2021年

7月

31日

文月もおしまい

これ迄もブログを旧暦表示で、敢えて書き続けて久しいが、今日で文月もお終いである。

「文月」について、唯、自分の好みで続けていたが、検索すると、「ふみづき」は稲の穂が実る月とある。

 

我がふるさとでは、嘗て麦踏休暇があり、多くの実った麦の茎を利用して現在のストローの前身といわれる「麦のストロー」が、多くはアメリカに

輸出していた。

 

父親はその検査官を務め、夏休みに見る父親のゲージでスローの太さを判定する姿に「カッコイイ」と思っていた。

 

今日で、文月もお終いである。

この「おしまい」について、でき得れば、文月でお終いにしたいと願っている諸々の立場で人は私ばかりではないと想う。

 

大ヒット中の亡き篠田桃紅氏の辞世の書といわれる「これでおしまい」を図書館の購読依頼を申し込んでいる。

 

篠田桃紅氏には、残念ながらお目に掛かる機会はなかったが、作品は、私が美術の世界で商いをしている頃、ホテル、会員制ホテル、企業の研修所等々がしのぎを削っている時代で、篠田作品にあらゆる場において不思議にマッチする作品の説得力があった。

 

今日でお終いの文月について、私は、改めて振り返ると、何ら稲の穂が実るような実績を残していないと想っている。

 

人生において、「これでおしまい」という問題を残している私は、必要不可欠な要素を残して、世間の不義理も承知の上、来月の「葉月」は「はおちづき」ともいわれているそうだ。

 

来月を見据えて、今月「文月」までに、できうる限りの努力をしたと自負してお返しが体調不良のシグナルの点滅とは、悔しい限りであるが、それ故に、来月への心構えもできるであろうと前向きに捉えている。

 

「悔しい」とは、まだ、根本的に「これでおしまい」といった境地には及んでいないのである。

 

最近、夢に登場するのは、私の虚弱体質に厳しい表情をいつもしていた筈の父親が頻繁に現れてくるのである。

夢から覚めた私は、父親に問いかけている。

 

答えがないが、今コロナ禍において、あの世も、もしかしたら、ボランティアを必要としているのかもしれないと、思い巡らせる。

 

来年の3月は、77歳を迎える私は「喜寿」である。

もう、コロナを始め、私には精神的に生きにくい世界に変化しているのを

父親は、もう十分頑張ったから「これでおしまい」にしていいのだよだと

父親のメッセージに想える今日この頃である。

 

 さて、今後いくつ「これでおしまい」があるかも、私にとっては、精神的安寧の時になるであろうと想い、楽しみにも思えてくるのである。

然し、こればっかりは神のみずの知る世界で、ケセラセラで、行くしかないかと想っている。

 

全ては、川の流れるままに、自然に委ねたいといった心境である。

 

然し、7月で完了しようと予定した数ページの肉筆による記録が、突然の照明器具のダウンにより、8月に伸びたために、張り切っていた予定が伸び

更に、来月いっぱいの緊急宣言延長によるショックも堪えた。

 

やり残しているのは、ノートに書き残す数ページの記録と、61年ぶりに

ふるさとの母校に招いて下さり、、改めてふるさとへの愛情と生き甲斐を

学ばせて下さった、今はセカンドステージで頑張っている前校長先生に、

嘗ての、じゃじゃ馬に回復した私を、一度だけで良いから見て頂きたいと想っているのですが、益々、感染を広げるコロナ禍では、何時その願いが叶うのだろうかと些か、焦りを禁じ得ない。

 

その2点を終われば、すべては私も「これでおしまい」で納得がいく。

これまでに、十分生き切ったとと想っている。

文月の最後に、敢えて、私はこれ以上の想いは持っていないのである。

 

決して、悲観的な想いで取り上げているのではなくて、仮定的発想であるが、次なる私にでもできるための「これでおしまい」を意図しているのであれば、それが与えられた私の運命のミッションとして受け入れねばならないと考えている。

2021年

7月

30日

巣ごもり肥満の影響

長引くコロナ禍において、昨日の日本経済新聞の朝刊に、昨年度の調査によると、巣ごもりによる肥満と、デジタル教科書による視力の悪化傾向につての調査を始めるという。

 

確かに、コロナ禍の最初の緊急事態制限の時と、我が集合住宅のダストルームに変化がみられる。

 

第一派の時は、自宅の断捨離で、身の回りの整理による内容のごみであったが、今は、東京オリンピックの自宅観戦による食の増加現象によるところのごみに変わっているのである。

 

ダストルームの食による増加に、確かに東京オリンピックによって、自宅での食事生活に変わっているが、その食による廃棄物の多さに驚く。

 

恐らく、巣ごもりもあるが、コロナ禍で取り上げられている20代から30代50代の食事の傾向が表れていると思う。

 

巣ごもりでは簡単に解決できない、ストレス太り、連日のアスリートの活躍によってパワーを頂いているが、東京オリンピック太りもあるのではないだろうかと、今後、東京オリパラも落ちついた状況での健康診断による

データが出てくるのではないだろうか。

 

今後の健康診断にも、受診者が思いがけない数値に戸惑う結果が出るのではないかと、自分を含めて案じている。

2021年

7月

29日

明るくなるまで待って

24日の照明器具のダウンによって、生活のリズムに調整が必要になる。

 

予てより、夜間散歩に切り替えたが、自宅の玄関他は無事に灯りを届けてくれているが、今月末で整理しようとしていた予定が先延ばしにせざるを

得ないかと、日中の日差しを頼りに、頑張っているのだが。

 

嘗て父親が、輸入の仕事に携わる関係上、夜間に英語の勉強をして、自宅に帰ると、部屋は暗く、「お帰りなさい」という言葉もなく、如何に灯りの存在によって、人は元気を取り戻すという体験を味わった。

 

父親は、よく自分の体験から、もし結婚したり、或いは他の事情においても、自宅に灯りの必要性を、私に諭していた。

 

今、私は土曜日の照明器具のプッチンから、毎日、日暮れを受け入れて、

夜空散歩をしているが、自宅の玄関他の照明器具は健在なれど、日常の生活の場であるキッチン他は、暗闇の世界である。

 

依頼した業者さんは、来月ということで、当分は暗闇の生活を続けなければならない。

 

嘗て、ハラハラ、ドキドキ、恐怖で息苦しく席を立ちたくなる映画を記憶している。

 

オードリーヘップバーンによる映画「暗くなるまで待って」である。

父親は、よく私に、映画から人生の苦境の時のヒントを見つけるというのであるが、当時の私は元来臆病な要素が多く、ハラハラ、ドキドキし、目を覆いたくなるような印象が残っている。

 

然し、暗闇の天井を見つめながら、来年の3月には、77歳、いわゆる喜寿を迎える「毎日が日曜日」の私は、今後、どのような生き方をしていけば

良いのかと、考えていた。

 

10年前の照明器具は、いわゆる蛍光灯であり、恐らく来月の中旬までには

LEDの照明器具になるであろうと思い、暗く熱い夏は続きそうである。

2021年

7月

28日

小さな鰻博士たち

今日は土用の丑の日である。

 

