2016年

12月

31日

2016/3/29消印の葉書

休日でも私はいつもと同じ時間帯に起きて、ゴソゴソ始めます。

しかし、起きようとした時、テレビから流れたニュースの訃報に、案じていたことが現実になったことを知りました。
疎開先の岡山で過ごした私は、中学に進級についても母親は案じて地元の中学校より、通学時間には時間を要しますが、体育の授業がユッタリしたミッションスクールを選択しました。
昨日、30日に天国にお引越しなされた渡辺和子理事長のノートルダム清心中学校でした。
渡辺理事長はとは、東京でお目にかかることが多く、お忙しいお立場なのでお手紙でのご報告をさせていただいていました。
縁あって、私はメジャーな立場でないので、自費出版で幻冬舎ルネッサンスから「笑顔の力」を出版いたしました。
偶然にも、空前の大ヒットの「置かれた場所で咲きなさい」を幻冬舎さんから出版なさったので、同じ出版社のご縁もありお贈りしました。
早速、お手紙をいただきましたが、正直に「まだ拝読しておりませんが、いろいろの豊かなご経験から学ばせて頂きます」と、今までは、どちらかといえば、私には厳しい内容でした。
その時、一抹の不安がよぎりました。2012年の12月5日のお手紙でした。
そして、2016年3月29日の葉書を頂いたのが最後となりました。
「お便りをありがとうございました 。岡山も桜が咲き始めています。またお立ち寄り下さいませ 。お大切に」
葉書の書体にいつもと違い、乱れを感じていました。
卒業生やお手紙を頂いた方には御返事を出していますと伺いましたが、その半年後に亡くなられるなんて、私にとっても一つの時代が終わったような気がしました。
渡辺和子先生は、時には厳しく、時には優しく、凛として研磨して下さった真っ直ぐな「砥草」のような方でした。

2016年

12月

30日

一年の計は年末に決める

昨日からスタートした片付けは、目標には少し届かないけれども、年内に固い決心のもとで済ませるのが、手帳の整理です。

古い人間とお思いでしょうが、毎年、真新しい来年の手帳に、今年の手帳と付き合わせながら、来年の目標も記入することにしている。
予定ではなく、今年積み残した目標について、反省を込めて、敢えてまた、記載するようにしています。
あるいは、今年こそはと次から次に欲張って記載しておきます。
と同時に、iPadの方にも忘れないように心がけています。
手帳だけだと、完了済みについて、いわゆる「レ点」で済ますことになりますが、iPadだと「削除」をポンで済むので、達成感がありスッキリします。
まあ、血圧が高くならない程度の目標を決めました。
チョット一休みした途端に、睡魔に襲われました。
無理して欲張ってはいけないということですね。

2016年

12月

29日

片付けの休日が始まる

私にとって、この年末の休日は、待ちに待った1年間の片付けをするのが恒例の日の始まりです。

もう一つは、毎年、出来るだけ年末に、鍼灸治療に行くことです。
毎月、一度は治療をしていますが、この年の瀬の鍼灸治療には、私なりに、身体にお疲れさま、ご苦労さまといった気持ちもあります。
そういえば、小池百合子都知事も鍼灸治療を施しているとの、週刊誌の広告で見かけましたが。
朝の一番に治療を済ませた後は、出来るだけ重いものは持たないようにしています。
おかげさまで、今朝の血圧では、160/87/62と効果が表れているようで、帰宅するや、毎年確定申告の準備を始めながら、もしやと思って残していた資料なども、見直すと、ノーサンキュウということが多く、心身ともにスッキリしてきます。
そうすることによって、私の狭い頭脳に隙間ができます。
また、新しいものを見つけてしまうためには、この年末から年始のお休みは、次へのステップのために必要不可欠な毎日です。
しかし、1年で随分いろいろなものが増えませんか。
私は、生来の体力の無さと、飽きっぽい性格だと自己分析しています。

