2019年

5月

29日

故郷効果

毎月、月末に主治医の診察を受けている。
今日は、どんな結果が出るだろうと、先週の疲れが出ていないだろうかと、案じつつ病院に行く。
先ず、玄関で、顔見知りの看護師がすれ違い様に「淺野さん、今日はいい顔してるね」

次に採血室で、また「今日は溌剌としているわね。何か良いことあった? いつもと全然違うわよ。生き生きしているもの。淺野さんは、大体活動派だから、好きなことをしていれば大丈夫なのよね」
長い顔馴染みの看護師の観察力に驚くと共に、私の選択は間違ってなかったと思った。

やがて検査数値も出て、主治医の先生から、検査数値を聞いた結果、心配する数値では無いと。
「淺野さんは、正直に数値に現れるタイプだから。故郷で活躍の場があれば、とても良いと思うのね。淺野さんの特技も生かされるし、楽しい体験もできるでしょうから、定期的に、故郷で休息と活躍を勧めるわ。今日から伸び伸びとした良い表情をしているから、良かった」

更に続くのである。「薬局」で、これまた、顔馴染みの薬剤師さんから「今日は、とても良い表情していますね。何か良いことでも。」

いく先々で、私の表情の変化がこんなにも如実に現れるとは、驚きの連続だった。

薬学部の学生の講義の際に、「表情」の重要性を必ず、取り入れているが、医療者の鋭さは、とても参考になった。

大きくターンした故郷効果は間違いなく、実証された。

2019年

5月

25日

初めての運動会

今日は、母校の小学校にの運動会。

然も、卒業生なのに、貴賓席を勧められた。
何と、貴賓席も競技に参加するとのこと。
何と何と、私は、小学校の運動会には、参加した経験がないのだ。
確か、学芸会も遠足も高学年になって、行動を共にした記憶しかないのである。
何故なら、小児喘息を始め、虚弱体質のため、当時のお医者さんからストップがかかっていたからだ。

それが、まあ、62年ぶりに、74歳になって、「紅白の玉入れ」に参加できるとは。
もちろん、私は「白玉」を選んだが、以外に高く、初めての「玉入れ」だったが、残念ながら、一つも入らなかった。
でも、私は、やっと運動会にも参加出来たという満足感で一杯だった。
やっと、小学校の全ての行事をやりきったというか、卒業出来たと思った。

もう一つ、私は体は今でも丈夫という健康体では無いが、不思議と「晴れ女」である。
実は、今年のピカピカの1年生は、此れまで、何か入園式とかイベントの際は、雨になると聞いた。

その話を聞いた私は、何としても、初めての小学校の運動会を「晴れ」になるようにとの想いを持っていた。
その願いは、数日前に帰郷して以来、「あさくちブルー」が続いた。

燦々と照りつける「あさくちブルー」の下で、ピカピカの1年生に、心の中で「雨が降らないで良かったね」と語りかけていた。



2019年

5月

20日

遂にスタートした

今、私はいよいよ本格的に、自分の生き甲斐を見出し、そのスタートへの道に向かう新幹線の車内で書いている。
昨年の61年ぶりの故郷の母校に帰郷した、帰途の懐かしい駅のプラットホームで電車を待っている時だった。

私を包み込むような風に、故郷の薫りに優しさを感じ、堪らない気持ちを抱えて帰京したのだった。

2016年に、主治医から降圧剤の使用が必要との診断を受けた。
もう少し、自分を大切に、もう少し自分の時間や、楽しみを持ったライスタイルに切り替えるようにと勧められた。

確かに、このままの状態が続くと思うと、矢張り、私らしく生きる道に切り替えなければとの想いが強くなっていった。

その数年間、自分らしさが解っていても、年齢から何処か躊躇する自分に気付き、弱腰になる。

その時、私を救ってくれたのは、偶然にも61年前の母校の小学校だった。
私の気持ちがどんどん故郷への関心度が深まっているではないかと。
これが待ちに待った、私の新しい生き甲斐の道へと繋がっていく。

数日前に、小学校より、丁寧な封書が届いた。
25日の運動会のご案内にしては、ちょっと違う感じた私は、一瞬、「ときめき」を覚えた。
運動会のご案内と、母校の「コミュニティ・スクール」の運営協議会委員の依頼状が同封されていた。

