元日の空を見あげて

新しい年を迎えたが、いつものように6時30分に新聞を取りに、廊下から

見あげた空が、分厚く重苦しい黒に近い雲が、空一杯に広がっていた。

 

昨年より新聞の部数が少なくなっているのが、厚さや重さで分かった。

3年間の新型コロナウイルス禍の社会を流れを体験してきた経緯の結果が、

掲載されている記事からもくみ取れる。

 

3年間の時は、もはやお正月の華やいだ雰囲気はなく、未来を背負う次世代の記事が多く見られた。

 

記事から、現実と向き合うエネルギーを感じた私は、些か、時代に取り残されてしまうのだろうかと、先ほどの重苦しい雲が頭を過った。

 

カーテン越しに新年の強い日差しが差し込み、慌ててベランダに出て、空を見あげると、薄く白い真綿のような雲間を縫って、強い太陽の日差しを

感じ、思い切り、新年の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

鼻腔をツーンと冷たい空気が潜り抜けたが、清々しく凛とした気持ちになった私は、今年はどんな年になるだろうかと想いを巡らした。

 

時間を追って、明るさを増してくる部屋に、近所の公園までぐらいならと

靴を履こうとしたが、一寸、ふっくらとした右足に靴は無理だった。

 

仕方なく、サンダル履きで出かけた公園から見上げた空には、雲一つなく故郷の空に劣らない素晴らしい青空が広がっていた。

 

空をつく抜けるように数本の裸木が、空を突き抜けんばかりに真っ直ぐに

枝を広げた伸びやかさに、私は、暫く青空と裸木を見あげていた。

 

公園の佇まいの中に包まれていく自分を感じていた。