東京から脱出

2018年の61年ぶりの母校への帰郷から、私の心に慣れ親しんだ岡山の温暖な気候に心を惹かれていた。

 

特に、昨年の2021年の11月20日の早朝における「直下型地震を思わせる上下のドスンと来た衝撃」に私は、恐怖を覚えた。

 

如何にしっかりとした建築とは言え、精神的に、初めて一人住まいの自分の立場に、援助者がいる住まいを求めた。

 

嗚呼、とうとう、来るべきものが来たかと思ったと、同時に、わが自宅の

躯体はしっかりしているが、最近の自宅の修理状況に疲れを覚えていた。

 

更に、私の長年の体験から、日々の情報に対しても敏感になっていたが、

残念乍ら、連日の新聞紙上の記事からも、疲労感を感じ始めていた。

 

奇しくも、昨日の28日の日本経済新聞の夕刊に続き、今朝の「東京23区の初の超過」が報道されている。

 

コロナ禍の影響が大だともあるが、私が求める東京脱出は「穏やかに過ごしたい」という思いだった。

 

ある友人が、私のブログには「友人が随分多くの友人を持っていることで時には煩わしく感じない」と訪ねたことがある友人すら、私にはその人であるに他ならない。

 

確かに友人の指摘の通りで、「おこもり生活」の中においては、気分転換を見出すのは、各人によって異なるが、悩ましい。

 

例えば、私が母校のあるふるさとに帰郷して、移住・永住を望んでも、後期高齢者の年齢の私は、住民に負担をかけるだけで、「お呼びではない」のだ。

 

よって、母校の近くで、シニア型の老人ホームを探してと、一時は心が動いたが、凡そ、50年近い東京での私の築いた実績を失うこともである。

 

特に、地方では、移動には自動車が不可欠であり、収支決算してみると、寧ろ、現状を維持していることの方が経済的に安価であると分かった。

 

一時の感情で、若いうちは早計も許されるが、間もなく、77歳を迎えるに私には、秀でた才能や技術がない限り、「お呼びでない」のである。

 

こうして、歳をとるということは、現実を逃げないで現実を見るということだと思った。