三月九日の心境

今日という日は私にとって、明日が1年半ぶりの脳神経外科の検査日である為に、恥ずかしいが前日から落ち着かない朝を迎えていた。

 

更に,無病息災成らぬもう一つ経過な観察の一病を合わせてするという日に該当していた。

 

健康診断では表出しないまで、経過措置の診断が必要とされている。

検査結果は、来月の主治医からの判断支持を待つより仕方ない。

 

こんな状態が私は精神的に苦手である。

午後かねてからの昨年の10月に購入したばかりのWindows10から、Windows11にアップグレイドをすることにした。

 

このまま、3月6日に77歳を迎えた私にとって、このまま「毎日が日曜日」の生活には耐えられない自分の性分を知っていた。

 

北里研究所病院で、ボランティアをしている時に、北里三郎様から、命日北里柴三郎博士の6月命日を過ぎると、「爺さんより長生きした」と、話されていた言葉を想いだす。

 

1977年に亡くなった母親の年齢の8月10日を迎え、間もなく10か月の時の差を迎えることに、私は、母親が生死をかけた想いに、果たして期待に応えだろうかと思い直してみた。

 

母校の小学校4生の担任の先生の「一言」が今日までの私の生きがいに繋がっている。

その「一言」は、「国語成績が抜擢だから、体が弱くても、国語の勉強を

頑張っていれば」が、今日の私を支えている。

 

つまり、「文字」に、自分の生きがいを見付けなさいと。

 

それしかないと思った私は、パソコンをwindow10から、11にアップグレイドして、再度、自分が抵抗なく今後の人生のためにも何らかの適度な緊張感を、思い切って決心したのである。

 

あすは、ちょうど、脳外科の手術を受けて、一年半の恵果観察の日でもあり、嘗て、「二病息災」といった一病の経過措置のために、腹部エコーがあるという落ち着か居ない前日の夜を過ごしたのである。

 

然し、私は77歳という年齢に対して、十分生き切ったと思う毎日で、更に何を生き切るために必要かと考えると、回答が出ないのである。

 

明日のひとまず脳外科の結果次第で、また考えるとしよう。

Windows11にアップグレイドしたパソコンとの、お付き合いが始まる日でもある。

 

まあ、「無理しないで、頑張るしかないか」