2021年

12月

31日

good bye 2021

今、私は、2021年の手帳から、2022年の手帳のバトンタッチ、引継ぎをしている。

 

毎年、新しい手帳の最初のページは、丁寧に、字も揃って書き込んでいるが、日を重ねるにつれて、字は乱れ、書きなぐっている。

 

今、2021年の手帳も、まさにその通りで、今年は特に前期と後期の違いは

心身ともに格差が激しく、字にも正直に表れている。

 

今年最後の散歩の途中で、夕闇の深くなった空に、飛行機が赤とグリーンの点滅をしながら、上昇中である。

 

恐らく、先ほどの飛行機にもふるさとに帰る人達が利用していることだろうと、ふるさとに想いを馳せていた私は、冬休みに入ったので、諦め気味で、母校のブログを開いた。

 

ところが、母校のブログはアップされていたのである。

 

何と2学期の終業式は久しぶりに、全校児童が体育館で迎えたそうだ。

給食の紹介もアップされていて、嘗て私もごちそうになった「キムタクご飯」に、懐かしい大きな大きな「アタゴなし」のデザート付きです。

 

更に、「冬休みの校庭」と題した母校の数々の春を告げる菜の花や、イチゴ、元気に成長している小麦、ソラマメ等々と、限りなく多くの花や野菜が、「あさくちブルー」の陽光を浴びて、生き生きとしている。

 

担当の先生によれば、「冬は来るべき春に備えて、地面にしっかり根を張る大切な時期なのです」と。

 

新しい年を迎える前日、しかも、私は後半は心身ともに乱調気味だっただけに、来る2022年は、もう、同じスパイラルに陥らないようにと、心に誓っている。

 

その私に、母校の先生の「冬は春を迎えるために大切」という言葉に、私の冬は、次なる実りのために必要だったということだったと、改めて、想いを受け止めることが出来た。

 

2022年の手帳に予定を書きながら、どんな楽しいことが待っているのだろうかと、穏やかな「good bye 2021」の夜を過ごしている。

2021年

12月

30日

小晦日の青空

今朝は、ポストに新聞を取りに行く時、玄関を開けた途端、全身に冷気を

感じて、くしゃみを立て続けに2回してしまった。

 

ピーンと張りつめた空気の冷たさに、マスク越しでも敏感に感じ取ったようで、気を付けなければと思った。

 

新聞の紙面からも、昨年の自粛生活から、今年は新年を迎える情報が溢れているように感じた。

 

特に、各地の神社仏閣の初詣の案内に、懐かしさを覚えたのは、私だけだろうか。

 

紙面が、新年を迎えるにあたっての活気のあるようで、日本人にとっての

お正月は、世代を超えて、特別な存在感があるのだと。

 

私にとっては「クシャミ3回」でなく、1回でも、危ない体質なので、薬を飲んで、ベランダより、空を見ると、スカッとした青空に変わっていた。

 

厚手の上着に、マフラーをぐるぐる巻きにして、恐る恐る、陽だまりを選んで、午前と午後を兼ねた散歩に出かけた。

 

暫く歩いていると、寒くなり、スーパーに立ちよると、店内のお正月商品が所狭しと並んでいる。

 

これも、気のせいか、昨年に比べ、並んでいる食品の色彩が鮮やかに見え

気持ちが高揚してくる。

 

更に、年配の夫婦連れが多く、商品を手に取って、あれこれと品定めをしている光景に、微笑ましさと共に、如何に待ち遠しく思っていた年末特有の懐かしい華やぎが戻ってきている。

 

今日は、走っている車を少なく、マスク越しだが、空気も美味しく、また

ふるさとに負けない高く澄み切った青空に、寒さを忘れ、見上げていた。

2021年

12月

29日

長いトンネルを抜けると

今日29日は、ノーベル賞作家で知られる川端康成氏の有名な書き出しで始まる「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の上越線の清水トンネルが、貫通した日だそうだ。

 

1929年(昭和4年)で、トンネルの長さは9702mだと知った。

 

処で、昨年同様に今年も、冬将軍が強く、これまでに経験したことのない

ほどの、大雪が、日本中の各地で報道されている。

 

川端康成氏であれば、今年の豪雪に「トンネルを抜けると」どんな表現をするのだろうかと、想いつつ、嘗て、仕事で出かけた豪雪で知られる津南町の人たちが、お正月を前に案じられる。

 

ふるさとの岡山で、私は、雪の記憶はなく、むしろ、真っ白の霜の世界は

記憶にあるが、東京に来て、雪の体験をした。

 

今日の東京の日中は、二ケタ台の気温に、今年最後のエネルギーチャージに、点滴に病院に出かけたが、心なしか、風がないせいか、苦手の寒さを感じないでいた。

 

おかげで、私の「長いトンネル」は抜け出したようで、気持ちが前向きになっている嬉しさを感じた。

 

ついでに散歩をして帰る途中で、温かい蕎麦を食べたくなった。

年越し蕎麦には早いけれどもと、月見そばにして食した処、やはり冷え切っていた体が、じんわりと解れていくのが分かった。

 

これで、私は今年の「年越しそば」とした。

2021年

12月

28日

循環利用にびっくり

先日、資源回収を取り上げたが、今日の日本経済新聞の夕刊の一面の記事によれば、「廃棄米」や「服」から、再生紙にする活動が広がっている。

 

なんでも、名刺や和紙にも変身するそうだ。

企業でも、名刺交換の際に、再生紙を使用していますとのメッセージ付きの名刺は、早くから利用されていたが、賞味期限の切れた災害用備蓄米が

紙に変身するとは。

 

まだまだ、ペーパーレスと言いながらも、紙のお世話になっている場合が

多く、今度、配布された資料などに、もしかしたら、お米で再利用したのかなと、紙に対する想いが深まる。

 

私の年齢だと、米一粒も、無駄にしてはいけないと、農家の努力に対して

厳しく教育を受けた年齢だけに、とても、胸が熱くなる。

 

わが地区でも、牛乳パックを始めとする紙パック、古布、廃食油の回収を

しているが、次への再利用の可能性を知ると、ごみにも生命力が、まだ、

残されているように考えられる。

 

開発までの先行投資や、努力の積み重ねに、想いを馳せ、オミクロン株の

感染の広がりを案じるも、何か、明るい気持ちにさせてくれる。

 

