私もつらいよ

今月の27日は映画「男はつらいよ」シリーズの第一作品が、1969年(昭和44年)に公開されたと、エレベータ情報により、メモしていた。

 

寅さんの辛さは、出会った女性に温かく包み込みから、恋心が目覚めるも

失恋に終わるも、又、気をとりなして、旅に出るという感想を持っているが、私の場合は実に、現実な問題が立ちはだかっている。

 

敢えて非難を恐れず、私は、今、連立している賃貸マンションの管理体制に理事長や管理人は実質に苦労しているのではないだろうか。

 

新設する集合住宅は、全てが賃貸重視であり、責任あるべきはずの区分所有者が、投資として賃貸といわれる占有所有者に、仲介不動産を経由しているというのが実情である。

 

しかも、残念なことは、新築の投資マンションにおいては時代に沿った規約が作製されているが、時代を経た投資用マンションにおいては、時代に見合った規約の改正すら見当たらないという、現実に、私は、愕然としているというか、管理会社にも何と怠慢化と呆れている次第である。

 

出来れば、憧れて入居した満足度は、消え失せ、出来れば、私の力では

及ばない事態が生じている。

 

我が区内では、雨後の竹の子のように、キョキニョキと空高く聳えていく

集合住宅、しかも、投資マンションにおける街の混乱に、行政は考えているのだろうかと、私は、疲れ果てて出来れば、責任を持てる自信がない。

 

「投資マンションの理事長はつらい」のであるのが実情である。

 

しかし、これまで経験したことのない飲んだイについて、私は、逃げる気持ちはなく、寧ろ、この年齢になっても「学べよ」という前向きな気持ちで、隣接する図書館、役所の地域課の無料相談の辯護士、更に警察、消防署に自ら足を運んで、知識の積み上げをしている。

 

「つらいよ」なんて言えない貴重な体験を、私は学んでいると、新しい知識の積み上げが必要とされているのではないだろうか。

 

決して、俯いてはいけないのであることを、気丈な母親から学んでいる。

それを、如何に、納得、説得できるかが試されていると想えば、私は生きがいというか、楽しさを覚えるのである。