2016年

12月

28日

16年前の再発

私は、2000年1月に、ホスピス病棟に入院の方のことが気にかかり、また途中で知人に話しかけられたこともあって、既に約束の時間が過ぎていました。

その日は寒く、日向を選ぶ余裕もなく、相変わらず、路地から路地を猛ダッシュしていました。
こんなことは初めてですが、全身がグラリとして、胸のトキメキも早鐘のようです。
でも、私は初めての入院で不安もあるかと、自分のことなどに構わず、走り続けました。
時間にして20分ぐらいの間に3回、大揺れがきました。
3回目はとうとううずくまってしまいました。
通りすがりの人が数人集まって、「大丈夫ですか、救急車を呼びましょうか」との心遣いに、私はなんと返事をしたでしょうか。
「大丈夫です。今、病院に行く途中ですから」
ホスピス病棟にと急いで乗り込もうとしたエレベーターに看護部長と乗り合わせた時です。
「淺野さん、尋常じゃないですよ。体調が悪いのでは、私も付き添っていきますから」
私の血圧を測った看護部長は、「血圧が、202/108そして脈も108よ、すぐに循環器にかからなければ」
「108なんて、除夜の鐘みたいじゃありませんか」
「何をそんな冗談を言っている場合ではないのよ、早く診せなくちゃあ」
その16年後、また、区民健診で、5回ほど測り直しても、200/118/で、今回は脈は平常時に近いとのことです。
その時は約一ヶ月ほどで血圧も下がり、それ以来念のために2ヶ月に一回受診をしていましたが。
16年前からのお世話になっています主治医の先生で、久し振りに降圧剤を服用してクールダウンして、あまり情熱的にならないように、気をつけます。
来年早々に、初めて心エコー検査をする予定です。

2016年

12月

27日

チャンスがあった

私は、昨日のような時でも、翌日にまで引きづらないようにしています。

昨日の落選を考えすぎると、身体に支障を来すからです。
身体が弱いということも私には、精神的に処理する方向に向かうということに繋がるのです。
これが私のケアであり、バランスを保っているのです。
すでに、私は次のチャンスを探し、今度は徹夜なんて無謀なことは止めて時間をかけて、またトライしようと思っています。
人は、あまり無理はなさらないで、お気をつけてくださいと案じてくれるのはありがたいのですが、逆に私の悪い癖で反骨精神に火が付くのです。
異帰宅して、メールを開いて、まだ悲観するのは早かったようです。
季節的には、まだ早すぎて、ひ弱なさくら草と私が重なりますが、いずれお話をする時が来ることになりそうです。

2016年

12月

26日

足の裏に磁石

今日は先日のコンペの結果が発表の日です。

表面はケセラセラなんて言っていますが、内心はダメ元と言い聞かせながらも、そのスリル感は身体に触ります。
頭の隅に、しっかりとインプットされているのが分かります。
ちょうど、病院のクリスマスツリーを片づけることで、随分救われています。
自宅まで、足の裏に磁石が付いているほど重く感じます。
しかし逃げてはいけないこと、結果も歴然としているのですが、メールを開くのが正直なところ、怖いもの見たさの心境になりました。
落選しました。
その時、妙に負け惜しみでなくスッキリしました。
これでいいのだ。
これが、今の私の実力とわかったからです。
自分のことは自分が一番知っているはずです。
認める勇気がないからだと思います。
こうした悔しさに鍛えられてこその、結果が現れる日が来ることを信じて、努力を続けましょうかね。

2016年

12月

25日

クリスマスツリー

今年もあちらこちらのクリスマスツリーを見るのが楽しみです。

今年は、街を歩いていて、お馴染みのジングルベルの曲を聞くことが少なかったように思い、私としてはチョット寂しい想いがあります。
「知恵の樹」と言われるクリスマスツリーは、街によって、お店によっても、それぞれ個性があるようで、それも心を豊かにしてくれます。
私も、毎年、病院のクリスマスツリーをボランティアが用意します。
その年によってツリーの飾り付けにも変化があります。
今年は好評のようで、お褒めの言葉をいただくことが多くありましたが、今日限りです。
先日のイタリアからの一時帰国の同級生とおしゃべりした際の、帝国ホテルのクリスマスツリーをアップします。
ノーブルですね。

2016年

12月

24日

今夜はクリスマスイブ

今年のクリスマスイブは土曜日です。

ご家庭で過ごされるマイホームでのクリスマスイブを過ごされる方も多いのではないでしょうか。
それともクリボッチの人も多いのかなあ。
まあ、楽しいイブになるといいですね。
先日、イタリアから一時帰国した友人と一足早く、苺のショートケーキをいただきました。
今はクリスマスケーキも多様性に富んで、楽しませてくれます。
私たちの年齢は、やはり主役が苺のケーキでした。
後日、17日の日経新聞夕刊の「彩時季 」欄によれば、現在出回っている品種は江戸時代末期、オランダ人によってもたらされたとのことです。
花言葉は「尊敬と愛」。聖ヨハネと聖マリアにイチゴをささげられたことに由来するというと続きます。
さらに枕草子に「覆盆子(イチゴ)」とあるそうで、これは野イチゴとされるとの記載に、たかが苺なんて言えませんね。
岡山時代、自宅に育った苺をおやつにしていたのですが、このような歴史があるとは知りませんでした。
ちょうど夕刻まで話し込んで、外に出た時の帝国ホテルの素敵なイルミネーションのツリーを、皆さまにもお裾分けします。

