スマホ時代のお付き合い

昨日、隣接する図書館で、リクエストしていた寺田理恵子著「60代、ひとりで前向きに生きる」の案内に、翌日の休館日を考え、急いだ。

 

タイトルからも、伺えるが、かねてから愚痴をこぼして医療に、これまで

走り続けたノンストップに、恥ずかしながら、未だに我が道を見付けることができなく、体調を崩すほどの闘いを続けている。

 

タイトルが示すように60代をはるかに超えた77歳の私であるが、出来うることならば、これまでの体験を生かした可能性を模索していた。

 

77歳の年齢にも、今回リクエストした寺田理恵子著の「60代で、ひとりで生きる」というタイトルに関心を持ち、もしかして「77歳出でも、一人で前向きに生きる」のは可能ではないかとリクエストしたのである。

 

私は正直言って、時代に抵抗するようだけれも、どうも、固定電話のアナログ生活にできることならば戻りたいという想いが長年の念願である。。

 

寺田理恵子氏も、「高齢者のスマホ講座をめぐって」いう問題定義を著してが、実は私は自分が必要とする以外には全くのど素人である。

 

然し、スマホ利用者から教えてといった問いかけに、私は申し訳ないのであるが、応じることが出来ないのである。

 

寺田理恵子氏によれば「スマホが当たり前になったときに取り残された人達へのケアが必要だと、そこにボランティアの力が必要だ」との提案に対しては、賛成するも、必ずしも、今後がスマホに支配される世の中に対する微妙な反応が、少数派であるも見捨ててはいかないのである。

 

仰せの如く「取り残された側も、体調を崩すのであれば、ごきげんようをしたいほど、性格的に相性が合わないのである」

 

私は何時、ごきげんようとしたいかを考えているのである。

 

実は、私もいつまで、精神的に持ち堪えるだろうかと思っている。

余りにも日本人として変換キーのお粗末さである。

 

また、情報との適度の「ソウシャルディスタン」が取れるかという敵s綱能力の判断が必要である。

 

情報の多さに、消化不良を起こしかねないのである。

 

嘗て病院ボランティアをしている時に、病気の方から愛読書の読み聞かせをしてきました。

 

棒読みにしている私に対しているにも関わらず、、多くの患者様が喜んで下さったかと思うと、現在77歳に成った私も、今後、「77歳代、ひとりで前向きに生きる」に励ましを頂いたと想っている。

 

残念なことに、第77歳の自分の生き方と、相容れない自分の持っきたとも思われるに、精神的に生き延びることが出来る出来るだろうかと想う。