東日本大震災後11年の時を経て

20211年14時46分を前に、10年近く病院ボランティアとして、ホスピスと言われる緩和ケア病棟に設立当初からお手伝いをしていた私は、「話し相手」として、一区切りをつける決心で赴いた。

 

おかげで、責任者から承諾を受けた途端、9階の緩和ケア病棟に激しい

揺れがあり、もしかして、関東大震災と、恐怖を覚えた。

 

二度にわたる激しい揺れに、私は自宅のテナントを案じ連絡とるも通じず

私は、緩和ケア病棟の最後の任務を果たさず、自宅に急いだ。

 

自宅は47年の歴史に、漏電だのあらゆるところにクラックが派生し、即座に日頃の工務店を呼んで、相談、見積もりを結果した結果、修繕費より、

寧ろ、新しく中古マンションを購入した方が良いとの結論に納得した。

 

なんという巡り合わせか、建設当時から憧れていたマンションのチラシが入っていた。

 

遡ること、震災数過ぎた摺日後、私は不動産会社に連絡を取り、現場を確認、独り身の私にはふさわしいと判断した私は、結論出した。

 

そして、「晴れ女」の私には予期せぬ土砂降りの大雨の中、地元の長く続く江戸蕎麦屋のお店で、数人で「引っ越しし蕎麦」を味じわったである。

 

そして、早や11年問を経て、、現在、前組合理事長から管理組合の理事長として、あちらこちら居住者のために快適な生活を送っていただけるようかなり、厳しいことを敢えて申し上げている。

 

納得して購入しただけに、思い入れが強いと言われればそれまでだが、必ず、認めらる正論として、理解していただくつもりの覚悟はできている。

 

そして、その気持ちは、叶うならば、私が責任を持て向き会いたいという想いを持っている。

 

兎角、集合住宅の管理門が取り上げられており、私順和から心を痛めているが、「甘い」と思わっるかもしれないが、居住者を信頼して、「QOL」に励むのが管理組合の理事長の役目と思っている。

 

それは「理想論」だと、一笑されそうだが、新米の理事長だからできるのかもしれない。