相変わらず、私は年末も年始もなく、平日のマイペースを崩さないように

今年も「断捨離」を予定しているが、一寸、夕刊の記事で、「断捨離」と

いう表現に、再利用という第二の人生の可能性に気配りをして、整理しなければと、反省の気持ちを持っている。

2021年

12月

27日

午後の散歩をスルー

スーパーに散歩の途中で立ち寄ると、店内は新年の商品が溢れている。

 

お正月用品を手には取ってみるも、家族がいるわけでもない私は、申し訳ないが、日常生活に必要なものを購入して引き上げた。

 

両親が好きだった品物に無意識に手に取っているが、「嗚呼、そうか」と現実に戻る。

 

昨日の足のフリーズを用心して、もこもこで、歩きずらいが、我慢して

何とか、午前中の散歩のノルマは達した。

 

午後の散歩には、スカイツリーのライトアップの情報を参考にしながら、

勢いをつけて出かけるように心がけている。

 

今夜は確か、ゴールデンとの情報と記憶していたので、まだ、見たことがないライトアップを、楽しみに出かけようとしたが、気が進まない。

 

室内は温かいけれど、ベランダに出て、「おお、寒い」と。

 

昨日来の寒さに勝てず、またの機会にと、これまでのような拘りや意固地さが無くなっているのに気が付いた。

 

決して、心身ともに悔やまれた時は、決して無駄ではなく、自分に対して客観的にみるようになったと思うと、残り少ない日々になって、目には見えないが、僅かながら、成長に繋がってきたように想った。

2021年

12月

26日

一寸、図書館へ

東京も、超寒波の襲来の余波で、北風が強く、特にビル風には恐怖すら覚えるが、今朝も日課の散歩に出かけた。

 

僅か、15分ほどで、両足がフリーズしてしまった。

かがんで、足をマッサージしたり、軽く叩いたりして、もうこれは限界と

自宅に引き戻す。

 

もう一歩、もう一歩、頑張れと言い聞かせながら、何とか図書館まで、辿り着いた私は、自宅より、先ずは図書館に逃げ込んだ。

 

一息ついた私は、新刊書の欄に、目を移すと、嘗て、数冊の著書を読んだ懐かしい著者のピカピカの新刊書に早速、貸し出しの手続きをした。

 

普段は、貸出期間は2週間と決まっているが、司書の説明で、図書館のシステム入替えにより、27日から、来年の10日まで休刊しますので、ゆっくり利用してくださいと聞き、得をしたような気持になった。

 

図書によっては、日常の慌ただしさについ、読み切れない時があり、次の

利用者がなければ、もう一度だけ、2週間の延長が許される。

 

ほどんど、延長依頼をすることはなく、寧ろ、変更期限より早くに返却するのが常なのだが、今年後半は体調のせいか、読み切れない図書もあり、

来年にでもまた、改めて読みなおそうかと思っている数冊がある。

 

しかし、今年は久しぶりに、隣接する図書館で、多くの図書を利用した。

 

お陰様で、足のフリーズを回復し、新刊書を携えて自宅に帰った。

2021年

12月

25日

資源回収と脳内整理

昨日の雨の影響か、カーテンを開けた時の空は重苦しい曇り空だった。

 

その後、換気のために、ベランダの窓を開けた8時45分、曇り空を潜って

上昇気流の飛行機が視界に入った。

 

わが地区では、今年最後の資源回収の日であり、数日前から、心がけていた資源ごみを、よいしょっと縛り、ダストルームに持ち込む。

 

ダストルームには、各居住者の日常生活が読み取れる場でもある。

昨年より、クリスマスイヴに繋がるゴミが少ないということである。

 

別に覗き込んだわけではないが、スーパーの利用者のバスケットを見ると

日常生活の必需品が多く、クリスマスケーキが姿を消している。

 

予約制のせいかと思うが、嘗ての25日のクリスマスケーキは、店頭では、店員が必死に声掛けをしていた記憶が懐かしい。

 

話は戻るが、日本経済新聞の土曜版に、「年末は『ぼんやり』で脳内整理という、まさに私が、「ぼんやり」というテーマに万策尽きた時を過ごしていたので興味があった。。

 

記事によれば情報過多の時代においての「ぼんやり」という時間は、難しく、意識して過ごすこと言うヒントが記載されていた。

 

そのヒントから、私は、情報の取捨選択というか、必要としない情報には

思い切って、得意の「断捨離」をして、心身ともにスリム化することでは

ないだろうかと、気付いた次第である。

 

考えてみれば資源は「断捨離」によって、情報過多は脳内整理にも功を奏するわけだから、一石二鳥と、前向きに考えられる。

2021年

12月

24日

ふるさとからのサンタ

冷え込む朝を迎えているが、私には、お陰様で堪えず、明るい気持ちでの

朝を迎えている。

 

確かに、22日以降、自分に対しての風向きが変わったことを感じている。

 

そろそろ、年末・年始のご挨拶をと、郵政省には申し訳ないが、メールで

失礼している。

 

今年も、その時期を迎え、私はこれまでの「縁」に対しての、気持ちをメールに託してお送りしている。

 

今夜はクリスマスイヴであり、散歩の時間をずらし、宵闇迫った散歩をと

考えていたところ、思いがけない方からのメールに、思わず、「やった」という歓声を上げていた。

 

長年と言っても、凡そ4年近くであるが、私が拘っていたことに対しての

飛び上がるほどに嬉しいメールが届いたのである。

 

正に思いもかけないふるさとのサンタさんからのプレゼントである。

これまでの私の想いが通じたことに、素直に喜びを噛み締めていた。

 

どうやら、今季一番の寒波が到来しているとの報道ではあるが、どうやら

私は北風が去ったことを感じている。

 

実際に、暮れなずんだ夕刻の散歩の先に、スカイツリーが金属的な冷たさを帯びてはいるが、私は、その灯りに、昨年病室から眺めていた記憶が

蘇ってきた。

 

スカイツリーの灯りに支えられ、今日の私がある様に、2021年も終わりに近づく中で、もう一度、あの時の心身ともに強くあった自分に立ち戻るためにも、クリスマスイヴの散歩は、意味あるものにしたかった。

 

何よりも、ともすれば消えかけていたかもしれない2021年のクリスマスイヴに、未来に明かりを灯してくれたふるさとのサンタさんに、私は思いがけない、素晴らしいプレゼントを頂いたのである。

2021年

12月

23日

柚子の香り

昨日、楽しいひと時を過ごした友人が、「今日は冬至だから」と言って、

バックから、自宅のお庭で育った小さな柚子を頂いた。

 

