2020年

8月

31日

明日からちょっと休養日

今日は8月最後の日でもあり、閏年なので2百10日にあたるが、ちょうど台風9号が発生して、今後の進路が気がかりである。

 

いよいよ、明日から私はちょっと、75年間フル回転していた頭にちょっと

余計なものを作ってしまったので、取り除く手術のために、28年ぶりに

長期入院をする。

 

いつ頃だろうか、振り返ると、時折疲れて、入院したいと思った。

今回は、ちょっと、大変だが、また、心身ともに休養にもなる。

 

本当に、数日、点滴でも受けてのんびり過ごしたいと願っていたので、私は今回の手術は、私への長年の疲労も回復できる好機と考えている。

 

外科手術だから、おそらく術後の回復は早いと思っている。

その期間、次の目標について、既に今から思いめぐらしている。

 

年齢から言っても、何らかの支障は生じるかもしれないが、実はあまり

不安を覚えていないのである。

 

よく2日の約8時間の手術についても、ナーバスになっていないのである。

執刀医の部長先生からのいわゆるインフォームドコンセントに納得しているからだと思っている。

 

心配より、術後の生活をむしろ考えると楽しさすら覚えるということは

執刀医の部長先生との信頼関係が十分に成立しているからである。

 

ゆっくりと、心身ともに休養してきます。

 

 

2020年

8月

24日

現実と向き合い、受け入れる

いよいよ、今日の午後2時半より、担当執刀医の外科部長先生から手術の詳細な説明を受ける日が来た。

 

病名、手術の名称、手術の目的と期待される効果について、凡そ2時間近く実に丁寧に、細やかにわかりやすく説明を受けた。

 

明確な事実と向き合う私は、まるで瀬戸内海の海のように心の動揺もなく静かに耳を傾けていた。

 

本来であれば、言いにくいことも逃げずに、私の問いかけにも誠実に現状を説明してくれる先生に、素直に受け入れ納得できた。

 

年齢的にも、病巣の状態からも今がチャンスであり、この機会を逃すとなると、難しい状態になるそうだ。

 

ここ数年、75歳までに一度、人生をリセットしたいと思い、考えてみれば、友人からもいつも断捨離をしているといわれるほどだった。

 

然し、パソコンの整理が中途半端になっているが、他はすべて74歳までの身辺整理は90パーセント終了した。

 

術後、どのようなリスクが生じるかもわからないが、私には、この機会はまた、新しい人生のスタートと前向きにとらえている。

 

恐らく、何らかの意図のもと、今回の手術が必要だと、負け惜しみでなく

恐怖もなく、術後の自分との新しいターニングポイントにしたいとすら

想っている。

 

28日に手術前の最後の検査をすれば、28年ぶりの入院生活が待っているが、毎日、本当に休む暇もなく忙しく、自分が病気であることすら忘れ、忙しく過ごしている。

 

これまでに3回の手術を経験しているが、今回はすべて自分で準備、処理しなければならないという初めての体験の日々を過ごしている。

2020年

8月

21日

カテーテル検査後に変化

14日にカテーテルの検査後の私に、これまでになく疲労感がなくなり、思い通りに物事が進んでいくのを、我ながら驚いている。

 

これまで、コロナ禍以降の私は、なんとも言えない倦怠感が続き、焦りというか、かなり精神的に疲弊していたと、今の体のキレの良い動きからも

ある意味で、休息が必要だったのだと気づいた。

 

純粋の休養ではなく、初めてのカテーテル検査であるにも関わらず、どこかで、これまでのメンタル面からの苦痛から解放されたのではないだろうかとすら、思うほどだった。

 

これまで、「ラジオ深夜便」がビジーエムのように聞いていた眠れない夜がどのくらい続いたであろうか。

 

ところが、ところが、翌日の15日以降の私はぐっすり睡眠がとれ、さらに

長年3時過ぎから目が覚めていたが、6時に目が覚めるといった驚くべき大きな変化が続いている。

 

