2018年

4月

28日

そうだ、万年筆を使おう

毎朝、6時に朝刊を広げるのが、私の1日のルーティンになっている。
朝のこの時間は、一番楽しみであり、色々な情報に様々な感情や、気づきなど自分を取り戻せる貴重な時間でもある。

また夕刊は、事情がない限りは4時半に目を通している。
夕刊も何時もの時間帯に読めないと、落ち着かない。

殺伐とした記事より先に、広告面を優先する。ニュースはスマホやアイパッドからいつでも入手できる。
思わず、思いがけない広告との出会いに期待している。

亡くなった父親が、歴史はある周期で繰り返されると聞かされていた。
正にその通りの広告が目に飛び込んできた。

連休の始まる4月28日の夕刊に、日本の老舗の企業の商品の広告に、ジーンと胸が込み上げて魅入ってしまった。

その商品は私もすっかり忘れていた万年筆のコマーシャルで、コピーは控え目の中に、嘗て使用した人にしか届かない感性に富んだ内容だ。

そうだ、万年筆で、約人生の3分の2以上愛用した、私の良き相棒だった。
発想とグッドタイミングで、筆が進んでくれるその心地良さは、パソコンやボールペンでは見出せない。
万年筆では、書き損じることがないことにも助けられた記憶が蘇ってきた。

思いつくと落ち着かず、片っ端から引き出しを 探すと、見つかった。
懐かしく使い古した万年筆を握りしめ、シックリとする感触に暫し想いを馳せる。

カサカサした無機質な筆記具に、デジタル疲労なんて言葉が生まれている日常に辟易していた私は、人間性を取り戻す機会になった。

そうだ、出来れば万年筆をまた相棒に認める日が待ち遠しい。




2018年

4月

12日

超高層ビル時代の先駆け

2018年4月12日の日経新聞の朝刊を開いて、両面広告の迫力に驚いた。
1968年4月12日に、日本初の超高層ビルと言われた「霞が関ビルディングの竣工式の写真が掲載されていた。
記憶を辿れば、国電有楽町駅と新橋駅の間に、まさに空に向かっっているそびえ立つビルの姿が刻々と変化を見せ、威風堂々として行く過程に興味を持った。
その前年の1967年に私は卒業論文に、「首都圏における超高層建築の実態」をテーマに取り上げていた。

大学の研究室で、マスコミのメディア論を専攻し、一方で都市計画も欲張って専攻していた。
既に、霞が関ビルディングの情報についての講義に、関心を持ち始めた。

将来の首都圏のビルディングの高層化のニュースを聞く機会が増えた。
何かに突き動かされる様に、首都圏の問題であれば、都庁で情報が入手出来ないかと、思い付いた時は都庁に電話をかけていた。

当時の都庁は現在の東京フォーラムの場所に、幾つにも分散された建物の記憶がある。
事前に事情を話し、アポイントも入れていたこともあり、担当者が快く迎えてくれた。
今で言えば、セクハラと思われる「女性でよく高層建築に興味をもちましたね」
年期の入った木製のテーブルに、いくつもの資料を提示してくれた上に、その資料についてもわかりやすく、かれこれ小一時間をかけて丁寧に説明をしてくれた上で、資料の数部まで渡しながら「女性が関心を持つ時代になったんだ。兎に卒業論文、頑張って下さい」

それ以来、有楽町駅と新橋駅で、生き物の様に進んでいく建物を見るのが、日課でもあり、楽しみになった。

約一年後に、地上147メートル、36階建の霞が関ビルディングが完成した。
その竣工式では、椅子がなければそり返るほどの高さであったことが、当時の写真からも分かる。
それ以来、建築にも興味を持つようになった、私の新しい歴史の1ページといっても良い

これを機会に私の人生にも、まだ何jかしらの変化が徐々に芽生えてくる予感めいたものを感じ始めた。




2018年

4月

04日

新人研修は自らのスタート

数年前から、新人の接遇マナーの講師依頼が多くなりました。

人様の前で、話をするためには、事前に準備を要します。

しかし、この準備を、前向きに考えると、まずは私自身が、学ぶことである。つまりは、また、新しい知識を開拓する結果につながります。

 

基本的な内容には、関心度がなく、今の時代はパソコンやスマートフォンで検索すれば、すぐに知識が得られる。

 

特に「嘗ては」とか「昔は」といったプロセスの説明を始めると、静かになってしまう。

年寄りと思われるのも癪なので、私は意識的に控えている。

 

その代わりに「体験が力」の私は、成功例より、失敗談を選んで話し始めると、今まで睡魔や倦怠感と戦っていた受講者が急に身を乗り出してくる。その変化を見るや私には実に楽しさを覚える。

 

実体験を聞くことを望んでいることは明白であるが、その前段階があってのことだが、仕方ない傾向だと、諦め順応している。

 

受講者のためでなく、実は私が多くの今風にいうところの「引き出し」を

いただいているのである。

 

新しい知識を必要とする依頼に、別世界の道が広がるのでまた元気が出るのである。

有難いことと素直に受け止めている。

2018年

4月

01日

雑駁で自由な想いを綴る

日本では未だ4月が、新しくスタートする習慣がある。
今日から私も周囲を気にしないで、書きたいことを書く決心をする。

その願望は数年前というか、72歳で、人生についてかなり真剣にギアチェンジというか、リセットするつもりでいた。
然し、この世の中、自分の思い通りにはことは運ばないものである。分かっているが、心に重い塊を抱えた状態の日々が続いてしまった。
思い切って、そろそろある種の「自分」からも解放されたいとの思いが強くなる自分を制御出来ない。

新年度を機に、私にとっては「下手の横好き」と承知しているが、思い付いたことを文字に置き変える作業が、日々を穏やかに過ごせる。

駄文あり、自分勝手の「犬の遠吠え」だったり、こうして雑駁に文字を起こしているだけで、自分の時間を生み出し、誠に楽しい限りである。

そもそも、このブログを始めたのは「魚座」という星座にも理由があった。。人は私を鮪に例えて、何時も動き回っているという。
さてさて、一概にマグロとはいえ、高級魚のマグロから今は養殖と様々だ。

先日僅かにセピア色の日経新聞の切り抜きの記事によれば、「衝突死」しないマグロをつくる研究が加速しているそうだ。
兎角私も動き過ぎて「衝突」の可能性は否めない。
これからは、私も穏やかに悠々と回遊したいが、持って生まれた性格をどこまで変えられるだろうか。
気持ちはあっても、実行にまではと既に後ろ向きであるが、雑駁な駄文を書くことだけは前向きになれそうだ。

どうぞ暫しのお時間をいただき、ご贔屓に宜しくお付き合いを。