断捨離プロジェクト

先日22日の転倒は、日を追って痛みが増している以上に、油断というか、過信していた自分を情けなく、悔やまれる。

 

シュンとしていると、余計湿っぽい考えが頭の中を堂々巡りするので、寧ろ、マグロちゃんを発揮するに限る。

 

友人から「ほら、やせ我慢が始まった」と言われるのを承知で、間もなく

2023年も折り返し地点の7月を迎える。

 

久し振りに、ご無沙汰している断捨離を始めようと決めた。

 

今回の断捨離は不要なものを整理するとは異なる意味合いを含んでいる。

 

目に見えるもの、見えないものといった広範囲な断捨離を考えている。

 

2023年前半期の総括と考える方向性で、この機会を逃しては、また、

ダラダラとした生活スタイルから抜け出せないと、更に打撲という新たな言い訳を持ち出さないとも限らない自分の弱さを知っているからである。

 

「諦める」とは、「明らかにする」ことと学んだ。

 

「明らかにする」というには、俯瞰的に、直線的に、コロナ禍に遡って、改めて失ってきた現実を見極め、自分を見つめ直したいとの想いが、日を追って強くなってきた。

 

ある政治家が「身の丈」発言で、問題視されたが、相手を見下げたり、卑下した表現とは受け取れず、私は寧ろ自分を見極めていると想うのだが。

 

緩和ケア病棟で「私ね、これまで神様から頂いたものを一つひとつ、神様に今、お返ししているの」と、穏やかな表情で私に話されたキリスト教の患者様を私は今も大切な思い出として心におさめている。

 

脳神経外科で手術後、病院の食事が非常に美味しくて、入院中は完食で、

何と、退院時に体重が入院時よりふっくらとして、信じられなかった。

 

その後のコロナ禍による行動制限で、極力室内で体を動かしたり、必ず散歩に出かける生活をしてきたが、どうにも体重の増加を食い止められないでいる。

 

現在のふっくら体型をできる限り、4年前の体型に戻すといった気の遠くなる断捨離もある。

 

取るに足らない雑念の類、結論の出ない悩ましい問題等々も、今回の断捨離の対象の視野に含まれている。

 

無理なく、頑張らないで頑張って、徐々にそぎ落とす断捨離プロジェクトを始める。

 

悲壮な想いはなく、寧ろ、発案者の自分にどれだけトライできるか、今後の楽しみだと想っている。