思いついたことに、さっと体が対応してくれる快適さを、もう何年振りかで味わっている。

 

恐らくそのくらい、これまでの蓄積疲労がわずかの一泊二日の検査入院で

正常な日常を取り戻したのが、とても嬉しく、間もなく本格的な手術後が

何らかのリスクからは免れないだろうが、内心、楽しみである。

2020年

8月

19日

想像以上の忙しさ

今日は20年来の主治医の先生の診察日である。

 

主治医の先生からも、今回の手術に対しては、脳外科の部長先生の結論に

賛成の意思を示され、もう、これで、あとは手術の日を待つまでと思っていたが、まだ、まだ幾つかの検査があり、意外に慌ただしくなるが、お陰様で体力的にも、猛暑にも関わらず、持ち堪えている。

 

やはり、長年健康管理で通院していた病院なので、スタッフも顔なじみが多く、セカンドハウスの存在のような安心感がある。

 

然し、手術までにかなりの検査が続くのだと、逆に徹底的に検査してもらうに限ると、来週の24日、最終的な手術の説明、いわゆるインフォームドコンセントを受ける予定である。

 

一つ、一つ、頭の中にできた不要物を取り除く日が近づいている。

2020年

8月

13日

私にも「特別の夏」が来た。

生来のせっかちが災いして、夜9時過ぎに固定電話が入った。

 

ちょうど6年前の4月末で、その頃、近所のご縁のある高齢者から、体調不良の電話が多く、慌てて起き上がった途端にパジャマの裾を踏んで、ものの見事にコンクリートの壁に頭をぶつけてしまった。

 

痛みを感じた程度で、受話器を取ると、勧誘の電話であったが、その間に背中に何となく冷たさを感じ、手を当てた途端、真っ赤な血液が流れているではありませんか。

 

即座に救急車の依頼をして、とりあえず友人に連絡をした。

幸いに救急車と友人が、ほぼ同時で、そのまま、ネックバンドでしっかり安定したまま、タンカーに乗った。

 

これまで、かなりの病気の体験はあるが、救急車のお世話になったのは初めてである。

 

前置きが長くなったが、その転倒時に、脳に別物が見つかり、それ以来

一年に一度、MRIの検査をして、何ら、おとなしくしていた。

 

これまでの病院から、転院して、私のカルテがすべてある病院にかかった結果、いくつもの画像診断の結果、別物が成長しているので、手術をとの

診断、告知を受けた。

 

嗚呼、とうとう来るべきものが来たかという思いだけで、頭が真っ白になるといった動揺もなく、実に驚くこともなく、手術を選んだ。

 

その帰途、あと僅かで自宅というところで、ゲリラ豪雨になった。

自宅に着いたときは、ずぶ濡れ状態だったが、明日の午後から事前に手術前のカテーテル検査の予約に、友人に保証人の依頼に出かけなければならず、友人先に向かう先に、大きな虹がかかっていた。

 

かれこれ半世紀以上東京に住んでいても、虹を見た記憶がほとんどない。

虹を見た瞬間、手術を選択のが、正解であった。

 

「これは、ツイテル」と、道すがら、安堵の笑みが出た。

 

これは、また、私にとって、「特別の夏」に変わりがないが、また、ターニングポイントの始まりでもあると考えている。

 

 

 

2020年

8月

10日

二人の母の命日

今日、8月10日は私にとっては二人の母の命日である。

 

二人の母親とは、未熟児の私を必死に育て、お陰様で、後期高齢者までに至っている。

 

もう一人の母は、中学校時代の国語の先生で、その後も全く偶然に新幹線の車内でとか、美術の仕事時代に竣工式でといったように、何か、見えない糸で私を見守ってくれた恩師で、さすが、国語の先生だけあって、実に

