責任の在り方

昨日の日本経済新聞の朝刊の「マンション賃料3か月連続下落」については、さもありなんと理解できる部分がある。

 

しかし、翌日の同時の朝刊に「理事会なしのマンション増加」という記事に、私は、信じられなかった。

 

なんでも、住民負担からの解放という事らしいが、嘗てPTA不要論の記事を記憶している。

 

例えば、当マンションで一番ネックになっているのは、投機用マンションのために、出来れば、2年を目安に、占有区分者の退去が望ましいと言われているが、個人的立場によれば、2年ごとに、内装というかクリーニングを

して、どのくらい利益を得るかという事である。

 

さらに、何時から、ゆとりがないとか負担からの解消という理由で、不動産の第三者管理委員会を本格的展開をするという。

 

例えば、早朝の管理人が頑張っている一番の問題であるゴミ問題、しかもそれを自ら早朝管理人と共にする、第三者理事会の担当がいるだろうか。

 

現実を把握しないで、企業も利益利潤のために頭を働かせているのであるゆえに、実際にめにしたこと、体験したことから、発想するのが、自然では無いだろうか。

 

何故、自分の住まいの環境改善のために、人任せにするという発想は、私には、日本人の本来のお隣まで落ち葉があれば掃除をしたという、「心のゆとり」や「思いやり」「お互い様」といった精神は。何処に消え去ったのだろうか。

 

病院ボランティアの一人が、私は学校のPTAというボランティアをしていたという鼻高々さに、開いた口が塞がらない思い出、心に隙間風が吹いたようで、納得いかなかったィアとして活動する人に方は、今、消滅しつつあるのだろうか。

 

寂しいわg事のためにしか考えない個人主義は、今後は主流になるのだろうかと思うと、100年人生なんか、望みもしない。