楽しんでいる。
現在の私は、真面目に緊急事態宣言下の東京に従い、スーパーマーケットにもできるだけ、、乾物類を買い置き、太陽のエネルギーを蓄えた、乾物類を蓄えていて、我慢している。
然し、スーパーによると、鰆、真鯛、サヨリ、イサキ、アイナメと春告げ魚が並んでいる。
瀬戸内の新鮮な刺身と煮物で育った私は、検査結果によるデータは承知の上で、瀬戸内の味を買い込み、夕食に、ふるさとに想いを馳せ、今日が、ふるさととの最後の晩餐として、心置きなく味わった。
コロナ禍がいち早く収束する願いを込めて、明日以降、私は、ふるさとで
の、味覚が記憶している味を、しっかり、心に刻んで過ごしていこうとの決心をした。
2021年
5月
14日
金
記憶によれば、確か、この季節の頃だと思っているが、自信はないが、その方とは、凡そ、30年近く前に、コラム欄の著者を紹介していた抱いたメディアで、現在も活躍の方である。
その後、彼の記事に出会うと、必ずといってよいほど、お手紙を差し上げた、長い縁のある方であると共に、大変お力になってもいただいた。
ある日の紙面に取材記事が掲載され、いつものように、メールを差し上げた処、文面に丁寧な謝意の気持ちに添えて、お汚しかと存じますが」と、初めて知った言葉であった。
我が人生70代にして、初めて知った言葉というか、表現であった「お目汚し」という言葉が、私は強く記憶に残っていたのである。
更に、日本経済新聞の長い歴史のある「私の履歴書」の2021年の1月31日、美術史家の辻惟雄氏が最終日に、今回の「私の履歴書」を執筆するのを憂慮したが、「書き残したエピソードも多々あることだろうと思い直し、再び『お目を汚すことになった』とある。
2度の「お目を汚す」との出会いによって、私は、謙虚な人柄が使ってこそ、相応しい表現だと想ったのである。
改めて、日本語の深みのある伝統的な言葉による表現について、これから自分自身を、豊かにしていく生甲斐というか、道筋を見い出した。
2021年
5月
12日
水
今日の検査のために、昨夜の8時以降、水分以外は控えていた。
検査結果が出るまでの、時間の長さに、落ち着かず、動揺が隠せない自分を情けなくも思いながらも待つしかなった。
検査結果は、案じていた予想通りであった。
原因は、明白で、唯一つ、体調を気遣って続けていた自炊をさぼったからである。
ポイントが思ったより貯まっていたので、ついつい、楽な食生活を選んだからである。
原因が分かった今は、今後、自炊を怠らないと、肝に銘じた次第である。
気が付くと、午後の1時過ぎで、空腹もあるも、自炊、自炊と言い聞かせながら、朝食と昼食を兼ねた食事をとった途端に、検査疲れもあり、食後、睡魔に襲われた。
気がつくと、ちょうど、夕刊が届く時間帯で、散歩も怠慢勝ちだった。
今後は、階段を利用と思ったが、ついエレベーターに乗ってしまった。
エレベーター内のインフォメーションには、今日は近代看護の基を築いたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日に因んで、日本でも1990年、旧厚労省で、「看護の日」と制定された日である。
これまで、医療ボランティアをしている時は、5月12日は、看護師にとっては記念日というか、大切な日として記憶していた。
昨夜までは、明日は、「看護の日」だからと、いつもお世話になっている看護師さんに、感謝の気持ちを伝えようと、自宅を出たのだが。
恥ずかしいが、検査結果しか頭にないほど、余裕がなかったのである。
自宅に着いて、しかも睡魔に襲われるというお粗末さである。
後悔しても、もう、後の祭りである。
特に、昨年は28年ぶりの、脳神経外科の大手術で、どれほどお世話になったかと、想うと、本当に穴があれば入りたいほど、残念至極である。
偶然、夕刻、昨日までクローズしていた図書館から、予約していた図書が届いた連絡が入った。
