2016年

5月

31日

5月最後の薔薇

今年ほど多くの薔薇の花を楽しんだことはないと思いながら、欲を出せばオレンジ色の薔薇を見る機会がないなあと残念でいました。遠目ながらに道の反対側に、確かに一輪ですがオレンジ色の薔薇が咲いています。思わず周囲にも目をくれずに車道を横切り走ってしまいました。頭にはオレンジ色の薔薇のことしかありませんでした。

既に東京都心の薔薇はお役目をを果たしたかのように、いささかお疲れ気味です。
お目当ての薔薇は少しオレンジ色に弱さがありますが、確かにオレンジ色を残しています。私にはオレンジ色の薔薇なのです。
生前オレンジ色の薔薇が好きだった母親に、ギリギリですが遅い母の日のプレゼントができました。

2016年

5月

30日

新しさを求める

昨夜の未明からの雨に、あちらこちらの紫陽花がそれぞれにさまざまな姿で楽しませてくれます。

4月から、私も少しずつライフワークに変化の始まりを感じています。約12年間関わった高齢化社会問題から、将来の方との学びの世界へとギアチェンジを求められているようです。
その一つに該当する委員会に出かける途中で、多くの蕾を抱えたピンクの紫陽花からこれからの私の進む方向性を示されたように思いました。
一つ一つの蕾が活き活きと花を開かせるために、新しい学びの場を作り出す楽しさを紫陽花に重ねています。

2016年

5月

29日

完璧すぎる美

知人先であまりの美しさに魅せられ、思わずパチリ。5月8日です。

路地の紫陽花の花は、まだ固く口を閉じた蕾を多く見かけます。この素晴らしく整いすぎた紫陽花は確かに完璧な美しさを持っています。しかし、私には造られた美に見えるのです。季節を少しでも早く愛でていただくために愛情を注いだ方には心苦しいのですが、何となくか弱さを覚えます。
斜視的な見方でしょうか。

2016年

5月

28日

ウコギの炊き込みご飯

夕刻、故郷のサテライトショップで、米沢地方では生け垣の若葉を食用にするウコギを求めたとの連絡があり、夕食を楽しみに待っていました。

ウコギを知ったのは、高齢で独り住いを案じた娘さんが東京で一緒に同居することになり、長年親しんできたウコギを2鉢持ってきたそうです。
しかし、体調を崩して折角の若葉の季節に口にすることができないことに始まります。
興味を持った私は早速友人にウコギの一件を話したのです。
地元出身の植物研究家の石栗正人氏が、2015年12月4日の日経新聞に、米沢市とウコギの歴史が詳細に記載された記事を思い出し、友人が来るまでに見つけ出しました。
炊き込みご飯と、庄内ではオカヒジキというおひたしが食膳に並びました。因みに、ウコギにも花が付くのだろうかと気になり、検索しました。白く小さな花でした。

2016年

5月

27日

ゾウ「はな子」との思い出

昨夜のニュースで戦後初めて日本にプレゼントされたというタイ生まれの象の死を知りました。人間でいえば、古希を前にして残念に思います。
そのはな子に、私は早朝の上野動物園で遭遇したといた方が良い出逢いをしました。今思うと父親ははな子が朝の散歩に時間帯に入園できたということです
1949年そして死亡した年齢から 私が小学校1年生の時でした。記憶でははな子の背中に象使いというのか飼育係がついて私たち親子の方に向かって ゆっくり近づいてくるではありませんか。
朝のお散歩のようですが 、想像を超えた大きさに驚いた私は無我夢中で父親にしがみついたそうです。
後に父親も内心はお散歩の道幅から無事に通り抜けできるか、心穏やかではなかったと言っていました。
今となっては、忘れがたい思い出になりました。

2016年

5月

26日

食感と触感

先日、食感を数値化して様々な食品開発や高齢者のために実用化を目指しているという報道がありました。まず頭に浮かんだのが、今医療界でも痛みの度合いを数値で表していますが、個人差があり、痛みを数値で答えるのは難しいという話も聞きます。

また、テレビのグルメ番組ではレポーターの食感の表現力負うところが大だと思われます。その表現次第では大いに食欲を増進する効果がありませんか。
近所のテッセンの花の元気がないように見えて、そっと花弁に触ると カサカサしています。
そのうちに食感ならぬ触感も数値化するようになるのでしょうか。もう開発されているのかもしれませんが、だんだん、体感することによって実感し、自分の言葉として表現できる機会が失われることが案じられます。

 

