2020年

5月

30日

「あさくちブルー」よ、永遠に

昨日のふるさとへの精神的別れを告げる想いに、これまで、私は、美術の世界を終える時も、次なる病院ボランティアにも区切りを決意した際、必ず、細やかではあるが、何らかの足跡を残してきた。

今回もブルーインパルスのスモークに託した約束の足跡になる物を探し始めた。
これまで、お世話になった母校を含めて、私は、段々胸が締め付けられる程、辛く、いつしか、涙で、作業を中止しながら、梱包をした。

唯、私の想いを悟られないようにと、何時も通り、さり気なさに努めた。
梱包を終えた後、私の中に、複雑な達成感を感じたのである。

人との繋がりには、必ず別れがあるのは至極当然であるが、時間的に早くなるか、長く続くかだけの違いである。

後は、もし、新型コロナウイルスが完全に終息、収束するとは考えられず、もしかして、県境の往来がが自由になっても、大切なふるさとに余計な不安を持ち込む訳にはいかないと、私は、また奥歯が痛くなっても耐えなければ行けないとの想いがある。

取り敢えず、母校に感謝の気持ちを伝えるミッションは、来年の3月末迄、任期が残っているのが、唯一の私の生き甲斐である学校運営協議会に、東京からお手伝い出来る事ではないかと思っている。
残念ながら、未だに閃かないのが悔しい。

昨年立ち上げた際のお手伝いこそ、私の足跡では無いだろうかと、自分に言い聞かせているのである。

来週、郵便局が、私の想いを運んでくれる。

2020年

5月

29日

ブルーインパルスに込めた想い

今日の正午から約30分間、航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」が東京都心上空のニュースに拠れば、コースに入っている。

イギリスのロンドンから医療従事者達に敬意と感謝の気持ちを込めて始まったと言われ日本の各地で「ブルーライトアップ」が行われている。

我がふるさとの浅口市も、4月24日、金曜日の正午に「フライデー・オベーション」として、市職員が1分間の拍手を続けている。

私もiPadのカメラをオープンにしていたが、緊張していたせいか、シャッターチャンスを逃し、最後の飛行時刻の12時59分にキャッチ出来た。

確か5機の内、淡いぶるーが2本見えた。
その消えゆくスモークを見ていて、私は、時刻に些かの違いはあるが、青い空は、ふるさと迄繋がっている。
「あさくちブルー」と新型コロナウイルスと身を賭して関わっている医療従事者への感謝、新型コロナウイルスの収束、終息を願っている。

今、私は自分中心の日々に、新型コロナウイルスによって、ふるさとには帰れないと嘆くのが、如何に小さな些末で、お粗末な想いに、消えゆくスモークを追いかけ乍ら、恐らく、未だに東京では、コロナに対して、綱渡りの日々が続いている。

今年から、小学校での「学び直し」も脆くも、恐らく今後、卒業式迄、帰れる状況は不可能であると推察している。

今年も生き甲斐だった、母校の小学校の学校運営協議会委員も今年度も継続との委任状にも、メールで、参加するのが、精一杯と判断している。

これまで、「ただ今」「お帰りなさい」と言った温かい母校に対しても、未来ある子ども達に、ふるさとへの危険を回避するには、私は、ふるさとに帰ることを諦めるという、辛い想いをブルーインパルスの飛行に、秘かに想いというか決意を託した。

2020年

5月

28日

オンとオフの切り替え

緊急事態宣言が解除したが、私にとっては、何一つ此れまでと変化は変わらない。

寧ろ、私にとっては、オンラインとか、もう少し、3密を防ぐ方法はないのかという疑問が膨らんでいる。

ある意味で言えば、「パンドラの箱」を開けたのではないかと、不安を感じていた。
自然が豊かだった時代には、街中に野生動物の出現もある程度限られた野生動物だったと思う。

経済優先の社会で、野生動物の世界まで足を踏み込んだ為ではないかすらと推察される要素があるのではないでしょうか。

どんどん遠慮会釈なく人間が、野生動物の世界に踏み込み過ぎたのではないだろうか。
例えば、漁師は、未だ未熟な魚は海に戻すといった、自然への恵みに対する畏敬の念があった故の、作法だと私は思っている。

確かに、様々なウイルスは発生するのは、致し方ない時代であるが、今回も人災では無いかとも考えられる。

AIとか様々な各方面で、専門外の職種迄、新型コロナウイルスと闘っているが、何故か、私は、一過性のもので終わらないで、しっかり、現実を知り、見て、欲しいと生意気な批判がましい言動に、敢えて私は、未だ未だ謙虚に人間性を取り戻した意見も聞きたいと思っている。

2020年

5月

25日

奥歯に痛み

どうやら、今夜全面解除になるというニュースが飛び交っているが、私は、ステイホーム中に、断捨離や、年甲斐もなく家具を一人で動かしたりしたせいか、奥歯3本が、何と無く痛みを感じる。

この自粛生活が始まって数日後から、時々点滅状態だった。
つまり、恐らく、このステイホーム中に、気が付かない内に、凡ゆる面で、歯を食い縛っていたに違いないと、その内、治まるだろうと、鷹をくくっていたら、終日、痛みを訴える様になったので、かかりつけの歯科に出かけた。