2020年3月、新型コロナウイルスで、大規模感染(アウトブレイク)
した、永寿総合病院看護部が書いた、医学書院により2021年4月1日に刊行され、待ち遠しく、関心を持っていた「新型コロナウイルス感染症アウトブレイクの記録」の案内だった。
当時、どのようにして新型コロナウイルスと闘ってきたかの記録と、著者の一人、副看護部長の高野ひろみ氏が記してある。
一気に読み終えた私は、本を胸に抱え、心の中で感謝の気持ち「ありがとう」を伝えることができた。
2021年
5月
11日
火
ちょうど、昨夜の同時刻、急に温度が下がってきた。
湯冷めをしたかなと、思ったが、天気予報でも、急激な温度差を報じていたので、私だけではないとほっとした。
然し、明日は久しぶりに、循環器の診察と検査が待っている。
検査結果が出る前から、検査のデータが目に浮かんでくる。
ちょうど、1年前と同じ状況のシグナルが出ているからである。
一つには、最近、頑なに守っていた自炊をするのが、面倒な時があり、近くのコンビニに走ってしまう。
言い訳をするわけではないが、ポイントが貯まったので、つい、手抜きをしてしまってきた。
恐らく、正確にその食生活が、検査データに表出されると、覚悟をしているのである。
故に、明日は、病院に向かう足が、重く、今夜は反省を兼ねて、眠れないかもしれないと思っている。
検査結果は、自ら招いたゆえに、明日から、再度、自炊に努め、体調を
ベストに管理しておかないと、新型コロナワクチン予防接種にも影響する可能性を、私は、恐れ、猛反省をしている。
2021年
5月
10日
月
黄砂の飛来の影響か、昨日は空に薄い膜が覆っていたが、今朝は昨日よりスッキリしているので、部屋中を全開にして、冬物の寝具を干して、カバーを洗濯したり、久しぶりにスイッチが入った。
午前中で、予定通りに片付いたので、午後は、夢でもあるが、ふるさとの
賃貸住宅の図面を見て、楽しんでいた。
できるだけ、母校に近い位置で、部屋のレイアウトを見たりして、気持ちでは既に、住み着いているような楽しい空想をしていた。
母校のそばの物件には、かつての自宅の所在地に近いかなとか、心行くまで、図面を立体化して、珍しく気が散ることなく集中していた。
いつ収束するかすら掴めないコロナ禍で、凡そ、1年以上、母校への帰郷が途絶え、ブログで変わることのない、あさくちブルーの空、新鮮な空気、子どもたちの元気な姿に、寂しさを諦められない自分に気が付く。
例え、図面上ではあるが、午後からふるさとや母校への想いに馳せた時間に満足感を覚えた。
2021年
5月
09日
日
今日が、「母の日」であり、今朝から、一昨日の素敵なお花のお礼状をと
心がけ、書き始めたのた。
最近は、漢字も忘れるし、字も見苦しく荒れてくるし、表現力と筆の動きがパソコンに慣れてしまった結果、すべてにタイミングが合わない。
そこで、できるだけ、肉筆を心がけるようにした。
時代に逆らって、アナログにも心がけることにしていたからだ。
これまで気が付かなかったが、筆記具と、紙に相性があると感じた。
筆力や表現力も劣化しているせいもあるが、使用する筆記具と使用する紙によっても、微妙に、違いが出てくるのである。
万年筆はさておき、愛用のボールペンと、油性のボールペンとは、紙質によってスピード感が異なるのである。
思うように筆が進まないのを理由にしているようだし、そんな些末なことばかり考えるから、本来の目的にたどり着かないのだとか、我ながらも
理屈をつけているとの、反省と自覚を持っている。
完全に納得できるお礼状には、程遠いが、私なりに何とか、書き終えた。
スマホに自宅の近くのポストの集荷時刻を撮っているので、時間を見たらら、時刻まで、2分残っていた。
ちょうど、今まさに集荷を終えて、車がスタートするのが見えた私は、年甲斐もなく、道路の真ん中で、「お願い、待って」と。
お陰で気づいてくれたので、間に合った。
