2018年

8月

27日

いつしか心から離れない存在

私の心の中で、夏というのに、何とも言えない隙間風が吹いているのを感じて久しい。

恐らく異常気象の続く今年の夏、毎日同じ時刻に乗って、同じ道をと言った生活に、物足りなさを感じていた。嘗て、現役の頃は、週に2回ぐらいの 出張を繰り返していただけに、今回の故郷は61年振りということ、そして行き詰まっていた毎日繰り返される日々に変化を求めていた私には、あまりにも故郷が輝き、初めてと言っても過言ではない程の故郷の良さを知ったこともある。
自分も含めて、何と心ががさついているのだろうかと、情けなく、故郷の人の笑顔とさり気ない温もり、優しい空気が、何時も頭の片隅にあった。
今日から我が故郷の小学校の2学期が始まる。元気いっぱいで校歌で送り出してくれた子どもたちの顔が思い出される。
何か胡椒の様に、ピリッとしたものが欲しい。
見つけました。
2018年の8月14日、日経新聞の「春秋」欄に拠れば、島崎藤村が、9歳で信州の馬籠を離れた後、ずっと後に、地元の小学校で講演した時の故郷への思いを述べている。
「血につながるふるさと  心につながるふるさと  」言葉につながるふるさと」
そしてしばし絶句したという。
校長先生からは、偶然ですが、私の気持ちを察したか様に、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの 」と包み込んでくれました。
 
戦争のために疎開した先で、こんなに私の心を潤わせてくれるとは、想像もしていなかった。

2018年

8月

13日

四つの目の「青天の霹靂」

その場で私はこの年齢に達しながら、いかに能天気かと時を追って知らされる。

嘗て、この紙面を借りて「青天の霹靂」を、私は善意の表現と思い込んでいたが、バッドな意味がある事を知った次第である。
何時もの様に、手元にある思い出の辞書の三省堂の新小辞林に拠れば、「青天に急に起こる雷。思いがけない事件に・変動が起こるたとえ」とある。
これまでの浮き足立って喜びに満ちた「青天の霹靂」とは違うではないか。
何と楽天的に考え違いというか、思い込んでいたのだろうか。。

そのグッドな「青天の霹靂」に気付かせてくれた相手に感謝をしなければならなかったのである。

今年の前半は、本当に人生の中でも、数少ない幸せを感じた事で、十分である。
人生には嘗て、中野東禅氏から、「人生にはマサカ」という坂があるという講話を聞いた事を思い出す。

その「マサカ」こそ、「青天の霹靂」の雷であった。
直接私に落雷して欲しかったが、他の手段を選んだ。それも一つの手段であり出来うる事なら、私はその場で処理したかったが、後に知った事だった。

異常気象の今年は、この雷がいつまでも鳴り響くだろうと覚悟、静観していた。

雷鳴より、又、新しい仕事が用意され、信頼に応えるべき為に、私の中では、遠雷に変わっていた。。





2018年

8月

05日

何故、断捨離に拘るか

曾て72歳の誕生日を区切りに、今迄の人生の総決算をしておきたいと考えていた。
ところがである、意志の弱さと生来の脆弱な体調や目先優先を理由に、時間だけが進んでしまった。

今年は、何か変だとしか言えないが、関東地方は6月末に梅雨明け、7月に入るや都心に初の猛暑日と、何か自然もリズムを崩している。
況してや我が故郷の岡山は、日本一降水量が1ミリ未満の日が多い「晴れの国」が痛ましい豪雨に、夏なのに背筋がゾッとする感が拭えない。

長年冬に弱い私は、夏に大掃除を習慣として来た。思い切り窓も開放し、日差しも明るいから、体も縮こまらない利点がある。

運良く相手から、整理事情が飛び込んできた。衛星放送の契約の件で、テレビは廃棄処分、間も無く扇風機もダウンしてしまった。
新しく扇風機を購入するより、暫くエアコンのクリーニングをパスしていた。
エアコンの方が、扇風機の置き場が無くなり部屋がスッキリすると気付いた。

この異常気象のせいか、花も青息吐息といった状態でアメブロの「花とエスプリ」も夏休み宣言と言い訳がましく、已む無く休載にした。

時間が出来たと思うも、頭のキレが悪く、処理能力が衰え、体の動きも緩慢なのが悔しいが分かる。
しかし、この機会を逃すと、「しなければ」という焦燥感に追い込まれる。

異常気象で予想外の事も起こり得る。特に、お一人様の私はいつ、人様の世話になるかも知れない。
又、人様に見られても恥ずかしいものは何一つ無く、迷惑も掛けない様にして置くためだ。
故に、断捨離に拘っている。