銀座にある歯科医院迄の人の多さに、私は一瞬、全面解除後の第2波の恐怖を覚えてしまったのである。
もう、これ以上ステイホームは限界である。

数年前に、国立ガンセンターが、長期のストレスはがんリスクが高くなるといった調査結果の新聞記事を思い出した。
兎に角、歯の痛み一つでも、今は神経質になる日々が続いている。

レントゲンの結果、以前から歯を食い縛る性分のところに、歯肉を強く磨き過ぎた結果、歯肉を傷つけたという診断に、気が付かない内に、新型コロナウイルスによって色々、日常生活にリズムを崩しているのだと思った。

恐らく、全面解除になっても「新しい生活スタイル」は継続される訳で、衛生上のスタイルは納得できるのだが、3密で、私はデジタル使用時にも、歯を食い縛っているに違いないと思っている。

さてさて、私が無理をしないで、今後の生活スタイルを散歩でもしながら、考える必要がありそうだ。

2020年

5月

21日

母校に帰りたかった

今日は、新型コロナウイルスの非常事態の規制さえ無ければ、母校の小学校の令和2年度の第1回の学校運営協議会で、新幹線に乗っている筈だが、新型コロナウイルスの非常事態宣言で、東京でステイホームを余儀なくしている。

新幹線の車中で、色々と母校の子ども達が笑顔になる様な企画を考えている筈なのにと、自宅で落ち着かない日となってしまった。

というのは、今日から、我が母校は平常の学校生活に戻った日に、学校運営協議会も合わせるかの様にスタートの日。

だから、コロナによって私の生き甲斐を奪われてしまったという、何とも残念至極で、段々、一日中、何もする気力が起らず、今頃は、会議が始まってる頃だなあと、想いを馳せていた。

校長先生が、私の気持ちを察して、報告があり、自分も東京にいても共有が出来て、精神的に落ち着きを取り戻せた。

何と5月21は約150年前に日本に初めての小学校が出来たという「小学校開校の日」という、正に記念すべき日だそうだ。

そんな素晴らしい記念日を、私も母校で迎えたかったと、憎きは新型コロナウイルスが一刻も早く終息、収束して欲しいと、改めて想いを強くしたのである。

2020年

5月

20日

新型コロナウイルスに依る選択

新型コロナウイルスによって、必死に闘っているニュースに、私はとても複雑な想いが駆け巡った。

関西から東京に出店して、私も愛用していた「うどんすきの美々卯」の閉店に、驚くと共に、フランスで活躍していた国際的画家の菅井汲が、日本に帰国して、 先ず食べたいのが「美々卯のうどんすき」だと聞いていた。

菅井氏とは、仕事のご縁もあり、一度ご一緒しましょうとお約束していましたが、その願いは果たせぬままでした。
矢張り関西の神戸の出身なので、関西の味に、フランスに在中時に懐かしく思い出していらしたのではと、今でも、残念な想いでいる。

さて、ふるさとに帰郷すると、山陽本線の鴨方駅の一つ岡山駅寄りの、金光駅で下車して、徒歩3分桜の名所の里見川の近くに文政十年創業の「土佐家」和風旅館を利用しています

現在6代目の当主夫妻のさりげないもてなしと、和室で、お布団でのんびりと、そして朝食も夕食も新鮮な素材に依る和食が、楽しみで、ふるさとの実家のように思っています私にとっては、当主の女将さんとのお喋りも楽しみの一つです。

出来るだけ、東京にいてもふるさとと繋がっていたいと、地方紙等のニュースは、毎日欠かさずに目を通していました所、見覚えのある女将さんが、「お母ちゃん業弁当」と題したお弁当を紹介しています。

実は、昨年の5月に一週間宿泊した際に、女将さんお手製の夕食を食した思い出があり、新型コロナウイルスによって、恐らく宿泊業の事情にも、新しい生活様式に切り換えての記事の紹介かと、様々なこれまでの日常生活が通じなくなって来ている情況を、短かに感じ取った、夫々の選択肢に想いを馳せた。

恐らくワクチンが出来るまで、ふるさとには帰れないと分かってはいるのですが。
いつの日にか、土佐家さんの美味しい和食をと、東京で待ち続けるより、どうすることも出来ない悔しい気持ちで過ごす毎日が続いている。

2020年

5月

19日

決定付けた封書

昨日の夕刻のポストに、一通の母校からの封書が入っていた。
思い当たらず、ドキドキとウキウキが交錯する感情を抑えながら、鋏で封を切った。

六条院小学校の「学校運営協議会委員」の一人として、来月の会議の予定表と、25日の運動会の招待状であった。
土曜日で休校にも拘らず、即座にメール で返信をした記憶が蘇る。

これまでの医療ボランティアも、凡そ30年という長い年月に些か疲弊感が日に日に強くなり、もう一度人生設計を見直し、リセットしなければと、内心悩んでいた日々を、母校の校長先生は見事に見抜いていたに違いないのである。