長く続いた生き甲斐探しで苦しみ、踠いていた私を又もや、故郷の母校の小学校に救われた。

恐らく来月、またその委員会に参加する為に、新幹線の車内で書いているであろう。

2019年

5月

11日

別世界に生き甲斐

街路樹のマロニエの花が満開の5月の第2土曜日、日曜日の2日間、私は全くの別世界に身を置くことがとても楽しい。

恐らく10年以上、その2日間は友人のアクセサリーのお店のお手伝いをする。
然も、売り子として、アクセサリーを殆ど初対面の人に「いかかですか」「とてもお似合いですよ」と勧める立場になる。

ところが、気に入ったアクセサリーを見つけた人の喜ぶ表情に、私も嬉しくなるからだ。
身に付けて、鏡に映る満足気な笑顔に出会うと、素直に喜びを共有できることが、私の楽しみに繋がる。

全く、2日間は別人になれる。昨日迄の自分を何処かに置いて来たとも言える程、生まれ変われる。

体力もない癖に、毎日同じリズムに時々疲れを覚える私は、どうやら、変化に富んでいる方が性格的にも良いようだ。

段々、自ら進んで飛び込まないと、社会的には既に定年と言われても当然だが、友人は今年もよろしくねと、当てにしてくれる。
特にアクセサリーそのものが美しいし、一つひとつ手に取って見るだけで心が豊かになる。

不思議に、マロニエも役目を果たしたかのように、道路に花が落ち始めるのだ。
こうして、私の2日間の変身も終わるが、来年もマロニエの季節を秘かに楽しみにしている。

2019年

5月

05日

時には静かに、時には激しく

新しいスタートを決めた私にとって、この大型連休は実に有り難かった。

徐々に進めていたが、思い切って過去との決別を意味する行動に、時には静かに、時には激しさを伴ったいた。
私には生来の悪い性分があって、もう限界と思う書類などを見つけると、フラッシュバックすることが心身共に耐えられなくなるからだ。

もう二度と目にするのも避けたい為に、瞬時に処分する。つまり激しさを意味する。
また、苦手なのは、自分自身も決めかねる書類等である。

今、手元に残っている紙資料は、数年間の新聞の記事の切り抜きである。
必要な記事と切り抜いただけに、パソコンに残す判断をした。つまり静かさを意味する。

この入力作業は既に7年以上前から続いていたもので、私の知識の元とも言えるもので、3年以上、何故か作業が進まないでいた。

何故かではなく、理由は分かっているが、既にその段階でターニングポイントに気付き着手すべきだった。
今、そのツケを払っているという次第だが、この作業は、もう一度パソコンの画面を介して頭にインプットされる。

更に紙資料ばかりでなく、パソコン内の整理まで広げた。
正に、デジタル終活に近く、徹底的に拘ったのである。
大型連休をいわば、ターニングポイントの為の断捨離に終始したが、精神的な成果に満足している。

2019年

5月

01日

新しい時代が始まる

いよいよ「令和」が始まる。新たなスタートに私のターニングポイントを重ねている。

燻り続けていた想いを決定的にしたのは、新元号が発表された日だった。

充分、平成迄を生き切ったという感情が、私の背中を押してくれた感がある。

61年ぶりに帰郷した時から始まり、続いて11月に再度帰郷した機会に、地元の人が気付かなかった故郷の素晴らしさに気付き、魅せられたことが、私のターニングポインに繋がったと言える。
正に長く続いていた私の息苦しさを、故郷が包み込んでくれたのである。

そしてそのターニングポイントが叶ったと言える。
決まれば、失敗を恐れず、自己責任の範囲内で、前進するのみである。

幸いにも大型連休が次なる目標に向かっての、準備期間というか、待機時間に好都合である。

年齢から無理はできないで、今後は自分の「生き甲斐」というか目標は故郷に、未だ私を待っていてくれる人達がいる。

この年齢になっても「待っていてくれる人達がいる」という恵まれた故郷の優しさに、私は感謝の気持ちで心が熱くなる。

秘かに私は、目標を実現するというか、「生き甲斐」を誠実に受け入れてくれた人達に、今度は私が報いる時の始まりと言える。

その為にも、大型連休を利用して、昭和から平成迄に区切りが付けて、次に進みたい。
ましてや、信頼して待っていてくれる人達の期待は裏切れない。

その想いが、74歳になった今、私の大きな支えにもなっている。

これからは、好きな世界に身を置く幸せが、私にとっては楽しみな人生に変わる時の始まりだと考えている。

恐らく、これまでの昭和、平成より「令和」は私には一番短い時間に違いない。

故に、短い時間をかけて一つひとつ「待っている人達」に喜んで貰えればと願っている。

心穏やかに、実現する日を楽しみに待つ、此れ迄とは違う私がいる。