春バテ中

最近の気象の激しい変化に、協調性のない私にとっては、心身ともに苦痛の日々を過ごしている。

 

ある輩から、自分に拘りを持っているためだと、私を攻撃するも、全てが10本の指で解決しようとしているだけの相手と、対等に対峙できるとは思っていない。

 

己の発言のみに拘り、多様性の時代に合って、様々な考え方から自分の成長に繋がるというキャパシティーを持ち合わせていないのである。

 

日本の教育現場も試行錯誤の繰り返しに過ぎない。

 

幸いに私は病院ボランティアから、先ずは病気の方の話に耳を傾けるという、私が苦手としていた部分に、体験を通して、先ずは相手の立場に立つ難しさに頭をぶつけ、痛い想いを体験して、初めて、どんな話に対してもその話しているいる人にとっては、深刻な問題であると受け留めるまでのゆとりをっ持つまでに至った。

 

例え、どんな内容に対しても、頭ごなしの圧力は差し控えた。

 

それを批評家の如き、上から目線で、論じることではなく、取り敢えずは

受け入れるという余裕がない輩の多いことだろうと嘆いている。

 

その輩に巻き込まれないようにしているつもりであるが、結局は知らず知らずのうちに見えないバリケードを巡らしているのではないだろうか。

 

それは、かの輩を意識していることになるのではないだろうか。

嗚呼、春バテ中です。