時に触れ折に触れ、手紙で、近況を案じてくれた私にとっては、いつも

私の健康に神経質になり、厳しい表情の実の母親とは反対に、真綿でくるむように、やさしく接してくれた私には、母としての憧れというか、なんとも心に温もりを感じて、私の成長の救いになった。

 

2年ほど、ふるさとの帰郷で山陽本線で母校の駅で、いつも思いだしていた恩師と、母親の命日が偶然にも同じ日というのも、私は考えれば、帰郷時に二人の母親に想いを馳せている。

 

現在は、新型コロナウイルスにより、山陽本線の利用も閉ざされている。

 

恩師は、82歳で、今年がちょうど没後10年、実の母親は76歳で、43年目にあたる。

 

私も来年は母親の76歳を迎えるが、コロナ禍でせめて心配をかけないように乗り切りたいと思っている。

2020年

8月

07日

立秋に熱中症警戒アラート

暦の上では、今日は「立秋」というのに、何と、東京では熱中症警戒アラートなる初めての警戒発令日とは、一体、どうなってしまうのでしょう。

 

特に梅雨が例年になく、梅雨が長く、ある日突然のように、夏が来たと同時に、残暑お見舞いどころか、酷暑、猛暑お見舞いといった次第である。

 

地球事態が、温暖化の影響や、今はコロナが全世界に猛威を振るって、いつになれば、終息するのか、不安ばかりが大きくなっている。

 

然し、日本人は四季に恵まれ、その都度、自然の豊かな恵みを受けて生きてきただけに、世界中に及びもしなかった事態に右往左往している。

 

なんで、「立秋」という情緒性のあるこれまでの日常を無残にも次から

次へと破壊していくのだろうか。

 

そこまでして、地球上にある人類社会を変革する理由をいつかは、その

必要性を歴史から解明してくれる時期が来るだろうと思っている。

 

今年初めての熱中症警戒アラートに、私が一番精神的に熱中症に影響されているのかもしれないと、冷静にならねばと、反省の日とも考えた。

 

大きな力に、私のような小粒がこぶしを振るっても無駄な労力というものである。

2020年

8月

05日

くしゃみ一回でも、ナーバスになる

昨夜、うっかりしてクーラー使用時の厚手の布団をかけ忘れ、2時ごろ、寒気を感じるや、くしゃみを一回した。

 

「しまった」と思ったが、既に遅しで、慌てて足元の厚手の掛布団をかけて、熱いさ湯を飲むと、体が温まった勢いで、ベッドに逃げ込む。

 

今の時期は、コロナと熱中症のダブルに注意しながら、やはり、年齢的に

コロナには神経質になってしまう。

 

日中は、クーラーをかけ、換気も併せている状態だが、夜間は、窓を開けて寝るには、不用心なので、閉めて休んでいる。

 

夏はまだ、換気も気にならないが、今後、長引く冬になると、寒さに弱い

私はどうすればよいのだろうと、考えてしまう。

 

そろそろ、私も新型コロナウイルス接触確認アプリの「COCOA」をインストールしようかなと、考えている。

 

恐らく現在コロナウイルスでの死亡者の年齢の平均値は、79歳だそうで、何と、我が家の死亡年齢値と一致しているのである。

 

次から次へと、色々な問題に対して暇はないと、つくづく想う熱い毎日が続いている。

2020年

8月

03日

スタージャンムーンが見たくて

今夜は、8月の満月が見えるというので、夕刻の散歩も早々に切り上げた。

 

然し、散歩で、今日は、いつものコースをショットカットして、保育園の前で、、先日までは、元気だったトウモロコシが小さな実をつけていたが、数日の明日差のせいで、水不足のせいか、見るも無残に枯れていた。

 

その隣の茄子は元気で、先日の実は収穫したようで、その隣のミニトマトも、元気がなく、頭を下げて、今にも枯れる手前に見えた。

 

何となく、暑さが、災いしているのだろうと、心が痛む。

それとも、諦めたのかなと思いながら、今夜の満月が待ち遠しい。

 

