2020年

12月

25日

サイレントナイトを過ごしながら

コロナに始まり、コロナにキリストの降誕を祝う前夜祭といわれる「クリスマスイブ」も、すっかり日本にも定着し、にぎわう夜であるが、今年は事情が変わり、自宅で「サイレントナイト」を過ごすようにとの、止まらないコロナ感染策の必死の呼びかけである。

 

本来一人で過ごす「クリぼっち」の私にとっては、クリスマスの音楽をかけながら、ちょっと早いが、今年一年を振り返るには良い機会となる。

 

今年の3月、後期高齢者になり、小学校時代が虚弱体質で楽しい学校生活の思い出が、少ない。

幸い、母校の「学校運営協議会委員」というお役目をいただき、できる限り、母校に足を運び、「学び直したい」との想いに溢れていた。

 

ところが、3月末に母校の前年度最後の學校運営協議会に出席して以来、

いわば、私にとっても新学期のつもりでいた。

 

然し、残念だし、悔しいが、コロナにより、私は、東京圏に在住している

一人としては、大切なふるさとに、私がコロナを持ち込んではと、グッと

我慢の日々を今も過ごしている。

 

有難いことに、母校の「ブログ」によって、私も共有することができた。

まして、9月の28年ぶりの入院生活中は、母校の「ぶろぐ」をベッドで

何度も開いては、想いを馳せていた。

毎日のように、夜間にはスマホに充電するほど、私には、「学び直し」をしたかったのである。

 

そんな想いで、まだ、母校のデジタル関係や、紙資料の整理ができていなかったので、クリスマスソングが流れる中で、ブログをはじめ、一つ一つが宝物のように思われた。

 

これもある意味で、サイレントナイトという母校のサンタさんからのプレゼントと考えるほどに、心から、61年ぶりに母校に帰校のチャンスをいただいたことを感謝していた。

 

気が付くと、カーテン越しに夜明けを感じたのである。

いつしか、「クリスマス」に時が流れていたのである。

 

さらに、かねてよりパソコンの苦手の私は、75歳で穏やかで静かな時間が欲しく、次なる楽しいことをどう過ごそうかと迷っていた。

 

徹夜状態の私は、新鮮な空気を吸って、気分転換できないかと、日課の1万歩の散歩に出かけたが、なんとなく、いつものコースから寄り道をした先で、久しぶりに全く、偶然出会った。

 

マスク越しのおしゃべりで、知人が「あなたのブログを時々読んでいるのよ」との言葉に、私は一瞬驚いた。

さらに、知人は「あなたには、ブログは合わないわね」と。

 

思わず、私は、その知人の勇気ある発言に背中を押されたのである。

そうか、これで、来年の3月で、また一つ肩の荷を下ろすことができると

知人にその理由を聞くことなく、私は「ありがとう」と心から感謝すると

共に、すっきりとした気持ちで散歩を続けた。

 

そして、我がふるさとの母校も昨日は、2学期の終業式だ。

 

コロナに翻弄された、令和2年、私は一日遅れだが、25日で終業式とし楽しい冬休みを過ごしたと。

2020年

12月

16日

今、エレベーターが楽しい

何気なく、毎朝のルーティンであるポストに新聞を取りにリニューアルしたエレベーターに、思わず、毎日「今日は何の日」と各所でみられる情報があったとは。

 

今日は、術後、退院してちょうど3か月かと、思いながら、見上げた先に

16日は「電話創業の日」とある。

1890年(明治23年)、東京ー横浜間で日本初の電話事業が開始されました。(原文記載)。

 

お陰様で、体調がよくなると、これまでに思い切りの断捨離や整理をしたつもりであるが、まだ、パソコン内の整理がいつも頭の隅からというか、

現在は大部分を占めている。

 

然し、どうもパソコンやスマホとあまり相性が良くない私は、この「今日は何の日」の電話の記事になんとも言えない懐かしい時代に想いを馳せていた。

 