この日に私は、母校の小学校の2021年2月22日のブログを忘れずに、必ず、紹介しようと思い続けていた。

 

東京ではコロナ禍のため、母校に帰れない日々の中で、唯一のパワーの源は、母校の小学校のブログであった。

 

遡ること、2021年2月22日にアップされているブログは、2月19日の4年生の「国語のなぞを追って」の学習で、「ウナギ」について、さらに興味を持った4年生は、ウナギについて学習をしようというのである。

 

理科の担当の先生より、海(塩水)で生まれたウナギが、川(真水)で育つという不思議である。

 

ウナギの「ぬるぬる」には、毒が含まれているので、生では食べられないそうだ。

 

だから、皮の部分をかば焼きと称して、しっかり、香ばしく焼くのかなと思ったのである。

 

更に、我がふるさとには、懐かしい私の水遊びの場であった里見川では、夕刻、カワウと天然ウナギの格闘に出会ったそうだ。

 

母校のブログには、まだ多くの貴重な自然の営みがアップされていて、私にとっては、東京砂漠で過ごしているだけに、ほっと心が休まるとともに

叶うならば、自分の目で確かめたい想いに駆られる。

 

因みに、食品ロスで、土用の丑の日のウナギのかば焼きは、予約者のみに

限られている。

なにかにつけ、ゆとりのない都会生活に、カサカサになりそうな気持を、ふるさとの自然の懐が、恋しく、なってくるのである。

2021年

7月

27日

緊急事態宣言下の受験生

隣接する図書館の学習室を兼ねてから利用していた私は、肉筆による整理に、学習室を申し込みに行く。

 

図書館の学習室の利用者に対して、夏休み中は受験生の為に、平常の利用時間は一日に2時間という枠があるが、夏休みの期間中は、利用時間を一人当たり、3時間に枠を広げるというお知らせが目に入った。

 

そっと、学習室を除くと、確かに受験生と思われる学生たちの姿が目に入った私は、自宅でも整理は可能である。

 

緊急事態宣言下の受験生にとっては、暑さもにめげず、また、自宅にいれば東京オリンピックのアスリートの観戦に、時間を取られてしまう。

来年の受験に向けて、図書館の学習室は、様々な雑音に影響を受けることなく、集中できる貴重な場である。

 

コロナ禍において、通常の受験勉強ができない緊急宣言下の受験生に、私は、思わず、エールを送りたくなり、夏休み中の学習室の利用は控えた。

 

まして、ラジオ体操も、毎年、地元での夏祭り大会や、盆踊りもすべてが

中止である。

 

出来れば、気分展開に、夏祭りの金魚すくいや、西瓜割りなどに参加して受験生活から解きほぐされる時さえ、コロナ禍による中止に、受験生たちの生きにくい生活の日々に想いを馳せた。

 

夜空散歩で、見上げた空に、目的地をめざして機首を上げながら飛行している飛行機に、受験生の努力が叶うことを願っていた。

2021年

7月

26日

ノルマを課す

今日で、手帳に書き込んでいた予定は、午前中ですべて片付いた。

久し振りに達成感を味わう。

体調も不思議とその効果が出て来始め、先延ばしは私にとっては、やはり

健康に影響を及ぼす体質というか、素質というか、素地があるようだ。

 

これ迄は、すべて相手があっての処理を要したのだが、これからは自分が

必要とする整理する必要性のあるものを残している。

 

これ迄は、毎年新年に、新しい手帳に、確認をしながら肉筆で記入し続けたが、今年からは、これまでの使い慣れた手帳が姿を消したので、新しい

スリムな手帳を買い求めた。

 

76歳を迎える私には、もう、現役を退き、記入するのは、病院の診察予定ぐらいであり、スリムで、軽量の手帳を選んだ。

 

然し、これまでの個人状的なメモ欄がなく、何となく先延ばしにしていたのだが、セーフティーネットのためにも、もう、今年も5か月を残す段階になってが、気持ちが収まらない。

 

確か、今年の目標として、直筆というか、肉筆にトライするつもりでいたのが、今日の今日まで、自律神経や体調の理由を見つけては、スルーしてきたのも、事実である。

 

いよいよ、最後にといえばオーバーだが、新しく買い求めた小さなノートに、肉筆で書き込む作業に取り掛かる気力も湧いてきた。

 

このタイミングを逃すと、後悔が残るので、自分にノルマを課すと決めたのである。

そうすれば、ここで頑張れば、一冊のノートで通年使用可能といえる。

 

因みに、いつもの愛用の辞書にも「ノルマ」は記載されており、語源は、

「ロシア語」と知る。

「基準」とか、「労働の仕事量」とあるが、現在ではデリケートな言葉と

言えそうだが、私は前向きに、マイペースで、体調管理を心がけながら、

必要とされる「肉筆量」を進めるとしよう。

2021年

7月

25日

照明が夏バテ

お陰様で気がかりな問題もほぼ、予定通りに解決し、ほっとするのも束の間で、昨日の深夜から、部屋の天井の照明器具の一つが、何となく元気のない灯りに、もしやと思って気にしていた。

 

心配した通り、今日の早朝に点灯のスイッチに反応しなくなった。

電池切れの可能性もあるかと、電池を交換するも、全く反応なしである。

 

もう一方の暫く使っていなかった方の照明にスイッチ入れると、点灯し、これで休日明けまでと思った途端に、プッチンである。

 

どちらも、引っ越し後、10年働いてくれた灯りも、私同様、歳をとっていたのである。

 

今日までは4連休のため、イライラして、折角回復してきた体調を崩してはと、夜空散歩に、夕食を済ませ、シャワーを浴びて濡れた髪を乾かしながら、目標の1万歩を、足元に気を付けながら、夜空を見上げながら歩く。

 

夜風に濡れた髪を乾かしながら、昔は、夕涼みといって、庭に縁台を出して、浴衣姿に、足元には蚊取り線香を置き、内輪で涼をとっていた風景を思い出していた。

 

今は跡形もない実家の前の川には、時々ホタルが飛んでいた。

日中の喧騒も、東京オリンピックを自宅で楽しんでいるらしく、人通りは

まばらである。

 

ふるさとの夕涼みを思い出しながら、自宅に一歩入って、玄関の灯りは健在なので、はずみで、部屋の照明にスイッチを入れても、やはり、反応することはなかった。

 

今、何が起こるかわからない不気味な時代なので、散歩に行く前に懐中電灯をバッグに入れていたので、不自由はなかった。

 

今夜も、深夜近くの夜空に昨夜の満月とも劣らないお月様が輝いていた。

2021年

7月

24日

夜空を見上げながら

朝から今夜の満月を楽しみにしている。

 

お陰様で、やっと体調が回復したと、自信を持てるところまで漕ぎつくことができた。

 

一つには、プロの力を借りることで、苦手のデジタル生活が、簡略したことと、気になっていた数件の問題も、次々に今日で片付く見通しが付き、

肩の荷が降りたからである。

 

全く、あまりにも正直な私の自律神経に、人生の損失は大きいなと悔やむも、致し方ないとこれからも上手に付き合っていくしかないと頭を垂れる

のである。

 

