2021年一月一日

新しい年を迎えたが、いつもの時間に起きて、カーテンを開けると、滴り落ちるほどの結露に、如何に、東京も超低温の朝と知る。

 

早速、新聞を取りに行く途中で、「年のはじめの ためしとて」と、口ずさんだところで、「ためしとて」という言葉が気になった。

 

新年初めての検索をすると、「恒例行事」を意味していると知り、思い出したのは、元旦には母校の小学校に登校し、講堂に集まり、校長先生からの新年の挨拶があり、式典が終わると、各自に紅白のお餅とミカン一つが配られ、緊張していた表情から、嬉しそうな笑顔になって、帰宅した。

 

確か、その際に「一月一日」の「年のはじめのためしとて」と、児童全員で歌った記憶も思い出した。

 

主婦の友社編の童謡・唱歌「日本百名歌」によれば、明治26年という歴史があり、戦前から、私が経験した母校と同じ行事で、新年を祝ったと記載されている伝統が、戦後の母校では継承されていたのである。

 

昼過ぎに、先ずは、新しい年の散歩にと、陽だまりを選んで歩くも、風が

冷たく、足早に引き上げるとするが、心なしか、春を感じる陽光だった。

 

青空が高く澄み切っているので、見上げた先に、マンションのベランダの

洗濯物が目に入った。

 

嘗て、母親からお正月、特に元旦には洗濯物を干さないことと教育されて

いた私は、核家族になり、多様化社会の中で、時代の変化を感じた。

 

子どもたちの洗濯物が多く干してあるのを見て、未来、次世代を担う子供たちだのためだと思うと、不思議に微笑んでいる。

 

まあ、全くの日常生活のままの新年を迎えたが、初日は穏やかに恙無く、過ごせたのは、目出度いと想った。