福山の思い出、

16日付の日本経済新聞に「地域のチカラ」街のイノベーションの副題で、隣接する「広島サミット」で注視されている、我が故郷の岡山県に隣接する、広島県は中国地方の天気予報に代表される。

 

かねてから、地域に対して、外部の講師を招いたり、私が口癖になっている開かれた窓口である。

 

まず「関係人口」を増やすと提案しているが、正に「よそ者」の柔軟性を

持たなければならないと、身近に私も理解できる。

 

処で、東京から一都民が口角泡を飛ばしても、犬の遠吠えに等しい。

 

よって、無駄なエネルギーは体調に堪えるので、福山での思い出を綴りたいと想っている。

 

我が故郷の鴨方駅から山陽本線で、里庄、笠岡、本庄駅の次が福山で、博多方向に向かって、右側にに福岡城が存在感がある。

 

1950年から、1967年時代での、福山での懐かしい思い出である。

 

父親の仕事の関係で、福山に出掛ける時が多く、何故か、母親同伴という3人で福山の地を訪れた。

 

父親の仕事が終わるまで、母親と、明治屋で、初めてミルクセーキ、ココアを口にした時、これまでに味わったことのない存在感に驚いた。

 

その後、父親が「魚勝」というというお店に連れて行ってくれた。

初めて、父親から「牡蠣フライ」を勧められたのも、この店である。

生々しい磯の香りに、私は不安を覚え乍ら、後に牡蠣フライに魅せられている。

 

記憶を辿ると、福山で「菊人形展」が開催されていた時期に重なる。

菊人形の前で、私に歴史も詳しく教えてくれた記憶を思いだした。

 

福山は私にとって、なく両親との味覚を始めとする学びの地であった。

今、私は我が故郷に、参考にすべき課題があるやに想っている。