2016年

12月

23日

プロでもお手上げ

昨夜、急に天婦羅蕎麦が食べられなかったので、久し振りにかき揚げと海老天を買って蕎麦を茹でました。

蕎麦が好きな私は、だいたい1週間に一度は茹でて、シンプルに頂いていますが、今回は、天婦羅蕎麦に拘りました。
その前日に、宮澤賢治のことを思い出していましたせいかもしれません。
出来上がってお盆に乗せて、一方で七味唐辛子を取り出そうとした時に、なんと折角の天婦羅蕎麦を、絨毯にご馳走してしまいました。
悔しく残念なのは、この住まいに移り、絨毯を汚さないように気を付けていただけに、すぐに洗剤をタオルにタワシを包み、必死に闘いましたが、限界を認めざるを得ませんでした。
亡くなった両親の言葉を思い出しました。
まず、母は、天婦羅を作ると出来上がった時は、自分は食欲がなくなると言います。
父は天婦羅蕎麦は、できれば有名店の蕎麦屋で食べるものと言います。
その前日に、宮澤賢治の蕎麦好きを思い出したことにありますが、オット、他人に責任転嫁をしないことです。
翌日の今日、もう一度挑戦したのですが、変わりばえしませんでした。
これはプロの力を借りようと連絡して、私の処理を聞くや、なんと、我々にもそれ以上のことはできませんと剣もホロロです。
ちなみに、今日は天皇陛下のお誕生日ですが、プロの一言に逆上して、闘い続けた祝日になりました。
昨夜の22日は、仏滅でした。

2016年

12月

22日

菫の花に味方する

私は本来、出版の仕事に関わってきた以上は、できるだけ売り上げの向上を望んでいます。

但し、まずは広告欄に目を通することから始めてしまいます。
その一つに、発売時からの広告欄の紹介に気になる箇所が あります。
齋藤孝氏の監修による「こども菜根譚」の一部紹介欄のトップに「『清く 正しく、美しく』はとてもたいせつ。でも、それだけでは息苦しくなるよ。」
私の年齢ですと、「清く、正しく、美しく」は かの有名な宝塚には、何と言っても菫の花が欠かせない存在であり、同様に大切な教育方針の記憶があります。
年頃になると、学生時代に始まり、母親からも耳にタコができるくらい聞かされました。
そういう立場で言えば、煩いから「息苦しさ」に通じるかもしれませんが。
気象庁から、今年の日本の平均気温が過去最高の発表がありましたが、だんだん 、春の花と思われていた花が、これから、雪も降るかもしれないのに、春の花を多く見かけます。
菫とこども菜根譚についての、相変わらずの私の横車の一説にご容赦を。

2016年

12月

21日

気にすると気になる

今日は冬至。スーパーに行くと柚子とかぼちゃが主役の日です。

私は一足先に、柚子は体力回復で柚子ジュースで元気になりましたので、かぼちゃを買って帰りました。
今日の日経新聞の朝刊の「春秋」欄に、冬の語源は春に向けて自然の活力が「増(ふ)ゆ」との説があるとのことです。
この説によれば、ビタミンカラーの黄色の柚子やかぼちゃが、ピッタリだなぁと思いました。
今年も残すところ、10日になりました。
2017年の占いも書店に色々とたくさん紹介される季節です。
私自身は 、気にすれば気になりますが、振り回されるのが煩わしくて、すぐに記憶を消しゴムで消すほうですが。
なんとなくご縁のある方の運勢を案じて、不思議に自分のこと以上に一喜一憂するところがあります。
早いもので、お正月を飛び越して恵方巻きのの予約に、後ろから追いかけられているようで、歳を早く取ってしまいそうな寂しさを覚えます。
街の花屋さんもクリスマス、お正月、春の花がたくさん並んで、色彩が豊かで、思わず立ち止まってしまいます。

2016年

12月

20日

太陽と北風

今日も昨日と同様に、小春日和の1日となりました。

寒いと覚悟している季節に、温もりの日があると、街ゆく人の表情には眉間にしわを寄せて、全身をこわばらせて寒さと闘っている厳しい表情の人が少ないように見えます。
心地良い気温の日は、人の心を和らげてくれます。
イソップ童話の「太陽と北風」を思い出します。
私個人的には寒さにめっぽう弱いので北風が吹かないことを望んでいます。
やはり、太陽の光の恵みは大きいですね。
心にも北風や隙間風を入れないように気をつけたいと思ってもいます。
ところで、今、素敵な名前の満天星が綺麗に色づいています。
満天星を見ると、ホームコースだった龍ヶ崎カントリークラブのインスタートの満天星を思い出します。
私はインのスタートの10番ホールは大の苦手です。
この季節は満天星に慰められて、ナイスショットを願っていましたが、結果は言わぬが花です。
こんな日こそ、ゴルフ日和です。
もう叶わぬ夢になりましたが。

