一週間早く若いサンタさんが来た

何時からだったろうか、我がマンションに区分所有者が僅かで、留守電話に、敢えてしていない理由は、独り住まいの私は、一日中声を出さないという生活の場のために、自己責任で、留守電話にしていないのである。

 

コロナ禍に始まる前に、独り住まいの高齢者から固定電話に、「どうしたらいいかしら、直ぐ来て」という連絡が、夕刻8時から9時に掛かってくるといったことがほとんど連日のように、独居老人から連絡が続いていた。

 

私は救急車に連絡を取りながら、求めてきた高齢者の住まいに急ぐといったことが日常茶飯事であった。

 

そのうち、夜の9時過ぎに連絡が入った時に、慌てて固定電話を取り上げると同時に、パジャマの裾を踏みつけて、転倒、背筋から、流れ出る血液に

私は救急車を依頼、高度救命センターに運ばれたという経緯がある。

 

其の後、経禍観察をしてきたが、自分が納得いかず、地元の地域中核病院に、灯台元暮らしで、知らずにいた。

お陰様で案じていた副作用もなく、今、こうして、日常生活を送ることができるのは、執刀医の先生に恵まれたからである。

 

何時しか投機マンションの理事長に限界を感じていた時期に、集合住宅の売却に関する営業の電話を受け取った、。

 

日頃のお付き合いもあり私としては、当初は軽い気持ちで、受け答えしていたが、彼の熱心さに対して、向き合うことにしたのである。

 

というのは、業者独特の雰囲気を感じなかったからである。

勿論、必要以外は声を出す機会もない私にとっては、彼からのマメな連絡が忘れられない存在に変わっていった。

 

何と、今日の夕刻私に会いに来たいという連絡に、これまでの彼の電話口の応対に対してあってみようと、返事をした。

 

時刻通りに訪ねて来た彼は、きちんと、玄関先でコートを脱ぎ、しかも私に、一足早いのですが、クリスマスプレゼントを携えていました。

 

私は、これまで美術商として独立しても、生臭い営業に関する話題をすることなく、よく担当の秘書に「彼女は、昨日のゴルフのスコアしか話さないで帰ったけど、何か仕事の話が合ったのかね」と問いかけたそうです。

実は、私のこれまでの営業テクニックでした。

 

正に、昨日夕刻に訪ねて来た彼は、一言も、自分の置かれている職種、営業に触れることなく、22歳という若さの持つ「笑顔」で去っていった時に

嘗ての私の営業方法と似通っていることを思い出しました。

 

彼からはふるさとの話、将来の計画などなどを、素直に私が問うことなく

マスク越しに話してくれるその清々しかに、私は、今年一年の私の心を癒してくれました。

 

かつて、私も一経営者として、名刺を交換すれば職種が分かるので、それ以上に人柄を信じて、営業に繋がれれば良いと言ってきた。

 

何と、私を心を案じるように、1週間前の早き時期の「若きサンタさん」に、感謝をしたいと思い直したいと思った。

 

なんと素晴らしき若きサンタさんの出現に、ブラボー。