最近、少しづつ、筆まめというか、筆だこが出来つつある。
2021年
5月
08日
土
昨日、抱えきれないほどの大きな箱が届いた。
本来であれば、昨日、早速ブログにアップするところだが、送り主に私は、一言では言い表せないほどの驚きと嬉しさで、胸が熱くなったのだ。
直ぐにお礼状をと思い、昨夜書いたものの、動揺しているせいか、感謝の気持ちが思うように綴れない私は、気持ちが落ち着くまで、心の中でごめんなさいと。
大きな箱の中は、寄せ植えの鉢で、シャボンローズという優しいピンク色のポットカーネーションだった。
送り主は、お目に掛かると、いつもさり気無く温かい気遣いの持ち主のお陰で、私はいくつもこれまでに助けて頂いたのである。
ベランダで、鮮やかに咲いているカーネーションを見ていると、コロナ禍で、毎日、ままならい生活をしている私の心が和んでくる。
そういえば、5月の第二日曜日は「母の日」である。
送り主は、私の息子といっても良い年齢だと気づき、恐らく「母の日」のプレゼントの想いがあったのではないだろうかと、人生で初めて、私も
人並みに「母の日」を迎えられる。
明日は、何が何でも、どんなにか嬉しいプレゼントであったかを、肉筆でお礼状をと思っている。
2021年
5月
07日
金
昨日の萎えた気持ちを奮い起こすそうと、活字大好き人間の私としては、
新聞を読むのが、楽しみのひとつである。
然し、これまでは、気ままに友人たちと接して、話し合う場があったが、
現在のコロナ禍では、人との接触が、極端な表現だが、禁じられている。
マスク越しで、凡そ、2メートルの距離をとって話をすると、逆に声が大きくなり、それまでして、話すほどの話題は少なく、面倒になる。
そのために、一人で、ゆっくりと新聞をひろげている時間は、今の私の一番の充実の時である。
然し、あまりにもカタカナ語や、メディア語といわれる活字を、まじめに
検索していたが、ここ数年、私も疲労感を覚え、特に昨年の手術後、ますます気力がなくなり、スルーしている自分に気が付いている。
かつて、友人の母親が「最近は、NHKのニュースですら、カタカナ語や聞いたこともない英語の言葉が多くなって、さっぱりわからなくなって、テレビをもう見たくなくなった」と娘に嘆いていると聞いて、間もなく、テレビを見るのをやめたそうだ。
その数年後、介護施設に入所したとの連絡があった。
断捨離大好き人間の私も、実は、参考となる新聞の記事や,同感を覚える記事は捨てないで、手元に残してある。
昨年、2020年10月10日の日本経済新聞の文化欄に、作家の町田康氏が、「日本語で言え」という記事に、私は、ここ数年、思い続けていた想いを代弁してくれた満足感を覚えた。
唯々、そのタイトルだけで十分、私は気持ちがスッキリした。
2021年
5月
06日
木
昨日で、連休も終わり、今日から日常生活が始まると思って、はっと気が付いた。
東京はまだ11日まで緊急宣言中であり、つまり「ステイホーム」を心がけなければいけないのである。
急に、出鼻を挫かれた想いで、さて、何を始めようかと悩んだ。
この私の現状から、「毎日が日曜日」という言葉を思い出した。
もしかしたら、もう死語になっているのかもしれないと、検索すると、何と城山三郎氏の著書に「毎日が日曜日」を見つけた。
もう、何年前だろうか、日頃お世話になった人の定年退職の送別会に行った際に「これからは、私は、毎日が日曜日の生活が始まります」と、ぽつりと寂しげな表情で、送別会への謝意を結んだ記憶が頭をよぎった。
今の私も「毎日が日曜日」であると共に、「ステイホーム」の日々が続く中でも、常に良い意味での好奇心を忘れないでと、言い聞かせるしかないのかなと、悔しいが、連休後のかつての前向きなスタート感が削がれた。
2021年
5月
05日
水
連休最後で、24節気の「立夏」、「こどもの日」と喜ばしく心弾む日だが、今朝から空はご機嫌斜めである。