2016年

5月

25日

目覚まし時計はこむら返り

かつて早起きの話題に触れましたが、特にこの1ヶ月ほどは大体3時30分から、左右の足にこむら返りが起こり目を醒ます事態が続いています。
今年は両足に起こるため、足を思い切り伸ばすことに恐怖を感じています。親指を思い切り手前に反らせると治りますが、すぐもう一方にもこむら返りが起こり同じことの繰り返しです。そうこうしていると、目は既にパッチリと醒め、ちょうど時計は4時近く、1日の、活動が始まります。
不思議に冬には起こらないのですが、そのうち治まってくれることを願っています。

2016年

5月

24日

聖橋の上で

最近は、聖橋方面への縁がなく、久し振りに聖橋を渡ろうと、なんとなく空を見上げました。
目の前に、病院群の建物が迫ってくるようです。現在第二の病院の改築といいますか、新築の時代に入っているのではないでしょうか。
そんなことを考えていた矢先、私からは右手に青々と茂った木々から建物の最上階と思うのですが、壁画に気付きました。歩みを止めて見つめると、3点の作品に見えます。
向かって左側は「ヒポクラテスの誓い」とわかりましたが、残念ながら残りの2点はわかりませんでした。帰宅してすぐインターネットで検索しました。聖橋方面にいらっしゃる時は是非お勧めしたいと思います。折角検索しましたので、中央はラファエロ作のアテネの学堂」、右側はロバート・ヒンクリーの作品とわかりました。詳細はネットで検索をどうぞ。

2016年

5月

23日

22年前の出来事

今から22年前の1994年5月23日月曜日7時50分、仕事に出掛けようと自宅の鍵を閉めようとしたその時です。電話がかかってきました。受話器を取り上げた先からは、息が止まるような内容です。わずか自宅から50メートル先で、自転車に乗っていた父親とワゴン車がぶつかった知らせでした。

自宅からせわしく回る救急車の赤色灯が目に入りました。
事実です。私は父親の全ての病院の診察券と保険証と印鑑そして自宅にあるだけの現金を持って駆けつけました。
救急隊員からは、引受先の医療機関がなくてとのことです。私は、父親が診察実績のある診察券を渡しました。救急隊員が、その中から一つを取り出して私に質問で、その医療機関は、年甲斐もなく、周囲の反対を押し切って梯子から転落した時に処置をしていただいた先の診察券でした。その際に救急での履歴があることで、すぐ引き受けてくれました。
救急車に同乗している時、なぜか小さな枇杷の実が目に入りました。もし快復したら、疎開先で枇杷の実で空腹を満たしていた父親に、間もなく旬の枇杷を食べさせたいなんて、思う冷めた自分がありました。
5月22日に偶然にも、枇杷の実を見つけました。

2016年

5月

22日

日曜日も早起き

最近、ライフスタイルが朝型にシフトしているとのことです。昔は「早起き早起き三文の徳」と言われ、朝寝坊をしたくても母親からよく聞かされました。
加齢 に伴い、日常の生活のリズムを変えると何となく1日がスムースに物事が進まないので、休日に関係なく朝は大体4時が起床タイムです。テレビを聞きながら前日にやり残したことから始め、メールのチェックなどを済ませ、簡単な朝食を済ませるのが日課です。
日曜日の朝は、NHKの5時のニュースの後の「演芸図鑑のスペシャル対談」が楽しみで、先週に続き桂文珍の司会で、ゲストが作家の五木寛之氏でした。
かつて銀座百点の編集部時代に、五木先生に何度かお目にかかることがありました。なぜかいつも渡される封筒には、赤字で銀座百点編集部浅野マリ様とあります。「先生、どうしていつもマリなのですか」と思い切って尋ねました。
五木先生からは「マリ子より 僕はマリという方がいいと思うから」とのことです。まだ編集者としては駆け出しの私を気遣って下さったんだと、思っています。
今でも私には忘れられない思い出になっています。