最近、自律神経は、脳の疲れによって、色々な症状が出るとの情報に、確かに、いかに効率よく、スピーディに、目の前の処理に遮二無二になって

片付けようとしている私がいる。

 

もう一つ、昨年の9月の術後は、寒さにも負けず、毎日、日課として散歩をしていたが、この数か月、その生活パターンが気が付かないうちに、忘れていたのである。

 

気がかりな問題に集中する時間を多くとりすぎて、散歩に行くのをスルー

したのも、大きな要因である。

 

気が付いたのは、昨日から、これまでの青空散歩をやめ、夜空散歩に切り換えたのである。

 

ここ数日間の夜空をベランダ越しに見ていると、「天文のまちあさくち」がふるさとの私と気づき、今夜は「7月の満月」の日である。

 

一昨日の満月の前の素晴らしいお月様に、今夜の満月はどんなに素敵だろうと、空を見上げると、不吉な黒い雲の動きが私のいる方向に向かってきているように思うが、「晴れ女」の私だから、「夜空も晴れ女」と、思い切って出かけているうちに、黒い雲が無くなり、見上げた空は昼間の青空残した淡い青さが広がり、やがて白い雲の間から、お月様が顔を出した。

 

「バグムーン」といわれる「7月の満月」には、勢いを感じた。

検索すると、アメリカの先住民が名付けたそうで、ネイティブアメリカンは、毎月の満月に季節の名前を農作業や狩猟の目安としたそうである。

 

「バグ」は動物の「雄鹿」で今夜の月の輝きに力強さを感じたのも納得。

因みに、ふるさとに想いを馳せ重ねると、「ピーチムーン」である。 

 

2021年

7月

23日

オリンピック疎開

この4連休を、「オリンピック疎開」をする人が多いとの報道に、嘗ての「疎開」という言葉が、コロナ禍において、大きく広がりを持ってきた。

 

テレワークで、東京を脱出して、地域へ移住している人が増えている。

また、一方では、地域生活に次世代をかけて移住したものの、想定外の問題も発生しているともいう。

 

気分転換に、ふるさとの不動産を検索し、間取りを見ながら、想いを馳せている自分に気が付く。

 

まして、自然にめぐまれ、大気も安定しているふるさとに、住みたいなあという想いはあるが、所詮は夢に過ぎないのである。

 

東京での生活が約半世紀になる私には、今更、生活様式を変更することが難しいのである。

 

矢張り「ふるさとは遠きにありて思ふもの」なのである。

昼食を終え、一段落を段落をしているところに、ふるさとからプレゼントが届いた。

 

開梱すると、部屋中に甘い「桃」の香りが広がった。

心温かいふるさとの方に、胸が熱くなる。

 

2021年

7月

22日

お久振りです。

今日は、24節気の「大暑」、間違いなくうなぎ上りの暑さが続き、悔しいが、体がシグナルを出しているので、自宅で、大人しく過ごすと決める。

 

先日も、私のバイオリズムはどうも、木曜日が体力的にも、気力も希薄になる傾向通り、今日も、その状態に陥る。。

 

コロナの感染者数が、5395人という数字にやはりナーバスになる。

 

もう詮方なきことに、エネルギーを消耗するのは、時間の無駄のようにも

思いたくなるが、できうることならば、感染者の減少に自分も努めるしかないのである。

 

東京オリンピックに対しても、どこか冷めた感じを否めないでいる。

私たちの同世代は、ほとんど、関心がない年代なのか、友人の一人は、気が付くと、三度三度の食事に追われている毎日が続いているだけと。

 

例え、一人でも家族がいても、真面目に不要不急の外出を控え、自炊生活は、同じ日常である。

 

夕刻、思い切り、窓を開けて、空を見上げた処、「もしかして、今日は

満月?」のような、まん丸く大きく輝いているお月様に、思わず、お久しぶりと、声をかける。

 

本当に、コロナ禍の萎縮した気持ちが、素晴らしいお月様の出現に、心が和らいでくる。

 

スマホに撮った時刻は、19時43分とある。

因みに、今月の満月のバクムーンは24日で、楽しみである。

 

2021年

7月

21日

メールのスタイル

まだ、「根菜」の力の効果は、見えない。

然し、味覚的には、素朴で、抵抗なく美味しく感じた。

 

冷房病にならないように、寒気がすると、スイッチを切って、日本気象協会推薦の「熱中症ゼロへ」の内輪と、クーラーを交互に使っている。

 

毎年、業者さんにクリーニングを依頼しているが、今年は、とても、冷気を強く感じるのである。

 

あまり、神経質になっても仕方ないと、頭はお陰様で活発に動いているだけで、良しとしなければならない。

 

外出を控えているせいか、メールの量が増えている。

恐らく、どんなに心を込めても、文字を通してだけでは、物足りなさを感じるのは、私も同様で、せめて、生の声が恋しくなってくる。

 

年齢的な問題と片付けられそうだが、日本生産性本部「働く人の意識調査」によれば、「テレワーク疲れ」で、出勤増だそうだ。

 

2月27日の日本経済新聞の夕刊に長年掲載されている「プロムナード」に

脚本家の足立紳氏が、「三点リーダー症候群です…。」との、言葉を初めて聞いた私は、瞬時に思いだした症候群のメールを思い出した。

 

メールの文末に「…」、私に問いかけるように、或いは余韻を残しているように、私は、そのメールスタイルから、相手の表情が伝わってくるし、寧ろ私には心地よいメールスタイルである。

 

このメールスタイルが送信されなくなって、久しく一抹の寂しさを覚えるのであるが、最近は、「新しいメールスタイル」で、私を喜ばせてくれているのである。

 

2021年

7月

20日

根菜の力

昨晩、懐かしいふるさとのプレゼントが届き、笑顔を取り戻した。

何と、グッドタイミングで、嬉しく、早速、頂き、心が落ちついてくるのが分かる。

 

お陰で気力が、体中にじわっと戻ってくるのが分かった。

昨日は、東京でも初めての熱中症警戒アラートが発令され、日中は危険な

暑さとの注意予報が出た、翌日の今日も朝から猛暑が広がっている。

 

急に、昔から、体力をつけるには「根菜」は力になるといわれていたことを思いだし、食欲の方が強く、昼前に暑さに負けずにスーパーに。

 

先ず、目に入ったのが、茨城産の「紅はるか」のさつま芋だった。

 

嘗て、私は、茨城のゴルフ場のメンバーで、日曜日には必ずと言っていいほど、ホームコースに出掛けていた。

 

クラブハウスのショップには「茨城産のさつま芋」が、お土産用に店頭に並び、ついつい手が伸びるのである。

 

「さつま芋」は、一方で、ふるさとの懐かしい味でもある。

 

ふるさとでは、現在も子どもたちの野外での体験学習として、低学年が5月になると「苗植え」をするのである。

 

大きく立派に育った茨城産の「紅はるか」を、抵抗なく買い求めた。

 

これから、さつま芋と人参とゴボウと玉葱と大根の5種類の根菜の煮物でも作って、元気を取り戻そうっと。

 

