文月の終わりに

「断捨離プロジェクト」を決め、今日で文月も終わるが、気が付くと急に

身辺が慌ただしくなってきた。

 

先月のクーラーの洗浄に始まり、広義に考えれば、凡そ、12年間に行き届かなかったバス、トイレなどの日頃の利用度が高い箇所だ。

 

この汚れも考えようによっては、断捨離の一つと思いついたのである。

 

ついでに、壁のクロスに掃除機をかけ、思い当たる箇所からゴミの断捨離を試みると、見違えるほど、すっきりしたではありませんか。

 

今月5日から、「41日間の闘い」と宣言して、ウエイトコントールにもチャレンジしているが、効果は期待できない日々が続いている。

 

中旬ごろから、血圧には効果が顕れ、緩やかながら理想的な数値が表示され楽しみながら計測している。

 

その代わり、これまで空白が占めていた、手帳の書き込みが多く成ると共に、日傘の使用度が頻繁になった。

 

整形外科ともお別れを機に、朝夕の散歩を始めた。

毎朝、なかなか結果が出ないが、期待を込めて体重計の数値を楽しむのも悪くないかと想える。

 

月末に、夏風邪で、食欲がなく、見る見るうちに体重の減少に繋がるとは

内心、複雑な気持ちになった。

 

こうして、断捨離プロジェクトは、来月の中旬の診療日までにどの程度の

追い込みができるだろうか、焦らず、暑さにもめげず、ちょっと、頑張りたい想いに駆られている。

 

今日の午後、待ち焦がれていた、ゆまに書房刊の「昭和12年度 清水組 工事年鑑」画と図書館から連絡が入った。

 

早速、工事年鑑を抱え、心当たりの建物に急いだ。

何度も何度も、年鑑と目の前の建物を見比べたが、間違いなく予想していた建物であった。

 

何と、偶然というか、身近に「父親を知る証の建物」があるとは、胸が熱くなった。

 

「マリ子、来たんか」と、建物から、父親がひょっこり、現れるのではないだろうかと、離れがたく暫く佇んでいた。

 

文月の最後に、素晴らしい贈り物を見出すことができた。