2021年

2月

28日

如月の終わりに想う

昨日の強い北風も、気のせいか、収まった感がするが、今朝早朝の気温は

低く、乾燥のせいか、珍しく喉の痛みを感じた。

オーバーワークになると、これまではすぐ喉の痛みを訴えていたが、不思議に昨年の9月の脳外科の手術以降は、薬のお世話にならずに来た。

 

然し、今朝の痛みには、寒気も伴ったので、用心のために、薬を飲んだ。

お陰様で、今は、こうしてパソコンに迎えるまでに回復した。。

 

あまり、振り返ることを好まない私の性分だが、如月の2月をなぜか、上旬、中旬、下旬と分けてみると、大体10日単位で目まぐるしく変化した。

 

初旬は病院通いから、中旬はドクターより、1週間ほどは安静に大人しく休養という次第である。

 

その休養が功を奏して、最後の下旬は、パソコン漬けの日々を過ごした。

2月中を目標としている予定を、是が非でも片付けねばと、自炊生活も

お休みして、頑張った結果、何とか、昨日をもって終了となった途端に

体からシグナルが徐々に出し始めた。

 

ところが、「太平の眠りを覚ます蒸気船」の如き、25日深夜に海外からのメールが届いた。

まだ、当時は高校生だと記憶しているが、将来は医学の道を目指しているマッチョでいながら、祖母を気遣う心優しい青年と病院ボランティア活動をした。

 

いよいよ、アメリカに留学するという最後の活動日に、2012年に刊行した拙著「笑顔の力」を、プレゼントしたその青年が、さすが、私のホームページまで、たどり着いて、メールを送ってきたのである。

 

凡そ、10年とまではいかないが、かなりの時が流れているが、私はその青年をすぐに思いだした。

色々と、留学先での詳細にわたるメールに、すっかり目が覚めたが、私を忘れずに、探した結果、たどり着いた行為に胸が熱くなった。

 

ちょうど、その日は母校の校長先生との約束の自称「卒業論文」を書き終えて、印刷会社さんとも打合せが終わり、ひとまず、達成感と疲労感が同居していたのである。

 

両者とも、拙著「笑顔の力」の「縁」に繋がっているという不思議な出来ごとである。

 

「如月」には「衣更着」、「気更来」、「生更木」という三つの説があると、病院ボランティアをしている時に、俳句を嗜んでいる入院患者様から

聞いた記憶がある。

 

検索してみると確かに三つの説があった。

まだ寒い日があり、重ね着をするも、日増しに春の陽気が近づき、やがて草木が若緑に色づく季節を迎える「月」が「如月」だと知った。

 

さて、弥生3月の声を聴くと、76歳になる私だが、この数日間の如月の充実感に元気を取り戻せそうだ。

 

明日は、術後6か月の定期検診に出かけるが、如月の前半の体調不良が残ってないことを願っているのだが、さてさて、どうなることでしょう。

2021年

2月

24日

75歳として最後の宿題

昨夜23日の21時過ぎに、母校の校長先生との約束である宿題を四苦八苦しながらも書き終えた。

嗚呼これで、ふるさとや母校に私なりに一区切りをつけたという想いと共に、一抹の寂しさもある。

 

然し、学校からまだコロナ禍における安全のために卒業式も、4月の入学式も限られた人たちで、コロナ前の平常な学校には戻る状態にはいたっていない現実がある。

 

さらに、3年近く卒業生の私を支えてくださった校長先生も、この3月をもって定年を迎え、セカンドステージへと。

 

振り返ると、75歳を迎えた時に予定していたことは、何一つ実現しなかった中で、残された一つだけの宿題を仕上げたたけで、とにかく76歳を迎えることができそうだ。

 

75歳という年は、私に限らず新型コロナウイルスで、これまで通りの

生活をチェンジしなければならなくなった。

 

私はコロナ禍で巣ごもりの生活のために母校での会議にも出席が叶わず、

まして、9月には、脳神経外科の手術をすることで、さらに、私生活が大きく変化した。

 

来月2日で術後半年になるのだが、私はまだ、半年しか経過していないとは思えないほど、パワフルに動いた。

それは、良性の髄膜腫といっても、いつ、また、元気になって脳内で活動すかはわからない存在である。

「寛解」とはそういう意味合いを持っている。

 

まして、残された道は、手術は無理で、ガンマーナイフしか残されていないと、あるいは、緩和ケア病棟で痛みを緩和するかの2つの道しか残されていない現実で、私はできるだけ、身辺整理をしようと思った。

 

不思議に、術後まもなくの方が、現在よりタフだった。

むしろ、今の方が体の切れが悪いというか、ある程度片付いたために、次の目標が思いつかないのかもしれない。

 

お陰様で、昨夜で75歳の最後の目標はクリアできた今日は、何となく

疲れを覚えているが、もう一度、最後のチェックをしようと思っている。

 

来月1日は脳神経外科の昨年末から3か月後を経ての診察日であるが、採血とMRIの検査で、スルーして、安心した76歳を迎えたいと願っているのだが、こればかりはわからないのである。

 

私にわかるような状態であれば、これは大変なことである。

 

 

2021年

2月

19日

見上げた青空に白い月

16日の入浴後、コロナ禍で母校との別れも近くなり、そろそろ約束の卒業論文を進めなくてはと、思い立ち、入浴後の温もりもあり、うっかり、薄着でいた。

 

以前のように、パソコンと同時に文字化出来たのが、今回は、なぜか、しゃっきと落としどころというか、納得しないものがある。

 

筆力が落ちたなあと嘆く前に、進めねばと、珍しくというより、恐らく初めて、思いつくままに書き出しているうちに、背筋に寒気を覚えた。

 

