2020年

11月

30日

一日早い師走(私走)の始まり

前夜、明日が満月と思いながら見上げた空に、ほぼ満月といっても良いほどの冴え冴えと、くっきりと、明るい月に、ハット気が付いた。

 

どうも、私は、暫くの時間の経過を経て思いだすところがある。

先日の手術後、医療ボランティアをしている時に、何度も聞きなれた表現で「寛解」という言葉がある。

 

そういえば、私も「寛解」の身であった。

入院する前に、できるだけ必要とするものは、独り身の私は、準備したつもりでいた。

「ハット」気づいたのは、入院中、退院後に必要とされる重要と思うものを、銀行の貸金庫に預けていた。

 

気づいたら、スイッチが入ってしまった。

貸金庫を取り出して、久しぶりにゆっくり中身を点検して、我ながら驚いたのである。

日頃から「断捨離」「整理」をしているはずなのに、何と、収納庫に近い状態に、改めて、まだまだ、今後も見落としがあるに違いないと思った私は、来年の3月初旬で75歳を全うするまでに、後ろ向きの思考ではなく、

「整理」をしなければと痛感したのである。

 

さて、エンジンがかかってしまった途端に次から次にと見落としが、頭の中を駆け巡り始めた。

後悔しないためにも、やるっきゃないと決めて私に、エネルギーというか

体力が持続するとは思えないほどの、クリアで、まるで昨夜の月のように

冴え冴えとしてきた。

 

それならば、明日から師走だが、私には一日早く「師走」が来たのであって、それを「私走」として、楽しくとも捉えている。

2020年

11月

23日

来年の手帳を求める

今朝、はっと気が付いた。

今年は、手帳がない。

毎年、今頃が、長年使い慣れた手帳が届かないのである。

問い合わせると、今年は残念ながら、スルーとの返事に、私は、手帳も75歳を一区切りに、次年度の76歳からは、新しい手帳でスタートせよと。

 

あらゆる意味で、75歳を一区切りに、また、自分に対するターニングポイントというか「新しさ」を意図していると察した。

 

そうだ、今日は「勤労感謝の日」であり、まだ4が月ほどを残しているが、

75年間の勤労感謝を私にも十分資格があると思った私は、これまでの使い慣れた手帳に近い手帳を見つけた。

 

新しい2021年の手帳と共に、これまでのボールペンから、暫くペンケースに眠っていたパーカーのボールペンの芯も購入した。

 

先日のブログに書いた、ボールペンはまさに私の一品の一といえる。

新しい手帳と、久しぶりにかつての現役時代に活用したボールペンを求めての帰り道、きっと来年は、「新しい時代が始まる」といった予感というか、希望というか、楽しみが待っているように思えた。

 

そうなるように願いながら、まず、新しい手帳の書き始めは何になるだろうかとそれも、必要に応じて記載されるであろうと。

 

間もなく師走、昨年の暖冬と違い、今年は冬将軍が出番を待っているようだが、願わくば、笑顔になれる予定が記入されるように願っている。

 

2020年

11月

22日

白い山茶花から深紅の山茶花に

自宅のマンションの植え込みが、昨日まで白い山茶花が咲いていたが、今朝は深紅に近い山茶花が一輪、花弁を遠慮がちにつぼみを膨らませていた。

 

山茶花は私のこれまでの記憶によれば、白からピンクにそして赤い深紅に季節を追って彩りを変化させていた。

 

そういえば、今日は24節気の「小雪」だ。

本当に、これまでアメブロで「花とエスプリ」で、多くの花との出会いがあった。

 

その時に、いつも自然の営みを花が、日常生活に追われ、ゆとりを忘れがちな私に、季節感を真摯に知らせてくれたし、ずいぶん心を和ませてもらったのは、今となっては基調で、大切な存在であった。

 

いつもの散歩コースにある公園には、5本のプラタナスの大木がある。

風が吹くと、ハラハラとセピア色の葉が舞い降りてくる。

 

日当たりのよいベンチに腰掛けてプラタナスの枯れ葉を目で追っていたところ、どこからともなく、子どもたちが、舞い散るプラタナスの葉を拾って、仲間たちと落ち葉の大きさを比べている。

 

相手より小さいと、また、大木を見上げて落ちてくる枯れ葉を拾い、仲間と比べっこしている。

 

暫く、ふるさとの子どもたちの元気な声を聞く機会に恵まれない私は、いつしか、時のたつのも忘れて見とれていた。

 

やはり、何たって、子どもたちの明るく元気な声に、私は励まされる。

2020年

11月

19日

私の一品考

これまでにも私は、断捨離についてたびたび記載している。

遠慮のない友人などは、会えば、口を開けば、「今、断捨離をしているところ」といった返事が返ってくるという。

「もう、趣味の一つね、まだ断捨離するものがあるの」といわれる。

 

今回は、大変熱心な出張リサイクル業者からの勧誘電話に、つい、一度、損得は抜きにして、興味がわいた。

 