61年ぶりのふるさとへの帰郷を機に、私の頭には、私を温かく迎えてくれた母校の雰囲気に、疲れ切っていた私に、スイッチが入ったのである。

子ども達の笑顔、元気な声に、私はこの未来ある子ども達に、何かを探し始めている自分に気が付いた。
また、病弱だった私にとって、運動会へのお誘いには、子ども達を通して、私も運動会を味わう機会が出来たのである。

数日前から、体調にシグナルを感じ取っていたので、風薫る5月のふるさとで、ゆっくり休養しようと思い立った私は、20日の月曜日の新幹線を予約した。

これで、一歩前進出来ると、前日から心が踊っていたのを、新型コロナウイルスで、全く状況が異なった私は、なかなか、不安定な気持ちにブレーキとアクセルに苦慮している日々が続いている。

一寸先は闇というが、 全くその通りだと言い聞かせ、私なりの納得のいく「新しい生活様式」を模索中である。

コロナが発生していなければ、22日には令和2年度の母校の学校運営協議会のスタートの日であるが、出席を控え、残念至極である。

どうかふるさとにコロナが近づかないよう、東京から願う日々である。

2020年

5月

18日

トモエゴゼンとせいめい

最近は昼夜を問わず、空を見上げる日々が続いている。

何と、遠い宇宙の話題だが、5月18日の日本経済新聞の朝刊の科学技術の記事に思わず引き込まれた。
東京大学木曽観測所で、夜空を秒単位で移ろう宇宙を動画カメラで「動画天文学」に取り組んでいるというものだ。

その取り組む動画カメラは、長野県木曽町の土地に因んであろうと推察される処の源平時代の武将の木曽義仲に仕えたとされる女武者の巴御前(トモエゴゼン)と命名されたと、記載してある。

実は、私のふるさとの岡山県浅口市には、2018年、京都大学が、光学赤外線望遠鏡を平安時代に天文観察者として、朝廷に仕えた安倍清明(あべのせいめい)と愛称を命名したの経緯がある。

浅口市金光町には、現在も「占見」という地名があり、安倍清明が観測したと言われる安倍山があり、京都と岡山との歴史に由縁を感じると共に、私には、もっと楽しい記憶を思い出したのである。

偶然、2年近く前に、ウイキペディアで見つけた1982年12月13日に東京木曽観測所の香西洋樹氏と古川麟一郎氏が、岡山天体物理所の岡山県南西部の浅口郡で、小惑星帯に位置する惑星を発見し、「鴨方」と命名されたと記述されているが、現在、あ浅口市には、これに関しては、残念ながら未指定と、削除を意味するラインになっているが、私には、最先端で、未知に溢れた宇宙の世界に、源平時代の「巴御前」、平安時代の「安倍清明」にしても、日本の歴史者を命名するアンバランスさに、好感を持つ。

久し振りに、夢ある記事に、気持ちがとても和らぐと共に、改めて、カタカナ文字やデジタルの専門表示に疲れを感じていただけに、癒された。

2020年

5月

17日

「新しい生活様式」を考えていたら

昨日のゴロゴロ休日のお返しで、またラジオ深夜便を聴く状態になった。

何となく、全国の近況事態宣言が解除される報道が近い様な思わせ振りな報道が飛びかっている。
短期間だが、報道というか、編集者の口は今程軽々では無かった記憶がある。慎重に慎重を重視していた様に思う。

今、「3密」と言いながら、この「密」は、密閉、密集、密接を意味しているが、高齢者社会で、一人住まいの人は、自ら進んで社会に進出する努力をしない限りは、残念ながら孤立化した状況になる。

今、感染防止の為に孤立化生活を推奨しているとも、また私の斜視的想いが過ぎる。
「新しい生活様式・スタイル」は、手洗い、マスク使用等は、ある意味で、私などは至極当たり前に受け止められる予防医学を重視した人としての常識、礼儀である。

人との接触についても、病弱で直ぐ病気の仲間入りをする私は、母親から風邪を引いている人、咳の激しい人には、極力付き合うのを気をつけ、避ける様に教育された。

この注意感覚は、日頃から当たり前に過ごして来たが、経済に軸足を置くと、「新しい生活様式・スタイル」は、全く大きな様変わりを覚える。
テレワーク・ローテション勤務・会議も名刺交換もオンラインという生活スタイルには、私は加齢もあり、些か疲労感を感じている。

特に最近私はソフトを2019にしたが、以前から以外に頻繁に表示という形で、お喋りでお節介な割に、横文字が多く、特に最近は、一々、ネットで調べる作業だけでもシンドイのである。

最近、また案じていた目にシグナルを感じ、眼科に診察を考えている。

今後は、元来遠慮なく自分の想いと、其れこそ、大切な人とのメールだけの生活が、私の「新しい生活様式・スタイル」で、年齢的ににも、無理をして、界では遅れていると言われる社会のシステムに乗る必要はないと、眠れぬ夜、深夜便を聴くでもなく耳に入って来る中で、天井を見ながら考えていた。