そうであるならばと、今回のブログのタイトルを「白い花が好き」と決めて、ネットで検索したところ、新田次郎著に「白い花が好きだ」とある。
これは恐れ多いと諦め、元来体力もないのに、頭では様々な発想や好奇心でパンパンになって、結局はダウンしてしまうのは明白だが、やめられないという厄介な性分を持っている。
それならば、勝手気ままに、「雑駁なブログ」と決めたのである。。
昨年9月に脳神経外科で良性とは言え、12時間の髄膜腫の手術に耐えた後に、主治医から「頑張らないで、頑張って」「我慢、無理をしないように」との言葉が今も頭をよぎる。
未だ、術後7か月だが、以前にもまして体力は確かに衰えを感じる。
ならば、脳活、認知症防止にと、頭をフル回転すると、循環器の先生からも「何も考えないで、3日ほどホテルでぼんやりテレビでも見て、ストレスになることは避けてね」と、凡そ、20年来の私の心身を見抜いている忠告も頭をよぎる。
然し、変異型コロナもあり、やはり巣ごもりで過ごすしかないのである。
そこで、連休前に、図書館で新田次郎著「白い花が好きだ」を借りた。
連休も最後で、早くもメイストームの兆しもあり、朝から読み始めた。
職業上、各地の自然界や訪れた先の風物や、特徴が爽やかに、目に浮かぶような丁寧さを文面から感じた。
特に外出もままならぬに、私は、コロナ禍が収束したら、訪れたい場所を見つけた。
タイトルは「ぼたん寺の精進料理」で、帰郷時に私も利用する山陽線の「上郡駅で下車して、北へ十キロメートルほど入った山の中にぼたん寺がある。兵庫県上郡町大富富満万勝院である」と記してあり、興味が沸く。
タイトル通りの素晴らしい精進料理が克明に書き込まれていた。
念のために検索すると、現在の兵庫県赤穂郡上郡町大富2312「富満万勝院』とある。
もう一作は「倉敷と『アルプスの真昼』である。
これは我がふるさとに近い倉敷の大原美術館を訪れた時、セガンティーニの「アルプス真昼」は、これまでのセガンティーニで明るい絵と評しているのである。
最後に氏は「白壁の町倉敷は光に満ちた美しい町である。『アルプスの真昼』がここにあるのは、何かの因縁なのかもしれない」と結んである。
改めて一刻も早いコロナの収束を願う想いが強くなった。
2021年
5月
04日
火
最近の天気予報の的中率はパーフェクトといっても良いと感心している。
明日、5日のこどもの日は、芳しくない予報に、今年の連休は勢い込んで予定を立たてたものの、計画倒れと反省しきりだ。
そこで、今日こそはと窓を全開にして大掃除を始めたが、洗濯や布団干しで、ダウンしてしまった。
気分転換に近くの公園に行くと、すっかり新緑の青葉や若葉が、きらきらと輝きまぶしいほどで、嗚呼、5月だと実感する。
都会の中にある公園なので、周囲はマンションが多く、ほどんどのベランダには、洗濯物がたくさん見える。
矢張り、多くの人が思いつくことは類似していると思った。
今年もコロナ禍で、自宅で過ごす時間が多く、かつて医療ボランティアをしている時である。
外来で一人住まいの患者様から、「普段は来訪者もなく、1日中声を出さない日もあるのよ」。
「今日あなたと話が出来たので、気持ちよく帰れるわ」
そんな会話を思い出す日々が私にも続いている。
確かに今は、相手の都合も考えると、多くはメールを利用する。
外来の患者様の「声を出さない」という一言に、私は、声を出さないというのは健康上に問題があると思って、何か解決法はないかと考えていた。
そこで、昨年のコロナ禍の巣ごもり生活から、できる限り、童謡や唱歌を歌うように努めると、懐かしい風景や季節感を取り戻し、心が穏やかになると、大成功と自負しているのである。
今日も公園のベンチで、思わず、「緑のそよかぜ」を口ずさんでいた。
2021年
5月
03日
月
