素直に喜べない

昨日に続き、母の日を商機の標準に合わせて、今年で4年間のコロナ禍による空白を除き、16回の開催になる「マロニエ紅白祭り」が開催された。

 

初回から長年の友人夫妻に頼まれて、日頃何かとお世話に成っているので

お手伝いをしている。

 

昨日から、毎回お馴染みの出店が少なく、阿吽の呼吸で繋がっていた雰囲気がなく、複雑な気持ちになった。

 

長びくコロナ禍により、商いの状況にも変化が生じたことを察した。

これまでは、出店の際には従業員の協力で成り立っていたが、これまでとの相違点が分かった。

 

製造業が多い土地柄ゆえに、家内工業で成り立ってきた業種の多い地域で

今回の出店を見ても、従業員に別途の出勤手当を控え、家内中心で出店しているのが特徴であり、歴然と理解できた。

 

又、永年馴染で出店してきた老舗が、後継者がいないとか、職人さんがいなくなったとか、寂しい話題にも触れた。

 

美術に関わっている時に、日本本来の「手業」の仕事の作品を希望するといった伝統作品に理解を示す施主に接してきた。

 

コロナ禍により、日本はこれまでの生活スタイルをギヤーチェンジしなければならなかった事情に、私はこれまで生きて来た78年の人世に対して、

とても侘しい想いになる。

 

一方で、若き世代が、日本の良き伝統を理解し、芽生え、新しい切り口で

トライしている。

 

拒否反応を示すのは、経験、エビデンスに基づいた数値を認めず、横暴にふるまう輩には、どうしても受け入れない私の頑固さが健在である。

 

夕刻2日間の売り上げが、過去最高との報告と共に、夕食のお誘いがあり、

故郷のイイダコのおつまみと、地元の老舗の鰻重で、理屈抜きで美味しいと、初めて素直な自分を取り戻せた。