もう一つ、これは亡き父親がチャプリンの「モダンタイムス」が、柔らか頭の中に刷り込まれて居るのも一因かと思っているうちに、カーテン越しに夜明けを感じた。

2020年

5月

16日

ネジの巻き方

昨日迄に、やや整理が進んだせいか、今日は、朝から体の動きが悪く、緊張感が緩んだせいか、疲労感が強く、ボンヤリとしている。

最近、「緩めないで」という言葉を耳にタコが出来る程、耳にしている。

この緩めないというのは、しっかりネジを緩めないでという意味合いがある。
このネジで、亡くなった母親は、毎日腕時計を几帳面に巻くのは良いが、巻き過ぎて、逆にピンとネジが切れてしまい、何度も父親に、程々にと注意されていた場面を思い出した。

今は水道の栓を巻く形態は少なくなっているが、これも個人差があり、非常に強く締めた人の後は、思い切り巻き戻すのに力を必要とした体験をした心あたりの人はいるのではないだろうか。

水道屋さんに拠れば、巻き方によって、中の部品の摩滅が早く減って仕舞うという。
そういえば、母親の使用後は、確かに強く締めてあったなあと、思い出していた。

毎日、新型コロナウイルスの発生数の際に、必ず「気を緩めないで」と。
今日は、休養日と決め込んで、ゴロゴロしていると、「緩め方」にも、個人差があるのではないだろうかなどと、母親の時計のネジの巻き方迄、思い出し、考え方によって、ネジの巻き方と、気を緩めないでには、類似点があるのではないだろうかなどと、私流の屁理屈が浮かんできた。

その内、夕刻迄、寝込んでしまい、昼夜逆転、ラジオ深夜便をBJMにまたウトウトとしまった。

本当に疲れた様だ。或いはこれも「緩み」に該当するのだろうか。

2020年

5月

15日

6日連続の夏日に締めくくる

6日連続の真夏日に、今年初めてクーラーを使った。

自宅での自粛生活のお陰で、長年の紙資料の整理が進み、やっとスキャン後、グーグルドライブとメモリースティックの両方に残す段階まで来た。

だだし、その取捨選択や優先順位に、かなりの疲労感を覚えた。
年齢的に、私は、矢張り、今年で済ませるこのが賢明であったと思っている。

午後から、数年前からモヤモヤしていた税理上も、恐らく今年中に、来年の申告に付いて、コロナ次第と推察している。
恐らく今年中に、ワクチンの開発が完成しない限り、私は素人であるが、第2波が来る可能性がある。

これまで、申告期間前に、税務署でのパソコンで入力して早めに申告を済ませていたが、来年はどの様なスタイルを要求されるか考えると、プロの力を必要と思った、

お陰で、プロなので、実に明確な解答に私は気が楽になった。
私流に言えば、これも断捨離の一つと言える。

全くの冗談だが、私の部屋の重量はかなり減量したのではないだろうかと、思った次第である。
矢張り、最近は確かに物事の進行状態が、以前より時間がかかり、捜し物をする時間が増えた事実は否めない事実である。

ちょうど、今が迷惑を掛けないで整理する年齢だと思っている。

新型コロナウイルスによって、正直、冷静に自分と向き合える機会になった。

2020年

5月

14日

アベノマスクがポストに

夕刊他をポストを開けると。「アベノマスク」が入っていた。

私は、喉が弱いといえば聞こえが良いが、恐らく大きな口を開けて、鼻呼吸が苦手の為に、凡そ30年近く、梅雨が明け迄は、マスクが手放せない。
当時の主治医に拠れば、就寝時はマスクをして寝る様にとの指導のもと、数枚のガーゼのマスクを毎日代わる代わる洗って使用していた。

故に、ボランティア活動で、使用するマスクに抵抗を感じていた。
特に、普通サイズでは大き過ぎて、というか鼻が低い為に、止めるゴム紐をひと結びして使用する状態であった。

世間では、アベノマスクは小さいと評判は今一つ諸手を挙げて有りがっているとはいえないが、恐らく私にはサイズ的には満足いくものかと思っているが、未だ使用していない。

何故なら、必ず、第2波の可能性を感じている。何故ならば、ワクチンの完成までに数年を要するとの専門家の意見や専門外と称しながら、実に冷静に状況を見続けている謙虚な姿勢に、私は信頼感を持っている。

そして、私は、数年前から病院ボランティアについて、現在の病院に6月末で、活動を辞退したい旨のメールを送信した。

75歳、15年間の活動を目安に、自分のボランティア活動の限界を感じていたので、責任あるボランティア活動ができるかといえば、恐らく確信は持てない。

常々、医療ボランティアは命と一番近い活動であるからだ。
取り敢えず、自分の能力を知っているのは、自分自身であるからである。

今後、新型コロナウイルスのワクチンが認可されなければ、非常に慎重にという考えにもとずいての結論である。

2020年

5月

13日

水辺の風景が恋しくて

相変わらず、ラジオ深夜便をBJMに、朝刊に目を通してというルーティンは、依然として変わらない毎日が続いている。

睡眠不足と悩んで、ストレスの要素を増やすのも、如何ともうマイペース、マイウェイで、これで良いのだと。

ルーティンの一つである日本経済新聞の今朝のコラム欄に、「イラストレーターのタナカサダユキ氏が、SNSに「しばらくは、離れて暮らす   コとロとナ  つぎ逢う時は  君という字に」。
漢字の「君」を分解すると、なるほど「コ」「ロ」「ナ」の3文字。みごとなユーモアの先に、希望の灯がまたたいている。

