2019年

9月

30日

9月30日に想う

今朝、何年も頼りにしていた目覚まし時計が、電池を取り替えたり、凡ゆる努力を試みるが頑として時を刻まなくなった。
その時、曾てこのブログでも触れたが、不思議に目の前の物事がひと段落付くと、私の気持ちが反映されれるかの如く、丁度ボールペンの芯が切れる、伝票が、ノートがと言った具合に符合するのである。

昨夜、2019年も明日9月30日で四分の三が終わるが、何とこの9カ月は私にとっては、とても貴重で濃密であったか想いが忙しく頭の中を駆け巡っていた。

確かに、自分でも心身共に、故郷には此れまでのボランティアとは違う充実感がある。
意識していないが、友人、知人から「良い顔してるわね」「生き生きしてるわね」と。

既に私の中では、病院ボランティアについては結論が出ている。
もうやり切ったという想いでいる。
「立つ鳥跡を濁さず」の様に、スマートな活動の終活をしたいとの想いを持っている。

優先順位が凡そ31年近くライワークだった病院ボランティアではなくなったという事である。
昨年末から、私の心は疲弊し切っていた処に、母校の小学校から届いた思い掛けない封書にヅタヅタになり掛けていた私を救ってくれた。

既に、実家は無くなっているが、「ふるさとはいつでも待っています」という母校の小学校の優しく温かく丸ごと包み込みんでくれ続けたお蔭で、私はこれまで必死に自分の中に押し込めていた苦しさから開放され、生き甲斐を見出したのである。

今月中旬に二病息災になったが、これもターニングポイントには敢えて私に必要だったのだと思える。
全ては、次なる目標が待っている為には、目紛しい変化は決して無駄ではなく、貴重な時を過ごしているのだと想う。

2019年

9月

25日

新たなターニングポイント

先週の18日の検査結果以来、「二病息災」になった私である。

1週間、以前も食生活には心掛けていたが、考えて見ると、暑さが始まる頃から何時もと違う疲労感を感じながらも、歳のせいにしてやり過ごし、よくも食生活に配慮しなかったと、自分の非を認めざるを得ない毎日を過ごしていた。

何時もの様に疲労感で思考力の衰えに、内心は心穏やかではなかった。
18日以降の私は、溢水の隙もない程、自分の体質に見合った食生活を続けていると、見る見る身体から疲労感、倦怠感がなくなっていく。

更に、思考力も回復して来た。更に更にこれまで「ねばならない」という想いが何時も脳裏の片隅に陣取っていた、所謂ストレスの原因であるライフスタイルにも変化が現れた。

「二病息災」が、新たな私のターニングポイントになり、結果オーライになるとは想像も付かなかった。
矢張り息災を地で行くとはこの事だと思うまでに、一皮向けた感を明確に感じる。

然し、昨年末からの私は何と目紛しく、ターニングポイントのオンパレードである。
長年のライフスタイルに、心身共にチェックが必要だったのである。
その締めが、身体にシグナルが出て、そこからまたリセットしていくというマイサイクルは変わらないが、歳を重ねるにつれ、受け止め方は寧ろ前向きになっている様に思える。

今後は「三病息災」にならない為に、新たなターニングポイントを気付かせてくれたのは、素直に有り難く、新しく仲間となった「二病息災」と過ごした1週間である。

2019年

9月

18日

二病息災

前回の検査からの1週間後、再度の精密検査の日である。

相変わらず、心の動揺も無く、粛々と時は流れ、主治医から検査結果を聞いた。
案じるより、今回の結果と仲良く共生していく事という診断だった。

この年齢になれば、体のパーツの保証期間にも個人差があり、無病息災から、4年前に偶然から「一病息災」になり、此方も仲良く共生していく現状が続いている。

主治医が案じていた病状が、今回の検査結果で明白になったが、此方も仲良く共生していく結論に、もう一つ仲間が増えた。

言わばこの18日から、私は一病息災から「二病息災」になったのである。
既に食事は自炊に切り替え始めると、体調に変化が現れた。
本来の私の体調が戻って来ているのが良く分かり、二病息災の仲間と共に過ごしていくには、先ずは自分を心身共に大切にする重要性を痛感した。

ある意味で、今回の検査結果によって、改めて自分の弱点を認識出来る機会にもなったと有り難く想っている。

二病息災にどの様に向き合うかと言えば、私は相変わらず毎日に前向きに向き合っていけば良く、
今後は食生活のペースも崩さないように過ごしていけば良いと、決意を新たにした。

歳を重ねるとは、人生の様々な重い荷物を背負って生き乍ら、また背負っている荷物を減らせるものもあるというのが、私の結論であり、今後の生き方でもあると言える。

2019年

9月

11日

体調も二百十日

今年の夏は私にとっても、体力的に厳しく、特に此れまでに気掛かりになっている整理に取り組み中には、デジタル終活がかなりウエイトをしていた。
珍しく長く続く猛暑の中を必死に整理をする決心が揺るがなく続いた結果が、案じていた体調に正直に表出した。