何やら、浦島花子的過去に、私はできることなら帰りたいと思うほどに

些か、無理をしないつもりでいるが、残すところ、コロナ禍に始まり、

私自身も思わぬ12時間にもわたる手術から、今日までに至った2020年というか、75歳を早くクローズしたいという想いにかられていた。

 

そろそろ、新しい生き甲斐を見つけ、楽しく、穏やかに、時代のスピードに振り回されない日々を過ごしたいと、願って、目下、次なる「マイライフスタイル」を考えている。

 

やはり、生来のせっかちといわれそうだが、私に見合った生活をと想いつつ、改めて、自宅のシンプルで真っ白い電話に心が和んだ。

 

どうやら、これからエレベーターの「今日は何の日」に、はまりそうだ。

2020年

12月

10日

「私走」はまだ続く

恐らく何年振りといってもよいほど、私の手帳は予定がびっしりと書き込まれている。

 

悔しいが、歳のせいにするわけではないが、思いついたときにメモして、即できるものから、片付けるようにしているだけであるが、急に現役時代に戻ったような快感を覚える。

 

なぜか、不思議に8日は、空白で真っ白である。

それならば、休養日にと決め込んだ途端に、睡魔に襲われた。

これは、ゆっくり休めということと、ベットで静かにしていようと思う間もなく、時折睡魔から起こされる。

 

つまり、「夢」の中で、今抱えている残されたいくつかの整理について

睡魔でしっかり休養しているつもりが、「頭」は休養していないで、まるで時を刻むように、生真面目に問題処理をしているのだ。

 

お陰様で、体の方は何となく軽くなったが、「頭」は重いままでいた。

それならば、もう、起きて、「頭」で処理した気がかりなことをした方が、「頭」の休養になるのではと思い、昼夜逆転で、久しぶりに「ラジオ深夜便」を聞きながら、ごそごそと整理作業をすると決めた。

 

どうも、「師走」はこれまで極力大掃除は、我が家は夏にしていたが、今年は、どうやら、日本人らしく師走に人生の大掃除をする。

 

そういえば、コロナ禍で、母校にも帰れない日々が続いているが、今日は母校の小学校の大掃除の日だ。

昔もあったのかなあと、記憶をたどるが、あまりにも時の流れに思いだせないが、「ブログ」で共有できる。

 

明日は學校運営協議会があるが、残念ながら、コロナ禍で帰郷できない。

いつになったら、コロナ禍から解放されるのだろうか。

大掃除ぐらいでは、到底、払拭出来ないのはわかっているが。

 

2020年

12月

03日

「私走」は続く

いやはや、このパワーはいつまで持続するのだろうかと、時々自分に問いかける毎日が続いている。

 

然し、尽きぬほど、色々と「断捨離」「整理」の多さに我ながら、こんなに友人から趣味と冷やかされながらも、あること、あること。

 

お陰様で目標がまたできたせいもあり、気が張っているが、いつプツンと

途絶えるかもしれないが、できる時を逃すと後悔が残る。

 

年を跨ぐものも、中にはあるが、極力このエネルギーが持続しているうちに、頑張ろうかと思っていると、どこからともなく、手術後から部長先生の「頑張らないで、頑張って」というフレーズが過る。

 

恐らく年内に整理できるものについては、数日で片付く目安が付きそうである。

 

それも可能なのは、私は「人に恵まれている」のである。

どうしようかなと悩んでいると、自然に手を差し伸べてくれる人材に巡り会えるのである。

実にありがたいと思う日々が続いている。

 

昨日は、東京も重い雲から水滴が落ちてきたので、よく「雨の日に窓掃除」をすると効率が良いといわれているので、ちょっと早いが見通しをよくするためにも、窓ふきをした。

 

今朝、気のせいか、すっきりしていた。

さあ、今日もまだ持続している気力で「頑張らないで、頑張ろう」と。