読み終えて、成る程、色々、ともすれば暗い気持ちに陥るところを、自分で次なる新しい時代に、素晴らしい発想で切り抜けている。
才能がある人は、常に前向きな姿勢だと感心すると共に、強張った表情が溶けていく想いを感じ、穏やかさを久し振りに取り戻している。

これまた急に水辺の風景に会いたくなって、散歩がてら粋筋の柳橋迄出掛けた私は、周囲を見渡してマスクを外し、思い切り空気を吸い込んだ。
時刻は午後の2時過ぎだったが、何と川風の美味しかったことか。

そういえば、昔、母親の友人が柳橋に住んでいて、何度か母親と一緒にお邪魔をしたことを思い出した。

そこまでは至極尋常だった私は、当時、海苔の佃煮のコマーシャルでお馴染みの三木のり平が、柳橋に住んでいたことまで思い出すや、今夜はロングセラーの「ごはんですよ」を買って、食欲の無かった私は既にスーパーへと足が向いていた。

今年はまだ未決定だが、薬学部の講義で、「人はたった一言が心を傷つけ、また、たった一言が人の心を温める」と伝えているが、少々意味合いは異なるが、今、情報はコロナ尽くめの中で、ユーモアのある表現の持つ重さを実感した。

2020年

5月

12日

ナイチンゲールの日に想う

今日5月12日はナイチンゲールの日である。

ナイチンゲールの「看護覚え書」の中に、「患者は(中略)たった一人でもよいから、なんでも自分の思っていることを、率直に話せる相手がいてくれたら、どんなに有難いことだろうと思っているのである」という一節を思い出す。

私は、この言葉を、病気の方に接する時には、必ず心に留めて来たが、今新型コロナウイルスによって、感染予防服に身を包んで、接する医療の在り様が変わったと私は推察している。

ナイチンゲールは不安な病気の方に、今で言うところの呼び鈴を取り付け、直ぐに駆けつけられる方法を考えたと聞いている。

病院ボランティア活動中に、、病院にいても一人、自宅でも一人と言った方の話し相手をして来た私は、自分が父親に言わせると「病気の問屋」とまで言われる程に、学校よりお医者さんに通う方が多い小学校3年生まで私の日常生活だった。

その経験が、今、この新型コロナウイルスで、行動制限の「三密」の日々は、私には自分の病気で、小学校の思い出で、友だちと思い切り遊んだ記憶は高学年になって、何とか健康状態もそこそこ元気になって、初めて仲間との楽しさを知った。

新型コロナウイルスと闘っている方の不安な気持ちを恐らく、言葉にも発する機会も遮断されているのでは無いだろうかと思うと、どんなにか恐怖や苦しさにも寄り添えない恐ろしい新型コロナウイルスに、無能でしか無い私は、微かだが、猩紅熱の時の4歳にして「死」を意識した記憶は今も鮮明に覚えている。

かかりつけ医の先生が看護婦さんと終夜、私から目を離せない程の危険水域が、もっともっと進化した今回の見えないコロナと重なっている。

もし、今、ナイチンゲールがいたらどの様な看護を教示してくれるだろうかと想いを馳せたナイチンゲールの日だった。

2020年

5月

11日

げた箱から学ぶ

毎週月曜日の日本経済新聞の朝刊には、医療と教育関連の記事が多く掲載されているので、私は特に月曜日の朝刊が待ち遠しく感じている。

最近は、どちらかといえば母校の小学校のお手伝いをしている関係で、教育に関心が深くなっている。

教育面に、恐らく校長先生によるものと推察される「学びや発」というコラム欄が、各人が、折々の想いを文字化して語っている。

毎回の様に、私は頷く内容に多く接する。
因みに、5月11日の記事に拠れば「学びや発」のテーマは、げた箱の上履きについて、一斉休校中の校舎内を見回ると、げた箱のの上履きが淋しそうに児童を待っているのが目に入ったと。

その瞬間、私の母校の小学校の校長先生の姿が重なった。
未だ若葉マークの教師時代に「げた箱を毎日、見ていますか」の問いかけに対して、全く質問の意味が理解できなかったそうだ。

「上履きには生活指導に大切なことがたくさん詰まっているんですよ」
すぐにげた箱のに行ってみると、一足一足に子どもの生活が表れていた。

更に、色々の子ども達の上履きについて触れているが、詳細は省く。

校長になった今も、ほぼ毎日げた箱に行くとのこと。
筆者はたかが上履き、されど上履きであるが、げた箱を通して様々な教育を学ぶ要素があり、日本の教師が培ってきた子どもの真の姿を見る視点、子どもの心に共感する姿勢を引き継いでいくことは、私の使命だと結んでいる。

新型コロナウイルスを機に、ウェブ会議、テレビ会議等のテレワークに、オンライン教育などのツールでの教育で、筆者の現場を重視した教育は、今後どの様なスタイルになって行くのだろうか。