2016年

12月

19日

ケセラセラかドンマイ

年甲斐もなく久しぶりに、あるコンペに応募しました。

なかなか没頭する時間がなく諦めていましたところ、先方から締め切りのお知らせが届きました。
急に弾みがついて、徹夜に慣れている私はやっと深夜自分の時間ができました。
1カ月前から頭の中では組み立てていたのですが、実行にまで移せなかったのですが、残された時間は今夜しかないのです。
「できる」と自分に言い聞かせて取り組みました。
参加することに意義があるなんて、確か64年前のオリンピックで確か言われていた記憶がありますが、私は年齢から、認知症予防にでもなればと、いった気持ちです。
おかげさまで、締め切りの最終日に滑り込みセーフです。
先日、BSで放映されていました松本清張の作品に「1年半待て」がありますが、セッカチな私にはとても精神的にも、体力的にも長時間持ち堪える自信はありません。
ダメ元のスタートですし、約1週間待てば良いので、その間はスリル感を楽しみましょう。
「ケセラセラ」か「ドンマイ」といった心境です。

2016年

12月

18日

松潤の一言

今年も年賀状の締め切りも残すところ、1週間になりました。

郵政省には、反旗をひるがえすようですが、美術の仕事をしている時は、年賀状、寒中見舞い、暑中見舞いといった季節の挨拶状は、失礼をし続けました。
なぜかといえば、ともすれば見落とされがちの可能性もあるために、毎月、近況報告として葉書を、送ることにしていました。
ちょうど、お得意様には殿方が多く、ちょうどハガキサイズは、スーツのポケットに収まり、デスクにも邪魔にならないサイズなのです。
おかげさまで、旬の便りとか、画廊便りとか、ネーミングをつけて楽しんでいただきました。
そのような次第で実質は、毎月かなりの葉書を使いましたので、購入時に、毎月たくさん利用なさってありがとうございますと、お礼を言われたことも懐かしいアナログ時代のセールスでした。
原稿もやっと書き終えて、テレビをつけた時、ちょうど「嵐」のメンバーによる年賀状のキャンペーンの場面で、松潤の一言がグッときました。
「心配してもらえるなんて、嬉しいよね」

2016年

12月

17日

椿の絵手紙

今、寒椿があちらこちらで見かける季節です。

美術の仕事を始めて間もなく、椿をテーマに描く画家から伺ったことを思い出します。
かつては「松竹梅」でなく、「松竹椿」と言われていたそうです。
病気の方には、椿の花は忌み嫌われています。
花がポロリと落ちることから、縁起を担いでのことではないでしょうか。
ホスピスに入院中の方が、毎日、数枚の絵手紙を病院内のポストに投函することを日課にしていました。
これまでお世話になった方に、絵手紙をお礼のつもりで始めたところ、楽しさを見出したとのことです。
ある日、これまでに椿の花を描いていないので、ちょうど今、季節だから、できたら想像でなく、ナマの椿を持ってきてほしいとの依頼を受けました。
さすがに、瞬時に返事はできませんでしたが、理由を聞くと、だんだん描くことも辛くなってきたので、自分としては、潔さを椿の花に託したいとのことです。
その方の想いを察し、私は、かつての画家から聞いた話をしました。
その方は、書き上げた絵手紙に「松竹椿」と添えてありました。

2016年

12月

16日

高熱でダウン

昨日から 背中がゾクゾクして、昼食後、熱を測るとかなり情熱的な高熱です。

久し振りの高熱に、今日はおとなしく、温かくしてベッドと仲良くすることに覚悟を決めたものの、身体は休んでも頭が休養モードにならないのです。
風邪という症状でもなく、片付かないことが山積みの状態で、イライラ病という持病が頭を持ち上げたようです。
かえって横になっている方が、余計に体調が悪くなるようです。
ただ、先日の健診以来、血圧が高い日が続いています。
考えごとをしながら 血圧を測ると、「ウッソウ」というハイになります。
考える前に、行動に移した方が私の場合はリセットできます。
温かくして散歩に出かけました。
すぐ近所に立派な柚子の実をみつけ、そうだ、熱湯に柚子を絞って、フウ、フウしながら飲むことにしました。
部屋に柚子の香りが広がり、熱も下がったようにです。
メールを開いて、締め切りが数日との連絡にも、原因があったようです。