2021年

7月

19日

自粛生活疲れ

本来は「海の日」だが、今年は東京オリパラにより、診察に出掛ける。

 

何か、今年は、昨年より平常のリズムが取れないでいるのは、私だけだろうかと問いかけながら病院に。

毎日の東京都のコロナ感染数を聞くと、嗚呼と嘆きたくなる。

 

然し、この複雑な気持ちは私だけではないと頭では理解しているものの、心身ともに応える。

 

ふるさとを持つ友人たちは、この感染数に敏感になってしまうというと、私だけでなく同じ思いになるという。

 

特に、「毎日が日曜日」になった私は、毎日の生活に対して、精神力を強く持って、怠慢な気持ちが過ると、必死に払いのけるパワーを要する。

 

愚痴っぽい前置きが長くなったが、お陰様で、執刀医の先生もMRIを始め丁寧な診察の結果、心配する状況ではないとの結果に安堵する。

 

嘗て、私は「冷房病」で、入院した経験があるために、クーラー生活にも気を付けているが、強いて言えば、冷気で風邪をひかないように心がけている体質にも原因があるのかもしれない。

 

厳しい日射しだが、日傘をお供に、熱気の強い外の空気を吸うと、不思議に体力の回復を感じるのである。

 

育った故郷の気候によって、冬に強く、夏に弱い友人と、その逆で夏に強く、冬に弱い瀬戸内生まれの私は、暑い方が強いのである。

 

さてさて、まだこれから長く続く猛暑日に、どうなるだろうか。

矢張り、暑くても、私には、大人しく「自粛生活」は苦手なので、これからは、日没後でも、散歩に出掛けようと思っている。

 

長い「自粛生活疲れ」なんて、甘えていてはいてはいけないと、叱咤激励したいところだが、「頑張らないで、頑張って」というドクターの声が、頭をかすめる。

 

 

久し振りにベランダから、夕刻6時過ぎに、まだ、青空が広がっている中を

銀翼の飛行機が機首を上げて、銀色に輝いて見えた。

 

2021年

7月

18日

逆リバウンド現象

逆リバウンド現象という言葉は、私が思いついた全くの個人的な考えに基づいた言葉というか、表現である。

 

コロナの感染が収束するどころか、毎日、感染数の数値が勢いを増していることを、リバウンド現象にあり、4度目の緊急事態宣言が発せられた。

 

先月の主治医の診察依頼、禁じられているコンビニで、買い求めていた結果が、明白に数値にも表れたのも一因であると、猛反省をしている。

 

買い物にも、長持ちのするものと思うと、乾物類は時間を要するものもあり、つい、嗚呼、今日は自炊をするのが疲れたと思うことも多くある。

 

然し、折角のベストの検査数値がリバウンドしたのである。

 

リバウンドした私は、確かに体力的にも気力の継続にも強さが増し、物事がスムースに進むのだが、検査数値上では、健康を害するという結果が出てしまうのである。

 

先月の診察後、真面目に自炊生活に戻したところ、いわゆる逆リバウンド現象なる体力的にも気力的にも、厳しい生活に落ちったのである。

 

言葉を変えると、ダイエットと類似しているが、もともと、細身の私が、

自炊生活により有効な体調に戻すために、仕方がないのである。

 

検索してみると、逆リバウンド現象に似通った言葉に「反跳現象」があると知った。

中断によって、一時的に悪化を見せる現象だそうだ。

 

私の場合は、口当たりの良さに釣られて、口にしたことを断ち切って、自炊に徹すればよいことである。

「良薬は口に苦し」ということである。

 

これも、ある種の精神的ダイエットともいえるのかもしれない。

下手な人造語を作るほどの問題ではないのかもしれないのである。

これこそが、「下手の考え休むに似たり」ということだ。

 

あまり、突き詰めていると、疲れてくるので、取り敢えずは、「お頭」の

診察に明日、行ってきます。

2021年

7月

17日

巣ごもり生活の影響

朝のうちは、真っ白いモクモクとした雲の流れが速く、すっかり、雲一つない青空が広がってきた。

 

先日、お墓参りに出掛けた際に、やたらと、人とぶつかるも、相手が大体スマホを見ながら歩いて居るから、仕方ないかと思っていたが、階段の上り下り、延いてはエスカレターにも足をかけるのも、何となく恐怖感を覚え、あれ一寸おかしいと感じていた。

 

その後、私の自宅は5階にあり、エスカレーターを利用すことはなく、運動のためと努めてきたが、ここ、一週間ほど、やはり、利用しようとすると

恐怖感が走る。

 

最近、何となくお疲れモードで、散歩をさぼっていたせいだと思う一方、もしや、昨年の脳外科の手術が、「寛解」といわれても、「お頭」が

シグナルを発しているのではないだろうかと、思いめぐらせるのである。

 

その夜、そろそろ、眠気を催してきたので、寝ようかなと準備している時、固定電話が鳴った。

 

ほぼ、数年ご無沙汰をしている友人からで、彼女は学生時代からコーラス部に在籍し、社会人になっても、コーラス活動を続けていた。

 

彼女によれば、ある方の家族葬で、故人の好きだった歌を一曲だけ歌ってほしいとの、家族たちからの希望で、引き受けたそうだ。

 

処が、声が思うように出なく、ましてや、その焦りから、音程を外し、何と、歌詞までが、しどろもどろになってと、最後は泣き出す始末である。

 

コロナ禍の巣ごもり生活で、これまでは続けていた発声練習も、コロナに神経質になり、コーラスのメンバーとも練習する機会もなくなり、気持ちも沈みがちで、一人住まいのために、心細い毎日を過ごしていたという。

 

確かに、コロナ禍によって、失われた日常生活は数知れないほどある。

彼女に限らず、私も「憎きコロナめ」と叫びたくなる時は数知れず。

 

私は、リハビリと気分転換に外の空気を吸うために、退院後は、真面目に散歩を続けていた。

 

長引くコロナとの付き合いに疲れ、天候のせいにして休みたくなったり、同じように、必ず、コツコツと、毎日続けていた生活のリズムを崩したので、お返しが来た。

 

彼女と状態は異なるが、私の場合は、怠慢のせいと思ったのだが、散歩の途中であった友人から、気になる一言「足元がふらついている」と。

 

年齢的な問題と片付けばよいが、来週、診察を受けることにした。

2021年

7月

16日

子ども達の底力

未だ、体調の方は本調子に戻らず、薬は話せない状態である。

然し、熱もなく、いよいよ、関東、甲信東北地方が梅雨明けの宣言が出され、やっと、どっちつかずのはっきりしない天気から解放された。

 

どうも、様子見という中途半端というか、待つことが苦手な私は、やっとこれで、「夏本番」という自覚が芽生え、動く気力が出てきた。

 

早速、日傘をさして、散歩に出かけた。

自宅の周辺には、5分から20分以内に4校の小学校がある。

 

夏休みを真近にした子ども達の声が聞きたくて、これまでの目標の一万歩の散歩を取り返すかのように、一校ずつを歩いた。

 

矢張り、子どもたちの声は、明るく弾んでいた。

その声を聴いているうちに、故郷の小学校の子ども達に会いたくなった。

私は、暫く、ふるさとの母校をはじめ、ご縁のある地域のブログをご無沙汰していた。

 