早速、北風に冷え切った体を柚子湯で、浴室いっぱいに漂う柚子の香りに

昨晩、友人の細やかな心遣いに、涙が流れた。

 

頂いた柚子の一つを残した、柚子の香りが部屋中に、広がっている。

余韻を楽しむというか、今日も、幸せな気持ちが続くと思うと、これまでの苦しみが、嘘のように消え去っていく。

 

やっと、私は、昨日の友人とのひと時が、どれほど、私の長いストレスからの体調の回復に、功を奏してくれたことかと。

 

そんな気持ちが強く、一つだけ、柚子を残しておいたのである。

 

以前、ブログにも書いたが、柑橘系でもミカンの香りには、どうも幼児体験がフラッシュバックするせいか、ミカンの皮の匂いが苦手である。

 

私が母校に進学する前の3歳までは、隣町の磯の香りのする港町に疎開していたが、必ず、どこの庭にも、夏ミカンを植えていた。

 

後に、海風を避けるための防風林のような役目をしていたと知った。

 

果実は今の夏ミカンからは想像できないほどで、口が曲がるほど、すっぱくて、当時は塩をかけて、おやつにしていた記憶がある。

 

後に、母親がその夏ミカンの皮でマーマレードを作ってくれた。

不思議に夏ミカンに対する拒否反応はなく、懐かしい思い出である。

 

心にゆとりがない時こそ、自然の豊かな恵みで、人は元気を取り戻すことを、友人のお庭の心のこもった柚子に、久しぶりにふるさとの「姫ゆず」の香りと重なり、幸せな日を今日も過ごせる私がいる。

2021年

12月

22日

至福のひと時

かねてより、今回の心身ともに起因する「青天の霹靂」ともいえる出来事を、私は、自分の苦しさをブログに認めるしかなかった。

 

そのブログを読んだ友人が、私の身を案じて、ランチタイムに会いましょうというお誘いを頂いた。

 

人との縁は時間の問題ではなく、相手の気持ちを如何にくみ取るホスピタリティの精神である。

 

正に、彼女はさりげなく、お互いにお気に入りであり、懐かしい、嘗てのフランク・ロイドの設計によるホテルでの、時を経ること、4年後の再会に際し、彼女は、私に対して、心安らぐ場を設けてくれたのである。

 

彼女とは別に、私もよく利用していただけに、彼女の心遣いは傷ついた私の心には、嬉しく思ったか。

 

多くを語らずとも、理解あるというか、察してくれる心細やかな理解力に

全て私の気持ちを察してくれる。

 

まして、懐かしいホテルの味に、私はいつしか、これまで自分が心身ともに影響を及ぼすほどの苦しみが、徐々に消えていくのである。

 

彼女は、「もう、良い意味で、冷めているいうか、解決済みね」と。

 

私も、彼女に愉快でない話をする気持ちはなく、楽しくランチタイムをと

願っていた私の気持ちを見事に見抜き、「青天の霹靂」による私の精神的成長を察していたのである。

 

嘗て、慣れ親しんだ東銀座から、約束の日比谷のホテルまで、私は師走、冬至の銀座を往復歩いて、今年最高の至福のひと時を心行くまで、自分のために、変わりゆく銀座のまちではあるが楽しみたかった。

 

やっと、2021年の後半の様々な事情による蓄積疲労が「これでおしまい」になる予感感じた。

 

一寸、早いが2021年の年末を締めくくるに、素晴らしいひと時をプレゼントしてくれた友に感謝している。

2021年

12月

21日

6時24分・10時11分

これって、なあ~にと。

今日の午前中、思わず、スマホの示した時刻である。

 

先ず、いつものように朝刊を一階のポスト受けに、廊下を歩いている時で

偶然、夜明けの淡い空に、満月とも劣らない、まん丸い月が、ビルの間から、顔を覗かせていた時刻である。

 

まだ、輝きには勢いがあり、廊下に立ち止まって見入っていたのである。

 

朝食後、新聞を開くのが、長年のルーティンになっている。

 

もうかれこれ、銀座で美術の商いで独立以来、40数年、相棒のような存在の日本経済新聞の一面のコラム欄の「春秋」を先ず、目を通すのである。

 

今日の「春秋」によると、気鋭の歴史学者の与那覇潤氏の著書である「知性は死なない」に、「病は知性を奪わない」と取り上げている。

 

日を追って、半年近く心身ともにウロチョロした私に、「病は知性を奪わない」という表現に、自分を取り戻す強力な栄養剤として、受け止めた。

 

更に、「病気ないではけっして成立しなかったような、あたらしい自分の相貌が生まれていることに気づく」と、与那覇潤氏の希望の言葉が紹介されている。

 

何とも、言葉では言い尽くせない納得というか、満足感で、私は足取りも

軽く散歩に出て、信号を待つ間、見上げた空に、キラキラと銀翼を輝かせ

機首を上げた上昇中の飛行機が視界に入った。

 

その時刻が、後者の10時11分だった。

 

「月と飛行機と青空」は、今や私にとっては「倖せのラッキーシンボル」になりつつある。

 

この状態で、午後の散歩にも、弾みがつきそうだ。

2021年

12月

20日

雲一つない青空

昨夜の素晴らしいコールドムーンに魅せられ、少しづつ本来の自分を取り戻し、不思議に心が騒がない。

 

今年も残すところ、スリムになり、失礼を承知して、お世話になった方に

年末のメールを送信した。

 

いつものように、散歩に出かけて見上げた空は雲一つなく、澄み渡った空の何と美しいことだろうと、暫く立ち止まって見上げていた。

 

この青空のように、すっきりとした曇りのない健全な状態に回復しつつあり、ことさら、、今日の青空から、学ぶものがあるなあと想った。

 

昨年11月24日に、「アメブロ」に最後の気持ちをアップした記憶があるが、私には「青空」がリセットしてくれる役割を持っているようだ。

 

恐らくふるさとの岡山県は「晴れの国」と言われているが、更に、母校の

ある浅口市の空は、「あさくち ブルー」として何度も取り上げている。

 

その故郷で、病弱だった私に、両親は、いつも、背筋を伸ばして、空を見上げるようにと、言われて育った記憶が、未だにインプットされている。

 

先週末の土曜日18日は、1914年(大正3年)、東京駅の丸の内側の赤煉瓦の駅舎が完成した日だそうだ。

 