2016年

12月

15日

本当の愛情

昔むかしの話ですが、12月15日は忘れられない日です。

ちょうど、2学期も終わる北風の厳しい小学校1年生の時です。
担任の教師は私の健康を気遣い、教室で一人読書感想のテーマを与え、他の生徒は校庭で体操の授業をしていました。
ドクターストップの私は、両親の意向も心得て、私の得意とします科目を体育の時間に振り替えてくださっていたのです。
私も充分わかっているつもりですが、いつも同級生と仲間外れになっていることに、時には私にだってといった気持ちがあります。
校庭に出た私を担任の教師は見逃さず、私に注意をしました。
その時に、私は「どうせ、私なんか、どうなってもいいんです」と自暴自棄的な返事をしてしまいました。
その日のうちに、担任の教師から母に面談の申し込みがありました。
担任の教師からマリ子さんが私なんか、どうなってもいいのといった表現に、なぜ、御宅のようにあらゆる面で理想的な家庭環境からは、想像もつきませんので屈折した皮肉れた表現がとても気になりましたということです。
担任教師は苦渋の表情を浮かべ、「私なりに、マリ子さんの体については、マリ子さん自身に責任があるわけではなく、あのような悲観的な言葉に、大切にお預かりしています一人の教師として、とても虚しく信じてもらえないことに辛い気持ちを隠せません。私の立場としては、マリ子さんの将来を考えて、厳しいことばかり申し上げてきました」
さらに「マリ子さんにとっては嫌な、大嫌いな先生としか受け取っていないのでしょうか。どうしても、あのように卑下したり、皮肉れた感情を持つようになったのでしょうか。原因に心当たりはありませんでしょうか」
さらに「心から心配している人は、私を含めて決して心地よい返事はいたしませんよ。それが疎ましいのでしょうか。案じています」
帰宅後の母は厳しい表情で、私の両肩を押さえ込んで、私に担当教師との面談の経緯を話し始めました。
母は「いいこと、あなたは両親にとっては望まれた大切な子どもです。どんなことがあっても責任があります。どのような理由があれ、あなたをそこまで卑屈に追い込んだのは、両親の責任だと思っています。ごめんなさい」
一言も私を責める言葉はありませんでした。
母親から経緯を聞いた父親は、私に一言「親は我が子に危険と察せられることは命がけで守るものだよ。親には子どもを育てていく上で、大切な存在であり、責任があるんだよ」
毎年、12月15日の出来事はほぼ65年の時を経ても親の気持ちを忘れることができない日でもあり、私の人生のブレーキでもあり、コンパスになっています。

2016年

12月

14日

松の廊下に始まる

淺野という苗字を持つ私に、赤穂浪士に関係がありますかとの質問を、これまでにかなり多くの体験をしています。

祖父に聞くところによれば、下級の下級武士が一団となって、瀬戸内の穏やかで温暖な気候を見つけ、ひっそりとみんなで寄り添いように住んできたと話してくれました。
私の年齢ですと、NHKの大河ドラマの長谷川一夫扮する大石内蔵助の「各々方」の名台詞が印象深く残っています。
昨年11月末に、吉良邸討ち入りの図が宮内庁書陵部の図書寮文庫の資料から6点が、宮内庁のホームページに初めて公開されたという日経新聞の記事に、当時の出来事を私なりに想いを馳せました。
実際は、旧暦の1月に30日ですが、新暦では今年最後の満月の日と重なります。

2016年

12月

13日

銀杏の葉が花になる

最近、銀座に出掛けるチャンスが多く、私にとってはかつて25年以上過ごした思い出の職場の地であり、ホイホイと足取りも軽くなります。

昨日は、銀座でも築地市場に近い昭和通りを5丁目から新橋の方に向かって歩いていました。
歩道の植え込みの木に、黄色い花がたくさん咲いているように見えます。
近づいてみると、今、旬の黄色く色づいた銀杏の葉がまるで花に見えたのです。
銀杏の落ち葉をかぶった植え込みの葉が、この季節というのに艶やかな緑色を活き活きと蓄えています。
緑と黄色のコントラストがなんとも素晴らしい風景に一役かっています。
編集者時代に色彩のバランスといいますか、永遠の組み合わせについてカラーチャートを何度も使い苦労をしたことが思い出されます。
恐らく、色彩のバランスに限らず、人生にも相応しいバランスがあるのではないでしょうか。
そんな想いにさせてくれる銀座は、私にとっては永遠の憧れの街でもあり、心の豊かさを教えてくれる街です。

