猛暑と闘う

天気予報によれば、今週一番の暑さで、一気に気温が上昇するとの警戒情報に、うんざりする。

 

元来、私は、瀬戸内の出身で、生れた土地は南斜面で無霜地帯で、冬でも

オーバーを着ることはなく、素足で、板張りの縁側を歩いていた。

 

まったく、穏やかでのんびりとした生活を送ってきた私には、今の東京のヒートアイランド現象で、先日も卵をスーパーで買い求めて帰宅する間に

極端だがゆで卵になるのではといった具合である。

 

東京は、眠らない都市なので、地方都市と異なり、年がら年中、エネルギーの放射が続いている。

 

今朝、蝉の声を聴き、ホットしたが、我がベランダに、青息吐息の大きな

蝉が役目を終えたのだろうか、終末期の状態に、やたらに手出しをすることは自然体系を乱すと考え、「頑張ったね、季節を届けてくれてありがとう」と、声をかけた。

 

友人の一人から、最近、故郷の料理を作ることが多く、東京生まれの東京育ちのご主人から、時折、不満の言葉が出るという。

 

しかし、地域の食文化には、長年の歴史に培った実績をもとに築き上げたもので、私は、スーパーに買い物に行っても、産地を確認している。

 

今、我がふるさとの母校では、私が2年間だけお手伝いをした教育と、家庭と、地域の三者一体となったコミュニティスクールによって、我が後輩たちに継承されている。

 

自分の健康状態を考慮すると、私にはふるさとの自然、空気、風、空などが何よりの治療薬と受け止めている。

 

しかし、ふるさとの17年間、東京の60年の歴史に対して、どのような価値判断をするかという、暑い夏に考えている。