母校をはじめ、ふるさとの各学校の様子がブログを通して伝わってくる。

各学校によって、マスク越しだが、子ども達の何気ない仕草や、表情がそれぞれ異なって映った。

 

「こどもは正直」というが、不思議に各学校の姿が子ども達にも反映しているのである。

 

校長は学校の経営者、教頭は運営の立場に該当するとの説明を聞いたことがあるが、確かに、その通りで、子どもたちによって、学校の経営、運営等が見えてくるのである。

 

既に、「コロナ後」を見据えた意見がメディアで、各知識人から取りざたされているが、私は、一週間後の東京オリパラにおけるデルタ株の蔓延で将来を担う子ども達の明るく、元気な声と、笑顔が失われるような事態にならないように、願っている。

 

「子ども達の底力」を信じている。

 

2021年

7月

15日

夜空に星一つ輝く

以前にも同じ話題に触れたが、私のバイオリズムは一週間のうち、どうも

木曜日が気力が低下し、体力的に辛くなる。

 

今回もどうも、そのパターンにハマった様ではまったようで、唯、頭の中ではあれもこれもと、かなり回転しているようだが、行動に移せない時が続いている。

 

もう一つ、クーラーをかけて、転寝したことで、風邪の症状が出て、久しぶりに喉の痛みを覚え、薬を飲むことになった。

 

熱は出ないが、寒気がするので、窓を全開にして、クーラーを切り、内輪で仰ぎながら、ベッドで過ごす。

 

相変わらず、頭では、色々と思いめぐらしているのだが、起き上がる気力が湧かないのである。

 

これ迄だと、こんな状態のときは、散歩に出かける余力はあったのだが、

今回は、昨年の9月の術後以来、執刀医の先生や主治医の先生から、寧ろ

ブレーキがかかるほど、良く気力も体力もあったのにと、我ながら、情けなく想うも、嘆いても仕方ないことである。

 

恐らく、大気の不安定さや、気候病といわれる変化に、ついていけないというか、やはり小学校時代の通信簿の評価通りの、協調性に欠けていると

76歳になっても、変わらぬ体質に原因があると想うしかない。

 

確かに、今、急激なゲリラ雷雨の発生など、ついつい、内向き志向になって、散歩に出かけるのも、バックには、折り畳みの傘を、そして、日傘を持っての散歩はと思いとどまるのである。

 

そんなこんなわけで、休養するでもなく、唯々、過ごしてしまう。

今は、夕刻6時でも、明るいので、夕食の準備に気づかない時がある。

 

未だ、悔しいが、薬の力を借りなければいけない状態なので、夕食を済ませ、薬を飲み、そのまま夜の12時近くまで寝込んでしまった。

 

カーテンを閉じようとした時、夏の明るさを保った夜空に、久しぶりに、きらきらと明るく輝く星が一つ目に入った。

 

本当に、最近、夜空を見上げても、すっきりしなかった日が多かっただけに、とても気持ちが晴れやかになり、明日はきっと、いい日になる予感がしてきた。

 

人は、自然の中で生かされているというが、たった星一つにも、心の安らぎを感じた。

 

2021年

7月

14日

セピア色の葉書

7月から日本経済新聞の夕刊のコラム欄の「あすへの話題」が新しいメンバーになった。

 

13日の火曜日は、作家の山田詠美氏の担当で、「裏・川端三島対決」には

1968年に川端康成、三島由紀夫、伊藤整の三者による鼎談映像が、NHKで放送されたものである。

 

川端康成がノーベル賞受賞記念鼎談の言える映像に、筆者の夫がみつけた画面に、ある場面に気が付いたのであるが。

 

その発見については、省略させていただくとして、私には、筆者によれば

「人が良さそうで、、ちょっと地味な伊藤整が、自然と進行役になり」と

伊藤整に触れている箇所にある。

 

確か、私の文箱に生前伊藤整氏から、頂いた葉書があるはずと、記憶は

衰えず、確かにセピア色になった葉書がありました。

 

確か、伊藤整宅にお迎えに伺ったのですが、入れ違いになったことについて、丁寧な直筆の葉書に、恐縮したことを思いだした。

 

葉書の消印は「43 5.4」、昭和43年5月4日と、はっきり残っている。

 

今回改めて、検索してみると、翌年の昭和44年11月15日に亡くなったとあり、凡そ、1年半前は、体調を崩しているとは思えず、穏やかに対談を進めて下ったことを、懐かしく思いだした。

 

葉書は52年間の時を経て、すっかり、セピア色になってはいるが、私には

大切な編集者時代の思い出と共に、宝物である。

 

奇しくも、昨日から新暦の「お盆」であり、不思議な「縁」を感じた。

 

2021年

7月

13日

スイッチがオフに戻る

やっとスイッチがオンになっていた矢先に、昨夕の思いがけない騒ぎに、

体が疲労感に包まれてしまった。

 

健康には、常日頃から自信がないだけに、家族が支えているとはわかっているが、急変もあるかと、寝苦しいというか、寝付けない夜を過ごすことになった。

 

一旦、負のスパイラルに陥ると、更に輪をかけて続くものである。

ちょうど、これも朝のルーティンの一つである、血圧計の計測中に、友人から、昨晩は無事に治まっていたと、連絡が入り、声からも安心した状況が分かる。

 

然し、私は、逆に、タイミングを外したせいか、不安定な数値が一向に

改善しなくなった。

 

つまり、私の血圧は精神的なもので、緊張によって左右されやすく、過過敏性の血圧である。

 

睡眠が浅いことも原因になる可能性があるのが、私の血圧の性格である。

落ち着かせようと想うが、朝型の私は、なぜか、血圧を計測中に色々と、思いつくことが多いというという曲者である。

 

折角、今年は4度目の緊急事態宣言から、いかに今後の生活スタイルを考えて、昨年のような、友人たちに心配をかけるような、後ろ向きの考えには

ならないようにと想っていただけに、残念至極である。

 

九州北部、中国梅雨明けの発表に、私も早く梅雨明けをしたいと願うばかりである。

2021年

7月

12日

4度目の緊急事態宣言

昨日のゲリラ雷雨で、見違えるように清々しい青空の朝を迎えた。

然し、東京は、今日から来月の22日まで、緊急事態宣言が始まった。

 

リバウンドを重ね重ね、4回目である今回は、東京オリパラを控えているが、何とも高揚感が感じられない。

 

先日も、病院で、前回の1964年の東京オリンピックを知らないというか、

見たことがないと、ドクターをはじめとして、医療者も、同じ返事が返ってくる現実に、私は、自分の歳を改めて感じるのであった。

 

さて、緊急事態宣言の毎日を予定通りに、スイッチをオンにして、始めるとしようと想うだけで、私は、不思議に緊張感を覚える。

 

凡そ、2か月近く続いた問題も、相手が先に動いたことで、理解できた。

「天の配剤」というか、私が関わることもなく終わりに至ったのである。

 

これで、今朝の青空のように、爽やかにスタートしたいと、反対側の空を見上げた処、薄曇りの空が広がっている。

 