2016年

12月

12日

12本の薔薇

今日は大切な人(恋人)に12本の薔薇を贈る日で、ダズンローズディだそうです。

こんな素敵な日が、慌ただしい年末近くにあるなんて、心豊かになります。
我が身に置き換えて考えてみますと、わたしの周囲には大切な方はたくさんいますが、恋人となると残念ですが、うーんと頭を垂れてしまうのが現実です。
願わくは、私を大切に思ってくれる人がいてほしいなというのが、正直な気持ちですし、そのようになりたいと思っていますが、どうでしょうか。
大切な人と、恋人の違いなんてもう考えるには遅すぎます。
まだ恋人として通用する時代に、ダズンローズディを知りたかったなぁ、残念。
来年1月21日から、日伊国交樹立150年を記念して、東京都美術館に右手に薔薇の花を持って、ティツィアーノの「フローラ」が来ます。
ポスターによれば『バラ色の女神「フローラ」  春風に乗って東京へ』と。
先日、イタリアから一時帰国した同級生と帝国ホテルで会いましたが、メインホールの深紅の薔薇に魅せられてパチリ。
偶然ですが、ダズンローズディにピッタリです。素敵でしょ。

2016年

12月

11日

レム睡眠が不足

先日の区民健診の体重の増加には、幾つかの思い当たる点があり、悔やまれます。

原因は、食生活にあります。
ここ数年、昼夜逆転の生活も多く、恐らくその結果は間違いなく表れることと思っているので、今日は、改めてスーパーで、長年の食生活に戻すために、買い求めて来ました。
今朝の日経新聞に、私の場合は時間があれば、すぐ睡魔に襲われるのですが、確かに脳は活動しているとの記事に、大いに該当しています。
記事によれば、レム睡眠が不足すると、食べ過ぎて太りやすくなる傾向があるとのことです。
レム睡眠が不足していると思われるのは、夢が現実が意外に重なっていることがあります。
つまり、脳は一生懸命、休むことなく働いてくれているということだったのですね。
さらに、筑波大のミハエル・ラザルス准教授がマウスの実験で、『寝不足で甘い食べ物が欲しくなるのは、脳の「前頭前皮質」と呼ばれる部分の働きによることが分かった」という内容です。
今月の8日の事始めのヒントを見つけました。食生活の改善と寝不足をしないことこそが事始めです。
しっかり脳を休めるように、規則正しい生活を心がけ、日中、疲れた時はティータイムに大好きなアーモンドチョコレートを一粒と温かいコーヒーでリセットして、また頑張りましょう。
目標ができると楽しくなりますね。明日から、ヨーイドンです。

2016年

12月

10日

寒空の月

今日は朝から北風が意地悪に吹き荒れています。

朝から約束があり、久しぶりに同級生と会う約束があり、激しい北風がなぜかアゲインストです。
待ち合わせの場所まで、全く北風は衰える事もなく吹き続けていますが、友人とのお喋りが待ち受けているからこそ、気にならないのですが。
私たちの年齢になると、健康問題 、子どもの結婚問題、孫、親の介護などなど、全く話題は尽きません。
同級生ともソロソロお開きになる頃に、決まって私に「一人でいるあなたが羨ましいわ。早くにみんなお役目を済ませて、一人で何でも周りに気にしないで、決められるなんて本当に〜」
私にとっては、お決まりのコースなので「はい、はい」と受け止めていますが、私からいえば、人それぞれがくぐり抜けていく時間差の違いだけだとは思います。
しかし、私はまだ現役で経済的にも、体力的にも耐えられる年齢という点では、両親は娘孝行をしてくれたと今は確かに助かっています。
夕刻、スーパーに買い物に出かけると、昼間の北風のせいか、月が冷たい冬の月ですが、とてもくっきりと綺麗で、思わず立ち止まって見上げていました。
その視界に、一室だけ灯りのついた部屋が目に入りました。
寒空の月とは対照的に部屋の灯りに温もりを感じました。
きっと、時刻にしてちょうど5時過ぎなので、家族のために温かい食事の用意をしているのではと、勝手に想像を膨らませていました
今夜は一人で、湯豆腐でもしようかなぁ。

2016年

12月

09日

一緒してもいいですか

只今、我が家であるマンチョンの大改装中で、毎日、ヘルメットのイケメンのお兄ちゃんたちが、テキパキと仕事をしている風景を頼もしく見ています。

実は、私もかつて工事現場で、ヘルメットを着用して、彫刻の設置工事や、まだ工事用のメッシュのエレベーターを使用したおてんば時代を思い出します。
生乾きのコンクリートの匂いもインク同様、抵抗なく元気が出る匂いです。
そのようなわけで、ヘルメット姿の皆さんとは、同じ現場で私の仕事を手伝ってもらいました。
特に、製作者の彫刻家は、設置の際などミリ単位の注文をつけてきます。
しかし、私が一人案じているだけで、実に気持ちよく動いてくれます。
職人魂というのでしょうか。
いつも私は頭を下げるばかりですが、本当に今でも感謝しています。
ところで、エレベーターの前で、一人のヘルメットのお兄ちゃんがエレベーターの来るのを待っていました。
ドアが開いたら、「どうぞ。私も一緒していいですか」
ジーンと来ました。「どうぞ、どうぞ。足場には気を付けてね」
今、マナー研修や、接遇教育などありますが、実に自然体です。
きっと、普段からいつも心がけているから、さっと出てくるのでしょうね。

