矢掛ブルーに初めまして

今日は、母校の教頭先生が、矢掛町立川面小学校の校長先生に着任して以来、相変わらず、コロナ感染の為に、やっと、実現する日が来ました。

 

いつもブログで我慢してきましたが、今日は「蛍に会える小学校」、宿場町として歴史の溢れた町に、私は、宿泊地の倉敷駅から一駅、伯備線に乗って、清音駅で、ローカル溢れた一両電車の井笠鉄道で、矢掛まで約20分乗って矢掛駅に下車。

 

車両は数種あるそうだが実は、定刻より4分遅れとの表示に、乗り換え時間に4分しかなく、私はホームで、いらいらしながら待つより仕方ない。

 

案じるよりも、遅れに対応して待っていてくれたのである。

改札口には、駅員さんが切符のテェックして、記念にと可愛い車両の写真を撮ろうとしたら、発車しますのでと急がされ、残念と想った。

 

車内を見回すと、内部には、星座が描かれており、車両の揺れが激しくて

やっと、探したと同時に矢掛駅の案内の表示が出たが何とかセーフ。

 

駅には、母校を定年退職後、矢掛町立中学校で、セカンドステージで、活躍中の「笑顔の校長先生」が、待っていてくださいました。

 

先ずはと、9時過ぎのお忙しい時間帯にも関わらず、矢掛町立中学校の校長先生にご挨拶をして、いよいよ、川面小学校まで送っていただきました。

 

凡そ、3年ぶりに御目に掛かる校長先生は、いつもの通りの優しい笑顔に

懐かしく、又、校内を隈なく案内してくださいました。

 

願いが叶った私に、校長先生は「次に帰るときは、只今ですよ」との一言に、私は、多くの故郷の恵みを頂いていると、目頭が熱くなった。

 

昼食後は、浅口教育委員会でお世話に成った現在は地元の浅口市立中学校の校長先生に、お目に掛かり、再度、母校の校長先生に御目に掛かる約束をしていましたので、「タクシー」の御世話に成る。

 

昨日、校長室に入った時に、づらりと指導活躍なさった歴代の校長先生の写真が掛かっている前で、「只今、今日はこれからお尻を向けて失礼します」と挨拶出来ました。

 

現在はコミュニティスクールと言われる前の、学校運営協議会委員の時からの副会長様が同席して下さって、色々と、お話が出来ました。

不思議に、私が今、母校の校長室に帰る機会はないと、一度は諦めた私ですが、やはり、「母校の力」は私にとっては忘れがたい宝物だった。

 

校内活動を拝見して、私のことを覚えている子どもたちが、「また、来てね」と、言われた時、本当に幸せで、胸が熱く成りました。

 

満足感で胸いっぱいになった私は、初めて副会長様の「軽トラ」で、宿泊先まで送っていただくことになり、気が付くと、母校の校庭に、校長先生、教頭先生、心待ちにしているブログ担当の理科の先生が、見えなくなるまで手を振ってくださいました。

 

こんなに恵まれた見送りを写真にと想ったのですが、私は、深く深く心に刻む方が忘れられないと想って、見えなくなるまで、別れを惜しんだ。

 

「軽トラ」から見るふるさとの景色は、新鮮でした。

 

そして、今夜は皆既月食、宿泊先を向けだして、暮れなずむ空を見上げて

居ましたが、残念ながら宇宙ショーは見逃してしまいました。