昔から「夕立三日」というが、一方の空には、いつ、昨夕のような天候になっても不思議ではないという不安定さがある。

 

午前中は、大丈夫と、15分ほど、散歩をしながら、今日は、何から始めようかと蒸し暑さと闘いながら歩いた。

 

リハビリを一日休むと、また元に戻ってしまうというが、確かにスムースに足が動くから、暑さにも負けず、頑張ると決める。

 

午後の空を見ると、いつ雨が降り出しても不思議ではない、不安を感じ、安全のために、散歩は中止して、断捨離する資料の区分けをしていた時に友人からスマホに連絡がはいった。

 

珍しく、声の調子が尋常ではないのである。

友人にとっては、家族の一人が、体調を崩し、状況の改善が見られなければ、救急車を手配しなければと、心配と不安に満ちた声が伝わってくる。

 

友人にとっての「緊急事態」が発生し、とにかく私に来てほしいと。

何もできないが、私は病気の経験が多いので、少しでも役に立つ場があるかもしれないと、ぽつぽつと小粒の雨を感じながら、友人宅に急いだ。

 

とにかく、近所のかかりつけ医からの投薬を飲んで、様子を見てからとの

本人の気持ちを尊重して、案じながらもとりあえず自宅に戻った。

 

数分前に、薬が効いたのか、一時の状態が改善したようだとの連絡があり

安堵すると共に、回復してほしいと願いながら、ブログを書いている。

2021年

7月

11日

ゲリラ雷雨の音を聞きながら

さあ、今日から、目標の一万歩を再開しようと、階段の上り下りに始まり

外に出ると、じっとりと、湿気が多く感じられた。

 

その湿気が、歩いて居ると、体にまといつくようで、体重が増えてような錯覚を覚えながらも、やはり、散歩をすると、思わぬ気づきがある。

 

凡そ、80パーセント近く「デジタル終活」をしたが、昨今の温暖化により想像を絶する自然災害にいつ見舞われるかしれない。

 

確かにデジタル化による整理は、コンパクトで、良いと想う反面、電気の力に依存している。

 

と、すれば、電気が使えない状態になった時のことも考えておかねばならないのではと気づいたのである。

 

では、どうすべきか、USBスチックも役に立たないのである。

 

非常時の場合に、紙資料でも残しておくと、幾重にもセフティーネットで

ガードしておかなければいけないと想ったのである。

 

ちょうど、明日から、緊急事態宣言が始まるので、気に入ったノートにでも「直筆」で書き残しておくには、来月の22日まで時間ができるので、考えようによっては、好都合とも考えられないだろうか。

 

やっと、私は、本来の前向きで、スイッチが入ったようである。

 

散歩を兼ねて早速ノートを買いに行って、外に出ると、何となく、いやな風と、黒い雲の動きが早い。

 

もしかして、夕立かと、足早に帰る私を追いかけてくるように、雷鳴が聞こえ始めた。

 

16時過ぎ、東京を洗い流すように夕立なんて趣のあるものではなく、正に

南国のような猛烈なゲリラ雷雨になった。

 

出来れば、新型から変異型コロナウイルスまで、雷の威力と豪雨で洗い流してほしいと、願ったのである。

 

2021年

7月

10日

突然の猛暑日に変身

今日は、朝からギンギラギンの太陽に、昨日までの日々が信じられない。

 

今日が、「ウルトラマンの日」であると、エレベーターの「今日は何の日」で知った。

 

まさか、ウルトラマンが、お天気までウルトラ作戦を試みたとは思わないが、5分も歩くと、汗が噴き出してくるのである。

 

今日は、少し早いが、友人と「お墓参り」に出かける約束で、友人から、

開口一番「やはり、晴れ女ね」と。

 

既に、11時というのに墓石にお水をかけても、直ぐに乾くほどの厳しい日射しで、触ると、ホカホカである。

 

トカゲ迄、チョロチョロと、挨拶に出てくるほど、急激な猛暑に、色々と

報告したいこともあったが、申し訳ないが、早々に失礼をした。

 

そういえば、バックに扇子を入れておく季節になったなあと、暑がりの母親は、必ず、冬でもハンドバックに入れていたのを思いだした。

 

自宅に帰る前に、私も今後の猛暑を考えると、急に扇子が欲しくなり、寄り道して買い求め、母親と同じように、バックに納めた。

 

新しい扇子は、風も涼しく、使っていくうちに涼しさが衰えるのである。今日から、クーラーを冷房に切り替え、我が家の夏が始まったといえる。

 

最近、お天気がスッキリしない日が多く、目標の一万歩が達成できずに

いたせいか、階段の上り下りに恐怖感を覚えた。

 

お陰様で、暑さにもめげず、お墓参りで、目標を達成したのは良かったのだが、住環境のよくなった我が家で、睡魔に襲われ、気が付くと、既に

日暮れであった。

 

2021年

7月

09日

一匹の蚊と戦う

密閉を避けて、ほどんど、日中は窓を開放して解放している。

 

今の住まいに移って、ちょうど、10年になるが、コロナ禍で窓を開けている時間が長くなったせいか、初めて、一匹の蚊を天井にとまっているのを見つけた。

 

今日も、時間があれば、横になっていた。

嘗て、病気がちだった私は、一日中天井を見つめていた時代が多かった。

 

昨年の9月の入院の際も、天井を見つめていたが、それには、理由があり、

脳外科で、ちょうど、左側の頭から左の耳の近くにある髄膜腫を取り除いたために、上向きか、右下しか体位の移動ができなかったからである。

 

最近の病院は、天井もカラフルで、白い無機質ではないので、発見はなかったが、自宅は、淡いホワイトベージュなので、天井にとまっている一匹の蚊を見つけたのである。

 

刺されてなるものかと、やおら、内輪で天井から、追い払い、飛び去る方向を追いかけて、蚊は私の手の届くところにまで、追い詰めたのである。

 

チャンス来たると、思い切り、壁の蚊を平手で叩いたところ、見事にて、壁にペタンと死骸が残っていた。

 

76歳のお疲れ気味の私は、一匹の蚊との戦いに勝利したことを喜んでいたが、暫くして、壁に思い切り叩きつけた私の右手に、痛みを覚えた。

 

実は、今日は、ちょっと、いや~なことがあって、がっくりしていたその

想いも込められていたかもしれないのである。

2021年

7月

08日

疲労回復の日

昨日の主治医のアドバイス「何も考えないで、ポ~と過ごす時間が必要」今日は、のんびりと過ごそうと、朝から、ベッドと仲良しになる。

 

朝刊を取りにエレベーターで、今日は、「1994年、日本人で初めての女性宇宙飛行士として向井千秋さんがスペースシャトルで宇宙へ向けて飛び立った日」と、表示されている。

 

一瞬、向井千秋さんは、すごく心身ともに考えられないほどのパワーの持ち主なんだなあと、羨ましさを飛び越えて、言葉が見つからないでいた。

 

でも、私は私と、大人しく過ごすというか、唯々、うつらうつらしているだけである。

 

時々、起きて、入院中でのリハビリを思いだして、体を動かしては、また

ベッドに戻って、休むという繰り返しを数回続けた。

 

