帰郷の準備を始める

さあ、何時までも、グタグタしているわけにはいかないのである。

 

今日は大安吉日、いよいよ、帰郷の準備を始めると決意した。

「善は急げ」である。

 

これまで、母校のある下車駅で駅員さんからプレゼントされたコンパクトな時刻表は、コロナ禍の影響で、すっかり、時刻表は役立たずである。

 

思い出の時刻表に別れを告げ、パソコンで調べるも、やはり、私はアナログ人間で、本来の時刻表で、帰郷の準備に取り掛かった。

 

ホテルは、私が、時々疲労回復のために、自宅から10分の位置にある東京でメンバーでもある馴染のあるなじみのホテルを予定している。

 

コロナ禍によって、すっかり、時刻表は変わって居た。

活字をみることに抵抗のない、私は人としての原点のような気持で、予定の時刻に集中していた。

 

なんでも、私が利用している時刻表は、1894年(明治27年)、日本初の

時刻表が「汽車汽船旅行案内」が出版されたそうだが、私は、時刻表を

なぞって、目的地に着くというアナログ的感覚が否定できない。

 

想いに忠実に動こうとした私に、コロナ禍前には稼働していた「みどりの窓口」は、跡形もなく、若い駅員さんの説明に時代の流れを知った。

 

「みどりの窓口」は1965年(昭和40年)、現JRの全国150の駅によって、コンピーターによる指定席券が設置されているが、当初の目的から、徐々にクローズされているのが現実である。

 

又、アナログ人間の私は、恋焦がれた故郷に対して、特に後期高齢者に対して、私は悔しさと、ここまで人間性を接触防止という目的での、行為に対して、私は自分の人世に見切りをつけたいとさえ想った。