コロナの感染が収束したら、東京駅から新幹線に乗って、母校の運動場で思い切り、両手を広げて、ふるさとの空と、美味しい空気を胸いっぱいにと、願っている私だ。

2021年

12月

19日

ミレニアムムーン

今年2021年最後の満月を迎える。

 

ふるさとの広報誌の「星のたより」によれば、最小の満月とある。

一歩で、コールドムーンと言われ、数日の東京の冷え込みから、12月には

相応しいと想い、楽しみにしていた。

 

夕食を済ませ、転寝をしてしまい、慌てて、時計を見ると、19時5分を示している。

 

慌てて、ダウンを羽織り、外に出ると、見えました。

確かに気のせいか、小さく見えるが、澄み切った冬の夜空に、くっきりと

輝いている。

 

私は、これまでに毎月、満月を始め、月についてこのブログでも取り上げてきたが、今年最後の満月には、様々な想いが過った。

 

もう、この今年最後の月に、私はそっと、約束をした。

来年、3月になると、77歳という「喜寿」を迎えるが、まさに「喜び」の

歳である。

 

今年の高い授業料を無駄にしないように、むしろ、それを肥やしに成長というか、達観した年にしたいと、コールドムーンを見上げ、誓った。

 

昨日の自然を糧としている人からさりげない言葉に、医療者の言葉の数々に、コールドムーンと言われる、温かくもあり、澄み切った凛とした月に

私は寒さも忘れて見続けていた。

 

一寸、早いが、今年の体験が、新年には良い方向に行くような予感を感じ

スイッチが入りそうだ。

 

「もう、これでお終い、大丈夫」と。

2021年

12月

18日

笑顔を取り戻せた

長い長いトンネルを抜け出した朝の何と、スカッとしているだろうか。

凡そ、心身ともに、2021年の後半は、ひどい毎日が続き、私なりに、できる知識でもって、回復を試みた。

 

しかし、結局は、医療者を始め、多くの専門家の支え、自然との関わりを信頼している農家の方などの支えで、私は、久しぶりに自宅で、心身ともに清々しい朝を迎えた。

 

鏡を見ると、表情が穏やかになっている。

これまで、心を温かくしてくれる多くの方の言葉に、私は本当に自分を取り戻すことが出来た。

 

もちろん友人以外で、私を、案じてくれる人が、如何に多くいてくれたと知った私は、「もう、大丈夫」と、自分を取り戻すことが出来た。

 

恐らくその遠因には、取り上げれば数多くあるが、私にとっては、案じてくれた人たちには申し訳ないが、ある意味で、しっかりと現実を見極める力も得ることが出来た。

 

いざ、自分のことになると、こんなに弱い人間だったとは思わなかったが

早朝のメールで「気にしてないよ。そんなこともあるさ」といった内容に

ジーンと胸が熱くなった。

 

その後、友人から、「元気になったようだから、久しぶりに食事を」と、

夕刻、友人の手作りの夕食を美味しく頂いた。

 

もちろん、もう、憂い顔とはおさらばで、笑いが絶えない楽しいひと時を過ごした。

 

心の硬さは取れたが、まだ、喚起とマスクをつけた夕食ではあるが、心から、終始、笑顔を取り戻せた私は、素直に嬉しかった。

2021年

12月

17日

山茶花の赤い花に迎えられ

昨夜、次々と絶え間なく迫ってくる黒い雲にも負けずに、明るく輝き続けた月を、思い出しながら、天気予報通りの雨空だった。

 

今朝、ホテルをチェックアウトする時間は、今にも降り出しそうな鉛色の雲が覆いかぶさってくるような、重苦しさがあった。

 

しかし、何故か、私は天候にも左右されることなく、足取りも軽く、自宅に向かった。

 

僅か10分から15分しか離れていないが、お陰様で雨に合わず、「晴れ女」の力は失わないで残っていた。

 

自宅のあるマンションの植え込みの山茶花が、白からすっかり赤一色に変わり、足元は散り始めた赤い花の絨毯で敷き詰められている。

 

まさか、私の帰宅をレッドカーペットで迎えてくれたなんて思わないが、

「お帰りなさい」と、受け止める余裕に「もう、大丈夫」と想った。

 

今年も残すところ、2週間、考えてみると、長く続いた心身ともの痛みは

高い授業料を支払ったが、更にワンステップ成長するために、必要だったと、考え、これで良かったのだと。

 

両親から、いつも虚弱体質にも、必ず意味があるのだと、そして、人は、

「おでこ」をぶつけて痛い想いをして、初めて、気づくものだと。

 

懐かしく両親の言葉を思い出し、本当に何一つ、無駄なく、人は学び続けていくものだと、今回の経験を、今後に生かせるようにしたい。

 

天気予報によれば、今日の雨が今年最後の雨になると聞き、全てが今日の

雨で、洗い流してくれると思うと、雨が早く降らないかと、自分勝手で、

自己中心的な想いが、頭を擡げてきた。

 

さあ、これから、昼食の支度でもしようかな。

2021年

12月

16日

電話の持つ力

夕刻、自宅に帰り、「今日は電話創業の日」と知る。

1890年(明治23年)東京と横浜間で、日本初めての電話事業が開始されたとある。

 

兎角、私を含めて、メールで済ませ、肉声を聞く機会がほとんどなくなった時代である。

 

今回、私を案じた友人たちは、電話をかけて、声の調子で、「今日は調子が良さそうね」とか、「あれ、声に元気がないね」とか「声が擦れているけれど風邪、ひいてない、大丈夫」とかとか。

 

何時しか、私はいつしか、スマホや固定電話での肉声により、枯渇した心が和んでくる。

 

これまで、病気の方や、悩んでいる方に、電話で「聞く・聴く」といった体験をしてきたが、今は逆の立場で、本当にありがたく心強かった。

 

出来れば、相手の気持ちを察して、電話を介して、伝えることで、相手は

安心する効果が、電話にはある様に想う。

 

ついつい利便性になれ、PCやスマホに送信しておけばといった生活スタイルに慣れてしまっているが、今回、改めて、「電話の持つ力」についての

存在感を強く感じた。

 

ホテルに帰る途中で、間もなく満月を迎える月が、明日の空模様を予知するかのように、真っ黒い雲の隙間から、凛として輝きを失わずにいた。

 