2016年

12月

08日

事八日に太る

今日八日は、針供養の日との記憶がありましたが、最近は針を使う機会も少なくなりました。

今朝のテレビ朝日の林修氏の「ことば検定」で、「事八日」という言葉を知りました。
これには、なんでも事始め、または事終わりの両面を持つ言葉で、2月8日もその日にあたり、年に2回あるそうです。
今日は年に一度区による健康診断の日です。
今年は、例年と違い食生活が油系のものを多く取る機会が増えて、また、深夜近い帰宅の際は、身体を温めるために、つい、カップ麺を買ってきては冷えた身体を温めてベッドインです。
これでは身体に悪いとわかっていますが、ついつい。
そのお返しがきたようで、体重計に乗って、思わず「あら、こんなに太っちゃったの」と、大きな声を出したところ、看護師さんから「このくらいは 、問題ないですよ。去年が痩せすぎです」との返事です。
なんか急に身体が重くなったように感じます。
そういえば、先月の日経新聞の夕刊に、初めてラーメンと餃子を食したのは、かの有名な水戸黄門様の徳川光圀様とか。
しかし、太っただけでよければいいのですが、諸々の数値の結果が出るのが怖いです。
私の事八日は食生活の改善をする事始めとします。

2016年

12月

07日

朝陽に照る街の紅葉

今日は24節気のひとつ、大雪ですが、朝から陽射しからはとても本格的な冬の季節ですよと、念を納めるような日とは思えません。

毎日通う道にある紅葉が、今日はとても色鮮やかに、、青い空に引き立って見えます。
紅葉といえば、自然に「秋の夕日に 照る山紅葉」と口ずさみ、また輪唱でも誰しもが経験しています。
紅葉の美しさが目にも浮かぶほどに親しまれています日本の秋を代表する歌といってもいいのではないでしょうか。
朝、素晴らしい季節との出会いがあると、不思議に今日は1日いい日になるように思えて、先日来の思考回路の回復にも大いに役立ちます。
人は、やはり自然の懐に抱かれて生きていることを改めて思い起こされます。
いい日になあれ〜〜。

2016年

12月

06日

銀杏のロゴ

今日は夕刻から、重要な委員会の外部委員を務めています。

数ヶ月前から、お目にかかっていましたが、タイミングを外してしまいまして、今日遅ればせながら、ご挨拶と名刺交換をさせていただきました。
委員会の時刻になり、いただいた名刺を名刺ケースに入れて帰宅して、名刺のロゴマークの素敵さに、さすが、東京大学と魅せられました。
季節も今、銀杏が主役の季節です。青葉の銀杏と黄色の銀杏のコラボです。
実は、私はこれまでに東京大学の方との名刺交換の場のチャンスがなかったということです。
今、黄色の絨毯が無機質な道路を鮮やかに彩ってくれています。
銀杏の木そのものは、そろそろ枝が目立つようになってきました。
東京大学の皆様には失礼かと存じますが、落ち葉をアップさせていただきました。
たっぷりと油を含んだ豊かな銀杏の葉で、足元もしっかり美しく力強く支えていてくださると、私は思っています。
もしかして、踏みつけたら、どうぞご容赦ください。

2016年

12月

05日

師走の銀座

かれこれ15年近くになりますが、必ず12月、銀座で一緒にランチを誘ってくださる友人がいます。

いつも同じお店でのランチには、お馴染みという安心感もあり、話題は1年間のお互いの出来事や世の中の変化や家族のこととか、思いつくままに取りとめもなく話が続きます。
昨日、冬でも健気に咲いているダリアの話をしましたところ、友人は大好きな花とのことで、また、お互いの思い出話が弾みます。
師走の慌ただしい中、わずか2時間ほどですが、一足早く心の大掃除済ませた気持ちになります。
そのまま踵を返して自宅に帰るのは捨てがたく、師走の銀座に身を置いてみたくなります。
そうだ、友人が個展を開催中だし、12月には靴を買うことにしていたことなど 次から次へと 足が自然に目的地へと進みます。
新しい銀座の街並みに溶け込むのに、少し抵抗があり、行きつけの懐かしいお店を見つけると、ホッとします。
銀座はやはり師走の雰囲気に溢れていました。