2020年

5月

10日

休日に徹したいが

今日は日曜日だから、少し休日らしく過ごそうと思ったが、長年の習慣は変わらず、相変わらず、ラジオ深夜便をBJMの生活スタイルは変わらない。

何となく耳に入って来ているだけで、内容まではあまり記憶には残っていない。
例え日曜日と言えども、朝のルーティンは変わらない。
朝刊前に、スマホで我がふるさとの気温をタッチすると、不思議にふるさとに自分も存在しているような錯覚が、私はふるさとを共有している満足感がある。

特に「晴れ」と来れば、「あさくちブルー」だと自然心が和むのである。
勿論、母校の小学校の天候については尚更、青空であって欲しいと、ツイツイお節介を承知であるが、私は極力濡れると体に悪いと、病弱な母親の心配は計り知れないものだったと、今、私は気付き始末である。

私は、コロナ前は平均最低でも2万歩を歩いていたが、外出自粛もあり、自宅のマンションのエレベーターを利用しないで、5階迄を必ず、非常階段を利用しているが、到底及ばない歩数である。

朝は一大決心をして、散歩を心掛けねばと思うのだが、何と無くスルーしている情け無い状況のままである。

決心がいつのまにか、忘れて、朝の決心は何処かに、忘れている。
夕刻になった、嗚呼、今日はと思い出した時は既に遅しであるが、まぁこんな日も無いと身体が持たないかと、自分勝手に納得している。

然し、やっと、マンションの住民のゴミの量が幾分か減って来たように思う。
自粛生活で、考える事は同じで、よくこんなに廃棄する物があると驚いたが、今は少しずつ平常の量に戻っているが、例外はワインを始め、アルコール類は依然と多い現実が続いている。

今日は私なりにリズムを調整した休日である。

2020年

5月

09日

黒いチューリップの想い出

土曜日を除いて、日本経済新聞夕刊に各界に活躍の方が、「あすへの話題」のコラム欄を楽しみにしている。

5月9日は作家の嵐山光三郎氏が担当している。
当日のタイトルが、「黒いチューリップ」について、懐かしさを呼び起こした。

病弱の小学校時代、母親からアレクサンドル・デュマの小説「黒いチューリップ」を読み聞かせの場を思い出した。

当時では、黒いチューリップの球根を作ろうとす結果、結果的に牢獄にという理不尽さに、私は、熱を出してしまった記憶があり、母親が腺病質な私には、刺激が強かったのかと、後悔していた姿を思い出した。

私は、どうも「子鹿物語」にしても、「小公女」「小公子」など、感情移入が激しく、
発熱してしまうのである。

嵐山光三郎氏に拠れば、未だに黒いチューリップは作られていないそうだ。

それで思い出すのは、秋桜に「チョコレート秋桜」という品種は、花に近ずくと微かにチョコレートの香りがする。

我が母校の学級園にもトライして欲しいと思っている。

幼稚園に行けない程の病弱な私が、何と後期高齢者の仲間入りをしたとは、当時の同級生は恐らく驚くだろうなあと思っている。

それだけに、新型コロナウイルスに私の好きなザードの「負けないで」と、気がつくと口ずさんでいる。

2020年

5月

08日

経理問題の解決に気付く

殆どの断捨離が進んで、ホットしていた所、急に段ボール箱が一つ奥に残っていた。

今となっては、一番大きく、持ち上げようとしたが、とてもとても持ち上げられない重さである。

仕方なく、手を差し込んで少しずつ書類を出して、嘗ての美術関係の帳簿だった。
そうか、未だ断捨離は残っていたのである。

今日は、古い帳簿を処分しようと始めたものの、これまた鋏を相棒にして何と時刻は深夜に及んだ。

凡そ25年の帳簿を詰め込んだ状態で、古い帳簿の匂いと埃で、咳が出始めた。
今は、咳にもデリケートになり、マスクをかけてやり終えた。

然し、先日、自力で家具の後ろの埃を取り払った時と同じような、左側の奥歯がシグナルを発している。
また、一つ不安が走るが、疲労感と達成感が同居して、即ベッドインした。

お陰様で、嗚呼、これで、完璧に近い迄に断捨離出来、精神的にスッキリした。

暫く、自分で確定申告をして来たが、来年からは、ある意味で「新しい生活様式」に切り替えようと考えた。

恐らく来年の税務署の混沌振りが頭を掠め、もう、加齢もあり、無駄な時間と作業は辞めよう決めた。

倖に友人の紹介で、来週には税理士と相談、また、一歩私は私なりの「新しい生活スタイル」のスタートとなる。

2020年

5月

07日

フラワームーンの力

今夜は5月の満月「フラワームーン」の日だ。
最適な時刻は、19時47分との報道に、朝から、私は何となくウキウキしていた。

自粛生活で心身共に、恐らく疲弊している時期に、東京でも驚くほど澄み切った夜に、どんなにか、心が和むのではと、友人に今夜の満月を見るように進めるメールや電話をした。