さあ、今夜で、ホテルでの休養生活も「お終い」の予定である。

「ドクターX」の最終回でも見て、スカッとしよう。

2021年

12月

15日

安堵感による反動

今年後半の私の体調を案じ、ブログを読んだ友人たちが支えてくれたことホテルでの休養で、薄紙を剥ぐように、少しづつ、メンタル面でも、回復の兆しを感じながらも、すぐ、疲れてベッドに逃げ込んでしまう。

 

やはり、体力不足もあり、今日から点滴の力を借りることになった。

 

13日から今日15日までの、三大流星群の一つ「ふたご座流星群」の活動もピークと知り、心の中で、年内には解放されたいと願っていた。

 

星に願いが叶ったのか、気がかりの一つだった問題も片付き、ホットしたはずが、逆に、反動で、強い疲労感を覚えてしまったのである。

 

既に、長く続いている蓄積疲労に、精神的な休養だけでは済まなくなった

私は、主治医に相談し、点滴治療を希望し、開始したのである。

 

昔から、体力を消耗したり、回復が遅いときに、点滴治療という即効薬で

持ち堪えてきた私には「点滴信仰」とある友人に指摘されたことがある。

 

しかし、何と言われようと、「鼻っ柱の強い淺野マリ子」に、新しい年を迎えるまでにはとの、強い想いを持っていた。

 

本来であれば、牛歩の如くだが、明るさも見え始めているというのに、これが「限界」だったのである。

 

点滴終了後、ホテルで、久しぶりに心から、のんびりと過ごせる安心感を味わったのである。

 

念のため、明日までホテルで休養をして、笑顔でチェックアウトしたいと想っている。

2021年

12月

14日

「忠臣蔵の日」に思い出す

今日は「忠臣蔵の日」で、四十七士が主君であった浅野内匠頭の仇討ちをした日である。

 

別に、我が家は浅野家とは縁があるとは聞いていないが、父親の出身地である岡山県の現在は笠岡市大島町になっているが、当時の村民の殆どが、

「浅野」の姓で、郵便配達は、姓ではなく下の名前で届けていたそうだ。

 

高齢だった父親の希望で、別に命日ではなく、泉岳寺に行った記憶があるが、数本の線香の香りが、辺り一面に漂っていた。

 

コロナ禍で、帰郷が叶わず、母校の小学校のブログで、ふるさとに想いを馳せ、共有している生活が続いている。

 

ブログから「校外学習」や「体験学習」がアップされている。

 

現在の「校外学習」に該当すると思うのだが、赤穂(現在の赤穂市)には

塩を作る「塩田」があり、見学に行ったのである。

 

笹の細い枝に、海からくみ上げた海水を流し、天候に恵まれた土地柄から

その細い枝に塩分が乾燥して白く見える。

 

その枝の下には大きな受け皿があり、恐らく何度も同じ作業を繰り返すことで、細い枝に塩が付いてくるとの説明を受けた記憶がある。

 

その枝についた塩を、今度は、海岸の白い砂浜に広げ、更に乾燥させることで、塩分の濃度を上げていくのだと。

 

何しろ、60数年前の記憶を必死に蘇らせているのだが、不確かであると、

理解していただければと想っている。

 

ただ、記憶にしっかり残っているのは、太陽の光を浴びた「塩」の白さに

自然の恵みの素晴らしさに目を見張ったことだ。

2021年

12月

13日

銀座の銀杏並木

「8020」を目指しているわけではないが、瀬戸内で尾頭付きの小魚で

育った私は、病弱だが、「歯」は、非常に恵まれている。

 

最近は、健康問題に、口腔衛生も重要な関係性があると言われて久しい。

そのような次第で、3か月に一度は、歯肉炎、歯石、虫歯チェック、嚙み合わせ等々の診察に、嘗ての仕事の場であった銀座まで出かけている。

 

今回は、恐らく、体調不良が「歯」にも何らかの影響があると、気が重くスルーしたい気持ちでいる。

しかし、余計に、状態を悪化することもあると言い聞かせながら、ホテルのスタッフに「お気をつけて」と背中で受け止めながら。

 

銀座といっても、中央通りでなく、昭和通りにあるデンタルクリニックで

今は、黄色く色づいた銀杏の木が、背筋を伸ばしている。

 

既に道路は、銀杏のじゅうたんで、油性の葉は滑りやすいので、足元に気を付けながら、スカッと晴れた青空に、銀杏の葉の黄色とのコラボに、見上げてしまう。

 

見上げている私の顔に、色づいた一葉の葉が落ちた。

何かの縁と、拾い上げて、ティッシュに包んで、バックに入れた。

一瞬だが、マスク越しに、枯葉の匂いが届いた。

 

お陰様で、案じていた「歯」は、問題なく、唯、先生から一言。

「あまり、喰いしばらないでね」と。

さすが、先生、見事に見抜かれていました。

2021年

12月

12日

今日は「漢字の日」

最近、長年の蓄積疲労の回復のために、既に、何度か、ホテルを利用して何も考えないで、ぼんやり過ごすように心がけている。

 

ホテルと自宅とは位置的に近いので、必要品や忘れ物を取りに帰宅する。

 

足腰を鍛えるために、階段を利用しようかと思ったのだが、不思議に体調の状態によって、正直に足が拒否反応をするのである。

 

では、今日は安全のためにエレベータに乗り込んで、結構、愉しみにしている「今日は何の日」に目をやると、「漢字の日」とある。

 

そろそろ、この季節、一年を表す漢字が発表される日だと思い出す。

今年はどんな「一字」になるのだろうかと、思いながら、今夜も月が冬空にくっきりと輝いている。

 

ホテルで、もし、私にとっての「一字」はと、考えた。

「信頼」の「信」と、「待つ」の「待」の二つの候補が、思い浮かんだ。

 

どちらかに決めよと言われれば、「信」を選ぶが、「待」も捨てがたい。

 

拘りを捨てて、私はこの2候補を、今年の「漢字」というか、どちらも今の

私には、最も必要とする漢字である。

 

そう思いながら、「信」と「待」に、更に私は「忍耐」の「耐」も必要な意味合いを持つというか、欠落している部分である。

 

折角、のんびりするために、ホテルで休養、静養を目的としているのに、

これでは元の木阿弥であると気づき、私の「漢字の日」は「信・待・耐」

の三候補に決めた。

2021年

12月

11日

百円玉硬貨

相変わらず、精神的に眠れない日々が続き、一時「ラジオ深夜便」をBJM代わりにしなくても、穏やかな睡眠を確保していた。

 