2016年

12月

04日

冬のダリア

今日は、日曜日。

先週の1週間は、目の前のことを優先したために、なかなかマイペースの生活スタイルが取り戻せないまま、自宅も片付かず気が重い日が続きました。
ひとつずつ自分では片ずけているつもりですが、ピッチが遅いし、思考停止にも陥ってしまいます。
朝早く 、思考回路を回復するために散歩に出かけました。
相変わらず露地歩きを始めてすぐに、色鮮やかな花が目に入りました。
この季節にダリアの花が咲いているなんてと、近づいたところ、確かにダリアです。
瀬戸内の海辺の温暖な気候の地から、少し奥まった水田が広がる地に移った自宅の門のそばに、真っ赤なダリアの花が咲いていました。
そのダリアは、小学生の私の背の高さより、はるかに高い位置から見下ろすかのように私を迎えてくれました。
懐かしい小学生時代には、夏の花と思っていました私を、冬のダリアが疲れた心を和ませてくれました。

2016年

12月

03日

自分にお疲れさま

やっと鬼門の霜月が終わったと思う間もなく 私にはもう一つ 10月下旬から、約1カ月かけて12月初旬までにやり遂げなければならない役割といいますか、責任があります。

恒例のそのお役目も今日で、一区切り、取り敢えず終わりました。
ホッとする一方で、同時に精神的な疲れを覚えます。
この疲れを1日でも早く回復したいとの思いから、帰宅したらゆっくり休めようと思いながら、既に私の頭のある部分が動き始めるという厄介な性格といいますか、性分を持ち合わせています。
解放感と次への模索モードに陥入り、なんとなく背後から背中を押す見えない手を感じるのです。
つまりは、マグロのアダ名の通り、私は生涯動き続けていないと不安なのでしょうか
 解放感と使命感(?)の間で、振り子の生活を続けていくのだろうと思っていますが、体力が続くかどうかということになりそうです。
まあ、人生イロイロです。

2016年

12月

02日

縁の下の力持ち

縁の下の力持ちという言葉も死語になりつつあるように思いますのは、私だけでしょうか。

仕事だと割り切ればそれまでですが、落ち度なく、物事が順調に粛々と進めるためには、かなりの時間をかけていることがわかります。
口にも出さず、ひたすらと処理をしていますが、つつがなく済んで当たり前としか評価されないことに対して、私はかなり気になっています。
一言でも労いの言葉や、時間が許せば協力を申し出るような、温もりのある社会は遠くなっているのでしょうか。
縁の下の力持ちがいて、初めて成果に繋がっているのです。
たった一言、「お世話になります」、「お手数をおかけします」、「どうもありがとう」と言えないのでしょうか。
これから年末にかけて、新年に向けて、忘年会や新年会の幹事役は、事前の準備に始まり参加者のことを考えての気配りが多々あることでしょう。
一言、「美味しかったよ、大変だったね、ありがとう」と声をかけて欲しいなぁと思います。
今年は、例年より乾燥しているのでしょうか、道路上に落ちている枯れ葉が多く 、カサカサしているように感じています。
まるで心のカサツキのように思えて、せめて落ち葉を踏まないようにと気を付けながら歩いています。

2016年

12月

01日

雨にも負けずお散歩

昨日のお喋りで、声がガラガラです。

慌ててガラガラとうがいに励むことになりました。
しかし、心は図書館の開館時刻が待ち遠しく、喉には雨もプラスになると思って外に出ると、いつもお散歩をしているワンちゃんに出会いました。
犬の年齢はわかりませんが、男盛りは過ぎているように見えます。
ほとんど毎日出会うので、私を見つけて尻尾をふって近ずいてきました。
「おはよう、雨でもお散歩してるのね、寒いから風邪を引かないでね」
「犬は時計を持っているんですかね〜、本当に正確ですよね。こんな雨の日ぐらいは少し雨が治まってとこちらは思ってもダメですね」とワンちゃんのパパは苦笑いをしています。
私もこれまでに、3匹の犬を飼った経験があるので、飼い主の気持ちがよくわかります。
「本当に、我が家でも、よく時計を持っているからと言っていましたね。雨にも負けずですね〜」
そういえば、ワンちゃんも高齢になると2割は認知症になるそうで、さらに予備軍も半数に達する可能性もあるとか、雨にも負けずお散歩できる先ほどのワンちゃんは心配ないようですね。
図書館の開館まで、後2時間。それまでガラガラでもして待ちましょう。