話は8月に遡るが、月末の検査で、主治医の顔が曇った。
やはり、今夏は自炊する気力が無く、体にいずれか変化があると抵抗しながらも、ついつい自炊を怠ってしまった。

「病は気から」というが、今は実際に病になる可能性があるという新聞記事を記憶していたが、私の場合は、既に自分でも何かあるなと自覚症状が出ていた。
自ら招いた要因にもあると思った時は既に、遅しである。

9月11日と言えば、私の世代では二百十日で、どうやら私にも体調が荒ぶる日と重なった。
考え様によっては、検査の結果としてデータに従い、主治医が懸念している症状に次なる検査を受ける必要があった。

友人から、75歳前後を挟んで体調に気をつけておいた方が良いわよとのアドバイスが、現実のものとなってしまったが、私は次なる検査を出来るだけ早く望んだ結果、18日には再度の検査と結果が出る目安が付いた。

此れまでの人生で、何度も手術、入院を重ね、お陰様でここまでシブトク生きて来た。
自ら招いた食生活や、能力以上に頑張り過ぎた原因も大きいと、素直に認め、1週間後で明確になる結果を待つ事にした。

負け惜しみでは無く、精神的に不思議な程の落ち着きがあった。

2019年

9月

04日

9月4日の記事

早朝何時もの通り、新聞の記事を追っていた時、思わず、記事のタイトルに釘付けになった。

その記事とは、日本経済新聞の9月4日10面に掲載された「ディスクプッチョン」に「自分の余命知りたいですか?」である。
7ヶ月の未熟児で生まれた私は、幼少期から「命」について常に両親と共に私も神経質な日々を現在も過ごしている。
お陰様で「憎まれっ子世に憚る」の通り、世に憚って今日まで生かされている。

曾て、緩和ケア病棟で、「死」と向き合っている多くの病気の方と出会って来た経験から、私自身は
出来得る事なら自分の余命を知っておきたいと、いつしか想う気持ちを強く持って来た。

何故、私がそのように自分の余命を知りたいかと言えば、この世に生を受け、自分なりに精一杯生きて来た後の締めくくり迄、自分の人生に責任を取りたいという考えからである。

そこには、余命を知って諦めるのでは無く、否定的に考えるのでは無く、現実をしっかり受け容れ、それ迄の残された命の時間を大切に生き抜くながら、自分の生涯の精算に要する準備の時間が出来るからだ。
もし、可能ならば、許されるならば、私は知りたいとの想いが強い。

記事によれば、筑波大学の緩和ケア専門医である浜野淳講師は、研究成果は出たが、新しな苦しみが始まり、悩んだ末に至った結論は「生存確率そのものは患者や家族に告げるべきではない。最後まで充実した時を過ごしてもらうために自分たちはやれることをやる」と結んでいる。

緩和ケア病棟のボランティアで、私は「今を大切に」と学んできた。
まさに、先のことは分からないが、兎に角、「今を大切に」に生き続ける大切さを私は自覚する機会になった貴重な記事だと思った。

2019年

9月

02日

サイレントデイジーズ

前日、自宅のポストボックスを開けると、保健所から、歯科基本検診の案内状と、何時ものお馴染みの銀座のお店から、2019年の秋・冬の靴の新作コレクションの案内状の二通が入っていった。

曾て高齢者健康福祉推進協議会委員会の席上で、委員の歯科医師が口腔ケアの重要性を熱心に発言していた経緯を思い出した。
開封して、何と来年2020年の3月で、後期高齢者の仲間入りをするのは明白だが、既に有効期限には後期高齢者に該当するにしても、「平成31年度 後期高齢者歯科基本健康診査受診票」の表題に、もう後期高齢者として見做されるには、些か抵抗を感じた。

然し、私は長年銀座でお世話になっているデンタルクリニックで、3ヶ月に一度チェックをしているのでせっかくの保健所の検診にはパスするつもりでいる。

最近では「口腔ケア」が凡ゆる病気にも欠かせない存在として重要視されている。
唯、保健所の封筒に〜サイレントディジース〜(静かに進行する病気)に注意しましょうとの記載には説得力がある。

今回、初めて歯肉のマッサージを受けた。
兼ねてから何時も奥歯を噛み締めていると指摘されていたが、今回はどうやらその症状があり、10分程の歯肉マッサージで、みるみる身体中が解れていくのが分かる。

日頃より奥歯を噛み締めた生活を続けているか、また数日前の主治医からも、15年近い月に一回の鍼灸院の鍼灸師からも全く同じ診察結果に、後期高齢者と表記に腹立たしく憤慨する前に、先ずは「サイレントディジース」に気を付けなければ行けない警鐘と受け止めねばと思った。

一方、秋・冬の靴の新作コレクションに銀座に出掛けるのを今から楽しみにしているもう一人の自分がいる。