これまでに、慎重を期しているが、ふと、衝動買いをしたものが数点、手を通さないままで、ドレッサーに鎮座ましましている。

特に、今年、コロナ禍のストレス等で、珍しく買い込んでしまった。

 

今になって、見ると、どうして買ったのかしらと自分の行動を疑問視したくなるものもある。

 

まだ、経験は大学卒業して3年のキャリアだそうだが、一つ一つを丁寧に品定めして、説明もしてくれるといった丁寧な対応である。

 

お陰で私は、彼から多くの品物に対する知識を学んだ。

無駄ではなく、数点の成果があった。

望みどおりに、断捨離との比較や区別もわかり、わけも無くとてもスッキリした気持ちになった。

 

ふと、かつての大分県知事の平松守彦氏が、「一村一品運動」という言葉を思い出した。

今でいうところの「地域おこし運動」のパイオニア的発想である。

 

そうだ、今後は私は自分にとって一番お気に入りを必要に応じて一品に絞って、それを大切に使えば、今後、ものによっては断捨離をしなくても済むと思うと、一つ方の荷が下りた満足感があった。

 

これも、コロナ禍から始まり、9月の脳外科の手術から、人生のトリアージを学んだと思っている。

 

まだ、もう少し、気がかりな断捨離を抱えているので、ドクター曰く「頑張らないで頑張って」というフレーズが、脳裏よぎった。

2020年

11月

16日

落ち葉の絨毯を踏みしめながら

9月の術後、欠かさずに散歩を続けている。

 

そうだ、今日は、退院して2か月にあたる日である。

朝のニュースで、1947年に倉敷天文台で、本田實氏による「本田彗星」を知る。

 

やはり、出身地に縁のある地名に、いつものコースである自宅の前の公園で、澄み切った青空を見上げた。

 

公園から見上げた空は、すっきりと雲のないと白いハゲではいたような薄く白い雲とが二分化されている。

 

退院後の2か月後、季節も移ろい、自然はすっかり彩りを濃くしている。

そこで、空を見上げながら、気象庁の「生物季節観測」の記録が、おそらく地球もお疲れというか、全世界で懸念されている温暖化等々で、なかなかこれまでの記録としての変化が生じたとの記事に、何か、とても侘しい気持になった。

 

そういえば、確か、各地の地方気象台では、大気の変化による雲の変化等も機械化したというニュースが頭をよぎった。

 

アカネ雲、雷雲、初雪、雹、あられなどの「目視による季節観測」も

日本語の語彙から、いつしか遠い存在になるのだろうかと味気なくなるのだろうかと、がっかりした記憶が定かではないが思いだした。

 

自然の色に染まったセピア色の枯れ葉を見ながら、なぜか、小学校時代にみんなで唄った童謡を口ずさんでいた。

 

多くの美しい日本語で、季節の表情が生み出されている。

 

何となく、やはり、時代のなかで自然まで移り変わっていくのだと、想いを馳せた日となった。

 

そして、見上げた空に鳥が天高く勢いよく飛び上がっていく空を見上げ、

私は、一つの決断をした。

 

今日で1045回を迎えるamebloの「花とエスプリ」に区切りをつけた。

2020年

11月

05日

リセットタイムを作る

昨日は、東京に3年ぶりの「木枯らし第一号」に季節が晩秋から、初冬にと移ろいを感じる。

 

この3か月ほどは、自分でも様々な状況に対応できたと驚きと以外にも底力を持っているとも思うほどの時の流れであった。

 

やっと、これでまずは自宅で、もう一度、退院後からの「無理をしない」そして「焦らない」と常に自分に言い聞かせながらも、想像以上にあれもこれもと、自宅での日常生活に戻すのに、時間がかかった。

 

やっと、足が地に着いたのは今日、5日まで、なんとなく落ち着かないで、

残念ながら、気持ちが先走って体はついてこない日が続く。

 

やはり、耐久性がなく、すぐに疲労感を覚える。

そこで、主治医の先生からの言葉を思い出し、「無理をしないで、無理をしてください」が、おぼろげながら理解できた。

 

つまり、生来のせっかちから、じっくりと物事の優先順位から、しかもその時の活動時間を一時間とすれば、リセットタイムともいえるが休むことである。

 

昔「疲れたら休め」といったフレーズを思い出した。

「休む」という意味の中に、同じ行動を継続するのではなく、全く異なる行動を試みると、意外に疲れを感じない発見をした。

 

こうして、私なりの「新しい生活スタイル」を見つけ、いつも「マリ子晴れ」のようにさわやかな笑顔の日々を過ごしたいと思った。

 

今年は、新型コロナウイルスがまだ、安心状況ではないが、せめて残された令和2年を無理をしないで、自助努力を楽しみに変える前向きな発想で

「頑張らないで頑張って」見るつもりでいる。

 

ちなみに今日も「マリ子晴れ」の空に、飛行機の銀翼がまぶしく、キラキラと輝いてきれいだ。