心強い婦人警察官

先月27日は、1946年(昭和21年)、日本で最初の婦人警官62人が警視庁勤務についた日だった。

 

両親をふるさとに残して、私は17歳で独り上京することになった。

理由は、父親から東京の土地に住まいを準備するために、私に将来は東京で住まうためであったことを、父親の死後、母親から初めてきいて知ったのである。

 

処が、東日本大震災で、東京の我が家のペンシルビルは、漏電を発生し、住まいとして危険と工務店からの回答で、僅か、500m圏内の現在の住まいに転居したのである。

 

数年後の日曜日、ユーセン放送が建築当初から設置されている。

朝、スイッチを入れると、天井から、轟音が響き渡り、どうしてよいかわからず、てっきり、上階の部屋で何か起こっているとしか思わなかった。

 

管理組合の緊急相談先に連絡をすると、警察にとの指示で、警察官が来るまで、頭からガンガン鳴り響く音に部屋に入れず、廊下で、早く来てほしいと祈る気持ちで待っていた。

 

「淺野マリ子さんですか」と、廊下の先から、婦人警官が一人で現れた。

 

「ちょっと、上の部屋を確認してきます」と言ったので、「実は既に私が

チャイムを鳴らしたのですが、いらっしゃらないようです」

 

「私が、もう一度、確認してきます。暫く押し続けてみます」と言い残して、降りてきた婦人警官は「いらっしゃいましたので、確認しましたが、

問題はないですね」と。

 

やがて上司に事情を報告した結果、「淺野さん、ユーセンに問題があるようで、主電源を切ってみます」

 

どうなるかと心配していたが、何と主電源を切った途端に、恐ろしい音はぴたりと消え去りました。

 

落ち着いた対処に、大慌てしている私が恥ずかしく成りました。

 

今日も、マンションの駐輪場に心当たりのない自転車が放置されているので、管理員が連絡を取りましたところ、婦人警官が来てくれました。

 

実に、しっかりとてきぱきと、管理員に指示している姿に、嘗て、土曜日の朝、お世話に成ったことを思い出し、安心、安全に尽力している婦人警官に、改めて、感謝の気持ちと、どうか、気を付けて、頑張ってと。