私のつらみ

今朝の日本経済新聞朝刊のお馴染みのコラム欄「春秋」に、最近「み」が増殖中だという。

 

「み」とは、一瞬理解できなかった。

記事によれば『「すごみ」「おかしみ」「ありがたみ」などというときの接尾辞「み」である。

一部の形容詞に付いて名詞をつくるのだが、これが最近はいろいろな言葉にくっついている。「やばい」から「やばみ」が生じ、「つらい」から「つらみ」が出現した』

 

さらに丁寧に具体例が紹介されているが、私の感覚では対処できないというか、飲み込めないというか、理解できなくなってしまった。

 

嗚呼、これが加齢かと諦めるも、私にも一つだけ、使えるのは「つらみ」で、恐らく私の中では、「恨み辛み」という常識的な感情表と重なっているだけだと、想っている。

 

帰京後の生活の現実の重さに、私は「つらみ」の日々から解放されたいと

願うばかりである。

 

どうも「つらみがあふれ、わかりみが深い」と言えそうだ。