2016年

5月

21日

バナナが心配

久し振りにのんびりと週末を過ごすつもりでした。さてさて今日は何をしようかなと、思いながら何気なくテレビから、「バナナが食卓から消える」と流れています。私は突然のことで自分の耳を疑いました。
「新パナマ病」というバナナにとっては致命的な病気だと分かりました。
咄嗟にバナナについてある新聞記事を思い出しました。整理しているのですが、まだセピア色になった新聞の切り抜きまでは手をつけていない状態です。かなり思い切りよく処分しているつもりですが、思い出した切り抜きは残してあったはずと、のんびりする筈の予定は消え、記憶をたどり、やっと見つけました。
2000年1月22日の日経新聞に「あの時の一品」欄に、俳優の大和田獏さんが「ご褒美のバナナ」についての思い出を書いたものです。
当時小学校の低学年で、彼は父親からご褒美にバナナを買ってもらうことで、福井県駿河市の地方都市ではバナナは高根の花で、なかなか手に入ることは難しく、しかも日曜日だったそうです。心当たりを数軒探したそうですが見つからず諦めた時に、パチンコ店の賞品ケースに一房のバナナがありました。彼の父親はパチンコには興味がない筈が店に入って賞品のバナナを売って欲しいと交渉したそうですが断られました。何と彼の父親はバナナに相等するパチンコの玉を買うと、思いがけない交渉です。
約束を守ってくれた父親の背中が大きく見えたと、バナナを見る度に思い出すと結んでいます。

2016年

5月

20日

津南の水

「そろそろ花を咲かせてよ」と、自宅の前の植え込みの紫陽花に声をかけながら水をかけていますお年寄りに、笑みがこぼれます。

今日、「津南の水」という銘柄があることを知り、美術の仕事で津南町を訪れたことを思い出しました。11月の初旬から、私はその数日前から風邪をひいていましたが、納期が決まっていますので無理を承知で出掛けました。宿泊先は工事関係者で満室状態でした。食事が進まない私を、宿の年配の女将さんが、自室に呼んで、玉子酒と火鉢で焼いた熱いスルメを裂きながら「これで風邪は治るから、今夜は温まって早く寝なさい」と。また、「11月13日には、必ず雪が降り始めるから、気をつけないと」とも付け加え、私を案じてくれました。
予定より仕事が早く片付いたので、バス停の前でバスを待っているとチラチラと白いものが、コートにかかります。見上げると雪です。11月13日の朝でした。

2016年

5月

19日

ドクダミを描く

1979年から約20数年、銀座で小さな画廊に携わって来ました。お陰さまで、設計段階の建築物にオリジナルの作品を制作するという大変に恵まれた環境でした。

おこがましいですが、トヨタのカンバン方式に近く、逆に在庫を持たない画廊でした。資金的な面でも苦労をしなくて済みます。一方で、私なりに若い作家さんにもネットは張っていました。数年間の付き合いのある作家がドクダミの油絵を持ってきました。出版業界も同じですが、タイトルに左右される怖さを抱えています。私自身、ドクダミについての知識に疎く、ピンと来ませんでした。4号の小品ですが、そぎ落とした作風にドクダミに対するイメージが払拭されました。近所の公園の日陰にひっそりと咲いていたドクダミに往時を思い出していました。

2016年

5月

18日

未来に期待

昨日の雨が上がり、清々しい五月晴れの朝を迎えています。

ちょうど保育園の前を通り過ぎようとしたところ、はち切れんばかりの元気な声が聞こえてきます。
テレビの放映で、5年前の東日本大震災で被災され、またご自身もガンとの戦いを続けながら、南相馬市の原町中央産科医院の高橋享平医師の言葉が思い出されました。
「子どもがいなくなることは未来がない」と、被災地に残り24時間診療を続け、震災後も26人の未来の命を取り上げたそうです。
車が慌ただしく行き交う中でも、歩道には元気な未来の声が聞こえてきました。その傍の植え込みに咲いている花が子どもの姿に重なりました。

2016年

5月

17日

季節の香り

天気予報の通り朝から篠突くような雨と風に、重装備で出かけました。しかし、恵みの雨にもなりうるのですが。人間は全く自分勝手だと思いつつも、偶然、雨に打たれ青々と見事に繁った山椒の葉が視界に入りました。かつて出入りしていた八百屋さんが、我が家は身体に良いものばかりを買ってくれるねと言います。クワイ、銀杏、ヤツガシラ、ゆりの根に始まり、三つ葉、葉を残した蕗、山椒の葉、大葉、みょうがと限りなく続きます。今年はまだ山椒は初物です。思わず手が伸びて枝から葉を一つ失敬しました。辺りが一瞬ですが、山椒の香りが広がりました。季節そのものの香りでした。育て主さんごめんなさい。

2016年

5月

16日

イサキの刺し身

今日はなんとなく刺し身が食べたくなってスーパに出かけました。先週の土曜日の日経新聞の夕刊でイサキの記事が記憶に残っていたからだと思います。瀬戸内で育ったせいか白身の魚の刺し身が好みですが、まさか願いが叶うとは、思ってもいませんでした。
日経の記事によれば骨が硬く鍛冶屋が喉に引っ掛け、亡くなったとことから「鍛冶屋殺し」の異名があるとか。美味しくても食べ急ぎは禁物とあります。でも美味しくて夢中で、一気に口に運んでいました。

