小さな小さな雨粒の朝

早朝の5時過ぎに、目が醒めた私は、部屋の薄暗さに起きて、カーテンを明けると、どんよりとした重苦しい雨雲が空を陣取っている。

 

今日から私は、ひとつ年輪が増えて、自分では成長の証としたいところだが、今朝の空模様から見ても、どうやら、清々しい朝とは言えない。

 

どうも、人生のバイオリズムからも、弥生3月と、霜月11月は、私には芳しくない月のようだ。

 

しかし、そんな弱気で、後ろ向きはダメだという声が聞こえてくる。

 

まあ、兎に角、ケセラセラで、自然体でと、心を整えている矢先、今朝も気が付くと、現実の世界に引き戻されている。

 

そんな次第で、78歳の誕生日を迎えた私だが、唯、昨年から準備してきた

新型コロナ禍により、これまでの地域社会の交流の場が閉ざされた。

 

そのために、孤独感、寂寥感、焦燥感、不安感による心身ともに、平常の

生活を取り戻せない高齢者に、井戸端会議のような気楽に、話をする場の

必要性を、ほぼ1年前から、考えていたことを、実行に移す時が来た。

 

この問題について、一番私自身が必要としているのである。

そして、丁度、一週間後の13日に迫っている。

 

独りぼっちから、「ぼっちの会」と名付け、スタッフの協力で産声を上げることができた。

 

78歳にして、病院ボランティアで、病気の方の「話し相手」の経験が生かされればと願って、ボランティアとしてトライしたい想いでいる。

 

今朝の空模様から一転して、私はいつしか既に前向きの、故郷の母校の小学校の校庭で見上げた空のような清々しさを取り戻している。