「忠臣蔵の日」に思い出す

今日は「忠臣蔵の日」で、四十七士が主君であった浅野内匠頭の仇討ちをした日である。

 

別に、我が家は浅野家とは縁があるとは聞いていないが、父親の出身地である岡山県の現在は笠岡市大島町になっているが、当時の村民の殆どが、

「浅野」の姓で、郵便配達は、姓ではなく下の名前で届けていたそうだ。

 

高齢だった父親の希望で、別に命日ではなく、泉岳寺に行った記憶があるが、数本の線香の香りが、辺り一面に漂っていた。

 

コロナ禍で、帰郷が叶わず、母校の小学校のブログで、ふるさとに想いを馳せ、共有している生活が続いている。

 

ブログから「校外学習」や「体験学習」がアップされている。

 

現在の「校外学習」に該当すると思うのだが、赤穂(現在の赤穂市)には

塩を作る「塩田」があり、見学に行ったのである。

 

笹の細い枝に、海からくみ上げた海水を流し、天候に恵まれた土地柄から

その細い枝に塩分が乾燥して白く見える。

 

その枝の下には大きな受け皿があり、恐らく何度も同じ作業を繰り返すことで、細い枝に塩が付いてくるとの説明を受けた記憶がある。

 

その枝についた塩を、今度は、海岸の白い砂浜に広げ、更に乾燥させることで、塩分の濃度を上げていくのだと。

 

何しろ、60数年前の記憶を必死に蘇らせているのだが、不確かであると、

理解していただければと想っている。

 

ただ、記憶にしっかり残っているのは、太陽の光を浴びた「塩」の白さに

自然の恵みの素晴らしさに目を見張ったことだ。