やがて、夕食の準備をしなければと起きたが、昼食の後片付けを忘れていたということは、まだ、体力の回復には、少し時間が掛かる様だ。

 

確かに、気力がわかないのである。

スイッチを見つけるまで、まあ、少し、休もうっと。

2021年

7月

07日

宇宙でのランデブー

今日は、診察日なので、いつもより、早く目が覚めたら、ラジオで今日は

1988年無人宇宙船の「ひこぼし」と「おりひめ」がドッキングに成功した日だと流れた。

 

思わず、気持ちが晴れやかになるも、空はどんよりと重苦しいままだが、

これまでの記憶で、「七夕」になかなか、「彦星と織姫」が逢えたなと

思う日は少なく、例え技術試験衛星の無人宇宙機同士でも、嬉しく、笑顔を久しぶりに取り戻す。

 

更に、いつもの朝のルーティンである新聞を開くと、もう一つ、笑顔というか、思いがけない記事が目に入った。

 

日本経済新聞の朝刊に、連載8回になる「装丁の美 十選」を毎日、楽しみにしているが、今日7日は佐野繁次郎の装丁作品が掲載されていた。

 

嘗て、編集部に在籍していた頃に、「銀座百点」の表紙を、確か、創刊号から特徴のある「銀座百点」の手書き文字といい、絵画というよりコラージュ的な雰囲気をあり、毎号楽しみにしていた記憶が蘇り、これまた、懐かしく、私の心を和ませてくれた。

 

小雨が降って、僅か、数分病院まで歩くが、何となくしっとりと洋服が

濡れている。

 

さて、主治医とは、20年近く、私を診察しているので、診察室に入るや

マスク越しの私から、素早く、声の調子、動作振る舞い、気づかない表情からも察知するのである。

 

お陰様で、案じていたデータは数値として出てこないのであるが、いつものパワフルさがなく、ずいぶん精神的に疲労感があると、しっかりと私の

気持ちを聴き、アドバイスは一言で終わる。

 

コロナワクチン接種を済ませていても、今後、東京は緊急事態宣言の下で不要不急の外出を控えるという、長い自助生活が待っている。

 

診療を終えて帰る時、小雨はやみ、青空が広がっていた。

 

2021年

7月

06日

希望と夢

依然として、東京ではコロナ禍が増加傾向にある中、東京オリパラは間違いなく、どのような状況でも開催される。

 

今、私自身が、2か月ほど、「火の粉」を被っているせいか、何とかして、本来のバランス感覚を取り戻したいと思っている。

 

ふと、オリパラをめざして努力しているアスリートたちは、「希望」とか

長年の「夢」の実現のために、想像以上のメンタル力に尊敬の念以外の

何物もないと。

 

処で、「希望」と「夢」についての想いが過った私は、いつもの愛用している辞書で、調べてみた。

 

「希望」は願い望むこと、「夢」ははかないさまや、容易に実現できないことに使う言葉とある。

 

つまり、アスリートたちは、中々容易に実現できない「夢」に、「希望」を以って突き進み、自分自身と闘っていることではないでしょうか。

 

そうしてみると、私は、今回のメンタルな痛みには、私の思い込みが嵩じて、勝手に「希望」しているのではないだろうかと、たどり着いた。

 

恐らく、相手は、私の想いほどの重要事項ではないと思っているのでは。

因って、私自身が、「希望」を諦めれば、済むことではないだろうか。

 

これ以上は、明日の月に一度の主治医の診察に任せることとしよう。

2021年

7月

05日

メールされどメール

季節の変わり目であるゆえに、梅雨特有の湿気の多い不快感に体が対応しなく、バラランスが崩れつつある。

 

遡ること、5月初旬のあるメールに原因のひとつはある。

ついつい、前後の事情が理解できないままに、どんどん、私の中でのそのメールの存在が、大きさを増していったのである。

 

このあたりが、対面であれば、表情を汲み取ることもできるが、残念ながら、メールから、相手の気持ちを汲み取るのは難しい。

 

故に、私の立場としては、メールからくみ取れる内容を、各メディアを使って情報収集するも、相手の伝えたい部分には到達しない。

 

この情報収集にも、それによって迷惑をかけてはいけないと想うと、私なりに、想像とか、推察の枠で止まってしまうのである。

 

然し、もう少し、もう少しと、その後も続くメールに介入をしていくうちに、私はバランスを崩す結果に落ちいったのである。

 

もう、介入の限界であると、今日を限りにやめようと決意したが、既に、

体調にシグナルが点滅していた。

 

ただ、私に自分の気持ちを話したかっただけではと、気づいたときには

既に遅しであった。

 

つまり、メールされどメール、メールを甘受できないものもあり得る。

受け取り方にも、今後、注意しなければと想った次第である。

2021年

7月

04日

独立について考えてみる

今日は、アメリカがイギリスからの独立を宣言した日であるのは、多くの人が周知している。

 

実は、昨日3日のブログの「ソフトクリーム」と「アメリカの独立記念日」の関係を、検索中に見つけたのである。

 

4日のアメリカ独立記念日を祝うカーニバルで、初めて1951年に、日本でコーンスタイルのソフトクリームが販売されたそうだ。

その1951年9月に、百貨店で販売されたそうだ。

 

後に、日本ソフトクリーム協議会が、1990年に昨日、3日を「ソフトクリームの日」に制定したと記載されていた。

 

1951年といえば、昭和26年で、私が、ちょうど、小学校に入学した年で

その頃から、父親は隣接する広島県の福山に出張をしていた。

 

確か、その福山に「明治屋」というレストランがあり、私はそこで、「ミルクセーキ」を、これまた、初めて口にしたのである。

 

もしかしたら、父親はその頃に「ソフトクリーム」を知ったのではないだろうかなどと、思いめぐらしていた。

 

まさか、アメリカ独立記念日と「ソフトクリーム」が繋がっていたとは。

 

美味しいものを食べされてくれた父親は、1975年に旅立ち、その2年後に母親も父のもとに旅立ったのである。

 

それからの私は、ある意味で、両親から、独立した形といえる。

改めて、いつもの愛用の辞書によれば、「独立」とは、ひとり立ち。一家を構えて生計を立てることとある。

 

確かにその頃は、社会人として親の世話にはならずに、経済的には独立していたが、果たして精神的には、まだまだ、子どもであったように思う。

 

全て自分で責任を持って、生きていかなければならず、そのあたりは、

両親の生前の時から、ゴルフをしていたことが、大いに精神的に強くなれたと想っている。

 

なぜ、ゴルフかといえば、父親は若いころ、貿易関係の会社で、ゴルフボールを知り、休日の日に触っていたことがあると、私が大学のゴルフ部に

入りたいといった時、一番に賛成してくれたのである。

 

とにかく、ゴルフは、自分の打ったボールがどこに飛んでも、誰のせいでもなく、自分の責任であるということを学んだのである。

 

更に辞書には、今は影が薄くなった言葉かと思うが、「独立独歩」について、独立して、自分の信ずる通りに行うこととある。

 

