屈しない

今日は24節気の一つ、清明の日だ。

 

毎年、24節気の清明にわたしは、凛とした気持ちになる。

 

今年は、数年前から、「規約の義務化」の成立を目指し、何とか形となって、成し遂げたと想ったのもつかの間で、脆くも僅か10日ほどで、崩れていく状況に、唇を噛みしめるしかない自分を許せない日々が続いていた。

 

私が想いこんでいる「清明」との確認をするために、検索すると、「清浄明潔」の略語であり、万物が清らかで、生き生きとした様子を表したとあるではないか。

 

「清浄明潔」のこの日に、私は、自分の考えが正論であるかの確認作業を始めた。

 

それぞれの各専門家に、私の認識が正しいかどうかの相談をした。

 

その結果は、全く同じ見解に、心に「屈しない」と誓った。

 

しかし、敢えて、もう自分の時間を費やしても、向き合う相手ではないといった冷めた気持ちになっていた。

 

自分にとっても、恐らくは私のみならず、降りかかることであり、いずれ、結果が時を経て明らかになるであろう。

 

又、時を見据えて、筆の力に追うことが可能な時があると想っている。

 

処で、このような強靭な精神について、一体何処で培われたのかと振り返ると、どうやら両親の「正しい」ことから、目を背けるなといった教育にあるかと、両親にそっと問いかけている。