2016年

5月

15日

チョット変身

年に一度5月に、友人のアクセサリーの店員さんに変身します。アクセサリーの効果にはいつも驚きと楽しみを感じます。お客様が気に入ったネックレスを鏡に合わせている時の表情は真剣です。

「とてもお似合いですね」との一言に笑みが浮かび、パッと表情が明るくなります。周囲も何か華やかになります。
アクセサリーには不思議なパワーがありますね。
掲載した写真の赤と白の小さく可愛い花ですが、周りの緑を引き立てているように見えませんか、あるいは緑が小花を引き立てているようですね。アクセサリーの効果も似ているなぁと思うのですが。
実は私も普段は無機質な服装ですが、個人的な立場とか、講師依頼の時などは、アクセサリーの力をかりています。適当な言葉が見つからないのですが、何か背中を押してくれます。

2016年

5月

13日

やっと咲いたね

北向きで日当たりの悪い玄関の植え込みのツツジの蕾が、固く毎朝気になっていました。

思わず、「いつになったら咲くのかな」と声を掛けていました。
縁起や占いを気にする方ではないのですが、気を付けるようにはしています。今日は13日の金曜日です。
急ぎ足の私に、植え込みが視線に入りました。今朝、初めてツツジが咲きました。
「おはよう、今日は良い日になるわ、ありがとう」
まるで我が子の誕生のように嬉しくなり、13日の金曜日の不安を小さな花ですが追い払ってくれました。

2016年

5月

12日

「看護の日」に寄せて

今日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念して、「看護の心をみんなの心に」をテーマとした「看護の日」です。

最近は看護師さんの制服も多様になり、一概に「白衣の天使」とは言えないかもしれませんが、看護職を目指し純粋な心を持って病気の方を支え励まれていることに頭が下がります。
そのような崇高な気持ちの看護職の皆様に、私は白い薔薇の蕾を重ねています。大きく咲いた薔薇の花の後ろにはたくさんの蕾を蓄えています。いつか大輪の真っ白い花を咲かせてくれるように、楽しみにしています。

2016年

5月

11日

軒先きがない

天気予報を案じながら、出かけたところ、怠け者に一番最初に雨の水滴が当たると、祖父から聞いたことが今でも頭に残っています。最近は、昔のように雨宿りができるような軒先きの建物が少なくなりました。見上げると、まだ雨雲は迫っていないように見えるのですが、ちょうど葉の生い茂った紅葉の下に駆け込んで、携帯傘を取り出しました。見上げた紅葉の色彩のコラボに感謝の気持ちを込めて。

2016年

5月

10日

ツバメとクレマチス

今年も10日から 愛鳥週間が始まり、巣をかけた家に幸福をもたらすというツバメですが、都市部では住宅難とか。ツバメさん、クレマチスはヨーロッパでは、旅人を快適に過ごせるように、宿の玄関に植えて優しく迎え入れるそうです。偶然、医療施設の玄関で見かけましたが、花言葉を知って子育てのために住まいを探して苦労しているツバメの気持ちを察し、少しでもお役に立つかしら。

2016年

5月

09日

ヤツデの迫力

暦の上では立夏を迎え、青葉若葉の繁る季節です。今日からまた平常の生活に戻った方が多いことと思います。一週間ほど見なかったヤツデが、まあ、何と、元気に思い切り大きく葉を広げています。日本が原産地と言われ、天狗の葉団扇と言われるヤツデの若葉が目に飛び込んで来ました。

2016年

5月

08日

白い薔薇

確か小学校の低学年の通信簿に、「 協調性に欠ける」 と私に対しての評価に母親が 認めながらも、私に「 病気がちだから仕方がないけど」 とため息をついた記憶を今でもハッキリ覚えています。

その後いつからか記憶がないのですが、「 母の日」 に紙で作った赤いカーネーションを、ブローチ風に左胸に付けた学生時代を思い出します。その時、白いカーネーションをつけた数人の同級生もいました。私は数人が付けている白いカーネーションに魅かれていました。
アメリカでアンナ・ ジャービスという女性が母親の死をきっかけに、生前母親が好きだった赤いカーネーションを贈ったのが始まりとのことです。
通信簿の評価の通り、協調性に欠けていた私はへそ曲がりと言われても、私の大好きな白い薔薇を「 母の日」には贈ります。