しかし、残念ながら、すっかり、逆戻りをしてしまった。

 

音量を下げて、ラジオによって心の安定をしている状態であるが、「今日は何の日」で、今日は「百円玉の日と」、ぼんやりと聞き流していた。

 

その後、エレベータにも「百円玉記念日」とある。

1957年(昭和32年)、板垣退助の紙幣に変わり、百円玉が発行されたと

表示されている。

 

1957年(昭和32年)と言えば、私が岡山の母校の小学校を卒業した年だと

とても、紙幣から、硬貨が発行された縁に、不思議な想いを覚えた。

 

更に、1947年(昭和42年)に、材質が、白銅に変更されたと、ネットで

検索すると、これまた、私が大学を卒業した年に当たる。

 

コロナ禍で、感染を避けるために、硬貨や紙幣の使用体系が変わった。

嘗て、現役時代、ハンドバックが数分の間に盗難にあった私は、クレジットの使用に慎重になっていた。

 

まだ、解明途中のオクミクロン株の発症もあり、今後も、変異株の発生を食い止めるには、素人でもまだ、続く可能性があると判断した私は、遅まきながら、クレジット決済に戻った。

 

情報によれば、金融機関によれば、入金する際の硬貨使用にも、来年から変更になるとの情報に、コロナを機に、「ホスピタリティ」は死語となる時代になり、何処まで生活スタイルの変化が進むのか、更に、人の心にまで及ぶのかと想うと、とても侘しい気持ちになる。

 

硬貨一枚のわずかな重さと、材質の金属の冷たさがジーンと、堪えると共に、時代の流れと転換期に、耐えるしかないと想うと、心が冷え込む。

2021年

12月

10日

散歩が浄化作用

昨夜はホテルで休養できる筈が、目が冴えて一晩中テレビのスイッチを切ることなく、唯、唯、ぼんやりと見続けていた。

 

前夜セットしたモーニングコールのお世話になることなく、一睡もできず

朝を迎えた。

 

朝食が、家庭的な素材で、味も気取りがなく、いつも、一人で済ませている食事が、心の拠り所になり、部屋に持ち込みも可能で、私が、危なげに見えるのか、慣れた手つきで、スタッフが盛り付けてくれる。

 

自宅では、到底できない環境でテレビを見ながら、ゆっくりと食事をとり

のんびりとできる小さな至福の時である。

 

寝付けなかったけれども、休養が出来たと喜んでいた満足感が、チェックアウトの時刻が近づくにつれ、また、微かに心の動揺が生じてきた。

 

有り難いことに、このブログを読んだ友人たちが、これまでの私を知る限りでは、想像できない状況が私の中で起こっていると、心配してくれる。

 

その一人から、「浄化作用が必要ね」と、私は、即座に「今、毎日の散歩を続けることで持ち堪えているのよ」と、答えたものの、かなり、重症化していると、気づき、何とかしなければと思った。

 

自宅に帰るはずの私は、自宅とは反対の医療機関に向かって歩いていた。

 

さすが、適切なアドバイスを受け、もう、「自分で自分をケアする」なんて、自惚れも甚だしいと知った。

 

帰宅後、医療者の力で、年内から何とか、体力が回復するようにと願い、

来週、先ず、主治医の先生に相談する依頼をした。

 

嗚呼、これで、一歩前進できると想うと、夕刻の風の冷たさも気にならず散歩に出かけた。

 

今日も、冴え冴えとした上弦の月と、珍しく羽田に着陸待ちの飛行機が

ランプを点滅させながら、スカイツリーの上空を旋回している。

 

昨年の9月、術後、個室から真正面に見えるスカイツリーを、毎日、毎日

見て、色彩鮮やかに変化する灯りに、私はずいぶん助けられたのである。

 

よって、今夜も、「散歩が浄化作用」に繋がっている。

2021年

12月

09日

また、ホテルで休養

最近、心此処に在らずというか、加齢からくるのか、とにかく、集中力の衰えに、自分でも愕然とする。

 

そんな毎日が続いているので、今日の予定を思いつくままに書き込んでおくように心がけ、予定通りに完了したメモには、レ点チェックをしていると、強張った心身が少し、柔らかくなっていく。

 

今は、何とかして、年内にすっきりと解決できるものというか優先順位を

決めて、進めている。

 

昨日の夕刻に、まだまだと覚悟をしていた書類が一度に届き、わけもなく

今日の予定に弾みがついた。

 

メモの項目に順調に、完了済みのレ点チェックが増えてきた。

ところが、ところが、予定通りに進んだことによって、急に、また、また

一番、気がかりな問題が、浮上した。

 

折角、今日は心穏やかに過ごせると想っていた矢先、急に、私の心の中に

拡がってきたのである。

 

ドクドクと、動悸が聞こえてくる恐怖に襲われた。

 

嘗て、3年間も続いた心臓神経症がまた、発症したかとフラッシュバック

が過った私は、主治医のアドバイスに従う以外、救いが見つからない。

 

前回から、まだ10日弱で、また、ホテルでの休養を決めた。

 

すっかり、暗くなった夜空に、19日の満月前のスリムで、シャープな月が

寒空に冴え冴えと、明るく輝いている。

見上げた月に、思わず、笑みが湧いてきた。

 

今夜もゆっくりと、ホテルで、冷めきった心と体を温めるとしよう。

2021年

12月

08日

大寒小寒の雨の一日

昨日は、24節気の「大雪」を忘れて、近くで友人がグループ展をしているので、散歩がてら外に出ると、風が冷たく、慌てて、厚手のセーターに着替えて出直す。

 

友人の相変わらず、旺盛な創作意欲に頭が下がる。

 

全てが手縫いの作品で、伝統を重んじる友人は、今日は「針供養の日」、丁寧に日頃の相棒の幾種もの針を供養をすることと、想いを馳せる。

 

昨日より、気温も上がらず、昨夜からの冷たい雨もあり、今日は、自宅で今年一年、お世話になったり、支えて下さった方に、お礼の気持ちを準備しようと決め込んだ。

 

残り少なくなった今年の手帳から、リストアップし、取り寄せた数種のカタログを広げ、選んでいくのは楽しくもある。

 

嘗て、大学で「ボランティア実習講座」を務めている時に、相手に対して

「心を込めて」という向き合い方の持つ意義を、話してきた。

 