果たして、私は胸を張って、「独立独歩」といえるだろうかと、改めて考えると、最近は、自分の信じる道を時にして見失ってしまう。

 

その時に、もう歳だからと、都合よく年齢を理由に、或いは体力的にといった具合に、直ぐに逃げてしまう弱さを認め、反省する日になった。

 

梅雨特有の鬱陶しい中で、あえて、自分に「独立」といったテーマで、考えてみるのも良いのではないだろうかと、想った。

 

2021年

7月

03日

ソフトクリーム

今朝のエレベーターに乗ると、今日は「ソフトクリームの日」とある。

 

そういえば、初めてソフトクリームを口にしたのは、小学校の5年生だったと記憶している。

 

夏休みに、苦虫をかみつぶしたような父親と、東京の出張に、東京に住んでいた母親の勧めもあり、東京に一緒に行くことになったのである。

 

当時は今と違い、岡山駅から、夜行列車に乗り、いわゆる車中泊をしながら、東京駅には、朝に着くといった今では、考えられない長旅であったがよくぞ、体力が持ち堪えたと思っている。

 

その夜行列車に乗る前に、駅弁を販売している「三好野」が、駅の構内にレストランがあり、私の前に白い渦巻き状今にものこぼれそうな柔らかいクリームが、三角の最中の皮のようなうえに乗っかっている。

 

父親は、私が初めて見るソフトクリームに驚いて、どうやっていいのか

分からずいると、「早う食べんと、溶けるけえ、ペロペロと上から舐めるんじゃ」と、何と、食べ方をレクチャーしてくれた。

 

父親は以前食べて、美味しかったので、私に食べさせたかったらしい。

 

自分は、何も注文せずに、私が、ペロペロと脇目も振らずに舐めているのを、最後まで、付き合って、最中らしいのはコーンというそうだが、それも香ばしく、「それもみんな食べられるけえ」といって、これまた、嬉しそうに見ているのである。

 

日頃、気難しく笑顔など見せたことのない父親が、なぜか、先ずは自分が食べて美味しいと思ったものを、私にも体験させてくれたのである。

 

「うまかったか?」と一言聞いてきた。私がうなずくと、満足げに「ソフトクリーム」と名前もその時分かったのである。

 

そして、夜行列車に乗ったのである。その時の夜行列車が鳥の名前だったが、思いだそうと想うが、残念ながら、「つばめ」か「かもめ」だったように思うのだが。

 

リズミカルともとれる列車の揺れが、適度の眠りに誘われ、気が付くと、

既に、車窓は明るくなっていた。

 

やがて、熱海の駅に着くと、父親が、タオルと歯磨きを持って、フォームに降りるように促した。

フォームでは、流し台のようなところで、歯を磨いたり、顔を洗っている風景に、私は驚いていると、熱海駅で、東京駅に着くまでに、多くの人が身づくろいすることが分かった。

 

ちょっと、私には、流し台が高すぎるので、蛇口に手が届かないでいると、父親が、抱きかかえてくれたのである。

 

改めて、父親らしい気遣いに、とても嬉しく思った。

父親は、出張先では、自宅で仕事をしている時とは、全く違った行動をするのが、どうして、普段はしてくれないのだろうと、今でもわからない。

 

然し、本当に、父親には私は色々と、教えてもらったなあと、これが父親の私に対する愛情なのかなと、思っている。

 

2021年

7月

02日

半夏雨が降りしきる

今日は、ちょうど1年の折り返し地点ともいわれる「半夏生」である。

 

「半夏生」というと、葉が不思議に白か少しベージと緑の艶やかに色分けされ、私は、何とも、すっきりとする趣があると気に入っている。

 

沖縄では「梅雨明け宣言」となったが、いわば、これからが、梅雨前線の北上で、日本列島は寧ろ本格的な梅雨期に入るといえる。

 

正に、その通りに、関東地方は、梅雨明け前の特有の大雨の地域になってしまった。

 

天気予報士の解説で、72候でもあり、私たちに馴染みの節句、彼岸、八十八夜、入梅、土用などと、寧ろ「雑節」の方が、日常生活との関りが多いその雑節の一つが「半夏生」といわれている。

 

その梅雨期に降る雨は、大雨になることが多いことから、農作業の田植えも終える目安といわれているそうだ。

 

自宅から歩いて5分ほどのところに、「半夏生」で階段を沿うように立派な

大きな葉の「半夏生」を思い出し、雨の小ぶりを見計らって、出かけた。

 

艶やかな、緑と白に分かれた葉から、雨による水滴が滑らかに滑り落ちていく風景を暫く立ち止まって魅入っていた。

 

コロナ禍のなかで、自然は、季節を弁えている謙虚さな姿に、自分の浅ましさを感じた。

 

西日本では、「半夏雨」の時の洪水を「半夏水」というそうだが、それも

趣があると思いながらも、2018年の西日本豪雨によって、「晴れのくに」

である倉敷の真備地区の水害が、蘇ってくる。

 

感染が収まらないコロナ禍と、梅雨末期の水害に油断は禁物であると改めて、残り一年の半分にあたり、考え深い日となった。

2021年

7月

01日

ワクチン効果に期待

文月のスタートは、前月までの雨とは異なり、これぞ、「梅雨」を認識するような、勢いよく雨が降り、「梅雨寒」の朝を迎えている。

 

「晴れ女」と自負しているのに、今日は、雨靴の登場になるかなと思っていたら、運よく雨が上がり、接種先の病院まで、軽やかな気持ちになる。

 

少し、早めについたので、ところで、「ワクチン」の語源はと、スマホで、検索すると、「ラテン語」であるとわかった。

 

ある病院の医療者から、待ち時間に対するクレームが少なくなってきたのは、スマホのお陰で、静かに、待っていてくれる方が多くなって、助かっているといった話を聞いたことがある。

 

正に、私も、嘗てiPadを持っている時は、つい、仕事に夢中になって、呼び出し番号に気が付かない時も数回あった時代も、今は懐かしい。

 

今朝、天気予報士が、昨年11月に、気象庁が、主な生物季節観測が、廃止になったという記事を今も、都会では見られないが、ふるさとに帰ると、

季節感を肌で感じる喜びがあった。

 

処が、確か、梅雨の花を代表する「紫陽花」について、改めて、生物季節観測の新しい仕組みにより、「紫陽花」が取り上げられたと聞いたように思い、待ち時間にスマホで、検索した。

 

「紫陽花」の開花日が、細やかにアップされているではありませんか。

なんでも、今後、調査員による国立環境研究所と、やはり市民参加型調査による環境省の三者で、省内のバリアフリー化になったのである。

 

昨年の気象庁の動物季節観測の廃止に、教育上も如何なものかと、大変、がっかりしていた私は、何か、2回目のコロナワクチン接種も終わったせいもあり、大好きな大輪の真っ白い紫陽花を見たいと、足を延ばした。

 

今年は、紫陽花の花が、早いなあと思っていたが、残念ながら、楽しみにしていた「白い紫陽花」は、一輪だけ、お疲れ気味にポツンと残っていただけである。

 

間もなく、諦めて自宅に向かう私を追いかけるように、ポツポツと雨が降り始めた。