しまったと思った私は、慌てて、手元にあった風邪薬を飲み、電気毛布に慌ててもぐりこんだが、既に遅しであった。

 

幸いに、翌朝事なきを得たが、やはりその後の17、18日の両日は気力がなく、頭に霞がかかった状態でありながらも、無意識に文字化しているのだが、パソコンに向かう元気はなかった。

 

このままでは、予定通りに事が運ばないと、思い切って、狭い自宅に籠っているよりはと、午後の3時ごろ、散歩に出かけた。

 

空は、青く、ああ、東京もこんな澄み切った空があるのだと、思うにつけ、ふるさとの「あさくちブルー」を逆に思いだす。

見上げた空に、うっすらと、白い月が見えた。

 

そういえば、17日の夜9時半ごろに、友人から、細い三日月が西の空に綺麗とのメールが入ったが、私は、風邪薬により爆睡状態で、見逃した。

 

それから、2日後の月は、ちょっと、ふっくらとしていたが、青空に

昼間の白い月を見ているうちに、よーし、頑張って書くぞ~とスイッチが

入った。

 

一度、確かに入ったスイッチだったが、もう一度、最初から、出直そうと思い、目下、進行中である。

2021年

2月

15日

残すは唯一つ

やっと体調の回復の兆しを実感するまでに至った。

いよいよ、3月の75歳までに終了を目標にしている、母校への卒業論文の「笑顔の底力」の期日が迫り、のんびりしている時ではない。

 

言い訳をするわけではないが、順調だった体調が、思いがけない状況で、凡そ、一週間をベッドで過ごす時間が長くなってしまった。

 

回復と共に正直に、自然にスイッチが入る。

安静中も、頭から離れることなく、皮肉にも色々と構想が広がってくるのだが、起きてパソコンに向き合う気力は起こらないのである。

 

かつては一気に書き上げていたが、どこかで体調を考えるようにとの声なき声が聞こえてくる。

 

然し、校長先生との約束であり、母校への私なりの最終章を意図しているのである。

 

それは、ある意味で、「笑顔」の最終章ともいえる。

「力」から「底力」へ、どれだけ実りある展開になるかはわからないが、

とにかく、頑張るっきゃないか。

 

2021年

2月

09日

猛反省の日々が続く

2日からの私は、間もなく母校での学び直しができなかった無念さが、頭の隅から離れず、校長先生との約束である卒業論文と称している「笑顔の底力」について、考えている日々が多くなった。

 

書き出しが見つからず、きょろきょろ落ち着かない翌日、28年前に手術した古傷が気になり、精密検査を受けた。

少しでも、不安要素を取り除いて、最終章の約束である宿題に向き合いたかったからである。

 

ところが、9月の脳神経外科の手術は、虚弱体質の私には、かなりの負担となり、正直に体力的に反応を示したのである。

安心を得たいために検査を受けたのがいわば、逆目に出てしまった。

 

検査後のドクターの忠告がものの見事に、私の体調を見抜いていたかの如く、翌日の4日から倦怠感と、微熱により、再度診察を受けることに。

診察の結果は、入院は避けられたが、抗生物質で処置し、自宅で安静との

指導に、私は、確かに術後、「頑張らないで、頑張ってください」といわれていたその忠告のうち、「頑張る」方がウエイトが多かった。

 

それは、友人をはじめ、周囲から案じられるほどの自分でも不思議なほど

ハイパワーともいうべき勢いで、これまでの中途半端で済ませていた問題等々の懸念事項を凄まじい勢いで「頑張った」のである。

 

そのお返しが、まさに「倍返し」以上に、牙をむいたのである。

「しまった」と頭を垂れても、既に遅しである。

 

そして、食事、入浴、掃除の最低限を続けること、1週間後、抗生物質からも解放され、平熱に戻った。

 

まだ、まだ、自分の体調については、過信することなく慎重に生活スタイルをしなければいけないと、猛反省の1週間を過ごしたのである。

2021年

2月

02日

約束

今日2日で、昨年の9月の脳神経外科の手術後、5か月を迎える。

お陰様で、まだ、5か月しか経過していないのかと、思う程に日常の生活を取り戻している。

時々、傷口がチクチクと痛み、存在感を主張して、私に当時を思い出させるのである。

 

昨日、ふるさとの母校の校長先生のメールに、6年生の卒業まで、残すところ、30日とあった。

 

嗚呼、残すところ、30日しかない日数に私は、校長先生に、かねてから、

母校の学び直しも2021年の春に旅立つ6年生と同じく、私も75歳を機に

卒業しますと伝えていた。

 

残念ながら、2020年の新学期からコロナ禍で、とうとう一度も母校に帰れないまま、学び直しもできなかった。

 

そもそも、2018年に母校のPTA70周年に、私の拙著「笑顔の力」による

縁で、私はすっかりふるさとのことは忘れていたが、校長先生の招きで

61年ぶりの故郷の良さを目覚めさせてくれたのである。

 

改めて、その母校で、病弱な小学校時代を過ごした私は、これを機にもう一度母校で、学び直そうと思っていた。

 

校長先生は「笑顔の力」から、さらに一歩踏み込んだ「笑顔の底力」を

期待していたのではないどうかと、気づいた私は、母校の卒業論文として

校長先生に、「笑顔の底力」をもって、卒業しますと約束をしたのだ。

 

その約束が、30日しか残されていないとわかり、些か、焦りと共に、久しぶりに緊張感もある。

 

振り返ってみると、母校とは「笑顔」に始まり、「笑顔」で締めくくるという次第である。

 

さてさて、校長先生から、「はなまる」をいただけるだろうか。