「心を込めて」ということは、「相手の気持ち、立場に立つこと」を意味しているということである。

 

例えば、自分にとって大切な方や、お付き合いしている人に対して、何を

プレゼント(提供)すれば、喜んでもらえるかと。

 

緊張気味の学生たちの表情が、和らいで、互いに笑顔になっている。

 

今、私は、外の降りやまない冷たい雨とは異なり、喜んで頂けるようにと「心を込め、相手の立場に立って」終日、カタログを広げて過ごす。

2021年

12月

07日

113系電車と蝦蛄

気の向くままにパソコンで、検索していたところ、毎日新聞の11月25日の記事によれば、JR山陽線が、1891年3月に、岡山県内に開通して、130年を記念して、特製のヘッドマークを一部の電車にとりつけた113系電車と

貨物の機関車が、今月12月から、来年の2022年2月まで走っている。

 

ヘッドマークには、桃太郎が描かれているのが分かる。

61年ぶりにふるさとに帰郷した際も、岡山駅から山陽線を利用した。

 

中学校と、高等学校1年までは、まだ、窓を開けると、ばい煙が入ってくるといった時代から、現在は、黄色の電車に変わり、車窓からの変わりゆく風景を、目で追いかけていた。

 

突然、話が変わるが、日本経済新聞の月曜日の夕刊に、発酵学者で、文筆家の小泉武夫氏による「食あれば楽あり」といった連載欄がある。

 

昨夕6日は、北海道小樽市の張碓の「秋シャコ」は、今が旬で、文面からも、その美味しさが伝わってくる。

 

「蝦蛄」と言えば、わがふるさとで、私も採れたての蝦蛄と格闘しながら

淡白なようで、しっかりした味に魅せられて、よく食した。

 

上京後、関東では縁がなく、お寿司屋さんで、蝦蛄を探すが、なかなか、

機会がなく、あの味を探していたところ、昨夕、北海道ではあるが、蝦蛄

が、小泉卓夫氏によって、私はふるさとの蝦蛄を思い出してしまった。

 

私は、早速検索してみると、瀬戸内の蝦蛄は、春から初夏、秋から初冬が旬と紹介されている。

 

出来れば、来年の2022年2月までに、帰郷すれば、113系のヘッドマークを付けた電車に乗り、蝦蛄を食することが叶うのではと、希望を持ちたいところだが。

 

今は、変異ウイルス株の「オミクロン株」の感染が広がらないことを願うばかりである。 

2021年

12月

06日

カーネーションの花が咲いた

昨夜から、一睡もしないまま、月曜日の朝を迎えた私は、カーテン越しに

ピンクの色に、慌ててカーテンを開く。

 

5月にふるさとの知人から頂いたカーネーションの鉢植えであった。

 

季節外れとは言え、私には何より嬉しく、きっと、このカーネーションが

苦しんでいる問題に対しての、一つの灯に想えた。

 

不思議と、盛りのカーネーションとは違うが、2輪のカーネーションの花に

私は、希望の光を見出した。

 

朝の気温も、低下しつつある中で、カーネーションを案じていたが、数日の朝の低温にめげずに、咲いているのです。

 

毎日、本来の平常心を失った私には、思わず抱き締めたくなるほど、力づけてくれた。

 

か細く咲いたピンクのカーネーションの鉢を抱え、私は涙を流していた。

こうして、自然は私を支えてくれていると想うと、何とかして、相手の

気持ちを痛いほど、察し、伝えたいと願っている。

 

しかし、今は「時間」しかないと考えているが、私以上に相手は耐えているとしか思えないだけに、人柄を信じているだけに、その心情が分かるのである。

 

自然界もこれまでと違った気候変動に起因するのか、変化が生じている。

 

その世界で生きている人間は、精神的に、思わぬ変化を生み出しているのではないだろうか。

 

また、日常を取り戻しつつある中で、オミクロン株なる変異株ウイルスにより、精神的にナーバスになっている中で、思わぬカーネーションの開花は、私の心に安らぎを齎してくれた素晴らしい特効薬である。

2021年

12月

05日

奥歯を噛み締めている

最近、奥歯を噛み締めている自分に気が付く。

 

知らず知らず、我慢しなければ、耐えなければという思いが、奥歯を噛み締める状況を作っているようだ。

 

リラックス、リラックスと言い聞かせているが、一向に改善の兆しはなく

思い出すと、マッサージを繰り返している。

 

そうすると、硬くなった筋肉が少しづつ、柔らかくなってくる。

 

夕刻、図書館にリクエストしていた図書の連絡があり、引き取りに行く。

 

美術の商いをしている時に、シンプルで、大胆でもあり、伸び伸びとした作品で、今年3月に亡くなられた美術家の篠田桃紅氏の「これでおしまい」である。

 

タイトルからも想像がつくように、実に、思い切りが良いというか、物事に対して、作品同様にスパッと捌いてしまうところに図書館からの連絡を

待ち遠しく思っていた。

 

精神的に落ち着きを失っている私にとっては、必要とされる図書である。

 

寝付けない私は、さっそく手に取り、時計の進むのも気にならず、読み続けたのである。

 

何時しか、奥歯を噛み締めていないことに気が付く。

 

そして、月曜日の朝を迎えた時、僅かであるが、蟠って澱のような気持の

重さが軽くなっていくのが分かった。

 

何としても、頭の隅から解放されない問題を、如何に乗り切るか、毎日、

思い巡らし続けている。

 

今、私は「これでおしまい」という一冊の図書に救いを求めている。

2021年

12月

04日

青空に裸木

気持ちの動揺が続いている不安定な精神状態の私は、背筋を伸ばし、青空を仰ぎながら、散歩をすることで、何とか、心の安定を保っている。

 

雲一つない素晴らしい青空のように、私は今後も上を向いて、しっかりと

自分でケアをしながら、自然の恵みを胸いっぱい頂きながら歩んでいる。

 

必ず立ち寄るコースに、都立高等学校の校庭にある「都天然記念物指定」

とある銀杏の巨木に、話しかけることが楽しみであった。

 

昨日までは、まだ、黄色く色づいた葉が幾分残っていたが、今日は、すっかり葉が落ち、根元から黄色の絨毯が広がって見える。

 

黄葉の美しさで、楽しませ、役目を終えたかのように見える、黒く逞しい枝は、青空に向かって、裸木になっても、威風堂々とした姿で、これまた力強い生命力を感じるのである。

 

