年の瀬の風景が変わった

今年も今日で仕事納めと言われるが、自社のカレンダーを紙袋に持って、得意先のあいさつ回りをするという風景が、年を追って少なく成ったように思うのは私だけだろうか。

 

年内の疲れが取れるように、午後から、点滴に出かける途中、横断歩道の信号待ちをしている時に、人通りが少なく、閑散とした街の佇まいに、時代の変化を感じた。

 

かつては、小売業の店が立ち並んでいたが、あれよあれよという間にすっかり街並みが高層化し、表情豊かであったそれぞれの個性ある店が、特に

歳末は賑わっていた。

 

凡そ、60年近く住み慣れた東京の我が街並みの変化に、以前は何の店だったかしらと想いだそうも、記憶がプツンと途切れてしまう。

 

先日23日の日本経済新聞の「春秋」に、山本周五郎の「年の瀬の音」を

紹介していた。

「十二月になると一日一日に時を刻む音が聞こえるようである」

 

後ろ向きに考え、試行錯誤することは、もうお終いと決めている私は、今

足首の痛みがどうやら年を越しそうな「痛みの音」だけが聞こえてくる。

 

ベランダからの視界も、10年前に比べると、高層ビルが目の前まで迫ってきているため、今夜も痛む足を庇いながら、冬空にスカイツリーと上弦のお月様にご挨拶する年の瀬である。