出来れば、この満月を「天文のまち あさくち」の天文台のあるお山の天辺で見たいという叶わぬ想いに駆られるが、到底無理を承知ででも想いを馳せるのは自由だ。

ベストの時間の前から、ベランダから、或いは外からと、iPadを持ってウロウロと空ばかり見上げている私に怪訝な表情をされた人も少なくなかった。

然し、時刻通りに登場してくれなく、とうとう、風邪でもひいてはと、ベランダで、ベストショットを待つと決めた。

凡そ、予定の時刻より小一時間を過ぎた頃、ビルとビルの間を縫って、素晴らしい輝きでお出ましした。

今回は東京の空に、神々しさすら感じる程のフラワームーンだった。
待っていて良かったと、ベランダでいくつもいくつも写真を撮った。

時を同じくして、友人達からも、興奮状態で、感激が声から、メールから伝わって来たのだ。

これまで、無意識に或いは当たり前に、今日は満月かしらと思っていたこれまでの日常では味わえない感激を味わったのも、前向きに新型コロナウイルスによるものと思えば、良いかなあと。

常に前向きに、前向きにと自分に向き合っている。

2020年

5月

06日

久し振りに哲学書を読む

新型コロナウイルスの発生がなければ、今日はゴールデンウイークの最終日である。
然し、今年の連休はすっかり変わって、私など、いつまで休日というか巣篭もりが続くのか、全く見当が付かない。

小さい部屋の中を毎日動物園の熊の如き、行ったり来たりしている。
ふと、暫く手にとってない臨床哲学者の鷲田清一先生の哲学書を読みたくなった。

といっても、2009年7月発行のNHKこころをよむの「シニアのための哲学 時代の忘れもの」といったハンディーな冊子である。

内容は第13回に亘るもので、今回のコロナウイルスによって、私が苦手とすると 「待つ」について、第6回に「待つことなく待つ?」の項目であった。

鷲田清一先生によると、「待つ」には「期待」の意味があるが、然し、期待が優先して視野狭窄へと追い込む傾向があると言う。

確かに、病弱な幼少期から、今もその性格は残念ながら残っている自分に改めて、刷り込まれた生来の弱さが容赦なく牙を剥いて来る。


では「期待せずにひたすら待つ」には、時間的な長さもあるが、私は身体の何処かにシグナルが生じる体質を知る尽くしていた母親は「我慢しないで、私に直ぐ伝えなさい」との言葉が、今日まで生き長らえたお陰だと思っている。

鷲田清一先生が「待つ」とは苦しいもので、報われないもの、甲斐のないものだ。
けれども、諦めるなかで、本当の「待つ」は始まるのではないか。

「期待せずに待つ」ということの意味を探るいとなみも、ここからやっと始まるのではないかと結んでいる。

そうか、「待つ」に始まり、私は、今後の新しい生活様式に対して、私の健康を損なえない身の丈に「生活スタイル」の始まりであり、新しい私のターニングポイントの始まりだと想う自分を見出した。

曾て、大阪大学の研究室でお目にかかった時の、笑顔で接して下さった先生の声が聞こえて来る様に想えた。

2020年

5月

05日

購読者さま限定のプレゼント

今日は24節気の一つ「立夏」でもあり、子どもの日でもあるが、毎日が日曜日の様で、浮き草の様な日々を過ごしていると、巣篭もり生活のせいか、毎日に対する新鮮な意識が薄れてくる恐怖を感じないでもない。

未だ協調性の弱い私は、中々毎日の新しい生活様式に馴染めなく、模索中であるが、長年愛読している日本経済新聞に広告が入っていた。

時間がある生活から、広告にも丹念に目を通す習慣がつき始めたのは明白である。
必ず、第一面の「春秋」というコラム欄を楽しみにしている。

一枚の日本経済新聞の「春秋コラムの書き写しで国語力UP &美文字」という誘いに、思わず、私は新聞代理店に申し込んだ。

今回、断捨離をしていて、これまでの残しておきたい凡そ10年近くの記録は、全て、パカーのボールペンのブルーによる手書きである。
我ながら、こんなに丁寧に情報を集め、然も想像を絶する程の丁寧な美文字である。

正に渡りに船である。もう一度我が母校で学び直しを予定していたが、恐らく新型コロナウイルスで、実現は不可能である。

また、今、私はiPadで入力しているが、記憶に残らない不思議さを感じていた。
不思議に肉筆で書き込まれた記録は、しっかりと記憶されている。

その、残された記録には信州大学の寺澤広次助教授に拠れば、46野の働きの低下により、若年層のもの忘れが生じ、機械化によるコミュニケーション不足、過去の情報を引き出して言葉を選ぶことによって46野活性化になると。

予防法の北品川病院の脳神経外科医築山節医師に拠れば、1日最低3人、家族の人以外の人と話す理由は緊張感の保持、1日10分文章を書く、1日20分間外を歩く。

更に更に、記憶は脳に残った残像なので、呼び出す為にも手書きが良いとの、メモをノートに書きとめてあった。
正に、今回の広告から、恐らく10年近く前に書きとめた記憶が呼び戻って来た。