4月からコロナ禍と後期高齢者という年齢もあり、「毎日が日曜日」の生活スタイルになったのを機に、これまでの5時半には朝食を済ませ、6時には新聞を取りにポストに行く生活が長い。
然しながら、今の私は「狭い日本、急いで何処に行く」という記憶の範囲でとどまるが、懐かしいフレーズを思い出す。
正に時間がたっぷりあるのだから、そんなに急ぐ必要はないのである。
特に今年の5月は、本来であれば春から夏に変わる暖気の気候のはずが、
依然として寒気が強く、暖気の気候のはずが、寒気が強く、僅か30分差でも、風が例年になく冷たい朝だと感じた。
たかが、30分だが、今の私にはそれから朝食をとり、ゆっくり新聞に目を通すという朝のルーティンを変えたのである。
新聞記事にも曜日によって、特徴があり、私は月曜日の朝刊の紙面の記事に、一番多くの関心がある。
然し、今朝の朝刊に思わぬ数か所の異変を感じた。
紙面の掲載日の移動、長年の掲載記事に「終了」といった表示に、何となく、慣れ親しみ、楽しみ参考にしていた記事もあり、時の流れかと思いながらも、寂しさを覚えた。
矢張り、順応性に乏しいとの小学校の通信簿の評価が未だに続いている。
残念ながら、小学校時代の「新しい朝のルーティン」に慣れていないのが、一か月の実情である。
2021年
5月
02日
日
日本経済新聞の朝刊に、1か月ごとに各界で活躍の人による「私の履歴書」が掲載される。
今月5月は、女優の吉行和子氏である。
スペイン風邪の大流行で、15歳の母であるあぐりは、前衛的な文章を書く作家のエイスケという作家に嫁ぎ、美容師の仕事で支えたそうだ。
実は、父親であるエイスケ氏は岡山の出身者であった。
NHKの連続ドラマを見る機会のなかった私は、初めて知ったのである。
更に兄である吉行惇之介氏が生まれても、妻子を岡山に残して東京に行ってしまったという。
生活のために、母親のあぐりとは、96歳になると「50年前から行きたかった」という宮崎のコスモス畑や岡山のレンゲ畑にも出かけたとある。
50年前からたかった岡山のレンゲ畑を、親子はどのような想いで見たのであろうか。
私にとっても、懐かしい思い出の風景である。
わたしにも、同郷の岡山の自宅の前に、あたり一面がレンゲでピンク色に染まった風景を、懐かしく思いだしていた。
2021年
5月
01日
土
「夏も近づく八十八夜」と心軽やかに口ずさみたくなる澄み切った素晴らしい青空に、今日からまた、ブログを書き始める楽しさを感じた。
連休を利用して、デジタル生活で、気が付くと、メールアドレス、それに伴うパスワード等が増加の一途である。
英語表記に私は、どうもブロック体で書くのが、非常に苦手である。
かつての筆記体が書きやすく、懐かしく、今後は筆記体に統一しようと思いついたのだ。
そういえば、中学生時代に確か、筆記体専用の罫線のあるノートで練習をした記憶に、まだ、ノートは残っているのだろうかと、天気も良く足取り軽く、文具店に入った途端、建物が大きく揺れた。
地震だと気づいた。
後付けになるが、私は、不思議に何となく今日は地震が起こりそうだと、予感めいたものを感じる時があるが、実際に今日は、その通りになった。
長年、パソコン使用に高さが良いチェストに立って入力作業をしている。私は、今日も出かける前に、何となく予感めいたが、低いテーブルに移さず出かけたのである。
やはり「予感が当たった」という妙な満足感に、目的のノートはすっかり忘れていた。
帰宅後、早速無事だったパソコンで「英語の筆記体とブロック体」をインターネットで検索した。
国立教育研究所によれば、「試案」と記載され、中学1年生は1947年から「筆記体」に、1989年以降に生まれた人は「ブロック体」が適用された。
転換点は2002年の「ゆとり教育」からブロック体に施行されたと知る。
つまり、「昭和生まれは中学校で筆記体」「習ってないのは平成生まれ」と、実に明快で、私は納得した。
ならば、昭和生まれの私は、初志貫徹で「筆記体」を使用すると決めた。