やがて、露払いのように、宵の明星が、きらきらと輝いている。

怪しげな雲に、外に出てみたが、首が痛くなるだけで、一向に姿を

見せないので、ベランダから待つことにした。

 

やがて20時過ぎから、黒い雲から、少しづつ明るさが消えてきた。

 

その雲のあいだから、ゆっくりと8月のお月様が顔を見せ始めました。

実は、これまでiPadを利用していたのだが、今夜、初めてスマホでの

撮影を試みる。

 

とても幻想的な雰囲気の大きなスタージャンムーンに、ついつい、ふるさとで、満月を楽しんでいるだろうなあと、夜空の繋がりを想う。

 

 

2020年

8月

02日

編集者時代を思い出す

いつもの通り朝のルーティンの一つ、今朝の日本経済新聞の日曜日が楽しみにしてい。

「NIKKEI The STYLE」に、「春秋」のコラム欄担当の一人である大島三緒氏が、「歩行者天国といういう『夢」問タイトルで、1970年代の記事に、私にとっても忘れられない思い出がある。

 

銀座の歩行者天国にあたり、当時銀座の中央通りには「チンチン電車」とという「都電浅草線」が走っていた。

 

確か85年の歴史を閉じる1967年12月9日の夜、最終便には大勢の人が集まっていた。

 

実は、私は、その最後の運転者との「チンチン電車よ さようなら」といった対談が、銀座百点の編集部に入って初めての仕事だった。

 

当時活躍の永井龍男先生の司会で、カチカチに緊張した二人の運転手に、永井先生も話題に苦労していた様で、私はもちろん初めての仕事だし、

むしろ、今から考えると私が一番緊張していたかもしれない。

 

時は経て、1970年8月2日に歩行者天国が、今年で50年を迎えたという記事に、私は、もう一つ、亡くなった母親と二人で、晩秋の頃だったと記憶してしていますが、季節柄寒く、隣の二人がふうふう言いながら

美味しそうにカップに入った麺を食べていた。

 

今から思えば、カップラーメンも初めてで、今でもカップラーメンのあの時の味は、強烈に記憶している。

 

因みに、チンチン電車の後の敷石は、銀座の中央通りの道として再利用されたのである。

 

先日、銀座通りには、かつてのちょっと無骨な雰囲気のあった敷石の姿はほとんど、新しい商業ビルの建て替えと共に、既に過去の存在になったと

足元から、なんとなく、私の歴史も変わったとしみじみ想った。

 

 

2020年

8月

01日

東京にも夏空が来た

長く続いた鬱陶しく重苦しい曇り空の多かった、東京は葉月を迎えると共に、長いトンネルを抜けたように、抜けるような青空に変わった。

 

と同時に、暑さも急に思い出したように、存在感を増し、これからは夏空が主役といわんばかりである。

 

眩しく、久しぶりの強い日差しに戸惑いながらも、夏空を実感した。

 

日中を避けて、それでも、日傘をさしてノルマのお散歩に出かけた。

できるだけ、日陰を選んで、ちょっと遠くの小学校の前の公園で、思い切り、夏空を見上げ、深呼吸をした。

東京の空気も立ち寄った公園は、樹木が多く、とても新鮮な味がした。

 

耳を澄ますと、蝉の合唱に気が付いたその先の樹木の葉に、きれいな蝉の

抜け殻を見つけ、ふるさとを思いだしていた。

 

すると、ベンチの周囲を大きなアゲハ蝶が、まるで私を歓迎すかのように

くるくると回っている。

 

何年振りだろうか、東京にもまだふるさとの佇まいを味わう場があったのは、いささか、気力は持ち堪えているが、体調は些か限界だった。

 

小一時間、その公園で心を潤す時間に満足し、自宅に向かう夏空に銀翼に

輝いた飛行機が、とても美しく滑るように飛行していた。

 

きっと葉月は良いスタートの始まりを予想していたが、その通りの心豊かな日になった。