何か、又、一つ新しい目標ができた喜びと、美文字に再挑戦しようと心弾んだ。

2020年

5月

03日

ライト イット ブルーに想う

今年の5月は、不要不急の自粛生活の功を奏して、皮肉にも素晴らしい青空が東京にも続いている。
また5月はメイストームという真逆な月でもある。

先月から、各地で、ロンドンから始まった医療従事者に感謝を捧げるキャンペーンが始まっている。

医療の象徴である「青」に、主要施設をブルーにライトアップしている。

これまた、私の斜視的意見かもしれないが、我がふるさとの浅口市でも先月の24日の恐らく昼休みに、市役所の玄関に市の職員が集まり、ブルーの横幕に、ネットからの情報なので、明確さには欠けるが、「#COVi Dー19」を広げ、拍手をして、感謝の気持ちを込めているという情報を知った。

別に、夜間の金曜日に限らず、青空の下で「ライト イット ブルー」の気持ちは可能ではないかと想っている。

特に、私のふるさとの浅口市は、大気の安定が優れている為に、4日の内3日は「晴れ」の気象情報に恵まれた土地である。

それ故に、ふるさとの青空を「あさくちブルー」とまで、素晴らしいので、毎朝、必ず空を見上げて、青空だと、新型コロナウイルスの感染の恐怖を抱えながらも、命を守る為に闘っている医療従事者に、心の中でそっと「ありがとう、今日1日が無事であります様に」と、懐かしいふるさとの青空を重ね、1日も早い収束、終息を願っている。

今の私には、ふるさとへの想いと新型コロナウイルスと、この様な感謝しか出来ない不甲斐なさを感じつつも、これも私の新型コロナウイルスへの前向きな姿勢ではないかと想う憲法記念日を過ごしている。


2020年

5月

02日

蚊が侵入

新型コロナウイルスの約束事の一つに、極力窓を解放していると、懐かしい蚊の音が聞こえる程、東京からは喧騒が消えていた。

妙に気になり、蚊を追いかけようとすると、巣篭もり生活のせいか、加齢のせいか、運動神経が思うように連動してくれない。

虫除けで、身を守るも、気になって来た。
兎に角、コロナのせいで、蚊を媒体にされた新型コロナウイルスでも発生、感染したらと思い巡らしていると、落ち着かないので、夜9時近くに、近くのコンビニで、今夜中に退散或いはコロリと行って欲しいと思った。

既にいくつかの虫除けの商品が並んでいた。
その中に、懐かしい「金鳥の渦巻蚊取線香」を見つけた。

急にふるさとの夏の風景が思い出され、迷うことなく決めたのである。
包装も記憶の中にあるままの蚊取線香を早速、渦巻状の先に火をつける時、そうだマッチで火をつけたが、残念だが、それは叶わなかったが、ベランダに置いて窓を開放して、蚊との根競べとなった。

東京に来て凡そ半世紀以上になるが、渦巻状の蚊取線香を使うとは、線香の匂いにも心地良さを感じ始めている自分に気が付いた。

3月末に母校の白いマーガレットを見ると、確か父親から、昔は真鍋島で蚊取線香の原料の除虫菊を栽培していたという話を思い出した。

念のため除虫菊をネットで確認すると、確かにマーガレットと非常に類似していると分かり、夏の季節に麦藁防止に、マーガレットを付けてくれたのは、もしかしたら、除虫菊だったのかも知れないと想った。
父親は、病弱な私の為に、虫から守る為に、除虫菊だったのではと、父親の愛情に、母校のマーガレットを見ながら、胸の熱くなる想いが、今夜の改めて思い出していた。

確か、日本経済新聞で数年前に金鳥の渦巻蚊取線香が、化学遺産に選出された記憶がある。
僅か1匹の蚊によって、様々な想いを馳せるとは、思わぬ3密の賜物と前向きに発想したと想っている。

2020年

5月

01日

北里柴三郎博士の言葉にスイッチ入る

今日は八十八夜、香りも清々しく新茶の季節です。

自然の素晴らしい力に、何時迄も、新型コロナウイルスの情報ばかりに、些か私は、
未だ残っている自分では気が付かないというか、後向きが続く日々から、自力で解放しなければと、或いはある意味で、コロナも変容するそうだが、此方も変わって行かなければと、想う様になってきた。
後向きへの忍耐の精神的限界と言えないだろうか。

断捨離の到達点に近くなって来た矢先、2011年7月1日発行の誌名「雷(いかずち)」に、北里柴三郎博士の再出発への決意を墨痕鮮やかに認めた七言絶句を見つけた。

その七言絶句をご紹介する。
「奏功一世豊無時   奮闘由来吾所期   休説人間窮逹事  苦辛克耐是男児」

別途大意も添えてあるので、此方を加える。
「何か事を成し遂げようとするには一生をかけて努力しなければならないというのが私の心に期すところである。この世の中で不運にみまわれたからといって嘆いてはいけない。難難辛苦に耐えてこそ男児であろう」

最後の「男児」を、私は「女児」にも該当する時代になって来た。
博士によれば、「予防医学は実学たれとの信念」は、新型コロナウイルスにあたる「3密」が重なるのである。

ともすれば勢いに任せた断捨離で見失う可能性もあったが、私のファイルに残されていたのである。
断捨離、断捨離といっても、極数量だが、どうしても残しておきたいファイルを持っているが、その中に残してあった。

人生には思いがけない今回のような新型コロナウイルスの洗礼を受けるような時にと、私のメンタルケアの治療薬と言える。