暫く立ち止まって、歴史のある銀杏の巨木を見上げ続けていた。

 

黒く幾つもの枝を伸ばした裸木に、澄み切った青空とのコラボが素晴らしく、ともすれば、沈みがちな私に、元気を出して、背筋を伸ばして、これまでのように、自分らしさを取り戻して、上を向いて歩きなさいと。

 

来年、また、季節が来れば、緑色の葉を伸ばし、時が来れば、自然の絵の具が、黄色に染めてくれる時が巡り巡ってくるからとも、裸木の巨木は、

力強く、語り掛けてくるのだった。

 

青空はふるさとの「あさくち ブルー」を、今は裸木の巨木からは、母校の恩師を重ねあわせていた。

2021年

12月

03日

毅然とした女性

日本経済新聞には、月の初めから、一か月単位で各界で活躍している人の「私の履歴書」という連載がある。

 

連載の最後には、次回の連載者が記載されており、今月は、日本ユニセフ

協会会長の赤松良子氏である。

 

先ず、思い出したのは、氏のお父様の赤松麟作氏による「夜汽車」という絵画である。

 

東京藝術大学大学美術館に所蔵されている作品で、印象に残った作品で、代表作と知る。

 

赤松良子氏から、赤松麟作氏の登場を楽しみにしていたところ、確か、2回目だと思ったが、さらりと記述していた。

 

しかし、見覚えのある「良子」という作品が掲載され、懐かしかった。

美術の仕事をしている時代に、記憶している作品で、検索をすると、赤松隣作氏は、岡山県津山市の出身で、その後大阪に転居し、赤松良子氏は大阪市の出身である。

 

更に、氏の作品は、岡山県立美術館、倉敷市立美術館に、更に絶筆「海」も岡山県立美術館に所蔵されていると、知ったのである。

 

帰郷を兼ねて、ふるさとの岡山県立美術館、倉敷市立美術館で、所蔵作品を鑑賞したいと想っている。

 

赤松良子氏に対して、何となく近親感を覚えるとともに、現在の女性の地位向上の基礎を築いた、毅然とした生き方に今後の展開が楽しみである。

2021年

12月

02日

救いに繋がる

ホテルで静養したことで、寝不足勝ちも解消した余波が出てしまった。

 

眠気を催さず、頭も冴え冴えとして、思い出さないようにしている雑念が

次から次に押し寄せてくる。

 

何のためにホテルで休養したのかと、残念に思うが、寝付けず、「ラジオの深夜便」も、気楽に聞く気が起こらない。

 

どうやらすっかり、心身ともに、ホテルでの休養前の状態に、逆戻りしたようだ。

 

日中、読み始めた「心はどこへ消えた?」を手に取った。

とうとう、一晩で読破してしまった。

 

あとがきに「誰かの役に立つならば」とあるが、確かに、私にも思い当たるというか、いくつかのヒントがあった。

 

涙について、3種類の涙があるという。

一つはタマネギによる涙、二つ目は泣ける涙、三つ目は個人的な涙があると、そのうち、三番目の個人的涙は、自分にしかわからない、自分だけの

悲しみに触れたときに流れると分析している。

 

その個人的涙は、自分だけの物語だから、「プライベートな場所にひっそりとおいて置くのがいい」と結んでいる。

確かにその通りと、納得するも、時間がかかるだろうなと思った。

 

コロナ禍で、帰郷が叶わない日々が続き、毎月、ふるさとの広報誌の発行を楽しみにしている。

 

「広報 あさくち」の12月号に、12月4日から10日までの人権週間に当たり、ふるさとの浅口市内の小学校6年生と、中学2年生、人権啓発標語の優秀作品が毎年、掲載されている。

 

わが、母校の後輩は『「大丈夫」相手を救える魔法の言葉』に、私は心が

熱くなり、元気をもらった。

「大丈夫」と相手に歩み寄る表現と、「大丈夫ですか」と問いかける言葉との違いを、私は嘗て、大学の講義で説明をした言葉である。

 

後輩の「大丈夫」は、相手を安心させる心強い意味を持っている。

 

母校の後輩から、凡そ、半世紀以上の年上の湿りがちな先輩は励まされちゃいました。

2021年

12月

01日

師走が始まった

昨夜、東京は発達した低気圧で、深夜から大雨との警戒予報が出ていた。

 

昨日に続き、今朝も目冷まし時計に起こされるまで、激しい雨音にも気づかず、ぐっすり寝込んでしまった。

 

玄関を開けると、通路側にこれまでで初めて見る雨の量に驚いた。

新聞受けまで、びしょびしょに濡れている廊下を歩きながら、すっきりと

洗い流してくれたと、高揚感を覚えた。

 

さてさて、今日からスイッチを入れて、何から始めようかと思いつくままにメモに書き出してみると、意外や、意外、想像を超える材料がたくさんある。

 

折角、心身ともに回復した状態を保つために、無理や焦りや雑念に捉われず、体調と折り合いながら、進めようと、慎重な考えに落ち着いた。

 

昨日、図書館にリクエストしていた図書が届いたメールを思い出し、先ずはお隣の図書館に、出かける。

 

司書の人から、「久しぶりですね。最近、学習室で見かけないので」と。

「そうなの。ちょっと、ご無沙汰してるのよ。また、伺いますから宜しくね」と、言葉を交わしながら、依頼していた図書を借りる。

 

週刊文春に連載された臨床心理士・公認心理士・教育学博士の東畑開人氏の「心はつらいよ」を改題、加筆修正し、今年の9月に、「心はどこに消えた?」として出版された図書である。

 

タイトルに興味を持ち、心理の図書を読むのも久しぶりなので、愉しみに

している。

 

天気が回復したので、日課の午前の散歩に出かける途中で、預金通帳の記帳に郵便局に立ち寄ると、「年賀状は、買われましたか」と、顔馴染みの職員から、呼び止められた。

 

「失礼を承知して、メールで済ませているの」と、首を竦める。

 

毎年、最小限の購入で済ませている私は、陳列されたある一つの年賀状に

目が留まった。

 

薄墨の丸みを帯びた筆文字で「笑顔花咲く一年になりますように」と書かれている。

 

私は、ほんわかとした温もりのある年賀状を、迷うことなく選んだ。

 

今、私は手元に置きながら、ブログを綴っているが、笑みが零れ、幸せな気持ちになってくる。

 

笑顔で、穏やかで、温かい、師走の日々が長く続くように願っている。