2016年

5月

07日

茶腹も一時

長いと思っていたゴールデンウイークも、終わりが近ずくと急に短く感じる全く勝手な私です。
東日本大震災で転居せざるを得なくなったこともあり、私は驚かれるでしょうが、デスクを持っていないのです。
思い出と味のある桐の箪笥も煮染めのようになっていたため、箪笥の代わりにクローゼット購入し、今ではそれをデスク代わりに使っています。幅は1200㎜、奥行きは450㎜、高さは890㎜でこれが実に使いやすいのです。パソコンを始め、全て立って作業をしています。
ちょうど空港のカウンターでの手続きの風景に近いと自分ではこれも勝手に満足しています。大体、90分が限界です。次は休憩が待っています。
茶腹も一時の時間は、かつて40分との記憶があり、その時間は自分へのご褒美とぼんやりと何も考えないようにして体と頭を休めるように心がけています。
意外にこの40分は長くも短くも無い時間に思います。試してみては如何でしょうか。

2016年

5月

06日

今日もお休みで嬉しい

今日がお仕事の方には申し訳ないのですが、私は今週は「 母の日」 までお休みです。なかなかこんなに恵まれた休日は少なく、張り切っているつもりですが、じっとしていられない性分のため片付け魔が耳元で囁きます。その次は睡魔の誘惑に負けてしまいます。でもでも、残り少ない休日を少しでも、当初の計画を果たしたいと思っているのですが。

2016年

5月

05日

私の「 ピンクのもーも」

今年の連休を利用して、セピア色に近い新聞の切りとった資料を整理しようと決心しました。

残念ながら寄る年波には勝てず、取捨選択の手が思うように進みません。気分転換に近くの公園の切り株のベンチに座って、リセットをしている時に、ふと「 ジェインのもうふ 」 の気持ちを思い出しました。
「 セールスマンの 死」 の戯曲で知られるアーサー・ミラーが娘さんのために書いたと言われる一冊の絵本のことです。娘さんは、「 ピンクのもーも」を片時も離さずに大切にしていました。使っているうちにだんだん細くなり、もうふの役目を果たせないほどになっていました。ついには小鳥が巣作りのために持って行ってしまいました。時代の流れが速い時代、資料にも賞味期限がある、あってもいいのではと、心の整理をして立ち上がった時に、紅いマロニエの花が真っ直ぐ空に向かって咲いていました。

2016年

5月

04日

メイストームの朝

5月 を迎えると、メイストームが自分の出番を待っているかのように、熊本、大分地方の被災者の方にも遠慮会釈なく大暴れしました。東京は深夜に通り過ぎましたが、今年この時を逃すと見られなくなるのではというある不安がよぎりました。身づくろいもそこそこに、気になるところまで急ぎました。お陰さまで雨にも負けず、風にも負けず、葉にはたくさんの水滴をつけた「 春紅葉」 に、胸を撫で下ろしました。

2016年

5月

03日

メールの声

今日は朝からシャキッとしないので、憲法記念日というのに不謹慎ですが ベッドと仲良しです。最近というか 65 歳を過ぎた頃から、疲れが3日遅れで出てくる傾向にあります。

今日は予定にも目をつぶって、ぼんやり過ごすと決め込みました。全く声を発することもなく、自分が音を立てない限りは静かな1日になるはずでした。然し、なぜかメールのラッシュです。声を発していないのですが、相手の声が想像できます。メールの言葉から汲み取れるのす。
ゆっくり過ごす休日からも学ぶことはあるものだと気付きました。

2016年

5月

02日

白いマロニエの花

今日は休日の谷間で、何となくリズムが普段と異なって見えます。いつも定時にすれ違う人も少なく思わず、空を見上げたところ、白いマロニエの花が今年は元気に花をつけています。

最近は紅いマロニエは元気に毎年花をつけるのですが、久しぶりに白いマロニエに とても爽やかな気持ちを取り戻り、足取りまで軽くなりました。

2016年

5月

01日

お待たせしました

先月23 日は男性が女性に1本の薔薇を贈る「 サン ・ ジョルディ 」 の日でしたよね。

私が男性だったら、この薔薇の開花を待っていました。薔薇特有の華々しさはないのですが、ご近所でもあり、楽しみにしていました。また 私も挿し木をして一時期育てたことがありましたが 、育て主同様花をつけなくなってしまいました。何と元の場所に戻しましたら 綺麗に花をつけるではありませんか。
もう1週間の早く咲いてほしかったな。