街路樹の功罪

「マリニエ祭り」がコロナ禍の影響を受け、、4年ぶりに日の目を見た。

 

私が上京した時の記憶によれば、街路樹は柳だった記憶がある。

 

気付かないうちに、マロニエ、日本名では栃の木に変わった。

 

当時の私は、街路樹を含め、地元の関心がなかった時代に、気が付くと、

統合し、廃校になった小学校をフランスの学校に貸し出していたという経緯は何となく、耳にしていた。

 

今回、改めて、検索すると、フランスレジェというフランス人の子女が通う「東京リセ・フランコ・ジャポネ東京学校」に貸与していたと知った。

 

というのは、当時夕刻16時過ぎになると、インバウンドに驚かなくなったが、当時、学校の近くのコンビニは、かの学生で身動きが取れない賑わいだったことを覚えている。

 

当時の町会長によって、フランスの学校との親善という大義名分で、紅白のマロニエを植樹した経緯が、今回の「紅白マロニエ祭り」へとの経緯がある。

 

落葉樹であるマロニエは、コロナ禍においてはその地域の住民から、感染防止のために、窓を開放していると住まいの2階、3階等々にお構いなく

季節によっては枯葉が入ってくる。

 

当マンションでも、管理さんの清掃では間に合わず、というのは、通学路に当たる為に、雨の日は滑る可能性があり、街路樹に面した住民は揃って落ち葉の除去をする。

 

シャンソンの「枯葉」なんて、そんなゆとりはない。

 

45リットルのごみ袋が、毎日パンパンになるほどの量に私は、行政機関に

相談に出掛け、毎年の伐採予定の前倒しをしてほしいと、事情を説明した際に、マイナンバーカードを名刺代わりにた提示した。

 

このような経緯のもと、4年ぶりに開催される「紅白マロニエ祭り」の後、

間もなく訪れる枯葉の季節に、お祭りの再開を素直に喜べない季節の訪れに複雑な想いでいる。